End Of Day
「じゃあ、そろそろ僕はおいとまします」
ミヒャエル、シューレ、そしてグレイの三人で囲んだ夕食の後片付けが終わってから二時間程が経ったところで、ミヒャエルは『フレハライヤ』の宿屋に帰ることに決め、シューレの自宅の玄関前に立っていた。
「あまり豪勢な食事でもてなせなくて、すいません」
「いえいえ、充分な御馳走でしたよ。もし良ければ、また夕食を一緒に食べてもいいですか?」
見送るために出てきたシューレにミヒャエルはそう訊ねた。シューレは意外そうな表情を浮かべると、数瞬迷った後に返事を返した。
「このような食事で良ければ、是非…」
帰ってきた返事にミヒャエルは思わずガッツポーズをする。それを見たシューレが目を丸くしているのに気付くと、ミヒャエルは取り繕う様に笑いながら右手を身体の後ろに回した。
「えっと、じゃあ、僕は行きますね。次はいつ会えます?」
「まだ分かりません。今度、村長さんにお金を受け取りに行ったときに、必要な薬があるかどうかを訊ねないといけないので。分かったら、村長さんに頼んで貴方にお伝えします」
「分かりました。じゃあ、次に会えるときを楽しみにさせてもらいますね」
シューレにそう告げるとミヒャエルは名残惜しそうにシューレに背を向け、シューレから渡されたランプを片手に森の中に入ろうとする。
その時、窓の開く音と共にミヒャエルの背中に声が飛んできて、彼の歩みを引き留めた。
「おい!」
ミヒャエルは声のした方に振り向く。声の主はシューレの息子であるグレイで、彼は窓から上半身を乗り出してミヒャエルを見ていた。
「その…また来いよな! お前の話は、ほら、面白かったからさ!」
それだけ言うとグレイは身体を引っ込め、窓を閉めた。
ミヒャエルは呆気に取られた表情を浮かべていたが、やがてそれを微笑へと帰ると小声で「分かりましたよ」とだけ告げる。そしてシューレが軽く頭を下げたのに合わせて自らも会釈をすると、色濃い闇が広がる森の中へと歩き始めた。
森の中は来た時以上に暗かったが、ミヒャエルは既にシューレの家を訪れる為に通った時に道を憶えていたし、そうでなくともシューレが熱心に『フレハライヤ』までの道のりを説明してくれたので迷うことはなかった。ちなみに最初はシューレが『フレハライヤ』まで送っていくと言っていたのだが、ミヒャエルはそれを断っている。既に村人が出歩く時間だとは思えないが、昼間の騒動のこともあってシューレを『フレハライヤ』に近づけるのは気乗りしなかったからだ。
歩みは滞ることなく、大して時間も掛けずにミヒャエルは『フレハライヤ』に戻ってきた。考えて居た通り既に外に村人の姿は見えず、村は沈黙と暗闇に包まれている。ただ宿屋と、今までの事件に対する対策として交代で監視が配置されている村の中央の物見櫓、そこからは光と話し声のようなものが聞こえてきた。
(そう言えば、子供が消えるのは深夜でしたね)
さっさと宿屋に向かおうとしたミヒャエルだったが、不意にヴィショップ達から聞かされた村長の言葉を思い出して歩みを止めると、顔を動かして周囲を見渡した。
(本当にどの家も扉も窓も閉め切っている。ただ…)
ミヒャエルの視線が物見櫓へと向かう。物見櫓はいかにも急ごしらえといった感じの粗末なもので、背も決して高くは無い。ミヒャエルは見たことはないが、『スチェイシカ』の港町、『ウートポス』に幾つも設けられていたような物見櫓とは雲泥の差があり、少し家の影にでも隠れれば簡単に監視の目から隠れることが出来そうだった。
(何だか頼りなさげですね……っと)
灯りの漏れる貧相な物見櫓をミヒャエルが見ていると、物見櫓に立って村を見渡していた村人と視線が合った。
ミヒャエルは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべると足早にその場から立ち去ろうとする。しかしその前に、物見櫓から村人の声が飛んできた。
「おい、そこのお前! こんな時間に何している!」
ミヒャエルは仕方なく脚を止める。そして両手を口元に当ててメガホンのようにしつつ、物見櫓に聞こえるように声を飛ばした。
「夕食をごちそうになって、その帰りですよ。安心して下さい、怪しい者じゃないですから。ほら、昼間に騒いでいた夫婦を華麗に説き伏せて見せたでしょう?」
物見櫓かれ返事は返ってこない。ただ、物見櫓に立ってミヒャエルに声を飛ばしていた男が顔を引っ込ませたかと思うと、カンテラ型の神道具を片手に物見櫓を降りてミヒャエルの方に近づいてきた。
「…ふむ。確かに、確かに昼間に広場で騒いでいた男だな」
「騒いでたのは夫婦その他の方だと思うんですけど…まぁ、いいです。これで納得してくれましたね?」
村人はミヒャエルの姿を確認すると納得した風に首を縦に振る。自分が不審人物ではないと一先ず理解してもらえたミヒャエルはその場を立ち去ろうとするが、それを村人が引き留めた。
「待ってくれ。あんた、子供達が消えた事件を解決する為に王都からやってきた奴等の一人だよな?」
「だったら何なんです?」
面倒臭そうにミヒャエルが聞き返す。村人は周囲に視線を滑らせると、声を落としてミヒャエルに問いかけた。
「あんた、調べる為にあの魔女と一緒に行動してんだろ? どうなんだ? やっぱりあの魔女の仕業なのか?」
村人の問い掛けはシューレとグレイとの夕食での高揚の余韻に浸っていたミヒャエルの頭を、瞬時に冷え切らせた。
「違いますよ。あの人じゃありません」
「そ、そうか。時間取らせて悪かったな。お休み」
冷たい声音でミヒャエルは言い切った。その際のミヒャエルの視線は発した言葉以上に冷たく、そして鋭かった。その眼差しを真正面から受けた村人は、さっさと返事を返して物見櫓へと速足で戻っていった。
「……せっかくいい気分だったのに」
どんどん遠ざかっていく村人の背中を見てミヒャエルは唾を吐くと、宿屋に向かって再び歩き始めた。
既に村の中には戻ってきていた上に大きくもない村なので宿屋に戻るまでに時間はかからなかった。宿屋の前までやってきたミヒャエルは正面玄関の扉を抜け、酒場となっている一階に脚を踏み入れた。
「……何だ、今日返ってきたんですか」
客はおろか店員すら居ない、一個の神道具のみが光源の薄暗い酒場。そこで出迎えたのは『ヴァライサール』に出掛けていた筈のヴィショップだった。
「本当は今日返ってくる予定じゃなかったんだがな。ただ、宿屋の方に村長から連絡が来ててな。何でも子供がまた消えたとか」
テーブルに座って酒の注がれたグラスを持ったヴィショップが微笑を浮かべて返事を返す。ただし、その目は微塵も笑っていなかったが。
「その件ならもう片付きましたよ。単なる勘違いでした。それより、ヤハドさんとレズノフさんはどうしたんですか?」
椅子を引いて逆さまの空のグラスが置かれた席にミヒャエルは腰を下ろす。そこは丁度ヴィショップと向い合せになる席だった。
「先に上で休ませてる。二人とも、化け物相手に殺し合った後にお前のラヴ・ストーリーを聞かされるのは堪えられないとさ」
「安心して下さい、そんなの話すつもりなんてありませんから」
ミヒャエルはそう言ってグラスをひっくり返すと、酒のボトルへと手を伸ばす。しかしミヒャエルがボトルを掴む前に、伸びてきたヴィショップの手がボトルを掴んだ。
「そいつは残念だ。俺は興味があるんだがな」
「……何が訊きたいんです?」
ミヒャエルの空のグラスに酒を注ぎつつヴィショップが残念そうに話す。ミヒャエルはゆっくりとグラスが酒で満たされていくのを眺めながら、仕方が無さそうに訊ねた。
「お前、勘違いだったって言ったよな」
ヴィショップが口を動かす。出てきたのはミヒャエルが予想にしなかった言葉だった。
「子供が消えた件ですか?」
「あぁ。何でも、子供が干し草の中で寝てたのに気付かず両親が勘違いして騒ぎ出したとか」
ミヒャエルが下らなそうにグラスを煽る。その時のことを思い出しでもしているらしく、顔には馬鹿にしたような笑みが浮かんでいた。
「そうですよ。全く、いい迷惑です。いもしない犯人捜す前に、自分の息子を探すことに専念しやがれって感じで…」
「犯人は居るだろ?」
ヴィショップの放った言葉がミヒャエルの言葉を遮った。
ミヒャエルの口元へと動きかけていたグラスが動きを止める。ヴィショップはじっとミヒャエルの顔を眺めると、右手の人差し指をミヒャエルに突き付けた。彼の表情に先程まで浮かんでいた見せかけの笑顔は、今はもうそこにはない。
「お前だ」
「……何言ってるんですか? その見た目でボケたんですか?」
僅かな沈黙の後、ミヒャエルがニヤニヤと笑いながら軽口を叩く。しかしヴィショップはミヒャエルを小突くこともなければ、ニコリとも笑わない。
「お前がやったんだろ? シューレとかいう女を追い込む為に。そして追い込んだそいつを自分で助け出す為に」
変わらぬ口調で、変わらぬ表情でヴィショップはそう告げた。その言葉を受けたミヒャエルの顔からは、いつもの軟派な笑いが消え去る。
ミヒャエルは無表情で、その中において爛々と光る双眸でヴィショップを見つめていた。それはかつて、バレンシア家のベランダでヴィショップが彼の過去を暴いた時と同じ表情だった。いつものお茶らけた態度からは想像の付かない、酷く不気味な表情。まるで神経の上を数多の虫が這いずり回っているかのような不快感と悍ましさを見る者に与える顔付きをしていた。
「…森と村に通じる足跡は三組。その中で女のものはお前と一緒に村へと向かう時のものだけだ。それは子供が消えた時女が村に居なかったことの証明になる。女が空でも飛べない限りな」
グラスに口を付け、乾いた唇を舌で湿らせてからヴィショップは話しを続ける。それをミヒャエルは黙って聞いていた。ヴィショップから一ミリたりとも視線を逸らさずに。
「だが、お前は違う。お前は最初っから村の中に居た。だから、お前なら出来る。ガキを眠らせて干し草の中に隠すことがな。お前は薬物の生成に通じてるし、おあつらえ向きに最近あの女と一緒に材料を集められそうな森の中をうろついていた。それに動機も最初に言った通り…」
「証拠は?」
短いながらも、はっきりとした口調のミヒャエルの一言がヴィショップの言葉を遮る。
ヴィショップの口の動きが止まる。ミヒャエルはそんな彼を、笑いも怒りもせずに見つめていた。
「……例のガキは眠くなる前に、何かの臭いを嗅いだと言っていた。それは恐らくお前が使った薬の臭いだろう」
「それじゃあ、証拠になってませんよ」
「お前の持ち物を探して同じ匂いのする物が見つかれば、それで決まりだろう?」
「見つかれば、ね…?」
一歩たりとも退く素振りを見せずに、ヴィショップと言葉を交わし続けるミヒャエル。ヴィショップは黙ってその視線を受けながら、次に吐くべき言葉を考える。
昼間に起こった騒動を仕組んだのがミヒャエルであることは、ヴィショップの中では確定的だった。動機は充分にあるし、ミヒャエルが関わっていたことを思わせる情報もある。それに何より彼の勘が、今回の一件がミヒャエルによって仕組まれたものであると語っていた。
だが確信とは裏腹に決定的な証拠は何一つとして無かった。唯一の証言者である子供はミヒャエルの姿を見ていない。物的証拠に関してはそれこそミヒャエルが薬そのものか、薬の調合に使ったものぐらいだが、今の言葉振りからしてそれはミヒャエルが何らかの形で処分しているだろう。薬の素材から探ろうにも村のすぐ近くに様々な薬の素材が採れる場所があり、魔女と呼ばれるシューレの存在を厭わなければ魔獣も居ない為誰でも入れる。それにそもそも、ヴィショップはどんな薬が使われてその薬がどのようにして作られるのかも知らないので、そちらに関しては調べようがないといっても過言ではない。
不足していた。ミヒャエルを言い負かし、真実を認めさせるのに必要な証拠が。
(チッ、面倒臭い野郎だぜ、本当によ)
心中で悪態を漏らす。その後、ヴィショップはわざとミヒャエルに聞こえるように溜息を吐いた。
「おい、ミヒャエル。一つ言っとくが、俺は別にお前のやらかしたことを咎めようとは思ってねぇ」
ヴィショップはミヒャエルを説き伏せることを諦めてしょうがなく本題へと入ろうとする。しかし、ミヒャエルは何が何だかわからない、といった風の表情を浮かべていた。
「だから、僕が何をやったっていうんです?」
白を切る腹積もりを変えることのないミヒャエル。ヴィショップは思わずホルスターへと伸びかけた右腕を抑え込むと、平静な素振りを保つ。
「好きに言ってろ。とにかく、俺はお前のやったことを咎めるつもりはない。事と次第によっては、俺もそういった手段をとるだろうしな。…ただ、やるんなら俺に一言断りを入れてからしろ。お前がやったことは下手すら今回の仕事をまるごとご破算にしかね兼ねなかったし、いきなりガキが消えたなんて連絡寄越されてくたくたのところを休みなしで歩いて帰らされるのはまっぴらだからな」
そう言って、ヴィショップはグラスを煽った。ミヒャエルはそれを黙って聞いていたが、ヴィショップが喋り終わると一言だけ発した。
「じゃあ、もし僕がそんなことをしようかと思ったら、その時はヴィショップさんにいいますよ」
「あぁ、そうしろ」
笑みを浮かべてミヒャエルが告げる。浮かんでいる笑みはいつも通りの、軟派で頼りの無い笑みに戻っていた。
返事を聞いたヴィショップは鼻を鳴らすと立ち上がって二階の自分の部屋へと向かおうとする。しかし、もう一つ言っておくべきことがあることを思い出して脚を止めると、その言うべきことをミヒャエルに告げた。
「バレンシア家で俺が言ったことは憶えてるな? 女に入れ込むのは構わないが、目的の邪魔だけはするなよ?」
「……分かってますって」
いつも通りの笑みのままでミヒャエルは返答した。だが、ヴィショップは見逃さなかった。自分が口を開いた直後、ミヒャエルの顔付きが一瞬だけ先程の凄惨な表情へと変化していたことを。
「明日はどうするんです?」
「…もう一度『ヴァライサール』に行ってくる。依頼のことで言いたいことがあったんだが、誰かさんが俺の居ない間に騒ぎを起こしてくれたおかげで、それすら出来ずに帰ってこなくちゃならん破目になったからな」
ミヒャエルの刹那の表情に傾いていたヴィショップの意識は、ミヒャエルその人の言葉によって現実に引き戻される。
ヴィショップの発した皮肉めいた言葉を聞いたミヒャエルは、笑いながらヴィショップに言葉を返す。
「なら、文句は騒動を引き起こした張本人に言って下さい」
「あぁ、そうかい。じゃあ文句ついでに言っておこう。明日また俺達は村を空けるが、頼むから面倒事は起こさないでてくれよ?」
ヴィショップはそう告げると、グラスを片手にミヒャエルに背を向け二階へと続く階段を上がっていった。その背中に、確かにミヒャエルの視線を感じながら。
「……頃合いを見計らって、他の二人にも話しておくべきか?」
階段を上がり、ミヒャエルの視線を感じなくなったところでヴィショップは小さく呟く。そして後は無言で自分の部屋まで進むと、大量の魔獣との殺し合いとその後の『フレハライヤ』までの道のりで疲弊した身体をベッドに投げ出した。
「痛っ!」
背中にベッドの柔らかい感触を期待していたヴィショップだったが、期待とは裏腹に何かが突き刺さるような痛みが脳天に轟く。
慌てて飛び起きたヴィショップが背中を擦りながらベッドの上を見ると、古臭い装丁の本が一冊置いてあった。
「あぁ、そういや持ってきてたんだっけか」
それは『ヴァライサール』の町長であるセグから借り受けた『ヴァライサール時事録』だった。本来ならばこれはセグに返していなければいけないのだが、『フレハライヤ』に早急に戻らなくてはいけなくなっった為、ヴィショップは返さずに荷物と一緒に持ってきてしまっていた。
「まぁ、こんなモンが無くたって町が吹き飛んだりする訳じゃいないし、大丈夫だろ」
ヴィショップは少しの間背中を擦りつつベッドの上の『ヴァライサール時事録』を眺めていたが、やがて一言呟くと『ヴァライサール時事録』を手に取って仰向けにベッドに横たわり、それを読み始めた。どうやら、当分拝借しておくことにしたようだった。
「さて、と。どこまで読んだんだっけか?」
ページをぱらぱらと捲りながら最後に呼んだ箇所を探す。一分近くそれを続けたところで、お目当てのページに行き着いた。
「子供が謎の歌を口ずさむ…そうそう、これだこれ」
子供が関わっているということもあって興味をそそられた内容だったが、最初にこのページを通した時は直後にブルゾンからの依頼が来たため、読み切ることが出来なかった。ヴィショップはとりあえずここから再開することに決めて、文章に目を通していく。
「子供達が謎の歌を口ずさみ始める。子供達曰く、毎日どこからか聞こえてくるとのこと。『フレハライヤ』の近くにある沼に住むと言われる魔女の可能性ありとされるも、詳細は不明。『フレハライヤ』の住人達の話によれば魔女は関与を否定している模様……」
読み始めた時は気付かなかったが、この内容は他の他愛の無い出来事と違ってかなりの分量で構成されているようだった。元の疲れに加えて終わりが分からない事がヴィショップの眠気を誘う。その為、まだ読み始めて数分しか経っていないにも関わらずヴィショップは読むのを放棄して睡眠の世界に身を投げかけていた。
「…ん?」
だが、ページを一枚捲った先で飛び込んできた一文が、ヴィショップの眠気を吹き飛ばす。
「歌を口ずさんでいた子供の内一名が、失踪……!?」
その単語がヴィショップの目に飛び込んできた瞬間、彼が徹夜でこの本と向き合うことは確定的となった。




