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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
23/80

おしておれる。







「……やっぱりなし……全部なし!」

「……ユウヤ」


だってと言葉を継ごうとして、ユウヤは口を閉じる。ぐいと体を押されてクロノは抱きしめていた腕を緩めた。

きつく閉じた目からぽとぽとと続けて落ちる涙の数を、クロノは無意識で数える。

頬に手を伸ばして親指で拭うとその手を払われる。

何かを考え込むユウヤの視線は床を向いていた。

次にどんな言葉が出るのか、静かに待つ。



「私……ユウヤになる前……小さい頃は城都に居たって」

「……ああ」

「私を生んだ両親のことは分からない……どこにいるのか、生きてるのか、死んでるのか……ねぇ、クロノ。親の居ない『色持ち』の子どもがどうやってその日のご飯を食べるのか知ってる?」


ハイランダーズだもん、解るよね、と真っ直ぐに向けられた視線。それを受け止めて真っ直ぐに見返す。


我が身を投げ打ってでも弱い者を守り、傷だらけになることを厭わない。美しく持って生まれた見目を否定して、中身がぐちゃぐちゃだと笑った根本がここにあるのなら。

今のユウヤを創り出した始まりを、クロノは撥ね付けたくない。


「娼婦だった……だから、止めた方がいい」


どれだけ否定的で厳しい拒絶の言葉を放たれるのかと身構えていれば、相手ではなく自分を貶めて止めておけと言う。


「身分も違うし」

「親からもらって、本人にはどうしようもないことで決めるなと、言ってなかったか?」

「人だってたくさん殺したし……見たでしょ?」

「……私はもっと殺している……戦場に何度も出たからな」

「だって、それは国の為でしょ?」

「貴方は大切な人の為だ……ユウヤ?……どうして私の髪や肌の色の事を言わないんだ? 混血だと……ヘタレで融通が利かない所も、人の迷惑をかえりみない所も……それが嫌だと言わないのか?」

「なんでそんなこと……あ。そう、それ。そこが嫌。……だから」

「……まぁ、そう言われたところで諦める気は無いが」


ユウヤに盛大に舌打ちをされて、クロノは苦笑いを浮かべる。

両手を取って手の甲を親指でそっと撫でる。ユウヤはされるがまま、黙ってそれを見ていた。


「……ユウヤがどれだけ辛くて苦しかったか、どれだけ頑張ったのか。想像は出来てもきっと全部を分かるのは無理だ。でも……今までの全部が、ユウヤと私を出会わせてくれたのなら、私もそれなりに頑張ってきた甲斐があったと思っている」


顔を傾けてユウヤを覗き込む。

何かひとつでも間違って選択していれば、ここにこうしている事も無かったのかも知れない。

出会う事すら無かったかもと、想像さえしたくない。


「出会えて良かったと、貴方にも、そう思ってもらいたい」

「……自分勝手」

「……そうだな……貴方は優しい、とても」

「は? なに?」

「優しいから押せば折れる」

「……それは、面倒だから」

「それに、とても素直だ」

「いちいち……逆らったり嫌がっても……疲れるだけだから」

「もう疲れた?」

「疲れた……どうでもいい」

「だから……死んでも構わないと?」

「死ねると思ったから、だから頑張れた……ずっと、死にたかった……」

「そんなこと……お願いだから言わないでくれ……私は貴方に生きていて欲しい」

「みんなそう言う……もういいのに」


誰より優しい心を持つから、素直に応えようとして、人一倍傷付いて。

そんなユウヤだから大切にされる。幸せをと願われる。

どう言えば、何をすれば伝える事ができるだろうか。



ユウヤの今までに報いて、これから先を続ける理由を。



どんなにユウヤが特別なのかを。




「……それなら……どうしても我慢できなくなった時は……私が貴方を殺そう」


ユウヤは言葉の意味を飲み込んで、身体をぶるりと大きく震わせた。

顔を上げ、クロノの目を覗き込んで、その中に嘘はないと見付け出す。

ほんのりと桃色に頬を染め、愛を語られた少女のように目を輝かせて、とてもきれいに笑う。


「……嬉しい……」


クロノはゆっくりと確かめながら距離を縮める。

唇に柔らかく吸い付いて、惜しんで少し噛むようにして離れる。

腰の後ろをぞわりと這い上るものに、熱いため息を漏らしたのはクロノの方だった。


「その代わりに……もう駄目だと思う限界まで、私と生きてくれるか?」

「……わかった」


穏やかな笑みを向けられる。

安心しきった眠る前の子どものような、心を蕩かすやわらかな美しい笑み。初めて向けられた表情に、手が伸びる。


「誓おう」


頬を撫で、その下の首元、とくとくと打つユウヤの命の音を指先で感じる。

そこにも口付けを落とした。


「……ありがとう」







次の朝、早速 城都に向かう準備を始める。

町に出て、詰め所の厩舎を覗いた。思った通り、ハルは自分の愛馬を置いて、他の馬を選んで出発していた。その横には夜の闇を纏ったようなクロノの愛馬が前足をかいて、久しぶりに顔を見せた主人に早く走らせろと催促をする。

顔を叩いてなだめようとすると余計に怒ったのか荒く息を吐き出した。


「馬に乗ったことは?」

「ある……でもこの格好じゃ……」


町にいる娘と変わらない、飾りの少ない、丈の短い服を持ち上げる。靴もすぐに脱げそうな、大きさの合っていないものを履いている。


「先に靴、それから服だな……」


くるりと出口に向きを変えると、クロノの背中に批難めいた鳴き声と柵を蹴る音が追いかけてくる。


「怒ってるよ?」

「……だな」


口の中で笑いを漏らすと、わがままな相棒よりも優先される我が妻となる人の背に手を置いた。



方々 店を巡り、ユウヤの服を改める。

本人に任せていると、やはり男のような服装を選んでいた。体の線が目立たない大きめのシャツと、反対にぴたりと貼り付くような下衣。

揃えたものを店の奥で着替えてくる。一番に買った膝の上までの長靴を履き直せば、今までよく見ていたユウヤの姿になった。


「……落ち着く……」

「こっちも新鮮で良かったんだが」


さっきまで着ていた婦人用の衣装を手に取る。


「足がすーすーするからイヤ。動きにくいし、走れない」

「そうか?」

「クロノも着てみたらわかるよ」

「……遠慮する」


ユウヤは軽口を叩きながら、高い所に吊るされている外套を物色している。

時期的に馬に乗るにも必要になる。どれにしようか悩んでいるユウヤに、クロノは目に留まったものを取り外して渡す。


「これを」

「うん? 別に良いけど、なんでこれ?」

「ユウヤの瞳と同じ色だから」


明るい紺色の外套を見下ろして、クロノに突き返した。


「やっぱヤダ。どれだけ自分好きなんだと思われる」

「そうか?……じゃあ、これ」


次の候補を取って渡すと、心底呆れたようにため息をこぼした。選んだ人物の瞳の色と同じ濃い緑の外套。


「どれだけクロノのこと好きなのかって思われる……」

「思われたい……」

「……まぁ……いいか。やわらかいし、温かそうだし」


それに、とユウヤは付け加える。


「これより、クロノの方が鮮やかで透き通ってて綺麗だもんね。……そこまで誰も気が付かないか」


杉や檜の葉のような深い緑の外套に袖を通すと、フードや袖口の内側に付いた黒い毛皮の肌触りを自分の頬で確かめている。

これにすると見上げてきたユウヤの顔が、またも呆れたと言わんばかりに歪む。


「今のどこで赤くなる要素があったの?」


クロノは片手で顔を覆うと目を逸らして横を向く。


黒い襟巻きと、ベルト、荷を入れる鞄を揃えて買い物を終える。



歩き回って疲れた足を城塞前の広場に向けた。

露店で買った昼食を石段に腰掛けて並んで食べる。パンに味付けされた肉と揚げ野菜がはさまっている。手軽に食べられて、忙しい商人たちに人気らしい。見ていても客足が途絶えないから繁盛ぶりも窺える。


「これおいしいね」


町の人々に目を向けながら、ふわりと笑ってこぼした何気ない言葉。

ユウヤの肯定的なひとこと、やること成すこと、いちいちに口付けをして抱きしめたくなる。

自ら絡め取られて、囚われに行って、自分を失くすんじゃないかと不安になって、でも、それが心地いい事も知った。

ここまで自分が誰かを求めた事も、それが出来ると分かった事も大きな変革だった。

擦り潰されるようにして長い時間を生きた。それは望んだ事だし、誇りを持っていたけれど。

それでも至るところに穴が空いて、乾き、かさかさと音を立てていた。

自分の中にもこんな気持ちが、まだ人を求める気持ちが残っていたのかと思う。

おいしいねと言われておいしいと思ってその言葉を返せる。そんな何気ない幸せを、幸せだと感じる心が、まだ残っていた。


「お金はそのうち返すから」

「……気にするな」

「いや……気持ち悪いから……体で返す」

「そういう事を……」

「変な意味で取らないでって……働いて返すって意味」

「ああ……じゃあ、妻の仕事をこなしてくれ……変な意味で取るなよ」

「ふふ……わかった。取りあえず、何したらいい?」

「……あっちの店のも食べてみよう」

「そうしよう!」


ゆっくり食事を終えて、詰め所に戻ると手早く引き継ぎをする。しばらく世話になっていた家に戻って片付けと、旅の支度を終える頃には日が暮れていた。

その日は早目に休んで、翌日の朝日が昇りかける頃、再び厩舎の前に戻ってくる。




「どうしてこっちに全部……?」


一緒に城都に帰るハルの馬に全部の荷物がまとめて乗っている。鞍の上にがっちり固定されて、これではユウヤの乗る場所がない。


「ユウヤは私の前に乗りなさい」

「前?!」


子ども扱いされた気がして、ユウヤは声を上げる。


「……後ろが良いのか?」


残念そうに眉を下げるクロノに、鞍の荷物を解いて渡した。


「言わなかった? ひとりで乗れますから! これそっちに乗せて!」


さらに残念そうに眉を下げて、きっちり半分になった荷を固定した。

振り返ると、ユウヤはハルの馬に抱き付いて、何ごとか話しかけている。明るい栗色の馬は、主人の気性に似て人が好きだ。穏やかな目を向けて、もさもさとユウヤの肩口を噛んでいた。

馬には慣れた様子で接しているユウヤに、要らない心配をしたのかと思いつつ、やっぱり惜しい気持ちは変わらない。

寄り添って、体の温もりを感じる距離に居たい。


「そこまで何でも出来なくていいんだが……」

「何か言った?」


いや、と答えて、ユウヤのこれまでの頑張りを否定するような言葉が届かなかったことに、クロノは小さく息を漏らした。


詰めていた部下 数人に短くあいさつを済ませると、クロノは馬に跨る。


周りを囲まれているクロノは、とても慕われているんだろうなとユウヤにも想像がついた。

この町に来て最初に会った若いハイランダーズの青年が、名残惜しそうな顔と、分かり易く気落ちした声で別れの言葉を口にしている。

確かにこれだけしっかり格好付けていれば、憧れの対象になるよなと変に感心する。


後ろから馬を引いて付いて歩いていたユウヤが何気なく見上げるとクロノと目が合った。

見上げる人物に唸り声をあげる。


「なんだ?」

「……威圧感がすごい」


漆黒の馬は他の馬に比べて、少し大きく見える。艶々の毛並みにくっきりと盛り上がった筋肉、その上を走る血管。逸る息を撒き散らし、まだ走らないのかと忙しなく脚を踏み替えている。

乗っているクロノは立派な体躯にぴたりと合った上等な外套を着て、首元まできっちりボタンを留めている。身に付けているものは上から下、手袋に至るまで黒一色。握る手綱まで。馬具の金具だけが銀色で、朝の清々しい空気の中に、大きな影がいるように見える。


「……威圧感?……まあ、そう見せるのも仕事の内だ……」

「……必要以上だけど」

「そうか?」


向けられた微笑みと視線はいつもと変わらない。

同じように笑い返すとユウヤも馬上の人になる。


軽々と跨ると昨日買った真新しい手袋をはめる。

馴染ませようと、手を握り開いてを繰り返す。

足だけで馬を操っている。その姿に、クロノは知らずため息が漏れていた。


これなら一緒に乗るのを断られて然るべきだ。

弓を使うのだから両手を離して馬に乗れるのは当然かと思い、それでも女性には必要の無い技を身に付けていると、相反する思いが混ざり合わないまま渦を巻いている。


見送りに出ていた者も、ぽかりと口を開けてユウヤを見ている。気持ちはよく分かると、クロノは口元に力を入れた。




町を出て馬の足を早める。

思っているより早く城都に到着できるかもしれない。


案の定、予定していた場所よりひとつ遠い町に日暮れ前に着くことが出来た。

疲れたとつぶやきながらも、休むことなく馬の世話を始めるユウヤ。


栗色の相棒に頭をもしゃもしゃと齧られて大きな声で笑っている。









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