森林での逢瀬
ヴィショップ達が『フレハライヤ』を訪れた翌日、ミヒャエルは前日にシューレに言われた通り、村の外れに広がる森への入り口の近くで待っていた。
ミヒャエルは森の入り口に設置された真新しい看板に寄り掛かりながら思考に耽る。彼の頭の中はこれからここを訪れるであろう一人によって女性の存在に完全に占められており、その状態はかれこれ二時間近く続いていた。
「あっ、来ましたね。こんにちは」
「…本当に来たんですね」
だがその思考もこちらに近づいてくる本人の姿を見て瞬く間に鳴りを潜めた。ミヒャエルは、この先への立ち入りを禁止する旨の書かれた看板から背中を剥がして、森の奥から姿を現したシューレに声を掛ける。昨日と同じような格好で姿を現したシューレは、複雑そうな表情を浮かべてそう呟き、脚を止めて近づいてくるミヒャエルを待った。
「もちろん! 約束しましたからね」
「そうですか。お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いえいえ、全然待ってなんかいませんから! それで、今日はどんなお仕事をするんですか? またあのうじ…じゃなくて、村の人達に薬を売りに行くんですか?」
ピクニックにやってきた子供のようなテンションの高さでミヒャエルがシューレへと話しかける。彼女とはそれとは対照的な、暗さすら感じる落ち着いた態度で彼の質問に答えた。
「いいえ、今日は森に入って薬の材料となるものを探すのを手伝ってもらいます」
「森に入るんですか?」
シューレの言葉を受けてミヒャエルが眼前の森林へと視線を向ける。入り口からでも、引っ切り無しに立ち並ぶ木の群れからは無数の枝が広がり、そこに生い茂った葉は太陽の光を完全に遮断して不気味な薄暗さを森にもたらしているのが分かった。
シューレは森を見つめるミヒャエルを眺めて彼の答えを待つ。先程までミヒャエルがもたれ掛かっていた看板に書かれた文、そして今ここ『フレハライヤ』に広まっている噂に臆して森に入ることを躊躇ってくれることを望みながら。
しかし返ってきた答えは、やはり彼女の期待を裏切るものだった。
「分かりました、森で薬の材料を探せばいいんですね? なら任せて下さい! もし魔獣が現れたりしたら、僕が守りますから!」
右手に持っている杖を構えてポーズをとりながら、ミヒャエルは自信たっぷりに宣言した。もっとも、彼が森に入ると言ったところで物怖じしないでであろうことは、シューレにも昨日の会話で薄々気付いていたことなのだが。
「…大丈夫です。この森に魔獣は居ませんから」
「えっ、そうなんですか?」
小さく溜息を吐いてから、シューレはミヒャエルにそう告げる。そして意外そうな表情を浮かべる彼に、自分が持っていたもう一つの籠を差し出した。
「えぇ。だから私は守ってもらわなくても大丈夫です。それに、この森は私の庭みたいなものですから」
「へぇ、それは凄いですね。あっ、でも、困ったり助けが欲しい時はいつでも僕に言ってくださいよ!」
籠を受け取り、大仰に胸を張っていつでも頼るようにミヒャエルが告げる。
シューレは彼の、『フレハライヤ』の村人達が自分に向けるのとはあまりにも違う態度に辟易しながらも、仕事を始めるべく動き始めた。
「何を探せばいいのかは今お渡しした籠の中に入っています。森の中は迷い易いので、私から離れないようにしてください」
「言われなくても離れたりなんかしませんよ。あっ、凄いですね、これ。文字だけじゃなく絵まで書いてあるじゃないですか。これ、シューレさんが書いたんですか?」
籠の中に入っていた数枚の紙に目を通しながらミヒャエルが声を上げる。シューレはその彼の言葉には返事を返さずに、森の奥に向かって歩き始めた。
「うわぁ、昼なのに暗いですねぇ。それに同じ様な木ばっかですし、確かにこれは迷い易そうです」
「あの……本当に大丈夫なんですか?」
周囲を見渡しながら一人ごちるミヒャエルにシューレが問いかける。
「何がですか?」
「この森に入って、ということです。入り口に置いてあった看板は見たのでしょう?」
「えぇ、見ました。でも、シューレさんが居ますし」
ケロッとした表情でミヒャエルはシューレの質問に答える。あまりにも手応えの無い返事に、シューレは小さく溜息を漏らして別の切り口から質問をぶつけてみた。
「この森で子供が消えたことはご存じなのでしょう?」
「でも、僕もシューレさんも子供じゃありませんから」
「……では、子供が消えたのは魔女の仕業だという話は?」
意を決してシューレはその質問をぶつけてみる。これで何も感じないようなら、後は諦めるしかないだろうと考えて。
「うーん、でも、僕はシューレさんがそんなことをする人には見えませんし」
そして返ってきた結果は彼女に諦めを強いた。
まだミヒャエルと出会って歩き始めて三十分と経っていないにも関わらず、三度目となる溜息をシューレは吐く。そしてそれを終えると、横を歩くミヒャエルの顔を横目で見つめながらその言葉の根拠を訊ねた。
「どうしてそう思うんですか?」
「どうしてって……理由はありません。ただ、そう思うんです」
結局、分かったのはどう足掻いても今日一日は横を歩く男が自分と行動を共にしないことはなさそうということだった。
ただ、この時シューレは一つ勘違いしていることがあった。彼女はミヒャエルの言葉を信じて、本当に彼がが自分のことを子供の失踪とは無関係だと思っていると考えた。
だが、実際は違う。単に、子供を攫っているかどうかなど、ミヒャエルにとってはどうでもいい些細な問題に過ぎなかった、ただそれだけのことだった。
「…あっ、ちょっと待ってもらっていいですか?」
不意にミヒャエルがシューレを引き留めたかと思うと、ミヒャエルはシューレから離れてしゃがみ込む。シューレが顔を動かして何をしているのかを見て見ると、ミヒャエルは地面から生える草の先端に近くに生って居る木の実をいくつかもぎ取っているところだった。
「念の為に言っておきますけど、それは食べられませんよ?」
「…そうなんですか?」
一拍遅れてミヒャエルが振り返る。思わずシューレは呆れた様子で息を吐いた。
「えぇ。食べても死にはしませんが、舌が痺れてまともに喋れなくなります」
「へぇー、そうだったんですね」
どこか白々しい様子でミヒャエルが頷くが、シューレがその白々しさに気付くことはなかった。彼女は呆れを孕んだ表情のまま、言われてなおも木の実をむしることを止めようとしないミヒャエルに声を掛ける。
「確か、薬草や木の実には詳しいと聞いていたのですが?」
「いやぁ、この木の実、僕の家の周りには余りない種類でして…。つい、珍しいと思っちゃいましてね」
ミヒャエルは面目無さそうに笑いながら立ち上がる。木の実を持った右手は彼の僧衣の懐へと突っ込まれていた。
「まぁ、特に取ったところで誰かが困る訳ではありませんし大丈夫でしょう。それより、先に進みませんか?」
「そうですね。いやぁ、時間を取らせてすいませんでした」
ミヒャエルが僧衣の懐に突っ込んでいた右手を抜いて、頭をバツが悪そうに掻きながらシューレの横に戻ってくる。シューレは食べれないといったにも関わらず木の実を持ち帰ろうとするミヒャエルを不思議に思いながらも、森の奥に向かって脚を動かし始めた。
それから幾分かの間は特に何事も無く、ミヒャエルが引っ切り無しに口を動かしそれにシューレがぎこちない様子で答えるといった光景を続けながら、二人は立ち止まることなく歩き続けた。
「それにしても、本当に魔獣が居ませんね。リスとか鳥とかは居ますのに」
「森と生物は一心同体。森が無くなればそこに住んでいた生物が生活できなくなってしまうように、住んでいる生物が何も居なくなってしまえば森も滅びてしまうのです」
「へぇ、そうなんですか。凄いですね、シューレさんは。僕、生まれてこのかたそんなことは全然知りませんでしたよ」
「いえ、別に凄いとかでは……それより、着きましたよ」
シューレは目的の場所に到着したことを告げて脚を止める。ミヒャエルもそれに倣って歩みを止めると、渡された籠を開いて中に入っていた紙を取り出した。
「ここですか。それで…えっと、どれを探せばいいんですか?」
「ギャンギュールダケです。茶色と赤くて、傘が五角形みたいな形の…」
「あぁ、これですね。にしても、いかにも毒キノコってみためしてますけど、これは何に使うんですか?」
シューレに指摘されて目的の材料の書かれた紙を見つけたミヒャエルはそこに書かれた毒々しい見た目の茸を見て訝しげな表情を浮かべる。
「単体では仰る通りの毒茸ですが、他の材料と混ぜて効果を弱らせることで腸の働きを活性化させる効能を持ちます。シャンセンさんの奥さんが、そのことで悩んでいるとのことだったので」
「まさか、誰がどんな病気を抱えているのか憶えてるんですか?」
シューレの説明を聞いていたミヒャエルが驚いた顔付きで訊ねる。そこに食いついてくるとは予想していなかったのか、シューレもまた驚いたような素振りを見せつつ首を縦に振った。
「え、えぇ、一応は」
「本当ですか!? いやぁ、仕事熱心なんですねぇ、シューレさんは!」
「いえ、別に…大体、そんなに人数が居る訳でもありませんし…」
戸惑いつつも返事を返す、シューレ。そんな彼女の心中に一つの疑問が浮かんできた。
(どうしてさっきから、この人は私のことをこんなに褒めるのでしょうか…?)
最初は単なる世辞かと思っていたが、次第にそれもどうやら違うようにシューレには思えてきていた。というのも、世辞で言っているにしては一々本物の感情が籠っているのだ。
(何でしょう…? これは…嬉しがっているのでしょうか…?)
シューレには笑顔で彼女を賞賛するミヒャエルの姿はそう映った。そう、まるで自分が今まで知らなかったシューレの姿を知るのが楽しくてたまらないといった風に。
「それで、そのナントカダケっていうのはどこら辺に生えてるんですか?」
「え? え、えぇ、あそこです」
そんな彼女の思考はミヒャエルの発した質問で途切れる。不意に現実へと引き戻されたシューレは若干慌てた素振りで右手の人差し指を突き出した。
「そこって……木の上ですか?」
「その通りです」
間の抜けた表情を浮かべるミヒャエルにシューレはそう答えると、手近の木へと近づく。
「私はこちら側を探しますので、貴方はそちらを探して下さい」
そしてそう告げると手にしていた籠を木の根元に置き、籠から小さな小瓶を取り出す。小瓶の蓋を開ける。中には肌色の軟膏らしきものが入っており、小瓶の口に人差し指と中指を突っ込んで取り出すとそれを両手の掌に万遍なく塗る。掌に塗り終わった後は、靴を脱いで足裏にもその小瓶の中身を塗りたくった。
それを見ていたミヒャエルは自分の籠の中にも同じようなものが入っていたことを思い出して自分の籠の中を探る。果たして中にはシューレが今しがた取り出したものと同じ小瓶が入っており、ミヒャエルはそれを取り出すとシューレがしたように自分の掌と足裏へと塗り始める。
「これにはどういう意味があるんです?」
「滑りにくくなって、木が登りやすくなります。肌が荒れたりはしないので、安心して下さい」
ミヒャエルの質問に答えると、シューレは両手を木の幹へと回してよじ登り始めた。
「お、おお~っ!」
決して速くはないものの、着実に木をよじ登っていくシューレの姿を見てミヒャエルが驚嘆の声を上げる。シューレはそれに気恥ずかしさを覚えつつも、気をよじ登ることに集中してその感情を紛らわすことにした。
「じゃ、じゃあ、僕も…」
少しの間ミヒャエルは木を昇るシューレの姿を眺めていたが、やがて視線を籠に入っていた薬を塗った自分の掌へと向ける。そして微かに鼻孔を刺激する刺すような臭いに思わず顔しかめつつ、両手を木の幹へと伸ばした。
「おっ? お~、凄い、登れてますよ!」
恐る恐る昇り始めたものの、一向に落ちる気配が無いことに気付いたミヒャエルが笑いながら声を上げる。
「凄いですね、これ! 僕、木登りなんて子供の時にすらやったことがないのに!」
「…気を付けてくださいね? あくまで落ちにくくなっているだけで、落ちない訳ではないのですから」
「大丈夫ですって、任せて下さい!」
先に上り切って目的の茸を探していたシューレが不安そうな視線を向けながら忠告する。ミヒャエルはそれに自信に満ちた台詞を返すと、どんどんと上に進んでいった。
(本当にこの人は大丈夫なんだろうか…?)
到底ついて行けないテンションで動き続けるミヒャエルを見てシューレは心中でそう呟いた。
そうして二人は互いに会話を…といっても、ミヒャエルが一方的に話しかけてシューレがそれに答えるといった内容だが…を交わしながらギャンギュールダケを探し続けた。
「そういえば、シューレさんの家ってどこにあるんですか?」
ミヒャエルの口からその質問が出てきたのはギャンギュールダケの数が必要数に届きつつあろうとしていた頃だった。
枝の影に隠れるようにして生えている毒々しい見た目の茸に触れかけていたシューレの、か細くも美しい指先が動きを止めた。
「……この森の中にあります」
答えるべきか否か一瞬逡巡してから、シューレは既にミヒャエルが確信を持っていてもおかしくはない部分だけを答えた。
「やっぱりそうですか。でも、何で森の中に住んでるんです? どう考えたって生活しにくいでしょう? 確かに村の人達と一緒に生活するのは嫌だと思いますけど、なら別の所に引っ越すなりあると思いますよ? シューレさんだって言ってみたい場所の一つ二つはあるでしょう?」
彼女の読み通りミヒャエルは既にシューレの住まいがこの森の中にあるということには気づいているようだった。そして彼女が返した答えだけで満足することがなかったのも、またシューレの読み通りと言えるだろう。
「いえ、私はこの森で充分です。それに母の思い出もここにはありますし…」
「そうですか。てっきり僕はシューレさんが村の人達のせいで森に押し込まれているのかと…失礼なことを言ってすいません」
「いえ、いいんです。そう思われても仕方のないことですから」
申し訳なさそうな表情を浮かべてミヒャエルが頭を下げる。シューレは、頭を下げた折に木の上か落ちそうになって慌てて両手を振り回すミヒャエルの姿に苦笑を浮かべながら、返事を返した。
もっとも、ミヒャエルがそれ以上シューレへと質問をぶつけなかったのはバランスを崩したからではなく、彼女が自らの家の位置をミヒャエルに教えたくはないことを彼が見抜いていたからだったのだが。
(う~ん、だとしたらやっぱり住まいはこの森になる訳ですか。まぁ、邪魔な奴等もあんまり来なさそうですし、良いかもしれませんね)
無論、バランスを取り直して何とか落ちずにすんだミヒャエルが、その心内で考えていることなど知る由もない。
「こちらは数が揃いました。そちらはどうです?」
「こっちも大丈夫です」
ギャンギュールダケを真下の籠に落としながらシューレがミヒャエルに問いかける。ミヒャエルが両手の指を折りつつ返事を返すと、シューレは木から降りて籠の中へと手を伸ばした。
「その籠の中に水と布が入っています。それで薬を落として下さい」
「あっ、はい」
地面に降りたシューレは布を水で浸し、それで脚や掌に塗った薬を落とし始める。ミヒャエルは衣服の隙間から覗く濡れた足先を横目で眺めつつ、自身の脚と掌に付着している薬を落としていく。
「次の材料まで少し距離がありますが、休憩していきますか?」
「いえ、僕は大丈夫です。シューレさんの方こそ大丈夫ですか?」
薬を落とし終えたシューレがミヒャエルの方を向いて質問をなげかける寸前まで視線を微塵も動かすことなく彼女の脚を見ていたミヒャエルは、ギリギリのところで視線を自分の手足へと向けて返事を返した。
「私は大丈夫です」
「本当ですか? 辛かったら無理せず言って下さいね」
「いえ、いつもやっていることですから」
シューレはそう返すと靴を履き、籠を手にしてミヒャエルの準備が終わるのを待った。
(見た目に反してタフですね…。とすると、薬の量は多目にした方が良いかもしれません)
そしてミヒャエルは近い将来に訪れると信じて疑わない瞬間のことを考えながら、靴を履いて籠を持ち上げ、先導して歩き始めたシューレの後を追う。
現時点でシューレは到底ミヒャエルに心を許しているとはいえなかった。それは彼女がミヒャエルに家の場所を教えることを避けていることからいって間違いないであろう。だが、ミヒャエルの心には焦りはなかった。彼には今まで愛した女性と一人の例外もなく愛し合っていたという結果とそれに基づく自負があったし、何より例えどれだけシューレが警戒していようとも、彼女がミヒャエルのことを少し変わっているだけの“ただの”男としか見ていない時点で、彼女の状況は墓穴に片足を突っ込んでいるのと何ら変わらなかった。
(こういうのは焦らないことが肝心なんです。だから…ゆっくり、ゆっくり、ゆぅぅぅぅぅっくり、互いに愛を深めていきましょうね、シューレさん…)
シューレはミヒャエルを先導して森を進む。凡そ、最も背後に立たせてはいけない人間が後ろを吐いてきているとは露も知らずに。いくら勝手知ったる土地であったとしても、自分達二人以外に誰も居ないこの状況がどれだけ危険な状況下など全く分からずに。
「取り敢えず、これで四軒か」
ミヒャエルとシューレが森で薬の材料を探している一方で、ヴィショップ達残りの三人は『フレハライヤ』で子供の失踪被害にあった家を回って話を聞いていた。
「にしてもよォ、最初の一軒目のガキが森で消えたってこと以外、どこも同じような話っていうのはどういう了見なんだァ、ジイサン?」
次の家の位置を確認していたヴィショップに退屈そうなレズノフが絡んでくる。
「確かにそうだな。最初の一人二人はともかく、後の子供達なんかは前の事件を受けて警戒があったにも関わらず、あっさりと姿を消して誰も目撃者が居ないなどというのもおかしな話だ」
レズノフの言葉をヤハドが肯定した。
先のレズノフの言葉通り、ヴィショップ達が訪れた四軒の家で聞いた話は最初に訪れた家の子供の話を除いて、どこも同じような話しか聞けなかった。すなわち、寝ている間に子供が消えて探したけど見つかりもせず帰ってくることもない、といった話である。結局、村長から聞いた以上の情報は精々が四人目が消えた時には村の広場の物見櫓で村人が見張りをしていたぐらいしかなかった。
「まぁ、まだ五人残ってる。まともに電灯すらないようなこの世界で、深夜に動き回る人間を見つけるなんてのは難しい。巡回させるならともかく、高台に一般人を一人置いとくぐらいじゃ不十分だろうしな」
次の場所を確認し終えたヴィショップが、村長から渡された地図をしまいながらヤハドの言葉に返事を返す。
「とにもかくにも、問題はどうやって鍵のかかった家からガキを誰にもバレずに連れ出したかだなァ」
「そうなるな……ん?」
欠伸を噛み殺しながらレズノフが呟く。それにヴィショップが同調したその時、彼はこちらに近づいてくる人影かあるのに気付いた。
「あれは村長じゃないか?」
その人影が村長であることに真っ先に気付いたのはヤハドだった。ヴィショップは肩を竦めてヤハドに対応を任せる旨を伝えて一歩後ろに下がる。
「あぁ、やっぱりすれ違いになっていましたか。時間的にチックの家に居ることと思ったのですが」
「それよりどうした? わざわざ俺達の許までやってくるとは、何かどうしても伝えなければいけないことでもあるのか?」
「もしくは、またガキが姿を暗ましたかァ?」
レズノフの発言通りの理由で来たのかどうかを確認する為にヤハドが親指でレズノフのことを指差した。意図に気付いた村長は息を整えつつ、首を横に振ってその可能性を否定する。
「いえ、違います。ただ、先程神道具で『ヴァライサール』から連絡が来まして」
「んだよ、神道具なんて置いてんのかよ。それに『ヴァライサール』って何だ? あんたの愛人かァ?」
意外そうな表情を浮かべてレズノフが訊ねる。村長はその問いに答えようと口を動かしかけるが、それより速く横のヤハドが呆れ混じりの声を上げていた。
「『ヴァライサール』はここ『フレハライヤ』のすぐ先に位置する町だ。来るときに通りこそしなかったが、それぐらい知っておいたらどうなんだ?」
(やる気マンマンだな)
呆れた様子でレズノフに指摘するヤハドの姿を見て、ヴィショップが微かに苦笑を浮かべる。幸いにもヴィショップはヤハドの後ろに立っていた為、その笑みを当の本人に見られることはなかったが。
「そういうなよォ。それより、俺ァてっきりこの村に神道具なんてねェと思ってたんだがなァ」
「えぇ、少し前に『ヴァライサール』の町長さんから送っていただきまして」
ヤハドの指摘を軽く流してレズノフは話の矛先を村長へと戻す。村長は頷いて神道具が自分の手元にある理由を話した。
この世界に広く普及している神道具だが、その値段はものによっては決して安くない。通信用として使われる神道具もその安くはない部類に属するものであり、封じ込められている分の魔法を使い切れば新たに買い直さなければいけない関係上、使わずに済ませている人間は少なくない。特に農民等の所得の少ない人種はその傾向が顕著だった。
「それで、『ヴァライサール』から何と言われたんだ? こうして来た以上は俺達に関係のあることなのだろう?」
「はい、何でも私達の村に王都からやってきたギルドメンバーが居ると聞いて、一度こちらに顔を出させるようにと」
村長がそう告げると、ヤハドは腕を組んで思考を始める。
しかし、彼が考えを決めるよりも速く、言葉に出して返事を返した人間がいた。
「分かりました。明日にでも向かわせてもらうように伝えておいて下さい」
後方から発せられたその声にヤハドは思考を中断し、不愉快そうな表情を浮かべて振り返る。その視線の先にいたヴィショップは何てことはなさそうな表情を浮かべて、小声でヤハドに言葉を投げかけた。
「どうせ出る結論は決まってるんだ。あと五軒は回らなきゃいけねぇんだし、余計な時間は食いたくない」
「……俺との約束を忘れてはいないだろうな」
とりあえず言い訳してはみたものの、ヤハドの不愉快そうな表情は消えることはなかった。
「安心しろ、心優しい女神さまが身体だけじゃなく脳ミソまでオーバーホールしといてくれたおかげで、そう易々と物事を忘れたりはしないからよ」
そこから更にもう一言言葉を重ねることで、ようやくヤハドは納得してその不愉快そうな表情を前へと向けた。そして彼とヴィショップの間のただならぬ雰囲気に困惑の表情を浮かべていた村長に返事を返した。
「そういうことだ。連絡を送ってきた連中にはそう伝えといてくれ」
「は、はぁ…」
完全には直前に浮かべていた表情の余韻を消せなかったのか、村長はおっかなびっくりといった様子で頷くと三人に背を向けて歩いていった。その場に残ったヴィショップとヤハドは少しの間直前の出来事についての言葉を交わした後、通りすがりの女を口説こうと尾行を始めかけていたレズノフを連れて五軒目の失踪者の家に向けて歩き出した。




