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バンボルのコンピュータウイルス大量感染の騒ぎから、早くも二年が経とうとしていた。きっかけはたった一体のバンボルの、プログラムのエラー。それが大きな騒ぎになってしまった原因は、研究所を統括しているセントラルの総務局長の不在と、私欲に目をくらませた副局長率いる他職員の反乱。
それに収拾をつけたのが、現・ファルケ研究所所長であるフェネアン・アポートルと彼の所持バンボル、トレートル・セルヴォだった。大陸を渡り歩き、騒ぎを時には脅迫まがいの説得で、時には力づくで抑え付けていった結果。彼らの名は、研究所の間では良くも悪くも有名になっていた。フェネアンはそれに対しきつく眉を寄せて不服を表に出すが、他の職員から言わせてみれば「当然の結果」である。
これは後々、ランケ他二研究所がある大陸の新所長から聞いた話だが、彼らの研究所所長も反乱に加担していたにも関わらず、自身のように無鉄砲な職員がいたらしい。
バンボルへ故意にウイルスを埋め込んで、三つある必須条件の二番目、バンボル同士でのプログラム修復、改ざんの禁止を破壊。彼らに手伝ってもらって管轄区のバンボル達のバックアップを取っていたという。
その話を聞いたときにはフェネアンも、声を上げて笑ってしまった。
一日の職務を終えるころ、フェネアンは目の下にクマを作り、椅子の上に重い体を投げ出して机の上に足を乗せた。長いため息とともに彼の口から魂が昇って行っているように見え、トレートルは苦笑と共にコーヒーを置く。
「お疲れ様です、フェネアンさん」
「おう……。思いのほかハプニングだらけで、ハゲがハゲてた理由が分かる気がするわ」
研究部の部屋に入れば企画や依頼書について質問攻めにあい、技術部の部屋に入ればバンボルに対する質問、どのように調整すればいいか、これで依頼書に沿った動作が出来るかどうか。の質問で押し寄られ。
プログラミング室に入れば元々自身がいた部署だからと言うのもあるのだろう、どうしても入力済みのプログラムにある変な個所や、条件の順序に関して発生するだろうエラーが目に入り。マニュアル通り、一つ一つ資料で確認しながら入力していく彼らを押しのけて自身でキーボードを叩いてしまう。
「いや、でもあれうちの部署来たことねぇな」
「フェネアンさんが動きすぎなんですよ。バンボルのことになると、本当に一生懸命なんですから」
クスクスと笑みを漏らすトレートルにフェネアンは苦い表情をすると、コーヒーを口につけた。ほんのりと甘味が口の中に広がるそれに疲れが癒されていくようで、薄く目を閉じる。
「今日もシャルさんが言ってましたよ。またフェネアンさんが所長室にいない―って」
「だから用がある時には電話を鳴らせと言うのに。こんなところで腰据えて椅子に座ってるのは、性に合わないんだよ」
「ボクも想像できません」
「相変わらずチクチク攻撃してくるな」
「ボクはドール……バンボルですので、本当のことしか口に出せません」
そう言って、いたずらっ子のように笑うトレートルを見て。フェネアンは呆れたような、どこか楽しむような笑みを浮かべると一気にコーヒーを飲みほした。
三日ぶりに自宅へ帰り着くと、フェネアンはベッドの上に倒れ込んだ。髪も解かず眼鏡も外さないままに眠ろうとしている彼に、ベッドの足元に落としている荷物を机へ運ぶと、トレートルは小さな体を精一杯使って布団を引っ張り、ヘアゴムをベッド傍の棚に置いて眼鏡に手をかける。
「フェネアンさーん、眼鏡、外しますよー」
「おう……」
返事は聞こえるも、瞼はすでに閉じられていた。トレートルは眼鏡を外した後白衣を引っ張ると、それをイスに掛ける。眼鏡も目を覚ました時にすぐ取れるよう、棚に置いた。
三十一歳の若き所長、一人でウイルス騒ぎを収めた天才プログラマー。かの有名なエトリック・アポートルの一人息子、人々のために自分の身を顧みずセントラルと対立した青年。
フェネアンはそれらの肩書を嫌い、背負っていた。それらが大きければ大きいほど人々の期待の目は多くなり、強くなる。
「フェネアンさんは……それに全部答えようと、頑張り過ぎですよ」
所長に対する期待の目が強くなり、多くなれば必然的に研究所への仕事も増えていった。それを職員の負担にしないよう、少しでも軽くできるよう自身が動く。職員へは今まで通りの仕事か、軽いものしか回さない。
三日前にも隣の大陸である、ホイシュレッゲ研究所管轄にある企業から依頼が届き、自身が持っている仕事と並行しながらこなしたのだ。トレートルはフェネアンが持って帰ってきた書類をまとめながら、昏々と眠る彼の横顔を見て眉をハの字にする。
「もっともっと、みなさんのことも……ボクのことも、頼ってください。このままじゃフェネアンさんが、壊れてしまいます」
しかし、そんなことを本人が起きている時に言ってしまえば、そんなに軟な体はしていないと怒られることが目に見えており。トレートルはフェネアンの隣に潜りこむと、彼の懐に丸くなるよう、目を閉じた。




