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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
精霊と王の森
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ある日、森の中。






薬草の群生地帯を見下ろして息を吐いた。


天を貫くような針葉樹の大木と、人の背丈を優に越す大岩が交互に広がるこの森の深部で、岩と岩、木と木の間の僅かな地面に、枝葉の隙間から日差しが都合よく当たる場所を探すのはなかなか骨が折れる。


この森のここ一帯にしか自生しない背の低い草は、蟻よりも小さな花をたくさんつけて、大岩の隙間で陽の光を浴びてふんわりと輝いて見えた。

飲めば熱を持つ病によく効き、塗れば傷の腫れや痛みを緩和する。


他にも同じ効能の薬草はあるが、この森のみに自生するこの草とは比べものにならない。

最寄りの村から慣れた者の足で四日から五日。

そうでなければ倍以上かかる。

それだからこそのこの薬草の価値だ。


いつもの道を気分で逸れてみて、これに呼ばれたのだとひとり納得する。


全部を取らないように三分の一は残しておく。

またしばらく後にここを訪れるために、周りの景色と道からの距離を頭の中に描いて地図を作る。

採取した薬草は乾燥させて使うので、荷の外側に吊るせるように紐を使って束にした。

これで移動中に上手く乾く。

それにすっきりとして爽やかないい香りがする。


「……そろそろ水場に戻るか」


なにもいい香りのする薬草と比べることもないのだが、服の胸元を摘み上げると顔を寄せてみる。

無意識に眉の間に力が入る。


今日で森に入って七日目、自分から立ち上る臭いとはいえ、さすがにこれ以上を耐えるのは厳しい。

まあ、誰と会う訳でも無し、自分しか自分に文句を言う者はいないのだけど。



クロノは日暮れまでに頭の中にある地図の水場まで戻り、体を清めるぐらいはしようと決める。

そう急がなくても充分行ける距離だが、移動を始めようと側に置いていた荷に手をかけた。


影が手元を過っていく。


鳥なのか頭上を仰いで確認しようと視線を動かすと、その影を作ったものが目の前の岩に打ち付けられて転がった。


「兎……それにしても」


森の中だ、獣と出会うことはままある。

大きく強いものは人を避けたりしないが、弱いもの、特にこの兎は人を避けて暮らしている。

にも関わらず見事に矢を射掛けられ、ひと鳴きする間もなく絶命している。


こんな森の深部で、人と会った事はない。

道からずいぶんと離れた場所で、動物と会うより人と会う方が珍しい。



背後の岩の方から近付く足音がひとり分、身が軽いのが足音の高さと速さで読める。相手に警戒感を持たせないように、出来るだけ穏やかに対応することを心に留める。

すでに背後は取られている、この腕前で後ろから矢を放たれるのは勘弁してほしい。考える間に足音が止んで、真後ろの岩の上にその人物が到着した気配を感じる。


「これは……あなたの獲物か?」


ゆっくりと背後の岩を振り仰ぎ、見事な腕前だと褒めようとしたが、言葉が出てこない。




この緑深く厳しい環境でもって人を拒む内陣。


『精霊の森』


その名が瞬時に頭に浮かぶ。


宵の始まりを移したような薄い紺瑠璃の瞳、青みがかって見えるほど白い肌。ゆるく編まれた腰にまで届きそうなほど長い髪は、陽光を浴びて白金に煌めいている。


この国の誉れを授かったとされる『色持ち』だが、これほどの色を見たのは初めてだった。

それに加えて長靴(ちょうか)や衣服の上からでも見て取れる、余計なものを磨き落としたしなやかで真っ直ぐな手脚。どこも縛り付けていないような服。柔らかそうな生地は、風を纏ったようにゆるく波打ちながら滑らかな体の曲線に沿っている。


「そう、私の……」


その声と振る舞いに首筋の毛が逆立つ感覚に襲われる。

瞬きひとつに心が震え、唇が動けば心臓を掴まれた気さえする。

一瞬がひどくゆっくりに思えた。


頭からつま先までを見るのは失礼だとは分かっていても、止めることを出来そうにない。

今までそれなりに、それなりの女性と出会ってきた。が、己の身に震えのくるような女性に出会ったのは初めてだった。



クロノひとりが奇跡だと思っているこの邂逅に、その人物は少しも驚いていないように見える。

声は落ち着いており、表情は冷静そのものでクロノを見下ろしていた。

左手に弓と矢を番えた状態で一緒に握られている。いつ射掛けられてもおかしくない状況に、クロノは敵意が無いと示すためにゆっくりと両手を見える位置に動かした。


「……あなたの獲物を横取りする気はない、私は……ハイランダーズだ」


クロノは見えやすいように指先を襟元に入れると、細い鎖を引っ張り出してその先にぶら下がる、金属の小さな板状の装飾を見せた。


片面には名や所属とその他の情報が刻まれている。もう片面には浮き彫りにされた六枚の翼を広げる鷹の紋章。

その装飾の持ち主がハイランダーズであると、この国の民なら誰もが一見して分かる代物だ。

民を守り、決して不利益にはならないと誓いを立てた矜持の証。


「……こんな森の中にいるということは、狩猟家? それとも収集家?」

「色々……何でもやるが、今は収集をしている」


そう、と取り敢えず納得したのか矢を腰にある矢筒に収めると、弓に腕と頭を通して斜めに肩にかけた。足取り軽く岩を下りてクロノの横に並んで腰を落とす。


一挙手一投足、呼吸している様すら見入ってしまいそうになる。

クロノは自分の中にある理性を総動員して目線の方向を変えた。


「見事な……腕前だ。それにこの大きさの青兎はなかなか見た事がない」

「アオウサギ?」

「このように濃い鉛色の兎をそう呼ぶ。冬の白兎よりも捉えるのが困難なほど希少な種だ。この大きさ、これなら相当の高値が付くな」

「へぇ……」

「しかも傷ひとつない……これは狙ったのか?」

「一応……ここまで上手に当たるとは思ってなかったけど」


兎の身に矢穴は開いていない。兎が走る足を止めず勢いそのままに、ひと声も上げる間も無くクロノの目の前に降ってきたのは、矢が兎の左目を貫き、矢先が頭の中に達してそこで止まったからだ。痛みを感じる前に事切れただろう。


「じゃあ、えっと……」

「クロノだ」

「クロノ……私はユウヤ。……クロノはこれを捌ける?」

「……ああ、もちろん」

「そう……それなら毛皮をあげるから、このウサギを捌いてもらえない?」

「それは構わないが……本当に毛皮は要らないのか?」

「いらない。食べられないから」

「かなり高く売れるんだが?」

「ふーん……そう……じゃあ鳥も捌いてくれない? ついでに」

「贅沢しなければひと月は暮らせる額が稼げるのに、本当に要らないのか?」

「……変な人」

「なに?」

「儲かるんだったら素直にもらっとけば? 私はこれを食べられればそれでいい」


ユウヤはつと立ち上がると待っててと言い残し、来た道を戻って行った。



「……ただの食料?」


眉が寄る。

滅多に人の寄り付かない精霊の森と呼ばれる場所のこんな深部で狩りをしている女性。

そこらの腕自慢よりも確かな腕前を持っているにも関わらず、獲物を捌けない。猟師ならそんなはずはない。

こちらは収集をしていることも、毛皮に価値があることも念押ししたつもりだが、この場に自分と獲物を置いて行ってしまった。

盗まれるとは考えなかったのか?

ユウヤの方がよほど変な人ではないのか?

加えてあの見目……本当に森の精霊なのか(あやかし)ものに出会ってしまったのか、何かの試練なのか。


なかなか戻らないユウヤを待ちながら、もしかしたら夢か幻でも見たのかと疑いだした頃、ようやく軽い足音が岩の上を渡って戻って来るのが聞こえる。



ユウヤがぶら下げてきた二羽の鳥を見て、クロノは心の中で大きなため息を吐き出した。


それは朝霧の鳥と呼ばれ、これもまた森をうろつく狩猟家や収集家すら、滅多とお目にかかる機会が少ない希少な鳥だった。

特徴のある尾羽は白く美しい。子どもの腕の長さから長ければ長いほど値が上がる。ユウヤの持ってきたものは大人の腕よりも長い。それも二羽ともに。


やはりどんなに説明しても、食べられる部分だけが必要だと言い、尾羽は必要ないからクロノが要らなければ捨てていいと事も無げに言った。


「ここで捌くのは難しいな……もう少し場所がいる。移動しよう」

「……そう? わかった」


近くで目に映る細部と、少し低めで落ち着いた声色に気を取られ、ユウヤの表情や行動をきっちり読み取れてないと気が付いた。

会話に少々間があることや視線の動きにやっと思い至って、加えて背後に気配を感じる。


「……連れがいるのか?」


短く息を吸い込んでユウヤが後ろを振り返る。

眉をしかめ、ちょっとごめんと後ろの大岩を乗り越えて姿を消した。


声を落としていても、会話の端々がクロノの耳に届いてくる。

高い声、短い言葉、幼い子どもと話しているように聞こえる。

ますますわからなくなる、何故こんな場所に。



すぐに話はついたのか、ユウヤは戻ってきてため息混じりに再び鳥を手にぶら下げた。


「……こっちに付いて来て、そこで捌いてもらっても?」

「ああ……構わない」


自分の荷を背負い、ユウヤから鳥を預かって兎と一緒に運ぶことにした。クロノが大岩を乗り越えるとそこにはおおよそ森の中には不似合いな子どもがいた。


はちみつ色の長い髪の毛をくるりとまとめてはいるが、純白でひらひらと装飾の付いた服装は、森の深部の道無き道を行くのに適しているとは思えない。


「はじめまして、クロノさん」


にこにこと笑顔で挨拶をしてくる利発そうなその子どもは、ユウヤの腰より少し上に頭の先が来る程度。

見たところ七つか八つの少女だった。


クロノがつられて笑うと、その子は恥ずかしそうにユウヤの腰に腕を巻き付けた。




町や村の路上ではない、人の侵入を阻んでいるような森の中だ。

あまりに現実離れしている光景に、クロノは自分の頭がおかしくなってしまったのかと疑ってしまう。


実はこのふたりは魔物かなにかで、自分はこのまま頭からばりばりと美味しく頂かれてしまうのではないかとあらぬ想像をしていた。












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