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Bad Guys  作者: ブッチ
Kinky Love
93/146

Big Mam

「神導魔法白式、第八百二十三録“ヘイリオス”」


 暗闇の中でヴィショップの声が上がる。すると彼の右手に握られた魔弓から光が放たれ、同じく闇に呑み込まれていたヤハドとレズノフの姿を照らし出した。


「全員生きてるか?」

「あァ、どこも異常無しだ」


 自らを照らし出した光に目を細めながらヤハドが問いかける。レズノフは頭、胸、腹、そして股間の順番に手を動かして怪我が無いことを確認してから返事を返した。


「最後の一部分は潰されでもしてくれた方が良かったかもな」

「馬鹿いうなよ、ジイサン。ここが潰れちまったら、俺の魅力は半減だろォ?」


 ヴィショップとレズノフが軽口を飛ばし合う。それでヴィショップも特に怪我をしていないと判断したヤハドは、ヴィショップの魔弓に灯された光によって照らし出されている、数秒前まで洞窟の入り口があった場所へと手を伸ばした。

 そこは今や、崩れ落ちた天井の瓦礫によって塞がれていた。僅かに隙間もあるが、そこから入ってくるのは僅かな空気の流れくらいで、一条の光すら差し込むことはない。


「米国人、この洞窟を塞いだ先程の一撃、ちゃんともう一発撃てるんだろうな?」

「てめぇじゃあるまいし、そこんとこは抜かりねぇよ。それより次はどうするんだ? 奥があるみたいだし行ってみるか? それとももう一度ここを吹き飛ばして外に出るか?」


 ヴィショップに問われたヤハドは洞窟の入り口を塞ぐ瓦礫に手を当てたまま思考する。


(外に出ても魔獣が待ち受けている可能性がある…。そもそも俺達の目的は『ヤーノシーク』が今回の一件に関わっている証拠を見つけること。今ここで引き返したら何の意味もない。それに……こうして出口が塞がれているということは、他に出入口がない限りここから誰も出れないということだ。俺達も、そしてここに潜んでいるであろう何者かも)


 瓦礫から手を離したとき、ヤハドの心算は定まっていた。

 ヴィショップの方へとヤハドが振り向く。そしてヴィショップの見定める様な視線とレズノフの何かを心待ちにするかの様な視線を受けながら、ヤハドは二人に告げた。


「このまま先に進む。一通り見て何も収穫が無ければ、米国人の武器を使って入り口を塞ぐ瓦礫を吹き飛ばして脱出だ」

「オーケー、リーダー。それでいこう」


 ヴィショップが言葉で、レズノフがガッツポーズで賛同の意を示す。ヤハドは小さく頷くと、自分の曲刀をヴィショップへと突き出した。


「前衛が俺とロシア人で務める。お前の魔法で俺とロシア人の件に光を灯してくれ」

「分かった。おら、お前も剣だせ」


 ヴィショップの言葉に従ってレズノフが剣を突き出す。ヴィショップは二度呪文を詠唱し、突き出された二振りの剣に光を灯した。


「凄ェな、まるでジェダイの騎士みてェだ」

「おい、危ないだろ、振り回すな」


 口真似で音を出しながらレズノフが光を放つ長剣を芝居がかった動きで振るう。それをヴィショップが呆れ混じりの口調で諌め、レズノフがカラカラと笑いながら刀身を肩に預けたところで、ようやく三人は洞窟の奥に向かって歩き出した。


「あの弾丸はあと何発撃てるんだ?」

「さぁな。精々八から六ってとこだろ」

「何だその曖昧な答えは。お前があの弾丸を撃てなくなったら、ここで仲良く三人飢え死ぬことになるんだぞ?」


 要領を得ないヴィショップの答えにヤハドが不満そうな声を上げる。


「仕方がねぇだろ、魔法の手ほどき何ぞ殆ど受けてないんだ。自分の魔力の残存量なんぞ大体しか分からねぇんだよ」


 肩を竦めてヴィショップがそう答えると、ヤハドの舌打ちが返ってきた。ヴィショップは何か言い返そうとも考えたが、結局それが暇つぶし以上の意味を持つ物になり得るようには思えなかったので止めた。


「しかしよォ、一体何だったんだろうなァ、あの魔獣共はよォ」


 前へと進みながらレズノフが思い出したように告げる。

 外で襲い掛かってきた魔獣の群れに関しては他の二人もまた疑問を抱いていた。ただ少なくとも、種類の全く違う魔獣達が一匹の例外もなくヴィショップ達だけを襲ってきたことを考えるに、あれが自然に引き起こされたものではないことは確かといっても過言ではなかった。


「魔獣共が襲い掛かってくる寸前に聞こえた角笛の様な音色、あれが関係していそうではあるが…」

「獣が鬨の声でも上げたってのか? 種族の垣根を越えて一致団結とは、泣ける話じゃねぇか」

「鳴き声を使ってコミュニケーションを取る動物自体は普通に居るが、種族が違うにも関わらずとなると、確かにな…」

「そういや、何かデケェ奴もいたらしかったなァ。ありゃあ、一体何だったんだァ?」


 少し思案した挙句、ヴィショップがレズノフの疑問に答える。


「この山のヌシとかじゃねぇか?」

「山のヌシィ? 川とかならともかく、山のヌシっていうと何だァ?」

「さぁな。熊とかだろ」

「熊だろうと蜘蛛だろうとどっちでもいい。それよりも問題は、あの魔獣の群れが『ヤーノシーク』によるものなのか。『ヤーノシーク』のものだった場合、どうやってあんな真似をしていてどうやれば止めさせられるのか、そしてやっているのは誰なのか。これらを考える方が先決だ」


 他愛の無い話を交わしながらヴィショップとレズノフは洞窟の奥へと歩を進める。二人の会話を聞いたヤハドは呆れ混じりの声で注意するが、少なくともレズノフがその注意を素直に受け入れたとは到底思えなかった。

 主にレズノフが何か下らない話題を振り、それにヴィショップかヤハドが答える。そうやってぽつぽつと会話を続けながら三人は歩く。そしてその会話が一時的に止む瞬間が三人に訪れたのは、そうやって歩き続けて七分程が過ぎた頃だった。

 横に三人が並べる程度だった洞窟が急に開ける。かといって日の光はおろか風の流れすら感じられないことから、そこが外ではないことはすぐに分かった。

 狭く細長い空間から一転して三人は広大な空間へと脚を踏み入れた三人の目の前には、波紋一つ立たない漆黒の水面が広がっている。その広さはかなりのものでちょっとした湖ぐらいはありそうだった。


「こいつは……地底湖か何かか?」


 やがてヤハドが水面に近づきながら誰に訊ねるでもなく言葉を発する。ヴィショップはレズノフがヤハドと同じように水面に近づいて行っているのを見てから、光を放つ魔弓を掲げて先へと続く道を探した。

 光に照らされて道が浮かび上がり、水面が光を反射して微かに輝く。洞窟の奥へと進む道はこの空間の大半を占める水辺を丁度中心で二つに分けるかのように続いていた。


「おゥい、ジイサン! ここの水ァ、中々イケるぜ!」


 道を確認していたヴィショップの耳にレズノフの声が飛び込んでくる。その声に反応してヴィショップがレズノフの方を向くと、彼は口元を右の袖口で拭いながら立ち上がろうとしていた。

 ヴィショップは小さく溜息を吐いて魔弓でこちらに手招きするようなジェスチャーをして見せる。真っ先に動いたのは、レズノフの真横で彼の行動を眺めていたヤハドだった。そして肝心のレズノフはというと、呑気に水筒に水を補充してからヴィショップの所にやってきた。


「道はこの先だ。どうやら、この地底湖のど真ん中を突っ切る必要があるらしい」

「中心を抜ける、か…」


 ヴィショップが闇の中へと続く道を魔弓の射出口で指し示しつつヤハドに告げた。ヤハドは奥へと繋がる道に一度視線を向けると、今度はヴィショップの魔法によって光を放っている曲刀を軽く振るいながら周囲に視線を向けた。


「待ち伏せはあると思うか?」

「連中がスキューバ好きならな」


 ヤハドに問われたヴィショップは彼と同じように周囲に視線を向けてみてから返事を返した。ぱっと見渡した限りでは何か隠れられような場所は水の中には無さそうだった。かといって潜水装備など碌に存在しないこの世界で、波紋の一つすらない静かな水面の中に人間が潜んでいるとは考えられない。


「もしくは魔獣、だろォ?」


 ヴィショップの言葉を引き継いだのは水筒をしまい終わったレズノフであった。ヴィショップは一瞬彼の方に視線を向けてから、小さく頷いてみせた。


「……よし。隊列を変えて先に進む。俺が先頭、次が米国人、しんがりがロシア人だ」


 数秒の思案の後にヤハドはそう言って前に進み始める。ヴィショップとレズノフはヤハドに言われた通りの順番に並ぶと彼の背中を追いかけ始めた。

 縦に一列に並んだ状態で三人は、水面からの不意打ちに警戒しつつ先へと進んでいく。すると不意に聞き覚えのある音が三人の耳に飛び込んできた。


「こいつは…!」

「間違いない、さっきのだ…!」


 それは紛れもなく、山の中で魔獣の大群が出てくる前に訊いた角笛のような音色だった。

 三人はその物音の聞こえる方へと顔を向けた。しかし、一切光の届かない洞窟の中で彼等の周囲を覆う闇は非常に分厚く、分かったのは先程と同様、巨大な何かがこの空間の闇の中で蠢いているということだけだった。


「チッ、よく分かんねェなァ。試しに一発撃ってみたらどうだァ、ジイサン?」

「いや…。どうやらんなことしてるだけの暇はなさそうだぜ」


 さも名案を思い付いたとばかりに飛び出してきたレズノフの意見をヴィショップは却下する。だが、それはレズノフの言葉を冗談だと断じて適当な返事を返した訳ではなかった。

 この時、既にヴィショップは気付いていたのだ。人間が放つ元の違って分かりにくい無数の殺気と、先程同じ物音が聞こえたそのすぐに起こった出来事によって。水中の中から自分達のことを眺めている何かしらの存在がいることを。


「人か? 魔獣か?」

「多分魔獣じゃねぇかと思うが…」


 ヤハドが一歩ヴィショップの方に近づいてから訊ねる。それにヴィショップが返事を返そうとした瞬間、ヴィショップの言葉が完全に掻き消される程の水飛沫の音と共に、地底湖の中から何かが飛び出してきた。


「は、ハァ!?」

「おい、何なんだこいつは…!」

「ハハッ、ヤベェなァ!」


 水面を押し上げ、大量の水飛沫を辺りにまき散らしながら姿を現したその存在を見て、ヴィショップとヤハドは水飛沫がかかって服が濡れていることも忘れて茫然とした表情を浮かべ、レズノフは何故か目を輝かせる。。

 水中から姿を現した存在、それは馬鹿でかい蛙のような魔獣だった。

 シルエットだけを見れば、ショートケーキの上の苺でも放り込むかのように人間を丸呑み出来そうな大きさを除いて、それは普通のカエルと何ら変わらないように見えた。だが実際にはそうではない。水中から姿を現したその蛙の様な魔獣には、ただの変えると明らかに違う点があった。

 それは鱗だ。全身を覆う、赤褐色の無数の鱗。胴体はもちろん水かきを除いた身体の外面全てを覆うかのようにびっしりと生えた鱗の数々。それが大きさ以上に、その魔獣をただの蛙とは全く異質な存在へと作り変えていた。


「ゲロォアアアアアアアアアアアアアア」


 鱗を全身に生やした蛙のような魔獣は、水面から四つん這いの状態の身体の上半分辺りまでを出した状態で三人を見下ろしていたが、不意にその巨大な口を開いたかと思うとこの空間どころか洞窟の外まで響き渡りかねない程の大音量で鳴き声を上げた。


「殺るかァ、ジイサン!?」

「殺る訳ねぇだろ、逃げるぞ!」


 ナイフから長剣へと持ち変え蛙の様な魔獣に立ち向かう意思を見せたレズノフに向かって叫ぶと、ヴィショップはヤハドと共に走り出す。

 蛙の様な魔獣の目が動き、洞窟の奥に向かって駆けるヴィショップとヤハド、そしてその後ろを不満そうな表情で追いかけるレズノフを捉える。すると一度閉じられた蛙の様な魔獣の口が再び開かれた。


「オイ、何か仕掛けるつもりだぞ!」

「何も糞も、蛙が口開いたらやるこたぁ一つだろ…!」


 そして大きく開かれた魔獣の口の奥で何かが動いたのを見た瞬間、ヴィショップとヤハドは有らん限りの力を使って地面を蹴りつけ前方へと身体を投げ出す。

 二人の身体が宙に浮いたのと同時に、蛙の様な魔獣の口から丸太の様な太さ舌が勢いよく伸びてきて一瞬前までヴィショップ達が居た地点に打ちつけられる。舌が地面に激突した瞬間に洞窟内に響き渡った爆発染みた轟音はその一撃の威力を如実に物語っており、もし直撃していればヴィショップもヤハドも原形を留めたまま死ぬことは出来なかっただろう。


「ざけんなよ、クソガエルが…!」


 中々止まない耳鳴りに顔をしかめながらヴィショップは立ち上がる。蛙の魔獣は舌を戻すことなく眼球だけを動かして立ち上がったばかりのヴィショップ、そして立ち上がろうとしているヤハドの姿を見つめた。ヴィショップと魔獣の視線が交錯する。その瞬間、微かに魔獣の眼球が歪んだ。それはヴィショップの目には薄ら笑いを浮かべたようにも見えた。そう、まるで哀れな獲物へと向ける嘲笑の様に。


「ッ! グロォアアアアアアアッ!」


 だが、その嘲笑の様な眼差しはすぐに消え失せ、代わりに蛙の様な魔獣の瞳は有らん限りに見開かれる。今度はヴィショップは自身をもって、その魔獣の眼差しが痛みと驚きによるものだということを断じることが出来た。

 何故なら、蛙の様な魔獣の口から伸びるピンク色の舌に、レズノフがまるで舌を地面に縫い付けるかの様に長剣を突き立てていたからだ。


「ギャロオアオオオアアアア!」


 悲鳴を上げながら魔獣が舌を引き戻そうとする。だが、実際に行動に移した時には既にレズノフが両手で握りしめた両斧を勢いよく舌へと振り下ろし、長剣の突き立てられている先端部分を切り落としていた。

 顔を振り乱しながら魔獣が咆哮を上げる。先端部分を切り落とされた舌は口内に引っ込むこともなく魔獣が頭を振るのに合わせて空中で奇妙な踊りを見せ、切断面から噴き出す血が周囲に振りまかれる。

 余裕すら見せていた態度から一転、痛みに思考を完全に支配されて乱れる蛙の様な魔獣。魔獣をその様へと追い込んだ張本人であるレズノフは、それを満足気な笑みを浮かべて眺めていた。


「何、一仕事終えたみてぇな顔してやがる! とっとと来い!」


 そんなレズノフの耳朶をヴィショップの声が打つ。そこでレズノフは思い出したかのようにヴィショップの方に顔を向けると、切り落とされた舌に突き刺さっている長剣を引き抜いて走り出した。


「これで貸し一だぜェ、ジイサン」


 ヴィショップとヤハドに追いついたレズノフが、魔獣の血で濡れた手斧をしまいながら得意気な表情を浮かべる。


「あぁ、そうだな。じゃあ、これでお前がこの前抱いた女の不始末を俺に押し付けたのをチャラにしてやる」

「馬鹿話に興じてる場合じゃないぞ、米国人。あの魔獣が正気に戻る前にここを抜けないと」


 レズノフに対して軽口を叩くヴィショップを、横を走るヤハドが諌める。


「んなことは言われなくても分かってる。だから、こうして鼻先に人参ぶら下げた馬みてぇに必死こいて走ってるんだろうが」

「おれが言いたいのは無駄口を叩くなということだ。それで体力を使い果たしでもしたらそこの地底湖に沈めてくぞ」

「てめぇのそれは無駄口じゃねぇのか……ッ!」


 ヴィショップが途中で言葉を切ったその時には、既に彼の右手は宙を奔り手にしている右手を水面からア飛び出してきた存在に向けていた。

 引き金が弾かれると共に轟音が轟く。水面から勢いよく飛び出してきた存在を撃ち出された魔力弾は正確に射抜き、体液を撒き散らしながらそれは地面に転がった。

 魔弓から放たれる光がそれを照らし出す。成人男性の上半身程の大きさはある真っ黒な球体の身体と、そこから生える全長の半分以上を占める尾。そしてもがくように小刻みに痙攣する魚の鰭の様にも見える後ろ脚。それらの特徴と未だに吠え声を上げながら暴れている魔獣の存在を考えれば、今目の前に転がってる存在が何なのかは容易に理解出来た。


アレのガキ(オタマジャクシ)か…!」

「……待てよ、ジイサン。これが居るってことはつまりよォ…」


 襲い掛かってきた存在の正体に気付ければ、この後に何が起こるのかを悟るのに苦労はいらなかった。事実、レズノフの頭に浮かんできた予想を肯定するかの様に、周囲から水しぶきが上がり今しがたヴィショップが殺したのと同じ魔獣が何匹も飛び出してきた。


「は、走れッ!」

「金積まれても立ち止まるかよ!」


 上方を見上げながら三人が走り出した直後、水面から飛び出してきたオタマジャクシの魔獣達が三人へと殺到する。


「クソッ、最悪だ! これならあのレイプ野郎も連れてくるべきだったぜ!」


 飛びかかってくる何体ものオタマジャクシの魔獣達を片端から魔弓で撃ち落としつつ、ヴィショップは悪態を吐く。その周囲ではヤハドがオタマジャクシの魔獣を曲刀で切り伏せ、レズノフは長剣を振って向かってくるオタマジャクシの魔獣を次々と切り殺していく。

 最早三人の間には隊列もへったくれもなかった。ただ各々ががむしゃらに減る気配の無いオタマジャクシの魔獣の群れを屠り、転がる死体を蹴散らしながら洞窟の奥に向けて走り続ける。


「ハァッ、ハァッ、クソッ、で、出口はねぇのか、クソッ、クソッ!」


 この洞窟に至るまで、そして洞窟に入ってからの襲撃により強いられた全力疾走は着実に三人から体力を奪っていた。


「剣を振り回している訳でもないんだ、音を上げてないで走り続けろ!」


 息を乱しながら悪態を吐くヴィショップに激を飛ばすヤハドだったが、彼の息遣いからもやはり余裕は消えていた。唯一の例外としてレズノフだけは先程までと変わらずに暴れ続けているが、この魔獣の群れに対する均衡状態は三人がいて初めて成り立っている。恐らくヴィショップかヤハドのどちらかでもが欠けてしまえば、均衡を保てずに数の暴力に押されることは確実だった。

 涼しいどころかむしろ寒さすら感じる筈の洞窟の中にも関わらず、三人の身体からは汗で濡れていた。髪の毛先には汗が滴り、身体を動かす度にそれが回りへと飛ぶ。息は乱れ、言葉は最早唾と一緒に吐き出すような有り様になり、それは次第に空気を求める喘ぎへと移り変わっていく。それでも脚を止める訳にはいかない。三人の中の誰一人として、オタマジャクシの群れに襲われる死に方がどんなものなのかは予想出来なかったが、それがが地獄で自慢出来る類の死に方ではないことだけは理解出来ていたし、何より、自分の意思が介入していないとはいえこんなところで死ぬためにこうして生き返っている訳ではないのだから。


「ん? って、フハッ! 後ろ! 後ろ見ろよォ、ジイサン!」


 不意に背後から何か重たいものが落ちるような振動が伝わってくる。どういう訳か未だに余裕に溢れているレズノフはその原因を確かめようと後ろを振り向くが、何が起きたのかを知った瞬間、込み上げてくる笑いを抑えきれずに噴き出した。


「あぁっ、本当にいい加減にしろよ、このクソガエルがぁっ!」


 余裕を滲ませたレズノフの声に苛立ちを覚えつつ、ヴィショップは撃ち落とされて落ちてきたオタマジャクシの魔獣を躱してから後ろを振り向く。そしてレズノフが見たのと同じ光景を見るや否や、疲労も忘れて声を張り上げた。

 背後に居たのは、先程まで水の中に居た筈の蛙の魔獣だった。今、その魔獣はヴィショップ達が通ってきた道の上にその赤褐色の鱗に包まれた巨体を押し上げ、鼻先をヴィショップ達の背中へと向けていた。


「ゲラアッ! ゲラララッ!」


 蛙の魔獣は二回ほど吠えたかと思うと、小刻みに飛び跳ね地面に転がる子供の死体を巨体で押しつぶしながらヴィショップ達へと迫る。ヴィショップには蛙の表情を窺った経験などは無いが、それでも舌を切られ我が子を殺されたその魔獣の細胞の一つ一つまでに怒りの感情が染み渡っていることは分かった。


「走れ走れ走れ走れ走れェッ!」


 背後から徐々に迫ってくる地響きは、死の足音以外の何物でもない。

 ヤハドが叫び、二人はそれに答える迄なく無我夢中で両脚を動かす。最早オタマジャクシの魔獣を殺すことは止めており、ひたすら前に進み続けることで飛びかかってくるオタマジャクシの魔獣、そしてその親から逃れようとしていた。

 二度目の死からの逃避行、それが終わりを告げたのは三人が武器を振るうことを止めてから三十秒程が経った頃だった。魔弓の光の先に地底湖の終わりが現れる。そこから続くトンネル状の道の広さはこの地底湖に脚を踏み入れるまで歩いていた道と同じくらいにまで狭まっており、まず間違いなく蛙の魔獣が入ってくることは出来なかった。

 この洞窟に入る時にしたように、三人は身体ごと投げ出して穴倉のような道へと飛び込む。その直後、後ろから迫っていた蛙の魔獣が三人を追って突っ込んでくる。だが、その巨体は周囲の壁に阻まれて進むことは出来ず、鼻先だけが辛うじて入り口を僅かに通りぬけた所で蛙の魔獣の前身は完全に終わった。


「…三回目は勘弁しろよ」

「あぁ、全く…」


 何とか先に進もうとしていいるのか、地底湖へと続く道を完全に塞ぎながらもがく蛙の魔獣の鼻先を見て、ヴィショップが小さく呟く。それを横で聞いていたヤハドは荒い息遣いのまま首を縦に振ろうとした。


「ッ!」


 しかしそれは、勢いよく伸びてきたぬめりを帯びたピンク色の存在によって遮られた。

 ヤハドは咄嗟に飛びのいて壁に背を着け、腰を下ろしていたヴィショップは真横に転がって大蛇の様に宙でうねるそれを回避する。ヴィショップが視線をそれが伸びてきた方に向けると、数歩後退した蛙の魔獣が大口を空けてこちらに舌を伸ばしているのが目に入った。


「まだやる気か、あの野郎…!」


 ヴィショップが悪態を吐くが、その最中にも地面に叩き付けられた木の幹の様な太さの魔獣の舌はゆっくりと持ち上げられていた。そして今度は狙いをヴィショップからヤハドに変え、粘液と傷口から流れ出る血を撒き散らしながら壁に背を着けたヤハドへと迫る。

 それをヤハドは身体を屈めて躱す。と、同時に手にした曲刀を魔獣の舌に突き刺し、そのまま体重を掛けて曲刀を押し込んで蛙の魔獣の舌を壁に磔にした。


「米国人!」


 咆哮にすらならない蛙の魔獣が三人の耳を劈く。だがその最中でも、ヴィショップはヤハドの発した言葉を正しく聞き取り、そこに込められた意味を理解して行動を始めた。


「レズノフ!」


 ヴィショップはレズノフの名を叫びながら立ち上がると、ヤハドに駆け寄り彼と同じように魔獣の舌に突き立てられた曲刀を全身を使って抑え込む。

 蛙の魔獣が何とか舌を引き戻そうともがく。それを全力を賭して抑え込んでいるヴィショップとヤハドの背後を、ヴィショップに名を呼ばれたレズノフが長剣を手に駆け抜けていった。

 まるで弓から放たれた矢の如く、長剣を右手にレズノフは蛙の口元目掛けて一直線に駆けて行く。彼の目的が何にあるのかは、流石に言葉を介し得ない魔獣でも分かったらしく、レズノフの進行を阻もうと三匹のオタマジャクシの魔獣が飛びかかってきた。

 レズノフは一匹目を真っ直ぐに振り下ろした長剣の一撃で両断し、続く二匹目を右斜め上への切り上げで切り飛ばすと、最後の一匹に向けて長剣を投げつけた。レズノフの手を離れた長剣はオタマジャクシの魔獣の頭を貫いて絶命させる。レズノフは最後の一匹の死体の横を通り抜けざまに突き刺さった長剣を引き抜く。最早目の前に障害は何も無かった。

 長剣を上段に構え、レズノフは蛙の魔獣の口元に向かって跳躍する。二メートル級のレズノフの身体は重さを全く感じさせずに宙に飛び上がった。そして長剣の射程の中に蛙の魔獣の舌を捉えた瞬間、レズノフは長剣を振り下ろし、


「じゃあな、お母サマァ!」


 蛙の魔獣の舌を根本近くから切り落とした。


「グラッゴアアアアアアアアアアアア!」


 蛙の魔獣の悲鳴をBGMに、血で濡れた長剣を片手にレズノフが着地する。下を丸々切り落とされたといっても過言ではない蛙の魔獣は、ひとしきり頭を振り乱しながら悲鳴を上げるとすぐさま三人に背中を向けて地底湖の中へと逃げて行った。

 最初にヴィショップ達が訪れた時にこの空間に満ちていた沈黙は戻ってくる。その沈黙をヤハドが破ったのは、蛙の魔獣の姿もオタマジャクシの魔獣の姿も完全に消え去ったことを確認してからだった。


「少し…休むぞ」


 その言葉に反対する者は居なかった。ヤハドが最初に腰を下ろしたのを皮切りにヴィショップとレズノフも躊躇うことなく地面に腰を下ろす。


「取り敢えず……アレだな」


 少しの間、三人は黙って呼吸を繰り返し水筒に入っている水を喉に流し込むことだけに従事していた。それが一段落付いたところでヴィショップが口を開き、さも当然のことを言うかのように言葉を発した。


「あの若造だけはどこかで必ず殺そう。例えどんな間違いが起きても、だ」


 ヤハドの提案の時と同じく、それに反対する者は一人も居なかった。

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