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リコルド  作者: 夢野 幸
二部 第九章 縁起がよろしくない日にち
83/97

9-1


「は……手術の日に、控室に居てほしい、ですって?」

「無理を言っていることは承知しております。でも、フェネアンさんがいた方が、娘が安心できると思うんです」


 普段通りに仕事を片付け、トレートルを連れてジェナの元へ向かい、両親と入れ替わりで退室しようとしたとき。母親にそっと腕を掴まれ、そのまま流されるようロビーに向かうとそんな話をされた。フェネアンはトレートルを膝に乗せたまま真剣に耳を傾け、鋭くなってしまった目つきから逃げることなく、まっすぐに見つめてくる両親に、頭を掻く。


「あのですね……」

「お仕事があることは、解っているんです! ファルケ研究所の所長さんが、娘のお見舞いに来て下さるなんて……それだけでもとても光栄なことだとは分かっているんです」

「それでも私たちにとっては長らく待って、ようやく叶う手術になるんです。だから、だから少しでも娘を安心させてあげたくて……!」


 遮るよう、父と母が、ほぼ同時に声を高くする。そんな二人をなぜかフェネアンが宥める形になり、トレートルは自力で隣に空いている椅子に座ると三人を見上げた。いつもは強気で、最近少しだけ性格が丸くなってきている自分の所有者は、机に肘をつくと両手で頭を抱えてしまっている。


「……いつ、ですか」


 微かに聞こえた言葉に、トレートルはフェネアンの荷物の中からタブレットを取り出すと彼の前に出した。フェネアンは緩慢な動作で画面に指を走らせ、歯の隙間から低いうなり声を上げている。


「すいませんね……私自身が移動する際に、絶対に車を使いたくないもので。他の研究所との会議があったり、隣の大陸に行ったりする際、そこそこ時間がかかるんですよ。それで、手術の日程、予定時間などはどうなりますか」


 両親の表情がパッと晴れ、二人は机に身を乗り出した。フェネアンは静かな長いため息を漏らし、同時に肩を落としていく。


「幸いうちには、優秀な職員が多い。私が直接やらなければならないこと以外は、任せられる者が。……私の所有バンボルが勝手に、ジェナさんと約束を勝手に取り付けてからの縁です。出来る限りはやりましょう」


 恨めしそうな視線は受け流し、トレートルはぽろぽろと涙を流し始めたご両親にハンカチを差し出していた。


「ありがとうございます、なんと、なんとお礼を申せばいいのか……!」


 深く頭を下げ始めた両親に、フェネアンはほんのかすかに、舌打ちを漏らした。そんな彼にトレートルは苦笑するとテーブルに身を乗り出し、両親の肩に手を触れる。


「しゅじゅつのご予定を、おしえてください。ボク達は日程をちょうせい、したいんです。ですから、ね?」


 宥めていると少しずつ落ち着いてきたのだろう、顔を上げた。まだクスンクスンと鼻を鳴らしている奥さんの背を優しく撫でながら、父親が眉を寄せる。


「十日後です。手術自体は朝から始まり、お昼くらいまでには終わるそうで、次の日からはリハビリが始まると」

「そこまで、複雑な手術でもなさそうですな。十日後ですね、わかり……」


 タブレットに予定を書き込もうとしていたフェネアンの手が、止まった。覗き込んでみるとそこに予定は何も書き込まれておらず、ただ赤いマークがついているだけ。


「フェネアンさん?」

「あ、いや、なんでもねぇよ。判りました、十日後ですね。……トレ、行くぞ」


 一度軽く頭を下げ、立ち上がるとすぐに歩き始めた。トレートルも慌ててそれを追いかけ、ご両親の事を振り返りもしないフェネアンに首をかしげる。


「どうしたんですか? フェネアンさん」

「いんや、なんでもねぇよ。……ちぃっとばかり、縁起がよろしくない日にちだっただけさ」


 呟いた声は低く沈み、病院を出ると同時に煙草を咥えると、煙を揺蕩えた。





「シャル、こっちの書類を頼んだ。ミシー、ノイ、二人はこっちのプログラミングで柱になってくれ、パルフェはこっちの企画書を、オレはオイレの会議に参加してくる」


 翌日、所長室に呼び出された四人はフェネアンにそれぞれの書類を手渡され、ポカンと口を開けていた。いち早く回復したパルフェはすぐに部屋を飛び出したが、ミシーとノイは書類を握りしめたまま目を白黒させているし、シャルに至っては心の底から心配そうにフェネアンの事を見上げている。


「十日後、オレは一日研究所を空ける、恐らく電話連絡なんかも出来ない。それまでに終わらせておきたいもの、ある程度でも済ませておきたいもの。納期が迫っているものなんか言わずもがな、だ。それを手分けしてやってもらいたい。……オレの勝手な都合でお前たちに負担をかけること、許せ」

「しょ、所長! 当然のことです、オレ達が仕事をするのは当然の事なんですよ。どうして、頭を下げるんですか!」


 三人を前に、深々と頭を下げたフェネアンに対し、ミシーはグイグイと体を押して無理矢理に顔を上げさせた。覗き込んだ所長の目尻は痙攣し、口元はきつく結び過ぎて歪んでしまっている。


「なぁ、アン。お前に対する周囲の期待は、確かに大きいよ。大きすぎる、だけどさ、それをどうして一人で抱え込んじゃうのよ? て言う説教、オレが何度してきてると思う? ねぇねぇ?」

「シャル」

「オレは嬉しいよ、やっとお前から、任せて貰えて。よっしゃ、ミシー君、ノイ君。サッサと片付けて、こいつの仕事奪っちまおうぜ! 今まで散々無茶して来てんだ、それくらいは許されるって!」


 二人の背中を強く押し、部屋を後にしていくシャルに。フェネアンは手で顔を隠すように眼鏡を上げながら、小さく息を漏らした。


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