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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
77/146

Chaser

「そうか。あのシスターの確保には成功したんだな」


 『リーザ・トランシバ』南大門前広場の一角に建つ民家の屋根の上でヴィショップは、耳元に近づけた通信用の神道具に向けて語りかける。


『あぁ。今はあんたの仲間が面倒を見てる。多分、もうそろそろ使えるようになるんじゃないか?』


 すると神道具からヴィショップにとってはあまり聞き覚えの無い声が返ってきた。

 今ヴィショップが会話を交わしている相手はラギという男で、何でもヤハドは今連れ去ってきたサラの面倒を見るのに忙しくて話に出れない為、代わりにこうしてヴィショップと会話を交わしているのだった。ラギの話だとどうやら彼はヤハドがサラを確保する場に居合わせたらしく、その時の情報は大体彼から仕入れることが出来た。


「そろそろ使えるようになる? どういう意味だ?」

『あっ、いや、あれだよ、ほら。目の前で人が死んだからな。腰が抜けちまって動けねぇんだよ』


 ラギの発した言葉の一節に違和感を覚えたヴィショップがラギにその意味を問いかける。ラギは露骨に言いよどむと、無理矢理絞り出した様な返答をヴィショップに返した。


『そ、それよりそっちはどうなんだ? 何が起こってるのかしらないが、あんたがこっちに戻ってくるってことは決行ヤバい事態になってるってことじゃないのか? 大丈夫なのか?』


 ヴィショップが返事を返さずにいると、慌てたような口調でラギが訊ねてきた。


「一大事ではあるな。まぁ、お前がちゃんと俺の要求を連中に伝えて、連中がその通り動いてくれれば何とかなるだろ」

『そ、そうか。じゃあ…』


 ラギが何か言葉を返そうとした瞬間、広場にけたたましい獣の唸り声のようなものが響き渡った。それは神道具から流れていたラギの声を容易く蹴散らして、ヴィショップの鼓膜を激しく揺さぶった。


『お、おい! 何だ今のは!』

「気にするな。発情中のメスイノシシが喚いてるだけだ。一端切るぞ。また後で連絡する」


 怯え半分、困惑半分といった感じの声音でラギが今の唸り声の正体を訊ねてきた。ヴィショップはそれを適当に受け流すと通信を終了させてブレスレッド型の神道具を袖の中へと戻した。

 そして小さく溜息を吐いて、呆れた様な口調で言葉を漏らす。


「あのムスリム野郎、また何か面倒臭い真似をしようとしてやがるな…」


 ヴィショップが発したその一言には、確かな確信が込められていた。自らの中まであり、サラの確保を任せたヤハドが、自分の意思とはそぐわぬ行動をとろうとしていることについての確信が。

 といっても、その兆候は依然から見られていた。小さいものでいえば『世界蛇の祭壇』でのアンジェ達に対する処遇。大きいものでいえば『パラヒリア』での方針やガロスの許に少女を送り込む事についてなど、要所要所で二人の意見は対立し合ってきた。その為、ヴィショップの目から一時的とはいえ完全に逃れることになったヤハドが、ヴィショップの指示通りに動かなくなることは充分に有り得る事態だった。


「まぁ、あのフェミニスト気取りのことだし、何をやろうとしているのかは薄々予想がつくけどな…」


 そしてそのように対立し、その度に何とか折り合いを付けてきたヴィショップだからこそ、彼が何をしようとしているのかの予想は大体付けることが出来ていた。


「よっぽど何もかもがクソみたいに最悪の方向に噛み合わない限り、大丈夫だとは思うが…とりあえずさっさと合流して自分でやった方が良さそうだな。どのみち、『グランロッソ』の連中と話す必要も…」

「がうるああああああああっ!」


 顎の無精髭を擦りながらヴィショップが一人ごちていると、先程ラギの言葉を遮ったのと同じ咆哮がヴィショップの言葉を遮った。

 ヴィショップは思考を一端中止して、うっとうしそうに視線を咆哮の上がった方へと向けた。

 視線の先には、武器を構えた民衆達の人だまりが出来ていた。人だまりは歪な円を描き、中心には一人と数人の死体を除いて何も無いというドーナツ型をしていた。そしてその中心に立つ存在こそが、その咆哮の主だった。


「ったく、執念深いスケだぜ、全くよ」


 ヴィショップはその中心に立つ存在…額から一対の角を生やした青肌の女性に視線を向けて、そう呟いた。

 ヴィショップによって南大門開門のダシにされた青肌の女性は、展開していた兵士達によって迅速に無力化されていた。が、南大門が開いて民衆が押し寄せたことで無力化を維持出来なくなり、滅多刺しにされた傷が修復されると同時に再び動き出して現在の状態へと至っていた。

 活動を再開した青肌の女性は、周囲の民衆を手当たり次第に殴殺しながらヴィショップを探し求めた。先の兵士達とは違い、経験も技術も無い民衆では紛いなりにも組織的な動きで青肌の女性を無力化することなど出来ず、殺されるか怖気づいて切りかかれずにいるかのどちらかだった。その結果、軍事区に流れ込む民衆の動きが目に見えて停滞の一途を辿り始めた為、ヴィショップは青肌の女性に一発お見舞いして自分の存在に気付かせると、そのまま南大門前広場まで誘導。近くの民家の屋根の上に陣取り、時折魔力弾を撃ち込んで青肌の女性の動きを止めつつ、民衆達に指示を出して彼女の動きを封じていた。


「ヴィショップさん!」


 不意に下から声を掛けられて、ヴィショップは視線を声のした方へと向ける。

 丁度ヴィショップが居る民家の真下に一人の男が居た。男は荷車にそのまま馬を繋いだような簡素な馬車に乗り込んで手綱を握っていた。


「準備は出来たみたいだな」

「えぇ。でも、馬車一台で本当にあれをどうにか出来るんですか?」

「現状、他に手が無い。これでやってみるしかねぇだろうよ」


 不安そうな表情を浮かべてこちらを見上げる男にヴィショップは適当に返事を返す。男は一度頷いて馬車から降りた。


「分かりました。では僕は、ヴィショップさんに言われた通りに動いてきます」

「あぁ。道が出来ないことには動けないからな。頼んだぜ」

「はい! 任せて下さい!」


 ヴィショップがそう告げると、男は律儀にも返事を返して民衆の方へと駆けて行った。

 ヴィショップは早々に視線を男から背けると、再び青肌の女性へと向ける。だが、彼の瞳には先程までの勢いは無く、どこか気怠げな光が宿っていた。


手品師(マジシャン)、か。追うべき存在こそ分かったが、さてここからどうしたもんかね…)


 彼の脳裏に浮かんでいるのは、先程南大門の上で出会い、そして姿を暗ました仮面の人物…マジシャンの姿だった。

 マジシャンの口から語られたのは、どれもが衝撃的な事実ばかりだったが、最終的にそれらがヴィショップに突き付けた現実は至って単純なものだった。一つは、ヴィショップ達が追うべき存在は本名すら分からない正体不明の人物であるということ。そしてもう一つは、ヴィショップ達がこの国で行ってきたことには彼等の目的において何の意味も無かったということだった。


(正確には完全に無意味じゃねぇ…。こうして敵の存在を明らかに出来たし、なによりこれで『スチェイシカ』を手土産に『グランロッソ』の深みに入っていくことが出来る…)


 自分達の目的に関係しているかどうかを探るのとは別に、ヴィショップが『スチェイシカ』へと赴いたもう一つの目的こそが、まさにそれだった。既に自身の経験から『スチェイシカ』に『グランロッソ』のスパイが居るであろうことは予想が付いていた。ならばそのスパイと接触し、協力して『スチェイシカ』を堕とすことで『グランロッソ』に貸しを作り、一気に例外的なコネクションを手に入れること。それがヴィショップが『スチェイシカ』を標的に定めた時点で狙っていた目的だった。


(となれば、やはり『グランロッソ』の力を使ってそれらしき情報を探っていくのが妥当か…)


 ヴィショップは心中で呟く。

 確かに最大の目的こそ潰えたが、まだ重要な目的がこの戦いには残されている。それは確かに事実だった。だが、ただ情報を集めるだけに『グランロッソ』とのコネクションを得るのならば、既に『パラヒリア』の一件だけで充分だったのもまた事実だった。


(まぁ、どの道今回の一件があのアバズレの言う問題だと信じ込んでた訳でもないしな。むしろ、そうじゃない可能性の方がデカかったぐらいだ。なら、この結果もむしろマシな方か…)


 ヴィショップは懐から煙草を取り出して咥えながら、少し気怠げに呟く。確かに『パラヒリア』の時よりは期待していたとはいえ、ヴィショップのせいで規模こそ大きくなったものの所詮は今回の件は一国の内部で起こっている内戦に過ぎない。そんなものが世界そのものに影響を及ぼすような問題であるとは、冷静に考えれば有り得ないと思う感情の方が強かった。

 それが、マジシャンと今回の一件についての思考を締めくくる言葉だった。次の瞬間には、ヴィショップの意識は完全に目下の戦場、そして不死染みた生命力を誇る青肌の女性を倒すことへとシフトしていた。


「おーい!」

「…来たみてぇだな」


 すると、不意に何者かがヴィショップを呼ぶ声が聞こえてくる。ヴィショップは顔を上げて声のした方向に視線を向けると、屋根を飛び移りながらこちらに近づいてくる人影を見て一人ごちた。


「早速で悪いが、あれは何の冗談なんだ?」


 ヴィショップが立っている屋根まで飛び移ってきた人影…エリザが下で行われている戦闘を指差してヴィショップに問いかける。どうやらここに来る途中で、少しはあの青肌の女性がどういう存在なのかを理解出来るような現象を目にしてきたようだった。


「残念ながら、冗談じゃない。気味の悪ぃマスクこそ被ってねぇものの、あの出来の悪いB級ホラーの怪人みてぇな奴は、ちゃんとこの世に実在する存在だ」

「びーきゅう? ほらー? 何を言っている?」


 ヴィショップが青肌の女性を見下ろしながら軽口を交えてエリザの問いに答える。しかしエリザにヴィショップのジョークが通じる筈もなく、彼女は訝しげな表情を浮かべてヴィショップを見つめていた。


「そこは気にしなくていい。問題はあの女が不死身染みた化け物だってことだ」

「不死身、ね。頭は吹き飛ばしてみたのか?」


 周囲を取り囲む民衆に牙を剥き、唸り声を上げる青肌の女性を眺めながらエリザが問いかける。


「やった」

「なら心臓は?」

「上半身ごと吹っ飛ばした」

「まるごと吹っ飛ばすっていうのは?」

「さっきそこで兵士達があの女をミンチにしてたが、少し経っただけであの通りピンピンだ」


 エリザの発する質問にヴィショップは淡々と答えていく。

 最後の質問をした辺りでエリザは頭をがりがりと書きながら、苛立った声を上げた。


「ならどうするんだ? 神話の英雄よろしく、魔法で封印でもするのか?」

「惜しいな。良い線いってるぜ、その案」


 エリザの問い掛けにヴィショップは返事を返すと、下にある質素な馬車を指差してエリザに見るように促した。


「古来より、殺し方の浮かばない化け物は、絶対に自分を追ってこれないところに突き落とすことで処理していた。黒光りする宇宙生物然り、機械の殺し屋しかりだ」

「お前の言う偉大な先人達は私には皆目見当付かないが、つまりはあれをどこかに突き落とすということか?」


 訝しげな顔を浮かべるエリザの言葉をヴィショップは首を盾に振って肯定する。


「で、今回使うのはあれだ」


 ヴィショップは『ウートポス』のある方角を指差した。


「…海か!」

「そうだ。奴に碇か何かを巻き付けて、海に突き落とす」

「成る程、望みは有りそうだ。で、どうやって奴を『ウートポス』まで誘導し、碇を巻き付けて海に突き落とすんだ?」

「散々奴に弾をブチ込んでやったおかげで、奴は随分と俺のことを嫌ってる。適当に挑発したら追ってくるだろうよ。…その後はアドリブでいくしかないな」


 軽く肩を竦めてヴィショップが答える。エリザは呆れた表情を浮かべて、ヴィショップの顔を見つめた。


「じゃあ、何か? 一番肝心な所は無策ってことか?」

「そうだ。だからお前を呼んだ。何か策が有ったら教えてくれ。金はやらねぇけどな」


 微かに笑みを浮かべてヴィショップが軽口を叩く。エリザは左手で顔を覆って天を仰ぐと、一度深呼吸してから天を仰いだまま、ヴィショップに語りかけた。


「…全く、妙な話になったもんだ。私はただガロスを殺したかったのに、どういう訳かガロスの姿すら見れないところで命を懸ける破目に陥りかけている。しかもエスコートの相手は出会って日の浅い悪漢ときたもんだ」

「人生、何が起こるか分からないってことさ」

「…ふ、何故だか分からないが、使い潰された言葉なのにお前が言うと妙に重みがあるな」


 エリザの口から苦笑が漏れる。指の間から両目を覗かせ、灰色の曇天を眺めながら彼女はヴィショップに向かって言葉を発した。


「金は要らないから、何かやる気の出る言葉だけでもくれないか?」

「……『ウートポス』の連中から連絡が来た。例のシスターを捕まえたそうだ」


 少し考え込んでからヴィショップはそう告げた。

 すぐにエリザから返事が返ってくることはなかった。一秒が経ち、二秒が経ち、そして数秒が経つ。そうしてヴィショップが怪訝そうに視線を彼女へと向けたところで、ようやくエリザは左手を垂らして顔をヴィショップの方へと向けた。


「仕方が無いから、乗せられてやるとするよ」

「そうこなくっちゃな」


 ヴィショップの口角が吊り上る。そして視線を青肌の女性に向き直ると、手にしている魔弓を青肌の女性へと向けて狙いを付けながらエリザに問いかけた。


「じゃあ、どっちが手綱を握る?」

「握らなかった方はどうするんだ?」


 自身の魔弓に装填された魔弾の数を確認しながら、エリザが訊ねた。


「ケツを追ってくるアバズレの相手だな。見ての通り、奴の身体能力はけた外れだ。多分、馬が相手だろうが追いついてくるだろうよ」

「ふざけてるにも程があるな。お前、一体どこであんなのを引っかけてきたんだ?」

「イカれた見た目の手品師に紹介されたんだけさ。で、どうするんだ?」


 エリザは少しの間思考に耽りつつ、ヴィショップの身体を横目で見る。ぱっと見た限りでは、エリザの目には今のヴィショップの姿に最後に分かれた時との差異はあまりないようにみえた。が、損失したカウボーイハット、外套のあちこちにある汚れ、その下のシャツに滲んだ汗や、ところどころに見える擦り傷、整いつつあるものの確かに乱れた息遣いなどが、今までの戦いがヴィショップの身体に着実に楔を打ち込んできていたこを語っていた。


「なら、荷台には私が乗る。お前は手綱を頼む」

「分かった。それでいこう」


 一瞬間を開けた後にヴィショップは頷く。エリザはヴィショップが自分の提案を承諾したのを確認すると、下の馬車に飛び乗ろうと屋根の縁に一歩近づいた。

 すると、それを横から伸びてきたヴィショップの左手が遮った。エリザは脚を止めて自分の歩みを遮るように伸ばされたヴィショップの左手を見る。その手には革で作られたポーチらしきものが握られており、エリザがヴィショップの左手の下に自身の右手を持っていくと、指が開いてエリザの掌にポーチがすとんと落ちてきた。


「予備の弾だ。足りなくなったら使え」


 そう告げると、ヴィショップは視線をエリザの方へと向けた。


「ケツを預けるんだ。しくじるなよ」

「……守る程の価値がある尻には見えないが、まぁ、やってみるさ」


 笑みを浮かべて軽口を叩くヴィショップを見て、思わずエリザの口角も吊り上った。

 エリザはヴィショップの言葉に軽口で応じて、下の馬車の荷台に飛び降りる。ヴィショップはエリザが馬車に乗り込んだのを見届けると、視線を青肌の女性へと向け、魔弓の引き金を弾いた。

 撃ち出された魔力弾が、人だかりの中心で唸り声を上げる青肌の女性へと突き進み、側頭部へとその身を沈める。着弾と同時に血飛沫が飛び散り、見えない拳に殴りつけられたかのように青肌の女性の頭が揺れ、そのまま地面に沈む。


「始めるぞ!」


 青肌の女性の頭を無事撃ち抜いたのを確認したヴィショップは魔弓をホルスターに納めると、既に馬車に乗り込んでいるエリザに声を掛けつつ。屋根から飛び降りる。その声を受けたエリザは自身の魔弓を構えながら、青肌の女性を取り囲む民衆の方に視線を向けた。

 馬車に乗り込んだヴィショップが手綱を握る。エリザが視線を向けている先では、民衆が揃って脇に退き、地面に倒れている青肌の女性から二人の乗り込んでいる馬車まで一本の道を作っていた。

 数秒の間、沈黙が場に満ちた。民衆が固唾を呑んで地面に伏す青肌の女性を眺める中、彼女は聞くもの鼓膜を破らんばかりの大絶叫を場に轟かせながら立ち上がった。


「があああああああああああああああああああああっ!」

「来たぞ!」


 青肌の女性の絶叫に思わず顔を歪めつつ、エリザはヴィショップに声を飛ばす。ヴィショップは返事を返さずに、手綱を振り上げて馬車を発進させようとした。

 だが、


「おいおい、冗談だろ、勘弁してくれよ!」


 いくら手綱を振っても、繋がれた二頭の馬は一向に走り出そうとしなかった。

 ヴィショップの額に冷や汗が浮かび上がる。馬たちが走り出さない理由は一目で分かった。何故なら、全く走り出す素振りを見せない二頭の馬の身体は小刻みに震えていたのだから。


「おい、どうした!? 早く走らせろ!」


 エリザが手綱を握るヴィショップの方を振り向いて、馬車を動かすように急かす。そしてすぐに視線を前へと戻すと、手にした魔弓をこちらに走り寄ってくる青肌の女性へと定めた。


「ったく、世話焼かせてんじゃねぇよ、アホ馬共が…!」


 ヴィショップは左手を手綱から離すと、悪態を突きながらホルスターから魔弓を引き抜く。そして左手を二頭の馬の間へ有らん限りに伸ばして耳に近づけると、引き金を弾いた。

 轟音が響き渡った直後、先程までぴくりとも動かなかった二頭の馬がひっくり返るのではないかと思う程に前足を上げたかと思うと、そのままヴィショップが手綱を握るのも待たずに走り出した。


「うおっ!?」

「ちょっ!?」


 慌てて手綱を握り直すヴィショップと、荷台から落ちそうになった身体を何とか縁を掴んで支えるエリザ。二頭の馬はエリザとヴィショップの乗った荷台を引っ張りながら狂ったように『ウートポス』に向けて走り始める。


「他にもっとマシな手は無かったのか!?」

「じゃあ、どうしろってんだ!? こいつ等にカマでも掘らせてやればよかったのか!?」

「それのどこがマシな手なんだ、馬鹿!」

「だったら、お前がこいつ等のイチモツでもくわ……おい、後ろ!」


 走り出した馬車の上で、ヴィショップとエリザは罵詈雑言の応酬を繰り広げる。が、それは途中で後ろを振り返ったヴィショップの一言によって中断を余儀なくされた。

 ヴィショップの声に従って、エリザが弾かれたように背後を振り向く。振り向いた先には、後少しで馬車の荷台に手が届きそうな位置を駆けている青肌の女性の姿があった。


「いくらなんでも、速すぎるだろ…!」


 その相貌に驚きを滲ませつつ、エリザは魔弓の引き金を弾いた。青肌の女性は胸元に魔力弾を受けると身体をよろめかせ、そのまま転んで地面を転がっていった。


「おいおい、さっき言ったこと憶えてるか?」

「…うるさい。手綱握るなら前見てろ」


 次第に遠ざかっていく青肌の女性を眺めるエリザに、ヴィショップは振り返ってからかう様な口調で話しかける。エリザはヴィショップに向き直ると、捨て台詞めいた言葉を返した。


「その返しはお前、いくらな…おっと!」


 呆れた様な笑みを浮かべつつ前を振り向いたヴィショップだったが、振り向いた瞬間に彼の顔面に壁に突き刺さった槍の柄が迫ってくる。ヴィショップは反射的に声を上げつつ身体を上半身を思いっきり仰け反らせ、間一髪のところでそれを躱した。

 上半身を仰け反らせた先で、荷台に座るエリザと視線が合った。彼女は背中が荷台に突きかねない程に上半身を逸らせたヴィショップの顔を見下ろしながら、微笑を浮かべて口を動かす。


「で? お前に手綱を握らせておいて、果たして私は安心出来るのか?」

「……成る程。オーケー、さっきのには目を瞑るとするさ」


 ヴィショップも苦笑を浮かべると、仰け反らせていた上半身を起こした。

 戦場が軍事区へと移ったことで人数がまばらになった市民区の道を馬車は疾走する。荷台に腰かけて後方を見るエリザは、ヴィショップに背を向けたまま訊ねた。


「派手に転んでいたが、あれで追いつけるのか?」


 中々姿が見えない青肌の女性を探しつつ、エリザが問いかける。


「多分大丈夫だろ。駄目だったら、その時は拾いにいくしかないな」


 前を見たままヴィショップが答えた。エリザはヴィショップの方を振り向くことなく、「そうか」とだけ返事を返した。







 トランシバ城、城内。数時間前に発生した隣国『グランロッソ』の侵攻と民衆の蜂起という二つの異常事態を機に完全に臨戦態勢となり、第一兵団の兵士達が居ない場所など殆ど存在しなくなったこの城内で、新たな変化が起きようとしていた。


「指定の部隊以外は、全員城門前に集合せよ! 繰り返す! 第一兵団は指定の部隊以外…!」


 魔法によって拡張された声が城内に響き渡る。そしてその声に従って、多くの兵士達がトランシバ城城門前に向かって移動を始めていた。


「おいおい、大丈夫かよ…。まさか、堕とされたりしないだろうな…」

「何言ってんだ! このトランシバ城は難攻不落の要塞だぞ!? それに外には第二、第三兵団の連中が居る!」


 吹き抜け状になった二階で城内に残ることを言い渡された二人の兵士が、階下の様子を眺めながら会話を交わす。


「でもよ、軍事区の門が破られたんだろ? その上その後ろには『グランロッソ』の軍勢が控えてるじゃねぇか。このままじゃ…」

「いい加減にしろ! 我が国の軍隊が、『グランロッソ』の軍勢如きに遅れをとる訳がないだろ! それに、我々には閣下がついてる! 女神のご加護を受けた閣下がな!」


 弱気な発言を繰り返す兵士をその相方が叱咤する。しかし、その二人の言葉にはどちらも不安と恐怖の色が滲み出ていた。弱音を吐く兵士もそれを叱咤する兵士も、互いに冷静とは程遠い状況に立たされているのは傍目から見れば一目瞭然だった。

 だから、二人は気付くことが出来なかった。背後から忍び寄る四本の腕に。


「もがっ!?」

「うぐっ!?」


 音も無く忍び寄ってきた腕が、一瞬にして二人の兵士の口を塞いだ。二人の兵士は突然の出来事に驚きながらも、咄嗟に腰に差した剣の柄へと手を伸ばす。が、二人の指先が剣の柄に触れる前に伸びてきたもう二本のナイフを持った手が、二人の兵士の胸元に振り下ろされた。

 ナイフの刃は身に付けていた鎧の隙間から侵入して、その身体に突き刺さる。二人の兵士は目を大きく見開き、少しの間身体を小刻みに痙攣させた後、完全に動きを止めた。そして二人の兵士が息絶えると、背後から伸ばされていた腕が兵士の脇の下に向かって伸び、そのまま二人の死体を物陰まで引きずり込んだ。


「とりあえず、侵入には成功しましたね…」

「あぁ…だが、本番はこれからだ」


 二人の死体が物陰へと消えると、一拍置いてその物陰から何人かの人影が姿を現す。物陰から姿を現した面々は、ヴィショップが地下通路で分かれた顔ぶれと完全に一致していた。

 メンバーの中の一人がヤーゴに押し殺した声で話し掛ける。ヤーゴはそれに返事を返すと、階下で忙しなく動き回る兵士達を見下ろしながら呟いた。


「外の連中は上手くやったようだ…。行くぞ。ケリを付けるのが私達の役目だ」


 ヤーゴの言葉に、メンバー全員が力強く頷いた。ヤーゴは振り向いてメンバーの顔を見渡すと、「行くぞ」と短く告げて動き出した。

 この城の高みで待つ、一人の男の息の根を止める為に。

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