10-3
「今、何をしたよ……」
「ひっ……」
「何をしたかと聞いてんだ、愚図が!」
対して身長は変わらないはずなのに。フェネアンの片腕で軽々と抱えあげられる自分の体を、呆然と見ていた。気づけばフェネアンは震える手で煙草に火を灯しており、自身を落ち着かせるよう深く煙を吸い込んでいる。呼吸が苦しいのは、彼に首を掴み上げられているからだと、足をばたつかせてようやく理解した。
「てめぇがこんなもんを隠し持ってることに気づかなかったのはオレの落ち度だ。それで、オレ自身が、殴られたのなら何の文句も言わねぇけどよ……てめぇが今手を上げた相手は誰だ。あぁ!」
額に頭突きをされ、目の前を光がいくつも走っていった。酸素が足らず短い呼吸を繰り返すもフェネアンの手にはますます力が加わっていき、口の端から赤色の唾液が垂れる。
「調子のんなよ……てめぇがお偉いさんだろうが何だろうが。今、オレが、もう少し手に力入れたら……ポキンと逝っちまうんだぜ。な? てめぇがたった今あのガキを壁に叩き付けたように、ほんのちょっとしたことだ。些細なこと、そうだよな? おっさん」
副局長は目を剥き、顔を真っ赤にして涙と鼻水でグシャグシャにしていた。そんな彼にフェネアンは薄く笑い、煙草の煙を顔面に吐き出す。手の甲に血管を浮かび上がらせながら体を更に持ち上げると、眼鏡の向こうで瞳が鈍く光った。
手に力が入りかけた、その時。フェネアンは弱々しく白衣を引かれ、動きを止めた。副局長を掴む手を開き、彼の体を床へ落とすと白衣を引く者に目を向ける。――そこで、床に膝立ちになりながら、トレートルが必死に顔を上げていた。
「ふぇねあんさん……」
「……おう。大丈夫かよ」
体を抱きかかえ、ポンポンと背中を叩いてやると、トレートルは肩口に顔を押し付けるよう抱きついてきた。短い呼吸を繰り返して嗚咽を上げている副局長の体に向け煙草を吐き捨て、きつく眉を寄せる。
「ガキがシャシャリ出やがって、危ねぇだろうが、二度とあんな真似すんな。いいな?」
「ごめんなさい……。ふぇねあんさんはやっぱり、やさしい人です」
モゾモゾと体を動かすトレートルに苦い表情を浮かべ、フェネアンは這いつくばるよう逃げている副所長の脇腹を蹴飛ばす。背が跳ねあがり、頭を抱え、幾度も謝罪の言葉をつぶやいた。
「……てめぇのクソ下らねぇ計画より、こいつの意思の方が強かったってことだよ。中央管理室はどこだ、吐け。……次は慈悲なんかねぇぞ」
足で体を仰向けにし、踵をビタリと喉に着けた。手の型に赤くなっている首筋を庇うよう腕をもがかせているがすぐに諦め、フェネアンをにらみ上げる。
「ど、どうするつもりだ」
「バンボルの初期化をするんだよ。チップを真っ新にしちまえばウイルスも一掃出来るしな?」
「は! お前とて……バンボルを奪おうとしているではないか! チップが真っ白になってしまえばそれは、初期化前のバンボルとは違う物体に……」
「ばぁあああか。オレの、勝手な、指示の内容。そこまで調べてねぇのかよ。脳無し。……全研究所に、管轄内にある全バンボルのバックアップを取っておくように言ってんだ。その作業もランケその他二研究所以外、終了したのを確認済みだよ」
スーッと、副局長の顔から血の気が引いた。フェネアンが足に体重をかけ始めると半狂乱になり、声を裏返しながら叫ぶ。
「一番奥だ! お前が向かおうとしていた方向の一番突き当りの部屋が中央管理室だ!」
「鍵は!」
「私の職員カードで開く! 本当だ、だから、だから……」
「あぁ、命は取らねぇでやるよ……」
ふと表情を和らげたフェネアンに、副局長もホッと息を着き体の緊張を解いた。足が除けられ、肩を震わせながらゆっくりと体を起こす。
「ま、許してやるとは言ってねぇけどな」
フェネアンの言葉に絶望する暇もなく、副局長は再び床に寝ることになった。口や鼻からはダクダクと血が流れ、顔面を蹴飛ばされた際に折れたのだろう、歯が遠くへ転がっていく。その光景はトレートルに見せないよう自分の胸元に押さえつけながら白衣に包み込み、鼻を鳴らした。
「こいつの分とバンボルを奪われかけた奴らの分と多職員に面倒掛けた分を、一撃にまとめてやったんだ、感謝しろよな」
「フェネアンさーん?」
「何でもねぇよ。とりあえず……近くのプログラミング室にでも入って、こいつらのバックアップも取ってやるか……」
と。完全に白目を剥いて気絶している副局長の服から職員カードを奪い取り、フェネアンはバンボルの群れに苦笑した。




