6.イン・ア・テスト
〈イスルギ〉
市としての正式な名称は新石動市。埼玉県川口市に次ぐ二十二番目、指定が解除された都市まで含めると二十七番目の政令指定都市である。二〇六二年一月における人口は約六十七万人。数字だけで見ると大したことはないが、日本全体の人口が減り続けている昨今、これはかなりの大都市と言っていい。
この都市の特筆すべき点はふたつ。ひとつは都市全体が太平洋上に敷設されたメガフロート、つまり人工島であるということ。もうひとつは、行政も含めて公的なサービスが、ある企業グループのもとに広範囲で民営化されているということだ。イスルギ民警もその一部であり、警察組織のうち捜査権を必要としない交通業務や警備活動などを委託されている。
ミツルが民警に入社して二年。彼はつい最近まで、交通課の一員として給料分の働きをしていた。だが、いかなる運命のイタズラか、この一週間で彼を取り巻く環境はガラリと変わった。
以前とは全てが違う職場で、今日も彼の一日が始まるのだった。
***
広報三課・次世代重機開発係の広大な格納庫。オフィスであるプレハブ小屋の二階に、ミツルの新たな仕事場がある。入って奥の一面を巨大なパネルスクリーンが埋め、その脇に彼の机型個人用端末。スクリーン手前には講義机が横に三つ並ぶ。
彼はこの部屋を眺めるたびに、オフィスとは別種の部屋を連想する。それは具体的に言って教室であり、そして事実、ここは教室でもあった。
「――よし、もっと具体的な例から入ろう。いいか三人とも、仮定だが今ここで路上窃盗が発生し、犯人が逃走を開始したとして……何かなサクラ君?」
「ここに路面はないよ」
「いい指摘だ。『今ここで』を無視して続けてくれ。さて事案が発生して犯人が逃走、被害者が負傷したとしよう」
「お言葉ですがティーチャ、路上窃盗事案、いわゆる『辻スリ』においての被害者負傷比率は全体のコンマ3パーセント以下です。そういったレアケースを想定された意図を教えてください」
「アオイ君、指摘ありがとう。路上窃盗事案ではなく強盗致傷事案に情報を訂正してくれ。そういった事案において犯人捕縛と被害者保護のどちらを優先するか、三人とも検討してみてほしい」
「はいティーチャ」
「ヒトミ君、何かな?」
「被害者を保護する理由はなんでしょうかぁ? 警察業務に携わる以上、再犯防止、法的制裁、窃盗された金品の速やかな返還を目的として、犯人を捕縛するという判断が常に優先されるはずですよねぇ。なぜ被害者の保護がそれと対の命題になるのでしょうかぁ?」
「ああそれは――」
スクリーンの前に立つミツルと、講義机に座った三体のロボット娘たちの授業は続く。
一方的に指摘を受けているミツルだが、もちろんそう仕組んでの事である。ティーチャは故意に間違う。なぜなら、ロボットである彼女たちに知識教育は必要ないからだ。欲しいのは疑問であり、それを産み出すプロセス自体。ここで試され、育まれているのは、彼女たちに搭載されたインターウェアの〈思考能力〉そのものだ。
この教育手法は、ミツルの知る限り唯一のものであった。しかし同時に、手間と時間を異様に食う方法でもある。本来ならば数ヶ月、あるいは年単位で行うプロセスなのだが、割ける時間は限られていた。
教育開始から四日が経過した日曜の午後。休日出勤のミツルは同じく休日返上となったレンのオフィスに呼び出される。
彼女はいつものようにパネルに向かい、そのまま後ろのミツルを問いただす。
「進捗を見せてもらったけど〈レベルシックス〉の++で足踏みって本当?」
「ああ、こんなケースは初めてだからな。まだ各々の特性だって掴みきれてない。正直に言えばあと一週間、いや十日は欲しいんだが」
「無理。……っていうか勘弁してよミツル君」
一心不乱に自身の課題、すなわち制御システムの改良に取り組みつつ、レンは疲労と不満の声を投げた。
「キミを呼んだのは、キミが〈アレ〉の開発に携わってたからなんだぞ? もうちょっと、こう、裏技的に〈ワットマン指数〉を上げる方法とか知らないのか?」
「無茶言うなよ。ゲームじゃないんだからそんなヒョイヒョイとレベルが上がってたまるか。だいたいベータ版相当の〈アレ〉を採用しておいて、一週間でティーチングをどうにかしろっていう方が非常識なんだよ」
係長たるレンは、スケジュール管理や予算折衝には厳格だ。一方で、部下とのやり取りは双方向かつフランクであった。反論も理にかなってさえいれば受け入れるし、提案されれば検討と返答は必ず行う。チームを組むミツルとは、すでに二日目からタメ口会話を応酬しあう仲だ。
「ふん、こっちだって内情を知ってれば〈Iris〉辺りで手を打ってたさ。でも説明したけど、彼女たちはすでに中央演算層に〈森澄リンク式〉を焼き付け処理されてる。今からインターウェアの交換はできないんだよ」
事がこじれた元凶。それは三人娘、すなわち重機自体に固定搭載された、特殊なインターウェア。
その名を〈森澄リンク式〉という。
ミツルが在籍していた九州総合工科大学の森澄研究室が作り出した、パイロット用途のインターウェアだ。いくつかの点で革新的とされる機能を持つが、反面、開発はすでに止まっている。研究室そのものが解体されて久しく、開発母体がもう無いのだ。
そんな胡乱な代物が搭載されている理由は、情けなくも消去法で選ばれただけだったりする。
「Smartsはもともと精密作業パイロットに向かない。白龍ウェアはブラックボックスだらけで得体が知れない。Irisは開発環境に難がありすぎる…………日本国内で唯一手に入る〈レベルセブン級〉ウェアだったのに、フタを開けてみたらこの様だ、と」
レンはキーを叩く手を止めると、ゴーグルごしに批難の視線を彼に向けた。
「正直なところ、早とちりだったと思ってるんだけど?」
ミツルは軽い憤りを腹に押し込め、レンを説得するべく言葉を費やす。
「今だって〈レベルシックス〉の++、そこいらのエージェントより遙かに高性能だ。これ以上を目指す必要がどこにある。自律行動なんかさせなくてもオペレータが付いていれば問題ないだろう」
「人形師が面倒を見るって? ハッ、お腹を押せば鳴く人形じゃ救命だろうが警察だろうが使えない。不測の事態に対し自律的かつ迅速、そして正確に対応できなければ意味はないんだ」
「そんなのインターウェアに求めていい性能じゃないだろ。人工知能だって所詮はプログラムだ。人間の代わりじゃないんだぞ」
「それこそ好都合。人間はミスをする生き物だけど、私たちが欲しいのはミスをしない存在なんだ。それに私の見立てだと、森澄リンク式の内側はプログラムって言うより……生物だろう?」
「……多層情報処理、意味データベース連結方式を生物って言うならな」
天才肌との会話で、予期せぬ所から反撃を食らうのはままあること。レンが突いてきたのは、森澄リンク式の最大の特徴であり、目下、時間を無駄に食いつぶしている最大の犯人。その内部構造についてだった。
「『自ら疑問を作り出すアルゴリズム』聞くだけなら大したことないけど、それを実動クラスのインターウェアにするなんて業界でもそう無い快挙だ。ただしそれと引き替えに、あのウェアは外部からの書き換えを受け付けなくなる。勝手にブラックボックス作っちゃうプログラムを、どう書き換えればいいって話だものね」
どこかうっとりとつぶやいたレンだが、賞賛の響きはすぐに苦いものに変わる。
「コンソールから内部をいじれない人工知能、それをスケジュールに嵌めて育成するには経験者のスキルに頼るしかない。キミは、そのスキルを買われてここにいるってこと、忘れないでね」
「それはわかってる。ただ……時間は必要だ」
「却下。時間はあと八十時間、それ以上は鐚一文あげないよ。フェスに実動状態で出せるようになんとしても〈レベルセブン〉評価を引き出して」
日本語が難しいと言っていた割に古めかしい言い回しを持ち出し、あとは用事もないとばかりに、レンは着用端末ゴーグルを下げて作業に戻る。
残されたミツルには、ただ黙って退出するより道はなかった。
***
教室に戻ったミツルは、机に座ったままじっとしている三人娘を後ろから眺める。微動だにしない彼女たちの中では、ワットマンテストと呼ばれる論理評価プログラムが走っていた。
〈ワットマン指数〉
それがミツルを苦しめている評価基準の名だ。人工知能の論理評価スケールであり、言いかえれば頭の良さというか、自由さと表現すべきものか。三十年代半ばに開発されて、いまではエージェントの性能指標として定着している。
その原理は比較的単純だ。
〈ワットマン素子〉と呼ばれる理論上の論理素子をランダムに増殖、連結させたときに、その集合が新たな論理段階に到達する規模を十段階で表しているに過ぎない。ワットマン素子は、大ざっぱに言えば人間の脳細胞を模倣した論理素子なので、脳の大きさ=知能の発達と捉えた値と考えればいい。
もちろん実際に当てはめるとなると、事はそう単純ではない。規模の予測は実際のエージェントの演算規模とは必ずしも一致しない。ロースペックのウェアが高い値を叩き出すこともあれば、その逆もありえる。テスト方法も基本的なロジックこそあるものの、テスト対象に合わせた調整が欠かせない。
また、理論上の値であるため、未だ到達されていない段階というものもある。特に〈レベルエイト〉以降がそうで、今もなお議論が交わされる領域だ。シミュレートで実現が予測されてはいるが、それを達成したインターウェアはまだ現れてない。
もっとも、今のミツルにはすべて関係のない話。なにせレベルエイトどころか〈レベルセブンの壁〉が、すなわち自律行動と論理ルールの理解という課題が立ちはだかっている。
「……評価変わらず。全員レベルシックス++。今日も落第だな」
スクリーンの表示をため息混じりに読み上げ、ミツルはテストを終了させた。
――おそらく今日みたいな授業を何度続けたところで、これ以上の成長を促す事はできないだろうな。
諦めにも似た直観をかぶりを振って打ち消し、ミツルはつぶやいた。
「なあ――お前だったらどうする? 俺はどう教えたらいい?」
それは独り言にもかかわらず、明確に誰かへと答えを求めていた。