8.サクラが立った日
世の中には思いついたのはいいが、やってみると結構間抜けだったということがよくある。冷静になって考えるとどうかと思えることも、思いついた時には輝かしいアイデアだったりするものだ。
ミツルは無言のアオイとデスクセット越しに見つめ合いながら、心中密かにこれがそうだ思っていた。
どうやって各々の自律反応を確認するのか。博物館から浮かれた調子でとって返し、レンと相談、いや半ば説き伏せるように彼が出した案は「黙っている」事だった。
相手が話すまで待つ。ひたすら待つ。こちらから動機を与えてはいけない。
もちろん解析のため、やり取りは全てレンがモニタリングしている。彼女はミツルの思いつきにそれなりの興味を示してくれたものの、実施についてはあまりいい顔はしていない。ただ、このままでは手詰まり感が半端ないわけで、何か手を打つならと提案を飲んでくれた次第だ。
見合うことすでに十分。一番楽そうだと感じたアオイでこの調子なら、先は絶望的だ。ミツルがそろそろ降参のメッセージをレンに送ろうとした、まさにその時。望んでいた瞬間はふいに訪れた。
アオイが束ねた髪をそっと触り、それからおもむろに口を開く。
「ティーチャ」
「えっ、あ? な、何かなアオイ君」
「しばらく解析を続けていたのですが、やはり納得のいく答えが出ません。教えてください。これはいったい何を意図した行為なのでしょうか」
瞬間、ミツルは自分が賭けに勝利したと知って、思わぬ笑みを浮かべた。
――納得できないから教えろと言った。それも自分からだ。これが並の〈レベルシックス〉に出来る芸当か?
そして逸る気持ちを抑え、とどめの質問を彼女に投げる。
「その前に一つ聞かせてくれ。アオイ、今の発言はどういう意図で発したんだ?」
「…………自分でもよくわかりませんが、私はこの状況が不安定であり、許容するべきではないと意図して発言しました。それが何か?」
「ありがとう、その言葉を聞きたかった。俺の行為の意図は、君からその発言を得ることだ」
ミツルの言葉にまた考え込むアオイ。それでいい、とミツルが肯いたところに、イヤホンからなんと微笑混じりのレンの声が届く。
『Congrats. ミツル君、次、準備しようか』
***
第二回戦。相手はヒトミ。今度は五分とかからずその時が来た。
「ティーチャ、ちょっとよろしいですかぁ」
開始から柔らかい笑みを崩さなかったヒトミが、自然な仕草で語り始める。面食らったミツルが反応を返す前に、彼女は思い出すように人差し指を立てた。
「最初にお会いしたときにぃ、レクサス・LFAについて質問をいただきましたよねぇ」
「あ、ああ」
「あの時からぁ、実はずっと答えを探していたのですけどぉ。私、やはりあの車が好きなのかも知れませんよぉ」
「そうか……っていやそうじゃなくて、ヒトミ、聞いていいか?」
「はい、どうぞぉ」
「なんで、その話を今しようと思った?」
「ティーチャが退屈してるかなって。退屈させたくないと考えましたからぁ」
眩しいくらいのヒトミの笑顔を前に、今度は間髪入れずレンが割り込んでくる。
『恐ろしいほどに順調だね。この手は案外、これからも使えるかもしれないよ』
意外さを隠そうともしない彼女の言葉に、ミツルは苦笑してうなずいた。
――これで二人クリア。問題は次だ。
***
そして、ミツルの予想は見事に的中した。正直に言えば、外れて欲しかった予想だったが。
サクラは開始からずっと無表情で、今もだんまりを決め込んでいる。
経過時間は二十分。先例がある以上ミツルも簡単には諦めないが、さすがに長時間のにらっめっこは辛いものがある。かといってレンと話すわけにもいかず、彼はいつしかサクラの個性について考えを巡らせていた。
「元気で素直」はいいとして「人見知り」というのはインターウェアではありえない。警戒心がないのだから。では警戒心と誤解されそうなものは何か。彼が考えられるのは関係性構築、つまり相手をどの段階のユーザーと認識するかの判定がタイトな場合だった。もしそうならば、つき合いの浅いユーザーほど彼女の中では認識が低く、したがって命令の遂行順位が下がる。言っても聞かない、期待に応えない。確かに人見知りと言えそうだ。
――おそらくどこかに関係性のしきい値がある。その一線を越えた人物だけが彼女の積極性を引き出せるとすれば…………問題はただ一つ、俺がそれを超えているかどうか、だな。
彼にその自信はない。思い返せば、彼女と三文章以上の会話が成立したことすらない。つき合いが長いぶんだけ、むしろレンの方が適任ではないのか。
「……しかたない。交代するか」
独りごちてミツルが腰を浮かせる。
その袖を、サクラがキュッと掴んだ。
「えつ?」
「……待ってよ」
ポツリと漏らしたその顔には、まるで捨てられた子犬のような不安が滲む。サクラは立ち上がり、ミツルにぐっと寄るとその顔をのぞき込む。
「ティーチャ、僕、何か悪いことをしたの?」
「い、いや、そういうことはないが……」
「だって、いきなり呼び出して口聞かなかったし。それって怒ってるからでしょ?」
「いや怒ってない。テストの趣旨を説明しなかったのには理由があるが……その推論は間違いだ」
「ホントに? ホントにティーチャは怒ってない?」
「もちろんだ」
「よかった……これって、安心、でいいんだよね?」
そう言って微笑むサクラを見た途端、ミツルの不安が衝撃と感動できれいに氷解する。
――こいつ、自分のステートを表現しやがった。それも表情を駆使し、言語に結びつけて!
ミツルは反射的にサクラの頭を撫で、そしてカメラの向こうのレンに親指を立てる。
『Impressed! ミツル君。やっぱり君を引き抜いてよかった』
レンからの応答に混じった拍手に、ミツルはホッと胸をなで下ろす。彼を不思議そうに見上げ、サクラは小首を傾げた。
「ところでティーチャ、これってなんのテストだったの?」
***
確信を持って壁を越えれば、事態は一気に好転する。
〈個人面談〉が終わるやいなや、ミツルとレンは三人娘ではなく、ワットマンテストの欠陥を洗い出しにかかった。
「あー、やっぱりあれだ、既存のテストを流用したのが問題だったか」
「ここまで見事に適合してないとはな。盲点だったよ」
疑ってかかればすぐに見つかるものだ。彼らの使用していたテストはSmartsへの適用が前提とされている。その評価基準に、森澄リンク式の特性とのズレが隠れていたのだ。曲がった物差しでは、正しい結果が出るはずもない。
「急いでテストの構成変えなきゃ。いくら実証できても、提出する資料には数値データが必要だよ。ミツル君、今から森澄リンク式の特性についてまとめといてくれる? 打ち込みは私がやるから」
「おい待て、もう夜中の十時だぞ徹夜しろってか?」
「期限まであと五十時間、一分だって無駄にできないんだよ。特性知ってるの君だけだし。私は寝るから、終わったら起こして」
言うなりオフィスの簡易ベッドに飛び込んで寝息を立て始める天才少女。どうして自分の知り合いには寝付きの良すぎる女性が多いのか。答えのない問いを頭の中でぶちつつ、彼は急いでオフィスを施錠し、教室のデスクに戻った。
翌朝。ミツルが徹夜でまとめた資料をもとに、レンが改正版のテストを組み上げたのが午前十一時。それがシミュレーションを通過して実用できるようになったのが午後六時。すぐに三人娘にテストが適用され、午後八時に出た結果は……。
「スケール……〈レベルセブン〉++……嘘だろ」
「いやはやこれは予想外」
目の下にクマを作ったミツルと、しなびたおかっぱ頭のレンが苦笑いを交わす。それを囲むサクラたちは、どこか誇らしげであったという。
***
そして水曜の朝が、刻限がやってきた。
大型キャリアトラックに積まれた三機を、整列し感無量と眺める重機係技術班。
「総員、送り旗ァ振れ!」
帽子を振って見送る彼らを後ろに、ミツルとレン、そしてサクラ、アオイ、ヒトミの五人はキャリアトラックに分乗してハンガーを出た。
ここまで根性で機体を仕上げた技術班には、このあと二十四時間の休息が待っている。が、監督者であるミツルたちに許された休息は、わずかにトラックの座席にひっくり返った間だけだ。さすがに無休はマズいと会場近くにホテルが手配されていたが、ベッドにたどり着けるのはまだ十時間以上も先の話だ。
トラック部隊は外環状高架線を安全第一で走行し、昼前にはイスルギをぐるっと半周して会場に到着。イスルギ最大の展示場〈イスルギ・ベイエリア〉には、会期を目前に準備の車両がひっきりなしに出入りしていた。
着いて早々、ミツルは頭を下げるトクガワに出くわし、驚くと共に非常にいやな予感に囚われる。
「いやぁ、よかったよ間に合って。実は手配してたクレーンが――」
「課長、その続き聞きたくないです俺」
「頼まれてくれるか。助かるねぇ」
「むしろ話を聞いてくださいよ!」
足場を組み立てる。パネルを持ち上げる。発電機や巨大なスピーカーを設置。つまるところ会場設営のお手伝い。
これがサクラの、つまりハウンドバードの初仕事と相成った。
「いいぞサクラ、そのまま持ち上げておいてやれ」
『了解ティーチャ』
立ち上がったハウンドバードが壁面パネルを両手で掴み、作業員が固定するまでの間支える。予想だにしない『クレーン代わり』に、作業員の手が止まりがちのはご愛敬だ。別の場所へとスイスイ場内を移動する彼女を見ながら、ミツルはひとつ気づいてレンに訊ねる。
「あれって人型してるのに歩かないんだな」
「足が丸ごとホイールだから平坦路なら問題ない。むしろ走行した方が早いよ。歩こうと思えば歩けるんだけど、歩行だけで移動するのは効率的じゃないからね。ハウンドは元が市街地戦用だし」
ミツルはほんの一瞬、レンの言葉に違和感を感じる。しかしあくびを打ったことで、それは頭の中から流れて出てしまった。
救命用にあるまじきその言葉を彼が思い出すのはもっと後の話。
そう、事態が抜き差しならなくなってからことだ。