Fool's Errand
「うがああああああああああっ!」
『リーザ・トランシバ』軍事区南大門前広場。声高に革命の詞を叫びながら攻撃を仕掛けてくる民衆に対抗する為に集められた兵士達の中心から、聞く者の骨を芯から揺さぶる様な大音量の咆哮が上がる。その咆哮の主は、黒い模様が奔る青い肌に、頭から一対の角を生やした異形の女性だった。
「ぐあっ!」
「げふっ…!」
青肌の女性が両腕を振うと、短い叫びを残して切りかかってきた二人の兵士が吹き飛ばされる。内一人は剣を握っていた腕が根本から吹き飛び、もう一人は上半身が真後ろを向いていた。
吹き飛ばされた二人の兵士は、そのまま周囲を囲っている兵士達の中に突っ込み、数人を巻き込んで床に叩き付けられる。青肌の女性は両腕をダラリと垂らしてその光景を見ると、倒れた兵士達に近づこうと一歩踏み込んだ。
「ぎゃうっ!」
直後、青肌の女性の胸から彼女自身の血で染まった三本の剣先が突き出た。
悲鳴を上げ、青肌の女性はゆっくり首を回して後方に視線を向ける。すると、自分の背中に長剣を突き立てている三人の兵士の姿が彼女の視界に飛び込んできた。
「がうあっ!」
身体を翻しつつ、青肌の女性は腕を力任せに振るう。しかしその腕は兵士達の身体は捉える事はなく、兵士達は青肌の女性が動き出す寸前に剣を手放して後方に下がっていた。
背中から三本もの剣の柄を生やしながら、青肌の女性は自身の身体に剣を突き立てた三人の兵士を睨みつける。睨みつけられた兵士達は思わずたじろいで一歩後ろに下がった。青肌の女性は彼等を追おうとするが、次の瞬間には三人の兵士を隠すようにして他の兵士が前に出てきて、三人の兵士の姿は見えなくなる。
「うぅぅぅ…!」
苛立たしげに唸り声を漏らしながら、青肌の女性は背中に右手を回して手探りで長剣の柄を探し求める。二、三ど指が空を掻いた後、指先が三本の内一本の剣の柄に振れた。青肌の女性はそのまま指を柄に絡みつかせると、一気に引き抜こうと力を込める。血の吹き出す音と共に一本目が抜け、それに続いて伸びてきた左手が二本目を引き抜く。引き抜かれた箇所からは血が噴き出していたが、それも数秒と経たぬ間に止まり、気付けば傷痕すら青肌の女性の背中には残っていなかった。
青肌の女性の右手が最後の一本を引き抜き、地面に投げ捨てる。投げ捨てられた長剣はカランとう音を立てて地面に転がった。
「っ!」
まさにその瞬間、彼女の視界は激痛と共に反転した。いきなりの事に驚いて声を出すことすら出来ず、青肌の女性は地面に転がる。一体何が起こっているのか分からないまま青肌の女性が振り向くと、血に濡れた戦斧を持った兵士と、その足元に転がる自身の両脚が見えた。
「が…う…!」
一体何をされたのかを考えることを諦め、青肌の女性は立ち上がるべく両腕に力を込める。ゆっくりと彼女の身体が持ち上がって地面から離れた辺りで、切断された両脚が再生を始めた。
「これも駄目なのか…!」
「化け物め…!」
動揺と畏れの念が言葉となって兵士達の間から上がる。青肌の女性は両脚が再生するのを待ち、完全に再生し終わると力を込めて一気に立ち上がろうとした。
「かっ…!」
だが、それは真上から振り下ろされた戦斧によって妨げられる。上段で振り下ろされた戦斧はその重量を遺憾無く発揮して、青肌の女性の背中に刃を減り込ませた。青肌の女性はその衝撃に抗うことが出来ずに、再び地面に横たわる。
「何を見ている! 殺せないのならば、動きと止めるまで! 磔にしてしまえ!」
戦斧を振り下ろした兵士の一言で、周りの兵士は夢から醒めたように各々の武器を構える。そして地面に腹這いに横たわる青肌の女性に、ゆっくりと近づき始めた。
「うがぁ…! ぎゃっ!」
自身の背中に戦斧を叩き込んだ兵士を睨みつける。しかしそうしていられたのも束の間のことで、一瞬にして彼女の思考は全身を駆け巡る激痛に取って代わられた。
最初は喉に、次は太腿に、その次は腕に。青肌の女性の知能で認知出来たのはそこまでだった。蟻のように群がる兵士達が、各々の武器を次々と青肌の女性の身体に付き立てていく。力無く腹這いに横たわる女性の身体に、次々と刃が突き立てられていく光景は異様だったが、今この場でそれを疑問に抱くものはいなかった。ただただ誰もかもが、切っ先を青肌の女性へと向けて一寸の迷いも無く振り下ろしているだけだった。
「止めっ!」
最初に戦斧を振り下ろした兵士の一声で、兵士達が動きを止める。戦斧を振り下ろした兵士が手を左右に振ると、他の兵士達は彼に青肌の女性の姿が見えるように道を開けた。
地面に横たわる彼女からは、かつての妖艶さも猛々しさも消え失せていた。長剣や槍が身体中の至る所に突き刺されており、まるでハリネズミのようであった。手の指は何本かどさくさに紛れて踏み抜かれ、あらぬ方向を向いている。流れ出た血は周囲に広がって水たまりを作り、そこの中に腹から零れ出た腸や割れた頭蓋から漏れ出た脳髄、そして眼窩から押し出された眼球が転がっていた。
最早、どこからどう見ても生きているとは思えない惨状だった。常人ならば見ただけで胃の中を空にしてしまうであろう光景が兵士達の目の前には広がっていたが、彼等の中でそこらに胃の中身をぶちまける者は居らず、むしろ彼等の顔には安堵の表情すら浮かんでいた。
「死んだ…のか…?」
「やったか…」
表情を緩ませ、兵士達が呟きを漏らす。その中で戦斧を振り下ろした兵士は、青肌の女性の背中に突き刺さった戦斧の柄にゆっくりと右手を伸ばしながら、無残な様を晒す彼女の身体を見下ろしていた。
兵士の指先が柄に振れた。その瞬間、微かながら戦斧の柄が震えた。
「ッ! …まだ、生きてるのか…!」
咄嗟に手を引っ込める、兵士。周りの仲間達が不思議そうに彼に視線を向ける中、彼がぼそりと呟く。
彼が呟くと、周りの兵士達が弾かれたように一歩後退し、青肌の女性へと視線を向ける。
「嘘だろ…!」
折れ曲がった指が微かに動く。ボキボキという音共に指が元の形へと戻っていき、青肌の女性に突き立てられた剣や槍が微かに震えながらゆっくりと動き始めた。
「抜けるぞ! 押さえろ!」
最早神の所業か、そうでなければ悪魔の所業としか考えられない光景を前に言葉を失う兵士達。そんな彼等に今やるべきことを告げ、そして真っ先に行動したのはまたしても戦斧を青肌の女性の背中に叩き込んだ兵士だった。
彼は一歩近づいて自身の戦斧の柄を握ると、柄の先端近くに足裏を叩き込み、せり上がる肉によって抜けそうになって居た刃を押し込む。すると青肌の女性の身体が痙攣し、元の形に戻った彼女の指が苦しげに空を掻いた。
その光景を見た兵士達は再び青肌の女性に群がり、近くに刺さっている武器に手を伸ばす。そしてある者はその身体の白刃が突き立てられていない数少ない部分に、あるものを地面を踏みつけて力を込めて突き刺した。
せり上がっていた肉が再び断ち切られる。最初の方こそ突き立てられる度に青肌の女性に身体は痙攣していたが、すぐにその痙攣すら止んでしまった。だが、兵士達はその手を緩めようとはしなかった。
「そこのお前!」
「な、何です!?」
戦斧の刃を押し込んでいる兵士が、悍ましいものを見る目付きでその光景を見て居る兵士を呼び止めた。
「閣下にこのことを報告して指示を仰いで来い! この怪物、神導魔法でなければ対処出来…」
兵士の声は、突如として奔った地響きによって遮られる。
「な、何だ……何…!?」
兵士は指示を中断して、地響きのした方向へと視線を向けた。
その瞬間、彼の表情は凍りついた。それもその筈。彼等の眼前にそびえる南大門、
「何故、門が開いているのだ!」
その門が開かれ、今まさに民衆がなだれ込もうとしているのだから。
「ハッ、えげつねぇな。ベトコンだってもうちょっと紳士的だったろうに」
南大門の頂上、本来ならば兵士達が防衛線の時に弓を射かけたり油を流したりする場所に立ったヴィショップは、真下で茫然とした表情を浮かべる兵士達を眺めながら呟いた。
彼の周囲には、ここに配置されていた兵士達の死体が転がっており、むせ返るような血の匂いが身体に纏わりついていた。しかしヴィショップは特に堪えたような表情は浮かべずに、冷笑を浮かべて無数の武器を突き刺された青肌の女性の姿とその周辺の兵士達の姿を眺める。
「取り敢えずは、あいつが部隊長格か…」
突然の開門、そしてどんどんと大きくなっていく民衆の壁を前にして、怯むことなく指示を出し始めた兵士をヴィショップは見据えると、左手に持っていた魔弓をホルスターに納める。右脚を柵にかけ、膝に左腕を横にして乗せると、魔弓を握る右手を左腕の上に乗せて構え、狙いを定める。
ゆっくりと息を吐き出し、そして止める。その刹那、周りの喧騒全てが一枚の分厚いガラスを隔てて聞こえてきているかのような錯覚がヴィショップを襲った。その状態でヴィショップは狙いを兵士へと定める。
数秒の沈黙を経て、ヴィショップは引き金を弾いた。
腕を振るい、声を高々と張り上げていた兵士の声が不自然に途切れる。頭のあった場所から真っ赤な液体が周囲にばら撒かれたかと思うと、兵士はゆっくりと地面に崩れ落ちた。
指揮を取ろうとしていた兵士が倒れたことに気付いた兵士達が、慌てて倒れた兵士の許へと駆け寄る。ぼんやりと聞こえてくる声にはどれも強い動揺が滲んでいた。
「こんなもんか」
ヴィショップは右手を左腕の上から退かすと、右脚を地面に下ろした。次いで右手に持っている魔弓をぐるんと一回転させてからホルスターに突っ込む。
「さて、お転婆姫んところに合流するとするかな。あのブゥードゥー女のことも話さないとなんねぇし…」
ヴィショップは塀から離れ、下へと通じる階段に向かって歩きながら神導魔法を使おうと、呪文を思い起こした。
そしてそれを口にしようとした瞬間、ヴィショップの右手が凄まじい速度でホルスターに向けて伸びると同時に。外套の裾をはためかせて彼は身体を翻した。
「……お前か。正直、また会うことになるとは思ってなかったぜ」
ヴィショップが振り向いた時には、既にその右手には白銀の魔弓が握られていた。ヴィショップはその手にした魔弓を突き付けながら、その矛先に立っている人物に薄笑いを浮かべて語りかける。
「言った筈だ。もしこの場を生きて切り抜けることが出来たのなら、こちらから会いに行くことがあるかもしれない、とな」
真紅のローブに鳥を模した不気味な仮面を着けた人物は、魔弓を突き付けられているにも関わらず余裕さえ透けて見える口調でヴィショップの言葉に答える。
しかしその次の瞬間、ヴィショップが瞬く間すら与えずに魔弓の射出口を移動させ、無言で引き金を弾いた。
「成る程、そういうことか。お前にタマを付けずに産んでくれた母親に感謝するんだな」
魔弓が雄々しい雄叫びを上げて魔力弾を吐き出す。
しかし、ヴィショップの表情が一瞬だけ訝しげに歪んでいた。そして全てを理解して忌々しそうに言葉を漏らした。
「それを言うなら、思慮深い人間として産んでくれた、が正解だ」
仮面の人物は余裕を含んだ口調のままそう返した。その身体には微塵の傷痕も無ければ、一滴ばかりの血すら流れ出ていた無かった。
ヴィショップが撃ち込んだ魔力弾は、半透明の障壁に防がれることもなく、確かに仮面の人物の右太腿に着弾し、そのまますり抜けた。
それが示す事実はたった一つ。すなわち、今こうして自分の目の前に立っている仮面の人物は、本物ではなくホログラムのような実態が無い存在だということだ。
「またお得意の魔法か?」
「まぁ、そんなところだ」
ヴィショップの質問に仮面の人物は答える。ヴィショップはつまらなそうに鼻を鳴らして、魔弓を下ろした。
「弾を撃ち込めないのは残念至極だが、まぁ、意思の疎通が出来ればいいさ。何せ、訊きたいことは山ほどあるんだからな」
ヴィショップはそう言って、魔弓をホルスターに納めると外套の懐を探って煙草を一本取り出した。仮面の人物がこの場に居ない以上、魔弓など振り回すだけ無駄だった。
「ここに私が来れて居れば、火ぐらい貸してやれたんだがな。どうも強面の男が狙ってるようでそれもかなわない」
「その面に言われたくはねぇよ」
マッチで煙草に火を灯したヴィショップは、煙を吐き出しつつそう発した。
マッチを懐に戻したヴィショップの右手が、そっとホルスターに納まった魔弓のグリップの上に置かれる。ヴィショップは仮面越しに目の前の人物の視線がそこに注がれているのを感じながら、口火を切るのを待った。
「さて、こうして膝を突き合わせていることだし、自己紹介の一つでもしようか?」
「そうだな。じゃあ、名前でも教えてもらおうか」
ヴィショップが返事を返すと、仮面の男はしばし考えるような素振りを見せてから答えた。
「魔術師…とでも名乗っておこうか」
「ハッ、手品師か。小細工好きの虚仮脅し野郎にはお似合いの名前だな」
嘲りの笑みを浮かべてヴィショップは仮面の人物の呼称を皮肉ってみるも、仮面の人物は激昂することも苦笑を漏らすこともなく、反応は極めて淡泊なものだった。
仮面の人物…マジシャンは、ヴィショップの皮肉には付き合わずにヴィショップに言葉を投げかける。
「お前の名は知っているから構わないぞ。それより、私はお前に一つ訊いておきたいことがここに来たんだ。この国を離れる前に、な」
「フン、負けが見えたから尻尾を巻いてママのパイオツまで逃げ帰るって訳か?」
挑発的な態度を貫く、ヴィショップ。事実、マジシャンそのものがこの場に居ない以上、マジシャンの神経を逆撫でするような言葉を吐くこと以外でマジシャンに立ち向かうことは出来なかった。
「いや、違う。この国に居る意味が無くなったからだ」
「…その意味とやらには、あの女のことやカタギリも関わってんのか?」
ヴィショップが問いかける。仮面に隠されてその表情がどのように変化しているのか、ヴィショップには分からなかった。だがそれでも、今しがた自分が発した言葉がマジシャンを名乗るこの人物の心を毛ほども揺さぶれていないことは、返事が返ってくる前から自覚出来ていた。
「地下でもカタギリについて訊こうとしていたな。『パラヒリア』で会った男も同じことを訊いてきたぞ。行動を別にしたので関係は切れたと思っていたが、やはり違ったみたいだな。むしろ、『パラヒリア』と今回の件は繋がっていると考えるべきか」
「質問の答えになってないぜ、手品師。お前のこの国での目的は何だ? 『パラヒリア』の領主を何故殺した? カタギリとの関係は何だ?」
「そう焦るな。それらの質問には答えられる範囲で答えてやろう。それが礼儀というやつだからな」
マジシャンは肩を竦めてそう返した。マジシャンの発した“礼儀”という言葉にヴィショップは引っ掛かりを覚えたものの、マジシャンはヴィショップがそれを追及する前に質問に対して答え始めてしまった。
「まず、カタギリとの関係だが、これは薄々気づいているんじゃないか?」
「…つまり、答えはイエスか」
「その通りだ。そしてその関係はお前の…いや、お前達と“主”との関係と同一のものだと考えていい」
マジシャンの言葉を受けたヴィショップの脳内で、“礼儀”という言葉に続いて“主”という言葉が巡っていく。
ヴィショップは生まれてこの方、他人を自分の主として認識したことはなかった。そして“お前達”という言葉が差しているのは、ほぼ間違いなくヴィショップ達四人であることから考えて、その主とやらはヴィショップだけでなく同時に他の三人の主でもあるらしかった。しかし、少なくともヴィショップは死んでこの世界に飛ばされてくるまで、他の三人と出会ったことは一度も無い。
(まさかその主ってのは…!)
やがてヴィショップの思考が一つの結論へと導かれる。マジシャンはヴィショップが思考を巡らさているのを黙して見ていたが、ヴィショップがその結論へと辿り着いたところで、再び言葉を紡ぎだした。
「次に、『パラヒリア』の領主を殺した理由だが、あれはただ単なる後始末だ。ただ子供を弄り殺す以上のことをやっていたのをべらべら喋られると面倒なのでな。もっとも、お前が絡んできたおかげで結果としては不要な殺しになってしまったが」
「成る程。あのペド野郎、こっちでも同じことしてる訳か」
ヴィショップが答えに行きつくまで、今度は数秒と要さなかった。何故なら彼自身、生前に子供を殺し屋に仕立て上げるというカタギリのやり口を、身をもって体験していたからだ。
「そういうことだ。そして最後の、この国を訪れた理由だが、それはお前達の主の候補がここに居たからだ。そして目論見通りにその男がお前達の主となった場合、事を有利に運ぶためにな」
「俺達の主が…この国に居るだと…?」
ヴィショップの顔が驚きに歪む。
仮面の男はゆっくりと頷いた。
「そう、お前達の主…つまりは、お前達をここ『ヴァヘド』とは異なる世界から呼び寄せた召喚士のことだ。私はてっきり世界最高レベルの使い手である、ここの国王がそうなるのではないかと考えていたのだが、それはどうやら間違いだったようだ。事実、あの男がそれらしき魔法を使ったことはなかったし、お前等の存在が確認されたのはこの国の外だったしな」
驚愕が意識の集中をゆっくりと犯していく一方で、ヴィショップの思考はマジシャンの言葉を受け入れ始めていた。
マジシャンの語る国王…つまりガロスは、神導魔法の使い手である。そしてその神導魔法の名前の由来となった存在は女神であり、ヴィショップ達をこの世界へと導いた女性もまた、神を自称しそれに神を名乗るに相応しい所業をやってみせた。例え確定するのが早計だとしても、この世界で崇められている女神とヴィショップ達をこの世界に導いた女性は同一の存在である可能性が非常に高い。そしてその二つの存在が同一だと仮定した場合、それに由来を端する神導魔法を使って同じようなことが出来たとしても不思議ではなかった。
しかしそれよりも大きな疑問が、ヴィショップの中では生まれ始めていた。
(こいつが俺達をこの世界に呼ぶ存在としてガロスに目を付けたのは、何とか理解出来る。だが、何故こいつは俺達がこの世界に呼ばれることを予め知ってたんだ…!?)
マジシャンの言い振りは、まるでヴィショップ達がこの世界に来ることを知っている様であった。実際、こうしてヴィショップ達は『ヴァヘド』へと送られてきているものの、それはこの世界に住む何者かによって送られたのではなく、この世界を作ったと歌われる女神を思しき存在によってである。あれが本当に女神であったかどうかを抜きにしても、彼女が行おうとしていたことが風の噂で流れてくることなどまず有り得ないだろう。
では、マジシャンは一体どうやってヴィショップ達がこの世界に送り込まれることを知ったのか。それが、ヴィショップが次にマジシャンに投げ掛けた疑問だった。
「それは、そういう定めだからだ。しかるべき時に、我が君の駒が揃い、しかるべき時にかの者の駒が揃う。そして、戦いが始まる」
「どういうことだ? お前の裏に黒幕が居るのか? 戦いだと? 一体、誰と誰との戦いだ? 何を巡っての戦いだ?」
「我が君とかの者の代行者。つまり、我々とお前達との戦いだ。そして勝者が勝ち得るのはたった一つ、覇権だよ」
ヴィショップの口から、煙草が零れ落ちる。意識的に作り出していた挑発的な態度は最早消え去っていた。今、ヴィショップの意識を支配するのは自身の理解の範疇を超えた事象を少しでも解き明かそうと欲する欲求のみだった。
「覇権だと? 何の覇権だ! 勝った奴は、何を支配するんだ!?」
「決まっているそれはこの世だ。勝ったものが、この世界を支配する権利を得るのだよ」
ヴィショップの問いに、マジシャンは芝居がかった言葉で答えていく。その言葉の真意は、真上から日の光を当てられているかのように明瞭であると同時に、深い霧に包まれているかのように曖昧模糊だった。
ヴィショップの表情に苛立ちの色が浮かぶ。そしてなおも追求を続けようとした瞬間、ヴィショップは気付いた。自分に相対し、言葉を交わしているマジシャンの姿が段々と景色に溶け込むかのように薄くなっていることに。
「逃げる気か…!」
「残念ながら、私は直接自身の手で君を殺すことを許されていないのでね。駒を使った戦遊びと同じさ。相手の駒を撃てるのは同じ駒のみ、プレイヤーが拳を振り下ろして駒を破壊するのはルール違反だ。そうだろう?」
さも当然の摂理を語るかのような口調で告げたその言葉を最後に、マジシャンの姿は初めからそこに居なかったかの様に消え失せた。
ただ一人その場に残されたヴィショップは、無言でマジシャンが立っていた場所を睨みつける。そして咄嗟に伸ばされて宙を掻いた手を、ゆっくりとヴィショップは開き、そして下げた。
脳裏で今しがたマジシャンの語った話が、ぐるぐると渦巻いていた。マジシャンが話した話の内、大半はまだその言葉の真意を掴むことが出来ない類のものであったが、一つだけヴィショップがはっきりと確信出来たことがあった。
それは、この世界で自らが、そして他の三人が追うべき存在。この世界へと送り込まれた彼等に望まれていることが、何なのかということだった。
「…………」
口を噤んだまま、ヴィショップは下から聞こえてくる喧騒に惹かれるかのように柵へと近づいて地上を見下ろした。
見下ろした先では、門から流れ込んできた民衆が兵士達と戦いを繰り広げていた。質こそ兵士の方が勝っているものの、量と勢いで勝る民衆は兵士達に全く退けを取っておらず、兵士達は波打ち際の砂のようにどんどんと後退していっていた。
農具を改造した粗末な槍で兵士の喉が抉られ、首元から血を吹き出しながら地面に倒れる。兵士の振るった剣が民の頭の半分程まで食い込む。両者の戦いの手は一瞬たりとも止まることはなく、死体は数秒が過ぎるごとにどんどんと増えていき、周囲の者は倒れた仲間や敵の死骸を踏み砕いて武器を構える。
まだ戦いが始まって間もないというのに、既にヴィショップは下から自分の立っている場所まで強烈な死と血の匂いが込み上げてきている錯覚に襲われた。死と暴力と叫びが渦巻く眼下の光景は、まさしく地獄に相応しい光景だった。
ヴィショップは…その光景を生み出した張本人は黙ってそれを見下ろしていた。彼が手を貸さなければ、革命が起こるのはもっと先だっただろう。彼が手を貸さなければ、国王の軍勢と民衆の軍勢がここまで拮抗することはなかっただろう。今眼下で繰り広げられる…いや、この一日の間で死んだ全ての人間がヴィショップの手によって殺されたといっても過言ではないだろう。事実、『グランロッソ』を参戦させ、ドルメロイを脱獄させ、ガロスに対する唯一の切り札を突きとめ、レジスタンスや民衆に戦いをけしかけ奮起させたのは、他ならぬ彼自身なのだから。
故に、この時ヴィショップはその言葉を呟かずにはいられなかった。数多の労力と死人を出した末にマジシャンが彼に突き付けた先程の言葉は、ヴィショップにその言葉を吐き出させるだけの重さを持っていた。
「無駄足、か…」
『スチェイシカ』という国も、ガロス・オブリージュも、ヴィショップ達の旅とは何ら関係の無い存在だった。
ヴィショップ達が追うべき存在、それはマジシャンを名乗り死んだはずのカタギリと行動を共にしている仮面の人物だったのだ。




