7.車と写真と美少女と
行き詰まるかに思えた状況が新たな、そして思わぬ展開を見せたのは翌日。切っ掛けを作ったのは意外にも、全くの部外者、トクガワ課長であった。
「ミツル君、上手くいってないみたいだね」
月曜日の昼前。教室にひょいと顔を出した課長は、左手のマグをシャカシャカと振りつつ何気ない調子で切り出した。
「ええ、まぁ……っていうか何を振ってるんです? ついでになんでここに?」
「これはほら、新発売の食べる抹茶スムージーさ。今年は半世紀ぶりのスムージーブームでしょ? ついつい懐かしくなっちゃってさ。でも買ったのはいいけど、これ振らないと底に溜まっちゃうんだよね。あ、そうそう、僕がここに来た理由はね……」
トクガワは冬眠あけのクマを思わせる疲れた目を、机に向かう三人娘に投げる。
「あの娘たち、今から貸してくれないかな?」
「は……あ、いや、貸してくれっていったい――」
「ん、レンちゃんには許可取ってあるからさ。あの娘たちって保秘の都合上、一応職員扱いでしょ? 交通フェス用の衣装が上がってきたから合わせてもらおうかなって」
「ちょっと待ってください課長! フェス用って、表に出さないって金曜にも打ち合わせしたじゃないですか」
「それがねぇ、事情が変わっちゃったんだよね。当日のバイトから五人もキャンセル出ちゃって、案内ロボットをレンタルしようにもなにせ日がないんだよね。幸いほら、なぜか衣装の準備だけは整ってるしさ。何もお客さんたちと組んず解れつしろって言ってるわけじゃないし、ね?」
――今日になってマジかよそれはないだろ課長勘弁しろください。
とミツルが頭を抱えるのも無理はない。三人娘をコンパニオンとして使う案は、ミツルが赴任する前に、すでに却下されていたはずだ。二ヶ月前に提案された直後、レンに「育成が先に決まってるだろバカ」と一蹴されたはずなのだ。それが今日になって準備万端に息を吹き返したわけで、まさに突然のゾンビアタック。これぞ正面から正々堂々のだまし討ちだ。
そしてトクガワ自身も触れていたが、三人娘は機密保持の観点から重機共々、自律型ロボットだという事実が伏せられていた。コンパニオン機能は必要なデータを外挿すれば問題ないとしても、長時間の露出にはリスクがある。
不安を隠せないミツルに、トクガワ課長は手を揉みながら控えめな押し込みをかけてくる。
「あと二日でできるだけ手は打つし、取りあえず保険って事でさ。頼むよミツル君」
「衣装合わせだけじゃないですよね? 顔に書いてありますよ」
「うん、できればスチールなんかも欲しいかな」
「…………あぁもう、わかりました。貸すのは構いません。構いませんが、何かあっても俺の責任じゃないですからね」
「いやいや助かるよ。埋め合わせは今度、精神的にするからさ」
そう言ってニンマリと笑うトクガワに、ミツルは肩を落として三人を呼んだ。
***
――毎朝通っちゃいるけど、こんなに長くいたことはないな。
ミツルはコーヒーの再生樹脂カップを手に、居並ぶスポーツカーの群を見わたす。課長から聞かされたところによると、これらの車は全て、会社オーナーの私物らしい。このコレクションを展示するためだけに博物館を作ったというウワサもある。ミツルは会ったこともないが、きっと筋金の入ったマニアに違いないと確信していた。
「サクラちゃん、もうちょっと車にググッと寄ってくれる?」
「こうかな」
カメラマン役を勤めるユカリの指示に、サクラが赤も鮮やかなフェラーリ・F40のボンネットに両手をつく。その服装は純白のセーラー服。赤いラメ入りの襟や袖、そして丈の短いギャザースカートがキラキラと眩しく、ベレー帽のリボンにはイスルギ民警の金ワッペンが輝いている。脇で待機しているアオイやヒトミも同じような服装で、こちらはそれぞれ差し色として青と黄色が輝く。
結局のところ、課長の頼みである衣装合わせの方は、わずか数分で終了した。当たり前の話だが、彼女たちのスリーサイズは変化しない。だがしかし、後に控えていたスチール撮影はそうは行かず、もうかれこれ二時間は続いていた。トクガワは保険と言っていたが、だとすれば払わせる気は満々のようだ。
「もうすこし胸元見せてくれる? 具体的にはあと二度半ぐらいこっち向き」
「これでどう?」
「オッケー完璧。うーんチラリズムよねぇ」
胸元に隙を作ったサクラに対し、スチールカメラを抱えた作業ドローンが床付近まで降下。ユカリが着用端末越しにシャッターを切れば、続けて十数回のシャッター音が鳴る。
「チラって、こっちから見るとモロ見えだぞ」
低いショットならボンネットの曲線に隠れる部分も、ミツルからは丸見えだ。スポーツブラの灰色が、セーラー服の襟元からはっきりと覗く。
「いいのよ、このショットは平面《2D》用だから。はい次、立体《3D》スチル作るから周り下がって」
ユカリの指示に、撮影現場が機敏に配置を変える。
レフ板を支える多腕作業ロボット〈ひーくん〉と〈しーちゃん〉が四足のタイヤを操ってジリッと後退し、立体撮影用のドローン三機はモデルを取り巻くように展開。これらのロボットたちはどれも本職用ではない。ユカリがハンガーから巻き上げてきた重機係の備品だ。
「機材レンタルしなくて済むから助かるわ」
「技術班は怒り狂ってたけどな」
スワローの追い込み作業中に、いきなり機材を持って行かれた彼らの心情いかばかりか。少数精鋭の重機係技術班にとっては、作業ロボットやドローンは欠かすことのできない存在なのだが。
「大丈夫よ。あと十枚ぐらいで終わりだから」
「あと十分で〈チケット〉が失効するんだが?」
「そう思うんなら邪魔しないでね。だいたい、こっちは重機係と違って常に現ナマ稼いでるんだから。ほら、邪魔するならそこで写真でも見ててよ」
ぼやくミツルを、ユカリが正論で撮影現場から蹴り出した。
現ナマを稼ぐという彼女の表現に偽りはない。ここで撮られた写真はカレンダーやポスター、VRイメージとなって直近の収益を上げるのだから。
ミツルが映像確認パネルを見れば、スバル・インプレッサWRC2006レプリカに手を添えたアオイやら、ランボルギーニ・ムルシエラゴのリアに腰を下ろしたヒトミやらがアルバムで流れていく。これを買う客がはたして何を目当てにするかはともかく、クラシックスポーツカーと美少女の組み合わせが古今東西最強の商品価値であることに疑いの余地はない。少なくとも男性にとってはそうだ。
それらを何気なく眺めるうち、ミツルはやがて微妙な差異に気付く。
「……ポーズが違う? いや、どっちかって言うと――雰囲気か」
かつてはセミプロだったと語るユカリは、人物写真に関して課内一の腕を持つ。そんな彼女の写真は単にセクシーなだけではない。門外漢のミツルですら気付くほどに雰囲気があり、そして被写体ごとにそれが違う。アオイの写真は直線的でキレがあり、ヒトミはおっとりしたかわいさが強調される。いま上がってきているサクラのものは、いずれも活動的で大胆だ。
――この差はいったいどこから……
『〈特殊貸借一次書類〉が失効しました。速やかに機材を返却してください』
施設管理エージェントの声が手近の案内板から流れ、時を置かずにロボットたちが撮影機材を床に置く。ハンガーへ戻っていくプラスチックの背中を、なんとか撮影を終わらせたらしいユカリが、腰に手を当てて見送る。
「あと十分ぐらい余計に取るんだったかな」
「もう充分だろ。〈チケット〉の悪用はコンプラに怒られるぞ」
〈特殊貸借一次書類〉とは、総務部が発行する電子証明書だ。申請すればおおむね即時発行。貸借に関わる事務手続きは二十四時間以内ならいつでもよく、これによりイスルギ民警内での装備人員の貸借はかなり効率化されている。
「ところでこの写真、どうやって構図やポーズを決めるんだ?」
「カンかな……って冗談よ。まぁ強いて言えば観察ね。この娘たちにも個性ってあるから、そういうのを活かしたのよ」
「個性。識別用のカスタムスピーチとか?」
「それって語尾とか話し方のこと? そういうのは上辺の個性に過ぎないわ。そうじゃなくて、うーん、強いて言うなら人柄、かしら。私は普段から観察してるの。例えば、座るとき足を組んでるとか開いてるとか、ヒジついてるとかどこ見てるとか。人の素直な個性を活かすことで写真は輝く。って高校の先輩の受け売りだけどね」
波打つポニーテールを照れ気味に触るユカリに、ミツルは微笑みながらコーヒーをすする。そしてふと思い立ち質問を続けた。
「ちなみに、ユカリさんにはあの三人どう見えてる?」
「そうね…………サクラちゃんは元気で素直だけど人見知り。アオイちゃんは規則を守るけど、どこか気弱ね。ヒトミちゃんはどっしり構えてるけど実は目移りが激しい、かな」
「その言い方、まるで人間みたいだな」
「私は人間だと思って見てたけど、ミツル君は違うの?」
その一言が、ミツルの頭の中で直感に変わって弾けた。
「…………そうか、そうだな。ありがとユカリさん」
「うん? 何のことかわかんないけど、役に立ったならどういたしまして。あ、よかったら手伝ってくれる?」
撮影機材をカートに乗せるユカリを手伝いながら、ミツルは考えを組み直しはじめていた。
――ワットマンテストはあくまでも論理レベルの評価。人間のペーパーテストと同じで、事実の一側面を見てるだけだ。論理テストの成績はひとまず置いて、ユカリの観察のようにもっと単純な角度から捉え直してみるなら。いや、むしろテストは……
――何にせよ、手っ取り早く確かめる術は……あれしかない。