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どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
いくら考えてみても、悔やんでみても、自責の念に押されても。やってしまったことは決して、消せはしない。
パルフェはぐったりと項垂れ、街灯や街中に置いてあるゴミ箱への衝突を繰り返しながら、やっとの思いで家にたどり着いていた。突然帰ってきただけならまだしも、死人のような顔をしている夫に、妻は慌て彼に駆け寄る。
「どうしたの、なにかあったの?」
「すまない……もう、研究所に、いられないかもしれない……」
か細い、虫の羽音ほどもない声に、彼女はパルフェの口元に耳を寄せた。顔をグシャグシャにゆがめ、頭を抱え込む夫のことを優しく包み込む。
「なにがあったの?」
「ボクは、取り返しのつかないことを……!」
その言葉を遮るよう、家の電話が鳴り響いた。慌てて立ち上がろうとする妻を制し、ゆっくりと立ちあがると重い足取りで電話の元に歩み寄る。
「はい……」
<モウェイルです、アムールさんですね。今すぐ病院に来てください>
それは、病院の先生からの電話だった。パルフェは体を緊張させ、声を潜める。
「先生、それは」
<娘さんの治療の話です、一刻を争う内容です>
短く、息を飲んだ。それから目を閉じ、帰宅前、所長に言われたことを口先で繰り返す。
――最初にかかってきた電話に従え――
彼は確かに、そう言った。どこからの電話か、その指定はなかったはずだ。
(これで、いいのだろうか。娘の治療について?)
<ご家族で病院にいらして下さい、いいですね>
「……わかりました」
絞り出すように返事をし、受話器を置いた。不安そうに眉を寄せている妻の肩へ、軽く手を乗せる。
「今から、モウェイルさんのところに行くよ。治療についての話だって」
「も、モウェイルさんから? でもあの子は今学校……」
「一刻も争うって言ってた、学校に事情を話して、早退させてもらおう」
その言葉に、彼女は深く頷いた。パルフェは車のキーを白衣のポケットに突っ込みながら、職員カードとタブレットをバッグに放り投げる。
(一体、何の話だろう。いい方向であってほしいな……)
そして所長命を、このように歪めて取ってしまったこと。
あとで起こりうるだろう叱責の嵐を思いながらも、パルフェは車を走らせた。
学校に寄り、先生に事情を話して娘を連れ、病院の駐車場に停めるのももどかしいようにしてドアに駆けこんだ。受付嬢もパルフェをすぐに院長の元へ通し、酷く息切れしている彼に水分を与える。遅れてきた妻と娘はそんな父を、心配そうに見ていた。
「落ち着かれましたか」
「すみません……。娘の治療の話とは? もしかして、移植手術を受けなくても、良くなった?」
急き立てるように話すパルフェの体を、妻はそっと抑えた。娘は不安そうに眉を寄せており、一度深呼吸をすると椅子に座り直す。
「いいえ、移植手術は必要です。娘さんの心臓の症状……突発性心筋症は、薬だけでは治療できない病気だということは、すでに説明しましたね。キチンと治すには、移植するほかないということも、病院がホイシュレッゲまで行かなければ、いけないということも」
目に見えて肩を落とし、不安な色を顔に張り付けていく夫婦に、モウェイルは長く息を吐き出した。カルテに手を乗せ、そのすぐそばにある封筒に指を掛ける。
「これは紹介状です、いいですね、時間は迫っていますよ。今すぐに出かける用意をして、空港に向かってください。これは決して紛失しないように」
「……え? でも……」
「ドナーとなりえそうな方も、すでに見つかっております。そのほかの心配も何もなさらないでください、この好機を逃せば、一体いつ娘さんの治療が出来ますか! アムールさん、私にとってもこれは、あなたに与えられるたった一度のチャンスなのです」
「あなた……!」
パルフェは息を飲み、肩に乗せられた妻の手をきつく握りしめ、モウェイルが差し出しているその封筒に手を伸ばした。壊れ物でも扱うかのように封筒を胸元に抱き寄せ、立ち上がる。
「しかし先生、いったいなぜ」
「私の口からは、言えません。たった一つ……独り言として言わせてもらうのであれば、あなたは恵まれている。それだけです、行きなさい、時間は限られていますよ」
その言葉に背を押されるよう。パルフェは頷き、戸惑いながらも家に向かうために、妻と娘を連れ車へ急いだのだった。




