ギルド加入
「いやぁ、それにしても、口達者だとは思ってましたけど、ここまでとは思ってませんでしたよ」
燭台を持って前を歩くレムに悟られないように、ミヒャエルが小声でヴィショップに話し掛ける。
応接間での会話を終えたヴィショップ達は、レムとフレスの先導によってこの屋敷の主であるフレスの両親の許に向かっていた。
屋敷の中は薄暗く、基本的に灯りと呼べるものはレムの手の上の燭台と、所々火を灯されている、壁に取り付けられた謎の光源だった。それは電灯に似ていたものの、それをそのまま電灯だと思い込む程ヴィショップは愚かでは無かった。ヴィショップがレムの後ろ、四人の少し前を歩くフレスに訊ねてみたところ、不思議そうな顔をしながら“神導具”だと教えられた。何でも、神導教会が販売している神導魔法を封じ込めた様々な道具の一種らしく、話を聞く限り電灯と大した違いは無いようだ。また、魔弓とは違い、使用する際に魔法関連の素養は一切必要ないらしく、社会に広く普及しているとのことだ。
「まぁ、人間、歳を重ねればこんぐらい出来るようになるさ」
「そういうもんっすか。何か、大人のドス黒さを感じさせますね」
「…テメェも、充分大人だろうが」
ミヒャエルの漏らした言葉に、ヴィショップはくだらなさそうに言葉を返す。
「でも、あんなこと言って大丈夫なんすか?これでもし、両親の病気を治せとか言われても治せるんですか?」
「武具店の店主曰く、便利屋の寄合であるギルドに、いくらなんでもそんなお門違いの仕事を持ち込む程、あのガキは頭足らずではねぇだろ。まぁ、仮にもしそこまで救いようの無いオツムの持ち主だとしたら、適当に医者でも掻っ攫ってくるか、トンズラこくさ」
ヴィショップは鼻で笑うような口調でそう言うと、話は終わりだとばかりにミヒャエルの肩を叩く。
「この先が侯爵夫妻のお部屋になります。階段がございますのでご注意ください」
そんな二人を余所に、レムはそう告げると蝋燭の灯りでぼんやりと照らされた階段を上っていき、フレスと四人もそれに続く。螺旋状の階段を登り切ると、目の前に僅かながらに装飾も施された木製の扉があった。もっとも、こちらは応接間の家具などとは違い、木という素材本来の良さを引き出す為に意図的に装飾を少なくしている感じだった。
「お父様、お母様、会わせたい人達が居るの。今、大丈夫かしら?」
レムが一歩横に下がると、フレスが扉に近づいてコンコンと二回叩いてから要件を告げる。
「あぁ、大丈夫だ。お通ししなさい」
一拍置いて扉の向こうから返事が返ってくる。その声は威厳と静けさが見事に同居しており、ヴィショップが嘗て頭を下げていた大物政治家を彷彿とさせる声音をしていた。足りないものと言えば、その裏に潜んでいた力強さぐらいなものだ。もっとも、その大物政治家も、とっくの昔に身に覚えの無い児童買春関連の疑いを掛けられ、一家心中の果てに土の中だが。
レムが扉を開け、フレスが扉をくぐる。それに続いた四人が見たのは薄暗い部屋の中でベッドから上半身を起こしてこちらに向き直っている、白髪で長髪の見るからに不健康そうな痩せ細った壮年の男性だった。
「こんな姿で申し訳ない。私はバレンシア家第十八代目頭首、ローマン・バレンシアだ。貴方方は?」
「ヴィショップ・ラングレンと申します。他の三人がウラジーミル・レズノフ、アブラム・ヤハド、ミヒャエル・カーター。フレス・バレンシア殿から依頼を引き受けた、ギルドの人間です」
「ほぅ…」
ヴィショップは軽く挨拶を済ませると、フレスから依頼を引き受けるまでの顛末大まかにを語った。
「そうか、そんな事があったのか…。とりあえず、娘が迷惑を掛けてしまったことを謝らせてもらおう」
「いえ、その必要はありません。フレスさんの行動は御両親を想ってのものですし、それにどちらかと言えば我々が首を突っ込んだようなものですから」
「そう言ってもらえると、こちらとしても助かる」
ヴィショップの返事を聞いたローマンが、ハハハと笑い声を上げる。ヴィショップもそれに合わせて小さく笑うと、ローマンの笑い声が治まったところを見計らって、本題を切り出す。
「さて、ローマンさん。出来ればここで依頼の内容などの確認を済ませておきたいのですが、よろしいですかな?」
「あぁ、構わんよ」
「そうですか。ところで、奥さんはどちらに?」
ヴィショップがそう訊ねると、視界の端でフレスの肩が僅かに震えた。そのまま少し視線をずらせば、俯きがちになっているレムの顔を確認することも出来た。
「……隣の部屋で寝ている。妻は私より症状が重く、もう一ヶ月以上目を覚まさないのだ…」
ローマンが左の壁にある白い扉を見つめながら、悲しそうに告げる。
(一ヶ月以上意識不明…ね…。生命維持装置なんてもんも無さそうなのに、よくもたせられるもんだ。それとも、魔法関連の技術が関係してんのか?)
「それは…さぞお辛いことでしょうね…」
頭の中では全く方向違いなことを考えながら、ヴィショップはさも気の毒そうに言葉を掛ける。
「…あぁ、まったくだ。私の妻、ルミーネは『クルーガ』一とまで言われる美しさの持ち主だった。だが、今ではその美しい手足は痩せ細り、女神ですら輝きを失うとまで称えられた美貌も病によって蝕まれ…」
「なぁ、ローマンさんよ。その話にトイレ休憩は…」
「まったくもって、運命とは残酷なものですな!我々としても、一言耳に入る度に心が裂かれる思いです!治す手立てがあるならば、すぐにでも行動に移しますのに!」
ヴィショップは、欠伸をしながら口を挟もうとしたレズノフの脇腹に肘を入れると、捲し立てるようにして言葉を発する。
「お、おぉ、そうだな。話が少し逸れてしまったようだ」
ローマンは少し戸惑いつつも、話が逸れていたことを認めると、フレスへと視線を移して軽く頷いてみせた。それを見たフレスは驚いた表情を浮かべていたが、ローマンの視線が動こうとしないのを悟ると、深呼吸をしてから進み出て、ヴィショップ達とローマンのどちらの視線も真っ向から受け止められる立ち位置に移動した。
「では、依頼人である私の娘が説明するとしよう」
ローマンがヴィショップ達の方を向いて、そう告げる。そう宣言されたのが気恥ずかしかったのか、フレスは思わず小さくお辞儀をしてから依頼について話し始めた。
「じゃ、じゃあ、依頼について説明させてもらうわね。といっても、内容自体はそんなに複雑なものじゃないわ。今、私の父様と母様が罹っている病気の治療薬である、“バウンモルコスの魂骨”を取ってきて欲しいの」
「ば…ばうん…何だと?」
ヤハドが聞き返すと、フレスは一文字一文字をはっきりと発音しながら名前を言い直す。
「バウンモルコスよ。高さは二階建ての家程もあり、長さは馬十数頭程はあると言われる、百足に似た大型の魔獣。基本的に辺境の洞窟などに生息していて、短期間に大量の子供を産み落として、巣を守らせているわ」
「ほぅ。まぁ、色々と興味深そうな奴だが、それだと少なくともこの辺には棲んでなさそうだな」
(魔獣…害獣の一種か…?それにしちゃ、規模がデカ過ぎる気がするが…?)
ヴィショップは頭の中で新たに出てきた存在について考えつつも、それをおくびにも出さずにフレスに質問をぶつけると、フレスは頭を少し傾げながら答えた。
「それが、どういう訳か『クルーガ』の近くにある遺跡に棲みついてるのよね。けっこう大きな遺跡だから大きさ的には問題無いんだけど、バウンモルコスは臆病な性格で他の生物との関わりを殆ど持たないと言われるのよ」
「ふぅん…」
フレスの言葉に、ヴィショップは呟きのような返事を返す。その頭の中では、この世界に送られる際に女神をを自称する女性が言葉にした、“世界の存在を左右する問題”という一言が渦巻いていた。
一方でレズノフは、考え込んでいるヴィショップに代わってフレスに質問をぶつけていた。
「で?そいつの…魂骨…?とかいうのを持って来ればいいのか?」
「その通りよ。バウンモルコスの魂骨にはありとあらゆる病気を癒す効力があるの」
「そいつはスゲェな。ところで、魂骨って何だ?」
「バウンモルコスの心臓を覆っている骨のことよ。何故かは分からないけれど、艶のある美しい漆黒の色を宿しているの。薬としての価値とは別に、美術品としての価値もあるのよ」
フレスの言葉を聞いたレズノフは、納得したように首を縦に振る。すると、今度はミヒャエルが何かに気付いたかのような表情でフレスに訊ねた。
「もしかして、誰もフレスさんの依頼を引き受けてくれなかったのって、そこら辺の事情が関係してるんですか?」
「うん…半分ぐらいはね…」
「半分?」
ミヒャエルが聞き返すと、フレスは一回首を縦に振ってからその経緯を話し始める。
「実を言うと、私達が依頼を出すより前にギルドが自発的に討伐隊を派遣することを決定してしまったの。いくら巣から離れない性質の魔物とはいえ、そんじょそこらの魔物より遥かに強力な魔物だから、万が一町にやってきたら大変だって。それに、放っておいてもいつか捕食期が来るし…」
「捕食期?」
「えぇ。基本的に巣から離れず、狩りも行わないバウンモルコスが、唯一餌を求めて活動する時期のことをそう呼ぶの。正確なことは分かっていないけど、過去の記録によると生息していた森の他の生物を粗方食べ尽くしたみたいだから、『クルーガ』の人間の殆どを食べてもおかしくわないわ」
「えっ…肉食ですか…。勘弁してくださいよ…」
フレスの説明を聞いて、ミヒャエルが嫌そうな声を出す。
「ふん。ギルドがそのバウンモルコスの討伐の音頭を取るのは理解出来た。つまり、その依頼があるからお前等…フレス・バレンシア達の依頼は受け入れてもわえない訳か」
ヤハドが、ヴィショップに肘を入れられて呼び方を訂正しつつ、フレスの依頼を誰も引き受けなかった理由を言う。フレスはそれに対しうーんと少し唸ってから、ヤハドの考えを訂正する。
「結果から言えばそうなるわ。でも、ギルドメンバーには依頼受注の自由があるから、必ずしもギルド主催の方を受けなきゃいけないという決まりは無いの」
「じゃあ、なんで引き受けてくれないんだ?」
「それは…向こうの方が報酬が高いからよ…」
フレスが少し気まずそうにそう言うと、四人は納得して首を小刻みに縦に振った。
ローマンのこの状況からして、恐らく伯爵としての義務を長いことこなしていないのであろう。ヴィショップ自身、貴族のシステムについて詳しい訳では無いものの、それを理由に収入は激減し、病気に対する治療(見ているかぎり効果が出ているとは思えないが、そんな事例は“元”の世界でも腐る程存在した)への出費が重なることで現在の財政難を引き起こしているのは想像し難くはない。ギルドの報酬がどれぐらいのものなのかは知らないが、応接間でのフレスの言葉を聞く限りこの町に存在するギルド全てが共同して進めている討伐計画と考えていいだろう。となれば、その報酬が、いくら侯爵家といっても家具を売り払う程に追い詰められている現在のバレンシア家では捻出する程の出来ない金額にまで膨れ上がるのは何らおかしなことではない。
それに加え、フレスの説明では対象となる存在は単体での危険度が高いだけではなく、数も多いらしい。それならば殆どの人間はより高い報酬の方に飛びつくであろう。バレンシア家の現状から考えてコネクションを手に入れたところで実入りが少ない可能性が高いのも、依頼の選定に一役買っているのかもしれない。
(まっ、思っていたより実入りが少なそうだが、本当に欲しいのは金でもコネでもねェしな…)
もっとも、だからといって今更依頼を受けないという選択を取る気はヴィショップには無かった。元々今回の依頼に於いて重要なのは依頼主が貴族であるという点なのだから。コネクションへの期待が持てないのは些か不満が残るものの、何も貴族の依頼を受けることで手に入るモノは金やコネクションだけではない。名を売ることが出来るのも立派な恩恵の一つだ。ヴィショップ自身、この町に留まり続ける気は全く無く、例の“問題”とやらの手掛かりを探す為に各地を巡るつもりである。その際に、実力と名を広めることが出来ていれば、“問題”とやらへの介入もし易くなることだろう。少なくとも、毎回このような手順を踏む必要は無くなる。
「あれ?でもギルドはそのバウンモルコスとかいうのをやっつけるだけなんですよね?じゃあ、その魂骨とかいうのも頼めば譲ってもらえるんじゃ?」
「ここでさっきの話に戻ってくるって訳か。そうだな、嬢ちゃん?」
「そういう事。美術品としての価値目当てに欲しがる貴族が何人も居るのよ。基本的に実利優先のギルドでは、価値のある魔獣の一部分とか薬草とかを取ってきたらオークション形式で販売しているの。ギルドの報酬を超える金額すら出せない私達では、どうやったって勝ち目は無いわ…」
俯きながらそう言ったフレスの両手は、小刻みに震えていた。恐らくは、自分がどれだけ両親のことを想って魂骨を欲しても、結局は金という壁を越えられない自分の無力さ、そして何より、その金や装飾品としての価値などといった物欲的な理由で魂骨をフレスへと譲ろうとしない人々への怒りが、彼女の中で渦巻いているのであろう。「何故苦しんでいる両親の為に使わせてくれないのか!」と。
(健気で愛情に富み、正義に燃えて…それでいて傲慢な発想だな…)
「よし、状況は大体理解出来ました。夜も遅くなってきたし、そろそろ頃合いでしょう」
小さく震えるフレスの体から見透かすことの出来た、フレスの本音とも言える感情に対し、心中で一言だけ呟くと、ヴィショップは窓にチラリと視線を移してからそう告げた。
「おぉ、言われてみればその通りだ。今、レムに部屋を用意させよう」
今まで黙ってフレスの話を聞いていたローマンはヴィショップの言葉に同意すると、レムへと視線を向ける。その視線を受け取ったレムは、軽くお辞儀をしてから部屋を後にした。
「すいません、手間を掛けさせてしまって」
「いや、これぐらい大したことではない。だが、強いて言うとしたら、一つだけ質問してもいいかね?」
「どうぞ、ご自由に」
ヴィショップが笑顔で答えると、ローマンも笑顔を浮かべながらヴィショップに訊ねる。
「それで、君達が望む報酬とは、一体何かね?」
そう告げるローマンの表情には、言いようもない凄みがあった。部屋に入ってから今の今まではずっと欠けていた、豪胆さが確かに存在していたのだ。
ヴィショップはそんなローマンの姿に、いよいよあおの大物政治家の姿を重ね、苦笑しつつもその問いに答える。
「そうですな。まだ具体的な金額は聞いてませんが、取り敢えずは予定していた報酬の半額を頂きましょう」
「それだけかね?」
「図々しいでしょうが、それだけではありません。あと、我々の身分証明証を作って頂きたいのです。この町のように、入るだけで金を払っていたら色々と不便ですからね」
ヴィショップはそう答えると、ニッコリと笑って相手の返事を待つ。
元より名前を売る以外の成果は、応接間での会話の時点で殆ど諦めていた。それにハナからこの依頼の意味は金や物ではなく、成功することによるある程度の地位の確立にあった。その為、ヴィショップはバレンシア家が没落しかかっており、誰のからも見捨てられているという状況でさえ好都合なものだと考え始めていた。実利で勝るギルドを切り捨て、親の命を救いたいと願う少女に力を貸す新人ギルドメンバーなど、いかにも大衆受けしそうな話だ。もしかしたらインコンプリーターであるが故のヴィショップの待遇も少しはマシなものになるかもしれない。
とにかく、元々報酬自体に期待を掛けていないヴィショップにとっては、手に入る金額などどうでも良い。半額にしたのも少しでも自分達を人畜無害で清廉潔白な人間に見せる為だ。名前を広めたところで、それがもたらす成果が他人の警戒では意味が無い。だからといって欲を失くしすぎても逆に怪しまれる。身分証明賞を要求したのはその為だ。それに持っていたところで損は全く無い。
「そんなものでいいの?だったら簡単に用意できるわ。ね、父様」
「ふむ…」
意外そうな表情を浮かべながらも、表情自体は明るいフレスとは対照的に、ローマンの表情から笑顔は消え去っており、代わりにヴィショップ達を見定めるような眼差しが存在していた。
ヴィショップ達に身分証明証を渡すといのは、ヴィショップ達の立場をバレンシア家が保証するということである。当然、ヴィショップ達が問題を起こせばバレンシア家にも追求が及ぶ可能性がある。となれば、身分証明証を渡すかどうかの判断は慎重に下さなければならないといえるだろう。
「分かった。成功したあかつきには君達の身分証明証を手配しよう」
「有難うございます。悪用するようなことは決して無いと誓いますので、どうぞご安心ください」
だが、それも現在の状況を鑑みれば難しい話だ。他に縋る者の居ないバレンシア家は、ヴィショップ達という唯一の協力者を手放さないよう、ある程度の条件は受け入れなければならない。
「良い心掛けだ。君達を信用しない訳ではないが、それでも家長として、そういったことも考えなければいけないのでな」
「いえいえ。むしろ、そういうことにちゃんと気を配れるのは、ローマンさんが優秀だということの証明ですよ。
ローマンがすまなそうな顔で言った言葉に対して、ヴィショップは笑顔を浮かべながら世辞を返す。
「さて、もう少しでレムが準備を整えて戻ってくるだろう。それまでここで待っていてくれたまえ。ところで話を聞いた限り、食事はまだ済ませてないみたいだね?部屋の準備が整ったら、レムに作らせて運ばせるとしよう」
「すいません。至れり尽くせりしてもらいまして」
「いやいや、君達にはこれから危険度の高い仕事を引き受けてもらうんだ。これぐらいのサービスは当然のことだ」
そう言って、ローマンは笑みを浮かべ、それに倣ってヴィショップも笑みを浮かべた。だが、両者の笑みには上辺だけでは到底判別出来ない違いが存在していた。本物とそれに似せた精巧な偽物という違いが。
その後、ヴィショップ達は部屋の支度を終えたレムが戻ってくるまでの間、ローマンやフレスと世間話をして時間を潰し、レムが戻ってくると宛がわれた部屋へと案内され、運ばれてきた食事を摂って床に就いた。
こうして、ヴィショップ達の新たなる世界での最初の一日は幕を閉じたのであった。
「うっ…くそっ……朝か…」
何が音源なのかは分からないが、断続的に続く風を切る音に反応して、ヴィショップは目を覚ます。
最初に視線を落としたのは自分が横たわっていたベッド。次は小振りの壺の様なものがぶら下がっている天井。そして高級感のある壁紙が貼られた、机と花瓶と箪笥、人の居ない二つのベッドと人の入ったベッドが一つあるだけの部屋。そのどれもが、ヴィショップとは馴染みの無いものだった。
(そういや、別の世界に来たんだっけか)
改めて自分が元居た世界とは別の世界に来ていることを実感し、ヴィショップは思わず溜め息を吐く。別の世界に居るという現状は現実であって夢ではないことは既に確認していたが、一夜を過ごしたことによって、もしかしたらという希望が生まれていたのかもしれない。
ヴィショップはそんな自分に対してもう一度溜め息を吐くと、レズノフとヤハドを探し始める。ミヒャエルはベッドで寝ていたので直ぐに姿を確認出来たが、他の二人はベッドに居なかった。もし起きているだけならそれでもいいが、そのまま部屋の外に出たとしたら少し厄介なことになりかねない。レズノフにしろヤハドにしろ、下手に出るという行動とは基本的に無縁の存在だ。路地裏では緊急性の高さから芝居を打ってくれたが、それ以外ではどう出るか分かったものではない。
(とにかく、部屋の中に居ねぇか確認するか…)
ヴィショップはそう考えてベッドから出ようとする。起きて早速面倒事に駆り出される羽目になり、悪態の一つでも吐きたい気分だった。だがヴィショップにとって幸運なことに、レズノフの行方は、悪態がヴィショップの口から出てくるより早くに判明した。ヴィショップを起こした風を切るような音の正体と同時に。
「オゥ、ジイサン、起きたのか」
「何やってんだ、お前…?」
ヴィショップが風を切るような音に反応して視線を横に向けると、そこには銀髪を短く刈り上げた大男、ウラジーミル・レズノフが拳を突きだした状態でヴィショップの方を向いていた。
「何って、朝の鍛錬さ。ヤハドも外でやってるぜ?」
「そうかい。そいつはご丁寧にどうも。だが、何で裸なんだ?」
ヴィショップは、一糸纏わず切り傷や銃創が刻み込まれた素肌を剥き出しにして拳を振るうレズノフを見て、呆れたように訊ねた。
「何、やっぱ汗かくからな。こっちの方が都合がイイんだよ」
「あっそ…。それより、さっさと服を着ろ。出かけるぞ」
ヴィショップは枕の下から白銀の魔弓を取り出しベッドから出ると、ベッドで寝たまま目を覚まそうとしないミヒャエルの許に近づき、顔を張り飛ばす。
「痛ぁ!?何すか、何すんですか!?」
「起きろ。出かける準備だ」
「あれ、アンタ誰?」
「寝ぼけてんじゃねぇ、ボンクラ」
ヴィショップは不思議そうな表情を浮かべているミヒャエルの顔をもう一度張り飛ばすと、出かける準備の為にベッドの横に置いておいた自分の荷物の許へと戻る。
「で?出かけるのはいいとして、どこ行くんだ?」
レズノフが袋の中からズボンと洋服を取り出しながら、ヴィショップに訊ねる。
「ギルドだ。いくら依頼を引き受けたとはいえ、まだ俺達はギルドに加入してないからな。言わば口約束の状態だ。それを今から正式な契約に変えに行くのさ」
ヴィショップはそう告げると、カウボーイハットを被り、外套と袋を持って、部屋の扉を開けた。
ヴィショップ達がバレンシア家で宛がわれた部屋を出てから数十分後、フレスによって半ば強引に朝食の席に着かされるなどのトラブルがあったものの、四人は無事にギルド『蒼い月』の目の前へと辿り着いていた。
「よし、ここで間違い無いな。いくぞ」
「いや、ちょっと待って下さいよ」
早速、大きさでは劣るものの傘下の店である『水面の月』に似たデザインの建物へと入ろうとするヴィショップを、ミヒャエルが引き止める。
「何だ?」
「いや、何でよりによってここなんですか!?出かける時に、『蒼い月』だけは止めておけって言われて、他のギルドの場所まで教えてもらったじゃないですか!?」
声を大にして抗議する、ミヒャエル。
その言葉通り、ヴィショップ達は朝食の際に、この町に存在する『蒼い月』以外のギルド、『ベイヴルーム』と『双頭の牡牛』の場所をフレスから教えられていた。というのも、『蒼い月』というのはこの町に存在する三つのギルドの中でずば抜けて質が悪いらしく、殆ど無法者達の溜まり場になっているとのことである。専属の死体掃除屋が居るという噂まで流れている程だ。
「別に構いやしねぇよ。そんな手合い、LAじゃ毎日のように付き合ってたしな。むしろ、そういう環境でやった方が名前も売りやすいだろ。それに、無茶やっても金次第で流してくれそうだしな」
ヴィショップはミヒャエルの抗議を一笑に付すと、安っぽさを派手な装飾で誤魔化しているセンスの無い扉へと近づき、扉を開く。
「それに、こういう雰囲気の方が俺は向いてる」
そして『水面の月』に勝るとも劣らない程に荒くれ者の溜まり場となっている中の光景を見て、満足そうに表情を浮かべると、奥に見える窓口へと歩を進める。
「そんなぁ…」
「まっ、諦めろや、な?」
「俺は好きじゃないがな」
そしてその後ろを、三人が口を動かしながらついていく。
「よぉ、ネェちゃん。ギルド加入の受付はここで良いのかい?」
「そうでーす。で?名前は?」
ヴィショップが、窓口で退屈そうにパイプを吹かしている女性に話し掛けると、女性が面倒臭そうに名前を訊ねる。
「ヴィショップ・ラングレン」
「ウラジーミル・レズノフ」
「…アブラム・ヤハドだ」
「ミヒャエル・カーターです」
「はいはい。んじゃあ、これに名前書いて」
四人の名前を聞いた女性は、ヴィショップ達に四枚の紙を渡す。ヴィショップ達は、眉間に薄っすらと青筋を浮かべているヤハドを除いて素直に紙に自分の名前を書くと、女性に渡した。
「はい、ドウモ。…そっちのお兄さん、まだぁ?」
「黙ってろ、このアバズレめ…!ほら!」
「ったく…。ちょっと待っててよね」
女性は四人の名前が掛かれた紙を持って大儀そうに窓口の奥へと引っ込む。そして数分後、ヤハドが女性への悪態を吐き終えるころになって戻ってくると、四人に薄い鋼鉄製のカードを渡した。
「はい、これで晴れてアナタタチもギルドメンバー。オメデトー。依頼はあっちに張り出してあるのをこっちに持って来れば受けられるから。あぁ、でも今すぐは止めてよね。働いて疲れたから休憩しなくちゃ」
「あぁ、ありがとよ」
ヴィショップはそれだけ言うと、さっさと椅子に座ってパイプを吹かしだした女性に掴み掛りかねない状態のヤハドを、レズノフと共に引きずりながら女性に教えられた掲示板のところに移動する。
「よし。これで取り敢えずは、ギルドの一員になれた訳だ。では、さっそくクライアントの仕事を受注するとしますか」
「俺にやらせろ、欧米人!あのアバズレめ、本当の女性としての振る舞いを叩き込んでやる…!」
「ふぅーん、こいつがギルドメンバーの証ねェ…」
「素材は鉄みたいですけど、どうやって作ったんでしょうかねぇ……んっ?何か、記号みたいのが…」
依頼が書かれた紙が張り出されている掲示板の前に来ると、女性に手渡されたカードに興味津々な二人を尻目に、ヴィショップとヤハドがフレスの依頼した仕事を探し始める。
「えっと…結構あるな…。どこだ、嬢ちゃんの依頼は…」
「…あったぞ!」
「よし、それ持って、さっそく…」
フレスの依頼が書かれた紙を見つけ、その紙を持って窓口に駆け込もうとする、ヤハド。だが、その動きは背後から聞こえてきた男の声によって動きを止める。
「ちょっと、いいか?そこの帽子被ったインコンプリーター殿?」
いきなり耳に飛び込んできた低い男の声音に、ミヒャエルを除いた三人がさり気無く武器に手を添えながら、声のする方向に向く。
そこに立っていたのは、同じような金髪を携えた長髪と短髪の二人組。長髪の方はロングソードを、短髪の方はホルスターの上からでもその大きさが伝わってくる魔弓を、隠そうともせずに堂々と身に着けていた。
「何か…用か…?」
ヴィショップが薄笑いを浮かべながらゆっくりと訊ねると、魔弓をホルスターからぶら下げている短髪の男が、口の端を吊り上げながら答えた。
「あぁ。良い魔弓持ってるなと思ってさ」
どこか面白そうに話す、短髪の男。ヴィショップは彼から明確な…そして独特な気配を嗅ぎ取っていた。
「どうだ?そいつを賭けて、一つ勝負でもしないか?」
暴力を振るう意思のある人間特有の、身体に突き刺さるような気配を…。