表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Bad Guys  作者: ブッチ
Four Bad Guys
9/146

Wizard Academy

「おい、兄貴、大丈夫かよ?」


 ゴルトが『蒼い月』を出て数歩歩くと、実の弟であり最高の相棒であるフランクが、ゴツい相貌には似合わない心配そうな表情を浮かべながら、話し掛ける。


「気にするな。大した怪我は無い」

「そうか…。良かったぜ、兄貴に何かあったらどうしようかと…」


 ゴルトが顔も向けずにぞんざいな返事をすると、フランクは心配そうな表情を一転させて安堵の表情を浮かべ、ゴルトへの慰めの言葉やら、ゴルトを打ち負かしたヴィショップへの暴言やら、己の喉にナイフを突き付けたレズノフへの罵倒やらをぺらぺらと喋りだす。

 だが、ゴルトはフランクの話など全く聞いていなかった。何故なら、今のゴルトの心内は己を打ち負かした男についての思考で完全に占められていたからだ。


(俺の最初の一撃を避けた際のヤツの動き……冷静に思い返してみれば、ずば抜けて速い訳でもなかった…)


 微塵の殺気も籠っていないのに、確かな殺意を孕んだ反撃の一撃。一瞬だけ姿を表した、今まで味わったことの無い質の殺気。気になる点は他にも存在したが、最もゴルトが興味を抱いてのは、ヴィショップが意図も簡単にゴルトの最初の一撃を回避した点だった。


(ただ、動いたのに反応出来なかった…。ヤツがしゃがもうとしていたのは見ていたのに、俺はヤツが動いていないと判断してしまった。それは…)


 あの時の感覚を必死に頭から絞り出そうとする、ゴルト。そしてその作業の末、ゴルトはその感覚を思い出す。


(そう、気配だ。ヤツが動いたその後も、気配だけは変わらずにそこに“居た”。だから、俺はヤツが動いていないと判断してしまった)


 そこまで考えたところで、ゴルトに一つの疑念が生まれる。


(だが、何故だ?何故俺はそう判断してしまったんだ?)


 例えいくら気配が変わらなかったとしても、視界に入っていたならある程度の反応は出来て当然である。だが、あの時のゴルトはヴィショップが伏せたことを視界に納めていたにも関わらず、何の反応も示さずにそのままヴィショップの頭があった場所に向かって発砲した。

 自分でも納得のいかず理解も出来ない、過去の自分が犯した過ちを前に、ゴルトが頭を掻き毟ろうとした、その瞬間であった。


(そうか…帽子か…!)


 ゴルトの脳内に浮かび上がったのは、ヴィショップが被っていた黒いカウボーイハット。


(あの時、俺はヤツの頭を…眉間を狙っていた…。そしてヤツの眉間はカウボーイハットによって隠されていた…。つまり、俺があの時本当に見ていたのは……あの帽子!)


 野生動物に比べれば狭いが、人の視界は広く、多くのものを一度に捉える。だが、それ故に視界に入るもの全てに満遍なく注意を行き届かせることは出来ない。必ず何処かに偏りが生じる。それは、そう意識しない日常生活の中でも絶えず起こっていることだし、改善しようとしても改善出来るものではない。

 例えば風景画を一瞬だけ見せられ、そこに何が描かれていたかを訊かれても、全てを答えられ人間は居ないだろう。殆どの人間が、中心に位置したり目立つ配色、大きさの物体に注意を向けてしまい、幾つもの見落としを生んでしまう。

 それと似たようなことが、あの時のゴルトにも起こっていた。ゴルトの視界はヴィショップの全身を捉えていたが、その注意は狙うべき場所であるヴィショップの眉間、つまりそれを覆い隠すカウボーイハットへと集中的に向けらていた。

 だからこそ、ゴルトはヴィショップの動きに反応出来なかった。何故なら、最も注意を向けていた対象であるヴィショップのカウボーイハットは、ヴィショップが伏せた際に、慣性の法則によって一瞬ではあるがヴィショップの頭があった場所に留まっていたのだから。


(これは偶然の産物か…?いや、そんな訳がない。全て、ヤツの思惑通りなのだろうな…)


 帽子のトリックに気付けば、他の要素の意味を理解することは、ゴルトにとって容易に可能だった。


(心臓を隠すあの構えの真意は確実に頭を狙わせる為のもの。あのホルスターの位置のミスは、俺を油断させてこれに引っ掛かり易くする為のもの。最初(ハナ)っからあの構えで撃つ気が無いんなら、ホルスターの位置なんて関係ないしな…)


 目の前で動いていながら気配を全く変化させない、“殺気無き殺意”に通じる気配のコントロール。初歩的なミスによって生み出させた油断。構えとカウボーイハットを利用しての注意を向ける対象の操作。この三つの要素が、早撃ちにおいて速さで勝ったゴルトが敗北を喫する羽目になった原因。どれ一つ欠けていともこの結果は生み出せなかったし、偶然ではけっして揃わない三つの要素。


(面白ェ…!)


 この三つに気付いた瞬間、ゴルトは鳥肌が立つのを抑えられなかった。

 それは気づいたからだ。ゴルトを負かしたこの一連の流れが、即興で考えられたものであることに。


(俺が勝負を吹っ掛けようと考えたのは、俺が『蒼い月』に入って、外套から一瞬だけ姿を覗かせた ヤツの魔弓を見たからだ。つまり、ヤツは俺が勝負を吹っ掛けることなんて予想もしていなかった…。だから、ヤツがこの流れを考えつくことが出来るのは、俺が勝負を吹っ掛けてから勝負を始めるまでの数分間のみ…)


 ゴルトの脳裏で、ヴィショップに勝負を吹っ掛けた経緯が反芻される。その情景は、ヴィショップにとってゴルトとの勝負が予想外の出来事だったことは疑う余地の無い事実だということを、確実な事実へと変えてくれた。


(あんな僅かな時間で、これだけの策を練り上げてみせた…。あいつ、一体どんな生き方をしてきたんだ…?)


 考えれば考える程、見えなくなったいくヴィショップという存在の底。そのあまりの深さに気付いた瞬間、ゴルトは身体の中から込み上げてくる高揚感を抑えることが出来なかった。


「クク…クククッ…」

「とにかくあの銀髪が……どうしたんだ、兄貴?」


 いきなり呻くようにして不気味な笑い声を上げたゴルトに、フランクが怪訝そうに声を掛ける。

 ゴルトは『蒼い月』を出て以来、初めてフランクに顔を向けると、獰猛な笑みを隠そうともせずに、一言だけ告げた。


「愉しくなってきたな」

「あぁ、そうだな、兄貴」


 ゴルトの笑みに触発されて、フランクも口角を大きく吊り上げる。

 そして二人は、そっくりな表情を浮かべながら、昼時に近づき、次第に騒がしさを帯始めた雑踏の中に消えていった。






「はーい。んじゃ、向こうには伝えとくから、H1000に東壁門にきなさいよ」

「あぁ、分かった。どうも」


 ヴィショップは受付の女性に礼を言うと、フレスの依頼を無事受注出来たことを告げる為に、騒動の後にキチンと元に戻されたテーブルの一つに陣取って、昼間っから酒を飲んでる二人とそれが正しいにも関わらず場所の雰囲気のせいで浮いて見える残り一人の方に向かって歩き出す。受付の女性は返事はせずに手だけをひらひらと振ると、ヴィショップが渡した銀貨二枚を受付の下にしまった。

 ゴルト達が街の雑踏の中に姿を消したころ、ヴィショップ達は本来の目的であるフレスの依頼の受注を行っていた。一応、改めて確認依頼の内容を確認したものの、昨夜のフレスの説明以上の内容は無く、懸念していた時間の指定も存在しなかった(ちなみに、『ヴァヘド』の時間換算は、元の世界と同じく一日24時間。午前は時間の前にHが、午後はYが付く)。

 だが、いざ依頼を受けようとしたところ、ある問題が生じた。それはフレスの依頼を受けるに当たって、ヴィショップ達ではギルドランクが足りなというのである。ギルドランクとは、読んで字の通りギルドメンバーとしての階級である。女性の話によると、ランクはFからSまでの七段階を、F3、F2、F1といった具合に更に三つに分けての合計二十一段階。FからEまでが初心者、DからCまでが一般ランク、BからAまでがベテランで、Sは化け物とのことである。このギルドランクは全ギルド共通であると共に義務付けられており、依頼によっては一定以上のギルドランクがなければ受けられないものもある。運悪く、今回ヴィショップ達が受けようとしていた依頼も一定のギルドランクによる制限が掛けられているタイプのもので、その条件はランクC以上。当然のことながら、さっき加入したばかりのヴィショップ達のギルドランクは最低のF3であり、通常ならフレスの依頼を受けることは不可能だった。

 それにも関わらず、どうしてヴィショップはフレスの依頼を受けることが出来たか。それはヴィショップ達が所属することにしたギルドが普通じゃなかった(腐っていた)から。分かり易く言うならば、賄賂を使ったからに他ならない。そして賄賂の値段は、先程受付の女性がヴィショップから受け取った銀貨二枚。一人当たり銅貨五十枚といったところである。


「もっとぼられるかと思ったが、意外とそうでもなかったな」


 そう呟くヴィショップの顔色は、言葉とは裏腹に物憂げだった。というのも、ヴィショップは『ダッチハイヤー武具店』でかなりの大判振る舞いをして出費が嵩んでいたのに加え、賄賂の為に更に出費を重ねているのだから、仕方無いとも言えた。


「まともに代金徴収できそうなのは、ミヒャエル(連続強姦魔)だけか…」


 ヴィショップは、軽くなったというよりも片手で握りつぶせるような状態になってしまった小袋を弄ぶと。小さく溜め息を吐いた。

 ミヒャエルはともかく、レズノフとヤハドは『ヴァヘド』に来る前は組織の長だった。資金関係に関してはそれ相応に拘るだろうし、脅したところで意味も無いだろう。


「せめて、事前に一言入れてからやれば良かったぜ…」


 面倒臭さに負けて、独断で賄賂を払う決断をした数分前の自分を嘆きつつ、ヴィショップは、早々に交渉をヴィショップに押し付けて去って行った三人が座るテーブルまでやってくる。


「おい、行くぞ」

「依頼は受けられたのか、米国人?」

「あぁ。バッチシだよ」


 ヴィショップの答えを聞くと、ヤハドは軽く頷き、コップの中に入っていた水を全て飲み干して立ち上がる。ミヒャエルとヤハドも同じようにしてコップの中の酒を一気に飲み干すと、荷物を持って移動の準備を整えた。


「うっし。それで、どこ行くよ?」

「取り敢えず、魔導協会と神導教会とやらにいってみる。魔法とやらはこの先必要になってくるしな」


 レズノフが意気揚々とした問いに、ヴィショップは次の行先を答える。というのも、ヴィショップはこの先のことを考え、たとえ少なくても魔法を扱える才能がある以上、取得しておくべきだと考えていた。それでフレスの屋敷を出る前にフレスに訊ねたところ、それぞれの教会に行けば教えてくれる、との答えが返ってきた為、ギルドで正式に依頼を受注した後、魔導及び、神導教会に行くことを決めていたのだ。


「魔法かぁ…。一体、どんなんなんでしょうかねぇ…」


 ヴィショップのレズノフの問いに対する答えを聞いたミヒャエルが、まだ見ぬ魔法という存在に想像を膨らませて、夢心地といった感じの表情を浮かべる。ヴィショップは何となく、反応するのは止めとくか…、と考えると、ダメ元でレズノフとヤハドに賄賂の件を説明する。


「……という訳だ。だから、お前等、銅貨五十枚づつ、合わせて銀貨一枚俺に寄越せ」


 説明を終えて、ヴィショップが二人にそう要求すると、レズノフとヤハドは一度顔を見合わせると、ほぼ同時に答えた。


『ジイサン(米国人)が勝手に判断してやったことだろ?なら、お断りだ』

「だろうと思ったよ、守銭奴共め」


 『ヴァヘド』にきてから、最も二人の息があった瞬間だった。

 ヴィショップは苦笑すると、悪態を一つ吐き、想像の世界からまだ戻ってこないミヒャエルの頬を張り飛ばし、ついでに銅貨五十枚をきっちり頂いてから、『蒼い月』の出口に向かって歩き出した。






「え!?さっき揉めた二人組って、ギルドランクB1なんですか!?」

「あぁ。そうみたいだな」


 昼時となり、人でごった返してきた、両側に露店やら料理店やらの立ち並ぶ通りを歩きながら、ミヒャエルが驚きの声を上げ、ヴィショップがそれにぞんざいな返事を返す。 事の発端は、適当に会話を交わしながら通りを四人が歩いていると、ミヒャエルが思い出したようにウォーマッド兄弟のギルドランクへの疑問を呟いたのことだった。


「どうするんですか!?それって、あの二人組、ベテランってことですよね!?強いってことですよね!?ヤバイってことですよね!?ってか、何でそんなに余裕そうなんですか!?」

「うるせぇな…、タチの悪い女じゃあるまいし、んなワイワイ騒ぐなよ…」

「別に騒ぐのがタチの悪い女とは限らない……って、そうじゃなくて!」

「だから、うるせぇって。俺は俺で、受付のネェちゃんから聞いた時に、一通りリアクションは済ませてあるんだよ」


 顔を青くしながら喚くミヒャエルを、面倒臭そうにあしらう、ヴィショップ。彼の言葉通り、ヴィショップは依頼を受注したついでにウォーマッド兄弟のギルドランクを受付の女性に訊ね、その答えを聞いた時点で既にその事実に対する心の整理は付けていた。もっとも、今のミヒャエルのように狼狽えるのではなく、予想より面倒な方向に事が転がったことに対して舌打ちを一つ打っただけだったが。


「だが、ドイツ人の言い分にも一理あるぞ。お前が意気揚々と買った喧嘩の落とし前、どうつけるつもりなんだ?」


 ミヒャエルに呆れたような視線を向けつつも、真剣な表情でヤハドが訊ねる。


「まっ、何とかするさ。遺跡とやらがどんな所かは知らねぇが、ロケーションは悪くなさそうだしな。ところで、レズノフは?」

「あ、向こうに居ます」


 ヤハドの質問に答えたところで、レズノフの姿が見えないことに気付き、ヴィショップが辺りを見回す。すると、さっきまで喚いていたミヒャエルが、少し後ろに居を構える露店の女店主に言い寄っているレズノフの姿を捉え、指を指す。そして、ごつい相貌を精一杯柔らかいものにしようとした結果、返って怪しい顔立ちになっているにも関わらず、本人は気付いていないのか自身満々な態度を崩さずに女店主と話しているレズノフの姿を、ヴィショップも捉えると、舌打ちを一つ打ってからレズノフの方に向かって歩き出した。


「でだ、俺がそいつのデケェパイオツ叩くと、そいつは言った訳だ。「どうして何度も叩くの?」ってな。だから俺はこう答えた。「叩いたのは一度だけ。後のはお前のパイオツだ」ってな。分かるか?ほら、そいつのはデカ過ぎてさ、こう…振り子の要素でさ…戻ってきてぶつかる訳だ」

「は…はぁ…あ…あの…」

「ん?どしたよ?」

「「さっさと視界から失せろ、この竿師崩れが」だとよ」


 取って置きの小話をノリノリで話していたレズノフは、不意に後ろから掛けられた聞き覚えのある声に反応して、振り返る。


「何だ、ジイサンか。どした?」

「どした?じゃねぇよ、マヌケ。お前こそ、何やってんだ?」


 意外そうな表情を浮かべたレズノフに、ヴィショップが眉をヒクヒクと痙攣させて訪ね返す。


「何って、口説いてんだよ。見て分かんねぇか」

「成る程。ネアンデルタール人式のナンパで人間の女が落とせるかどうかは見物だが、生憎そんなものを見物してる暇は無いんでね。行くぞ。それと、ツレが迷惑掛けたな」


 ヴィショップはそう言うと、若干涙目になっている二十代前半の女店主に銅貨を十枚程取り出して渡し、女店主の返事も待たずにレズノフの襟を掴んでミヒャエルとヤハドの許まで連れて行く。


「何すんだよ。もう少しだったのに」

「もう少しってのは、あと三万年ぐらいか?どっちにしろ、生きてる間に実を結びそうにはないな」

「そう言うなよ。結構、評判良いんだぜ、この話」

「どの層にだ?ネアンデルタール人?それとも、北京原人か?」

「娼婦にだよ」


 ヴィショップは盛大に溜め息を一つ零すと、レズノフの顔に指を突き付ける。


「いいか。くれぐれも、貴族や依頼人に対してあんな真似をするんじゃないぞ」

「それってあのフレス(ガキ)のことか?いくらなんでも、あれは守備範囲外…」

「これから先もだ!それにいくらテメェでも、あんなガキに手を出すとは考えちゃいねぇよ。…出さねぇよな?」

「………うん。出さねぇ」

「おい。男同士のラブコメはそこまでにしろ。目的地までもう目と鼻の先なんだ。続きがやりたければ、着いてからやれ」

「あぁ、分かったよ。…出さねぇよな?」

「出さねぇって」


 そんなやり取りを繰り広げる二人に、ヤハドが呆れた様子で、通りの奥に見える四角い大型の建物を指差しながら、口を挿む。ヴィショップはそれに素直に従うと、最後にもう一回だけレズノフに確認をとってから、目的地である魔導協会に向かって歩を進め始める。


「で、これがその魔導協会か」


 といっても、ヤハドの言葉通り目と鼻の先と言える場所まで近づいていたので、二、三分程度で到着したのだが。


「何て言うか…近代的ですね」


 目の前にそびえ立つ建物を見て、ミヒャエルが驚きと懐かしさの混じった口調で呟く。

 魔導協会が居を構えている場所は、いくつもの通りと繋がっている広場の一角に存在した。そこには魔術教会以外にも様々な店が建ち並んでいたのだが、魔術教会『クルーガ』支部の看板を掲げる建物はその中で一際目立った姿をしていた。

 形は四角くて縦に長く、五階建て。色合いは地味な茶色で、他の建物と比較しても圧倒的に窓の数が多い。その姿は、元の世界でよく見かける安アパートにそっくりだった。


「なんというか…安っぽい造りだ」

「分かんねぇぞ。もしかしたら、こっちでは“これ”が流行の最先端なのかもしれん。とにかく、入ってみるとしよう」


 訝しげな視線で目の前の建物を見るヤハドに対し、ヴィショップはそう言うと、建物の正面にある木製の安っぽい扉を開ける。


「うわっ…なんだ、これは!」

「おいおい、マジかよ…」

「ヒューッ。やるねぇ」

「嘘でしょう…」


 そして、扉の先に広がる光景を見た瞬間、四人の口から思い思いの驚きの言葉が零れる。

 それもその筈。何故なら、扉の先に広がる光景は、冷たいコンクリートで構成された一室などではなく、高そうな壁紙が貼られ、高級感溢れるカーペットが敷かた、ホテルのラウンジを思わせる豪華な造りになっていたのだから。


「スゲェな。クソアパートの扉を開けたら、シンデレラ城か。つーか、明らかに外から見た建物の幅に合ってなくないか、ここ」


 ざっと見ただけでも、明らかに外から見た安アパートの中に納まりきっていない程に広い内部の構造に、レズノフが不思議そうに言葉を漏らす。


「…そうだな。恐らく、魔法とやらを使ってんだろ。取り敢えず、用事を済ませるとしよう」


 そんなレズノフの疑問にヴィショップは適当に答えると、正面に見える受付らしき場所に向かって歩を進める。


「ようこそ、魔導協会『クルーガ』支部へ。今日はどういった御用でしょうか?」

「えっと…魔法を教わりたいんだが…」

「分かりました。少々、お待ちください」


 ヴィショップが、深紅という配色ながらも、どこか主張し過ぎない雰囲気をもったドレス姿の受付の女性に話し掛けると、女性は丁寧に返事を返してから、まるでインカムでも使っているかのように耳に手を当てる。そして十数秒程その姿勢で目を瞑ったまま固まり、ヴィショップ達が流石に不審に思い始めたところで、目を開いた。


「お待たせしました。それでは、三階のハルトマン様の部屋にご案内します」

「あ、あぁ」


 女性はそう言ってにっこり笑うと、一回受付の奥に引っ込んでから受付の右側にある扉を開けて姿を現し、「付いて来て下さい」とだけ言いって、ヴィショップ達を先導し始めた。


「なぁ、ネェちゃん。さっきのあれは、何やってたんだ?」


 そんな女性の後ろに付いて行きながら、レズノフが女性の臀部に視線を向けつつ、訊ねる。


「マスターに連絡を取っていました。貴方方の対応が行える方が居ないかを確認して貰う必要がありましたので」

マスター(師匠)ってことは、お前は誰かの弟子なのか?」


 そんなレズノフに呆れつつ、ヤハドが女性に問い掛けると、女性は首を横に振って答える。


「いえ。マスターとは師匠のことではなく、私の創造主のことを指します」

「創造主…?どういうことだ?」

「私は魔導協会(ここ)に於ける事務の働きをする為に創り出された、人工生命体(ゴーレム)です。だから、私の場合はマスターとは師匠のことではなく、創造主の魔導師のことを指すのです」


 女性…彼女曰くゴーレムは、そう告げると、呆気に取られた表情を浮かべるヤハドに、先程と同じ様ににっこりとほほ笑んでみせた。


「マジっすか…。でも、人間にしか見えないですよ?感情だってあるみたいだし…」

「いえ、私に感情は存在しません。感情という機能は複雑過ぎて、私のマスター(創造主)といえど創り出せませんでした。私が今こうして貴方方と会話しているのは、予め設定された言葉や表情を状況によって行っていることの結果にに過ぎません」

「マジっすか…。いや、信じらんないっすよ…」

「着きました。少々お待ち下さい」


 ゴーレムは、未だに信じられなさそうな視線で見つめるミヒャエルとの会話を中断すると、目の前に存在する木製の古びた扉の前で、受付の時と同じ様に耳に手を当てて目を瞑る。

 ヴィショップは、ミヒャエルとの会話の切り方の唐突さを見て、あながちゴーレムの言っていることが間違いじゃないことを実感して、ゴーレムに興味深げな視線を向けた。


「準備が整いました。ハルトマン様には全て伝えていますので、向こうに着いたら直ぐに始められます。では、この扉の先にお進み下さい」

「分かった。案内、どうもな」

「お役に立てて、光栄です。お帰りの際はこの扉をご利用していただければ、この場所まで戻ってこれます。それでは、行ってらっしゃいませ」


 ヴィショップが礼を述べると、女性はにっこりと笑って頭を下げる。その先程と全く変化の無い笑みに苦笑しつつ、ヴィショップは扉を開いてその先へと進んだ。


「……で、こっちはこっちで、スゲェことになってるな」


 そして、扉の向こうに広がる光景を見て、ヴィショップが呆れ混じりに呟く。

 扉の向こうは、ホテルのラウンジの様だったさっきまでの景色とは一転して、薄暗く、大量の本に覆われた、いかにも魔法使いの一匹や二匹が潜んでそうな光景が広がっていた。


「凄いな…。これだけの本を見たのは初めてだ…」


 惨状と述べても差し支えがない程に本に埋め尽くされた光景に呆れるヴィショップとは裏腹に、何やら目を輝かせる、ヤハド。そんな彼が、本の山の一角に手を触れようとした、その瞬間だった。


「おい、勝手に触んじゃねーよ、おい、バカ!色黒野郎、おい、バカ!」


 いきなり背後から、慌てた声音の声が飛んでくる。それに驚いたヤハドが振り返ると、そこには長く伸ばした茶髪から、金属製の指輪やら動物の骨やらを垂らしている、若い男が立っていた。


「誰だ、貴様?」


 そんな怪しげな風貌の男に対し、ヤハドが冷たい声音で問い掛けると、男はそれを全く意に介さずに口を動かし続ける。


「誰って、そんなモン、一人しかいねぇだろ、おい、バカ。お前等に魔法を教える、アバズレ女神の百倍の慈悲に満ちた、ハルトマン様だよ。分かんねぇのか、おい、ばか、低の…ゴフッゥ!」


 休むこと無く罵詈雑言を吐き続ける男…ハルトマンの顔面に、ヤハドの投げた本の背表紙が突き刺さる。


「おい、もう一度言ってみろ。誰が、バカだと?」

「へ、へい、ちょ、タイム…!」

「おい、止めろ、ヤハド。魔法を教わるにしても、口が動かなきゃ教われん」


 鼻血を垂らしているハルトマンの襟を掴んで引き上げ、更に殴ろうとしているヤハド。ヴィショップは溜め息を吐きながらヤハドの後頭部に魔弓を突き付けて手を放させると、魔弓をホルスターに収め、倒れているハルトマンに手を貸して引き起こす。


「お、おう…。助かったぜ、ブラザー。殺されるかと…」

「はいはい、分かったから、早く魔法を教えてくれ。じゃねぇと、あいつを嗾けるぞ」


 ヴィショップの手を握って、力無く上下に振りながら感謝の意を述べるハルトマン。それなりにキツイ一撃を受けたにも関わらず、逆上して喚き散らさないところを見ると、もしかしたら自分の物言いの酷さについては自覚があるかもしれない。

 もっとも、ヴィショップが興味があるのはハルトマンの人柄ではないので、さっさと手を引き剥がして、早くレクチャーに入るように促す。


「おう。って、アンタ、インコンプリーターか、おい」

「そうだ。何か問題が?」

「いや。なら、ブラザーには特に何かする必要は無いと思ってさ」

「ハァ?」


 ハルトマンの口から出た言葉に、ヴィショップは心中で舌打ちを打つ。というのも、まさかここでこのような対応を取られるとは思っていなかったからだ。

 本格的にインコンプリーターを毛嫌いしている人間に遭ったことはないものの、インコンプリーターが良い様に思われていないのは、武具店の店主やフレス達との会話で把握していた。その為、インコンプリーターであることが発覚すれば、待遇において不都合が生じるだろうということも重々承知していた。だが、ギルドでは特に何も無かったことも相まって、流石に魔導教会で魔法の伝授を拒否される程とは考えていなかった。


(チッ…。ここまでかよ。最悪、脅してでも…)


 かといって、魔法を諦める気にもなれない。最悪の展開に突入する覚悟を決め、ヴィショップがホルスターに収められた魔弓に再度手を伸ばす。

 だが、次の瞬間ヴィショップの身に降りかかったのは、予想外の言葉と物体だった。


「はい。魔法習得、オメデトー」

「…はぁ?」


 ヴィショップは呆気に取られつつ、ハルトマンが目の前に差し出してきた本を手に取る。拍子には『魔導魔法入門編』と書かれていた。


「えっと…どういうことだ?」

「いや、だから、魔法習得だって、おい。それで」

「いや、意味が分からねぇんだが…」

「ってく、しゃあねぇなぁ、おい…」


 ハルトマンは面倒臭そうに頭をボリボリと掻くと、もれなく全員呆気に取られているヴィショップ一行に対し、説明を始めた。


「魔導魔法の習得っていっても…クソッタレの神導魔法もそうだが、特に大層なことをやる訳じゃねぇんだよ、おい。何故かって言うと、魔法に必要なのは魔力と言の葉の二つだけだからだ」

「つまり?」

「だから、発動に必要な魔力を持ってて適正がある奴が、魔法発動に必要な言の葉…つまり呪文を唱える。それだけで発動できんだよ、魔法は。他は何も必要無い。だから、呪文さえ知ってればそれでいいのさ、おい」

「つまり、魔法の伝授って、呪文を教えるだけか?」

「あぁ。強いて言うなら、呪文を言い間違えなければ、それでいい。発音が駄目でも大丈夫だし、声が小さくても問題無い」

「…そういうことかよ」


 ハルトマンの言葉を聞いて、自分の考えが勘違いであったことを悟ったヴィショップは、大きく溜め息を吐きながら、ハルトマンに気付かれないように魔弓から手を放す。

 他の三人も程度の違いはあれど、ヴィショップと同じ様な態度を取っていた。まぁ、魔法を教わると聞いて、何やら怪しげな薬品を精製したり、象形文字のようなもので形成された魔法陣を描いたりすることを想像していた身としては、拍子抜けするのも無理はないだろう。


「つまり、魔法を使いたきゃ、その本を読んで呪文を覚えればいいって訳か?」

「そういうことだ、おい。で、ここで俺がアンタ達にするのは魔導書を渡すことと、適性を調べることだ」


 ハルトマンはレズノフの問いにそう答えると、本の山に向かって行き、その中からボーリングの球程の大きさの水晶玉を取り出した…殆ど掘り出したと言った方が正しい光景だったが、とにかく取り出した。


「よし。これに掌を置いて力を籠めろ。それで適性が分かる、おい」

「分かるって、どんな風にですか?」

「魔導魔法の適性があれば赤に、クソ神導魔法の適性があれば青に、両方ある…乃ちインコンプリーターなら紫に、水晶玉が光る。じゃあ、まずアンタからだ、金髪のアンチャン」


 ハルトマンはそう言うと、ミヒャエルに向かって水晶玉を放り投げる。ミヒャエルは、重さのせいか飛距離の足りずに床に向かって落下していく水晶玉を寸での所で受け止めると、ハルトマンに言われた通りの行動をとる。すると、水晶玉の中心から煌々とした光が溢れ出した。


「おっ、光った」

「色は…赤か。はい、オメデトー。これでアンチャンも魔導師の仲間入りだ。魔導書はそっちのブラザーと仲良く読めよ、おい。で、次はアンタ等二人だ」


 ハルトマンは水晶玉から漏れ出す赤い光を見て、全くといって言い程感情の篭っていない賛辞の言葉をミヒャエルに贈ると、本の山の中からもう一つ水晶玉を取り出して、ヤハドに渡す。


「フン、どこの輩とも知れぬ連中の呪術などに頼りたくはないが…この際だ、仕方ない」

「よっし、取り敢えず魔法習得したら何すっかなァ。何か燃やしてみっか。それとも女口説くのに使ってみっか」


 そしてレズノフもミヒャエルから水晶玉を受け取ると、掌を置いて力を籠める。この時、二人の中に自分達に適性が存在しない、という考えは無かった。それは四人の中で最弱(少なくとも当人を除いた三人の間ではその考えで一致している)のミヒャエルに適性があったからだ。元の世界の経験から、思い込みというものの危うさを知っているレズノフとヤハドでも、この時ばかりは“ミヒャエルに適性があるのだから、自分にもある筈だ”と思い込んでいた。だが、結果は


「…………」

「…………」

「はい、適性無し。という訳で、これでハルトマン様のレッスンは終了…」


 水晶玉からは豆電球程の光も漏れ出さなかった。

 二人は少しの間、全く光の灯っていない水晶玉を穴が開くほど見つめていたが、不意にハルトマンの声に反応して振り向く。


「おい、どういう事だ!欠陥品かァ、こいつはァ!」

「そうだ!何で、あんな下衆に適性があって、俺達に無い!」


 そして、さもやり切った感を出しながら、ヴィショップ達を部屋から追い出そうとしているハルトマンに詰め寄り、罵声を飛ばす。


「いや、そんなこと言われても、こればっかりは生まれつきの才能だし、うん」

「そうだぞ。っていうか、その下衆には俺も入ってんじゃねぇだろうな?」

「っていうか、僕が下衆なのは確定事項ですか…」


 それに対し、ハルトマンが引け腰になりながらも説明し、ヴィショップが諌める。

 レズノフとヤハドは少しの間納得のいかなさそうな顔をしていたが、やがて諦めてハルトマンから離れた。


「とにかく、これで俺がやるべきことは全て終わりだ。最後に何か質問あれば聞くぜ、おい?」

「じゃあ、一ついいか?」


 二つの水晶玉をレズノフとヤハドから回収し、重そうに本の山の奥へと戻しながら、ハルトマンが問う。ヴィショップは言葉に甘えると、手を軽く上げてハルトマンに質問をぶつけた。


「魔法を使うには呪文があればいいっていうが、それだと危険な魔法が世に出回った場合、かなり危ないんじゃないか?」

「それなら安心しろ。その危険な魔法を含め、現在確立されている魔導魔法は全て俺等の管理下にある」

「というと?」

「今、ブラザーに渡した魔導所は入門編。その他に初級編、中級編、上級編、奥儀編の四つがあり、そっちは入門編と違って、俺等が書毎に試験をして実力と人柄を認めた奴にのみ渡している。で、初級編を含めた五つの書に俺等の管理している魔導魔法が全て載っているんだが、この世に存在する魔導魔法は全て俺等が管理しているといっても過言じゃないから、その五つの書には全ての魔導魔法が載っていると考えていい」

「随分と自信有り気な発言だな?新たに作り出されたりした場合はどうするんだ?」


 ヤハドが挑発するような口調で訊くと、ハルトマンは人差し指を左右に振りながら、優越感丸出しの表情で答える。


「そりゃ、そうさ。確かに、魔導魔法っていうのは新たに作り出すことも可能だ。だが、新しく作った魔導魔法は俺等に報告するようにどの国でも決められてる。その上、報告した魔導魔法が正式に認められれば、賞金だって出る。まず報告しないやつなんていないし、例えいたとしても大した問題じゃないさ、おい」

「どうしてだ?」

「何故なら、俺等は…クソ教会もだが、世界全体に探知型の広域魔法を掛けてる。詳しい原理は教えられないんだが、そいつには今まで俺等が管理してきた魔導魔法の記録がインプットされていて、記録にない魔導魔法を探知して場所をしらせてくれる優れ物なのさ。だから、勝手に新型の魔導魔法を作っても俺等にはバレちまう訳、おい」

「でも、作った状態で使わずに隠すかもしれませんよね?」


 自身満々で語るハルトマンに、ミヒャエルが疑問の声を上げる。そんなミヒャエルを見て、ヴィショップが呆れた口調で声を出す。


「使ってみないと、成功したかどうか分からないだろう」

「その通り。でも、ちょっと惜しい、おい。魔導魔法っつーのは、武器なんかと違って、実際に使ってみるまで完成度が分からない訳よ。だから何度も発動させて失敗させてを繰り返して、完成に近づけていく訳。だから厳密には、新型魔導魔法を作ろうとした時点で俺等にバレる訳よ、おい。つまり、この世に存在する全ての魔法は俺等を通さなきゃ覚えられないし、仮に生み出しても俺等の管理下に置かれるってこと。分かった、おい?」

「あぁ、充分分かったよ、ありがとさん」


 ハルトマンはそう言って、自信満々な態度のまま説明を終える。

 ヴィショップはそんなハルトマンの態度に苦笑しつつも礼を述べると、視線を他の三人に向けて他に質問がないか確かめる。


「ん、じゃあ、俺、質問いくわ」

「あっ、じゃあ、僕も」

「おぅ。何だ、おい」


 すると、レズノフとミヒャエルが手を上げた。

 ハルトマンは若干面倒臭そうにしながらも、自慢話が出来て気分がいいのか迷惑そうな表情は浮かべずに、質問を促す。


「何か、女を落とすのに役立つのとかない?」

「あっ、僕もそれは聞きたいと思ってました」

「はぁ?」


 そんな二人の口から出たのは、あまりにも俗物過ぎる質問。ここまできてそんな質問をぶつけるレズノフと、予想外にもそれに同調したミヒャエルに、さしものヴィショップも間抜けな声を上げる。

 だが、本当に予想外なのは次のハルトマンの言葉だった。


「有るぜ、おい」

『マジで(ですか)!?』

「あぁ。だって、偶に外に出ては、魔法使って女引っ掛けて遊んでるし、おい」


 ハルトマンの口から出たのは、まさかの肯定の言葉。しかも意外と乗り気な口調で。


「何なら教えてやるよ、おい。これは魔法がどうこういうより、テクニックの問題だし、入門編に載ってる魔法でも実践可能だぜ、おい」

『マジで(ですか)!?』

「…ったく、下らん!」


 予想外の展開に、すっかり盛り上がる、ミヒャエルとレズノフ。そんな二人の態度を見て、ヤハドは吐き捨てるようにして呟くと、ハルトマンの部屋に来る際に使った古ぼけた木製のドアの方に向かって歩き出した。


「おい、どこいく?」

「これ以上、頭の悪い会話に付き合っていられん。外で待たせてもらう」


 ヤハドは、訪ねてきたヴィショップにぶっきらぼうに答えると、扉を開いて姿を消した。





「チッ…」


 木製の安っぽいドアを開けたヤハドは、視界に飛び込んでくる日の光に、目を細める。それは先程まで薄暗い場所に居たことを考えれば当然の結果なのだが、ヤハドにはそんなことですら妙に苛立たしく感じられてしょうがなかった。

 ヤハドは魔導協会出入口である安っぽい木製のドアから離れ、目の前の広場の中心にある噴水の周りに置かれているベンチに腰を掛ける。そしていつもの習慣で煙草を取り出そうとするが、煙草をつっこんである服は『ヴァヘド』に来た時に失くしている為、手元に煙草が無いことに気付くと、もう一度舌打ちをしてから空を見上げる。


(俺は…何をしているんだ…?)


 太陽の眩しさをものともせずに、無気力に空を見上げているヤハドの頭の中では、一つの疑問が渦巻いていた。それは、現状の時分への疑問。


(俺にはやるべきことがある…。だというのに、俺は何をしている?ただ町をぶらつき、チンピラとの喧嘩に付き合い、挙句の果てに米国人の指示に従い…)


 無論、ヤハドにも分かっていた。町に到着して以来、大したことは何もしていないように見えて、二日目にしてパトロンの候補を生み出すなど、事態はそれなりに良い方向に進んでいることに。

 だが、それでもヤハドの胸に居座る疑問は消えなかった。その理由が、ヤハドがパトロンなどに拘らず、自らを偽るようなことを嫌う、ヴィショップと真逆の性格だからのか、今までの結果は全てヴィショップが生み出したものであり、自分では同じ真似は出来ないことを悟っているからなのか、それとも両方か。それが分かるのはヤハド自身しかいない。だが、ヤハドが考えの焦点をそこに当てることは無かった。少なくとも、今は。


「……ませ…!」

「あ~あ~、ど…すんの……れェ!?」

「あれは…」


 不意に背後から聞こえてきた声に反応し、ヤハドは空を見上げるのを中断して後ろを振り向く。

 すると、噴水越しに、広場の奥の方で若者数人が、小さな少女に詰め寄っているのが確認出来た。そのまま目を凝らしてみると、若者の内一人の服に大きな染みが出来ているのと、地面に可愛らしい花柄模様の水稲が転がっているのが確認でき、ヤハドは小さく溜め息を吐く。


「どこにでも居るものだな…こういう下衆は…」


 そしてそう呟くと、ベンチから腰を浮かし、若者達の方に向かって歩き出す。


「こりゃあ、あれだな~。弁償してもらわないとな~」

「つーか、俺、骨折れたわ。治療代も出してもらわねぇとな」

「あの…すいませんでした…。わ、わざとじゃ…」

(武器は無し…正真正銘のチンピラか)


 いたぶるような若者達の声を聞きつつ、ヤハドは若者達が武器を携帯していないことを見抜く。そして、曲刀に手を掛けていつでも引き抜けるようにする。

 ヤハドはヴィショップのやり方にいい感情は抱いていない。だが、それでも心の芯の部分ではそれが効率の良い方法であることを理解している。それ故に、この時ヤハドが若者達にとる対処方法は適当に脅しを掛けて、あまり騒ぎを起こさないようにする方針で固まっていた。


「あの…あの…!」

「あ?はっきり言えよ、ガキが」

「ひっ…」

(お前もガキだろうに…)


 若者達に侮蔑の念を抱きつつ、ヤハドは着実に若者達へと近づいていく。

 騒ぎを起こさない、という点で考えれば、ヤハドのとろうとしている行動は間違いだ。少女の平凡そのものな身なりや素振りを見ても、助けたところで大したメリットは無い。恐らく、この場に居合わせたのがヴィショップなら平気な面で無視するだろう。

 だが、ヤハドにはそれが出来ない。『水面の月』ではヴィショップが動いたので動かなかったが、元来ヤハドはテロリストという一面からは考えられない程に、子供や老人など、弱者に対する暴力を嫌っていた。それと同時に、イスラム教には喜捨(ザカート)という、困窮者に施しをする概念が存在する。やや独自の信仰を持つヤハドは、見方によっては敬虔なイスラム教徒とは言えないものの、それでも喜捨(ザカート)の教えに反する真似は出来なかった。

 とにもかくにも、ヤハドはなるべく穏便に少女を助けようとしていた。


「助けて…パパ…!」


 その言葉を耳にするまでは。


『助けて!パパ(アブー)!』


 その言葉を耳にした瞬間、ヤハドの頭の中で、少女の姿と、肌の色も顔立ちも全く違う“少女”の姿が重なる。

 そして次の瞬間には、寸前まで考えていたことを全てかなぐり捨てて駆け出していた。


「あ?何だ、テメェ…グオッ!」


 駆け出したヤハドは残りの距離を一気に縮めると、足音の反応して振り向いた若者の顔面に掌底を叩き込み、一撃で昏倒させる。そして鼻血を出しながら倒れていく若者には目もくれずに身体を回転させ、近くに居た別の若者の腹に回し蹴りを叩き込む。


「て、テメェッ!」


 そこでようやく事態に反応した他の若者達が声を上げる。

 一方のヤハドは、さっさと回し蹴りの体勢からニュートラルに戻ると、回し蹴りを受けて腹を抱えている若者の髪を掴んで引き寄せ、うなじに肘をめり込ませて昏倒させた。


「こ、殺してやる!」


 その早業にたじろぎながらも、拳を振り上げて襲いかかろうとする、若者達。

 ヤハドは昏倒させた若者を地面に放り捨てると、まず顔面目掛けて放たれたパンチを首の動きだけで躱し、逆にボディに一発入れる。そして間髪入れずに飛んできた前蹴りを、身体を僅かにずらすことで避け、左手で脚を掴み、膝の辺りに全体重を掛けて肘を振り下ろす。


「があああぁっ!」


 妙な方向に折れた足を抱え、絶叫を上げながら若者が地面にひっくり返る。

 ヤハドはそれを完璧に無視し、やっとボディへの一撃から立ち直ろうとしている若者の胎に肘を捻じ込むと、若者の肩を掴んで更に膝を三回程叩き込む。


「調子に、乗んじゃねェッ!」


 最後に残った二人が、顔を蒼くさせながらも、ヤハドに躍りかかる。

 ヤハドは崩れ落ちるようにして地面に倒れ込んだ若者の顔面に、踵を入れて黙らせると、向かってきた二人に向き直る。


「死ねやァ!」


 二人の内一人が懐から小さなナイフを取り出す。だがそれは到底手入れが行き届いているとは言い難い代物である上に、刃渡りも小さい。ヤハドにとっては、武器とも呼べない玩具同然の得物だった。


「オラッ!」


 ナイフを握ったことで安心したのか、先にヤハドに向かって突っ込んできたナイフ持ちの若者が、威勢の良い声をともにナイフを突きだす。

 ヤハドは表情を一ミリも動かさず、ナイフを握る若者の手首に左手で手刀を打ち込んでナイフを手放させると、右の手刀を若者の喉に打ち込む。


「カ…ハッ…オガッ!」


 悶絶しながら後ずさる若者の顔を蹴り上げて、仰向けに地面に転がす。そして、その隙を突いてを打ち込まれた最後の一人の拳を、ヤハドは左手で掴むと、思いっきり捻じり上げる。


「ぎゃあああっ!」


 嫌な音がなったかと思うと、肩の関節を外された若者が絶叫を上げる。だが、ヤハドはそれすらも無視すると、若者の無事な方の腕に手を伸ばし、捻じり上げて関節を外した。


「あああああああぁぁぁっ!」


 一段と大きな絶叫を上げる、若者。

 ヤハドは、肩を力無く垂らした状態で地面に崩れるようにして座り込んだ若者に向かって、思いっきり右足を振り上げ、そして振り下ろした。


「ゴェ…」


 顔面に強烈なネリチャギを叩き込まれた若者は、奇妙な悲鳴を上げながら仰向けに倒れる。

 ヤハドは脚を戻し、荒くなっている息を整えて冷静さを取り戻して、死屍累々という言葉が相応しい若者達の惨状に目をやってから、怯えた様子で立っている少女の方に向き直る。


(…やらかしたな…)


 そんな少女の表情を見て、ヤハドは心中で盛大な溜め息を吐く。

 いくら助ける為の行為とはいえ、ヤハドの振るった暴力は明らかにやり過ぎと言える代物だった。その上、聞く者に鳥肌を立たせるような音に、作り物ではない本物の絶叫まで耳にしたのだ。怯えないはずがない。


「ハァ…」


 ヤハドは今度は本当に溜め息を吐くと、改めて周りを見渡す。そこには案の定、人だかりが出来ていた。そして何よりヤハドの気を重くしたのは、そうした人だかりの中の目立つ場所に、ヴィショップ等の姿があったからだ。


「しくじった、な」


 激情に駆られて暴力を振るったことを後悔し、鬱々とした口調でヤハドは呟くと、ヴィショップの方に向かった歩き出す。ヴィショップを除いた周りのひとだかりが(無論、レズノフとミヒャエルも含む)割れんばかりの拍手を送るが、ヤハドは何のリアクションも返さずに歩き続ける。だが


「ありがとう、おじちゃん!」


 そんな拍手の嵐の中でも、はっきりと聞こえた涙混じりの少女の声。それにだけは、ヤハドは反応した。


「気にするな」


 振り返らず、ただ手を振って一言告げるという、ぶっきらぼうなものだっだが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ