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第2話 森の中へ

「あちゃー。これは酷い」

リクの案内でたどり着いた山道の入り口は、車両通行止めの黄色い看板とロープで塞がれてた。

それには何の説明もいらない。そのすぐ10メートル先に、車道を塞ぐ形で一本の杉の巨木が横たわっていたのだ。

先の台風のしわざなのだろう。

「引き返した方が良さそうだな」

「だね。玉ちゃんありがとう。雪、本降りになりそうだから気をつけて」

「へ?」

素っ頓狂な声を出した玉城に、リクは片手を上げて見せ、そのままスルリと助手席を降り、山道の入り口に向かった。

ロープを乗り越え、その先の巨木をトンと乗り越えると、振り向きもせずに坂道を上っていく。


「え? 行くのか? リク」

窓から顔を出して叫んだ玉城をリクはほんの一瞬振り返り、バイバイと手を振る。

そしてまた軽い足取りで坂道を上り、その姿はすぐに木々の間に見えなくなった。

開けた窓から入り込んで来る冷気は一気に車内を冷やし、玉城は慌ててリアウインドウを上げた。

ブルリと身震いした後、友人が消えていった細い道の曲がり角をじっと見つめる。

全く、芸術家という生き物は分からない。

こんな日に何で湖や鹿を描きたくなるのか。

ヒーターの温度を上げ、玉城はしばらくじっとシートに沈み込んだまま、前方を見つめていた。


ホロン、ホロンとフロントガラスに落ちてきた小雪が、綺麗な結晶のまま小刻みに震える。

溶けもせず、何かを訴えるように玉城の目の前で、寂しげに震え続ける。

雪、寒さ、風。山の天気は変わりやすい。

そんなに標高の高い山ではなさそうだが、山は山。

リクは見る限り軽装だった。ちょっとそこまでスケッチに、と言う感じのフードつきジャケットにジーンズ。

そしていつもの如く、携帯も持って来ていないだろう。何かあったとしても、連絡がつかない。


試しに掛けてみようか。

玉城は自分のショルダーバッグのポケットを探った。

ない。

「・・・携帯忘れてきた」

頭の隅で、もう一人の自分がため息をついた気がした。


雪、寒さ、倒木、地盤の緩み、崖崩れ、連絡不能、不自由な右手・・・。

玉城はバンとハンドルを叩いた。

「ああ、もう、めんどくせえ!」

バックで車を木陰まで寄せて停めると、玉城はリクを追って坂道を登り始めた。



          ◇


不思議と寒さはあまり感じなかった。

その代わり、まとわりつくような重さがあった。

リクは足を止めずに、ぐるりと周りの木々に目をやる。

この地で生まれては死に、また生まれる、幾千万の獣たちの魂を感じる。

生まれ付いてリクに宿った厄介な能力は、玉城や長谷川と出会い、人間としての自分を振り返り始めた一年前から少しずつ洗練され、やっと自分でコントロール出来るようになったように思える。

もういたずらに翻弄されたり、闇に引きずり込まれたりはしない。

長谷川にもう一度会えたら、「大丈夫だ」と言える自信があった。


痛いほどの冷気を胸に吸い込み、画材の入ったバッグを右肩に担ぎなおすと、リクは細い道を足早に進んだ。

山とは言っても標高はさほど高くなく、勾配は緩かった。

ただ中腹まで来るとブナやアラカシの樹林が果てしなく広がり、注意を怠ると幾つもの獣道に惑わされて来た道がわからなくなる。

頑丈な地面に見えても、実はただの枯れ草の蓋であり、踏み抜くと命を落としかねない惑わしの道もある。

人が散策できるように整備された山ではないのだ。


リクは人ひとりがやっと通れるくらいの細い道を、記憶を辿りながら歩いた。

この秋に来た台風の影響で巨木が至るところで枝を落とし、また力つきて体を横たわらせている。

荒涼としたとした風景だが、リクには自然の驚異をあるがままに受け止め、傷つき、そしてまた自力で再生する、この大地の強さが好きだった。

そして、そこに埋もれるひと枝と同じように、まわりに特に何の影響も与えず存在する、ちっぽけな自分に安心できた。


長谷川や玉城に出会い、心から信頼できる人間と過ごす日々の心地よさを覚えてからは、以前のように市井から逃れようとは思わなくなったが、時々森が自分を呼ぶ声が聞こえると、逆らえなくなる。

その猛々しい姿に触れ、同化し、描いてみたくて堪らなくなる。


道はいつの間にか平坦になり、そのまま進むと急に前方の雑木林が開け、その向こうに鏡のような自然湖が姿を現した。

たぶん山の源流が地震か何かで堰き止められて出来たのであろう、小さな湖。

この夏の猛暑で干上がってしまったのではないかと思っていたのだが、それは記憶の美しさそのままに、ひっそりとそこに佇んでいた。

さっきまであった微風もピタリと収まり、その表面は曇りのない鏡のように辺りの冬の木々を映し込んでいる。

リクは嬉しげに微笑むと、画材のバッグをそっと地面に降ろした。



            ◇

「ちがう・・・」

玉城は100メートルほど進んだ獣道を、またドタドタと引き返した。

分かれ道に戻った所でぐるりと360度回って考え、大きく首を捻る。

「ここはさっき来たところだっけ。俺はどこまで戻ったんだ?」

辺りはブナやエノキの巨木の森。

誰も答えてくれるはずもないのに、半ば泣きそうになりながら玉城は声に出して問うた。


車道が途切れた辺りから嫌な予感はしていたが、なるべく大きな道を辿りながら進んで来たはずだ。

人の歩いた気配のする道だけを進んだつもりだった。

リクが行ってしまってから、そんなに時間は経っていない。

すぐに追いつくと思ってガンガン進んだのがまずかったのかもしれない。

普段歩き慣れていない山道は、ほんの20分ほどで玉城を疲弊させた。

寒さはどんどん増してきているが、それよりもとにかく玉城を焦らせていたのはただひとつ。

「俺、ひょっとして完全に迷ったのかな・・・」


まさか、富士の樹海じゃあるまいし。山なんだから、下っていけば麓に降りられる。

最初こそ楽観視していたのだが、下りだと思っていた道は急に登りになり、どんどん深みに嵌ってしまう恐怖がジワジワと玉城を襲った。


「リクーーーーー!」

ついに大声で叫んでみたが、近くにいた山鳩が驚いて飛び立ってしまっただけで、辺りにはまた薄情なほどの静寂が垂れ込めた。

このまま出られなくなって大雪でも降って凍え死んだら、真っ先にリクの所へ化けて出てやるんだ。

絶対に!

玉城は半ば本気でそんなことを思いつつ、勘だけを頼りにまた細い山道を歩き始めた。




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