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Bad Guys  作者: ブッチ
Kinky Love
96/146

Farce

 ヴィショップ達三人がギルド『ヤーノシーク』の首領であるブルゾイからの依頼を受けて『ヴァライサール』近郊の山に脚を踏み入れたのとほぼ同時刻。そろそろ昼時が近づいてきた頃合いに、『フレハライヤ』の外れに広がる森の入り口に一人でシューレは現れた。


「……今日は私の方が速いみたいですね」


 灰色の薄汚れた外套を身に纏ってフードで頭をすっぽりと覆ったシューレは、誰も居ない森の入り口を見てポツリと呟く。そして近くの木の幹に背中を預け、両手で籠の持ち手を持って村へと続く道に視線を向けると、この空白の時間を利用してこれからこの場に訪れるであろう人物について考えを巡らせる。

 気付けば今日を合わせてミヒャエルとシューレがこのようにして待ち合わせるのは四回目を迎えていた。ヴィショップ達が『フレハライヤ』に居る間に二回、そしてヴィショップ達がこの村を離れた当日と今日で二回。数日の内に四度も他人と顔を合わせ、そして時間を共有するというのは普段から人との接触を避けるシューレにとっては異常とも言える出来事であった。


(……何故、あの人は私から離れてくれないのでしょうか?)


 シューレは心中で独りごちる。

 彼女はその人物と居る時、決して多くを語らない。大抵が返事を返すばかりで自分から話しかけることはなく、自分から話しかける時も何かを指示したりといったことばかりで、二人の間を飛び交う会話の内容は決して面白味のあるものではない。にも関わらず、その人物は一瞬たりとも笑みを絶やさず心の底から楽しそうにシューレと会話をする。そればかりか、薬の材料集めに森を歩き回らせて怪しげな茸やら虫やらを取るのを手伝わせても愚痴一つ零さないし、村の住人にシューレが邪見に扱われた時にはまるで自分のことのように憤りを憶えていた。

 自分と一緒に居ても何一つ良いことなど無い。にも拘わらず、一向に自分から離れようとしないその人物をシューレは全くと言っていい程理解することが出来なかった。そしていつの間にかシューレの脳裏にはその人物の影が何度もチラつくようになっていた。


(そう言えば不思議がってばかりですね、あの人に関しては…)


 図らずもシューレの口元が微笑を形作る。自分が笑みを漏らしていたということに気付いた彼女は、驚いて思わず右手を口元へと当てていた。

 他人のことで笑顔になったこと、それはシューレにとっては久しい出来事だったのだ。


「珍しく、遅いですね」


 まるでその笑みを取り繕うかの様にシューレが呟く。数日前までは来る筈がないと思っていた彼女の思考が、今や来るに決まっているという風に変わっていることにシューレは気付いてはいないようだった。


「待ち合わせの時間に遅れている、という訳ではないのですが…」


 空を覆う木の葉の天蓋の隙間から差し込む太陽の光に目を向けて、シューレが呟く。そして視線を下ろしていくと、村人の立てた看板と目が合った。


『この先、魔女の住まいし土地。用無く立ち入るべからず』


 看板にはそう記されていた。単純に危険故に立ち入り禁止としてしまいたいが、露骨にそう書いて魔女の危険を損ねるのも嫌な村人達が記した妥協の結果。もっとも、村人達のシューレへの日頃の態度を鑑みれば本当にそんな意思の下に書かれた看板なのかどうか怪しいものではあったが。


「魔女、か……」


 シューレは看板を見つめながら自分の呼び名を呟く。

 村人達はシューレを魔女と呼んで迫害する。しかしその迫害の根底にあるのは異質の存在に対する恐れである。自分達の理解の及ばない存在であるが故に村人達は恐れ、迫害する。他者というものが恐ろしいが故に、自分の血縁の伝を辿って片田舎の僻地に逃げ延びてきた一人の女を。


「私が強ければ、もっと他の生き方が出来たのでしょうか…」


 誰に問いかけるでもなシューレはそう発した。無論、それに答えてくれる存在などいはしない。


「おーい、シューレさーん!」


 その彼女の問いに答えてくれる存在は居なかったが、彼女の名を呼ぶ存在は居た。

 シューレの顔が声のした方へと向く。彼女の視線の先には、彼女の方に向かって駆けてくる、くたびれた僧衣に身を包んだ整った容姿の金髪の若者が移っていた。


「すいません、待たせてしまって。少し準備に手間取ってしまいまして…」

「丁度待ち合わせの時刻ですし、謝ることもないと思いますよ」


 若者…ミヒャエルはシューレの許まで来ると律儀に謝罪の言葉を発する。謝罪の言葉を受けたシューレは困ったような表情を浮かべた。


「いえ、でも、待たせてしまったでしょう?」

「私も先程来たばかりですから大丈夫です」


 ミヒャエルの問い掛けに返事を返してシューレは木の幹から背中を離して村の方へと歩き始める。ミヒャエルは彼女に続くと質問を投げかけた。


「今日は、薬を売るんでしたよね?」

「そうです。この前集めるのを手伝って頂いた材料で作った薬を村の方々に届けます」

「そのことなんですが…」


 ミヒャエルが何か言いたげに言葉を切る。シューレが不思議そうにミヒャエルの顔を見ると、ミヒャエルは意を決したようにシューレにある提案を持ち掛けた。


「薬のやり取りなんですが、僕にやらせてもらえませんか?」


 何故ミヒャエルがそう思い、そう切り出してきたのかは普段のシューレに対する村人の態度を考えれば、すぐに出てきた。なのでシューレは、その提案の理由を問うことなくそのままミヒャエルに自分の答えを告げた。


「大丈夫です、いつものことですから。それに、今ここで貴方に代わってもらったとしても、それは一時のことに過ぎませんですし。それに、そんなことをしたら今以上に貴方に迷惑をかけてしまいます」


 そう、いつかはこの人物も村を離れて去っていくのだ。彼女にとっての日常から外れているこの時間は決して永遠に続くものではないのだ。シューレはそう自分に言い聞かせながら、ミヒャエルに返事を返す。ミヒャエルと共に過ごす奇妙な時間に慣れてしまわないように。


「そうかもしれませんけど……それでも、少しでもシューレさんの負担を減らせるなら…それに僕は全然迷惑だなんて…」

「とにかく、私は大丈夫ですから。それよりほら、そろそろ村に着きます」


 シューレはそう言って強引に会話を打ち切ると、歩調を早めて『フレハライヤ』へと向かう。ミヒャエルは先を進むシューレの背中を見て小さく笑みを浮かべると、彼女に追いつき真横に並んで歩き出した。


「…?」

「何でしょうかね?」


 二人が村の喧騒に気付いたのはそれから村に入って少し進んでからのことだった。喧騒は広場から聞こえてくるらしく、言葉こそ聞き取れないものの怒鳴り声等が混じっていおり剣呑とした雰囲気は充分と伝わってきていた。


「何かったようですね…行ってみましょう、シューレさん」

「あっ…」


 ミヒャエルはそう告げると歩調を早めて広場の方へと進む。一方でシューレは喧騒から伝わってくるただならぬ雰囲気に脚を竦ませミヒャエルの後を追えずにいた。しかしミヒャエルは真っ直ぐと広場の方に進んでおり、シューレがついてこないことに気付く様子は見られない。

 シューレが動いたのはミヒャエルが建物の影に隠れる直前のことだった。彼女は小さく溜息を吐くと、脚を動かしてミヒャエルの後を追い始める。


(うわぁ、結構人が多いですね)


 一足先にミヒャエルが広場に到着する。井戸を中心とした広場には『フレハライヤ』の全人口が集まっているのではないかと錯覚するような人だかりが出来ていた。しかし真に注目すべきは人数ではなく、集まった人々の様子にあった。

 ぱっと見渡した限りでも、この場い集まった人々の半数は鍬やら農作業用の鎌等を手にしており、皆が皆怒声を上げてまさに一触即発の状態になっている。それらの人物の中心となっているのは一組の男女で、三十代後半程の夫婦と思しき二人組。女の方は肩を震わせて涙を流しながら何事かを叫んでおり、男の方はそんな女の肩に手を当てて対面する人物に声を荒げて言葉を飛ばしている。一方でその集団に向かい合う様にしているのは、その三分の一程の人数の集団だった。彼等は武器の類を一切持っておらず困惑混じりの表情で暴徒の一歩手前まで行っている集団を宥めようとしていた。その先頭に立っている『フレハライヤ』の村長夫婦だったが、彼等の説得が効を成しているようには全く見えなかった。


「何があったんですか?」


 ミヒャエルは残りの見物に回っている人々の中の一人に近づいて、この騒ぎが一体何なのかを訊ねる。訊ねられた男は怪訝そうな表情を浮かべながらもミヒャエルの質問に答えた。


「遂に出たんだよ、十人目が」

「出た? 出たって何がですか?」

「消えた子供だよ、それ以外に何があるっていうんだ?」


 男は呆れたようにそう発すると、怒声を上げて手にした鍬やら何やらを掲げる集団の先頭に立っている夫婦を顎で指し示した。


「あそこの家の子供が消えちまったんだよ。何でも朝起きた時にはちゃんと居たんだが、それから朝食やら洗濯やらで目を離した先に姿が見えなくなったんだと。で、いくら名前を呼んでも出てこない、姿も見えないってもんだから、こうしてついさっき騒ぎになったのさ」

「はぁ…それで、あれはどういう理由で?」


 騒ぎの中心となっている二つの集団を目で指してミヒャエルが訊ねる。


「十人目が出たってことでこれ以上やらせてたまるかって感じになって、子供が消えた家の人達を中心に犯人をとっちめに行こうって奴等が出てきたんだよ。で、それを今村長達が何とか止めようとしてるんだ」

「犯人、分かったんですか?」

「分かったも糞もないだろ? 犯人らしき奴なんて一人しか居ないよ…」


 ミヒャエルと話していた男が発しようとした最後の言葉、それはミヒャエルの背後から飛んできた声に引き取られた。


「魔女…」

「そうそ……って、あんたは…!」


 頷きながら振り返った男は、その先に立っていたシューレを見て身体を強張らせる。その男の態度で周囲の人間もシューレがこの場に現れたことに気付く。一人が気付いたのを皮切りにシューレの存在に一瞬にして広場の人々が気付き始め、全員が彼女の存在を認知した瞬間、先程まで広がっていた混沌とした喧騒が瞬く間に静まった。


「ヴぃ、ヴィレロさん…」


 彼女の存在に気付いた村長が戸惑った様子で声を漏らす。その頃には既に周囲を覆っていた人垣がシューレの立っている辺りで二つに割れ、彼女の前に一本の道を作り出していた。


「あんた……あんたぁ!」


 凍りついた空気の中で、今まで夫と思しき男に支えられながら涙を流していた女性が立ち上がったかと思うと、声を上げながらシューレへと駆け寄る。そして両手を伸ばしてシューレに掴みかかろうとするが、それは慌てて間に入ってきたミヒャエルによって防がれる。


「っ! 何よあんた! 邪魔なのよ! 退きなさいよ!」

「退きませんよ! というか、貴女今シューレさんに何しようとしていたんですか!」


 火事場の馬鹿力というやつか、はたまたミヒャエルが非力なだけなのか。両腕をしっちゃかめっちゃかに振り回して無理矢理にでもシューレに近づこうとする女を何とか押しとどめながら、ミヒャエルは女を問い質す。


「こっちに来なさいよ、あんた! 私の子供をどうしたのよ! 返せ! 返しなさいよ! 私の子供を返しなさいよぉぉぉ!」


 しかし女はミヒャエルの言葉など無視して、叫び声を上げながら押し通ろうとする。その女の叫び声で、今まで茫然とその成り行きを見守っていた女の夫らしき男とそれに続く人々が声を上げ始めた。


「そうだ! 子供を返せ、魔女め!」

「どうせお前の仕業なんだろ!? そんなことはお見通しなんだよ!」

「くそっ、言いたい放題言いやがりますね…!」


 シューレへと浴びせられる言葉に思わずミヒャエルの口から悪態が漏れる。ミヒャエルは一向に止めようとする気配の見れない女を押し止めつつ、顔を動かして自分の後ろに居るシューレの様子を確認した。

 シューレはただ、無言で俯いているだけだった。元々フードを被って隠れていた彼女の顔は俯いたことで完全に判別出来なくなっている。しかし籠を握りしめる彼女の両手を見れば、今の彼女の心境の大体を推し量ることは出来た。


「シューレさん…」

「おい、お前!」


 そんなシューレの姿に図らずも心を痛めてしまったのもつかの間、ミヒャエルは前方から飛んできた声に反応して顔を戻す。すると、すっかり興奮しきった様子でこちらに歩み寄ってくる女の夫と思しき男の姿が目に飛び込んできた。


「げっ、ヤバい…」

「お前は一体何なんだ? 妻から離れろ!」


 歩み寄ってくる男の姿を見てミヒャエルは悪態を吐く。今のミヒャエルは完全に女への対応で身動きが取れない状況にあり、前方から迫ってくる男が殴りかかるなりしてきた時、避けることも受け止めることも出来ない。そもそもそれ以前に、猪か何かのようにひたすら前へと突き進もうとする女を押しとどめているのもミヒャエルにとっては限界に近づいていた。


「四元魔導、疾風が第二十三奏“フロウル・テリス”」


 その為、ミヒャエルは左手を女の腹に当てると手短に呪文の詠唱を済ませて魔法を発動させた。呪文の詠唱が終わると、女の腹に当てたミヒャエルの左の掌に魔力で生成された球状の風の塊が現れ、炸裂する。所詮は初歩の初歩でしかない魔法の為、ゼロ距離で当てたところで命をどうこうする程の威力はこの魔法にはない。ただそれでも、女をよろめかせて数歩後退させた後、地面に膝を突かせるだけの威力はあった。


「なっ!?」


 苦しそうに膝を突いた妻に男は急いで駆け寄る。そして膝を突いたまま呻き声を上げる女の背中を心配そうにさすっていた。一方、女から解放されたミヒャエルは溜息を吐いて額に浮かんだ汗を拭うと、シューレの様子を確認しようとして後ろを振り向く。

 呆気に取られてた表情が並ぶ人垣の中に作られた一本の道の真ん中に、シューレは先程とあまり変わらない姿で立っていた。ただ数秒前とは違って彼女の顔は俯いておらず、驚きと不安の混じった表情がミヒャエルの目にもちゃんと映るようになっていた。


「だい…」


 彼女の表情に浮かぶ不安の色を見たミヒャエルはそれを和らげようとして声を掛ける。しかし、半分も言葉を告げない内にシューレの顔に浮かんだ不安が何によるものなのかを理解して唇の動きを止めた。

 周囲に影を生むような建物の類はないにも関わらず、ミヒャエルの身体には影がかかっていた。その影が人型であることに気付いたミヒャエルは恐る恐る身体の向きを変えて振り返る。振り返った先では今しがた腹に魔法を叩き込んで膝を突かせた女とその夫と共にシューレを糾弾しようとしていた面々が、ミヒャエルの目と鼻の先の場所に立って睨みつけていた。


「えー…ぐうっ」


 ミヒャエルが何か言葉を発する前に鍬を肩に預けたがたいの良い男がミヒャエルの襟元を掴んでねじ上げる。ミヒャエルは苦しそうに声を漏らしたが、がたいの良い男はそんなのは聞こえなかったとばかりにミヒャエルに問いかけた。


「てめぇ……何しやがった…!」


 怒りに歪んだ顔をミヒャエルに近づけて男はミヒャエルの瞳を覗き込む。ミヒャエルは引きつった笑みを浮かべながら男の問い掛けに答えようとした。


「い、いやぁ、少しお腹を押しただけで…げふっ」


 しかしその前に男の拳がミヒャエルの鳩尾へと叩き込まれた。当然防御など出来る訳も無く、無抵抗に男の拳を受け入れたミヒャエルの口から声が漏れる。

 ミヒャエルの鳩尾に拳を叩き込んだ男は無言でミヒャエルの襟元から手を離す。男の手から解放されたミヒャエルの身体はそのまま重力に従って地面に膝を突いた。


「ごほっ、げほっ…うぇ…」


 両手を地面に突きいてミヒャエルがむせる。男はそんなミヒャエルの後頭部を見下ろしていたが、やがて心配そうな面持ちで地面に伏しているミヒャエルを見て居るシューレの方に向かって一歩踏み出した。


「…!」


 そして二歩目を踏み出そうとした瞬間、男は持ち上げようとした脚を引っ張られる感覚を憶えて歩みを止めた。視線を自分の足元へと向けてみれば一本の腕が伸びて男のズボンを掴んでおり、その腕の先へと視線を向けると地面に両手を突いたまま自分を見上げているミヒャエルの姿が目に入った。

 そのミヒャエルの瞳を見た瞬間、男を背筋が凍りつくような感覚が襲う。その感覚はミヒャエルの手など振り払って先に進もうとした男の歩みを意図も容易く止め、先程まで怒りで燃えていた男の脳を一瞬にして凍てつかせて、何かを発しようとした男の唇の動きを止める。

 男には理解出来なかった。何故、女のように線の細い自分の拳一発で地に伏すような男の、先程まで何の気迫も感じられなかった男の眼差しが、息をすることすらままならなくなる程に身体を凍りつかせるような恐怖を自分に与えているのか。


「おい、どうした!? まさかそいつに何かされたのか!?」


 そんな男の状態など知る由もない他の仲間達が男の下に駆け寄ってくる。その中には先程ミヒャエルともみ合っていた女の夫の姿もあった。

 男は何も答えることが出来なかった。それどころかミヒャエルの眼差しから顔を背けて仲間の方を見ることすら出来なかった。そして男の視線はゆっくりと立ち上がるミヒャエルの姿に合わせて持ち上がっていった。


「おい! お前、そいつから離れろ!」


 他の仲間達が自分の許までやってくるまでの数秒は、男にとって今までの人生の中で二番目に長く感じられた時間だった。一番長く感じられたのは、その後にまっていた、立ち上がったミヒャエルが男の仲間達の方を振り向くまでの時間だった。


「別に何もしてませんよ」


 男の仲間達の方へと向いた時には、既にミヒャエルの眼差しは男に経験したことも無い恐怖を植え付けたものではなくなっていた。むしろその表情には笑みすら浮かんでおり、僧衣に付いた汚れを軽く手で叩き落としながらミヒャエルは男の仲間達の質問に答える。


「信じられるか!」

「別に信じなくてもいいですよ。それより僕が気になっているのはこの騒動に関してです」


 仲間達と向かい合ってミヒャエルはそう告げた。


「何だと?」

「大体の事情は今さっき聞きました。何でも貴方達は今朝子供が消えたのはシューレさんの仕業だと思っているみたいですね」


 ミヒャエルがそう訊ねると、訝しげな表情を浮かべていた人々の内の一人が声を上げた。


「当たり前だ! 他に一体誰が居るっていうんだ!」

「さぁあ、分かりません。でも、これだけは言えます。シューレさんは子供を攫ってなんかいません」


 当然のことを言うな、とでも言いたげな男の声。しかしミヒャエルはそれを真っ向から否定する。


「何馬鹿なことを言ってる! 魔女の仕業に決まってるだろうが!」

「いやいや、貴女達もいい大人なんですし、何でもかんでも魔女の仕業っていうのは…って、ちょっ、待って待って、落ち付いて下さい」


 これ見よがしに噴き出して見せたのがまずかったのか、怒りで顔を真っ赤に染めながら連中が詰め寄ろうとしたのを見たミヒャエルは慌てて両手を突き出して静止する。その背後では先程までミヒャエルの眼差しに息が詰まる程の恐怖を植え付けられていた男が、信じられないものを見るような目付きでミヒャエルを眺めていた。


「そもそも、何でシューレさんが犯人だと思うんですか? そうなった理由を魔女という単語を使わずに僕に教えて下さいよ」

「それは…」


 そうミヒャエルが質問すると、男の仲間達は困ったように互い互いに視線を向け始める。しかしそれだけで答えは待ってみても出てはこなかった。


「何ですか、誰一人説明出来ないんですか? それでよく、殴り込みなんとしようと思えましたね」

「ッ…! じゃあ、お前はどうなんだ! そこの魔女じゃないとしたら、他に一体誰が俺の息子を攫ったというんだ!」


 言葉に詰まっていた夫が、大声を上げながら一歩ミヒャエルに詰め寄る。すると他の言葉に詰まっていた連中も夫の言葉に同調して思い思いにミヒャエルを責め立て始めた。

 しかしそれらの声を前にしてもミヒャエルの表情が崩れることはなかった。むしろその相貌には、余裕すら浮かんでいると言ってもよいだろう。


「だから、それは分かりませんってば。でも、シューレさんがそこの人の子供を攫ってないのは確かです。証拠もあります」

「証拠だと!?」


 女の夫が訝しげな視線をミヒャエルに向けて聞き返す。ミヒャエルは首を縦に振ると、右手の人差し指を足元へと向けて自身の脚を指差した。


「足跡ですよ」

「足跡?」

「そうです。この村からシューレさんの住んでる森までの道には三つの足跡があります。この村からシューレさんに会いに森に行った時、そして今さっき村に戻ってくる時の僕の足跡。そしてもう一つは、僕と一緒にこの村に来た時のシューレさんの足跡。その三つだけです」


 わざわざミヒャエルが口に出して説明しなくても、それが何を指しているのかを彼等は理解していた。もし本当に村と森を繋ぐ道に残った足跡がミヒャエルの言った通りのものしか残っていないのならば、それはすなわち、薬を売る為にミヒャエルと共に村を訪れた以外でシューレが『フレハライヤ』に訪れていないことの証拠となる。

 シューレを糾弾しようとしていた一団の口が途端に口を噤むと、やがて彼等は互いに意見を求めるように顔を見合わせた。結果、一先ずミヒャエルの言葉が真実なのかを確かめることにしたらしく、少しの間会話を交わした後に一人が抜け出て森へと続く道に駆けて行った。


「足跡に関しては取り敢えず確認を待つとしよう。だが、それ以外にも問題は残っているぞ」

「消えた子供のことでしょう?」


 夫が幾分か落ち着きを取り戻した声でミヒャエルに改めて話しかける。一方のミヒャエルは不敵な態度を保ったまま、夫の言わんとしていたことを引き継いで口に出した。


「そうだ。その女が俺達の子供を攫っていないとするなら、一体どこのどいつが攫ったんだ?」


 夫の目がミヒャエルに語りかけていた。「答えられるものなら答えてみろ」と。ミヒャエルはその挑発的な視線を受け止めると、彼の望み通りにその質問に答えた。


「だから言ったでしょう? 知りません、分かりませんと」

「ふ、ふざけるな! そんなんで納得出来るか!」


 ミヒャエルの答えに、静まりかけていた女の夫の激情が蘇る。連鎖的に他の面々も再び声を上げ始め、広場は先程と同じ、寧ろそれ以上の怒声に包まれた。


「まぁまぁ、そう昂奮しないで下さいよ。そもそも、誘拐されたと決まったわけでもないでしょう?」

「……何?」


 まるで初めてその可能性に行き当たったかのように間の抜けた表情を夫が浮かべる。


「だから、誘拐されたってことを前提で話してるのがおかしいと言ってるんですよ。確かに今まで出来事で何らかの事件性みたいなものがあると思いたくなる理由は分かりますけど、だからって今回もそうだとは限らないでしょ?」


 呆れ混じりの表情を浮かべてミヒャエルが諭すように話しかける。その話し振りか、はたまた表情が気に食わないのか、夫は苛立ちを滲ませた声音でミヒャエルに問いかける。


「じゃあ何だ? もし誰も俺達の子供を攫っていないのなら、俺達の子供はどこに消えたんだ?」

「だから、それは分かりませんってば。でも…」


 ミヒャエルは何度も言わせるなとでも言いたげに返事を返すと、天を仰いだ。

 雲の殆ど無い青空に浮かぶ太陽は、大体ミヒャエルの真上ぐらいの位置にあった。


「そうですね、取り敢えず足跡を確認しに行った人が戻るまで待ってみましょう。もしかしたら、村外れで昼寝でもしてるだけかもしれませんし」

「何を悠長なことを…!」


 再び夫が声を荒げようとするが、ミヒャエルはそれを無視して背を向けシューレの方へと向き直った。すると不安と困惑の混ざり合った顔付きのシューレと目が合う。


「あの…大丈夫ですか、ミヒャエルさん…」

「安心して下さい、シューレさん。今に貴女の濡れ衣を晴らしてみせますから」


 そう言うとミヒャエルはシューレに優しく微笑みかけた。もっともシューレの質問は、腹を殴られたけど大丈夫か、といった意味合いの方が強かったのだが、それにミヒャエルが気付いた素振りは無い。

 その直後だった。広場に、この騒動の主役とも言うべき一人の子供が姿を現したのは。


「え? あっ、何で、君が、ここに…?」


 その子供の存在に気付いた者の口から困惑に満ちた声が漏れ、次第にその子供の存在に気付く人間が増えていく。その中には当然ミヒャエルも含まれており、何が起こっているのか理解出来ていない子供の顔を見たミヒャエルは心中で呟いた。


(来ました、か…)


 顔に浮かんでいた優しげな微笑みが、全く異質の笑みへと変わる一瞬をシューレに見られないよう、彼女に背を向けながら。

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