side アムール・アポートル
ビクリと何かが震え、フェネアンは思わず跳ね起きた。目の前にあるモニターは暗転しており、何事かとタブレットに手を伸ばすも、電源が落ちている。
さて何が震えたのかと首をかしげ、二の腕辺りが痙攣してようやくわかった。
「は、たった三日程度、研究部とプログラミングと、所長の仕事を掛け持ちしただけで痙攣をおこしてやがる。年は取りたくねぇもんだ」
右腕を軽く揉みながら欠伸を噛み殺し、時計を見上げた。タブレットの電源を入れると目頭を軽く抑える。
「いつの間に電源を落としたのやら……一時間近く寝てたのか」
室内を見回してみるもトレートルの姿はなく、寝起きでボーっとしている頭をはっきりさせようと煙草に手を伸ばした。ゆっくりとその煙を肺に呑みこめば、ツキリとこめかみの辺りが痛むのを感じる。
二十代の頃はそう苦にならなかった徹夜も、三十路に入った途端、体に重くのしかかる負担になるかと苦虫を噛みつぶした。すっかり冷たくなっているコーヒーの残りに口をつけ、背伸びをする。
ふと、廊下が賑やかなことに気が付いた。何事かと立ち上がる前にドアが勢いよく開かれ、今ここに居ないはずの職員が、息を切らし、肩を激しく上下させながら立っている。
「な、パル、アムール職員!」
「しょ、ちょ……」
上げた顔は紅潮しており、彼は激しく咳き込むと床に倒れ込んでしまった。フェネアンは舌打ちをしながらもパルフェの体を抱えあげるとソファに優しく放り投げ、コップに湯と氷を入れると口元に運んでやる。
「落ち着いて飲め、お前、なんでここに居る……あっつ!」
あまりに驚いたせいか煙草を咥えていたこともすっかり忘れ、ボロっと崩れた灰が手の甲に落ちてきた。慌てて灰皿に押し付けると、コップの中身を半分ほど飲み終えているパルフェに目を向ける。
まだ顔は赤かったが呼吸は落ち着いてきたらしく、なぜか泣き出しそうな表情でフェネアンを見上げていた。目を丸くしていると彼はソファから降りて正座し、床に額をつける勢いで頭を下げる。
それを見て更に、フェネアンは目を丸くしてしまった。
「お前、いったいなにをして」
「娘は助かりました! 本当に、本当にありがとうございます……!」
震える声で紡がれた言葉に、ヒュウと喉が鳴った。
「誰が漏らしやがった……」
「直接、聞いたわけではありません。ですが娘の事情を知っている上司というのは、所長しかいません。よかった、お礼が言えて、一体どなたが娘を救ってくださったのか、解って、よかっ」
「何を勘違いしてやがる。いいから顔を上げろ」
両肩を掴むと無理やりに顔を上げさせた。ボロボロと涙を流して眉をきつく寄せているパルフェの頬を手でバチンとはさみ、深く息を吐き出す。
「勘違いするな、てめぇが研究所にいる限り、このファルケ研究所でオレの下にいる限り、てめぇはオレの財産だ。オレのものだ、そのてめぇが、仕事に関係のないところでぶっ壊れようとしたら、そりゃあ原因を排除するわな」
眉間に刻まれたシワはナイフで抉られているのかと思うほどに深く、薄く開かれた唇から吐かれた声は普段時に聞けば、心臓を握られているように錯覚しただろう。
それでもパルフェはただ、自身の頬を挟み込むフェネアンの手を、緩く握っただけだった。グッと唇を噛みしめ、嗚咽を噛み殺し、凶悪な彼の顔をまっすぐに見つめ続ける。
「それにオレがいつ、お咎めなし。と言った」
顔を挟む腕に力を込めて立たせると、そのままソファにその背を押し付けた。自身は机に戻り煙草を燻らせ、中途半端だった書類に手を付ける。
「いいな、パルフェ・アムール職員。今後一年、ボーナスはカットだ。そして向こう一ヶ月、出勤を禁止。判ったか」
「しょ、しょちょう」
「異論は許さん、理解したなら早く失せろ」
犬でも追い払うように、シッシッと手を動かすフェネアンにパルフェは慌ててソファを立ち上がった。彼の正面にまっすぐに立ち、ボロボロと走った涙の跡を手の甲で荒く拭い取る。
「ありがとう、ございます……!」
「るっせぇ、さっさと行っちまえ!」
深々と頭を下げたパルフェに怒鳴りつけ、駆け出る彼の背を見送ると頭を掻いた。普段よりも舌打ちの音は大きく、空っぽになっているコーヒーカップを恨めしくにらむ。
「あぁ、所長会議用の資料をまた変える必要が出てくるか……本当、面倒な仕事ばかり増やしやがる」
あとで、トレートルにもキチンと事情を説明して手伝ってもらおうか。その前にもう一眠りしてしまおう。
小さく欠伸を漏らし、たった今読もうとして持ち上げた書類を机の上に放り直すとイスの背もたれにゆっくりともたれかかるのだった。




