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Bad Guys  作者: ブッチ
Kinky Love
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兇愛胎動

「あの……今日は本当に有難うございました…」

「いえいえ、いいんですよ、別に! むしろ僕が、手伝わせてくれるように頼んだんですから!」


 丁寧に頭を下げるシューレに、ミヒャエルは笑顔を浮かべ手を振りながら返事を返す。

 シューレの用事…すなわち村の家を回って薬を住人に売ってまわるのが終わったのは、日が傾きかけた夕暮れ時だった。回った家の数自体はそこまで多くはなかったものの、家と家の距離が結構離れていたりしたためだ。結局、訊ねた家の件数とは裏腹に二人は殆ど村を踏破しかねない勢いで歩き続けていた。


「いえ、それでもとても助かりましたし…。それに、あなたにまで嫌な思いをさせてしまったかもしれません」

「嫌な思いだなんて、そんな…。まぁ、確かにあの村の人々の態度には少し気に障るところもありましたけど…」


 シューレと共に薬を売り歩いていた時のことを思い出して、ミヒャエルが苦笑を浮かべる。

 道中、そして辿り着いた家でのシューレに対する態度はミヒャエルと彼女が最初にあった時の家程ではないものの、とても友好的とは思えない態度だった。いや、それどころか明らかに敵意すらあったと言ってもよいだろう。道を歩けばすれ違う人々は露骨に二人を避け、視線を逸らす。そして背後からは微かに話し声が聞こえてきて、その内容は今この村でおこっている事件に絡めたシューレを貶めるものばかり。そして家の戸を叩けば汚物を見るような視線を投げかけられ、殆ど会話も交わさないまま薬をひったくるように受け取り、そして代金を投げつけるようにして渡す。中には、実際にわざと地面に落として拾わせた家もあったほどだ。


「……申し訳ありません、私が手伝わせてしまったばっかりに」

「いや、謝らないで下さいよ! さっきも言った通り、僕の方から頼み込んで付き合わせてもらったんですから! それに僕が気に障ったのは僕が何か言われたりすることじゃなく、シューレさん……貴方が何か言われたり酷いことをされたりしたからなんですし」

「私が、ですか?」


 意外そうな表情でシューレが聞き返す。それに対してミヒャエルは力強く頷いて彼女の言葉を肯定した。


「そうです! だって、礼儀正しい上に一人で薬を売り歩くような健気な美人の女性にあんな仕打ちをするなんて、到底許せることじゃないですよ!」

「……物腰は性格だかれ別に礼儀正しいとかそういうのでなないですし、一人で薬を売るのは生活のためで健気でもなんでもないです。それに、私は美人でも…」

「そんなことはありません!!!」


 ミヒャエルの歯の浮く様な賛辞を複雑な表情で聞いていたシューレだったが、いきなり声を上げたミヒャエルに驚いて身体を僅かに震わせる。


「あ、すいません、大声だして…」

「い、いえ、大丈夫です、別に…」


 それを抜け目なく見ていたミヒャエルがすぐさま謝罪の言葉を吐くと、シューレは微笑を浮かべてそれを受け入れた。


「でも、実際貴女は素晴らしい女性ですよ。僕が今まで生きてきた中でも貴女程の女性にはそうそうお目にかかったことはありません」

「……そうですか。有難うございます」


 女性はそう言ってミヒャエルから顔を背けた。それは傍から見れば照れ隠しにも見えただろう。だが、実際にはもっと重い感情によって引き出された所作であることを、ミヒャエルは見抜いていた。彼はそういった感情に関してはそれなりに造詣が深かった。


「それにしても、いつもこういったことを一人で行っているんですか? 大変じゃありませんか?」

「そうしなければ生きていけませんから。それに、今日は貴方がいてくれたおかげで幾分か楽でしたし」


 ミヒャエルはすぐさま話題を変え、シューレもそれに乗ってくる。

 シューレがミヒャエルに発した言葉は肉体的な疲労の度合いのみを指していなかった。無論、荷物の全てをミヒャエルが持ったために肉体的な疲労も一人の時と比べて少なかったのだが、それ以上に家を訊ねた時の住人の彼女への態度がいつもより幾らかマシだったのだ。最低でも、子供の失踪事件がおきて村人からシューレへの風当りの厳しさが増す前ぐらいまでには。

 彼女はそれを、ミヒャエルという人物が居るから彼等も少しは遠慮したのだろうと考えた。だが、実際には違う。本当の理由はミヒャエルが常にシューレより半歩後ろに立って、じっと住人を睨みつけていたからだ。

 その時のミヒャエルの瞳はヴィショップやレズノフ、ヤハドが敵に対して向けるようなものとは一線を画していた。ヴィショップ達が向ける視線が相手に死の恐怖などといったものに駆り立てるのに対し、ミヒャエルが向けていた視線はもっと別種の恐怖を相手に植え付けていた。理由のある感情を受け付けるヴィショップ達のとは違い、何故そう思うのか、そして何がこれから自分に振りかかるのか、それすらも全く理解することも予測することも出来ない、正体不明の不安と嫌悪、そして恐怖。魅入られた者に強い混乱を与え、一刻も早く関係を断ち切りたいと思わせる光。それがミヒャエルの双眸に宿っていたモノだった。


「そうなんですか? なら、また薬を売る時は言ってくださいよ! 僕が手伝いますから」

「いえ、これ以上貴方に迷惑を掛ける訳には…。それよりも…」


 この世の誰もが思いついたことのない名案を思い付いたかのような口調でミヒャエルが提案する。しかしシューレはそれを歯切れの悪い言葉で断ると、懐から今日薬を売って手に入れた金の入った袋を取り出す。そしてその中から銀貨と銅貨を何枚か取り出してミヒャエルに差し出した。


「お礼です。受け取って下さい」

「いや、いいですよ、お金なんて! 言ったでしょう? 僕はやりたくて貴方を手伝っただけだって」


 ミヒャエルは慌てる素振りを見せてシューレの差し出した金を戻そうとするが、彼女は首を振ってそれを拒否した。


「いえ、お礼だけはきちんとお渡しさせてください。恐らく、もう会うこともないでしょうから…」

「何でですか? 僕、ちょっとした間はこの村に滞在するつもりですよ? また会う事だってあるじゃないかもしれないじゃないですか?」


 ミヒャエルは心の底から不思議そうな表情を浮かべるが、シューレは首を横に振るう。


「いえ、もう会わない方が良いんです。その方が貴方の為ですから」

「僕は別に…」

「……いくら他所から来た人でも、私と一緒に行動していれば必ず立場は悪くなります。だから、まだ取り返しのつく内に私と会うのは止めた方が良いのです」


 そう発したシューレの口調には確かな意思が宿っていた。到底、偶然であった見ず知らずの他人を気付かう程度のことでは抱くことのない、はっきりした意思が。

 彼女の言葉を聞いたミヒャエルは考えるような素振りを見せる。ただ、ミヒャエルの意思は女の言葉の端に滲んでいるよりも遥かに強固であり、既に答えも決まっていたため大した時間を掛けずに返事を返したが。


「じゃあ、こうしましょう。お金を受け取らない代わりに、僕にこれから貴方のお仕事を手伝わせてください」

「……どうしてそうなるんですか?」


 そう発したシューレの顔が、彼女はミヒャエルの言動に本気で頭を痛めていることを表していた。そして恐らく、彼女のような特殊な状況に置かれていない人間であっても今のミヒャエルに相対すれば同じような反応を示すことは疑いようがなかった。


「僕は貴女からお金が受け取れないし、貴女の手伝いをしたい。貴女は僕にお礼をしたい。なら、僕がお礼として貴方の仕事を手伝わさせてもらえばそれで解決じゃないですか」

「何も解決してませんよ。それに、手伝わせるのはお礼でも何でもありません」

「なら、ここに居る間僕を弟子にして下さい。こう見えて、薬品の類には少しばかり手を付けているんです」


 シューレはミヒャエルの言葉に、彼との関係を断ち切りたい、という一言が抜けてると言いたくなるの何とか我慢してミヒャエルを何とか諦めさせようとする。しかし、当の本人はケロッとした顔ですぐに返事を返してくるので始末が負えなかった。

 シューレの口から溜息が漏れる。ミヒャエルはそれをニコニコと笑みを浮かべながら眺めていた。そこに不快そうな様子は一切無い。


「聞いたところですと、お仲間がいらっしゃるんですよね? その人達はどうするんですか? 貴方が居なければこまるでしょうし、それに貴方と私が一緒に居る噂が広がればその方々にも迷惑がかかるのでは?」

「いいんですよ、あんな連中! どうせ自分勝手で僕が居なくても好き勝手に動くでしょうし、何より今更悪い噂の一つや二つ増えたところで屁とも思わないような連中ですから!」

「でも、貴方は見た所神に仕えるお方なのでしょう? なのに私みたいなのと…」

「これは他に着るものがないから来てるだけです! それに例え神に仕えてたとしても、貴女みたいな人を認めない神ならこっちから三行半を叩き付けてやりますよ」


 暖簾に腕押しとはまさにこのことを言うのであろう。そのことわざの意味通り、シューレが何を言おうともミヒャエルはニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべたまま返事を返し続け、一歩たりとも退こうとしなかった。

 とうとう、断る理由が見つけられずにシューレは口を噤んでしまう。そんな彼女をじっと見つめて返事を待った。

 この時、シューレにはミヒャエルに対してキツイ言葉を浴びせかけて一方的に関係を断ち切るという選択肢もあった。だが彼女にはそれが出来なかった。出来ない理由があった。


「……分かりました。では、明日の昼過ぎに村の近くの森の入り口で待っていて下さい」

「……~ッ! はいっ! 分かりましたっ!」


 ミヒャエルの説得を諦め、シューレは彼に仕事の同行を許可する。するとミヒャエルは感極まった表情で、力強く頷いた。その素振りはどこかというか完全に子供染みていて、知らず知らずの内にシューレに苦笑を零させていた。


「有難うございます! いやぁ、すいません、我が儘を言ってしまって! でも僕、全力を尽くしてがんばりますから!」

「え、えぇ、はぁ…」


 自覚があったことに驚きつつもシューレは曖昧に相槌を打つ。一方で一緒に行動することを認められたミヒャエルは、興奮冷めやらぬといった様子でガッツポーズをするなりなんなりしていたが、少し落ち着きを取り戻してきたところでシューレに一つの提案を投げかけた。


「そうだ、僕が家まで送っていきますよ! もう時間も遅いですし…」

「いえ、結構です。一人で帰れますから」


 しかしその提案は全てを言い切る前にシューレの言葉によって遮られる。

 ミヒャエルの言葉を遮ってそれだけ告げると、シューレはミヒャエルに背中を向けた。


「……今日は本当に有難うございました。でも、この後ちゃんと今日のことを考えて下さい。それで…最善と思える選択をして下さい。例えそれで明日来なかったとしても、私は大丈夫ですから」


 そしてそれだけ告げると、振り返ることなく森のある方角に向けて歩き出した。

 ミヒャエルは遠ざかっていくシューレの背中を見つめていた。追うという考えはどうやらないようで、脚は地面に根を張っているかのように微塵も動かなかった。


「……本当に綺麗な人だなぁ。でも、何だろう。何か、昔に嫌なことでもあったのかな?」


 誰も居なくなった村の外れでミヒャエルは呟く。

 最後にミヒャエルの言葉を遮ってまでシューレが発した拒絶の言葉。そこにミヒャエルは彼女の心の底に救っている“何か”を感じ取っていた。恐らく、それが今しがた見てきた、侮辱され罵られ手を上げられたとしても不平一つ零さないような彼女の生き方を築き上げたのだろう。


「うん。綺麗な人だもんね。そりゃあ、妬みだって買うでしょうね。それにあの人には、それ以外にも魔女と呼ばれる理由があるみたいですし。……でも、だからってあんな目に遭いながら一人で生きることはないはずですよ」


 今の今までミヒャエルの顔に張り付いていた子供のような笑みが姿を変えた。それは最早、歪んだという言葉以外に形容の仕方がない変貌っぷりであった。


「だから……僕貴方の傍で一緒に行きます。ずっとずっと。互いの事を分かり合いながらずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと。だから、まず分かり合いませんと。心の奥の奥の奥まで、互いの全てを曝け出して。それさえ、それさえ済めば、それさえ済んだ時、僕等は真実にして永遠の愛の下に生きることが出来るんですから。大丈夫…大丈夫ですよ、シューレ。貴女なら大丈夫……他の売女共とは違う、貴女はきっと違うから…」


 やがてミヒャエルは歩き出した。


「あぁ、そうと決まれば準備しないと。そうですね、結婚式はこの村にしましょうか? でも、ここの住人はシューレの素晴らしさを理解出来ない蛆虫ばかりですし…。そうだ、『クルーガ』で挙げましょう。フレスさん達に手伝ってもらえば、きっと素晴らしい式になる筈です。ふふ、目に浮かびます。レズノフさんが阿呆みたいに酒を飲んで、ヤハドさんが仏頂面で祝福してくれてて。それで、ヴィショップさんが牧師の役をやるんです。この村の人達は…シューレが呼びたいといった人だけでいいですよね。この蟲溜めの中にそんな人がいるとは思えないですけど」


 沈みゆく夕日に照らされた紅の世界の中で、虚空に向かって言葉を発しながら。


「その為にも、準備をしないと。誰にも邪魔されず、互いに分かり合える場所の準備を」


 その胸の内に揺るぎ無い一つの意思を宿して。








 ミヒャエルがシューレと分かれてから少しした後、日が完全に沈み切り、空が星を散りばめた漆黒の天蓋に覆い尽くされた頃。酒場兼、『フレハライヤ』で唯一の宿屋の一階酒場部分に、ヴィショップとヤハド、そしてレズノフの姿があった。


「今、何時だ?」

「Y0730」


 テーブルの上に置かれた料理を食べながらヤハドが訊ねると、その向かい側で煙草を吹かしていたヴィショップが懐中時計を取り出し、その盤面に視線を落として時刻を教える。


「クソッ、まだ帰ってこないのか、あの馬鹿ドイツ人は…!」

「みてぇだなァ。まぁ、強姦魔の事だし、そこらで女でも襲ってんじゃねェのか?」


 苛立ちを募らせた様子でヤハドが呟き、レズノフが酒瓶を片手に軽口を叩く。

 ミヒャエルが荷物を持ったまま姿を消したことをヴィショップ達が知ったのは、村長宅での会話が終わってその場を離れ、彼に教えられてこの村に一件だけある宿屋に着いてからのことだった。そこで二人は、酒を飲みながら給仕の女性に絡んでいるレズノフにミヒャエルがまだ来ていないことを知らされ、そこでレズノフを引きずってミヒャエルを探しに出たところ、ある家の近くに自分達が預けた荷物だけが置いてあるのを発見したのだった。一応その家の住人にミヒャエルを見ていないか訊ねたものの、帰ってきた返事はノー。結局三人は、どうしてそんなところに荷物だけが置かれているのかも分からないまま宿屋に帰ってくると、ミヒャエルの帰りを待ちながら夕食を取ることにしたのだった。


「うーむ…。だが、冷静に考えてみればあの男にどうこう出来る女などいるとは思えん」

「確かに、強姦魔はどっからどう見ても女より弱そうだしなァ。てか、実際弱いんじゃねぇの?」


 ヤハドがレズノフの思いつきの言葉に頷き、それを受けたレズノフが笑い声を上げる。しかしその一方で、ミヒャエルが生前に何を行っていたのかを知っているヴィショップの顔には笑いは浮かんでこなかった。


(まさかそんなことはねぇと思うが……だが、もしかして…)


 頭を過ぎるのは最悪の展開。ヴィショップはそれを何とか否定しようとするが、どれだけ試みても頭から完全にその考えが消え去ることはなかった。


「…とにかく、飯を食い終わるまでに戻ってこなかったら探しに行くぞ」

「アァ? 何でだよ? どうせ待ってりゃその内戻ってくんだろォ?」


 ヴィショップの提案にレズノフが訝しげな表情を浮かべる。ヤハドの方も口には出さなかったが、ヴィショップの口からそういった考えが出てくるのが意外だったようだ。

 この時、ヴィショップの中でミヒャエルの生前の行いを話すべきか否か、という迷いが生じた。しかし、結局彼はミヒャエルの生前の経歴について話すことは控えることにしたのだった。


(今は駄目だ…。ここで連携が取れなくなると仕事に失敗する可能性も出てくる。いくら望み薄の仕事だからといって、最初から失敗していては政府の連中の信頼に陰りが生じる…。話すなら、この仕事が終わった後か…)


 ヴィショップは喉元に控えていた言葉を呑み込むと、その言葉の代わりに当たり障りのなく疑いを持たれることのないような言葉を吐いておいた。


「何、明日になってどっかの家の軒先で奴の凍死体なんて見たくないだけさ」

「まぁ、貴様がそれを望むなら異論は無い。俺もそろそろ引っ張ってくるべきだと思っていたしな」

「俺ァ、パスするぜ。ここで荷物と部屋守ってるから、ジイサン達で勝手に行ってこいよォ」


 ヤハドが肯定的な返事を返し、それに続いてレズノフが酒場に引き籠ることを宣言する。


「そうかよ、好きにしろ。ただし、この店から一歩も出るなよ? 特に女の尻なんて追っかけてみろ? てめぇの股からぶら下がってるイチモツをぶった切ってバーガーの具材にしてやるからな」

「成る程、アメリカ流だなァ。だがお生憎様、俺ァ、ボルシチ派だぜ」

「自分で自分のモン食う気があるんなら、てめぇのお好み通りに調理してやるよ、美食家(ガストロノーム)さんよ」


 にやにや笑いを浮かべるレズノフに呆れ混じりの返事を返すヴィショップ。丁度その時だった。彼等が腰を下ろしている酒場の扉が弱々しく開かれたのは。


「や、やっと着いた…」


 三人の視線が扉の方へと向けられる。そして扉を開いて現れた人物を見た三人の身体がピタリと動きを止めた。

 ゆっくりと、まるで重たい荷物を取り扱っているかのように扉を開いて姿を現したのは、杖で身体を支えて何とか立っているといった状態のミヒャエルだった。


「噂をすればなんとやら、ってやつか」

「みてぇだなァ」


 唐突に姿を現したミヒャエルの方を見ながらヴィショップとレズノフが会話を交わす。すると向こうもヴィショップ達の存在に気付いたようで、ミヒャエルはヴィショップ達の方に向き直り杖を支えにして近づいてきた。


「いやぁ、本当に疲れましたよ。この村の中を歩き回った上、宿屋を探して更に徘徊。その上空腹まで襲ってくるっていうんですからね。っと、少し貰いますよ…」


 三人が囲んでいる丸テーブルの前までやってきたミヒャエルは、口を動かしながら何事もないかのように空いている席に腰を下ろす。他の三人は黙ってそれを見ていたがミヒャエルが近くにあるヤハドの皿に盛られた料理に向かって手を伸ばした時、ヤハドの右手が機敏な動作で動いてミヒャエルが伸ばした腕を掴んだ。


「人様の料理に手を出す前に、言うべきことがあるだろう?」

「えっと…少し分けて下さい、ですか? …痛い!」


 ぎこちない笑みを浮かべたミヒャエルの顔に、青筋を浮かべたヤハドの拳がめり込む。ミヒャエルは悲鳴を上げながら椅子ごとひっくり返り、室内に派手に音が響き渡った。


「ヒャハハッ、自業自得だなァ、強姦魔よォ」

「ちょ、じょ、冗談じゃないですかっ」


 周囲の人々の視線がミヒャエルへと集中し、そしてすぐに酔っ払い同士の小突きあいと判断されて視線が離れていく。

 レズノフが酒瓶を片手に倒れたミヒャエルを笑い飛ばすと、彼は鼻を右手で押さえながら立ち上がって不平を零した。


「そうか、冗談か。なら、俺達の荷物を投げ出して何時間と姿を消していたのも、きっと冗談なんだろうな。あぁ、大した冗談だよ、全く。笑い過ぎてどこかの血管が切れそうだ」

「ぜ、全然顔が笑ってない…」


 席から立って見下ろしているヤハドの顔を見たミヒャエルが、引きつった笑みを浮かべてそう呟く。レズノフはそれを面白そうに眺めながら、ヤハドとミヒャエルのやり取りに視線を向けていたヴィショップに声を掛けた。


「なぁ、ジイサン、賭けようぜ。あの強姦魔がミスター・ターバンにボコボコにされるか、もしくは一糸報いて一発ぐらいは当てられるかよ…」

「ミヒャエル」


 だが、ヴィショップはレズノフの言葉を無視してミヒャエルに話し掛ける。声を掛けられたミヒャエルは弾かれたように顔をヴィショップへと向けた。


「な、何ですか?」

「お前、こんな時間まで何をしていた?」


 ミヒャエルの顔をじっと見つめてヴィショップはそう問いかけた。


「な、何って、迷ってたんですよ」

「本当か?」


 一拍置いてミヒャエルが答える。ヴィショップが再度聞き返すがミヒャエルは間髪入れることなく首を縦に振った。


「当たり前でしょう? 何で嘘を付く必要があるんです?」

「……ハァ。そうだな。ならとっとと座れ」


 訝しげな表情を浮かべるミヒャエル。

 結局、ヴィショップはその彼の表情から何も読み取ることが出来なかった。そして小さく溜息を吐いてミヒャエルに席に着くように促す。


「いいのか?」

「俺はな。お前がまだ物足りないってんなら好きにすればいい」


 意外そうな表情を浮かべたヤハドの問いに、ヴィショップは簡潔に答えを返して再び料理を突き始めた。そしてその間に、当の本人であるミヒャエルは倒れた椅子を起こしてそこに腰を下ろしている。


「あっ、でもですね、一つ、収穫があったんですよ」

「収穫だと? 何だそりゃァ?」


 席に着いたところでミヒャエルが思い出したように声を上げ、他の三人の動きが止まる。そして三人の視線がミヒャエルへと注がれる中、彼はどこか誇らしげな様子でその“収穫”の内容を打ち明けた。


「実はですね、僕、魔女と呼ばれてる人と今日出会ったんです」

「なっ!?」

「へェ…」


 ミヒャエルの言葉にヤハドが驚き、レズノフが表情を興味深そうなものへと変える。それを受けたミヒャエルは更に誇らしげな様子で次の言葉を吐き出した。


「それだけじゃありません。明日、彼女と会う約束までしたんですよ」

「ほ、本当か!?」


 ヤハドが立ち上がってミヒャエルに訊ねる。ミヒャエルは勿体付けた様子で首を縦に振った。


「い、いつだ!?」

「あっ、駄目ですよ。会うのは約束を取り付けた僕一人だけです。当然、尾行とかも駄目ですからね」

「何故だ!? もし村人の噂が…」

「彼女、とっても警戒心が強いんですよ。明日もう一度会う約束だって、取り付けるのにすごく苦労したんですから。しかも、必ず一人で来るようにって念を押されちゃいましたし」


 指を小憎たらしく顔の前で左右に振りながらミヒャエルはそう告げた。ヤハドは悔しげに唸りながら席に腰を下ろす。その悔しさがその魔女と呼ばれる女性と直接接触出来ないことのみに由来している訳ではないのは、火を見るより明らかだった。


「おいおい、何だよ、意外とやるじゃねぇの、強姦魔よォ。これでその魔女とやらがイイ女だったら、思わずお前を殺したくなってくるぜ」

「お生憎様です、一度見たら死んでも忘れられないような美人でしたよ。てか、ばったり道端で会っても絶対にその呼び名は使わないで下さいよ…」


 レズノフとミヒャエルが軽口を飛ばし合う。その光景を眺めるヴィショップの顔には、予期せぬ成功が転がり込んできたにも関わらず笑みは浮かんでいなかった。

 何故なら、未だに消えていなかったからだ。彼自身理由が分からないものの、ミヒャエルがこうやって顔を出すまでヴィショップの脳裏に渦巻いていた懸念が、今になっても。


「そういう訳ですから、明日は僕一人で行動させてもらいますよ。いいですか、絶対後から付けて来たりしないで下さいよ!」


 ミヒャエルが顔をヴィショップへと向けてそう告げた。

 ヴィショップは咥えていた煙草を指の間に挟んで口元から遠ざけ、紫煙を吐き出しつつ返事を返した。


「いいだろう、お前の好きにしろ」


 そして返事を返すと、短くなった煙草を指で自分のコップへと弾き飛ばした。

 まるで脳裏に巣食った懸念を、杞憂だと断じて頭から弾き出そうとするかの様に。

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