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ちょっと長目です
普段からそんな顔をしているだろう、と言われればそれでしまいだが、フェネアンの眉間にはギチリとシワが刻まれていた。火もつけていない煙草のフィルターは無残にも食いしばる歯の餌食となり、もはや元の形が判らないほどにクシャクシャになっている。
近くある小学生の社会科見学の企画は、シャルの協力の元ほぼ完成。同時期に行われる予定であるセントラルでの所長会議――これは先日、リベレとの合同企画の会議の最中、グランから聞いて知ったのだが――は、遠征が面倒だということ以外、対して問題もない。セントラルからの依頼は、すでに終わらせている。
ではなぜ、彼が凶悪な表情になっているのか。その原因は、とある職員にあった。
「あんにゃろう……。さんざ人に仕事を教えろと言ってきておきながら、外で面倒を起こすたぁ大した奴だ……」
研究部所属の職員。以前プログラミングを教えている最中、操作を誤り、主電源を落としてフェネアンに吊り上げられた彼だ。その職員はプログラミングの他に、バンボルを組み立てる技術についても指導をしてほしいと懇願して来ていた。
フェネアンとしては教えを乞われてそれを断る理由もなく、職員たちが早く仕事を覚えて昇格していけば自身がより早く研究所を抜け出せる……可能性が上がる。ということで、一切の惜しみなく持っている知識を与えてきたつもりだった。
だが教えろと言って来た本人の集中力が持たず、プログラミングを教えればタイピングミスの嵐はまだ序の口。流石に電源を落とすことはなかったものの、エラーの続出、データの消去。挙句エラーからウイルスが発生しかけた時にはフェネアンが彼を押しのけてキーボードを叩き、慌てて対処したこともあった。
そして技術部でも似たようなもので、やはり集中できていないことからのミスが多発、とうとう今日は彼を強制的に休ませ、指導の間に少しずつ溜まってきていた自身の仕事を解消させようとしていた矢先のこと。
近くの雑貨店から、タブレットに直接、電話が来たのだ。
『ちょっと、フェネアンさんにはお世話になってきてるからことを大きくしたくないんだけど……おたくのところの職員さんが、うちの商品を万引きしててさぁ。話だけでも、聞きに来てくれないかなぁ』
その電話に見ていた書類を全て放り投げ、煙草とライター、タブレットだけをポケットに突っ込み、フェネアンは慌てて研究所を出て来たのである。
「あ、フェネアンさん。こっちこっち」
雑貨店に着くと、店長のおじさんがすぐに手招きをしてきた。店の奥にある部屋に通されると、イスに項垂れるよう座っている男性に目を吊り上げる。
言葉を掛けることもせず、フェネアンはいきなり胸倉を掴み上げると、職員を吊し上げた。店長のおじさんはそれに目を丸くしながら慌てて彼の腕を掴むが、そんなことではビクともせずに、フェネアンは唇を薄く開いて唸る。
「研究部所属、パルフェ・アムール職員……言い訳ぐらいなら聞いてやる、言え」
「ちょ、ちょっとフェネアンさん、落ち着いて」
「この行為がオレだけに迷惑を掛ける物ならば構わん、どんどんやれ。そうすりゃオレもファルケを辞めやすくなるし、不祥事が起きれば起きるほど上の連中もオレをここに在籍させておくわけにいかなくなるだろう。……だが」
腕に込められていく力により、服で首が締まっていったのだろう。顔を赤くしていくパルフェに店長さんはより一層慌て、フェネアンの腕を下に下げていった。大人しく力負けした彼は職員を床に投げ捨て、フィルターがクシャクシャになり果てた煙草にようやく火をつける。
「不祥事の内容によっては、オレだけじゃなく研究所全体に迷惑がかかると……研究所全体の責任問題になると、思わなかったか! この大ボケが! どうしてこんなことをした、サッサと理由を言え!」
「ふぇ、フェネアンさん。いくらなんでも無茶だ、少し落ち着いてからにしてやろう? な? ほら、あんたも落ち着いて、深呼吸して」
激しく咳き込んでいるパルフェの背を擦り、フェネアンに顔を向けながら店長さんはどうにかこの場を落ち着かせようと、まずは自分が深呼吸をしていた。彼が睨みつけている相手は万引き犯のはずなのに、なぜかその万引き犯を庇う形になっている自分自身に、苦い表情を浮かべてしまう。
「……ファルケに勤めてるなら、オレの気の長さは、知ってるよな」
唸り声に肩を震わせ、深く俯いてしまった。それでも唇を微かに開くと、かすれた声を出す。
「むすめが……」
「あ?」
「娘が、このお菓子を……欲しいと」
そう言う彼の背は、一層小さく見えた。フェネアンは煙草を捨て、新たに付け直そうとしてライターで遊び、頭を掻く。
「なら、買えばいい話だ。万引きをしていい理由にはならねぇし、不良時代のオレでも盗みはしなかった。……まっさか研究所で働いておいて、金がねぇなんか言わねえよな」
問いてみても、返事はなかった。黙ったままいる彼に、フェネアンは床をつま先で叩く。その音に背をビクリと震わせ、それでも深くうつむいたままだった。
「言わねえ、よな!」
「む、娘のためにお金が必要なんです!」
声を荒げると、彼も同じよう、声を張り上げて答えた。フェネアンは怪訝そうに眉を寄せ、咥えていた煙草を耳に引っ掛ける。眼鏡を軽く上げ、頭を掻いた。
「意味が判んねぇ。娘のために金が必要で、何で万引きになる。たったそれだけの菓子を買う金すらもったいないってか」
「娘が、病気なんです。臓器移植が必要なんです」
小さく、かすれた声で。フェネアンの言葉を遮るようにパルフェは言った。フェネアンはますます眉を寄せていき、険悪な表情に店長のおじさんは苦い笑い声しか漏らせないでいる。
「移植手術をするには隣の大陸に行くしかない、それに保険適用外の手術になるから、膨大な費用が掛かると、言われました。家を建てたばかりでローンを払って行かないといけない、今以上に働いて、稼がないといけない。そう思うと焦りばかりが出て、どうしていいか判らなくっ」
胸倉を掴まれ、体が持ち上げられていた。声も出せずにいると額に衝撃が走り、熱を帯び始めたそこに気をやる間もなく、目前にあるフェネアンの表情に戦慄する。
「――どこの病院だ」
「ひっ」
「いいか、お前は今からオレの質問に答え、それが終わったら電話があるまで家で待機だ。いいな、病院はどこだ」
「い、家の傍の……モウェイルさん、です」
「そうかよ。じゃあお前は自宅待機だ、一歩も出るな、それから、最初にかかってきた電話に従え、以上が所長命だ、いいな!」
怒鳴り、手を放すと、パルフェは震えながらも慌て店から飛び出していった。フェネアンは苛立たしそうに舌打ちをし、タブレットを取りだした。それから一度部屋を後にし、どこかに電話をかけ始める。
何と言っているかまでは聞き取れなかったが、最初に掛けた電話はファルケの言葉に間違いなかっただろう。だが次に掛けた電話、その次も、次も全く意味が判らず、別の大陸の言葉を話しているのだろうことは解った。
どこか焦っているような口調だな。と考えたところで、盗み聞きをしている気分になってしまい慌てて素知らぬ顔をする。
三か所目か四か所目の電話が終わったころに、ようやくフェネアンは戻ってくると店長さんを見た。
「うちの職員が迷惑を掛けて、すまねぇな」
「なんかもう、あの人に同情したくなってきたよ、フェネアンさん……」
これは大人しく、フェネアンにも連絡を入れずに、弁護士か何かを間に挟んで示談で済ませてやった方がよかったかもしれない。
そう思うほどにパルフェに同情してしまい、苦く笑う店長さんだった。




