右に在る人。
※この13話には流血シーンがあります※
戦闘、及び流血表現をしております。
さらっと抑えめですが、苦手な方はご注意と心の準備をお願いします。
よろしいでしょうか。
では、どうぞ。
姫様を座らせて、その頬に口付けする。
「迎えに来るまで、ここを動かないでくださいね」
前髪を整え、顔の輪郭をなぞる。
ずっと変わらず持ち続けていた心の奥から湧き上がってくる想いに、震えながら静かに息を吐く。
自分の使命、存在価値。
目に見える形で、しかもそれが今 自分の目の前に『在る』。
そんな人が一体どれだけ居るだろうか。
そう教えられて、その通りだと思って、そうあるべく行動してきた。
姫様をひと目見たその瞬間から、自分のことは置いて考えるのが当然になって、それが普通になっていった。
この世界のことだって、自分の使命も存在価値も、忘れてはいないがそんな事はもう、
本当にもう、どうでもいい。
虚ろに視線を漂わせている、この小さなひとりの女の子を。
「行ってきますね、姫様。ちょっと待っていて下さい?」
失くしたくない。
ユウヤは立ち上がると来た道を戻る。
姫様の居る場所と、男を斬り伏せたちょうど中間地点で、先んじてやって来た犬に案の定出くわした。
主人に場所を知らせる声を上げる。
別の方角からもう一頭、茂みを飛び越えてやって来る。挟まれる形になったが、一定の距離からは近付いてこない。よく訓練されている事に悪態をついた。
どう考えても人より面倒だ。
今度は三人組、ひとりは最初に仕損じた男に違いない、声に聞き覚えがあった。
奪うのが当然で、砂粒ひとつ分もそれを疑わない言動。同じ内容の話をもう一度聞かされる。
まずはユウヤの見目について。
続いて自分の価値を上げようとして、果てには自分のモノになれで終わる。
品性の欠片もない会話は、似たり寄ったりで聞く価値は皆無。
自分に近付いてくる男は全部同じ。
そんな男にしか興味を持たれないのかと可笑しくなってくる。
敬意を持たれているか、好感は持てるか、笑って許せるか、全くの逆か、違いはその程度。
言葉の選び方が違うだけで、内容はほとんど同じ。
鬱陶しいことこの上ない。
こんなものに足止めを食らっているのかと思うと、怒りを通り越して宇宙の始まりについて考えだしそうだ。
「……もういい。さっさと始めよう」
その醜い心を挫く言葉も無い、気持ちの悪い笑みを殴り倒す腕力も無いから。
せめて小さな穴を開けてあげよう。
頚動脈をそっと撫でてあげる。
ユウヤが構えると男達は声を上げて笑う。
少々傷が付いても構わない、手足が無くなっても気にしない、むしろ邪魔でそこは必要ないと剣を抜いた。
合図で飛びかかってきた犬の一頭を、左の鞘で突いて転がした。空いた左の脇腹の表面を、もう一頭の牙で持っていかれる。
気に留めず正面からくる男の喉を貫いて、身体を捻りながら腰を落とし、後ろから来る男の足を剣で薙いだ。
もうひとり来る気配に後方に回転すると、腹のぎりぎりを刃がすり抜けていった。
ふらりと立ち上がる。
いい具合に力が抜けている状態に、ユウヤの口角が持ち上がる。
力を込めるのは瞬間。
そうでなくては思うように身体を動かすのは難しい。力を抜いて、柔らかく、滑らかな動きを意識する。力を入れるのは初動だけでいい。
体も軽い、状態は悪くない。
喉元めがけて突っ込んでくる犬に半身になって突きを繰り出す。泡を飛ばしながらやって来る犬の口の中に刃を通すと、骨に当たる手応え。
突きの勢いを利用して男の方に犬を飛ばして振り払う。
男は宙を飛んでくる犬を物のように剣で叩いて落とした。
気を逸らせたユウヤは大きく一歩踏み込みながら、外から内に腕を振っていた刀の柄を逆手に持ち替えて、内から外へ振り返す。
ちょうど男の首元を通る軌道を描くように。
命を刈ったその手応えに男への注意を切り離す。
足を薙いだ男は、まだ地面に転がって呻き声を上げている。
これで終わりだと踏み出した足の動きが鈍い。
見ると最初に打ち据えた犬が右の腿に食らいついていた。
鞘で突くと半分が犬の腹に隠れて見えなくなる。腕を振ると鞘ごと犬は転がっていった。
ほんの少し、男から意識が離れたその時、血が流れていた左の脇腹から銀色の物がのぞき、それはどんどん長く伸びていく。
ぞわりと寒気がして、腹に刃をたてられた事よりも、自分のすぐ背後に男が寄ってきたことに怒りを覚えて、右に振り返りながら感覚だけで、場所を確認するより先に剣を突き立てた。
「ーー……くそ」
木の幹を使って脇腹に刺さっていた剣を後ろに押し返す。
さっきまでは微塵も感じなかった痛みで、視界に真っ白な光が差す。
ねっとりした脂汗が吹き出るのに、身体中に鳥肌が立って、手先は震えている。
息をどれだけ吸っても必要なものが取り込めているとは思えない。
膝まで伝っている血を見下ろして、この姿を姫様に見せることになるのかと、舌打ちをしてもう一度 悪態をついた。
まだ抜けきらない剣を後ろ手に掴んで、抜き取った。
さらに溢れてくる生暖かい血、それが下に流れていく感覚に、怒りがこみ上げてくる。
これで六人。
多くてあと四人。手放していた鞘を拾いに行き、姫様の元へ戻ろうとしばらく進んだところでユウヤは膝から崩れた。
今は主人が居なくなったような荒れ果てた小屋、クロノはそれを見付けて足を向けた。
小屋の外側に野営をしている様子を遠目に見て、腰にある柄を握った。人の動く気配は感じない。
近付いて行くと、小屋の方で物音が聞こえる。
高く上げられた床下の柱に、飾り気のない服を着た女性が縛られていた。
近付けば怯えた様子で下がりようも無いのに後ろに行こうとする。
自分の立場を伝えて心配ないと声を掛けながら進んだ。
拘束を解いて、手を貸して立ち上がらせる。
十代後半に見えるその女性は、領主の屋敷で侍女をしている者だと名乗った。
馬車で移動中に襲われて、攫われ、ここまで連れて来られたと手短に語る。
落ち着いて要点を話せている、賢い人だとクロノは素直に感心した。
「ヴァプトン?……隣の領から連れ去られてきたのか?」
「隣?……ということは、ここは精霊の森ですか?」
「いや、王の森だが……君はここの出身か?」
「はい……城下町の……ああ、どうしたら……お嬢様が、この小屋の中に」
「なぜ攫われたかわかるか?」
「いいえ、それはなにも……」
「攫われたのは、君とそのお嬢様だけ?」
「そうです」
「何人に襲われたかわかるか?」
「見るなと言われていたので……多分、七、八人くらいだと思います」
「そいつらは今どこに?」
「……少し前までは居たんですけど、急に全員いなくなって……行き先はわかりません」
クロノは小屋に足を向けて、扉を開ける。
内側も外同様に荒れて散らかっていた。
後ろにいた女性はクロノの横をすり抜けて、部屋の奥にいた上等な身なりの女性に駆け寄った。同様に縛り付けられていたのを解放する。
背を支えている侍女と同じ年代か、少し年下に見え、良家の子女然とした態度と服装をしている。
「ハイランダーズのクロノだ。ヴァプトン領主のお嬢様で間違いないか?」
「ええ……娘のエリノーラです」
「ここに攫われた理由はお分かりか?」
「いいえ……聞いても答えませんでした」
「……もうしばらくここに居てもらう事になるが……」
「なぜです?! 助けに来たのでしょう?!」
半ばクロノに縋るように、エリノーラは身を乗り出す。
「私がここに来たのは、偶然です……必ず、助けを寄越しますから、どうかここに」
「嫌よ! こんな所! 家に帰して、帰りたい!」
「お嬢様……」
「あいつらが戻って来たら、私たちはどうなるの?! 連れ出しなさい!」
「戻ってきたら?……どこに行ったかご存知なのか?」
「知らないわ。……でも女を見かけたから捕まえに行くって……」
腰の後ろの短剣を抜き、その柄を侍女の方に向けて差し出した。
急変したクロノの態度と顔付きに、ふたりは息を呑む。
「これを、必要になったら使いなさい」
なかなか受け取ろうとしない手に、押し付けるようにして握らせる。
立ち上がって出て行こうとするクロノの背中に悲鳴のような声が聞こえる。
「待ちなさい! こんな所ひと時もいたくない!」
その場を立ち上がって付いて来たのは、侍女の方だった。
「不安だろうが、ここで助けを待ちなさい」
「でも……あの人たちが戻って来たら……」
「もう戻ることは無いから安心なさい……もし戻ったとしても、今までそうだったように、あなた達を傷付けはしないはずだ」
衣服も乱れず、顔には傷ひとつ見当たらない。
食事を与えられていた形跡もある。
攫ってきた目的は分からないが、手を出さずに生かすのが必要条件なのは彼女達を見れば分かる。
「それよりも、助けを探して森の中をうろつく方が危険なのはわかるね?」
「……はい」
「あのお嬢様は外に行きたがるだろうが、ここは森の中心に近い。あなた達の足では外まで三日以上かかるだろう……しばらく分の食料は用意してあるはずだ、夜には火を絶やさないように……必ず助けを寄越すから」
「……分かりました」
しっかりとした態度の侍女に、無言で頷き返す。
泣き声の聞こえる方にそっと背を押して、クロノはその場を後にした。
道なりに走っていると、馬と人が倒れているのを見付けた。
見事に頭部を射ている矢羽で、それがユウヤの手によるものだとすぐに分かった。
馬はまた辛うじて息をしている。男は息絶えていたが、体はまだ温かい。
それほど時間は経っていないはずだ。
クロノは立ち上がって辺りに注意を払いながらまた走り出す。
途中、ふたり組に行き会い、何の前振りもなく襲いかかってきたひとりを斬り倒して、もうひとりを生きたまま捕らえる。
領主の娘を攫ったのかと問い、どこに向かっているのか聞いた。
話を拒む男の腕を捻り上げていると、遠くで犬の吠える声が聞こえる。
「あっちに何があるんだ」
こんな事を聞かなくても、本当は何があるか、誰がいるかは分かっている。
知らないと嘯いた男がにやにやと笑っている。それで充分ユウヤの正確な居場所に確信が持てた。
男の頭と顎を掴んで捻る。
道を逸れて、犬の鳴き声の聞こえる方に向かった。
目にした光景に震えが止まらない。
耳鳴りに周囲の音は何も聞こえなくなる。
腹の奥底から溢れて飲み込まれたのは怒りの感情で、こんな事を仕出かした連中に、何も出来なかった自分にも殺意が湧いて気が狂いそうになる。
わずかに上下しているユウヤの胸元を確認して、その側に膝をついた。
今も少しずつ血溜まりが広がる脇腹。
焦燥と絶望と、それでもまだほんの少しある希望が複雑に混ざり合って、早鐘のように心臓が鳴っている。
「ユウヤ……」
頬を軽く叩くと、ユウヤは細い息を吐いて、目を開く。
「……クロノ?……どうして」
ベストを脱いで丸めて、ユウヤの脇腹に押し付けた。剣を下げているベルトを外す。
「……いい……もういい、クロノ……お願い」
ベルトで脇腹を縛り上げると、短く呻いてユウヤはクロノの手を掴んだ。
「お願い、姫様を……」
「ユウヤ……」
「違う……ユウヤは……クロノ、あなた……」
瞳から雫がこぼれる。
血に濡れた白い手がするりと力なく落ちた。




