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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
81/146

巓の死闘

「死ねェェェッ!」


 空を切る刃の音が空に木霊する絶叫に混じる。両手に一本ずつ大振りのナイフを握って男が、頭の後ろまで振り被った両腕を一気にガロスに向かって振り下ろした。両手に握られた二本のナイフの刃は、空中に銀の軌跡を残してガロスへと迫る。

 だが、


「“グラス・シルト”」


 微かにガロスの唇が動いてその言葉を吐き出した瞬間、ガロスと男の間に半透明の壁が出現し、ナイフの刃を防ぐ。


「チッ!」

「神導魔法黒式、第二十四碌」


 両腕に走る痺れに顔をしかめつつ、男は目の前に出現した半透明の壁を蹴りつけて跳躍し、距離をとろうとする。しかし男を追うかのようにガロスの口から新たな詠唱の言葉は吐き出されていた。


「“エンヴォルト・チェーンズ”」


 男の片足が地に着くと同時に詠唱が終了する。詠唱の終了と同時に男の脚元に漆黒の魔法陣が現れ、そこから幾本もの漆黒の鎖が伸びて男の腕に、脚に、喉に絡みついた。


「う…ごぁ…!」


 男の身体に絡みついた鎖はその肢体を容赦なく締め上げる。幾本もの鎖は男の皮膚に深々と食い込んで血の流させ、喉を締め付けて酸素を奪い、男の唇の隙間から唾液を垂らさせる。


「ヒューゴ!」


 近衛兵の一人と切り合っていた仲間が男の姿を見て、声を荒げる。だが、彼と対峙している近衛兵が助けに入るの許そとはしい。それはヤーゴや他の仲間達も同じで、誰一人として魔法で生成された鎖に囚われている仲間に駆け寄れる者はいなかった。

 二本の大振りのナイフが男の手から零れる。男の眼は既に白目を剥いており、先程まで見せていた僅かばかりの抵抗も殆ど消え失せていた。

 そして、ガロスが指を鳴らすと、鈍い音と共に男の首と四肢が折れ、重力に負けてぶらりと垂れ下がった。


「…ッ!」


 男の命が途絶えるのと同時に、彼の身体に絡みついていた鎖が消失し、男の身体が地面に倒れる。

 仲間の死を見届けたヤーゴは無理矢理視線を死体から引き剥がして、相対する近衛兵へと向けた。近衛兵の右腕が蛇のように動いてカットラスを振るう。一撃の重さよりも手数を重視した連携がヤーゴを襲う。ヤーゴはそれを長剣で払い、時に身体を動かして躱す。しかし、相手にしているのはガロス専属の戦士である近衛兵であり、その実力は凡百の兵とは一線を画する。その攻撃全てを捌き切ることは不可能であり、ヤーゴの身体にはいくつもの切り傷が付けられていた。

 右からの切り下しを長剣で受け、続く下腹部への横払いを後ろに一歩引いて躱す。それを躱すと右の突きと見せかけ、寸前で左手にカットラスを持ち変えての切り上げが放たれる。咄嗟にヤーゴは半歩下がってそれを凌ぐが、右腕を浅く切りつけられる。


「チッ……むっ!?」


 舌打ちを打ちながら、更に一歩下がったところで背中が何かにぶつかった。ヤーゴが咄嗟に顔を動かして振り向くと、そこにはヤーゴと同じような顔をして戦斧を手にした仲間の姿があった。

 ヤーゴと仲間の動きが、一瞬止まった。それを機と見た近衛兵がカットラスを手にしてヤーゴへと切りかかる。それは戦斧を手にした仲間と戦っていた近衛兵も同様で、気付けば背中合わせで戦っていたヤーゴに視線を向ける男へとカットラスの刃が迫る。

 ヤーゴと戦斧を持つ仲間の瞳に、刃を振るう近衛兵の姿が映る。その瞬間、二人の身体はほぼ反射的に動いていた。

 武器を構え、互いの横をすり抜けるように二人は一歩踏み込む。そして切りかかる相手が変わったことに気付いた二人の近衛兵の顔に驚きが広がり、僅かに動きが鈍る。その隙を突く様にヤーゴと男はそれぞれの得物を振るった。

 戦斧がヤーゴに切りかかろうとしていた近衛兵の首を切り飛ばし、長剣が男に切りかかろうとしていた近衛兵の胸を切り裂く。


「…助かった」

「お互い様だろう?」


 得物を構え直しながら二人は会話を交わす。返ってきた返事にヤーゴは苦笑を漏らすと、周囲の光景へと視線を向けた。

 ヤーゴが一人の近衛兵との戦いに掛かりっきりになっている少しの間に、戦況は大きく変化していた。既に、自分と背中を合わせている戦斧と持った男の他に立っている仲間はおらず、ヤーゴ達二人とガロス、その影に隠れるようにしてこの光景を窺っている大司教を除けば、立っているのは四人の近衛兵のみだった。四人の近衛兵は少しずつ、ヤーゴと男から視線を逸らさずに移動し、やがて四方から二人に切りかかれるように位置取った。


「…二人づつ…いけるか?」

「いや……駄目だな」


 背後で戦斧を構える男にヤーゴが問いかける。姿こそ見えないものの、声の調子だけで既に肩で息をしていることは承知出来た。


「…分かった。なら、私が…」

「俺が四人引き受ける。お前はガロスを」


 三人殺す、そう言おうとした矢先に返ってきた返事に、ヤードの身体が一瞬固まる。


「…無茶だ」

「よく考えろ。こいつらを倒せば俺達の価値というわけではない。俺達が勝つのに狙わなければいけないのはガロスだ」


 男の瞳どころか、姿すら見えない。だが、彼が意見を変える気がないと理解するには、その言葉だけで充分だった。

 ヤーゴは何も言わずに息を吐く。それを自分の考えに乗った証しだと考えたのか、男はヤーゴに一言だけ告げた。


「始まったら、お前はガロス目掛けて突っ込んでいけ」

「……武運を」


 それが、二人の間で交わされた最後のやり取りだった。ヤーゴが言葉を発した直後、二人を取り囲んでいた四人の近衛兵が駆け出し、襲い掛かろうとする。

 ヤーゴは姿勢を低くしながら、二人の近衛兵の間に向かって駆け出す。視界の中央に手で口元を隠しすガロスの姿を捉えて、ヤーゴは一心に突っ込んでいく。そんな彼をガロスは無感動に眺めていた。

 しかし、ガロスに切りかかろうとするのを黙って見てる近衛兵ではなく、二人の近衛兵は走る方向を修正してガロスとヤーゴの間に割り込みつつ、カットラスをヤーゴ目掛けて振るおうとする。

 ヤーゴは進行方向に割り込んできた二人の近衛兵を前に、走るスピード緩めずに長剣を握る右腕を振り被り、そして有らん限りの力で二人の近衛兵の隙間に向かって投擲した。ヤーゴの手から離れた長剣は唸りを上げてガロスへと向かう。二人の近衛兵は咄嗟に手にしていたカットラスを振って、ガロスに向かって飛んで行こうとしていた長剣を真上に弾きあげた。

 重い金属音が鳴り響き、長剣が回転しながら真上に向かって弾き上げられる。その瞬間、ヤーゴは一気に走るスピードを上げて二人の近衛兵へと接近する。近衛兵達は一気に距離を詰めてきたヤーゴに向かってカットラスを振るおうとするものの、ヤーゴの投擲した長剣を弾きあげたことによって一瞬感覚が無く成る程の衝撃を受けていた腕によって振るわれたカットラスの刃は、先程までと比べて微かながらもその動きを鈍らせていた。

 真上に弾き上げられた長剣を追うようにしてヤーゴが跳躍する。二人の近衛兵の振るったカットラスの刃は宙に軌跡を描いてヤーゴの身体を追ったが、切っ先が僅かに彼の身に纏っていた外套に引っかかっただけだった。


「ッ!」


 空に身体を投げ出したヤーゴが右手を伸ばす。鍛え上げられ、悠久の時を経た岩石を思わせるヤーゴに手は己の得物へと伸び、確かにその柄を握りしめた。

 長剣をその手に取り戻したヤーゴは、そのまま二人の近衛兵の頭上を飛び越えて着地、それと同時に転がって衝撃を殺すと、すぐに立ち上がってガロスに向かって駆け出した。

 二人の近衛兵はすぐさま振り返り、ガロスに向かって駆けていくヤーゴを止めようとする。しかし、その動きは背後から投擲された二本のナイフによって防がれる。

 一本のナイフが振り返ったばかりの近衛兵の首の後ろに突き刺さり、もう一本はカットラスの一振りでよって打ち落とされる。

 ナイフを打ち落とした方の近衛兵は、すぐ真横で膝を突いた仲間を一瞥してナイフを投擲した人物へと視線を向ける。そして地に伏せる二人の仲間の姿と、背中からカットラスの柄を生やし、返り血と自身の口から零れ出る血で紅く染まった顔に鬼の如き形相を浮かべて駆け寄ってくる戦斧を握る男の姿を捉えると、すぐにヤーゴを追うことを諦めてカットラスを構えた。

 男が戦斧を振り上げる。近衛兵はカットラスを構えたまま、じっと男の姿を見据えていた。

 低い風切音を奏でて、戦斧が近衛兵の頭蓋目掛けて振り下ろされる。だが、血がこびりついた戦斧の刃が近衛兵の頭蓋を砕く間際、カットラスを構えていた近衛兵の姿が掻き消えた。

 戦斧を振るう男の目が驚きに見開かれる。その大きく見開かれた瞳は、微かに振り下ろした戦斧のすぐ真横を奔る紺色の影を捉えていた。

 戦斧が地面に叩き付けられて石畳が砕かれるのと同時に、男の首筋から鮮血が噴き出した。男のすぐ背後には、刃を血で濡らしたカットラスを振り切った近衛兵の姿があった。

 瞬く間に力が抜けていき、視界が狭まっていく。二秒と経たずにもはや前方を走るヤーゴの姿すら、男ははっきりと捉えられなくなっていた。

 だが、それでも男は自身のやるべきことを為した。


「何…ッ!?」


 右脚を一歩前に出して踏ん張り、倒れかけた身体を支える。残る力の全てを振り絞って身体を翻し、右手で背後の近衛兵の襟を掴んで引き寄せる。そして左手で腰に差していたナイフをに引き抜くと、表情を驚きに染めながらもカットラスを振るおうとする近衛兵の喉にナイフを突き立てた。


「あ……ッ! が、がろ……」


 血と共に吐き出したその言葉を断末魔に、近衛兵の身体が男を巻き込んで地面に倒れる。二人の身体は、起き上がることもピクリと動くこともなく、ただただその身から血を流し続ける。近衛兵と共に血溜まりへと沈み男の瞳には既に生気はなかった。だが、その瞳はしっかりと捉えていた。

 長剣を振い、ガロスに切りかかろうとするヤーゴの姿を。


「ガロスゥ!」


 対峙する男の名を叫びながら、ヤーゴは長剣を振り下ろす。

 しかし、


「ウィング・オル・スロウニプル」


 ガロスが呟くようにそう発すると同時に、目の前にいた筈のガロスの姿は一瞬にして消失した。


「ひぐっ!」


 ヤーゴが振り下ろした長剣はガロスの身体を断つことはなく、代わりにそのすぐ後ろにいた大司教の身体を切り裂いた。年老い、筋肉も脂肪も並以下となり、骨は脆くなった大司教の身体はあっさりとヤーゴの振るった長剣の刃を受け入れる。大司教はその身から赤黒い血を流しながら、何が起こったのか分からないといった表情を浮かべて仰向けに倒れていった。


「チッ!」


 舌打ちを打ちながら、ヤーゴは背後を振り向く。彼の思考を驚愕が支配したのはほんの一瞬のことで、大司教の身体から飛び散った血が顔を濡らす頃には既に、今の現象が神導魔法によって引き起こされたものであることに考えが至っていた。

 果たして、ヤーゴが振り向いた先にガロスは居た。空中庭園の丁度中心地、ヤーゴの仲間や近衛兵達の死体が転がるその真っただ中にガロスは立ち、唇を震わせて風に掻き消されてしまう程度の小さな声で詠唱を始めていた。


「神導魔法白式、第百十一碌」


 長剣を手に、ヤーゴはガロス目掛けて突っ込んでいく。

 最早、空中庭園において自身の脚で立っているのはヤーゴとガロスのみ。周囲に身を隠せるような物は存在せず、逃げることも誰かに任せることも出来ない。勝敗を決し、命を得る為に頼れるのは既に自身の力のみとなっていた。

 風を切ってガロスが駆ける。しかし、ガロスへと肉薄する前に呪文の詠唱が終わりを告げる。


「“イェールヤー・シルト”」


 刹那、ガロスの身体の周囲に五つの握り拳大の球体が光を放ちながら出現した。

 さながら小さな太陽のように煌々と発せられる光を前に、ガロスの脚が動きを止めた。するとその瞬間を狙い覚ましたかのように、光を放っていた球体の中の一つが目にもとまらぬ速度でヤーゴに向かって突っ込んでくる。


「ッ!」


 咄嗟に横に転がって球体を回避する、ガロス。目標を捉え損ねた球体が石畳を砕き、粉塵を巻き上げると、突っ込んできた時と同じように目にもとまらぬ速度でガロスの許へと戻った。

 立ち上がりながら、ヤーゴはガロス、そして彼の周りを衛星のようにくるくると回っている五つの球体へと視線を向ける。

 ヤーゴには神導、魔導両方の魔法の素質は無く、その手に関しての知識も疎い。だが、それでも今ガロスが使っている魔法がどんな性質のものなのかは知っていた。


「最上級神導魔法の一つ、守護天使の翼……。フッ、私一人に随分と大層な魔法を使うものだ」


 大量の魔力を凝縮して生成した球体による、攻勢防御魔法。それがガロスの発動した守護天使の翼の異名をとる魔法の正体だった。

 この魔法は大規模な障壁を展開することこそなく、広範囲を一気に薙ぎ払う類の魔法に対しては有効ではないものの、その真価は魔法を抜きにした対人戦闘において発揮される。並の魔法士では魔力を根こそぎ注いでも一つの球体を一分と維持出来ない程の魔力を消費して生成された球体は、竜に足蹴にされてもヒビ一つ入らないと言われる程の硬度を持ち、その挙動は射られた矢を容易く打ち落とす程に速いと言われる。それに加え生成した全ての球体がそれぞれ独立した意識を持つと言われ、発動者に命じられることなく発動者の身を守るために自立して行動する。更にはヤーゴに向かって撃ち出してみせたように、発動者の意思によって攻撃手段として使用することも可能である。

 防御魔法でありながら、敵対するものに対して攻撃にも転じることが可能なのが、この魔法の最大の強みであった。記録によれば、この魔法を発動して三つの球体を生成した魔法士がたった一人で数百人の兵士を相手にし、傷一つ追うことなく皆殺しにしたといわれており、光を放つ神々しい姿も相まっていつしか守護天使の翼という二つ名まで付けられていた。


「光栄に思え。本来ならば、数万の神導魔法士の中でも才能ある数人が数十年という研鑽の果てに、ようやく発動にこぎつけられるような魔法だ。少なくとも、俺と同等の魔法士を除いた人間にどうこう出来る類のものではない」


 ヤーゴを見据えながらガロスが口を動かす。その口から吐き出される言葉には誇張も自尊もなく、ただ真実だけが語られていた。そして淡々とヤーゴに話しかけるガロスの周りを、今か今かと命令を待つかのように五つの球体が蠢く。光を放つ神々しい姿のそれは、ガロスに対峙するものにとっては絶対的な死の象徴以外のなにものでもなかった。

 だが、ヤーゴはガロスへと向けた視線を逸らすことも、柄を握りしめる力を緩めることもなかった。数百、数千の兵すら相手取りそして勝利するような存在へと化したガロス相手に、それでもヤーゴは戦うことを選んだのだった。


「ならば、息絶えるその瞬間まで、我が神導魔法の妙、存分に目に焼き付けて死ぬといい」


 構えを崩さず、自らと対峙することを選んだヤーゴの姿をガロスは黙って見ていた。だが、やがてゆっくりと口を開くと、


「そして誇れ、死者が蠢く不毛なる冥府の底でな」


 自身の周囲を回る球体へと命を飛ばした。

 相対する凶手の命を奪うべく。






 トランシバ城の空中庭園にて戦いが始まったのとほぼ同時刻、『ウートポス』の町長邸の一室でヤハドはサラ・ノウブリスと向かい合っていた。

 空は曇り、太陽はその姿を現してはいない。二人が対峙する室内は薄暗く、陰鬱な雰囲気が部屋に十万している。しかしその陰鬱さは、決して部屋の薄暗さのみに由来するものではなかった。


「…それは、本当なんですか? 全部……貴方の話したこと全て…」


 壁に背を着け、膝を抱えて床に座り込んでいるサラが震える声でそう訊ねた。彼女の顔は抱えた膝の中に沈んでおり、どんな表情を浮かべているかはヤハドには分からなかった。


「ああ。推測がいくらか混じっているが、概ね真実だ。だからこそ、君が必要なんだ。君の存在がそのまま、この戦いの終結へと繋がる」


 彼女が『スチェイシカ』の現国王、ガロス・オブリージュと下層市民の女性との間に生れた子供であること。ガロスの叔父であり前国王のドルメロイの手によって母が殺されていること。それを受けたガロスは復讐の為に力を蓄え、四年前の大粛清を行ったこと。そしてサラに危険が及ばないように教会に預け、唯一のコミュニケーションとして手紙を送っていたこと。

 自分達が知る得ることの出来たサラとガロスについての因縁の全てを、ヤハドは彼女に話していた。

 そしてその上で、ヤハドは彼女に決断を求めていた。自身の手でガロスに命運を断つか否かを。

 無論、それがそう易々と決断出来る類のものではないことは、ヤハド自身理解していた。予見もしなかった衝撃的な事実の数々は彼女から冷静は判断力を奪っているだろうし、それを抜きにしても自身を愛している実の父親の命運の選択を迫っているのだ。普通ならば何日とかけて決断して然るべきことであり、悠長に時間を懸けていられる状況ではない現状であれば、ヴィショップが言ったように何も話さず、何も知ることがないまま終わらせた方が本人にとっても幸せだっただろう。

 しかし、ヤハドはそうすることを良しとしなかった。何故なら、彼はサラに自身の意思で決断する権利と義務があると考えたからだ。恐らく、彼女が握っているのが単に国の命運だったならばこんなことはしなかっただろう。だが、今サラが握っているものの本質は、国の命運でもこの革命の命運でもなく、父親の命運なのだ。

 そうなった以上、彼女には自分で決断し選択する権利と義務があるとヤハドは考えた。

 彼もまた、かつては一人の父親だったのだから。


「分からないですよ…」


 沈黙を破って、サラがぽつりと呟く。


「だって…言葉を交わしたことすらないんですよ? 顔を見たのだって、一度教会に訪問して下さったときだけ…。なのに、父親だとか本気で私のことを愛してたとか言われても……分からないですよ、どうすればいいのかなんて…」


 サラがゆっくりと埋めていた顔を上げる。彼女の美しい相貌は、当人にしか理解出来ない苦悩によって歪んでいた。


「誰か……誰か、教えてくださいよ…私は、どうするべきなのか…。女神様でも、貴方でもいいですから……誰か…誰か…」


 ヤハドはそんな彼女の発する言葉を黙って聞いていた。彼女の灰色の瞳をじっと見据えながら。


「…どうして、こんなことを聞かせたんですか? どうして、私に決断させるんですか? 国王様を倒したいなら、何も言わずに無理矢理人質にでも何でもすればよかったじゃないですか! どうしてそうしてくれなかったんですか!? そうしてくれた方が……そうしてくれた方が、ずっと…」


 そこから先は嗚咽になってしまって聞き取れなかった。

 再び膝に顔を埋めようとする、サラ。ヤハドは口を開き、彼女に向かってその問いの答えを告げた。


「君が自分で決断しなければいけないことだからだ。女神でもなく、俺でもなく、あの男の愛情を受けた当人である君がだ」

「だから、分からないって…!」

「本当に分からないか? 君はあの男から手紙を受け取ってきたんだろう? 君はあの手紙から愛情を感じなかったのか? 確かに、あの手紙に書かれたことの多くは偽りかもしれない。だが、だからといってその文面に込められた愛情や思いやりまでもが偽りなのか?」


 静かな口調で語るヤハドを、サラは涙に濡れた瞳で見つめていた。否定の言葉も肯定の言葉も彼女の口からは出てこなかったが、微かに揺れる彼女の瞳がどちらが彼女の本心なのかを物語っていた。


「だからこそ、君が決めなければいけないんだ。例えそれが、どれだけ苦痛に満ちた決断だとしても」

「……………私は」


 告げるべきことを告げたヤハドは、再び口を閉じて彼女の決断を待った。

 しばしの沈黙の後、閉じられていたサラの唇がゆっくりと震え、言葉を吐き出そうとする。

 そして彼女が言葉を発しようとした刹那、ヤハドの背後の扉が開かれ、


「やっぱり、こんなことになってやがったか」


 酷薄な表情を張り付けた、黒い外套に身を包んだ一人の男が姿を現した。

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