ハルかえる。
そのころ一方! 的な。
城都までの道のりが残り半分をきった。
休憩を兼ねて通りがかった草原で馬を放して休ませる。
疲れたと草の上に寝転んでユウヤがお尻をさすっている頃。
早馬で走破したハルは蝋封のある手紙をチラつかせて騎乗したまま城門を抜ける。
正面入り口の大扉の前で外套と腰のものを剥ぎ取られた。
服ぐらい改めたらどうだと嫌味を言う小綺麗な王城付きの騎士に、へらりと笑い返して心の中で毒付いておく。
埃っぽい頭をぱさぱさとはたいて、誰にも聞こえない声で疲れたと漏らすと、ハルも痛むお尻をさすっていた。
十日でというご用命を八日で済ませた。
やってやったと充足感で薄汚れているのも気にならない。
陛下もそんな事を気にするようなお方ではない。
面白い内容の手紙ならより一層、ぼろぼろでやってきた自分を面白がって下さるだろう。
道中色々考えたが、手紙がどんな内容なのか。
ユウヤかそれともどこかに送り届けたという姫様の事だろうと見当はつくけど、それ以上の事は、聞かされた内容だけではこれといった答えは導き出されなかった。
まあそれももうすぐ分かると、普段なら面倒な手続きのほとんどを、蝋封のおかげですっ飛ばして、長い回廊を王の執務室に向けて歩く。
うららかな午後の日差しの射し込む通路は、中庭に面していて開放感がある。
向こう側の通路や中庭を忙しそうに歩く侍女たちに笑顔でひらひらと手を振る。
顔を赤らめたり嬉しそうな声をあげて笑い合っている可愛い女の子たちの姿を見ると、ここに帰ってくるのも悪くはないなと顔が緩む。
王の執務室まで城の奥に歩を進め、大きな一枚板の扉の前で、警備に立っている者に用件を告げた。
隠す事も無くあからさまに嫌そうな顔をする人物に、きちんと向き合って慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、必要以上に丁寧に接した。
次からそんな態度許さねえぞという想いが伝わったのか、気まずそうに目を逸らせると扉の向こうに声をかけている。
薄く開いた扉はしばらくすると大きく開かれた。
扉を開いたのは侍従でも下官でもなく、宰相閣下その人だった。
「お会いになられるそうです。どうぞ、入りなさい」
「ご無沙汰をしておりました、ムスタファ閣下」
ハルが騎士の礼の形をとると、宰相閣下は頷いて口の端をほんの少しだけ持ち上げて中へと導いた。
国王陛下が城外へお出ましになられる以外、そしてどこかに戦場が立つ以外は、何かしでかして呼び出されでもしない限り、特にハイランダーズが王の執務室に足を運ぶ事がない。
ハルもここを訪れるのは久しぶりで、式典などで高い位置にいるお姿か祭典の警備で遠巻きに窺う事はあっても、直接お会いして話をするのは、何年振りか思い出せない。
執務室は以前訪れた時と変わりなく、最高級品が揃えられた、でも必要最低限で質素な雰囲気の場所だった。
「ハル! ハルエイクロイド!……久しぶりだな、息災だったかぁ?」
ちょっと待ってろと書類に目を落としたまま声を掛けられる。
執務室の真ん中の、ひと際大きな机で握ったペンを振り回す国王陛下その人に、まるで昨日会った友人のように声を掛けられた。
ちょっと久しぶりで緊張したけど、そういやこの人こんな人だったと、心の中で不敬極まりない事を考えつつも、見ていないと分かっていて、それでもお手本のような騎士の礼をした。
後ろに控えていた文官に書類を渡して、国王陛下はにやりと片方だけ口の端を持ち上げる。
「なんだ? 余程の話なんだろうな?」
いたずら小僧の顔で席を立つと、ハルに椅子を勧める。
有能な侍従によって小ぶりの卓にはすでにお茶の用意がされていた。ここまでされて同じ卓に着くのを断る訳にもいかない。
久しぶりにお会いした事とお決まりの挨拶をしようとしたところで、国王陛下は止めろと軽く手を振った。堅苦しい挨拶をされるのは好きではないのは知っているが、だからといってハルの立場上、挨拶抜きという訳にもいかない。
それではと、堅苦しい断りを入れて向かい側に浅く腰掛ける。
長々と前置きされるのも嫌いだと分かっているので、そこは省いて本題を切り出す。
「陛下は面白がって下さるだろうと言っていましたが……」
言いながら懐にあるクロノの手紙を取り出し、すでに卓の側にいる宰相閣下へ先に手渡した。
封を開けて中身を確認すると、すぐに国王陛下の手に渡る。
内容もそれほど多くは書かれてないらしい、面白いのか、そうでないのか。
表情の乏しい宰相殿は僅かに目を細めただけだったので何も分からない。
受け取った手紙を一読すると陛下はひとつ笑い声を上げる。
「ふーん……あの男がねぇ……なに? そんなに良い女なの?」
問われても、何とも言いようがない。
「見せて頂いても?」
ハルが手を差し出すとあっさりとクロノの手紙を渡してくれた。
手紙の内容は簡単な挨拶と、自分は妻を迎えることにした、その妻を急ぎ戴名して欲しいと、それだけしか書かれていなかった。
「マジか……」
思わずつぶやいたハルを、卓に頬杖をついて陛下はにやにやと見ている。
「ハルはその女性と会ったのか?」
「はぁ……はい、まぁ、そうですね」
クロノがベタ惚れなのは分かっていたが、まさかここまでの急展開だとは思っていなかった。何より、ユウヤがそれほどまでにクロノを慕っているようには見えなかった。
相手の感情を無視して妻にすると言い切るような男ではないはずなのに。
何だかウチの大将は面倒事に巻き込まれていやしないか、まさか逆にユウヤが巻き込まれているのかと心配になってきた。
出されたお茶を飲んで気持ちを落ち着ける。
煮え切らない返事をするハルに、陛下は首を傾げる。
「なんだその微妙な反応は……お前は納得いかないみたいだな?」
「ああ! いえ、そのような事はありません。人柄に申し分はありませんし、魅力的でとても美しい女性です。しかも、宰相閣下に負けず劣らずの『色持ち』ですね」
引き合いに出された宰相殿は、侍女たちに陰で氷の剣などと恥ずかしいふたつ名を頂いている。
氷のような冷え冷えとした眼差しをハルに向けた。ハルはにこりと笑い返す。
「はぁぁ……ムスタファとねぇ……」
国王陛下は見慣れ過ぎて何とも思わなくなった宰相閣下を改めるように目を向けた。
「それにしても、あの難攻不落がついに落ちる時が来たか……いや、もう落ちたのか」
喉の奥で笑っている陛下にも同じ顔でにこりと笑い返した。
「いいね! 面白い!……なんか急いで戴名して欲しそうなところも、訳アリっぽくて気に入った! 良いよ良いよ……分かった、戴名しとくわぁ」
余りに軽く極めて重要なことを口にしたので、宰相閣下は咳払いをする。
ふへ、と力なく笑った国王陛下は居ずまいを正すと、国王風味を取って付けて尊大に言い放つ。
「戻り次第、急ぎ来るように伝えよ。その妻とやらも一緒にな……下がれ」
ハルは立ち上がって礼を取ると執務室を後にする。
来た時の半分の速度で回廊を歩く。
可愛い侍女ちゃんたちに挨拶されても、気持ちのこもらない笑顔で何となく応えるにとどまった。
「めでたい……めでたいことなんだけどねぇ」
誰に向けてでもない言葉を吐き出しながら、分かれ道で立ち止まる。
「んー……まぁ、とりあえずみんなに知らせを出して、お祝いの準備でも始めとこうか」
ハルは来た時とは違う道に足を向けた。
王城付きの騎士団とは違って、ハイランダーズは城内と言えど端も端、もうほぼ城外のような所に本拠地を構えている。
辛うじて騎士団、総長の邸宅が唯一城と呼べるぎりぎりの場所にあるが、それも渡り廊下で繋がっているだけなので建物は別棟と表現した方がそれに近い。
邸宅から城外に向かって、仕事場や控えの詰め所、鍛錬場と厩舎、城壁のすぐ外側に王城勤めのハイランダーズの宿舎とそれを支える人々の住む場所がある。
それなりに地位の高い者は城外の町に自分の屋敷を構えて暮らしている。
ハルは近い所から要件を済ませていくことにする。薄汚れた自分は後回しだ。
城と総長の屋敷を結ぶ渡り廊下の手前で外に出て表玄関に回った。
主人でもないのにそのまま渡り廊下から屋敷内に入る訳にもいかない。本人がいるならまだしも、今は不在だ。
出迎えてくれた侍女に、侍従長に会いたいと伝える。玄関の内側に通されて、勧められた椅子に大人しく座って待つ。程なくしてやって来た侍従長に、手紙の内容を伝えた。
侍従長は主人に似て表情をあまり表に出さない。少ない口数がいつにも増して少なく感じる。
確かに急に妻を連れて帰って来ると言われて驚かない訳がない。
それはもう心中穏やかではいられないだろう。
何せこの屋敷で主人が奥方を迎えるのは初めての事だ。
「あー……まぁ……これから色々大変だとは思うけど……」
そういう訳だからと、弾まない会話に居たたまれなくなって早々にお暇しようかと下がりかけたハルの腕を、侍従長はがしりと掴んだ。
「お待ち……いただけますでしょうか?」
聞いているけど、反論は聞かない言い方に、ハルははいと返事するしかない。
側に控えていた侍女に、侍女頭を呼びに行かせ、おまけに付いて来た他の侍女にも囲まれて、根掘り葉掘り聞かれる羽目になる。
今まで分かり易く浮いた話が無かったのに、いきなり妻とは一大事も一大事の騒ぎだ。
ハルは知りうる限りのユウヤの事と、自分の所見を話し、最後に自分の主人と主人の人を見る目を信用しなさいと話を終える。
すぐにふわふわと喜びの雰囲気が侍女たちの間で漂い始め、それは間を置かずにこの上ない慶事だと歓迎の空気にまで盛り上がった。
「どれだけ彼女に惚れ込んでるかは、帰って来た時に自分の目で確かめてみるといいよ」
そう話を締めくくると、侍女たちはきゃあきゃあとそれぞれに声をあげてはしゃいでいる。
その嬉しそうな顔を見ていると、気の利く自分は充分に力を発揮できたように思えてくる。
陛下と話をした時にはまさか、本気かと疑ったが、こうして侍女たちに話しているうちに何を心配していたのか分からなくなってきた。
自分の知っている我らが総長様の人を見る目と、自分の人を見る目は間違いないはずだ。
これでもかと長生きして酸いも甘いも散々味わってきたのだから。
侍女たちの一歩後ろで話を聞いていた侍従長に、各地に散っている者に知らせを出すようにお願いする。各地に居る者の情報はここに集まるようになっているから、自分で段取りするよりも迅速に対応してくれるに違いない。
屋敷を出る頃には足取りが軽い自分に驚きつつも、顔のにやにやが止まらない。
城都居残り組には、自分が直接出向いて話をすることにしよう。
みんなの驚く顔が早く見たい。
「やばい……楽しくなってきたぞ……」
鼻歌交じりで自分の指揮する部隊に顔を出す。
予定よりかなり早く帰って驚いている部下たちに軽く挨拶をし、訳を聞きたがっても理由はそのうち分かるからと笑って答える。
城の大扉の前で剥ぎ取られた外套と長剣、それから頑張って走ってくれたお馬さんを引き取りに行くように頼んで詰め所を後にする。
今日はもう自分の屋敷に帰るのでいっぱいいっぱいだ。
しかも明日から忙しくなる。
自分の屋敷に戻って落ち着いたところで、あの時感じた気掛かりの元に思い当たる。
ちくりと胸を刺したものは、ユウヤの刹那的な振る舞いと、自棄の混ざった笑顔。
不安を掻き立てる儚げな姿だった。
どんな事情があるのかは知らない。
でもきっと我らが総長はユウヤのあの笑顔を変える気なんだと思う。
頑なそうなユウヤの様子、かなりの長期戦を見込んでいるのかもしれない。
「あ?……だから戴名しようとしてんのかな」
ハルは口下手で説明不足な上司から大した手掛かりも無しに、自力で正解を導き出していた。
城内と国王陛下、なんやかんやの細かな描写は、そのうち登城しなさるユウヤ目線でお楽しみ下さい。
侍女達や、侍従長など。
新キャラ続々です。




