D9 昨日までの顔
お城のテメキュラの間ほどではなかったが、それなりに広い部屋に案内された。
テーブルには10人くらいの人が座っている。
「今夜は一族の者しかおりませんので、気楽に食事を楽しんでくだされ」
「はぁ、ありがとうございます」
勧められた席に座ったが金髪さんと雛の席がない。
「あの、セーラとコーメの席は?」
「私たちは一ノ瀬殿の護衛だ。ここに立っている」
「一緒に食べないの?」
「私たちは客ではないからな」
「セーラんちは侯爵だったんじゃなかったっけ?」
「今はただの護衛兵だ。家は関係ない」
「ふーん」
なんだよ。結局、ひとりで来たのと変わらないじゃないか。
「では、改めて挨拶いたしましょう。私は現レッシュ侯爵家当主、ジャン・ポール・レッシュです。一ノ瀬殿には気軽に『ジャン』と呼んでいただきたい」
「そうですか。ではジャンさん、よろしく」
「これが孫娘のヴェローニカ・レナータ・レッシュ、『ロニー』とお呼びいただいて構いません」
「こんばんは、ロニーさん」
ロニーは立ち上がり、スカートの裾を指で摘まんで会釈してくれた。
昨夜も会った・・・うーん、会った気がする。
「アレはロニーの母親でマルジョレーヌ、これは私の娘で・・・」
ジャンじいさんはこの場にいる一族を全員紹介してくれたが、頭脳活性を発動していないと顔と名前が覚えきれない。
覚える気もないんだけど。
「一ノ瀬殿も我が一族に自己紹介していただけぬか?」
「わかりました」
俺が立ち上がると視線が一斉に集まった。
この家は豪華で隅々まで行き届いてるからアレにするか。
「私の名前は一ノ瀬紀之、5日前にこの世界に迷い込んできた日本人です。日本では昔から家を建てるというのは一世一代の大事で、お金持ちは自分の家に惜しみなく金をかけていました。新築したと言えば、1度はお邪魔して家を誉めて差し上げるのが礼儀と申し上げまして・・・『与太郎、おい、与太郎!』、『ふん!』、『ふんじゃねぇ、お前だってもうはたちじゃねぇか』、『いやぁ、はだしじゃねぇ、下駄履いてきた』、『履物のことを言ってんじゃねぇ。歳のことを言ってんだよ』、『歳は・・・へへ、おとっつぁん、おれぁ、二十だ』、『二十のことをはたちって言うんだよ』・・・」
「あ、あの、一ノ瀬殿」
「『じゃぁ、三十はいたちか?』、はい?」
「私たちは一ノ瀬殿の話をお聞きしたいのですが・・・」
「あ、こうこう噺はお嫌いですか?では・・・」
「いや、そうではなくて・・・」
せっかく「牛ほめ」を御披露できると思ったのに。
まあ、全部演じたら料理が冷めちゃうか。
「一ノ瀬殿と当家の繁栄を願って、乾杯」
「乾杯」
ジャンじいさんが半ば強引に乾杯の音頭を取り、食事会が始まった。
出された料理はほぼフレンチ。名前もそうだし、フランス系の先祖がいるようだ。
「ジャンさんの先祖にも『迷い人』がいるんですか?」
「ええ。フランス王国から来たという『迷い人』がいたという話が当家に伝わっています」
「フランス王国とは随分、昔の話ですか?」
「もう何代も前のことです」
昔から迷い人がこの地に来ていたのは雛のじいさんが日本から来たって言ってたから分かるが、フランス革命が起きるまでが「フランス王国」だとすれば200年以上も前から迷い人は来ていたのか。
・・・俺と同じ地球じゃないらしいけど。
「昨晩は一ノ瀬殿とゆっくり話もできませんでしたから、こうして食事しながら語り合えるのを楽しみにしてましたよ」
「私もまだこの国に来て5日ですから、知り合いも何もいません。そんな中、こうして食事に誘っていただき、嬉しく思っています」
「さあ、ロニーをよく見てやってくだされ。私が言うのもおこがましいのであるが、頭も良くて大変美しい顔をしております。当家の宝石と言っても過言ではありません」
「ははは、そうですね。でも、まだ幼い感じがするのですが」
「いやいや、もう16歳になります。立派な淑女ですよ、はははは」
16歳で「立派な淑女」ときたか。じいさん、孫娘が可愛くて仕方がないのかな?
「一ノ瀬殿はそのお歳で独身だとか。今まで御結婚は?」
「結婚はしたことがないです。御縁がなかったのでしょう」
「では、縁があれば結婚しても良いと?」
「ええ、まぁ」
ジャンじいさん、ズバッときたなぁ。
「では、ロニーとの出会いが一ノ瀬殿の言う『御縁』なのではないでしょうか?」
「はぁ、そうっすね」
ゴンっ!
後ろから椅子を蹴られた!
振り返ってみると金髪さんが横を向いている。
何なんだよー。
「こうしてサン=ジョルジュ侯爵家のお嬢さんを護衛につけるとは、王様も一ノ瀬殿を認めている証拠ですな」
ジャンじいさんも俺の後ろにいる金髪さんをチラッとみて、ニヤリとした。
あれ?サン=ジョルジュさんちも侯爵家だから、もしかしてレッシュさんちとはライバル関係?
「たまたま、セーラが選ばれたのではないですか?」
「ははははは、あの王様だってサン=ジョルジュ侯爵家の者を、たまたまで一ノ瀬殿の護衛に選ばないでしょう」
「いやいや、あの王様だったらありえるでしょう」
「ははははは、一ノ瀬殿は愉快な方ですな」
ほう、愉快な方ときたか。では「牛ほめ」に引き続き「子ほめ」を披露するとしよう。
「あのー、『灘の酒』ってどんなお酒だか分かりますか?」
「お酒ですか?葡萄酒と蒸留酒が用意できますが、何方がお好みですか?」
「あ、では蒸留酒で」
「一ノ瀬殿に当家の蒸留酒をお出しして!」
『灘の酒』と『無料の酒』の聞き間違いから入るから、『灘の酒』が分からないと「子ほめ」の面白さが伝わらないな。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
スニフターとデキャンタが運ばれてきてジャンじいさんが注いでくれた。
此処でも蒸留酒とはブランデーのことだった。
酒を頼むと葡萄酒かブランデーで、この国では葡萄の酒しか造っていないのか?
麦があるんだからビールやウヰスキーも造ればいいのに。
「良い香りですね」
「私どもの領地では良質な葡萄が取れるのでレッシュ家の酒は格別に美味しいですぞ、ははははは」
「他の酒はないんですか?」
ジャンじいさんの眉がピクッと動いた。
「私どもの蒸留酒はお気に召さなかったか」
「いや、そういう訳じゃないのですが」
「では、どう言った訳なのですか」
あら? ジャンじいさんは自分とこの酒に自信があるのか、他の酒に対してライバル意識があるのか。尾っぽを踏んじゃったかな?
「葡萄以外の原材料から造った酒はないのかな?って思っただけで、このブランデーは香りも良くて美味しいです。樽が良いのか、寝かせ方が良いのか、これはナポレオンクラスのブランデーですよ」
「そこまで褒めていただけるとは、恐悦至極ですな。ところで一ノ瀬殿は葡萄以外から造られる酒を御存知なので?」
「ええ、大麦からはウヰスキーやビール、玉蜀黍からバーボン、砂糖黍からラム酒とか」
「そ、それらの酒の造り方は?」
「いやー、私は専ら飲むだけでして」
「はぁ・・・。そうですか。そうであろうな」
ジャンじいさんは肩を落とし深い溜め息をついた。
じいさん、幸せが逃げちゃうぞ。
「・・・私たちは『迷い人』から拝借した知恵で酒を造っているのだ」
「拝借した知恵?」
「新しい酒を造るのであれば、その造り方を知る『迷い人』から教えてもらう」
「自分たちで考えたり、工夫したりすればいいじゃないですか」
「それよりも造り方を知る『迷い人』が来るまで待っていれば良いではないか」
「へ?」
何だ、この違和感は。創意工夫するより迷い人が来るのを待っている方が良い?
「私はウヰスキーという酒を知っている。それは『迷い人』が教えてくれたからだ。しかし見たことも飲んだこともない」
「話だけってこと?」
「ええ。その『迷い人』はウヰスキーという酒の話はするが、造り方までは知らなかった。だから此処にはウヰスキーがないのだ」
「ブランデーが造れるんだったらウヰスキーくらい、簡単に造れると思うんだけど・・・」
ジャンじいさんの眉がまたピクッと動いた。
「私は今日、ウヰスキーは大麦から造られていることを初めて知った。一ノ瀬殿は他の酒の原材料にも詳しい。当家に一ノ瀬殿がレッシュ家に来ていただければもっといろいろな酒が将来、造れるようになると思うのだが、どうだ?」
「ははは、レッシュ家の杜氏にでもなりますかな」
ゴンっ、ゴンっ!
今度は2回、椅子を蹴られた。
振り返ってみると、金髪さんが俺を睨んでいる。
まったく、何なんだよー! 言いたいことがあるなら椅子を蹴らずに口で言え!
「ロニーと婚姻して・・・そうだ、一ノ瀬殿は当家の婿になってくれないか? 一ノ瀬の名は残して構わない。ノリユキ・イチノセ・レッシュ。良い名だ」
「ノリユキ・イチノセ・サン=ジョルジュでも響きが良いがな・・・」
「ん?」
金髪さんが後ろでぼそっと呟いていた。
「ジャンさん、話が飛躍し過ぎですよ」
「ははははは、すまん、すまん。どうも年寄りは話を急ぎすぎるな」
「そうですよ。第一、ロニーが私と結婚する気があるのかどうなのかも判りませんし・・・、あ!」
しまった!ここでは、結婚に本人の意志なんて関係ないんだった!
「ロニーや、一ノ瀬殿のことはどう思っているんだ?」
「はい、一ノ瀬様は知識も豊富でお話も面白く、大変素敵な方だと思います」
「ははは、ロニーさんから見れば私なんて父親と同じくらいのおじさんでしょう。もしかしたらロニーの父親よりもジャンさんの方が私と歳が近いんじゃないですか?」
「いいえ、一ノ瀬様はお若く、魅力的な男性だと思っております」
「私はロニーさんよりも3倍長く生きていますよ。ロニーさんから見たらお爺ちゃんみたいなモンじゃないんですか?」
「いいえ。年上の男性は経験豊富で包容力がありますから大好きです。それに一ノ瀬様は突然、こちらの世界に迷い込まれてしまったのに、とても落ち着いていらっしゃるではないですか。そういう点でも好意を持ちました」
あらら。この子はファザコン?ジジ専?それとも枯れ専なのか?
ゴンっ、ゴンっ、ゴンっ!
3回目は3回、椅子を蹴られた。この法則でいくと10回目は10回蹴られるのか。
振り返ると金髪さんは顔を真っ赤にして睨み、歯軋りまでしている。
「どうかされましたかな?」
「いえ、何でもありません」
「ならば良いですが・・・何処ぞの家の娘は足癖が悪いと聞いておりますから、御用心召され」
「ははは、そうします」
「ギリギリギリギリ・・・」
おいおい、歯軋りの音がここまで聞こえてきちゃっているよ!
「それはそうと・・・ロニーも一ノ瀬殿に好意を持っているようですし、どうですかな?」
「いやいや。私はまだ魔法修行中の身ですので、結婚なんて・・・」
「そうでしたな。いやはや、じいは先が短いので話を急ぎ過ぎますな。失敬、失敬」
「一ノ瀬様、私は御爺様に早く私の花嫁衣装を見せてあげたいと思っています」
「へぇー、ロニーさんは御爺さん孝行なんだね」
「一ノ瀬様、私は御爺様に1日でも早く私の花嫁衣装を見せてあげたいと思っています」
「うんうん、今聞いた」
「一ノ瀬様、私は御爺様に明日にでも私の花嫁衣装を見せてあげたいと思っています」
「はははははははは」
もう笑うしかない。
しかし・・・よく教育されているなぁ。
「私を嫡妻にしていただければ側妻はいくらでも、一ノ瀬様のお好きなようにして構いません」
「ロニーは物わかりが良い、優しい娘だ」
「ははは、そうですかぁ?」
結婚前からお妾さんは何人いてもOKって言っちゃっているよ。まだ16歳なのに達観しているなぁ。
「一ノ瀬様は・・・獣もお好きだと伺いました。屋敷の外で会うのであれば獣人の・・・そ、側妻が・・・いえ、獣人でしたら愛人で・・・が、我慢いたします」
「おぉ、ロニーや。そんなに譲歩してまで・・・ううう」
ジャンじいさんが涙ぐんでいる。
其れより何より、俺が獣人好きって話が何処から出たんだ!?
ゴォーンッ!
「ごほっ!」
今度は重たい蹴りが背もたれに入って思わず咳き込んでしまった。
振り返ると金髪さんが蔑んだような目で俺を見ている。
おまけに隣の雛まで小さく首を横に振りながら変な目で見ている。
誤解を解かねば!
「いやいや、私が獣人を好きなんて何処から聞いたんですか?」
「昨夜もベッドに獣人を招き入れたとか・・・」
「それはないです! 一緒に寝ていたのはアンですから!」
「アン?」
「私が娘同然に可愛がっている犬です」
「い、犬? 一ノ瀬殿は犬と一緒に寝ているのですか!?」
「そうですよ。アンは私の腕枕で寝るのが大好きなんです」
「あぁぁ~」
ロニーが気を失って椅子から転げ落ちた。
「大丈夫ですか!」
すぐにロニーの母親が近づいて抱き起こしたが目が虚ろだ。
「あのー、回復魔法擬きなら使えるので、かけて差し上げましょうか?」
「い、い、いえ。結構です」
ジャンじいさんもロニーに駆け寄っている。
「ロニー、辛抱だ。辛抱するんだ」
「御爺様、私、私・・・」
「可哀想なロニー。そのような御趣味の殿方の元へ・・・」
「我慢だ。辛抱だ。耐えるのだ!」
俺に聞こえないようにと、ぼそぼそ喋っているが、超感覚を使わなくても聞こえているぞ。
「あのぉ、私とアンは皆さんが思っているような関係ではなく、父親と娘みたいなモンなので・・・」
「ははははは、はは。い、一ノ瀬殿がそう申すなら、そ、そうなのであろう。な、ロニー」
「・・・はい。御爺様」
こりゃ、朝食会にいた誰かが事実をひん曲げて噂を流しているな。
何処のどいつだ!?




