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Bad Guys  作者: ブッチ
Kinky Love
91/146

Fling Down a Challenge

「間違いない。あの『ヤーノシーク』とかいうギルド、今回の件に一枚噛んでいる」


 セグの邸宅を後にし、先を歩くヤハドにヴィショップとレズノフが追いついた時、ヤハドの口から開口一番に飛び出したのはその言葉だった。


「根拠は?」

「……無い。無いが、俺達にこの失踪事件から手を引くように言い出した挙句、暴力をチラつかせて脅しをかけて来たんだ。これで奴等が関わって居ない訳がない」


 懐から煙草を取り出しながらヴィショップが訊ねる。そして返ってきた答えを聞くと、小さく溜息を吐きながらマッチで煙草に火を灯した。


「まぁ、確かにあの態度は間違いなく何かあるがな。根拠も確証も無いのに相手の挑発に乗るんじゃねぇよ」

「なら米国人、お前はあいつらに言われるがままに手を引くべきだったと?」


 脚を止め、振り向いてヤハドが問いかける。ヴィショップは煙を吐き出しつつそれに答えた。


「そうは言ってない。ただそれでも、答えを保留させておくなりやりようはあっただろ、って話だ」

「このまま放っておけばいつ次の被害が出るか分からないんだ。そんな悠長な真似はしてられん」


 ヴィショップの意見をそう言って切り捨てると、ヤハドは再び歩き出した。その有無を言わせぬ態度には、『パラヒリア』での一件が深く関わっているであろうことは想像に難くない。

 『パラヒリア』の時、ヤハドはヴィショップにこれからの指針を委ねていた。その結果、防げたであろう犠牲を出すことを強いられており、先程の強引とも取れる判断はヴィショップは似た様な手段を提案するのを防ぐ為だと思われた。

 仮にもヤハドとて一組織の、それも世界にその名を轟かせた組織の長であった男なのだ。あのような挑発に乗ることがどれ程の愚策なのかは彼自身理解している筈なのだから。


「それでェ? これからどうするんだ?」


 それを横で聞いていたレズノフがヤハドにこれからの行動を訊ねる。その浮かべている表情からして、レズノフが子供のことなどどうとも考えていないこと、そして新たな闘争の気配を運んできたヤハドの決断を決して悪い物ではないと思っていることが窺い知れた。

 ヤハドはそんなレズノフの表情を見て、忌々しそうに鼻を鳴らしてからその質問に答える。


「宿を取ってこの町に滞在する。奴等が仕掛けてくるのを待って迎え撃つぞ」

「ハッ! そうこなくっちゃなァ…!」


 ヤハドの返事を受けたレズノフが嬉しそうに手を叩く。ヴィショップは呆れ混じりの溜息を吐くと、裾を捲って手首に填めていた通信用の神導具を操作し始めた。


「なら、あの馬鹿に連絡を入れておく必要があるな。それで、どれくらい滞在する予定だ?」

「奴等が何か仕掛けてくるか、村の方で動きがあるまでだ。例え何も無かったとしても、一週間を目安に戻る」


 ヤハドが答えるのを待ってから、ヴィショップは『フレハライヤ』に残してきたミヒャエルに渡した神道具へと通信を繋いだ。


「おい、聞こえるか? 俺だ」


 紐に通された球が仄かな光を灯し始めたのを確認してからヴィショップは神道具へと話しかける。しかし、肝心のミヒャエルからの返事は帰ってこなかった。


「んだよ、出ねェのかァ?」

「みたいだな。ったく…」


 レズノフがヴィショップの手首の神道具に視線を向けつつ訊ねる。ヴィショップは面倒臭そうに返事を返すと、もう一回神道具へと向けて話しかけた。


「おい、聞いてんのか、強姦魔。さっさと出ねぇと、次からはさっさと気付けるようにこいつをてめぇの尿道にぶちこむぞ」


 だが、三秒五秒と待てど返事は一向に帰ってこなかった。ヴィショップは仕方なく通信を遮断して捲っていた袖を下ろすと、ヤハドに向けて肩を竦めてみせた。


「仕方が無い。宿を見つけた時にもう一度連絡を入れてみよう」

「…はぁ。何か面倒引き起こしてねぇだろうなぁ、あの馬鹿…」


 とりあえずミヒャエルへの連絡は後回しにして三人は宿を求めて歩き出した。途中、『ヤーノシーク』に偵察がしら顔を出さないかとレズノフが提案したものの、流石に『ヤーノシーク』を仕切るブルゾイとあのようなことがあった後にノコノコとその傘下の連中が集まる中に飛び込んでいくというのはヤハドも反対し、大人しく滞在するのに使う宿を探すことに専念した。

 三人が使う宿は十数分程で見つかった。というのも、その宿がこの町ではあまりに見かけない二階建ての建物だったのに加え、やはりこの町でも『フレハライヤ』と同じように宿は一件しかなく選択の余地はなかったからだ。ただそれでも、『フレハライヤ』の宿よりは幾分かマシな造りで、向こうが酒場の副業として二、三の部屋を貸している程度に過ぎず部屋も普通の部屋だったり物置を無理矢理それっぽく仕立てたようにしか見えないのに対し、こちらは少なくとも宿と食堂としての機能が半々といった程度にはなっていた。

 三人は一人一部屋づつ借りると一階の食堂に集まって遅めの昼食を摂り始めた。時刻が完全に食事時から逸脱しているせいか、食堂の人間はかなり少なくヴィショップ達を除けば二、三人の宿泊客と思しき人間が軽食を摂るなりティータイムと洒落込むなりしている程度だった。


「で、だァ…。連中、仕掛けるとしたらどうでると思う?」

「あの市長の態度を接するに、噂通りこの町の実権を握っているのは『ヤーノシーク』の連中のようだ。となれば、寝込みを襲うなり呼び出して殺すなり、いかようにも調理のしようはあるだろうな」


 ヤハドがそう返すと、レズノフは望むところだとでも言いたげな表情を浮かべた。


「いいねェ、いつ来るか分からないってか。中々スリルがあるじゃねェか。これで残る問題は、連中の腕前だけだなァ」

「何が残る問題だ。連中への対策っていうデカい問題が残ってるだろうが」

「そりゃあ、そん時になったら考えればいいさ」


 呆れた様子でヴィショップがレズノフの言葉に口を挟むが、当人はいたって気にする様子も見せずに返事を返す。


「ったく……あん?」


 気楽そうに笑うレズノフにヴィショップが溜息を吐く。すると不意に手首の部分で何かが振動していることに気付く。そしてそこに巻き付けているものが何かに思い至たると、袖を捲り上げて手首の神道具を露出させ、紐を軽く引いて通信を繋いだ。


「俺だ」

「あぁ、ヴィショップさんですか。この調子だと今日中に帰ってこなさそうなんで、いつ帰ってくるのか聞いておこうと」


 通信を寄越してきたのはミヒャエルだった。


「そのことでさっき連絡入れたんだがな、てめぇ、出やしなかっただろ。一体何してたんだ?」

「あー、えっとあれです。シューレさんと一緒に行動してたんで、そっちに気を取られてたんじゃないかなぁ……と」


 神道具を通して聞こえるバツの悪そうな声に思わずヴィショップは嘆息する。が、かといって一々ミヒャエルを罵倒するのも疲れるだけなので、そのまま『ヴァライサール』に少しの間滞在する旨を伝えた。


「何だ、やっぱり面倒なことになってるんですね。行かなくて正解でしたよ」

「他人事みてぇな台詞吐いてんじゃねぇよ。お前、これで返ってきた時に何も進展してなかったら、村の巡回をてめぇにやらせるからな」

「えっ、それは、ほら、僕はシューレさんとの…」

「そいつはレズノフにでも任せる。心配しなくてもいい」


 吹かしていた煙草の吸い殻を空になったコップの中に落としつつ、ヴィショップはそうミヒャエルに告げた。その瞬間、神道具からミヒャエルから流れたミヒャエルの声が室内に響き渡る。


「駄目です!」

「うおっ!?」


 突然の大声に驚いたヴィショップの指から煙草が零れてコップの中へと落ちる。黙ってヴィショップとミヒャエルの会話を聞いていたヤハドとレズノフも驚いたように目を白黒させ、数少ない他の利用客達は何事かと視線を彼等に向けていた。


「馬鹿、何デカい声だしてやがる…!」

「いや、だってヴィショップさんが…」

「だってもくそもあるか、ド腐れ神父が…!」


 ヴィショップの叱責で幾分か落ち着きを取り戻したのか、もしくは最初からヴィショップが思っているように感情を剥き出しにしていた訳ではないのかは不明だが、次に神道具から聞こえてきたミヒャエルの声はちゃんと先程まで落ち着きを取り戻していた。


「とにかく、それが嫌なら俺達が戻るまでに何かしらの結果を残しておけ。じゃないと、脳味噌を股の下にぶら下げてるようなゴリラ野郎は向かわせないにしても、俺かヤハドがてめぇの役を引き継ぐことになるからな」

「…分かりました。じゃあ、なるべく遅く帰ってきてくださいね」


 ヴィショップはそう言い聞かせると、ミヒャエルは不満そうな気配を残しながらも返事を返した。ヴィショップは最後に、クソッタレ、とだけ告げて通信を遮断すると神道具を袖の中へと戻した。


「おいおいジイサン、随分と俺の信用はねェんだなァ。俺だってちゃんとレディーの扱い方ぐらいは心得てるぜェ?」

「言葉の前にベッドの中でが入ってないぜ、レズノフ。まぁ、そっちにしたっててめぇのビックマウスじゃないって保障はどこにも無い訳だが」

「言うねェ、何なら証明してみせてもいいんだぜ?」

「まぁ、とにかくあの様子なら米国人の脅しも効きそうだしきちんと仕事をこなすだろう。それよりも今肝心なのは、この町で俺達の命を狙おうとしている連中についての方だ」


 ヴィショップがレズノフの軽口に応じていると、ヤハドが口を挟んで会話の軌道を修正しだした。


「まァ、パッと思いつく対策といやァ、連中の総本山に殴り込みかけるとかだなァ、派手だしよォ」

「それでもって、考え付く限り一番の下策だ」


 明らかに思いつきと気分で言ったとしか思えないレズノフの提案をヴィショップが一言で切り捨てる。


「となると相手の出方を待つか…それとも、奴等のギルドに忍び込むなりして情報を探るかだが…」

「前者は七日以内に仕掛けるかどうか分からない。後者は逆に三人で七日以内に崩せるかどうかが怪しい。さて、どうする?」


 次に口を開いたのはヤハドだった。ヴィショップは彼の提案に反論を呈すと、挑む様な視線をヤハドへと向ける。その視線には当然ヤハド自身も気づいており、ムッとした表情を浮かべるとその視線を真っ向から睨み返しながら口を動かした。


「明日町長に会いに行き、出来る限り情報を引き出しつつ俺達の滞在期間を教える。そうすれば、向こうも動く気さえあれば俺達が『フレハライヤ』に帰るまでに事を仕掛けてくる筈だ」

「ガン付けてる相手の鼻先に唾を吐きかけるようなもんだな、そいつは。どんなに救いようのない馬鹿でも、こっちに迎え撃つ気があることに気付くぜ」

「既に宣戦布告は済ませたようなものだ。今更何を言う」


 ヤハドの反論を否定も肯定もせず、ヴィショップはただ肩を竦めて見せる。それを見たヤハドは憮然とした様子で鼻を鳴らした。


「で? 明日またあの町長の家に行くとして、それからはどうするんだ?」

「取り敢えずは情報収集だな。もし連中が本当に子供の失踪事件に関わっていた場合、この町で何らかの手がかりが掴めるかもしれない」

「まぁ、それでいいだろ。今回の頭はお前だしな」


 ヤハドの意見にヴィショップが賛同の姿勢を見せる。


「まァ、ジイサンが文句ねぇんなら、それで構わねェんじゃねぇの? 俺からは特に提案もねェしなァ」


 レズノフも同じ様にヤハドに賛同する。それを確認したヤハドは改めて明日の予定を二人に告げた。


「とにかく、明日は町長ともう一度話す。それが終わったら、連中の動きに注意を配りながら情報の収集だ」


 そのヤハドの言葉に二人は首を縦に振って答えた。

 そして三人は残りの時間を他愛のない会話にあてると、二階に上がりそれぞれの部屋に分かれる。部屋に入ったヴィショップは特にやることもなく、手持無沙汰に煙草を数本仕上げた後、二本程吹かしてからベッドへと潜り込んだ。彼がベッドに潜り込んだ時には、両隣の部屋からは物音がしなくなっていた。ただ、ヤハドの方はともかくレズノフの方からは部屋の扉が開いて下に下りていく音がしていたので、恐らくはまた酒でも飲むか適当な女でもひっかけているものと思われた。

 先程の会話の意味を理解出来ているのかと呆れかけたヴィショップだったが、すぐに理解した上でやっているのだと思い直して考えることを止めた。そして瞼を閉じて意識が朦朧とし始めた頃には、彼の心内に残っているのは小さなひっかかりだけだった。ただ、それが何に起因するか理解する前に、ヴィショップの意識は眠りの闇の中へと沈んでしまったが。







 結局、ヴィショップ達が『ヴァライサール』に来てから三日が経ち、わざわざ町長に自分達の滞在日数を伝えても、一向に『ヤーノシーク』が動き出すことはなかった。

 そして四日目の朝を迎えた訳だが、幸か不幸はその目覚めは非常に爽やかなものとなっていた。


「……朝か」


 窓から差し込む日差しでヴィショップは目を覚ます。懐中時計を取り出して時間を確認してみると、時刻はH0800を指し示していた。

 ヴィショップは欠伸をしながら上半身を起こす。すると胸板の上に乗っかっていた古めかしい装丁の本が一冊、開かれた状態で太腿の上に落ちてきた。本の厚さは辞書なみにあり、重さもそれに見合った重さだった。ヴィショップは顔をしかめつつ視線を本の表紙へと向ける。表紙には『ヴァライサール時事録』と書かれていた。

 それはつい昨日、ヴィショップがセグの邸宅から借りてきた本だった。

 というのも、現在『フレハライヤ』で起きて居る子供の失踪事件には奇妙な点がある。それは誰も外部から侵入した形跡が見られないのに、きちんと施錠された家から子供が消えてるという点だ。この点に目を付けたヴィショップは、ここ『ヴァライサール』でも同じような事件が起こったことはないかを調べようと、この町で起こった出来事を纏めた本がないか探してみることにしたのだった。

 果たして本自体の存在は確認出来た。ただ、当然この町には図書館などというものがある筈もなく、本の話を聞かせてくれた老人によると町長の邸宅に置いてあるとのことだった。その為ヴィショップは仕方なく、失踪事件の調査を止めていないどころかその失踪事件とこの町に何らかの繋がりがあると勘繰っていると告げているにも等しい行為に走り、その果てに今自分の太腿の上に乗っている本を手に入れたのだった。

 しかし、ヴィショップは元々本など余り読まない性質の人間だった。それに加えこの『ヴァライサール時事録』は女神から授けられた力によって読むことは出来るものの、内容によっては書かれた時期が遅くかなり文体が古めかしいものとなっていた。更に追い打ちを掛けるように書かれている内容の大半は、誰それの牛が消えたなどのどうでもいいことであり、精々最初のすっ飛ばしたページの所に村の発足の成り立ちが書かれているぐらいで、どう考えてもマフィア上がりの人間が目を輝かせながら読むことの出来るものではなかった。その結果ヴィショップは読み進めることを放棄して眠りに逃げ、その数時間後に今の状態が引き起こされたのだった。

 ヴィショップはしばし『ヴァライサール時事録』を見下ろしていたが、やがて右手で拾い上げてベッドの横の台に置こうとする。しかしそこには吸い殻がぎっしり詰まった灰皿という先客がおり、ヴィショップは渋い顔で『ヴァライサール時事録』を手元に戻さなくてはならなかった。

 ヴィショップは小さく舌打ちを打つとベッドから降りつつ、ページが折れているところで開いてみて文面に目を通す。そこは丁度昨夜に目を通していた場所の続きで、凡そ百年程前に起きた出来事が記されていた。


「虫型の魔獣の大量発生、村に初めてサーカスが来る、山の渓流に川魚が産卵の為に集まってきた、新町長就任……ローカル・ペーパー読んでんじゃねぇんだぞ…」


 ヴィショップは記述されている内容に溜息を吐くと、『ヴァライサール時事録』をベッドの上に放り投げて衣服を身に纏う。

 黒い外套を着込み、ガンベルトを着けホルスターに二挺の白銀の魔弓を差し込む。


(こっちの方もまだ何も分かってねぇしな…)


 ホルスターに魔弓を差し込んだヴィショップは、そのグリップに指先で触れながら心中で独りごちる。

 『スチェイシカ』における革命の際に戦った、マジシャンによって生み出された不死の生命力を持つ青肌の女性。その彼女に止めを刺す際に魔弓から放たれた純白の光と魔力弾。その正体は未だに分からずじまいだった。一応、この魔弓を売りつけた『ダッチハイヤー武具店』の店主に話を聞きにいったものの、彼自身この魔弓は素性もしらぬ旅人から格安で買い取っただけであり有益は話は聞くことが出来なかった。

 それどころか、あれから何度試しても同じ現象を引き起こすことは出来ず、そのせいで実際に証拠を突き付けられることのなかった『ダッチハイヤー武具店』の店主には、酔っ払って見た幻覚ではないか、とまで言われる始末だった。


(あの光は“俺”の命が本気で危なくなった時に現れた。俺を守ってるつもりなのか、それとも死ぬのを許さないだけか…)


 あの夜のことを思い返して、ヴィショップは心内で呟く。脳裏では生を懇願するエリザの姿と、そんな彼女の心臓を止める自分の姿が浮かんでいた。

 『スチェイシカ』を立って以来、あの夜の出来事についてヴィショップは上手く処理したつもりだった。それでもやはり、今の自分という人間を形作る切っ掛けとなった出来事をなぞるようなあの出来事は他の様々な出来事よりもヴィショップに対してより大きな影響力を持っているらしく、今のように殺し合いやだまし合いから一歩退いて気分が落ち着き幾ばくか心に平穏が訪れている時……つまりは心にある程度の緩みが生じている空白(ブランク)の時間帯に、魔弓に触れるなりあの夜を思い出すような行為をすると、不意に記憶が蘇ってくることがあった。

 しかしヴィショップはそれをすぐに自分の意識の奥底へと追いやることが出来た。何故なら、彼が少なくとも自身の復讐を終え地獄に堕ちるにも値しない死に方をするまでの数十年間を生き抜いてきた中でそういった技術は既に身に着けていたし、その技術は彼がその数十年間を生き抜く為に必要だった技術だからだ。


(過去を振り返る時間は、死ぬ間際の走馬灯、それだけで充分だ)


 そうしてカウボーイハットを被った時には、既にヴィショップの頭からは『スチェイシカ』の事もエリザの事も魔弓の未知なる力のことも跡形に消え失せていた。そしてそれらが占めていた場所には代わりに、目下取らなくてはいけない行動や考えなくてはいけない事柄が既に居座っていた。


(とにかく、今は連中が動くのはいつかについてだ。滞在期間の半分を過ぎても何も反応が無ければ、少なくともこの町の中で事を起こす気は無いとみた方がいいかもしれないが…ん?)


 その時、ベッドの上に開かれた状態で無造作に置かれた『ヴァライサール時事録』の一ページがヴィショップの意識を引き付けた。

 ヴィショップはベッドの上に手を伸ばして『ヴァライサール時事録』を取り上げる。そこには以下のような文章が書かれていた。


「町の子供達が、謎の歌を口ずさみ始める。子供達曰く、毎日どこからか聞こえてくるとのこと。『フレハライヤ』の近くにある沼に住むと言われる魔女の仕業の可能性あり…」


 ヴィショップはそれから先を読み進めようとしたが、途中で止めるとページを閉じて改めてベッドの上に『ヴァライサール時事録』を置いた。

 子供というフレーズに惹かれて一応目を通してみたものの、少なくとも失踪などの類ではなかったからだ。ただ、それでも興味自体は湧いた話題だった。その為、朝食を摂り終えた後にでももう一度目を通してみようと考えたのだ。

 ヴィショップはベッドと『ヴァライサール時事録』に背を向けると部屋の扉を開いて廊下に出た。すると寝癖の残る赤毛の女性とすれ違った。女性は眠そうに目を瞬かせながらヴィショップに軽く頭を下げ、小走りで階段を下りていく。ヴィショップはあんな宿泊客は居ただろうか、と疑問に思ったが、すぐに彼女が歩いてきた方向がレズノフの部屋のある方向であることに気付いて苦笑を浮かべた。


「……あん?」


 だがその苦笑も、下へと繋がる階段から僅かに漂ってくる剣呑とした雰囲気を感じ取ったことで終わりを告げた。

 早朝には似つかわしくないその雰囲気を訝しがりながらヴィショップは階段を降りる。ロビーに降りてくると、受付口に立っているこの宿の職員がどこか怯えた様子でヴィショップに告げた。


「ヴィショップ様、お客様が食堂でお待ちになっています」

「誰だ?」

「『ヤーノシーク』のブルゾンさんです」


 職員がそう告げたのを聞いたヴィショップの中に浮かんだ感情は二つだった。

 一つは、とうとう『ヤーノシーク』が動きを見せたことで退屈なだけの時間が終わることに対する喜び。もう一つは、直接顔を出しにくるという予想とは違う行動に対する小さな驚きだった。


(わざわざ人が居る場所を狙って、しかも隠れずに堂々とってことは少なくとも今すぐに殺し合いを始めに来た訳じゃなさそうだが…。何だ? 最後通告でもしに来たか?)


 この行動の真意を考えながらヴィショップはロビーを抜け、扉を潜って食堂に入る。

 本来ならこの場には香ばしい朝食の匂いに彩られた爽やかな空気が流れている筈だが、それは食堂に並べられたテーブルの一席に座る一人とその男を睨みつけている二人の男によって完膚無きまでにぶち壊されていた。

 その雰囲気を破壊した張本人の内、睨みつけている方の男はヴィショップの見知った、ターバンを巻いた褐色の肌の男。そしてもう一人の椅子に腰を下ろしている男は、両袖の無い毛皮のコートを羽織り、傍らに緩い弧を描く刃と真っ直ぐな峰を持つ片刃の刀剣…ファルシオンを二振り置いたオールバックの男。


「ん? おい、お仲間が来たみたいだぜ」


 ヴィショップが二人に近づくと、先に気付いたブルゾンの方が顔をヴィショップへと向けて声を上げた。それに反応してヤハドもヴィショップの方を見る。向けられた表情は険しいものだった。


「お早うございます、ヴィルレイザーさん。こんな朝早くに何か御用でしょうか?」


 外面を取り繕うのを忘れずにヴィショップはブルゾンに声を掛ける。するとブルゾンは机の上に置いていた一枚の紙をヴィショップに突き付けて、こう言った。


「何、俺達に緊急の仕事が入ったんだが、俺達は失踪事件の調査で忙しくて動けなくてな。そこで、代わりに暇してそうなあんた達に一つ力を貸してもらおうと思った次第さ」


 ヴィショップの目の前に突き付けられた一枚の依頼書。それが意味するところに気付くのに大した時間は掛からなかった。


(成る程、意趣返しって訳か)


 その依頼書の持つ意味、酷く単純なものだった。

 乃ち、“お前等を葬る手筈が整ったから、さぁ、重い尻を上げて死地に飛び込んで来い”ということであり、今ブルゾイの手でゆらゆらと揺れる一枚の依頼書はヴィショップ達に対する挑戦状以外の何物でもなかった。

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