Blue Impact
青肌の女性の着地と同時に、船が激しく揺れる。座礁でもしたのではないかと思う程の衝撃に、乗り合わせた人間は悉くバランスを崩してよろめいた。
その隙を狙って、青肌の女性が甲板を蹴りつけて一気に飛びかかる。狙いは他でもない、黒い外套に身を包み、白銀の魔弓を手にした男だった。
「ッ!」
ヴィショップの右手が奔り、手にした魔弓を飛びかかろうとしている青肌の女性へと向ける。だが一度バランスをくずしてよろめいたヴィショップの動きより、青肌の女性の腕がヴィショップに向けて伸びる方が速かった。
深い青色の掌が一瞬にしてヴィショップの視界に広がる。一瞬にしてヴィショップの脳裏に逃れられない死のイメージが浮かび上がる。しかしそのイメージは直後に轟いた轟音によって掻き消された。
「……何だよ、やれば出来るじゃねぇか」
轟音と同時に青肌の女性の側頭部から血が吹き出し、彼女の身体は横っ飛びに吹っ飛ばされる。九死に一生を得たヴィショップは視線を轟音のした方へと向けながら軽口を叩いた。
「そういうお前は、思ったより鈍いな」
「言ったな? 後で恥かいても知らないぜ?」
悪戯に成功した子供のような小生意気な笑みを浮かべて、魔弓を構えるエリザがそう発した。ヴィショップは口角を吊り上げて返事を返すと、もう一挺の魔弓を左手で引き抜きつつ身体を横たわっている青肌の女性の方へと向けた。
「う……が…ぐるぅ……!」
青肌の女性が立ち上がったのは、にわかに周囲に風が吹き荒び始めてからだった。帆が風を受けて船が進み始める。吹き始めたタイミングとその強さから考えて、恐らくは船を出港させる為に魔法によって起こされた風なのだろう。
風がヴィショップとエリザ、そして青肌の女性の髪をたなびかせる。髪の先から血を滴らせながら立ち上がった青肌の女性は、身体を沈み込ませて溜めを作ると、それを一気に解放させて身体を前方へと押し出した。
それに合わせたかのようにエリザの手に握られた魔弓が咆哮を上げる。青肌の女性の頭部目掛けて魔力弾が撃ち出される。青肌の女性は横に跳躍してそれを回避すると、跳躍した先にあったマストを空中で蹴りつけてエリザに向けて襲い掛かる。
しかし、今度はヴィショップの放った魔力弾がそれを阻止した。ヴィショップは青肌の女性がエリザの魔力弾を回避する直前に左手に握っていた魔弓の矛先を青肌の女性が逃げるであろう方向に向ける。そして青肌の女性が予測通りの方向に向けて回避行動を取ると、即座に左手の魔弓の狙いを青肌の女性に付けて引き金を二度弾いた。
発射された魔力弾が青肌の女性の鼻先と心臓に喰らい付く。空中で撃墜された青肌の女性はそのまま甲板に向かって落下し、派手な音を立てて叩き付けられた。
「す、凄い…! 何者だ、あいつ等…!」
その様を見ていた兵士の口から、感嘆の声が漏れる。
馬車にすら容易く追いつくようなスピードで突っ込んでくる存在に向かって正確に魔力弾を撃ち込む技術。そして互いが互いのミスを完璧かつ瞬時に補う連携。そのどちらも、今こうして目の前で起こっているのが信じられないレベルの芸当だった。
「これであいこだな」
周囲の兵士から向けられている感嘆の眼差しを全く意に介さずに、ヴィショップは左手の魔弓を手元で回転させながらエリザに軽口を叩く。
「いや、馬の件があるからまだあいこじゃない」
「あれは馬が悪いんだって言っただろうが」
「違うな。どう考えても、お前の扱いが悪かったんだ。少なくとも普通の奴なら馬が止まらないからといって、いきなり頭を撃ち抜いたりしない」
「緊急事態だっただろうが。コード・レッドだ。止むを得ない状況ってやつさ」
青肌の女性を見下ろしながら二人は取り止めの無いやり取りを続ける。その最中で、撃ち落とされだ青肌の女性の指先が微かに動いた。
それを捉えるや否や、二人の口が瞬く間に動くのを止め、指が魔弓の引き金を弾いた。轟音を引きつれて飛び出した魔力弾が甲板の腕に倒れている青肌の女性に向かって飛ぶ。
刹那、青肌の女性の四肢の筋肉が盛り上がり、彼女の身体を一瞬にして宙へと押し上げる。二人の放った魔力弾が甲板に突き刺さる。二人は空に飛びあがった青肌の女性に即応、魔弓を青肌の女性へと向けて引き金を弾く。頭と心臓に向かって放たれた魔力弾を青肌の女性は両腕を使って防いだ。
鉄の塊でも落下したかのような音を立てて青肌の女性が着地する。着地と同時に青肌の女性は近くのマストの影に走り込む。二人はそれを追って魔弓をスライドさせるが、驚異的な彼女の脚力は二人が青肌の女性に照準を定める前にマストの影に走り込むことを可能にさせた。
「チッ」
舌打ちを打ってヴィショップは両腕の動きを止める。マストの影のどちらから飛び出しても撃てるように、左右の魔弓を別々の方向に向けて構えつつ、青肌の女性が姿を現すのを待つ。一方のエリザはマストの上へと意識を向けながら、魔弓を持っていない左手を自分のスカートのポケットに突っ込み、そこから取り出したものをヴィショップの外套のポケットにねじ込んだ。
「こういう状況になれば、お前も必要だろ?」
彼女がヴィショップのポケットに突っ込んだのは、馬車を発進させる直前に彼がエリザに渡した予備の魔力弾が入ったポーチだった。
「お前が思い出してくれなきゃ、懸念が的中するところだったぜ」
「奴が淫売だったら、少しは効果があるかもな」
他愛の無い軽口を叩きながら、二人は青肌の女性が姿を現すのを待つ。しかし、数秒が過ぎ、更に十秒以上が過ぎても青肌の女性は一向に姿を現さなかった。乗り合わせている他の兵士達は全員戦闘の邪魔になるのを防ぐために甲板の下に避難している。残っているのは見張り役や舵を握っている一部の兵士だけだが、彼等の死角に入ってしまっているのか他の兵士達が青肌の女性の動向をヴィショップに教える素振りは見られなかった。
中々姿を現さない青肌の女性に、二人の疑念が募っていく。そしてどちらかがマストの裏に回り、青肌の女性に攻撃を仕掛けていぶり出すことを提案しようとヴィショップが口を開きかけた、その瞬間だった。
「ぎゃ……たすっ……」
不意に、何者かの悲鳴らしきものがヴィショップの耳朶を打つ。最初は空耳か何かかと考えたものの、その声がどこから聞こえてくるのかに築いた瞬間、ヴィショップは隣に立つエリザを思いっきり突き飛ばしていた。
ヴィショップがエリザを突き飛ばした直後、鈍い音とを奏でて甲板が盛り上がり、そして突き破られる。甲板を突き破って姿を現したのはぬらぬらと生々しい光沢を放つ紅い液体を全身に浴びた、青肌の女性だった。
ヴィショップとエリザの視線が甲板を突き破って姿を現した青肌の女性へと注がれる。彼女の前身に付着した液体と、彼女が両手に持つ二つの物体が姿を消していた間に彼女が何を行っていたのかを物語っていた。
ヴィショップの左手とエリザの右手が振り上げられ、魔弓が未だ宙に浮いたままの青肌の女性へと向けられる。即座に引き金が弾かれ、魔力弾が青肌の女性に向かって発射される。しかし青肌の女性は両手に一つずつ手にしていた兵士の死体で魔力弾を防いでみせた。
「くっ…!」
魔力弾を防いだ青肌の女性は手にしていた二つの兵士の死体を、ヴィショップとエリザに向かって投げつけた。二人はそれぞれ横に飛んで投げつけられた死体を躱す。青肌の女性の怪力で投げつけられた死体は甲板に激突して大きく変形し、一瞬で原形を失った。
青肌の女性が甲板に着地し、すぐさまエリザに向かって突進する。エリザは身体を起こしながら魔弓を青肌の女性の頭目掛けて撃ち込むが、青肌の女性は顔を捩って魔力弾を躱した。
エリザは舌打ちを打つと、青肌の女性から距離を取ろうと後ろにステップを踏む。しかし青肌の女性の脚力の前には、二、三歩の距離など会ってないようなものであり、距離が開いたと思った次の瞬間には青肌の女性の腕の届くエリアの内側に入っていた。
何とかして青肌の女性を止めようと、エリザは引き金にかけた指に力を込める。刹那、青肌の女性の大きく振り被られた腕とは逆の方の腕が素早く動いた。
「なっ…!」
気付いた時には、衝撃を残して魔弓は彼女の手から離れ、甲板を転がっていた。
驚きに見開かれたエリザの目が、何も握っていない自身の右手に向けられ、次に目の前の青肌の女性へと向けられる。黄色と黒で構成された、知性の欠片も含んでいない野生そのものの光を宿した青肌の女性の瞳を見た瞬間、エリザは死を覚悟した。
だが、その直後にエリザの顔を襲ったのは、頭そのものを吹き飛ばしかねない威力の拳などではなく、どす黒い大量の血液とそれに混じったいくらかの脳漿だった。
「女同士で楽しんでんじゃねぇよ、あぁん!」
背後から放たれた魔力弾が青肌の女性の頭蓋を撃ち抜く。魔力弾を放った張本人であるヴィショップが挑発するかのように声を上げる中、頭を撃ち抜かれた青肌の女性の身体が傾き、そして途中でピタリと止まった。
「がるうぁっ!」
まるで目の前のエリザが見えていないかのように、猛然と青肌の女性がヴィショップへと振り向く。ヴィショップへと向き直った彼女の顔はまだ再生が終了しておらず、顔の大部分が筋肉や骨が剥き出しの上体だったが、そんなことはお構いなしに自身を撃った存在に向けて走り出した。
「一発だけだ!」
真っ直ぐに向かってくる青肌の女性に右手の魔弓を突き付けつつ、ヴィショップは左手に持った魔弓をエリザに向かって放り投げた。
「これは…」
青肌の女性の頭上を越えて飛んできた白銀の魔弓をエリザはキャッチする。白銀のフレームとそこに彫り込まれた細緻な装飾に目を奪われかけるも、直後に響き渡った魔力弾の発射音が彼女を正気へと引き戻した。
エリザはヴィショップから渡された白銀の魔弓のグリップを右手で握りしめ、親指で魔力弁を引き起こすと、脳内にある物質のイメージを浮かび上がらせた。
エリザの脳内に、荒野にそびえる巨岩が浮かび上がる。悠久の時を、雨に、風に、熱さに、寒さに耐え凌いできた、寡黙にして荘厳なる巨岩の姿が。
その姿がエリザの脳内にはっきりと浮かび上がった瞬間、彼女の手に握られた白銀の魔弓に彫り込まれた装飾から黄土色の光が浮かび上がる。
エリザは黄土色の光を放つ魔弓を青肌の女性へと向ける。エリザの視線の先では、ヴィショップが青肌の女性の攻撃を凌ぎつつも、段々と縁へと追い込まれていた。
エリザはヴィショップに襲い掛かる青肌の女性に狙いを定め、グリップを両手で握る。そして小さく息を吐き出した後、引き金を弾いた。
引き金が弾かれると同時に、魔弓が放っている光と同じ、黄土色の魔力弾を、まるで機関銃の如く連続して吐き出した。
「ぎゃうううっ!?」
撃ち出された魔力弾が青肌の女性の背中に次々と撃ち込まれていく。青肌の女性の口から悲鳴が漏れ、背中を大きく仰け反らせて動きを止める。船の縁に背中を預けるところまで追い込まれていたヴィショップは、その隙を突いて青肌の女性の顔に魔力弾を撃ち込むと、崩れ落ちる青肌の女性の横をすり抜けてエリザの許に向けて走った。
青肌の女性が倒れるのを確認したところで、エリザは引き金にかけていた指を離した。それに合わせて魔弓も魔力弾を吐き出すのを止めたものの、依然として黄土色の光だけは放ち続けていた。
「大丈夫か?」
「これで貸しはチャラだな」
「……まぁ、そういうことになるな」
甲板に倒れる青肌の女性に魔弓を向けたまま、エリザはヴィショップに声を掛ける。エリザの近くで脚を止めたヴィショップは、微笑を浮かべながら軽口を叩いた。エリザは先程までの行動を振り返ると、残念そうに返事を返す。
「貸し借りの帳尻合わせも済んだんだ、とっとと品の無いワルツに戻るとしようぜ」
エリザの返事を笑みを浮かべて受けたヴィショップは、魔弓と視線を青肌の女性へと向ける。甲板の上で倒れていた青肌の女性は、両手を甲板に突いてゆっくりと立ち上がろうとしていた。無論、黒髪の隙間から覗く背中には傷の一つも無い。
「がる……うぐぅ……」
立ち上がった青肌の女性は、先程までのように突っ込んでくるような真似はせずに、じっとヴィショップとエリザの方を睨みつけていた。二人もまた魔弓を構えたまま青肌の女性を注視しており、場に沈黙が広がる。
そしてその沈黙は、不意に船に走った衝撃によって妨げられた。
「っ!?」
「うおっ…!」
「なっ…!」
予期せずして船を襲った大きな揺れに、ヴィショップとエリザ、そして青肌の女性までもがバランスを崩してよろめく。何とか転ぶことなく体勢を立て直した三人だったが、そこから攻撃に転じることはなかった。
何故なら、他でもないヴィショップ達が乗り合わせているこの船が、段々と傾き始めていることに気付いたからである。
「おい…まさか、これ沈んでねぇか!?」
「な、何だと!?」
ヴィショップの上げた声でエリザも船が傾いていっていることに気付く。
「どういうことだ!? …まさか、先程のあれか!?」
いきなり襲い掛かってきた沈没という事態に戸惑うエリザの脳裏に、先程の青肌の女性の行動が浮かんだ。
青肌の女性は二人に奇襲を掛ける為に甲板を突き破って船の下層へと一端逃れていた。青肌の女性がどれ程下まで行ったのかは分からないものの、現時点で沈没に繋がり得る行為はそれだけしかなく、それ以外に沈没の理由として思い付くものはなかった。それはヴィショップも同様だったらしく、エリザの言葉を聞くと小さく頷いて見せた。
しかし、二人の考えは別方向から飛んできた声によって否定された。
「大丈夫です! これも作戦の内です!」
「何!? どういうこと…」
ヴィショップとエリザを安心させるように、舵をとっていた兵士が声を上げる。二人は弾かれたように舵をとる兵士の方に向き、その言葉の意味を問おうとするが、皆を言い切る前に飛びかかってきた青肌の女性によって会話は無理矢理終わりを迎えさせられる。
「クソッ、今の状況が分かってんのか、こいつ!」
「分かっている顔には到底見えないけどな!」
「があああっ!」
船が沈没しかかっている状況にも関わらず、逃げる素振りを微塵も見せずに戦いを続けようとする青肌の女性に悪態を吐きつつ、二人は兵士との会話を諦めて青肌の女性へと魔弓を向ける。
ヴィショップとエリザの間辺りに着地しながら、青肌の女性が両腕を振う。二人は互いに別々の方向に身体を投げ出して、青肌の女性の両腕と掻い潜りつつ、魔弓を彼女へと向けて引き金を弾いた。
二挺の魔弓から放たれた魔力弾が青肌の女性へと殺到する。青肌の女性は咄嗟に両腕で頭と心臓を守った。だが、ヴィショップの放った魔力弾こそ防ぐことが出来たものの、エリザの魔弓から放たれた大量の魔力弾を腕のみで受け切ることは不可能だった。
黄土色の魔力弾の群れが青肌の女性の身体を蹂躙する。数十という魔力弾の一群は盾として差し出された青肌の女性の腕を千々に食い千切り、肉を射抜き、骨を砕いて、臓腑を潰した。
瞬きする間に無残な姿へと変わり果てた青肌の女性が膝を突く。エリザは構えていた魔弓を軽く振ってシリンダーを開き、自身の持っている魔弾を一発づつ装填し始める。彼女の手に握られた魔弓からは、先程まで放たれていた黄土色の光は消え失せていた。
エリザの指が三発目の魔弾をシリンダーに突っ込んだ時、青肌の女性の身体が動き始めた。肋骨が露出し、腸が零れ落ちていた彼女の身体は今やその殆どが再生され、残すは吹き飛ばされた右腕のみとなっている。ヴィショップはゆっくりと立ち上がろうとする彼女の頭に魔力弾を撃ち込んで再び沈黙させると、急いで船の縁に向かって走り出した。船は今や、普通に歩くのが困難な程に傾きつつあり、穂先は次第に空へと向かっていた。
「エリザ!」
転びそうになりながらも、最後は飛び付く様にしてヴィショップは船の縁にしがみ付いた。そして右手に持っていた魔弓をホルスターに納めると、魔弾の装填を終えてこちらに向かって走り始めたエリザに手を差し伸べる。
「く…そ…がっ!」
甲板を蹴りつけて、エリザが跳躍する。左手を有らん限りにヴィショップに向かって伸ばしながら。自身に向かって伸ばされた褐色の手を、ヴィショップは握りしめた。それと同時に彼女の重みが一気にヴィショップの右手へとかかる。
「っ…! お前、当分デザートは禁止な…!」
「黙ってろ……姦しい口を叩くんじゃない…!」
右手にかかる重みに顔をしかめながら、ヴィショップが軽口を叩く。彼の腕に捕まっているエリザは、苦笑を浮かべながらヴィショップを見上げた。
ヴィショップは微笑を浮かべると、エリザから視線を逸らす。船は到底人が立っていられる状態ではなくなるまで傾いており、殆ど垂直に等しくなっていた。後はこのまま海面に姿を消していくことになるだろう。ヴィショップは視線を動かして、青肌の女性の姿を探す。しかし甲板はもちろん、反対側の縁やマストにも彼女の姿は見えなかった。ヴィショップは小さく安堵の溜息を吐いて、青肌の女性の姿を確認するべく真下の海面へと視線を動かす。
「ッ!」
刹那、ヴィショップの右腕にエリザとは比べものにならない重量がかけられる。
「あぐっ…!」
その重みに、ヴィショップの表情が苦しげに歪んだ。それに続いて、彼の右手に捕まれているエリザから苦悶の声が漏れる。ヴィショップが視線を下方に向けると、そこに彼女は居た。
「うぐぅああああ……」
頭から一対の角を生やした、深い青色の肌の女性が、エリザの右脚にしがみついていた。黄色と黒の彼女の瞳は、真上へと伸ばされた、苦悶の表情を浮かべるエリザの腕のその先に居る存在、ヴィショップへと一直線に向けられている。
ヴィショップと青肌の女性の視線が一瞬交錯する。ヴィショップの瞳を覗き込んでいるかのようにじっと見つめる青肌の女性の口元は、大きく吊り上って笑みを形作っていた。
「この…怪物が…!」
引きつった笑みがヴィショップの表情に浮かび、唇の間から悪態が漏れ出る。だが、それが今の彼に出来る全ての行動だった。何故なら、彼の両手は塞がっており、青肌の女性を海面へと叩き落とすのに必要な道具はホルスターに納まったままなのだから。
青肌の女性がエリザの脚から右腕を離し、自身の角を掴むと力任せに圧し折った。角が圧し折れる鈍い音はヴィショップのもとまで届いた。だが、当の本人は全く意に介さずに笑みを浮かべたまま、圧し折った角を持った右腕を大きく振りかぶって溜めを作る。
(投げる気か…!?)
選択肢は二つしかなかった。乃ち、このまま青肌の女性に角を投げつけられて死ぬか、それともエリザを手放してホルスターの魔弓を掴むか。
エリザに魔弓を撃たせるという選択肢はなかった。今までの戦闘で学習したのか、青肌の女性の目はこの状況下においてもはっきりとエリザの手に握られた魔弓を捉えていた。彼女の身体能力もってすれば、エリザが青肌の女性の頭に狙いを付けて引き金を弾く前に手に持った角で腕を抉ることは容易だろう。かといって、エリザを自分の脚に移動させることも出来ない。青肌の女性を脚からぶら下げている今の彼女が独力でヴィショップの脚にしがみつくことは不可能だった。
(……しゃあねぇか)
取るべき選択肢は一つだった。ヴィショップは視線をエリザへと向け、それに気付いた彼女も視線を上げてヴィショップを見つめる。
苦しげに歪んだエリザとヴィショップの顔が合った。二人の顔があった瞬間、苦しげな表情のままエリザは全てを理解すると、笑みを浮かべてヴィショップに告げた。
「ちゃんと拾い上げろよ?」
「任せとけ」
そう言って彼女は左手を離し、右手に持っていた魔弓をヴィショップに向けて投げつけた。
『神導魔法黒式!』
底の見えない青い海面に向かって、エリザと青肌の女性が落ちていく。不意に全身を襲った浮遊感に青肌の女性の瞳が大きく見開かれる。
そしてヴィショップはエリザの投げつけた魔弓を掴んだ瞬間、二人の口から魔法の詠唱が始まった。
『第二十八碌!』
ヴィショップの指が引き金を弾く。轟音が木霊し、青肌の女性の額から鮮血が噴き出す。
『“グラートル・チェーン”!』
詠唱が終了すると、ヴィショップに向かって差しのべられたエリザの右手と魔弓の握るヴィショップの右手から漆黒の鎖が伸びる。二本の鎖は互いを求める様にして伸びていき、その身を絡ませて組み合った。
「ぐっ…!」
ヴィショップの右手に再び重みがかかり、落ちていたエリザが動きを止める。絡み合う鎖で繋がった二人は視線を真下へと向け、青肌の女性が海に落ちて水しぶきを上げるのを見届けた。
「これで少しは時間が稼げるだろ。さて…」
青肌の女性が海に沈んでいくのを確認したヴィショップは視線を上げると、何とかしてこの状況を打開する方法を思考しようとする。青肌の女性を海に叩き落としはしたものの、依然として船は沈みつつあり、青肌の女性も死んだ訳ではない。このままでは青肌の女性に殺されるか、それとも船と一緒に沈んで死ぬかの二択だった。
「うおっ!?」
「なあっ!?」
しかしそう考えたのもつかの間、バキッ、という音がヴィショップとエリザの耳朶を打ったかと思うと、ヴィショップの掴んでいた縁が折れ、二人の身体は海面目掛けて落ちていった。
「ざけんじゃねぇぞ、クソッ!」
「冗談じゃないぞ!」
大声で悪態を吐きながらヴィショップとエリザが落ちていく。だが、今のヴィショップに魔法を使うだけの力は残って無く、そして彼より下にぶらさがっていたエリザには魔法を詠唱するだけの暇が無かった。
深い青色を湛えた海面がどんどん迫る。その海面を割って、先程落とされた青肌の女性が姿を現し、ヴィショップとエリザの血肉を求めて両腕で天を掻いた。そして青肌の女性の指先がエリザの脚に触れた瞬間、
「うおっ!?」
「ぐっ!?」
突如として吹き荒れた突風が、一瞬にして二人の身体を攫い、空高く持ち上げた。
先程まで船を動かしていた風などとは、一線を画す勢いに抗うことも出来ずに二人の身体は先程までの光景を逆再生するかのように上がっていき、既に半分ほどが沈んだ船の穂先を超えたところで動きを止める。
二人の身体を押し上げた突風は勢いを弱めると、二人をその場に滞空させるかのように吹き続けた。明らかに自然によって生み出されたものではない現象に目を剥く二人だったが、目の前に広がる光景に気付いた瞬間、彼等の驚嘆は最高潮へと達した。
「おいおい…何だぁ、こいつは…!」
二人の視界に飛び込んできた光景。それは、『グランロッソ』の国旗を掲げた何隻もの帆船が、今ヴィショップとエリザが居る場所を中心として、綺麗な円を描く様に並んでいる光景だった。
そして二人が円を描く無数の船の存在に気付いた刹那、船によって描かれた円の内側の海面が青白い光に包まれた。




