1
雑貨店を後にしたフェネアンは、トレートルが淹れてくれたコーヒーにも手を付けないようにして自身が放り出していた仕事に向かっていた。普段よりも煙草が進んでいることにトレートルは首をかしげ、足元によると見上げる。
「フェネアンさん、なにかあったんですか? なんだかいつもより、ずっとご機嫌が悪く見えます」
「あ? あぁ。こいつの納期は近いし、所長会議用の書類も作り直さなきゃならなくなったからな。いらねぇ仕事を増やしやがって」
忌々しそうに舌打ちをしている彼は、トレートルの目にはやはり、いつもと違うように見えた。ふと何かが引っかかり、押し黙る。
自分は、フェネアンが抱いているこの怒りを、見たことがあるはずだ。
「……フェネアンさん、何かイヤなことがあったんですか」
「どうした急に」
「なんだか、自分に怒っているように見えるから」
殴りつけるようにキーボードの決定キーを押し、指を痙攣させ、フェネアンはトレートルを見た。ギチリとシワが寄る眉間にも動じないよう、トレートルはまっすぐに見上げ続ける。
「フェネアンさんは優しい人です、そして、それを全部背負ってしまえる、強い人です。とっても強くて、他の人からたくさん頼られてしまって、一人で頑張ってしまう人」
そう言うと、フェネアンはますます、シワを深くしていった。今まで向けられたことのない、敵意の籠った目でにらまれてしまい背が震えたが、言う機会は今しかないだろうと息を大きく吸う。
「でも、フェネアンさん。ボクのことくらい、頼ってください。何も出来なくても、お仕事のお手伝いは出来なくても、吐き出し口くらいにはなれます。いつかフェネアンさんが折れてしまいそうで、ボクはとても怖いんです」
「バーカ。オレがいつか、折れる? 戯言もいい加減にしておけよ」
「ボクはバンボルです、嘘は言えません、本当にそう思っているから言うんです。フェネアンさんだって当然知っているはずです、ボクは、思っていないことを言えるようにはできていないんです」
まっすぐと見上げてくるその目に、フェネアンは再び舌打ちをした。長いため息をつくと頭を掻き、今度はゆっくりと煙草を呑み始める。
「ホントお前、生意気なことばっかり言いやがる。……なに、やれることはやってしまったんだ、あとはうまく流れてしまうことを祈るだけさ」
すっかり温くなってしまっているコーヒーに手を伸ばしかけたとき、タブレットから音楽が鳴り響いてフェネアンは画面も見ないままにそれを受けていた。耳に当て、店から帰ってきてすでに五本目となる煙草に火をつける。
「はい、ファルケ研究所所長、フェネアン・アポートル……あぁ、先ほどは無茶を言ってすみませんでした。はい、そうですか、ちゃんとあいつ……五分ほど前にですね、ありがとうございます。面倒をかけました」
険しかった表情が、少しだけ和らいだように見えた。温いのを通り越して冷たくなってしまっているコーヒーを淹れなおしてやろうとカップを引きつつ、フェネアンの事を盗み見る。
「また何かあったら、頼みます。失礼します」
通話を終えると今度は、フェネアンの方からどこかに電話をかけ始めた。
「失礼します、私、ファルケ研究所のフェネアン・アポートルと申します。今からうちの職員がそちらからホイシュレッゲに向かうので、席を予約したいのですが。そうですね……具体的に、何時に搭乗できるかが判らないので、いくつか入れていただいてもいいでしょうか?」
単語を拾っていくとどうやら、空港に電話をしているようだった。フェネアンは頭を抱えてしばらく唸り、煙草を指に挟む。
「ありがとうございます、職員が来たら、一番近い時間に乗せてやってください。その後私は別の場所に連絡を取る必要があるので、電話をいただいてもよろしいでしょうか。はい、あぁそれで振り込みの方法は――」
何かお金に関する話が始まったな、と彼を振り返ると、新しい煙草を咥えて火を灯しているところだった。静かに煙を吐き出している彼にトレートルはポカンと口を開け、とりあえず淹れ終ったコーヒーを手元にそっと置く。
「――はい、確かに入金いたします。ではこれで。……あぁ、トレ坊、わるいな」
「いえ……えっとフェネアンさん、今日はやっぱり何か変です」
「またその話か」
「だってまだ煙草を吸ってるのに、また新しい煙草に火をつけちゃってます……」
トレートルが示している指の先へ視線をゆっくりと動かしていき、自身の指に挟まれている煙草と、新たに口に咥えて火をつけたばかりの煙草を交互に見た。長い長いため息と共に指に挟んでいた煙草を灰皿に押し付け、トレートルが淹れてくれたコーヒーを持ってドカリとソファに腰を落とす。
「こいつを飲んだらちょっと出かける、シャルにはガキどもの訪問の企画を放り投げてるから、なにかあったらタブレットに連絡をよこすよう伝えてくれ」
「わかりました」
落ち着きのないままコーヒーを飲み終え、半分ほども呑んでいない煙草を惜しそうに灰皿へ放り投げると、フェネアンは立ち上がった。




