F1 出航(SASURAI)
二木誠はこの世界が嫌いだ。
下校途中、あっという間に白い霧に包まれ、気が付いたら見知らぬ山の中にいた。
ひとりで迷い込んでから毎日毎日、この世界から帰ることばかり考えている。
最初は『迷い人』の村に連れて行かれ、そこで言葉と習慣と農作業を覚えた。
村での生活は楽ではなかった。
水なんて蛇口を捻れば出てくるものだと思っていたし、肉や野菜は買ってくるものだとも思っていた。
此処では水は井戸から汲み上げ、煮沸しないと飲めない。
肉が食べたかったら山へ狩りに行くか、牛や豚、鶏を育てなければならない。
野菜や穀物も種蒔きをして育て、収穫してやっと口にできる。
3年ほど経った頃、訪れた行商人に頼み込んで村を出た。
村を出れば元いた世界に帰る手掛かりが得られる気がした・・・いや、村の暮らしが嫌だったから、だ。
『迷い人』が現れるのは必ず『迷い山』であり、その『迷い山』があるカイアランドから出国する『迷い人』は殆どいない。
皆、誠が住んでいた村に留まっている。
何故なら『迷い人』は山に白い霧がかかったとき、異世界との扉が開かれるから、そのときに元の世界に戻れるかもしれないと思っているのだ。
だから『迷い人』は『迷い山』の近くにある村から離れられない。
この世界の文明は『迷い人』の知識が全てだった。
此処で言う「発明」や「発見」はみんな『迷い人』の元いた世界では当たり前のことばかりだ。
道具にしろ、料理にしろ、すべて『迷い人』の知識から作られている。
不便と感じるなら便利にする創意工夫をすればいいと思うのだが、この世界の人々は「次にやってくる『迷い人』が何とかしてくれる」と言って何もしない。
滅多に出会わない『迷い人』ということで誠はどの国へ行っても歓迎された。
『迷い人』の話を聞きたい土地の権力者が挙って晩餐会に誠を招待した。
行商人の仕事を手伝って貰える小遣い程度の賃金よりも、毎晩のように招待される晩餐会に出席したときに貰うチップの方が遙かに多かった。
1年も経たないうちに馬と馬車が買える金が貯まった。
誠は馬と馬車を買い、行商人の元を離れひとりで旅をするようになった。
行く先々で土地の権力者に出向き、誠が元いた世界の話をしたり新しい道具作りや新しい仕組みの相談を聞いたりしているだけで多くの収入を得られた。
ある権力者は馬車の乗心地が悪いから何とかならないかと相談してきた。
板発条を使った懸架装置を考案して職人に作らせたところ、あっという間に彼方此方で真似されてしまった。
特許を取っておけば良かったと後悔したが、そもそも特許なんて制度が何処の国にもなかった。
ある商人からは多額の現金を持ち歩いて旅をしなくてもいい方法はないかと相談された。
お年玉を貯めていた郵便貯金を思い出し、土地の権力者に共通の銀行を各地に設置するようお願いしてみた。
しかし国ごとに異なる通貨単位を調整することができず、それぞれの国に限ってだが教会が手数料を取って為替取引のようなことを始めてくれた。
此は此で便利になったが、国境を越える際には現金に戻さなくてはならないため、その現金を狙う山賊が国境付近に集まってきてしまった。
相談を受けるだけでなく情報収集も欠かさなかった。
元いた世界に帰る手掛かりを探すことが旅の目的だが、どの土地でも「元いた世界に帰った『迷い人』は誰ひとりいない」という話しか聞けなかった。
この世界に迷い込んでから既に10年が過ぎていた。
誠は北にあるオーダという国の城下町で魔道具を扱う店を構えた。
オーダには温泉がある。
長い旅の間に何ひとつ元いた世界に帰る手掛かりが得られず、深い絶望と疲労感が続いたのでとても休みたかった。
だから温泉のあるオーダに落ち着くことにしたのだ。
魔道具屋は儲かった。
旅をしていたときに出会った権力者の伝手で安く魔道具を仕入れ、そして市価よりも安く売った。
魔道具の品質にもこだわった。
安くて良いものだけを扱っていたら自然と客がやってきた。
結婚もした。
相手は付き合いのあった商人の娘だ。
子供も生まれ、商売は順調。端から見れば何不自由なく幸せな暮らしをしているように見える。
しかし誠は納得していない。
「元いた世界の方が絶対に暮らしやすい」
街から一歩外に出れば魔物に怯え、魔法という訳の分からない力が幅をきかせている。
人は無気力に思え、いつまでたっても国は発展しない。
これは『迷い人』に知識を頼り切っているせいではないのか?
旅の間に得た情報では「初めてこの世界に迷い込んだ異世界人」は魔族だという。
魔族が『迷い人』に頼る習慣を作ったのではないのだろうか。
旅をしていたときに唯一訪れたことのなかった国が魔族の国『ラバト』だ。
自ら「魔族」と名乗る怖い種族の国、というイメージがあって避けていたのだ。
もしかしたら『ラバト』に行けば元いた世界に帰る手掛かりが何かあるかもしれない。
手掛かりがなかったとしても魔族が何故『迷い人』に頼る習慣を作った、若しくはそういう習慣を持っていたのかが分かるはずだ。
店を妻と子供に任せて誠は『ラバト』へ旅立った。
仲が良いひとりの魔道具商のお陰で魔族の国への入国許可はすんなりと貰えた。
普通はなかなか貰えないものらしい。
想像していたのとは違い、魔族は頭に角が生えている訳でもないし人の生き血を啜っている訳でもなかった。
見た目は人族と何ら変わりがない。
食べる物も生き血を啜っている訳でもなく、至って普通の食事だった。
異なることと言えば全員が長寿で100歳、200歳ではまだ若者なのだ。
そして驚いたのは最初にこの世界に迷い込んできた人々がまだ生きているということだ。
なんでも魔族の村が霧に包まれ、晴れたらこの世界に来ていたらしい。
だから正しくはこの世界に最初に来たのは「魔族の村」だ。
魔族は魔法が使える。
魔法が使えるので魔道具は必要がない。
一部の魔族が魔道具を作り、人族に売っている。
最初は魔道具商から紹介された魔道具職人の家に世話になった。
ただ居るだけでは申し訳ないと、魔道具を買いに来た人族との仲介を申し出たところ人族の相場よりもだいぶ安く買い叩かれていたことが分かった。
人族の商人と交渉して適正価格での取り引きを行うようになると職人の取り分が多くなり、他の魔道具職人も誠に人族との仲介を頼むようになった。
何時の間にか誠は人族の商人との取り引きを一手に引き受ける立場になり、魔族との間に信頼関係ができてきた。
魔族と人族との取り引きには通貨は使われない。
魔族は金に興味がなかったので穀物や塩、香辛料と言った食料品との物々交換だ。
しかし肉や魚と言った生鮮品は魔族の国に持ってくるまで時間がかかり傷んでしまう。
魔道具職人に運搬できる冷蔵庫のようなものは作れないかと相談したところ、出来上がったのは『魔法の鞄』だった。
流す魔力に応じて容量が増やせ、おまけに中に入れた物の時間が止まる。
大きさはボストンバッグ程度だったが魔力さえあれば馬車2つ、3つ分の荷物が運べる。
最初は魔石を使って魔力を供給し、人族に使って貰うつもりだったのだが魔石の魔力が尽きた途端に魔法の鞄から中身が飛び出してしまう。
魔石には残り魔力の表示機能なんてものはないから魔力が尽きるタイミングが分からず、旅の途中で街道に荷物を打ちまけてしまう。
結局、魔法の鞄を使った運送業は魔力のコントロールができる魔族が行うことになった。
魔族は運送業に協力的だった。
何せ自分たちの食料を運ぶのだから嫌がる訳がない。
誠が窓口になって人族の国々に魔族の運送屋を派遣し、多くの魔道具と引き替えに肉や魚、穀物に野菜、塩、香辛料を運んだ。
人族は貴重だった魔道具が庶民でも手に入るようになり、魔族は不足がちだった食料が豊富になった。
魔道具を売るだけではなく人族から頼まれて荷物を運ぶようにもなったため、魔族は多くの現金を得ることができるようになり、繁栄していった。
この成果により誠は魔族の王から「名誉魔族」となり男爵の称号を授かった。
屋敷が建てられ、魔族の議会に参加するようになると誠はオーダにいる家族を『ラバト』に呼び寄せた。
異世界に迷い込んだときは中学生だったのに、誠はもう初老と呼ばれる年齢になっていた。
魔族の王、魔王とは直接面会もできる立場になった。
最初に迷い込んできた異世界人のひとりである魔王に聞きたいことは山ほどあった。
誠は思い切って魔王に面談を申し込んだ。
「魔族は元いた世界に戻りたくはないのでしょうか?」
魔王の答えは「帰りたい」だった。
この世界では『迷い人』の殆どが元の世界に帰りたいと願っている。
それは魔族と言えども例外ではなかった。
帰りたいと思わないのはこの世界で生まれた人だけだ。
「どうすれば帰れるのか、帰る方法を探してほしい」
不思議なことにこの世界で生まれ育った者は創意工夫をしない。
これは魔族のせいではなかった。
魔族も「初代」は創意工夫をしてこの世界で暮らしていた。
その傾向は2世、3世と世代が進むに従って強くなっている。
おかげで「新しい文明は山から下りてくる」といって文明が発達しない。
つまり迷い込んできた異世界人任せなのだ。
誠は『迷い人』だから新しい方法や、今まで誰も気付かなかった方法を考え出せると魔王は思ったのだ。
誠は考えた。
昔、誠が住んでいた『迷い人』の村では白い霧がかかったときに異世界との扉が開かれるから、その時に元の世界に戻れるかも知れないと言われていた。
確かに『迷い人』は例外なく『迷い山』からやってくるから、そこに手掛かりがあるのではないかということだ。
そこでしばらく『迷い山』に滞在して、白い霧がかかるのを待ってみた。
頻度は不定期だったが、多いときで1、2か月に1度。少ないときは年に1度くらい白い霧がかかる。
白い霧がかかっているときに何度か山の中に入ってみたが、いくら歩き回っても元の世界に戻ることはできなかった。
しかし白い霧がかかる度に異世界人が迷い込んでくる。
誠は何度も『迷い人』に接触して『迷い人』の村へと案内してやった。
ふっと自分が異世界に来たばかり頃、慣れない生活で苦労をしていたことを思いだし、『迷い人』の研修施設を作って言葉や習慣を教え、早くこの世界に馴染ませてやろうと考えた。
早速『迷い山』のある国「カイアランド」の王様に頼んでみた。
王様は何処の誰が迷い込んでくるか分からない『迷い山』で自国民を働かせることが嫌だったのだろう。
「施設の維持管理は魔族が行うこと」が条件で研修施設を作ってくれた。
魔王には「元いた世界に帰る手掛かりが得られそうだ」と話したところ、快く了解して魔族を「カイアランド」に派遣してくれた。
次に思いついたのは「ここは異世界ではなく、遠い宇宙の果てなのかもしれない」ということだった。
空には2つの太陽がある。
天体観測を行ってこの星が何処にあるのかを調べた。
同時に多くの『迷い人』に聞き取り調査を行って、各人のいた世界とこの世界との違いを纏めた。
この世界には季節がない。
1年中、同じ時間に陽が昇り、同じ時間に沈む。
おまけに決まり事のように10日に1度、雨が降る。
植物は何でもよく育つ。
季節が変わらず、雨も一定量が降るので不作はない。
種を蒔けば、蒔いただけ作物が収穫できる。
誠も還暦になっていたが、この歳になるまでこの世界のことをこんなに詳しく調べたことがなかった。
どの世界から来た『迷い人』も異口同音に自分のいた世界とは似てて非なると言っていた。
一体、ここは何処なんだ?
自転はしているようだが、星も毎晩同じ位置に現れる。
月はない。
「此処は人工的に作られた場所」
そう仮定すれば合点がいく。
日照時間も、絵に描いたような星の配置も、何処かでコントロールされていて、迷い込んでくる異世界人も誰かが送り込んでいるとすれば、此処は出口のない虫かごのような世界だ。
「『迷い人』の子孫を抹殺すれば元の世界に戻れるかもしれない」
彼方此方の世界で「採取」した『迷い人』を「繁殖」させることがこの世界を作った奴の目的に違いない。
ならば、その意にそぐわない人種は解放されるはずだ。
この結論に辿り着いたとき、誠の額から大量の汗が噴き出した。
「僕は何て残酷なことを思いついたんだ!」
誠の妻や子供も殺さなくては元の世界には帰れないということだ。
既に人生の黄昏時を迎えていて、元の世界で過ごした時間よりもこの世界で暮らしている時間の方が長い。
そんなことをしてまで元の世界に帰ってどうするんだ?
誠は書いたレポートを引き裂いて捨てた。
もう少しこの世界のことを調べよう。
何処の誰がこの世界を作ったのか。
そして作った目的は何なのか。
魔王に話をするのはそれが分かってからでいい。
しかし魔王は動き出した。
魔族に「『迷い人』とその子孫を全て滅せ」と命令したのだ。
食料の取り引きを通じて人族の国々と仲良くしていたのに!
誠は慌てた。
レポートは破棄したし、途中経過すら誰にも話していない。
何故、魔王はそんな命令を出したんだ?
魔王は誠の頭の中に使い魔を忍ばせていた。
それに誠は気づいていない。
レポートを提出せずとも誠の考えは逐一魔王に報告されていたのだ。
此処にいては誠とその家族も魔族に殺されてしまう。
幸いにも全ての魔族が魔王に賛同していたわけではなかった。
特にこの世界で生まれ育った魔族と人族との混血たちの殆どは「迷い人とその子孫を全て滅せ」という魔王の命令が解せなかったのだ。
誠の世話をしてくれていた魔道具職人も戦争反対派だった。
彼の協力の下、誠は家族とともに『ラバト』を逃げ出した。
やがて魔族は2つに分かれ、魔王の命令に従う者は人族と戦争を始めてしまった。




