じぶん(を)すきなひと。
王は王になるべくして生まれてくる。
王の子どもが王になるのではなく。
国のどこかで、それは富める者、貧しい者に関わらず、王となる者は国を安寧に導く証を持って生まれる。
王となる人は母の腹から手の中にひとつ石を握り込んでこの世に誕生する。
生まれた時にはこの国の民の為に、その使命を果たす至上命令と民の希望とをその手にしている。
全ての力量が頂点に達した時、王の時間は止まる。
志を同じくする側仕えの者も時を止めて、国と民の安定に力を注ぐ。
「それが……陛下の本に載るってこと?」
「そうだな戴名と言われる」
明るいうちは移動をし、日が暮れると宿に入って眠るまでの時間に話をするのがいつの間にか定着している。
落ち着いてくつろぎの時間にお互いの話を少しずつ話し合う。
クロノはいつもと変わらない格好で、紳士然として椅子に腰掛け、ユウヤはいつでも寝ることができるよう下着の姿で寝台の上で膝を抱えている。
「本に名前が載ったら、時が止まるの?」
「陛下の持つ石に名を刻まれて、それで時が止まる……と言っても、誰でもその石が見られる訳ではないし、どうやって名を刻むのかは、陛下だけにしか分からない」
「なんで石なのに、本って言うの?」
「実際に本はあるんだ。城で働く数百単位の人間を、陛下おひとりで管理するような暇は無いからな」
「ああ……だから陛下以外の人でも分かるように本に名前を残しておくってこと?」
「そういう事だ」
「私もその本に載るの?」
「ああ、伴侶となる者にはその権利がある」
「家族は良いの?」
「いや、親や子どもは含まれないな……王や国の為に働くと決め、認められれば別だが……」
「そうか……全員じゃどんどん増えて大変だもんね」
ユウヤの聞き方は子どものようでも、理解は早い。何かを学ぶのには慣れているから、きちんと要点をついて、口下手なクロノから知りたい答えを引き出す質問ができる。
「……こんな重要そうな事、私にしゃべっちゃっていいの?」
「今さらだな……ユウヤは他所で誰かに話す気なのか?」
「んー。話したって誰も信じないと思うけど……」
「だろうな……だから民に語られない」
クロノは立ち上がるとベストのボタンに手を掛ける。
今日の話はこれで終了らしい。ユウヤは掛け布をめくってその中に体を滑り込ませる。
初日こそ誰がどんな格好でどこで眠るのか、ケンカに発展しそうな言い合いをしたものの、結局同じ部屋の寝台で眠る事に落ち着いた。
宿によっては部屋の要望が叶わないことも多々あった。
それなら同じ部屋で構わないと言い出したのはユウヤで、そんな裸みたいな下着姿でうろうろしないでくれと注意したのはクロノ、出ているのは腕と脚だけで見えたら困るところは隠れているとユウヤが反論する。
椅子で寝ようとするクロノに、金を出している人が椅子で寝るのはおかしいとケンカになりかけて、今さらなんでとユウヤはため息を吐いて話は収まった。
人のことは言えない、クロノもほぼ裸で隣に潜り込んでユウヤの腰を抱える。
首の後ろに口付けをして、そこに自分の額を当てると、クロノはひとつ息を吐き出して体の力を抜いた。
「今日はもうひとつありますけど?」
「……あるな」
ふたつ寝台があろうが、気兼ねがなくなったクロノはユウヤの居る寝台を眠る場所と決めたので、だからどうしたと返す。先に構わないと言い出したのはユウヤの方だ。
「ユウヤも同じじゃないか」
「なにが?」
「姫様と世界の話……私に話して良かったのか?」
「……ダメだけど……クロノは姫様を連れて行ってくれたし……内緒にしてって言ったらしてくれるでしょ?」
「誰も私が見たものは信じてくれないだろうな……実際同じ立場にならないと伝える事は難しい。だから同じだ」
「……そう……そうだね、同じか」
ユウヤはもそりと起き上がって手を伸ばすと、灯りを消した。横になると待ち構えたクロノに抱きかかえられる。
冷えてしまった足を、クロノの足で温めようと割り込ませると、腰にある腕がきつくなる。
苦しいと腕を叩き、緩まるのを待って落ち着くと、小さな声でお休みと告げる。
背中から良い夢をと返ってくる。
クロノがその気だと分かっても、抱きかかえる以上の事は何もしてこない、今まさにそうだ。
これって大事にされているということだろうか、そんな事を考えながら、ユウヤは目を閉じた。
新しい発見をするたびに嬉しくなって構い倒したくなる。
姫様との旅では気が張っていたのか、ユウヤの眠りは浅かった。ちょっとした物音ですぐに目を覚まし、目を覚ませばすぐに起き上がって行動を開始していた。
城都に戻るこの旅の最初のうちもそうだった。
数日過ごすと疲れが溜まったのか、自分に気を許してくれたのか、その両方か。
ユウヤは目が覚めてもしばらくぼんやりとして動けない。髪を撫で、口付けをして頬をつついても嫌そうに唸るだけで、顔を背けてまた動かなくなる。
目は覚めているみたいだが、体が起きていないようだ。指先までふにやふにゃで力が入っていない。
何をしても押し返されないので、ここぞとばかりに触れておく。やめてとまともに言葉になるまで、しばらく撫でたり、つついたりを繰り返す。
いつものように起き上がって力の入らない手で殴られるまでは、布団の中で思うままにさせてもらおう。
「やー……め、て!」
今日は足から動けるらしい、蹴られたけどひとつも痛くない。
可愛いしか思い浮かばない。
一気に溢れ出てくる感情に、堪らなくなってユウヤを抱きしめる。
「んんん……くるしー……」
ユウヤの言葉で膨らみきった思いがここまでだと待ったをかける。
どうにか自分を宥めて腕を緩めると、ユウヤも強張った体を楽にする。最初から大して力は入って無いけれど。
「……くらい……? あめ……?」
部屋の明るさと外の音で気が付いたのか、ユウヤは窓の方に顔を向けた。そちら側にいるので、自然と目が合う。
とろりと半分しか目は開いていない。
頬を撫でて、指で唇をなぞる。
「雨だ……昼までに上がらなかったら、今日の移動は諦めよう」
「んー……わかった……」
「今はゆっくり休みなさい」
「……じゃあやすませてよ……」
「触れるくらい許してくれ」
「……くすぐったいからいや……」
ふいと顔を背けるとうつ伏せに寝返って枕を抱えた。仕様がないので布の上の流れる髪の毛を撫でて整える。
するりと指に滑る髪の感触を楽しみながらも、簡単に髪を触らせても良いのかとも思う。
「……えんりょがないなぁ……」
「ん? この事か?」
わざと分からないフリで髪を持ち上げて口付けをする。
「夫は許されるんじゃないのか?」
「……ねかせてくれたら……いい……」
苦々しい笑いが漏れて出る。
まあいい、いつか乞わずとも許される日が来るように今を大事にしていけばいい。
部屋の暗さと、弱く続く雨の音。
すぐ近くにある温もりと小さく聞こえる寝息が、眠気を誘う。
上下しているユウヤの背中を見ているうちに、眠りの世界に行きつ戻りつを繰り返す。
雨はしばらく上がりそうにない。
自分の言葉通りゆっくり休もう。
ユウヤに布を掛けなおして、頬杖を解くと体の向きを変えて目を閉じる。
その日、雨が降り止んだのは、夕方近くになってからだった。
食事を済ませた後、まだ賑わっている雨上がりの町を、ふたりは散歩する足取りでゆっくりと歩く。
城都に近くなったぶん、人の多く規模の大きな町に来る機会が増えた。夜になっても賑やかな町はまだまだ商売っ気を失わず、雨の降った日中の遅れを取り戻そうと、元気な声がそこら中でしている。
通りを歩く人もまだ帰る気はないのか、それぞれ気になる店に出入りは続き、人が絶える様子がない。
別にはぐれる程の人出でもないが、クロノはユウヤの手を握って並んで歩いている。
ユウヤもされるままに、クロノの右側にいた。
特に右側を希望した訳ではなく、右手を差し出されれば、左手を繋ぐしかない。
いや、その前にいつから差し出された手に抵抗がなくなったんだろうか。
好き好きされれば、イヤな気はしないし、そりゃちょっとは気持ちも傾くけどね。
前みたいにイラついたり、腹が立ったりしなくなった。
でもどうして私なんだろう。私の何がいいんだろうか……全然分からない。
「男前の隣には美人のお嬢さんか! どうだ、旦那! 旅の思い出に!」
あ……見た目か。
そう言えばクロノは初めて会った時から見た目がどうとか言ってたっけ。
外見はまあよく褒められるから、それなりなんだろうけど。でも体は傷だらけできれいとは言えないし、中身はそりやあひどいもんだと思うんだけど。
「何か欲しいものはあるか?」
「……んーん、別に……あ」
「なんだ?」
「紐が欲しい」
「紐?」
「うん、髪を結ぶ紐が切れそうだった」
「……ちゃんとした髪留めを」
「え? 紐だってちゃんとした髪留めだけど?」
「……そうだな」
「革の紐が良い」
「……わかった」
目当ての物を売っていそうな店を探しながら歩く。途中、外の通りまではみ出して食事をするほど繁盛している店の前を通ると、思った通り酔っ払いの集団に口々に求婚される。
クロノがそちらを軽く睨んでユウヤの肩を抱き寄せると、世の中は不公平だと大合唱が追いかけてくる。
クロノは思わず笑いを漏らした。
「……なるほど、これか」
「これだ……面倒でしょ?」
肩をすくめてため息を吐くユウヤの頬に口付ける。
「ああも言いたくなる気持ちは分かるがな」
「……見た目重視村の村長だもんね」
「……誰がなんだって?」
きつく抱き寄せた腰にある手を、ユウヤは朝とは段違いの力で叩いて、時と場所を考えろとクロノを押し返した。
笑いながら差し出された手に、ユウヤは手を置いた。
必要とされるうちは素直に応じていればいいかと、ユウヤは大きな手に包まれた自分の手を見下ろした。
賑やかな通りを端まで歩き、折り返して店を探しながら戻ることにした。
元々あてもなく歩いていたから、どこにどんな店があるかまでは見ていなかった。
女性の姿がある小間物店を見付けてユウヤの手を引くと、ああいう所には欲しいものはないと一見しただけで言った。
「リボンなんかがあるだろう?」
「……リボンは結びにくいから時間がかかる……」
「姫様には丁寧に結んでいたのに?」
「姫様に結ぶのは、可愛いからに決まってるでしょ?」
「……そういう問題か?」
「そういう問題です」
ユウヤの目当ての革紐は、糸や布、ボタンなど服の材料を売っている商店にあった。
「これにしよう」
クロノは含み笑いをしながら束にされた紐を渡す。ユウヤも笑いながら受け取った。
「……なにコレ……いいよ。これにしよう?」
青緑色に染められた革紐は、外套よりもクロノの瞳の色に近い。
翌朝、部屋で荷物をまとめて準備をしていると、ユウヤがちょっとと手を引いてクロノを椅子に座らせた。
後ろに回ってクロノの髪に指を通す。
「ユウヤ?」
「もじゃもじゃがくすぐったいので」
「もじゃもじゃ……」
ゆるく波打つ程度でもじゃもじゃ呼ばわりされたのは納得いかないが、確かに長く伸びてきて鬱陶しく感じる事もあった。
すっきりまとめてもらえるのならまあいいかと、ユウヤにされるままに任せてみる。
「……ちょっと待て、あの紐で縛る気か」
「他に紐がありましたか?」
「……どれだけ自分好きかと思われるとか言ってなかったか?」
「思われたら良いんじゃない?」
くすくすと楽しそうな声が頭の上から降りかかって、髪が後ろに引っ張られる。
きゅっと引き締まった感じがして気持ちがいい。
視界も広がった。
ユウヤと同じ髪留めを使っているのかとおもうと、心持ちも晴れやかになる。
ユウヤは頭の後ろで髪をまとめていた。
上手くくるりと巻いてあり、革の紐は見えないように隠してある。
クロノがそう気が付いたのは、宿を出て馬を走らせる直前。
フードを被ろうとするユウヤを見て初めて分かった。
自分の後頭部に手をやって、ぐるぐるに巻かれた革紐を確認する。
まあ誰も気にする者など居ないだろうと、すぐに紐の色の事を思考から切り離す。
男性の見た目に敏感な女性ほど、男前が自分の瞳の色と身に付けた物の色味を合わせているのに過剰に反応して、心中で歓声を上げている事など、クロノは知らない。
そしてそんな細かな所に気が付く女性たちに向けて、クロノが自分好きな男だと思わせてやろうというユウヤの企みに、気持ちよく乗っかっている事も、もちろんクロノは知らない。




