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Bad Guys  作者: ブッチ
Kinky Love
98/146

母と子と、そして

 シューレの家の玄関に立って、真直ぐこちらを見つめてくる一人の子供から目を離せずにいた。


(えっ? お母さんって、え? あっ、でも確かに目とか顔付きとかに面影が…。え? じゃあ、何? シューレさんはもう…)


 頭の中でぐるぐると様々な文字が飛び交う。ミヒャエルはまともに働いていない頭を何とか動かすと、隣に立つシューレに問いかけた。


「あ、あの……あの子供は一体…」


 ゆっくりと首を動かしてシューレの方に顔を向け、子供を指差してミヒャエルは訊ねる。

 シューレは僅かに視線を下げると呟くような声で返事を返した。


「私の息子です…」

「へ、へぇ…。息子さんですか。確かに、シューレさんとよく似てます…」


 引きつった笑みを浮かべてミヒャエルは無理矢理返事を返すと、視線を子供の方へと向ける。

 はっきりと言葉に出されてしまってみれば、確かに子供の姿はかなりシューレに似ているように見える。目立つところは目や顔付きだが、服から覗く肌の白さなどもよくよく見て見ればシューレ譲りのように見えた。

 ただ、目に宿る光だけは違っていた。シューレの紫色の瞳に宿っているのはどこか浮世離れした退廃的な、身も蓋も無い言い方をすれば世の中の大半の事に価値を見出していないか、もしくは関わることを諦めているような光だった。

 だが、そんな母親と同じ色の目をしていながら、子供の目に宿っている光には母親の目には宿って居ない活力が確かに宿っていた。そこには世の中に対する希望や好奇心といったものが多分に含まれていた。事実、ミヒャエルへと向ける警戒の眼差しの中にも隠し切れていない未知の客人に対する好奇心が見え隠れしている。


「お名前は…」

「グレイといいます」

「グレイ…グレイ…グレイ君、ですか。良い名前ですね…。あの、ところで…」


 シューレから子供の名を告げられる。ミヒャエルは意識の中でその名を反芻するかのように三回呟くと、子供の名前以上に気になっていることをシューレに問い掛けようとした。

 しかしその瞬間、いつまで経っても動こうとしない母親に痺れを切らしたグレイの声がそれを遮る。


「母さん! いつまでそこに居るつもりだよ!」

「…そうね。今、家に入るわ。貴方にミヒャエルさんも紹介しないといけないし。…では、どうぞお上がりになって下さい、ミヒャエルさん。散らかっていて申し訳ないですけど」


 腰に手を当てて憮然とした表情を浮かべるグレイにシューレは返事を返すと、ミヒャエルの方に振り向いて家の中に入ろうとする。

 彼女が自分の方に振り向く間際、グレイに返事を返す瞬間にその顔に微笑みが浮かんでいたことを、ミヒャエルは見逃さなかった。


「確かに、こんな所で立ち話もなんですらね。では、お邪魔します」


 ミヒャエルは笑って返事を返し、シューレと共に家の中へと歩く。グレイは二人で連れ添ってやってくるミヒャエルのことを依然として警戒心を張らんだ目付きで眺めながら、脇に避けて家の中に入れるようにスペースを空けた。


「少し時間が速いけど食事するわ。先に席に着いていて」

「そこの人の紹介は?」

「ちゃんと食事の席でするから大丈夫よ。さぁ、いきなさい」


 シューレがグレイの横を通り過ぎざまに食卓に着いているように促す。グレイはミヒャエルの方に視線を向けていきなり客として現れた僧衣姿の男の説明を求めたが、結局シューレに背中を押されて渋々奥へと引っ込んでいった。

 玄関はかつて繁栄を極めていた頃の名残か結構広く、どうやら完全に持て余しているようだった。調度品の類も全くないため飾り気もなく、そしてそのせいでただでさえ広い空間が更に目立っており、殺風景に拍車を掛けている。救いといえば掃除は定期的に行われているようで埃の類は溜まっていないことぐらいだった。


「こちらです」


 シューレの先導に従ってミヒャエルは玄関を抜ける。短い廊下の壁には何かが掛けられたりしていたような痕が残っている。恐らくは玄関にしろこの廊下にしろ最初から殺風景だったようではないようだ。恐らくは魔女として表舞台で生きられなくなってきた辺りから、生活の為に様々な物を売ってきたのだろう。


「シューレさん、一つ訊いても?」

「何でしょうか?」


 廊下を歩きながらミヒャエルはシューレに質問を投げかけた。もう二、三歩歩けば廊下が終わり隣の部屋へと続く扉に彼女の手がかかるだろう。扉の隙間から漏れる光から考えて、隣の部屋がディナーの会場となる筈だ。出来ればミヒャエルはその質問はグレイの居ない所で済ませておきたかった。シューレ自身の為にも。


「ご主人は今、どうしてるんですか?」


 その質問を聞いたシューレの動きが、ミヒャエルの予想通りに止まる。そしてまたミヒャエルの予期した通り、数泊の間を置いてから彼女はその問いに答えた。


「今はもういません。もう、別れましたから…」

「そうですか。すいません、こんな質問をして」


 ミヒャエルの謝罪に「いえ」とだけ返して、シューレは扉を開いた。

 ミヒャエルはそれ以上の追求はしなかった。今現在、彼女には夫といえる存在がいない。これだけ分かればそれで彼には充分だった。

 扉を抜けた先は居間と思しき部屋になっていた。玄関や廊下と同じく調度品の類は無く、必要最低限の家具が置かれているだけではあるが、床や棚等にちらほらと本だったり玩具だったりが無造作に置かれているのが目に入った。どうやらこの部屋がシューレとグレイの生活の中心となっているようだった。


「いやぁ、大層なごちそうじゃないですか、おいしそうですねぇ」


 部屋に入ったミヒャエルは中央に置かれた木製の机の上に並べられている食事を見て感心したような声を漏らす。並べられているのはサラダやパン、シチューといったところで決して豪勢なものではなかったが、今のミヒャエルにとってはそれらは他に並び立つ存在の無い御馳走であった。


「どうそお好きな席に座って待っていて下さい。今、飲み物を持ってきますから」


 少し照れ臭そうにシューレはそう告げると、棚を開いてワイングラスを取り出す。ミヒャエルはその様子を眺めながら近くの席に腰かけた。


「ん?」


 席に着いたところで、視線を感じてミヒャエルは自分の向かい側に顔を向ける。目の前にはいつの間にかグレイが座っており、相変わらずの目付きでミヒャエルのことをじっと見据えていた。


「えっと、僕の顔に何か付いてますか?」

「……」


 ミヒャエルはグレイに声を掛けるも返事は返ってこなかった。ミヒャエルは困ったような笑みを浮かべながら、もう一度声を掛けようかと考えていたがそこにワインボトルを持ったシューレがやってくる。


「すいません。あの子は滅多に外に出ないので、私以外の人が珍しいんです」

「へぇ、そうなんです…」

「出ないんじゃなくて、母さんが外に出してくれないんじゃないか」


 予め机の上に置かれていたグラスにワインを注ぎながらシューレが息子の態度を詫びる。するとそれに噛みつくようにしてグレイが言葉を発した。


「…何度も言った筈でしょう? 貴方にはまだ外は早い、と」

「でも、村の子供達は皆家の外で遊ぶんだろう? 俺は知ってるんだ」

「村の子供達と貴方は違うのよ。これも何度も言った筈だと思うけど」


 納得がいかないのかグレイは返事を返すことなく顔をシューレから背けた。そんなグレイの態度にシューレは溜息を漏らすと、テーブルの上にワイングラスを置いて席に着いた。


「そんなことを言ってないで、ほら、グラスを持ちなさい。せっかくお客様が来ているのよ? 最低限の礼儀も理解出来ないような人は、到底外になんて出せないわよ?」


 そう割れるとグレイは渋々水の注がれたグラスを手にとった。そしてグレイがグラスを持ったのを確認してから、シューレも同じく水の入ったグラスを持つ。


「すいません、お見苦しいところを…」

「気にしてませんから大丈夫です。むしろ両親のことを思い出して心が温かくなりましたよ」


 シューレの謝罪を笑って流すと、ミヒャエルはワインの注がれたグラスを手に取った。

 当然のことながら、彼の脳裏に彼の両親の姿など一瞬たりとも浮かんできてはいない。むしろ浮かんでいたのは、シューレに諭されて不服そうなグレイの顔だった。


(警戒しているっぽいからどうなるかと思いましたが……まぁ、案外簡単に“仲良く”なれそうですね、グレイ君)


 そう心中で呟くと、ミヒャエルは手に取ったグラスを掲げた。


「では、乾杯」

「乾杯」

「…乾杯」


 ミヒャエルの音頭にシューレが続いてグラスを鳴らし、一拍遅れてグレイが不慣れな手つきで二人のグラスに時分のグラスを当てる。ミヒャエルとシューレはそんなグレイの様子を見て笑みを浮かべると、グラスに口を付けた。

 そうして男一人、女一人、子供一人の晩餐が始まった。料理は見た目こそ質素だったがどれも大変に美味だった。サラダに使われている野菜はどれも新鮮で甘く、パンは安宿の石のようなものと違って柔らかく温かい。殆どミヒャエルが元の世界で生きていた時に食べていたものと変わらない味をしていた。そしてそれを兎の肉を使ったシチューに浸して食べれば、舌を通じて伝わってくる幸福は何倍にも膨れ上がった。

 そんな料理に舌鼓を打ちながら、ミヒャエルはひたすらに喋った。最早何かを口に含んでいる時以外はずっと動いていたと言っても過言ではない。実際には、口に何かが入っていた時も動いていた訳だが。そしてそんな彼の話をシューレは少し戸惑いながらも微笑みながら聞きいていた。


「え? このシチューに入ってる兎はグレイ君が取ったんですか?」

「えぇ、そうです。いつもは私がやるんですが、最近はこの子にもやらせるようにしてるんです。どうしてもやりたいというので…」


 ミヒャエルはスプーンの上に乗っている兎の肉片を見てから、向かい側に座るグレイへと視線を移す。彼の表情は未だに愛想の無いままだったが、微かに誇らしげだった。


(分かりやすいですねぇ…)


 本人は隠しているつもりなのかもしれないが、それはヴィショップでなくとも容易に読み取れるぐらいに顔に現れていた。

 そんなグレイの表情に自然と苦笑が浮かぶ。視線を横にずらしてシューレの方を見て見れば、彼女の顔にも穏やかな笑みが浮かんでいた。


「いやぁ、凄いですねぇ、その歳でもう狩りが出来るなんて」

「べ、別にこれぐらい普通だし…」


 なのでミヒャエルが褒めてみると、グレイは恥ずかしそうに顔を背け、気にしてない体を装った。そんな素振りはまさに年相応の子供といった感じであった。


(あの目付きも、母親を奪られたくないというだけだったのかもしれませんね)


 ミヒャエルはシューレの家の玄関で初めて会った時のグレイの目付きを思い出していた。どうやらグレイは今までの人生の大半をシューレと二人きりで過ごしているようであり、そうなれば母親に対する依存度が他の子供のそれよりも高くとも不思議ではないだろう。そうであれば、母親が自分の全く知らない人間を連れてきた時にその人物に対し警戒心を抱くのももっともである。


(まぁ、そんなかわいい理由ならどうにか出来そうですね。今の反応から考えても、多分、そんなに時間を掛けずに仲良くなれるでしょう)


 ミヒャエルから視線を逸らしたままシチューを口に運ぶグレイの姿を見ながら、ミヒャエルはある種の手応えを感じていた。それはグレイの心を自分に開かせられるか否かについての手応えだった。

 グレイとシューレの二人が揃ってからの決して長くはない時間の間に、ミヒャエルはシューレの気持ちを自分に向けさせるためにはグレイという存在が重要な鍵になるであろうことを悟っていたのだ。

 ミヒャエルがそれに気付いたのは、シューレがグレイに向ける笑顔や、シューレが村で受けている仕打ち等を知らずに村に行きたがっているグレイの言動からだった。それらは、グレイがシューレに非常に大切にされて育てられていることを雄弁に物語っており、ミヒャエルにグレイこそが鍵であるということを気付かせる重要な示唆となっていた。

 一方で、そんなミヒャエルの思惑など知らずに夕食の時間は楽しげな雰囲気と共に過ぎ去っていった。いつしか並べられていた料理は無くなり、空になった食器は食卓の上から下げられた。


「良いお子さんですね」


 食器を机の上から肩付けつつミヒャエルは、食器を洗っているシューレに声を掛ける。


「有難うございます。ただ、遊び盛りで元気が有り余ってしまっていて、言う事を聞いてくれない時なんかもあるんですけど」


 食器を洗う手を休めずにシューレが返事を返した。

 ちなみに話の話題に上がっている本人は食事を終えるなり外に庭に出て行ってしまった。シューレ曰くいつもはちゃんと手伝ってくれるのに、とのことだったが、ミヒャエルとシューレが話している姿を見て居た時のつまらなそうな彼の表情を考えれば、どうしてそのような行動に走ったかは分かり切っていた。


「まぁ、今日のはお母さんを僕に奪られたと思って面白くないだけですよ」

「ミヒャエルさんととう付き合ったらいいのか分からないのもあると思います。あの子は基本、私以外の人とまともに会話をしたことすらないですから…」


 そう返したシューレの言葉には、どこか自分を責めるような響きがあった。

 ミヒャエルは机の上に置かれていた最後の皿を持ってきたシューレの手の届く所に置くと、玄関の方に向かって歩き始めた。


「ちょっと、グレイ君と話してきます」

「お願いします。あの子、ああ見えてミヒャエルさんが来るのを楽しみにしていた節もあったので」

「分かりました」


 ミヒャエルは後をシューレに任せて庭に出る。

 外は既に日が完全に落ち切っており、辺りは夜の帳に覆われていた。鬱蒼と生い茂った木の葉のせいで夜空を埋め尽くさんばかりの数の星を見ることは叶わない。だがわりに、木の葉の隙間から差し込む月明かりと辺りを飛んでいる蛍らしき昆虫の光が生んだ幻想的な光景は、天に描かれる星々の海と比べても遜色のない美しさだった。

 グレイはそんな光景の中に立っていた。どういう訳かは分からないが、彼の周囲に蛍のような虫が集まっており、緑色の人魂のような光が身体を中心にぐるぐると回るその姿はグレイの顔付きが中性的なことも相まってミヒャエルに思わず魔女という言葉を連想させた。


「綺麗ですね。その虫、なんて名前なんですか?」


 ミヒャエルがグレイに近づいて声を掛ける。ミヒャエルが近づいてきていることに気付いてなかったグレイは驚いたように振り向いたが、すぐにミヒャエルに背を向け直してしまった。


「ムスタール…」

「ムスタール、ですか。何かグレイ君の周りに集まってきてますけど、何でですか?」


 注意しなければ聞き取れないような小さな声で返事が返ってくる。ミヒャエルはグレイの言った名前を呟くと、彼の身体の周りを円を描いて飛んでいるムスタールの姿を見ながら訊ねた。


「臭いに集まってきてるだけだ」

「臭い、ですか? 何の臭いです? グレイさん、虫の好む臭いでも分泌してるんですか?」

「ばっ、そんな訳ないだろ!」


 全くミヒャエルの方を見ないグレイだったが、ミヒャエルが少しからかってみるとあっさりと振り向いた。

 グレイの周囲を飛んでいたムスタールが振り向いた際の動きと声で一端離れ、そしてまたすぐに集まってくる。


「そうなんですか。じゃあ、何か薬でも使っているんですか?」

「……ッ。そんなところだよ」


 そこでようやく自分がミヒャエルの思惑通りに動かされていたことに気付いたグレイは、素っ気無く返事を返して再びミヒャエルから顔を背けた。


「てことは、シューレさんから薬の作り方とかを教わってるんですか?」

「…基本的なものだけはな」


 ミヒャエルはその場から動かず、グレイの背中を見つめたまま質問を続ける。グレイもまた、ミヒャエルに背を向け自分の周囲を飛ぶムスタールが発するおぼろげな光を目で追いながら、短い返事を返す。


「基本的なものだけっていうと?」

「腹痛に効いたり、腰とかの痛みに効いたりとか、そんな程度の薬だよ。俺が教えてもらってるのは、そんな面白くもない薬だ」

「面白くも無い薬、ですか。じゃあ、グレイ君はどんな薬の作り方を教えて欲しいんですか?」


 ミヒャエルが問いかける。グレイは首だけを動かしてミヒャエルにむず痒そうな視線を向けてから、ミヒャエルの質問に答えた。


「岩山を崩すほどの爆発を起こす薬とか、瞬く間に晴れた空を分厚い雨雲で覆う薬とか、そんなのを教えて欲しい。それこそ、魔法のような…」


 そう答えたグレイの声には明らかに憧れの感情が籠っていた。ミヒャエルは少し意外そうな表情を浮かべると、グレイの言葉に籠っていた感情が真実なのかどうかを確認しようとする。


「グレイ君は…」

「なぁ」


 ミヒャエルの言葉を遮ると同時にグレイが振り返った。ミヒャエルは何か気に障ることでも言っただろうか、と不思議に思いながら待っているとグレイが憮然とした表情で告げた。


「そのグレイ君、っていうの止めてくれよ。俺はもう子供じゃないんだ」

「…ふふっ、そうですね。ごめんなさい」


 如何にも子供らしいその要求にミヒャエルは思わず苦笑を浮かべる。それが気に食わなかったグレイは更にミヒャエルへと噛みついた。


「何だよ、その笑いは」

「いえ? 何でもないですよ?」

「嘘吐け。絶対俺のこと子供っぽいとか思っただろ」

「いえいえ、そんなことはありませんって。グレイく…グレイはちゃんと一人前の男の子ですよ」

「男の子って言ってるじゃねーか!」


 先程までの無愛想な態度は崩れ去り、両手を頭の上で振り回しながら感情を剥き出しにするグレイ。彼の周囲には依然としてムスタールが群がっていたが、既にそこには最初の時のような神秘的な雰囲気はなく、代わりに子供らしい愛らしさがあった。


「はいはい、グレイは立派な大人ですよ。よっ、大将!」

「絶対あしらおうとしてるだろ!」

「してませんって。それより、質問いいですか?」


 ミヒャエルが話題を元に戻そうとする。それを好機と見たグレイの顔には、俄かにたずらっ子の様な笑みが浮かんだ。


「俺をからかったことを謝ったら、答えてやってもいいぞ?」

「えー。じゃあ、僕が今まで旅してきた時の話を聞かせてあげますから、それで我慢してくれません?」

「せめて、一回試してみてからその提案をしろよ! 俺に謝るのはそんなに嫌か!」


 謝る素振りを見せることすらないミヒャエルに、グレイは思わず地団駄を踏んで声を上げる。


「じゃあ、僕の謝罪と僕の旅の話、どっちが聞きたいです?」

「…………旅の話」


 そんなグレイにミヒャエルは二択の質問を突き付ける。グレイはしばし考え込んだ後、悔しそうに声を絞り出して返事を返した。


「はい、決定ですね。じゃあ、まず僕の質問から行きますよ」

「仕方が無いな…」

「グレイは将来、シューレさんみたいな魔女になりたいんですか? まぁ、グレイは男の…男だから、魔女って言ったら何か変ですけど」


 グレイが気負わず自然に答えられるように軽口を交えてミヒャエルは彼に問うた。

 グレイは数瞬考え込む素振りを見せてから首を横に振ると、口を動かした。


「俺は、こんな森の中だけじゃなくてもっと外の世界で暮らしたい。それで俺の…ヴィレロの家の凄さをみんなに見せつけて、金を稼いで、それで母さんと一緒にデカい家に住むんだ」

「ヴィレロの家の凄さを見せつけて、ってことは魔女と呼ばれる所以になった薬を使って、ってことですか?」

「当たり前だろ? 他に何が有るんだよ。家の中にあった本によれば、俺の曾曾曾…まぁ、とにかく昔の婆ちゃんはこの辺り一体を治めてたって話だからな。その血を継いでる俺にもきっと出来る筈さ」


 そう答えるグレイの目には、確かな未来に対する希望の光が宿っていた。彼は本気で信じているのだ、魔女の技術(ウィッチクラフト)を用いて富と栄光を勝ち取れると。


「グレイは…シューレさんの村での評判について知っていますか?」


 ミヒャエルはグレイに対してそう訊かずにはいられなかった。実際にグレイの口から発せられる言葉で彼がシューレの置かれている立場を知っているのかどうかを確認しなければならなかった。


「うーん、そう言えばどうなんだろうな? 考えてみれば、母さんはそういったことは全然話さないしな…」


 例え帰ってきた答えが予想を裏切ることがなかったとしても。


(シューレさんはグレイ君のことを想って黙ってるんでしょう。しかしそれが逆に、グレイ君にとって現実を残酷な物へと変えてしまっている)


 皮肉としか言いようの無い事実に、ミヒャエルは心中で嘆息する。

 一方でグレイはそんなミヒャエルの心境などは知らず、無邪気な顔でミヒャエルに訊ねる。


「そうだ、あんたは知らないのか? 母さんが村の人間からどんな風に見られてるのか」


 そう訊ねたグレイの顔は期待に満ちていた。グレイが、自分の母親は村の人々から尊敬の眼差しを受けているに違いないと信じ切っているのは火を見るより明らかだった。現実はその真逆だというのにも関わらず。


「……そうですね。皆さん、シューレさんにはとても感謝してますよ。おかげで医者いらずだ、って」


 数瞬の沈黙の後、ミヒャエルは真実を隠すことを選択した。それは単にグレイの機嫌を取るためだけではなく、真実彼自身のことを考えての行動だった。

 グレイはどこかで真実を知ることになるだろうし、知らなくてはいけないだろう。だが、今はその時ではなかった。シューレに関する真実は、今の純粋無垢な魂を持った彼にとってはあまりに重すぎ、下手をすればグレイの心に一生消えない傷を残す可能性があった。

 ミヒャエルのこの偽りの言葉には、正真正銘の愛情が宿っていた。


(いつかは、君は僕の息子になる訳ですからね。あまり重い物を背負わせたくはない…)


 正真正銘、歪んだ愛情が。


「医者の代わりってのが何か気に入らないけど…まぁ、いいか。俺が偉くなってそんな考えを見返してやれば済む話だからな。それより、ちゃんと答えてやったんだ。早く旅の話とかいうのを聞かせろよ!」

「そうですね。約束ですから、ちゃんと聞かせて上げましょう」


 期待に胸を膨らませながらグレイがミヒャエルに話をせがむ。ミヒャエルは微笑を浮かべると適当な場所に腰を下ろし、記憶を掘り返しながらグレイにせがまれるままに今までの旅の話だったり、自分が元の世界で生きていた時の話をぼかしながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

 グレイはミヒャエルの隣に座りながらその話に熱心に耳を傾けた。隣り合わせに座って、話を聞かせるミヒャエルとその話を聞くグレイのその時の姿を見た人間は、恐らく皆がこう思ったことだろう。まるで親子のようだ、と。

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