こいもとめる。
新章開幕。
一章の続きからとなります。
城都編の始まりです。
ハルの登場でブランコに揺られていたユウヤは家の中に押し込まれる。
シャツ一枚のユウヤを残念そうに見送って、ハルはクロノと向かい合う形で露台の手すりに腰を下ろす。
現状の報告をしている最中に、思い出して付け加えた。
「そう言えば、途中でマーサさんに会って、食事のお願いをしたんだけど」
まだ来てない? と首を傾げる。定期的にクロノとハルの身の周りの世話をしてくれている女性は、気の利いたハルのお願い通りに少し前に現れて、食事と風呂の用意までするといそいそと出かけていった。
「……いや、ユウヤの服を買いに町に出てもらった」
「そう……あのさ……なんでユウヤだけしかいないの? 姫様はどうしたの?」
「送り届けてきた……元々そういう予定だったみたいだ」
「……ふたりとも血まみれで帰って来たからびっくりしたんだけど」
「いや……ケガはない。私も、ユウヤも」
「……そうみたいだから、安心はしてるんだよ?」
「……少しここで待て」
それだけ言い残してクロノは家の中に入っていく。
「……うん、まぁ多くを話さないのには慣れてるんだけどさ……」
ハルは小さくため息を吐いて、座り心地のいいブランコに場所を変えて腰を落ち着けた。
浴室にいるユウヤの気配を感じながら、クロノは寝室に入る。
シャツを着て机の引き出しに手をかけた。ひと通りの内容を頭の中で言葉にして、ペンを執る。必要なことだけを書き記して封をすると、それほど待たせることもなく、外のハルにその手紙を差し出した。
「ぅわ……蝋封……」
「早馬だ……」
蝋封で早馬の意味する所を汲み取って、ハルはもう一度 奇妙な唸り声をあげた。
ハイランダーズ内の手紙なら普通はそれぞれの詰め所間で、何かのついでに運ばれたり、知り合いの商人に言付けたり、時間がかかると織り込み済みで届けられる。
紋章の入った蝋封となると話が変わる。
それをクロノから届ける相手は、特に指定がない限り国の中にふたりしかいない。
しかも直接の手渡しが絶対条件。
国王陛下か、宰相閣下。
つまりハルはこの時を以って現在の任から離れて城都に戻ることになる。
気楽な今までの仕事を降りるのも、早馬を出すのも気が進まない。馬好きのハルからしたら、かわいいお馬さんたちをぼろぼろに疲れさせるのはかわいそう過ぎて、尚更に苦々しい思いがする。
それを分かっていてクロノは直接 早馬を出せと言ったのだから、事は急を要しているのだろう。
それならそれに応えるしかない。
「……十日?」
城都まで普通に馬を走らせるとその三倍はかかる。馬術に自信があるハルと、かわいいお馬さんたちがぼろぼろにならないぎりぎりの日数を提示すると、クロノはあっさりそれ以下でと指示を出した。
息を思い切り吸い込んで覚悟を決めると、ハルは手紙を受け取った。
「それなりに面白い内容なんだろうね?」
受け取った手紙を持ち上げて振る。
「そうだな……陛下は面白がってくださるだろう」
手紙の内容は後から陛下に伺えばいい。
急げと念を押しされて、はいはいと背中を向けた。詰め所にいる良さそうな馬の候補を何頭が思い浮かべながら、ハルは自分の荷物をまとめるために庭の石垣をまたいで乗り越えた。
見た目はきれいになっていた。
多分クロノが拭ってくれていたんだろう。
それでも石鹸の泡が薄く朱に染まる。流れていく泡を見ながら誰の血だろうかと考える。
詮ないことしか思い付かない。
勝手に動く体。
自分の為ではなく、用意してくれた人の為に動いている。その方が楽でいい、抗う意味もない。
自分の汚れを磨いて落とし、湯に浸かる。
体の力が抜けて、ひとつひとつ不快が解消されていく。空腹に気が付いて、最後の食事はいつだったか思い出せなくて笑いを漏らした。
避けようもなく生きている。それに甘んじている自分が煩わしい。今まだ息をしているのにうんざりする。
もう終われると思っていたのに、新たなものを背負わされた。
途中で自分から荷を下ろすことはできない。
自棄的に生きるのも許してはもらえないだろう。
幸せになれと重圧をかけられる。
みんなの想いは自分には荷が勝ち過ぎる。
どれだけ、どこまで耐えれば許してもらえるのか、見当が付かない。
もういいよと許してくれた唯一の人は、これから長い時を、姫様を支えていかなくてはいけない。
簡単に捨てられなくなった。
生きることを望んだ誰かが、もういいよと言ってくれるまで。
浴室を出ると、クロノが長椅子で横になって目を閉じている。
自分を抱えてあの道のりを戻ってきたと言っていた。少し痛む両方の太腿には、アザになって跡が残っている。人ひとり抱えて運ぶなんて。相当疲れているだろうに、よくここまで私の相手ができたんだと少し呆れる。
愚直とかバカ真面目とかいう言葉の意味が、クロノを見ていてよく分かった。
眠っているのかと近付いたら、ゆっくりと目を開いて手を取られる。
口付けされて、手に当たる感触に、風呂に入ってヒゲを剃れと浴室の方に送り出した。
動きはゆっくりとだけど、何も言わずに歩き出す。
ここまで疲れさせて申し訳ないと思いながら、同時にここまでする必要は無いのにとも思う。
窓の外は午後の日差し。
影は長く伸びようとしている最中。
ユウヤは長椅子に横向きに膝を抱えて座り、クロノが浴室を出るまでもう少し空腹を我慢しようと背もたれに寄りかかった。
布一枚を体に巻き付けて寝こけているユウヤに、マーサはあらまぁと声をかける。
「風邪をひいたら大変、待たせてごめんなさいね」
ユウヤは用意された服を、もそもそとゆっくり動いて身に付けている。
一度目に来た時はあまり不躾に見るのもよくない雰囲気だったが、マーサはここに至って遠慮なくユウヤを見た。どうも顔色が良くない。
長旅でとても疲れているからとハルから聞いていた。マーサはまだ濡れて束になっているユウヤの髪を丁寧に拭い始める。
自分でと、言葉少なに遠慮するのに笑って答えた。
「いいのよ、気にしないで……それにこんな綺麗な髪に触れるなんて滅多にないもの」
任せて、子どもが小さな時は毎朝 私が結っていたから上手なのよ、と付け加えると、ユウヤは小さな女の子のようにはにかんで頷いた。
クロノを待って、食事を温め直す。
ふたりが食卓を囲んだのを見届けて、それではと軽く腰を折った。
礼を告げるふたりに笑顔で頷き返してマーサはその場を後にする。
特に会話もなく食事を済ませ、片付けをなんとなく始めたユウヤの横で、クロノもそれを手伝いだした。
そういえば前にもこんなふうに並んで片付けをしたと思い出して、ユウヤは声を漏らして笑った。
「……座ってれば?」
「笑うようなことか?」
「だって……」
台所に立って家事をするのは、やっぱり似合わない。クロノが吊り戸棚にいつ頭をぶつけるのかと思うとおかしくなって、ユウヤはくすくすと笑い出す。
「ユウヤ……」
「なに?」
「……城都に来てくれないか?」
「……いいよ」
少し屈んで小さくなっていたクロノが、急に姿勢を正して頭を戸棚の角にぶつけた。
頭を押さえるクロノに、やっぱりぶつかったねと手を伸ばす。その手を取るとユウヤと体を向かい合わせた。
「私の妻に……」
寸前まで出かかった、別に構わないという言葉を飲み込んで、いいよと一言だけ答える。
もうどうだって構わないからとも、どうでも好きなようにすればいいとも、口にしないように心の中に仕舞い込む。
生きろと望まれた。
もういいよと言ってもらえるまでは、何とかしなくては。
それまでは行く当てのない自分を乞うてくれる人の元に居ればいい。
「……でも……クロノには……えっと。……クロノはそれなりに偉い人なんでしょ? それならもう奥さんがいるんじゃないの?」
クロノの見た目は二十代の後半か、三十代前半に見える。貴族のことはよく分からないが、貴族なら余計に跡継ぎは必要なはずで、妻も子どももいる年齢ではないだろうかと、ユウヤは首を傾げる。
「……いた。……昔に」
「子どもは?」
クロノは目を細めると遠くを見るように、ひと時過去に引き込まれる。
静かにゆっくりと息を吐き出し、目の前にいるユウヤに笑いかけてその頬を撫でた。
「……ああ。それも遠い昔の話だ」
眉をしかめるユウヤの手を引いて、そのまま長椅子に座らせた。自分は食卓から椅子をひとつ動かして、ユウヤと向かい合って腰を下ろす。
「今は486年……だったかな」
ファネル家が現在の王城で王の座についてからの年数をクロノは口にする。そう記憶しているユウヤも頷いて返した。
「先に言っておくが、私が生まれたのはファネル歴の302年だ」
「さん……え?」
ざっと計算して、するのも馬鹿らしくなって、ふざけているのかと腹が立った。
ころころ変わるユウヤの表情に、クロノが口の中で笑い声をあげる。
「……冗談で言っているんじゃない……どこから説明すればいいのか……ユウヤはこの国の王が崩御したと聞いたことはあるか?」
王の崩御はそれを口にすることすら禁忌だった。
他国に知られないよう伏せる為、それ故にいつ新王が戴冠しているのかすら、国の民に知らされない。王城には常に若い王がその玉座にいると、この国の子どもはそう教えられる。
「ない……だって」
「今の王が玉座に着いた時から、ファネル歴が始まっている」
「ちょっと……ごめん、言ってる意味がよく分からない」
「うん……詳しい話はまたにしよう……でも考えてみてくれ。長く生きる王の側にいる臣下達も、どうせなら長く生きた方が効率的じゃないか?」
「効率的……?」
「効率よくした方が良い国になると思わないか?」
言わんとしている事は分かるが、理解が及ばない。
「人は……五百年も生きられない」
「そうだな……ユウヤ、あなた達と同じなのかもしれない。私達も役目を負ったんだ。この国の為に、王もその臣下達も自分の時を止めた」
途方もない話に、感情が追い付いてこない。理解しようと処理に必死で、頭は混乱するばかりだった。
「昔……大昔だが、私にも妻はいた。領地を維持する為には後継ぎも必要だった」
「大昔……?」
「ああ……ざっと160年ほど前かな」
「うー……」
「その妻には数回しか会っていない……指一本触れていないのにいつの間にか跡継ぎができていたから、領地を任せた」
「ぇえ? 触らずに子どもができるとか、そんなこと……」
「いや……私もそこまで人の理から外れて無い……」
気分悪そうに腕をさするユウヤに、何を想像しているのかと思うと、クロノまで同じような表情になる。
「……元々、家の……領地の為に結んだものだ、私と子どもの間に血が繋がって無かろうが、維持さえしてくれれば誰でも良かった」
妻に迎えた女性の不貞をそのままに、今はもうその子どもがクロノの領地を取り仕切っているという話。そう理解していいんだろうか、ユウヤはそこまでをやっとのことで考える。
「……それって」
「なんだ?」
「ヘタレ……」
言ってからしまったと思っても、確実にその声はクロノの元まで届く大きさだった。
クロノは口元に握り拳を置いて、我慢しきれずに大きく息を漏らす。
怒るのかと思えば笑っている。
今までにないくらい、面白そうに。
「……それは久し振りに聞いたな……当時よく言われた」
「ごめんなさい……でも、その……奥さんと子どもが領地にいるんじゃないの?」
「いや、もう亡くなっているよ……今居るのはその何代も下になる」
「時を止めなかったの?」
「誰でもそうなる訳じゃない……陛下に認められないと臣下には数えられない」
「えっと……私はどうしたらいい? クロノの領地に行ったらいい?」
「……話を聞いていたか?」
クロノは出来の悪い生徒を見る教師の目をしている。
信じられない話だが、ユウヤはそれなりに真剣に話を聞いていたし、理解をしようと頭を働かせた。今までの気分が軽く吹き飛ぶ程度には衝撃も受けた。
ムッとした顔で急に目付きが悪くなったユウヤの手を取ると、クロノはその指先に口付け、手を返して掌にも唇を押し当てた。
ひげを剃ったからか、それどころではないのか苦情は出なかった。
ユウヤは眉をしかめてこっちを睨んでいる。
怒った顔までかわいいと見惚れる自分は、救いようがないと口の両端が持ち上がる。
「城都に来て、私の妻に……そう言わなかったか?」
「あぁ……うん」
「妻とは普通、夫の側にいて、共に過ごすものじゃないのか?」
「……普通はね」
「……そうしてくれ」
「でも……私は長く……生きたく」
「生きてくれないか、私と」
「……そんな……そんなの……」
宵の色を溶かした瞳が揺れて、見る間にころころと涙が転がり落ちる。
「……ひどすぎる」
クロノはユウヤの隣に場所を移すと、力なく抵抗するユウヤの体を抱きしめた。




