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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
精霊と王の森
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みなあるべきところへ。







特に呼ばれたわけでもないのに、何かに呼ばれたような気がして目を開いた。


はっきりしない頭で、ここには以前に来たような、見たことのある場所だなとぼんやり考える。


横向きに見える小さな部屋。

起き上がって自分の上を滑り落ちる布を持ち上げて、その中を見る。


裸。

何も着てない。


真横で一緒に寝ていた人の顔にも、見覚えがある。

その人も裸で、やっちまった感がむくむくと膨れ上がってくるけど、何も思い出せない。

体に、特に下半身にそんな感じがないので、首を傾げる。


周りを見回しても自分の服が見当たらない、床にも落ちてない。


ベッドを抜け出て、すぐ側の戸棚を開き、中を物色。


引き出しにきれいに畳まれた服を広げて持ち上げる。どうも自分のものではない大きさに、ここにあるものは全部そこで寝ている人の服だろうと推測する。仕様がないので今持ち上げている、大きな白いシャツに手を通した。上等な布なのが肌触りで分かる。


前のボタンを留めていると、左の脇腹に大きな傷跡があった。体中に傷跡があるのは覚えているけど、ここまで大きなものは無かった気がする。


それでも完全に治った感じのその跡に痛みは無いし、治ったばかり特有の肌が引き攣れる感じもしない。

ずいぶん昔に負ったような傷なのに、覚えがないとか、そんな事あるんだろうか。


何かが大きく抜け落ちている。

自分の身体と心の、大部分が機能していないような、無くなったような感覚。


眠り過ぎてはっきりしないのか、現状の把握すらままならない。


すぐ近くの扉を開けると、そこには簡素な食卓、向かい合わせの椅子、窓辺には長椅子。

小さな台所、やっぱり見た事がある家だった。


後ろを振り返り、あの人の家なんだろうな、と何となく思った。

自分には家らしい家は無いから。

きっとそうなんだろう。


窓の外の景色を見る。

昼間の太陽は庭の草をきれいな若草色に染めている。窓の外側にも簡素な長椅子があるのを見付けた。


外へ出ると、手すりの付いた露台。その目的の物の方へと目を向ける。

軒下に、太い梁から鎖に吊るされた、それは長椅子ではなくて。


『ブランコ!』


嬉しそうに声を弾ませて、脇目もふらずに走り出す背中、楽しそうな笑い声。

はちみつ色の髪と瞳の小さな女の子。

大好きな、かわいい私のお姫様。


震えながら息を吸い、限界のところでそのまま止まる。


全部、思い出した。






手を伸ばせばあるはずのものに行き当たらない。


目を開けるとそこには誰もいなくて、掛けてあった布がめくれて下の方にあった。

目を覚ましたのかと、周りを見ても姿がない。

扉が開いている。

まさか何も着ないままでどこかに行ったのかと飛び起きた。


さすがに自分も裸で探し回るわけにもいかないので、取り敢えず下だけはきちんと穿いて寝室を出た。


外に通じる扉も開いたままになっている。

まず近くにいるかどうかを確認。

姿は見えないが、露台のブランコから長い髪が垂れ下がっているのを見て息を吐いた。


そっと近付いて、覗き込む。


何よりまず服を着ていた事に安心した。


向けられた背中、腕も脚も折りたたんで小さくなろうと力を入れている。

両手は顔を覆ってさらに下を向こうと背けられていた。

声を殺していても、泣いているのは息遣いと震える体を見ればすぐに分かった。


いつから、どれだけひとりで泣いていたのかと思うと、知らず唇を噛みしめる。


横に腰を下ろし、見えないと分かっていても、隠れている顔を見たくて白に近い金色の髪を丁寧に梳く。そのまま頭を撫でた。


きれいに拭い去ったつもりだったのに、うなじに近い部分の髪に血が固まって残っている。

ぐっと喉元に込み上がってくる熱い塊を、息を整えて少しずつ飲み下した。


きっと今、何を言っても、何をしても、この美しい人はこの世界を見ようとはしないだろう。

何も受け入れられないだろう、でも。

生きていて、それは続くのだと、知ってもらいたい。

そしてできれば、それは自分と一緒に。


「……私の、妻になってくれないか」


ぴたりと動きを止めた後、大きく息を吸い込んで何事かを叫んだ。両手で顔を押さえ、下を向いていたので、何を言ったのかは分からない。

ただ物凄い悪態をつかれたのだけは、勢いと発される雰囲気で分かった。

大きく上下する肩に口付けをした。


「……あのまま死ねばよかったのに……」

「誰もそんな事望んでない」

「わたしが思ってる!!」


苦しげに息をしながら、堪えきれないのか唸るような声を出している。


「……姫様がいない……」

「……いる。会えなくなっただけだ……居なくなったんじゃない」


これ以上無理だろうに、まだ体を小さくしようと丸まっている。


「ちゃんと迎えが来た……姫様は隣の国で幸せに暮らす。……そうだろう?」


頭を撫でると子どもの様に泣き声をあげた。





目の前の、雲を突き抜ける高さの城を見上げる。

光を受けて輝きを放つ城、その横を流れて波打つ紗の布は、気を抜くと見慣れた森の景色にかき消される。


「……ここまでだよ」


隣に立った男がそう告げた。

いつの間に現れたのか、長身の男は姫様の左側に立ち、その手をそっと取る。


「姫様、さあ行きましょうか?」


腰を折って、ふわりと微笑むと、姫様は男を見上げてこくりと頷いた。それに頷き返して背筋を伸ばすと、真っ直ぐ前を向く。


長身と思ったが、自分よりも少し背は低いようだった。その手足の長さ、体の線の細さに長身に見えていたと気が付いた。


自分に向けられる無表情、月の光の様な金の長い髪、春の空の蒼い瞳。白い肌。

何もかも似た雰囲気の『色持ち』に、その男の名が『サヤ』だとすぐに分かった。


自分の手をくっと引かれて下を向く。


「クロノ……ありがとう」


膝をついて目線を合わせると、姫様ははにかみながら微笑んだ。


「お元気で……」


その程度しか言葉の出ない自分が、情けない。


柔らかな頬を撫でると、小さな手で同じように頬を撫で返してくる。その手に、今まで繋いでいた手に口付けをした。


「クロノもげんきでね……」

「行きましょう」


見上げると不機嫌そうな顔がこちらを見下ろしている。

怜悧そうな顔立ちも相まってとても冷淡な印象だが、自分に対してはそうでも、姫様には全く違うとさっき向けられていた表情で分かっている。


出会ってすぐはこう(・・)しなくてはいけない決まりなのかと、口の端が持ち上がる。


ふいと目を逸らした男は、左腕を持ち上げると、窓の外を覗くときカーテンを引くように、開演の口上を告げた役者が幕を開けるように、景色を持ち上げる。


目の前の城のある景色が絵のように平面に、持ち上げた先にはまた別の、森とは違った景色。

景色というより、その先は室内のように見えた。


手を引かれた姫様はその男の腰にしがみつく。


小さな背を支える優しさの溢れる手と、姫様を愛おしそうに見つめるその後ろ姿は、立ち位置も性別も違うのに、ユウヤにとても似ている。


はらり、と布が閉まる。


ふたりの姿は消え、瞬きを繰り返すうちに城も消えた。


深い深い森の中の景色に、ひんやりと湿っぽい空気の中に戻ってきた。



膝をついたまま座り込んでどれぐらい放心していたのか、このままこうしてもいられないと思い付いて、立ち上がりかけたその時、目線の少し先で景色が揺れた。


布が翻るように景色が膨らんでめくれ、その向こうから人が飛び跳ねて出てくる。


「あ! 良かった!」


こっちを見て笑うと、その人は駆け寄ってくる。


「いたいた! 間に合ったぁ!」


飾りのひとつも付いていない、村の娘が着るような、簡素で丈の短い、真っ白な服を着た、はちみつ色の髪の毛をした、はちみつ色の瞳の少女。


「……姫様?」


はにかんだ笑顔はそのままだが、さっき別れた姫様より、十ほど年を経たようだった。


「久しぶり、クロノ……ん? クロノはそうでもないか」

「ええ、ついさっきまで」


先程ふたりが消えた先を指差した。


「ここに戻るまで時間がかかっちゃった……サヤもなかなか良いよって言ってくれないし」

「……どういう……?」

「まあ、難しい話は置いといて。さあ! 立って、クロノ!」


立ち上がらせようと大きくなった姫様はぐいと腕を引く。


「姫様?」

「立って、クロノ……私をユウヤの所まで連れて行って」


言うことを聞かない足をなんとか前に進めて、姫様の先を歩いた。





「……ユウヤ」


姫様は側に駆け寄って、座り込む。

血の気の引いた頬に手を当てた。


「……クロノは、ユウヤのこと大好きでしょ?」


振り返って見上げる姫様に頷いて返した。

言葉は出てこない。何かを言えば別のものが溢れて止まらない気がした。


「私も!……私もユウヤが大好き!……それからね、クロノも大好き」


姫様は血塗れのユウヤの腹に手を置いた。


「ふたりがね、笑ったり、ケンカしたりしてるのを見るのが好きだった」


額にかかる髪の毛を撫でて、今はもう何も映していない瞳を閉じさせた。


「ふふ……ユウヤはもっと大人だと……大きな人だと思ってた」


立っているのが辛くなる。胸が誰かに握られているように苦しくて、浅い息を繰り返していた。


「……クロノは、『陛下の本』に載っているでしょ?」


質問口調でも、それは確信している言い方。

城で働く、それも中央に近い人しか知らない事を、当たり前のように語る姫様を見つめ返す。


「……これからね、私はユウヤに起こった事を捻じ曲げるから……でも、それでも力任せに捻じ曲げたものは、すぐに戻ろうとするの。だから、ユウヤも陛下の本に載せて欲しい……できる?」

「必ず」

「ユウヤが大好き? 大事にしてくれる?」

「……ああ」

「約束して?」

「……もちろん、必ず守る。約束する」


約束は違えないと思いを込めて見つめ返すと、姫様はうんと頷いた。


ユウヤに向き直ると腹を押さえた手に集中して目を閉じる。


何も不思議な事が起こった感じはしないのに、前触れもなくユウヤの身体が跳ねて横を向き、咳を繰り返して口にあった血を吐き出した。


駆け寄って背中に手を当てて摩る。咳の発作がおさまると力なくくたりとなるが、浅く呼吸を始めた。


「時間はそんなに無いから、早くね」

「……猶予は?」

「んー……ひと月も無いと思って?」

「それだけあれば充分」

「……頼もしい。さすが、紺碧の鷹」


どこまで知っているのかと顔を上げる。

その笑顔に、どこまでではないのだと思った。


初めて出会った時に感じた、物静かで、理知的で、曇りのない瞳はさらに深みを増して見返してくる。そのはちみつ色の瞳はこの世界の全てを見通しているのだと分かった。


姫様はユウヤを見下ろし、今はもう薄っすら汗の浮かんでいる額に口付けを落とす。


「ユウヤ……ごめんなさい」


額と額を合わせる。


「……でも、生きて欲しい」


姫様は立ち上がると、さあ、と両手を合わせた。


「急いで、クロノ! 日が暮れる……私たちが来た道を戻って!」


ユウヤに視線を落とし、このまま運んでも大丈夫だろうかと思案して目線を上げると、姫様は後ろ手に景色を布のように持ち上げて、その向こう側へ行く途中だった。


にこりと笑うと小さく手を振り、はらりと布が閉じる。姫様はじゃあね、と向こう側へ消えた。



両手で頬を叩くと気を入れ直す。


ユウヤの腰を縛り付けていたベルトを外し、傷を確認する。そこはきれいに塞がって、跡が残っているだけだった。

これ以上血を失う心配はないのだと安心して、抱え起す。


ユウヤの腕を肩に回して、体を胸にもたれ掛けさせる。ユウヤの両方の腿と自分の腰をベルトで固定して、側に落ちていたユウヤの剣を握り、立ち上がる。

自分の剣が見当たらない。

どこで無くしたのか見当もつかないから、さっさと見切りをつけてその場を後にする。


日が暮れても、その次の朝が来ても前に進める足を止めなかった。


二回目の朝日が登る前に城塞の町まで戻って来た。


ハルを叩き起こし、いくつか指示を出した。

攫われた娘の救出と、残党の確認。放り投げてきた荷物の回収とそのおおよその場所を伝える。


驚きながらも長年部下を務めてきたハルは、少ない言葉にも意を得て、詰所に向かった。


ユウヤを休ませようと体を清めて、自分もある程度なんとかしたところで力尽きた。

隣に潜り込んで目を閉じた途端眠りに落ちた。





話を終える頃にはユウヤは起き上がり、クロノの隣に膝を抱えて座っていた。


クロノはユウヤの肩を抱いて引き寄せる。


「……姫様はかわいかった?」

「とても。素敵な女性になっていた」

「……ずるい……クロノだけ……」


前を見据えたまま顔をしかめるユウヤが可愛くて、目元に口付ける。

ぐいっと手でクロノの顔を除けると、ちくちくするからひげを剃れと言って膝に額を付けると両腕で囲いを作った。



様子を見に戻ったハルが、何その羨ましい感じはと笑いながら声を掛けてくるまで、ふたりは姫様のお気に入りのブランコに揺られていた。


























これにて一章は終わりでごさいます。


お付き合いいただきました皆様に感謝をさせて頂きます!!

ありがとうございます!!


何度ものぞいて頂いている方々に、ブックマークを付けて頂いた方。

重ねてお礼を申し上げたいと思います。


この先も良いものが書けるよう、楽しんで頂けるよう、精進してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。









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