心の傷
アレル、スコット、ボルテが南の大国サイロニアを目指して何日か経った。魔族はあの手この手でアレルを味方に引き入れようとしていた。そして今も――
「アレルよ、おまえは風を操るのが得意のようだが風の属性を持つこの私を倒すことができるかな?」
「……………」
その時、アレルとその風を操る魔物の遥か上から、ざくっと何か斬れるような大きな音がし、巨大な岩が凄まじい轟音を立てて魔物を下敷きにした。アレルはカマイタチで上部にある崖の突端を切り取り、魔物の上に落としたのである。
「さ、行こうぜ」
「相変わらずすごいね、君は」
「魔族って何であんなに単純なんだろうな。俺はたまたまカマイタチをよく使っているからって風の属性の魔物で対抗してくるなんて。落盤にはあっさり弱いじゃないか。そもそも俺は自然現象全て起こすことができるってのに馬鹿なことを」
「どうして君はカマイタチが好きなの?」
「火も水も大地を使った攻撃も、その場の条件に合ってないと使えない。その点、風ならどこでも起こすことができる。この世界に空気のないところなんてないんだからな」
「そうだね。そんなところがあるとすれば水の中くらいかな?」
「水中戦はまだやったことないな。そんな時があったら敵さんまとめて渦潮で沈めてやるぜ」
その日の夜、アレル達はいつものように寝ていた。アレルとボルテはぐっすり眠っていたが、スコットは悪夢にうなされていた。それまでは疲労の為、夢を見ることもなかったが、奴隷生活から解放され、アレルとボルテと共にいることで安心感が出てきたのである。祖国を滅ぼされた時の記憶、大勢の家臣や兵士達が殺され、女達はもっとひどいことをされていた。殺戮に気分が高揚した帝国の兵士達。それはスコットが生れて初めて見たおぞましい光景だった。今でも嘔吐したくなるほど気分が悪くなる。しかしショックを受けている暇もなく、スコット自身も帝国の奴隷にされた。牢屋に入れられ、手枷、足枷をつけられ、毎日のように打擲される。牢番の気分次第でいくらでも傷だらけになり、精神がおかしくなりそうな日々。そんなある日、叛乱軍への見せしめとして母親である女王が――
「やめろ!やめろ!母上ーー!!」
スコットは絶叫を上げて飛び起きた。呼吸は乱れ、汗をびっしょりとかいている。その叫び声にアレルとボルテが起きないはずもなく、二人共心配そうにスコットを覗き込んだ。
「…うっ…うっ…」
泣いているスコットにボルテが近寄り優しく寄り添う。アレルは黙って焚き火に火をつけた。そしてスコットに水を差しだした。
「大丈夫か?飲めよ」
「あ、ありがとう…」
しばらくスコットはすすり泣きをしていた。その間アレルもボルテも黙っていた。やがて、スコットがぽつぽつと話し出す。
「僕の母上は処刑された。僕の目の前で!皇帝はわざと僕にその光景を見せつけて楽しんでいた!母上は普通のやり方で処刑されたんじゃない!あんな――あんな――」
スコットは涙にむせかえり喉がつまるような感じだったが、なんとか言葉を絞り出した。
「あれは…あれは…女性に対して最も残酷な仕打ちだ…その仕打ちをされた挙句母上は殺されたんだ…」
「女性に対して最も残酷な仕打ち?」
それまで黙っていたアレルは急に顔色を変え、その表情は険悪なものになった。
「ま、まさか…」
「アレル、君もみたことがあるのかい?女性が…その…乱暴されるところを」
アレルは嫌悪感でいっぱいの表情を浮かべた。
「…俺が甘かった…あの国では女性にひどいことをする奴があれだけいたのに、そいつらの親玉である皇帝までしないわけがない…でも、仮にも女王である人にまでそんなことをするなんて――!!」
「…皇帝は、母上の女王としての誇りを全て奪い去ってから、女性として最大の屈辱を与えてから処刑してやると言っていた。僕はその時まで全く何のことか意味がわからなかった…母上…あんな…あんな死に方をするなんて…うっ…うっ…」
「やっぱり殺しとけばよかったな、あの皇帝。しかもまだ子供のおまえにそんな光景を見せるだなんて!」
「アレル、君は知っていたんだね」
「…ああ…おまえと出会うまでに何度もそういう光景を見てきた…あの国は完全に間違っている。女性に対してあんなことをするなんて…っ!」
「…奴隷生活の中で聞いたけれど、ああいったことは別に珍しいことではないって言われたよ…」
「嘘だ!そんなの!絶対におかしい!あんなことは本来あってはならないことだ!」
「…うん、それはわかってる。あの手の犯罪に最も溺れている国があのヴィランツ帝国だってこともわかってる。あそこでは…男の僕ですらひどい目に遭わされたもの…」
そういうとスコットは再びすすり泣きを始め、そのうち大声で泣き出した。その泣き叫ぶ声と彼の身体の随所に見られる生々しい傷がどれだけの虐待を受けてきたかを物語っていた。ボルテはただおろおろするばかりで、アレルはスコットが泣きやむまで黙っていた。
「…悪いな。俺、こういう時どうしたらいいかわからないんだ。どんな言葉をかけてもおまえの心の傷を癒すことなんてできないし」
「ううん、いいんだ。君はあの悪魔のような国から僕を連れ出してくれたし、今でも僕を守ってくれている。それだけでも十分感謝しているよ」
「俺にできることはただありのままに接することだけだ」
「それでいいよ。僕は、もっと強くならなきゃいけないんだ。フィレン王国ただ一人の生き残りとして、いつかは国を復興させなきゃならない。こ、これくらいじゃくじけちゃいけないんだ。いけないんだよ。皇帝は僕の心を二度と立ち直れないようにする為にいろんなことをしてきた。でも、そんなことに負けちゃ駄目なんだ。強くならなきゃ、強くならなきゃ!」
震えながらそう言うスコットをアレルは痛々しいものを見るように見つめた。
「今はまだ無理すんなよ。ここにいるのは俺と馬のボルテだけだ。好きなだけ泣けばいいし、弱音も吐けばいい。無理して強がる必要なんて全くないんだぜ。サイロニアに着いたらちゃんとした良識ある大人達を探そう。サイロニア王がいい人だとは限らないけど、大きな国なら探せば一人くらいまともで頼れる大人がいるはずだ。スコット、おまえの身体の傷はまだまだひどいし、心の状態もそんなんだ。当分サイロニアで保護を受けて心身共に休む時間が必要だと思うぜ。普通、一回滅ぼされた国が復興するまでにはもっと長い年月がかかるんだ。焦るなよ。無理せず、大人になってしっかり準備を整えてからフィレンを中心とした革命軍の元へ戻りなよ。そして国を復興させて平和を取り戻すんだ」
「ア、アレル…!!ありがとう…!!」
アレルとしては、不器用ながらきごちなくスコットを慰めたつもりだったが、思った以上にスコットは感激していた。相手を傷つけずに喜んでもらえたのならそれに越したことはない。その後、散々泣き腫らしたスコットが眠りにつくと、ようやくアレルもボルテもほっとした。
「アレル、君はやっぱりいい子なんじゃない?」
「何だよ、ボルテまで」
「だって見ていてそんな感じがするんだもん。スコット、あんなに辛そうに泣いてたのに今度は嬉し泣きに変わっちゃったじゃない」
「たまたまこいつを傷つけるようなことは言わなかったってだけだよ。同じことを言っても人によっては傷つけてしまうことってよくあるんだ。その人にとっての『禁句』ってやつがあってね」
「まだ小さい子供なのにそんなことまで考えられるなんてすごいなあ」
「スコットによると、俺は薬か魔法で小さくなった大人かもしれないってよ」
「う~ん、どうかなあ。僕はやっぱりまだ子供だと思うけど」
「俺もそう思うんだけど、どっか違和感があるっていうか、なんていうか。俺って大人の知識も持ってるしなあ」
「君は確か記憶喪失なんだってね。他にもいろいろ不思議なことができるし…子供なのに大人の知識も持ってるってことは他の人の記憶でも混じってるんじゃないの?」
「いや、そんな感じはしないけどなあ。どんなに変な違和感があってもこれは確かに俺自身の記憶だと思う」
「それじゃ余計わけわかんないよ」
「いつか謎が解ける日がくることを願うしかないさ」
「スコット、もう大丈夫かな?」
「いや、心の傷ってのは一生消えない傷だと思った方がいい。特に幼い頃に受けた傷ほど深刻なんだ。俺より年上とは言え、こいつもまだ子供だからな」
「う~ん、心配だなあ」
「俺達にできることはただ見守ってやるだけさ。さ、そろそろ寝よう」
「うん」
アレル達は確実に南へ向かっている。サイロニアがどういう国か知っている魔族達がそれをおめおめと見逃すはずはなかった。アレルを甘く見ていた魔族達はとうとう本気になる――