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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
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決戦に向けて

 男が立っていたのは、質素な家具と人の生活臭が溢れた小さな家屋の一部屋だった。

 一部屋と言っても、今男が立っている部屋以外には一人用のベッドが置いてある寝室があるだけで、それ以外に部屋はない。かといって一つ一つの部屋が大きいかと言えばそんなことはなく、今男が立っている部屋は机と小さな暖炉、そして簡素な台所だけで殆どのスペースを消費してしまっていたし、寝室に至ってはベッド以外には何の家具も置かれていなかった。

 その部屋は男が日中生活している場所とは天と地程の差があった。無論、天が男の本来の場所で地が今彼が立っている場所である。

 だがそれでも、男の心は温かいもので満たされていた。男が日中生活している場と比べれば不便極まりない場所ではあるものの、この場所は男に大切なものを与えていた。

 人の温かさという、金や権力では真に手に入れることが出来ないものを。


「どうしたんですか? そんな所に立ったままで?」


 台所に立っていた女性が優しげな声を男に掛ける。穏やかな笑みを浮かべて振り向いた彼女の腹は、大きく膨らんでいた。


「いや、何でもないよ。それより、君は座っていてくれ。僕がやるよ」


 声を掛けられた男は身に付けていたフード付きの外套を脱ぐと、スープの入った鍋をかき混ぜている女性に近づいた。


「大丈夫ですよ。これぐらい、どうってことないですから。それに、貴方は料理が出来ないでしょう?」

「そんなことはないさ。この頃は、少しずつ憶えようとしてるんだよ。…まぁ、君には及ばないが」


 冗談めかして返事を返した女性に歩み寄ると、男は背後から優しく抱きしめた。

 女性は一瞬驚いた様な表情を浮かべると、恥ずかしそうな笑みを浮かべて、空いている方の手で自分の腹に当てられた男の手に触れる。


「じゃあ、今度は貴方に作って貰いましょうか。お腹の子はなんて言うでしょう?」

「なら、徹夜しないと危ないな。じゃないと、君の料理の方が良いって泣きだしてしまうだろうよ」


 互いに軽口を叩き合い、楽しそうに笑顔を浮かべる。

 少しの間二人は笑みを浮かべていたが、やがて女性は鍋をかき混ぜる手を止めて、彼女を抱きしめる男の手を両手で握った。


「私は今とても幸せです」

「僕もだ」

「…いいえ、私の方がきっと幸せなのです。何故なら…私は貴方から愛されてはいけない人間なのだから…」


 女性がそう告げた瞬間、男の表情が固まる。


「そんなことは…」

「いいえ、そうなのです。私は元々卑しい女なのです。人に裏切られるのを恐れ、人を近づかせない為に人を傷つけ、それでも人肌が恋しくて偽りの愛を求めて女郎へと自ら身を堕とした、卑しい女なのです。…本来なら、貴方にこうして抱かれるのさえ烏滸がましいのです」

「何を言って…」

「何故なら、私の存在は貴方にとって毒そのものだから。私は貴方の持っているものを汚し、傷つけることはあっても貴方には何も与えられない。だから…」


 女性はそこで言葉を区切ると、顔を真上へと向け、自身を見下ろす男の顔をじっと見つめた。


「いざという時は、私のことなどお気に掛けないで下さい。こうして抱かれて愛を囁いてくれるているだけで…私は充分なのです。増してや、同じ墓に入るなど…」


 その女性の言葉は、男の唇によって最期まで言い切ることを許されなかった。

 男は女性を自分に向き直らせると、彼女の唇に自身の唇を押し当てる。女性は最初、驚きに目を見開いていたが、やがてそっと瞼を下ろすと男の愛を享受した。

 その時、女性の眼から一筋の涙が零れ落ちたのだが、男がそれに気付くことはなかった。


「君は毒などではない。むしろ、僕にとっては自身の心臓と同じぐらい大切な存在だ。君無しでは、きっと僕は正気を保っていられないだろう」


 数分にも数時間にも感じられる口付けが終わり、名残惜しさを証明するかのように糸を引いて二人の唇が離れる。

 男は穏やかな笑顔を浮かべて口を開く。女性に向けられた彼の眼には、確かな決意が宿っていた。


「ですが…」

「それに、君と居られることに代償が必要なら僕はいくらでも払うよ。どの道僕には興味が無いものだしね」

「だけど、私のことが民に知られれば、御家族にも迷惑が掛かります」


 男は女性の発した言葉を笑い飛ばす。


「気にすることはないさ。どうせ、自身の利益と特権のことしか考えていない連中だ。血の代わりに氷水が身体の中を駆け巡っていたとしても驚かないぐらいさ」

「しかし、貴方はただでは済まされないのでしょう?」

「むしろ、さっさと勘当でもしてくれた方が気が楽だね。どの道僕には王位継承権は無いようなものだし、そうすれば気兼ねなく君と会える」

「……貴方って人は」


 女性はそう漏らして、呆れた様な笑みを浮かべる。彼女の浮かべたその笑みは決して嫌味っぽいものではなく、子供の無茶を眺める母親のような温もりに満ちていた。


「一つ、先程のことで言えなかったことが有りました。先程、いざという時は私のことなどどうか気に掛けないで下さい、と言いましたよね?」

「……あぁ」

「その言葉に偽りは有りません。ただ…」


 女性は一端言葉を区切ると、視線を大きく膨らんだ自らの腹へと落とした。


「どうかこの子だけは見捨てないでください。この子には…せめて人並みの暮らしを…」


 女性はそう言って腹に手を置いた。

 男はこの時、母は強しという言葉が真実であることを実感した。何故なら、本来なら、馬鹿なことをと言って一蹴しなければならないこの言葉を、果たして彼はその通りにすることが出来なかったからだ。


「……分かった。君と僕の子供は、命に代えても守ってみせる」

「有難うございます…」

「だけど、君を見捨てるなんていうのは真っ平ご免だね。君もお腹の中の子供も、どちらも僕は守ってみせるよ」

「…はい」


 女は嬉しそうに頷いて男の背中に頭を預けた。

 男はこの時知る由も無かった。この時の約束が今日に至るまで男を苦しめ続ける、他に並び立つ存在の無い呪いへと転じることになるなど。







「ッ!?」


 既に時刻はとうに深夜を回った頃、私室で眠りについていたガロスはシーツを跳ね除けて凄まじい勢いで飛び起きた。

 大粒の汗を浮かべたガロスは荒い息遣いのまま顔を左右に振る。そして目の前に広がっている光景が、彼に夢の世界から現実へと戻ってきたことを知らせると、大きな溜息を吐いて額に手を当てた。


「シェスチ…私は…」


 掠れた声でガロスが呟く。だが、耳を澄ませなければ到底聞き取れないようなか細い呟きは最後まで口をついて出ることはなく、途中で再び吐かれた溜息にとって代わられる。

 ガロスはベッドから降り立つと、神導魔法で大きな球状の光を生み出して天井に打ち上げる。打ち上げられた光は室内を日中のように照らし出した。ガロスは眩しさに目を細めながらコップに清水を酌み、コップを手にして窓際に置かれた椅子に腰かけた。椅子に腰かけたガロスは清水を喉に流し込みつつ、眼前に置かれたキャンパスへと視線を向ける。

 キャンパスに描かれているのは、女神と天使たちの絵だった。構図こそ変えているものの、このような絵をガロスは何枚書いてきたか分からない。そしてその何枚も書かれた女神の姿が、かつて彼が愛した女性と瓜二つであることを知っているのは、ガロス本人を除けば殆ど居ない。知っているのはせいぜい、彼の右腕である近衛の指揮官、ハーニバル程度だろう。

 これからもう一度寝ることなど出来そうにないと判断したガロスは、自らが描いた最愛の女性の姿を眺めながら清水を傾ける。

 最早二度と手の届かぬ所へと去って行ってしまった女性の姿を思い浮かべて。今や偽りの関係の中でしか言葉を交わせなくなった少女の姿を思い浮かべて。








「今日も特に手がかりは無し、ですか。流石はゴーレンス殿と言ったところですかね」


 月の光に照らされたベランダに置かれた椅子に腰かけてグラスを傾けていたハーニバルは、何気無く夜空に浮かぶ月を眺めながら、溜息と共に言葉を吐き出した。

 ヴィクトルヴィアの自宅の強制査察から三日が経っていた。家主が死んだこともあってその三日間、ハーニバルは部下を率いてヴィクトルヴィアの自宅を、それこそ室内を暴風でも通り過ぎたかの様な惨状に変えながらレジスタンスや『コルーチェ』との関わりを示す手がかりを探していたのだが、何者かの生活の後が見られる地下室を除けば、何の手がかりも見つけられなかった。

 更にそれに追い打ちを掛けるかのようにヴィクトルヴィアには自ら命を絶たれており、彼の側近だったヤーゴは逃亡。ならば他に有力な情報が無いかと思った矢先、厨房で頭をかち割られた料理長以下四人の死体が発見された。

 不意を撃ち、逆転の可能性など無いところまで追いつめた。だからこそ、知らず知らずの内にハーニバルは油断していた。もう負けは無いのだと。故に、彼は失敗した。勝てる筈だった勝負を引き分けまで持って行かれてしまったのだ。いや、ヴィクトルヴィアはともかくハーニバルにとっては引き分けですらない、完全な敗北といって何ら差支えはなかった。

 つまりハーニバルは、ヴィクトルヴィアに完全にしてやられたのだった。


「……これでは、あの方のご期待を裏切ったのと何ら変わりませんね」


 月を眺めながら呟いて、ハーニバルは瞼を閉じる。

 すると、彼の脳裏にある日の光景が鮮明に映し出される。それは愛なんてものを信じてこなかった彼が初めて愛を知った日の出来事だった。それは自分可愛さにそれを自ら裏切った日の出来事だった。それは愛を裏切った自分に絶望した日の出来事でだった。それはそんな自分を赦した男を主と定めた日の出来事だった。

 死ぬその瞬間まで忘れることはないであろう記憶であり、忘れることも許されない記憶。その光景が、彼の脳裏に再現されていた。


「私に裏切りは許されない。愛する者を奪った私を、慈悲深くもお近くに置いて下さっているのだから…」


 瞼を開いた時、ハーニバルの決意は定まっていた。

 忠誠と、何より報われることの無い愛の為に生きる。今日も、明日も、そしてその先も。それ以外の生き方は許されず、何より自分自身が許す気も無い。例えそれが、歪に歪んでいたとしても。


「…そういえば、主はいつまであの男を置いておく気なのでしょう?」


 決意を固めて立ち上がろうとしたハーニバルの胸に、ある男の姿と共に一つの疑問が浮かんだ。

 その男は、一年程前にふらりと姿を現した、辺境の呪術師か何かのような姿をした奇怪な男だった。紆余曲折あってその男の“実験”に協力することとなりトランシバ城の一部屋を貸し与えているものの、ハーニバルは殆どその姿を見たことはなかった。どうやらガロス自身とは一人の時を見計らって時折会話を交わしてはいるようだったが、一人の時を狙うというその行動にハーニバルは不信感を抱かずにはいられなかった。


「いや、これも主のお考えあってのことなのでしょう。それに、今はそんなことに気を割いてもいられませんし、ね…」


 ハーニバルは頭を擡げた不信感を押し殺して、椅子から立ち上がった。

 ヴィクトルヴィアが倒れた今、追いつめられたレジスタンスが玉砕覚悟で行動を起こす可能性は決して低くは無い。今考えるべきは、城に居候している奇妙な男ではなく、追いつめているにも関わらず尻尾を捕まえることの出来ない厄介な敵の方だ。そう、彼は判断したのだった。

 立ち上がったハーニバルはグラスに注がれていたワインを飲み干して、室内へと戻っていく。全ては明日と、それ以降の未来の為に。そして自身の忠誠と愛を貫き通す為に。






「ふあぁ、やっと終わったな。全く、ジジイババアも少なくねぇってのに元気な奴等だ」


 日が昇り始めるまであと一時間も無いであろう時分、ヴィショップは身体を伸ばして欠伸を漏らしつつ自分に割り振られた部屋へと戻ってきた。

 レジスタンスの会合で彼等に二つの勝利の鍵の存在を話したヴィショップを待っていたのは、案の定と言うべきかその二つの鍵…正確には『グランロッソ』の助力を乞うという案に対する激しい論戦が待っていた。事前のヴィショップの言葉のおかげもあってか、『グランロッソ』の助力を乞うかどうかでレジスタンス内で綺麗に二つに意見が割れた。結果、話し合いは数時間に及び、何人かが喉を使い潰す事態となってしまった。

 だが、その一方でヴィショップにとっては嬉しい誤算もあった。それはこの話し合いがこの数時間の間に、ヴィショップの案に乗るという結果で幕を閉じたことである。

 偉そうに啖呵を切ってはみたものの、ヴィショップ自身この案を受け入れるかどうかが話し合いですんなり片付くとは考えていなかったし、ましてや今日中にケリが付くとは微塵も予想していなかった。

 だが実際は、レジスタンスの面々も自分達の置かれている状況は充分理解していたようで、これに勝る案が無いことを悟ると潔くヴィショップの案を受け入れてくれたのだった。この予想外の状況の好転のおかげで、翌日から作戦の話し合いに入ることが出来るのは、既にジリ貧へと追い込まれている現状にとっても悪い結果ではないだろう。

 そうして数時間に及ぶ舌戦を終えたヴィショップは、明日に備えるべく部屋へと戻ってきたのだった。


「で? それはそうとして誰がベッドで寝るんだ?」


 ヴィショップが部屋に入ると、後から姿を現したプルートはシーツを肩に担ぎながら後に続いた。

 ヴィショップとヤハド、そしてプルートとヤーゴ(それと死亡したドルメロイ)に割り当てられた部屋にはベッドが一つしかない。エリザと少女二人が別の場所に移ったといえ、明らかに一人用のベッドだけでは三人が床で寝なければいけなく、プルートが担いできたシーツはその為のものだ。


「私は結構だ。そこら辺で寝させてもらおう」

「そうか。そいつは助かるな、っとほらよ」


 ヤーゴの申し出を悪びれもせずに受け入れたプルートがヤーゴにシーツを放った。

 ヴィショップはその光景を一瞥すると、部屋の端に置かれた箱から酒瓶を一本抜き取ってベッドに腰を下ろした。


「あっ、おい、あんた、何勝手にベッド取ってんだよ」

「いいだろ、ベッドぐらい。こっちは保険屋の如く喋りまくったおかげで疲れてんだよ」

「はぁ? ホケンヤ? 何だよそれ」

「気にしなくていいから、とっとと床にそれ敷いて寝ろ。それとも、金貨でも出すんなら夜明けまで開け渡してやらんこともないが?」

「くそっ、憶えてろよ」


 ヴィショップが軽口を叩きつつ背中をベッドに預ける。プルートはそれを見て悔しそうに悪態を吐くと、担いでいたシーツを床に落とし、自分の分を一枚手に持ってから部屋の隅に置いてある箱の方へと歩き始めた。

 ヴィショップはそれを見て小さな笑みを漏らすと、コルクを引き抜いて酒瓶に口を付ける。すると、酒を飲むヴィショップの許に神妙な顔つきのヤハドが近づいてきた。


「どうした?」

「あぁ…」


 自分の目の前に立つヤハドの顔を見上げて、ヴィショップは訊ねた。神妙な顔つきのヤハドは短く返事を返すと、ヴィショップに問いかけた。


「ガロスについて気になることがあってな。もしかして奴は…」

「王座とか関係無しに、ただ復讐がしたかったんじゃないか、ってか?」


 ヤハドの言葉を遮って、ヴィショップはそう発した。

 ヴィショップの予想が当たっているかどうかは、驚きに目を見開いて固まるヤハドの姿が物語っている。ヴィショップは呆れたように鼻を鳴らして、口を動かした。


「確かなことは実際に訊きでもしねぇ限り分からねぇだろうが、多分お前が考えてる通りだろうよ。ガキに向けてる愛情から考えても、奴の家族に対する想いは一定以上はあった筈だ。なら、家族を奪ったドルメロイに復讐しようと考えてもかしくはないだろ」

「…やはり、そうか」


 ヴィショップの言葉を受けたヤハドの表情は柔らかくなるどころか、増々険しさを増していった。ヤハドの表情の変化をつまらなそうに見ていたヴィショップは大きな溜息を一つ吐く。


「何、阿呆面晒してやがる。今更奴を殺すのに躊躇いでも覚え始めたか?」

「…仕方ないだろ。奴もまた、奪われた者だと知ってしまったのだから」


 ヴィショップはヤハドの主張を鼻で嗤う。嗤われたヤハドがムッとした表情を浮かべるが、ヴィショップはそれを無視して話を続けた。


「過去に何があったかなんてのは関係無いんだよ。重要なのは殺されるだけの理由の有無と、死を遠ざけられるだけの力量の有無だ。それ以外は全く意味を為さない。過去に御大層な悲劇が有ろうと、どうしようもない理由が有ろうと、そんなのお構いなしだ。殺意を持たれて自分の力が及ばなけりゃ死ぬしかない。それが道理ってもんだ」


 ヴィショップはそう告げると、酒瓶を床に置いてベッドに寝転んだ。


「特に、俺達みたいな…殺しを忌諱しなくなった人間は、絶対に逃れることの出来ないな」


 天井を見つめながらヴィショップは呟くように発した。

 その一言を聞くと、ヤハドは無言でヴィショップの許を離れて床に放り出されたシーツを取りに行った。ヴィショップはヤハドに視線を向けることなく、床に置いた酒瓶を掴むと、零れた中身がシャツを濡らすのも構わずに喉に流し込んだ。


(作戦の決行は最短で五日後……作戦の纏まりや『グランロッソ』(向こう)とのやりとり次第だが、誤差二日程度で決行出来るようにはしておきたいな)


 ヴィショップは心中でこれからの段取りを考える。

 決戦の時は秒読みの段階にまで近づいていた。

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