どうぞよろしく。
ゆっくりと起き上がるユウヤに手を貸そうと腕に触れる。
ぱりと空気が破裂したような、指先に痛みが走る感覚。
ユウヤが一瞬 震えた気がして、思わず手を引いた。人を寄せ付けない表情とも違う、でも何を考えているのか分からない顔。
ただ儚く、壊れてしまうんじゃないかと、どうやって触れていいのか分からない。
また感情に任せてユウヤを傷付けたのかと、クロノは歯噛みする。
「すまない……」
「……? なにが? 何か悪いことしたの?」
見上げて片方だけ口の端を持ち上げるユウヤの顔はいつもの通りに戻っている。
その表情がなお一層 心の中を掻き毟る。
笑っているのではなくて “笑わせて”いる。
自分の不甲斐無さに情けなくなる。出来るなら自分を吊し上げて殴り付けてやりたい。
知らずクロノの手は握り拳を作っていた。
「無理を……させた」
「……確かに……床は、痛いかな……気を付けて?」
「……わかった」
話を逸らされて安堵する自分がいる。そうしてまた許されて、何も無かったことにされる。
ユウヤが何を考えているか分かれば、ユウヤを傷付ける事は無くなるだろうか。全てを知るなんて、そんな事は無理でも、考え続けて想うことを諦めない。
そうしなければ、いつか本当に許しを得られなくなる時がやってくる。今までひとりの人のことを考え、ここまで想うのは初めてだった。
クロノは自問自答に驚いて呆然とする。
人に想いを寄せることの難しさを、今までいかに避けて通ってきたのか。
それを思い知らされる。
自分の内側を見ているような目をしているクロノに、ユウヤもまた、やらかしたと眉をしかめた。
何を悩ませたのかは分からないが、そこは本意ではない。
クロノが見た目を気に入っているのなら、それなら充分に活用してみせよう。
目を閉じて集中する。
笑えと、心は大声を張り上げる。流れを変えろと、ユウヤは自分を奮い立たせる。
上手に笑顔を作るとユウヤは首を傾けてクロノを覗き込む。
「あと、怒ったらこわい」
少し息を飲んだようにして、クロノはユウヤと目線を合わせる。
「それから、長くなると苦しい」
「……悪かった」
ふふふと笑いながらユウヤは立ち上がる。
倒れた椅子を元に戻して、大きな窓に顔を向ける。窓の外の緑色の反射に、宿の説明を長々と聞かされた、その内容を思い出す。
庭を見に行こうと、ユウヤはクロノに両手を差し出した。
「あそこでお茶を用意していると」
「へぇ……すごい」
クロノが顔を向けた先には、小さな卓と椅子が並んでいる。他の宿泊客がすでに何組かいた。くつろいだ様子で給仕されているのが見える。
ユウヤはそこまで興味がなさそうなので、クロノは右手を差し出した。
「先に庭を回ろう」
「……うん」
躊躇いなく自然に置かれた手を握り、石畳の分かれ道を庭の方に向けて歩きだす。
「……庭も派手だね……クロノの家は? こんななの?」
「……いや、こんな庭らしいものはないな」
手入れされて雑草ひとつ無い見事な庭は、きれいに石畳に囲まれている。色とりどりに並べられた花は美しいが、宿の内側と同様にごちゃごちゃして見える。
そう、と気の無い返事をするユウヤの見る先に、赤い花があった。
血のように濃い赤色は八重の花びらを広げて、緑のつる草に埋もれるようにぽつりぽつりと咲いている。
あ、と短く声を出してユウヤはそこに向かう。
知っている色とは違うし、花の雰囲気も違うが、蔓についた葉には見覚えがあった。
城都からもらって帰ったけど、サザラテラとは気候が合わなかったのか、結局うまく育たなかった。大きくならず、花は咲かないまま冬を越えて、次の夏の暑さで枯れてしまった。
頑張って世話をしていた母以上に、父の方ががっかりしていたのを思い出す。
私の花だ。
するりとクロノの手を離す。
血を思わせる花は、ユウヤの白い手に包まれてそれはクロノに不安を連想させた。
胸が痛むほど美しい。
緑の葉の中に、赤い花と一緒にかき消されてしまいそうなユウヤの儚さ。
縋りつく思いでクロノは側に寄り添う。
ユウヤの横に並んでその花の名を口にした。
「アメリッサ……」
「え?! なんで?」
驚いた声の後、花を持つ手がぱっと反射的に離される。ユウヤは苦い物を食べたように奥歯を噛みしめる。
「……も……知ってるんだね、クロノは……すごいね」
逸らされる視線。
クロノはユウヤの顔を覗き込む。
「長く生きていれば……それなりに……ユウヤ?」
「ん? なに?」
返事はしても視線は逸らされたまま。
この手の駆け引きには慣れているから、クロノは鎌を掛ける。
「アメリッサ?」
返事はないけど、瞬きを一回。
「アメリ?」
瞬き。
「……それともメリッサ?」
瞬きなし。
こんなところで尋問術が役に立つとは。
クロノはユウヤの頬を指の背で撫でる。
花の名前を知っていた自分を褒めてやろう。収集の為の知識がここで使えるとは思いもしない。
そして、ユウヤに名前があるということも、深く考えてなかった。
「……ユウヤが役目の名だと忘れていたな」
「あ……ああ、そう……え? なんで分かったの?」
「私の花だと」
「……声に出してた?」
「口が動いていた」
「えー……怖いんですけど」
顔をしかめるユウヤの手を取って、指先に口付ける。
「アメリッサ……とても良い名だ」
「あー……ユウヤになった時に、家に置いてきたんだけど……んー……そうか、もうユウヤでもないもんね……」
ユウヤとしての役目はもう終わってしまった。それなら自分はもう、ただの田舎町の子、アメリッサに戻るしかない。
もう呼ばれることは無いと思った名前だが、それでも大好きな人たちからもらった大事な名だ。
またそう呼ばれるのは嬉しい。
「……アメリッサ。アメリッサ エルカ サザラテラ 」
初めて自分の名前を名乗ることが今さら過ぎて照れくさい。
向かい合うと恥ずかしそうに笑うアメリ。
空いている方の手もクロノは下からそっと包むように握る。
「家族がくれた大切な名前だからね、大事に呼んで? ……クロノ」
もちろんと、握った手に力を入れる。
「……クローディオス ノア アレハンドラ バーウィック トアイヴスだ」
「待って待って……なんて? 長い、覚えられない、ムリ」
「……覚えてくれ、後半は貴方の名前にもなるんだ、アメリッサ?」
「ああぁぁぁ……そ……そうかぁぁぁ」
クロノは左手を持ち上げて、アメリの手の甲に口付けを落とす。
「なんか……クロノにはもらってばっかり……名前までもらっちゃった」
「私もたくさんもらったから……」
「覚えがないけど……」
手を返して手のひらにも口付けをした。
「ねぇそれ……よくやるけどなに? 何か意味があるの?」
「うん?」
「手のひらにするやつ……」
改めてもう一度 唇を押し当ててクロノは笑う。
「なんだ、最近はこの習慣は無くなったのか?」
「おじいさんみたいな事言わないでよ……」
「……おじいさんだからな」
「そうか……おじいさんだった……」
「求婚する時はどうするんだ、今は」
「あぁ……求婚……さあ? 酔っ払って叫ぶんじゃないの? ちゃんとされた事ないし……あ、そうだ。なんて返事したらいい? その……習慣ではなんて言うの?」
「ただ……はい、と」
「わかった!」
アメリは咳払いをして、姿勢を改める。
「よし……いいよ、もう一回やって?」
見上げてくる笑顔に腰が砕けそうになる。
顔に集まってくる熱と、にやけて持ち上がる頬に手をやってどうにかごまかそうと試みる。
息をひとつ深く吸って吐き出した。
気を入れ替えて心を鎮める。
「……では改めて、もう一度」
「うん!」
クロノはアメリッサの前で腰を落として片膝をつく。アメリの右手を取って、手の甲、裏返して手のひらに口付けた。
顔を見上げる。
「アメリッサ エルカ サザラテラ……どうか私の妻になっていただきたい」
余りにも言動が仰々しかったのか、アメリは困ったような顔で笑う。
息を吸い込むと、アメリはただ、はいとだけ答えた。
風にさやさやと赤い花が揺れている。
「えっと……で、これ大体この後どうするの?」
「そうだな、大体……」
クロノはアメリの膝の辺りを抱えて、そのまま立ち上がる。
アメリの声が言葉になる前に大きくこぼれ出る。倒れまいとクロノの肩に手をついて、なんとか堪えた。幼い子どもが抱き上げられた時のように、アメリはクロノの片腕に座る格好になっている。
「大体、こうするな……」
「え?……ほんとに?」
「……習慣だな」
本当は花嫁衣裳に土を付けない、要するに他の男を寄せ付けない為とか、そんな謂れがあったが、そこはあえて黙っておく事にした。
しかも本来なら神に誓いを立てて、神殿を出てから馬車に乗るまでの間にする、どちらかと言うと風習の方だ。
「……下ろしてよ、重いでしょ?」
「軽くはないが……つい最近こんな感じで二晩走ったからな」
アメリはいまだに時々痛んで、なかなか取れない太腿の痣を思い出す。
「あ……どうも、その節は大変お世話になったようで……」
「いやいや、お気になさらず……」
「……体力おばけ……」
笑いを漏らすとクロノは体の向きを変えて歩きだす。
「……それは私の事か? 私は何とか村の村長じゃなかったか?」
「……どこ行くの、クロノ」
「この後お茶を飲むんだったのを思い出した」
「……恥ずかしい。下ろしてよ」
「私は恥ずかしくない」
「……もう言いません、許して下さい」
クロノは足を止めてアメリを下ろす。
向かい合って見つめながら頬をそっと撫でた。
「いいんだ、貴方はそうやって、私には何でも、言いたいことを言って欲しい」
「なに? そういう趣味があるの?」
くくとクロノの喉が鳴る。
「……その調子だ」
アメリの頬と唇の境目に口付けた。
一度離れた顔がまた近付いてきそうになって、すぐさまアメリはぐいとクロノの顔を押し退ける。
「どうした? もじゃもじゃは当たらないし、今はひげも無いぞ?」
笑いを漏らすクロノに、アメリは顔をしかめて、ちらと目で合図する。
目線の先には庭でお茶を楽しんでいる人の姿が遠くにあった。
人目を考えてと脇腹を軽く殴られて、クロノはもう一度その調子だと笑った。
「……変態」
そう言ってアメリも笑う。
クロノの右側に立つと、手を繋ぎ、今度こそお茶を飲みに、石畳の上をふたりは歩きだす。
今後はユウヤ→アメリッサ表記になります。ややこしやですが、どうぞよろしくお願いします。
そしてアメっ子ちゃんはクロノの長い名前を覚えないといけませんが、皆様は覚えなくていいですよ。私も覚えません。
☆☆☆以下、補足(読まなくても無問題)☆☆☆
アメリッサ(名)エルカ(〜の子ども)サザラテラ(姓)
サザラテラの子どもアメちゃん、ですね。
因みにエルカ サザラテラと付くのはアメちゃん一家だけです。
サザラテラも、もうなんか壮大な「神の庭」的な意味があるとかないとか。
貴族じゃない一般市民はルーニーとかケージとかあっさり感のある姓名です。例)サラ コナー 等。
クローディオス ノア(名)アレハンドラ(母方姓)バーウィック(領地名)トアイヴス(父方姓)
お父さんがクローディオスと名付け、
間に挟まれた、ノア アレハンドラがお母さんの付けた名前と受け継いだ姓ですね。「ノア」は洗礼名みたいな、縁起の良い名前です。
バーウィックを治める、トアイヴス家のクロノ坊ちゃんというやつです。(おじいさんだけど)
地位や爵位なんかは名前に盛り込まれません。名前の後に位を付けると考えていただければ。
佐藤係長とか、鈴木専務とか。(例え方よ!!)
クロノの場合、総長とか、騎士団長と呼ばれます。
これから肩書きで呼ばれる事が増えます。
☆☆☆以上、補足のフリした蛇足でした☆☆☆




