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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
28/80

ざわ……ざわざわ。







城壁の上にはふたりの男がいた。


どちらも鷹の紋章が入ったベルトをしているが、帯刀はしていない。動く度に金具がちゃりんちゃりんと寂しそうに鳴っている。


周囲、特に城外を意識して注意を置いているものの、緊迫したとは全く言えないのんきな雰囲気。


空は高く、すっきり晴れ渡っていた。

遮る雲の無い午後の日差しを避けて、城壁塔が作った日陰の中に入っている。


ふたりの間にはなかなか勝負のつかない状態で、戦術を競う盤が置かれていた。相手は盤上を睨み、駒を手の中で転がしながら次の一手を考えている。

それを待つ間、もうひとりは戦略を練りつつ、城外を眺めていた。

椅子にだらしなく腰掛けて、頭の後ろで指を組み、ふもとに広がる城都の街並みと、なだらかに下っていく広々とした草原、その横の森を見るでもなく見ている。


「ん? あれ? 早くね?」


城都を迂回するように作られた道を帰ってくるだろうと予測されて、早くてこの三日の内にと、そう聞いていた。

一週間先まで見張りの予定を組まれていたが、今日はまだ初日、城壁に登って来たのだってついさっきの事だ。


しかしあの日差しを全部吸い込む真っ黒な騎影は間違いようがない。

加えて実物よりも大きく見えるような重圧感。


「おい、なあ、あれそうだよな?」


相方が顔を上げて、ふたりは同じ方向に目を細める。近付いてくる勢いと同じぐらいの速さで確信が増していく。


「え? もう帰って来たの?! 早っ!!」


勝負の途中だった駒を劣勢だった方が片付け始め、優勢だった方がそれに文句を言った。どちらにしても途中のまま運ぶのは難しいし、暇つぶしの時間はもう終わりだ。

反対側に寄り掛かって城壁の内側、足元で剣術の稽古をしている仲間を覗き込んで声をかける。


「おーい! 帰ってきたー!」


下からも同じ内容の声が返ってきて、それでもひとりが詰め所に向かって走り出したのが見える。


「俺らも早く下に行こう!」


だから片付けを手伝えと雑に駒を箱に詰める。もっと丁寧に扱えよと返しながら、手付きはほとんど変わりない。


総長の奥方様を早く自分の目で見てみたい。

城壁の上も下も、にわかに騒がしく浮き足立つ。



アメリは目の前の建物を見上げ、知らず眉間にしわを寄せた。

門をくぐり抜けて、馬の足はゆっくりになったものの、しばらくは敷地内を走っていた。

こっちを見ている人集りをいくつか通り過ぎて、大きな建物の前まで来ると、やっとクロノは手綱を引いた。


アメリも同じように馬を下りる準備をすれば、離れた所から声が掛かる。


「おっかえりなさーい、総長!……で、いらっしゃい、ユウヤ」


アメリが急いで馬から下りた瞬間、フードと顔を覆っている襟巻きを外す暇もなく、その声の人物に抱きしめられる。


「ハル!」

「早かったね、疲れたでしょ?」

「そうでもないよ、スエルも頑張って走ってくれたし、とってもいい子だった」


そのハルの愛馬は久しぶりの自分の主を鼻先で押している。


「毎日どこかしら噛まれたけど……」


話しながらアメリは口元の襟巻きを指で引っ張り下ろした。


「ああ……ユウヤは気に入られたんだよ」

「そう?……」

「僕と同じで好きな子は噛んじゃうんだよね」

「なにそれ」

「……ホントか試してみる?」


今日の天気の話でもするような軽い口調で耳元に囁かれる甘い声。

アメリが笑い声を漏らすと同時に、地を這うような声が聞こえた。


「触れるな」

「……やだねぇ、男の嫉妬は可愛くないよ?」


言いながらもハルは両手を広げる。ちょっとからかいたかっただけで、怒らせたい訳ではない。

続けて聞こえる凄みを増したクロノの声が、離れろと短く告げる。

ハルは笑いながら分かり易いように大きく一歩後ずさった。


「お帰りなさい、総長」


クロノはため息で返事をして、自分の手綱をハルの方に差し出した。受け取ってハルはへらりと笑い返す。



アメリはスエルの顔に爪を立てて、毛並みをかき回した。うっとりと目を閉じるハルの相棒に話しかけていると、もう一頭が鼻息を荒げて、前足を踏み鳴らす。

真っ黒なクロノの馬に近寄って、その首を力を入れて叩く。


「……グレンも。お疲れ様、いい子だったね」


そのまま首に抱き付くと、気が収まったのか、大人しくされるがままになった。


「はは……どこまでも主人にそっくりだねぇ……そうだ、総長。陛下が戻り次第来るようにって。ユウヤも一緒にね」

「分かった……アメリ」


クロノが右手を差し出し、当然のようにその上にアメリの手が乗った。


「アメリ?」


首を傾げるハルに、アメリは苦笑いを返す。


「あー……ユウヤは通り名って言うか、なんて言うか……ホントはアメリッサって名前なんだよね」

「あ、そうなんだ……アメリッサ……その話、今度詳しく聞かせて?」


詳しく聞かせられる話なんてあったかなと思いながら、アメリは頷いた。


馬を引いてじゃあまたねと向きを変えるハルに、小さく手を振った。




自分に向けられた視線を感じて、アメリはクロノを見返す。



目の前には白っぽい石造りの大きな屋敷。

いつの間にか正面の扉が開かれて、扉の前にはずらりと人が整列していた。


「……クロノの……家?」

「そうだ」

「……城都って言ってたよね……ここ、城都じゃなくて、もうお城……」

「城都の中の、城だろ?」

「城都と城は別でしょ?」

「……認識が違ったみたいだな」

「だまされた!」

「人聞きが悪いことを言わないでくれ」


優し気な顔で、柔らかな笑い声をこぼす我が主人に、侍従長はこんな顔今までに見た事があっただろうかと過去を振り返り、侍女たちは心の中で悲鳴を上げて大興奮だった。


正面の入り口から屋敷の中に入ると、クロノは手袋と外套を脱いで、後を付いてきた男にそれを渡す。穏やかな声でお帰りなさいませと丁寧に腰を折った。


「お待ちしておりました、奥方様。わたくしはこの屋敷の侍従長をしております、モーリスと申します。よろしくお願いいたします」


クロノよりも少し年上に見えるモーリスに、見た目はあてにならないんだってと、自分に言い聞かせながらアメリは頷いて返した。


「……はい……モーリスさん」

「モーリスとお呼び下さい」

「……はい」


モーリスが目で合図すると、ひとりの女性が前に進み出る。


「これは侍女頭のニーナです、奥方様のお世話をさせて頂きます」


ゆっくりと膝を折って礼をするニーナの見た目は、自分よりも年上だなと考えてしまって、アメリはもう面倒だから見た目通りの対応をする事に決めた。

目が合うとニーナはにこりと笑い返して、アメリの外套の留め具に手を伸ばした。


「お召し物を」


思わず半歩引いて、自分でとフードを外した。

外套を脱いで差し出された手に渡す。ぐるぐるに巻いていた襟巻きを取ると、静かだった入り口の広間でほうとため息のような声が聞こえた。

三人並んでいた侍女の内のひとりが口を手で押さえて、失礼しましたと小声で言っている。

上から下まで品定めされているような視線を感じて、どうやらここが『見た目重視村』らしいと、アメリは誰に対してでもなく微笑んだ。



入り口の広間は外の石造りを感じさせない、温かみがある雰囲気がした。

とても広く見える。

白い漆喰の壁、床は茶を基調にした色味の石が、美しい模様を描いて並べられ、それが光るほど磨かれている。

雨の日は滑って転ばないように気を付けようとアメリは足元を見下ろした。

落ち着いた色合いに、ごちゃごちゃ派手じゃなくて良かったと心の中だけでため息を吐く。

椅子や卓は端に寄せられて、それ以外の家具は数える程度にしかない。そのせいで余計に広く感じてしまう。


クロノに呼ばれて、アメリはその後ろを付いて行こうとすると、腰の後ろに手を置かれ、そのまま並んで歩く形になった、

広間の中央にある階段を上り始める。

階段も廊下も板張りで、真ん中に敷かれた絨毯が足音を吸い込んでいった。


「陛下にお目通りできるように遣いを出しました」

「分かった」


後ろからモーリスとニーナが付いてきていた。

話しかけられるまで気が付かなかったので、アメリは思わず後ろを振り返る。

ニーナと目が合うと、彼女は薄っすらと口の端を持ち上げた。アメリも同じように笑い返す。

ニーナの数歩ほど上にいるモーリスは、我が主人だけに視線を向けていた。


「お召し替えを」

「いや、このまま……疲れたか?」


最後の部分が自分に向けられた言葉だと声色で分かって、アメリは慌ててクロノを見上げた。


「平気……疲れてない」

「うん、ではこのまま行こう」


腕を出されて、アメリはそこに軽く手をかけた。


三階まで階段を上がると、廊下の突き当たりに扉が見える。そのまま進んでクロノはその扉を引いた。

行ってらっしゃいませとモーリスとニーナは扉の内側で立ち止まる。



扉の向こう側はまた通路になっていた。

内側の板張りの通路とは違って石造りの通路は屋敷と王城とを繋ぐ渡り廊下になっている。

壁は腰までの高さ、石の柱で屋根が支えられていた。


「屋敷の案内はまた後だな」

「うん……」


少し前に通った城壁の門、その内側の建物の屋根、遠くを行き交う人々がこの廊下から見渡せた。


ざらざらとした足元の石が急につるつるの石に変わる。渡り廊下が終わって、ここからが王城だと足元から大声で主張が聞こえてくる。


「これから陛下……国王に会う……んだよね」

「そうだな」

「えっと……なんか色々大変な気がするんだけど」


歩きながら会話をしていると、扉の無い小さな部屋の前に座っていた男が立ち上がる。

城内に居る数少ないハイランダーズの内のひとりで、白いシャツに黒に近い濃紺の下衣を穿いている。腰にある革のベルトには鷹の紋章、長剣を帯びていた。

クロノにお帰りなさいと挨拶し、アメリには初めまして奥方様とにこやかに声を掛ける。

どう接していいか分からず、アメリは曖昧に笑い返した。

ひとつ頷いて歩き出したクロノに引かれて一緒に歩き出す。


「色々大変?」


さっきの話の続きが再開されたんだと、アメリは思考を切り替えた。


「えっと……まず、格好が小汚い」

「それは私もだな」

「あとちゃんと出来る自信が無い」

「貴方が気負う必要はない」

「いや、だって国王様に会うんだよ?」

「心配しなくても大丈夫だ。小さなことを気にするような方ではないから」

「不安しかない」

「お会いして話をすれば分かる」

「……だからそれが」

「面倒?」

「うう……いい子に見えるように頑張る」

「そんなこと考えなくていいんだ、いつものアメリで」

「クロノ後から怒られない?」

「いや、後から怒るような方でもない」

「……安心できる材料が無い」


人とすれ違う度に声を落としたり、挨拶をされて会話は途切れたりと、なかなか思うように話ができない。


「あと……どうしてみんな、私のこと奥方様って言うの?」

「私の妻だからだろう?」

「だから、どうしてそれを知ってるのって」

「手紙を出したからな」

「手紙?……いつの間に?」

「……『王の森』から帰った日になるかな」

「は?!」

「ハルに手紙を運ばせた」

「ハルに……って、その時はまだ……」


何度思い返しても、どう考えても、いいと言ったのはそれより後だし、何ならきちんと返事をしたのはつい昨日だ。


「私はそれよりもずっと前に決めていたからな」

「勝手か!!」



近くを歩く者が皆、振り向いて注目する。



つるつるした象牙色の通路で、アメリの声はよく響いた。





















クロノの侍従、モーリス。

主人不在ももう慣れたもの。見た目は40代前半。


侍女頭、ニーナ。

屋敷の切り盛りを任されております。見た目はクロノと同じ20代後半から30代前半。


きゃっきゃうふふでフワフワな侍女三人。20代前半の見た目。

あとコックさんがふたり(ご夫婦です)。


大きな大きな屋敷を、それぞれ仕事を兼任しながら少数精鋭でやっております。


全員 戴名してますので、実年齢はかなりなもの。

永きに渡って勤めております。








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