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第8話 悲しい記憶

「ええ、たしか白っぽい犬だったと思います。ちゃんとしっかり見てはいませんが」

男の気迫に飲まれそうになりながら玉城がそう言うと、男は再びゆっくりと穏やかな顔つきに戻り、少し笑ってまた一本マッチを取りだした。

「まさかな。チビはもう、ずいぶん前に死んでしまったから。あんたに見えるはずはないな」

そうポツリと言う。


さて、それはどうでしょうね、と喉元まで出かかった言葉を玉城は呑み込んだ。

さっき見た犬が、この男のチビかどうかは分からないが、この男の死んでしまったらしい犬の霊を自分が見てしまう確率はゼロではない。

玉城は再びあの、厄介な友人の事を思い浮かべた。


ミサキ・リク。

人並み外れた霊感を持つ男。

そしてその男と親しくなるに連れ、玉城自身の霊感も、泣きたくなるほど発達してしまった。

「リクのせいで」などと言おうものなら、またどこか知らない土地に姿を消してしまいかねないほど玉城に責任を感じてしまう男であるため、口が裂けても本人にそんなことは言えないが、これだけは確信を持っていた。

100%間違いない。

それまで影も形もなかった玉城の霊感がこんなに発達してしまったのは、間違いなくリクのせいなのだ。


「犬を飼ってらしたんですね」

玉城は自然な会話の糸口が見つかったことにホッとして、そう切り出してみた。

最終的にはこの男に道を訊いて山を降りればいいのだと思い至ると、もう少しここでのんびり火が点くのを待っていても良いような気がしたのだ。


「ああ、飼ってた。もうずいぶん前に死んでしまったが、19年生きたよ」

「そんなに? とても大切にされてたんですね」

「ああ。預かりものの犬だったからな。最初は3日間のつもりで預かったんだが、結局持ち主に返すことなく、俺が飼うことになった」

「へえ。そうなんですか」


いろいろ込み入った事情がありそうだと感じたが、掘り下げて訊くのもどうかと思い、玉城は質問を終えた。

会話がなくなると、何となく落ち着かない気分になり、玉城は座ったままで、手の届く小枝を拾い、2人の間に積まれた枯れ枝の山に放り入れた。

火は、まだ点かない。


「小さい子供だったよ。小学校の1、2年くらいに見えた。細っこい男の子だった」

けれど唐突に男はその続きを話し始めた。

実は話し好きなのか、それとも是非とも玉城に訊いて欲しかったのか。

玉城は、そのどちらでもOKですよと言う意味も込めて、小さく頷いた。


「耳が千切れそうなくらい寒い日だっていうのに、その子は上着も着ずに、俺のボロアパートの入り口に突っ立ってたんだ。薄汚れた小さい仔犬を大事そうに抱えてな。

俺は仕事が見つからねえでイライラしてたもんだから、その子供を追い払おうとしたんだ。その子供自体、どこか薄汚くて、仔犬を抱いている手だって赤黒く変色して傷だらけだった。何か景気の悪いもん見ちまったなーくらいに思ってたんだよ。

けどな、俺と目が合うとその子は今にも泣きそうな、すがるような目で近づいて来て、いきなり仔犬を俺の方に差し出したんだ」


シュッと男は何かの念を込めるかのようにまた別のマッチを擦った。

一片の煙さえ立てずに、マッチは折れて落下した。


「その子は必死で説明するんだよ。こんな見た目の厳つい大男にさ。溝にはまって弱ってる仔犬を拾ったんだが、父親に酷く叱られて、捨てに行かされてる途中だって言うんだ。この仔犬はとても弱ってるから、元いた所に置いてきたら、きっと凍えて死んでしまう。少しの間だけでも預かってくれる人を探しているんだ、とな。よくある話だろ」

「ええ。そうですね」

「犬も、プルプル震えて弱そうだったが、それだって良くある話さ。いちいちそんなことで願いを叶えてくれる神様は、この世にはいねえよって、俺はその子に言ったんだ」

「それで、断ったんですか?」

「いいや。その子がさ、自分も寒くて震えてる癖に必死にすがりつくんだ。ほんの少しの間でいい、これを一緒に預けるから、どうかお願いしますってさ。スーパーの袋に入ってる小さなドッグフードを俺に寄越すんだ。俺もさ、金なくてイライラしてたけど鬼じゃない。じゃあ、ほんの2,3日だけだぞって言って、預かってやったんだ」


「その子、ホッとしたでしょうね」

「ああ。嬉しそうに何度もありがとうって言ったよ。・・・だけどさ、俺って奴は、ほんと馬鹿だ。いらん事を言っちまったんだ」

男の声は次第に小さくなり、頼りなく語尾が揺れた。

「なんて?」


「3日経ってもお前が引き取りに来なかったら、保健所に引き取ってもらう。俺も自分の生活だってままならないんだ、犬なんか飼ってる余裕は無いんでね、ってさ。

保健所って所が犬を始末する場所だってことも、ご丁寧に教えてやったよ。つくづく外道さ」


「・・・それで?」

少しばかり重い気持ちになりはしたが、最終的に男がその犬を大事に育てたことを聞いている玉城は、躊躇わずに訊いた。


「その子はじっと俺の腕の中の仔犬を見つめながら、真剣な顔で言ったよ。大丈夫、ぜったいそれまでに飼ってくれる人を見つけて迎えに来るからって。だからお願いしますって、頭を下げるんだ。チビの癖にさ。何度も何度も。

そのあと、いつまでも仔犬の頭を撫でてるもんで、いいからもう帰れって、追い返した。ただ寒くて部屋ん中に入りたかっただけなんだよ、俺は。最後にその子供と目が合ってさ。その目が今もずっと忘れられないんだ」


男は喋るのをやめた。

動くのもやめた。

マッチを小箱から取り出す作業もやめた。

マッチが無くなってしまったのだろうか。

玉城は男の足元の土の上を覗き見て、あれ? と一瞬首を捻った。

けれどその疑問は胸に収め、代わりに単純な、もう一つの質問を投げかけてみた。


「その子はもう、仔犬を引き取りに来なかったんですね?」

男の返事は、今度は聞き取りにくいほど小さく低かった。


「ああ。来なかったよ。その日の夜に、その子は死んでしまったから」

男はようやくまた、小箱からゆっくりマッチをひとつ、つまみ出した。


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