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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
66/146

愛と死と裏切りと

 燃え盛る炎の如く空が朱に染まる夕方時、『リーザ・トランシバ』の貴族区に建てられた先祖伝来の屋敷の私室で、ヴィクトルヴィアは日ごろの業務を消化すべく机に向かっていた。

 机の脇に重ねられた書類を手にとっては、目を通して不備が無いかを確認した後、自身の署名を入れていく。書面の文面は彼が請け負っている国内の農業関係のものばかりで、そこには『スチェイシカ』という国の敗北した部族の人々の生活の惨めさが覗える内容が記されていた。相場と全く釣り合わない値段や、土地の状態に見合わない生産目標高などといった淡白な数字群、そしてそれに付け加えられた現場管理者の冷淡なコメントが、それである。

 だが、それらにヴィクトルヴィアの心が動かされることはない。ただただ、数字と文字の羅列と割り切って作業を進めるだけである。

 何故なら、彼が『スチェイシカ』に敵対する理由は、ここよりも遥かに短い時間しか暮らしていない本国からもたらされる命令と、一人の女性に対する想いだけなのだから。


「ゴーレンス様! 火急の事態です!」


 そのように無心でペンを動かしていた時だった。

 自身の右腕と呼んで何ら差支えの無い男、ヤーゴが見たことも無い程に険しい顔つきで荒々しくヴィクトルヴィアの部屋に飛び込んできたのは。


「どうした?」


 その態度で並々ならぬ事態が起こったことを悟ったヴィクトルヴィアは、書類が落ちるのを意に介さずに椅子から立ち上がった。ヤーゴは険しい顔つきのまま、跪くことすらせずに口を動かした。


「軍の強制査察です! しかも、どうやら近衛部隊が指揮を執っている模様で…!?」

「近衛だと…!? 国王の懐刀じゃないか…! どうしてあいつ等が…!」


 ヴィクトルヴィアの表情が驚きに歪む。

 国王の勅命以外では決して動くことはなく、近衛という名とは裏腹に公には一切姿を見せることもせず、結果として構成員の名前や人数すら判明していない、軍の体系からも逸脱した完全なる国王の私兵。それが、この国おける近衛兵という存在であった。

 『スチェイシカ』の歴史の中で王族の隆盛の為に暗躍し続け、先の大粛清でも数多くの人間の死に関わってきたと言われる部隊が動いて、強制査察という名の狩り出しを行おうとしている。その事実は、国王がヴィクトルヴィアへと向けている感情が疑念などという生易しいものを通り越していることを意味していた。


(ガロスは、完璧に私が国家に仇なしていると判断した…! だが、どうしてだ…!?)


 そこに気付いた瞬間、ヴィクトルヴィアの思考に疑問が浮かぶ。

 ヴィクトルヴィアのこれまでの行動の中で、少なくとも完璧にそうだと判断出来るような行為は存在しなかった筈である。にも関わらず、ガロスは自身の直属だある近衛部隊を動かしてヴィクトルヴィアを排除しようとしている。そうなると、ガロスがヴィクトルヴィアを敵だと判断したのは、何故なのか。そういった疑問が、ヴィクトルヴィアの脳裏に居座り、中々消えようとしなかった。


「……ッ! ヤーゴ。お前はドルメロイを連れて逃げろ。ヴィショップ達と合流するんだ」


 だが、それにいつまでも思考を裂いていられるだけの時間も無いのが現実であった。この屋敷に詰めている兵士は所詮、『スチェイシカ』に仕える軍人達に過ぎない。近衛部隊の来訪に狼狽えはするだろうが、確認事項が済めばさっさとヴィクトルヴィアの許に彼等を案内するだろう。庇ってもらえるなど、考えるだけで無駄である。

 となれば、今行わなければいけないのは現在の状況に対する対策を考えることであって、自分の失敗についてあれこれと考えることではないのだ。

 故に、ヴィクトルヴィアはヤーゴに屋敷を離れるように命じた。ここでドルメロイの存在を抑えられては、いよいよレジスタンスに勝ち目は無くなる。

 そして何より、


(ここでの敗北は、決して無意味などでは無い…ということだ)


 その一言を心中で呟いた時、既にヴィクトルヴィアの決意は決まっていた。

 ヤーゴはヴィクトルヴィアの発した命令に反論しようと口を開きかけるも、彼の表情を見るとどこか残念そうに口を閉じた。


「何か、最後に行っておきたいことはありますか?」

「あぁ、あるぞ。彼女に伝えておいてくれ。僕の、本当の名前を」


 微笑を浮かべて、ヴィクトルヴィアはそう発した。

 ヤーゴは、畏まりました、とだけ発すると、ヴィクトルヴィアの右手にある扉に向かって歩き始める。


「それと、もう一つだ」


 ヤーゴが扉に手を掛けた瞬間、思い出したようにヴィクトルヴィアが声を上げた。

 ヤーゴは扉を開こうとした手を止めて、ヴィクトルヴィアの言葉を待つ。ヴィクトルヴィアはそんなヤーゴの背中に視線を向けて、その言葉を発した。


「長い間、世話になった」

「……こちらこそ、お仕え出来て光栄でした」


 ヤーゴはそう返すと、まるでヴィクトルヴィアの存在を振り払うかの様に勢い良く扉を開き、その先へと姿を消した。

 ヴィクトルヴィアはヤーゴの姿が消えると、どこか疲れた様な溜め息を吐く。そして背後の窓を開いてベランダに出ると、手すりに手を置いて、今にも地平線の向こうに姿を消そうとしている太陽をじっと見つめた。

 濃密な紺と淡い橙が混じり合う幻想的な情景の中、ヴィクトルヴィアの脳裏にあるイメージが浮かび上がってくる。もし、自分の命が尽きるような状況に追い込まれた時、走馬灯として浮かび上がるなら、このような映像だろうな、と考えていたものが期待を裏切ることなくそのまま浮かび上がってきたことに苦笑を浮かべつつ、ヴィクトルヴィアは意識を集中させた。

 脳裏に浮かぶ映像は、一人の女性のもの。褐色の肌と緑色の瞳、艶のある黒髪を持つ、はっきりとした自我を持ち、自身の運命に抗おうとする女性。

 人生の大半を他人の意に沿って動き続け、自我を殺して別人を騙り続けてきた自分にとっては羨望の対象であり、故に愛した女性。

 そして、自分に唯一愛という形で自我を持たせてくれた女性。

 そんな彼女との、共に過ごしたとも言い難い淡白な、それであっても彼にとっては掛け替えの無い日々が、脳裏で鮮明に蘇っていた。


「……無粋な連中だ」


 だがそれは唐突に終わりを告げる。

 荒々しく扉を開く音と共に、兵士達が無粋な足音を立てながら部屋に押し入ってくる。手には皆長剣を携え、貴族の立場にある人間に対する敬意等微塵も無い視線を、ベランダに立つヴィクトルヴィアへと向けていた。

 呆れ混じりの溜め息を吐いて、ヴィクトルヴィアは兵士達の方に振り向く。丁度その時だった。部屋に並ぶ兵士達の来ている深緑の軍服とは違う、灰色の軍服を身に着け、肩に近衛の証である鎌と禿鷹を象った紋章を付けた人物が兵士達の中から姿を現れたのは。

 ヴィクトルヴィアの直線状に立った紺色の軍服の男は恭しく一礼する。それを黙ってヴィクトルヴィアが見ていると、男は顔を隠すように目深に被っていた帽子を取り去った。


「…ククッ。そうか、そういうことか。どうりで僕の存在がバレる訳だ。全く、僕も大概な馬鹿だなぁ」

「えぇ、そういうことです」


 男の顔を見た瞬間、ヴィクトルヴィアは笑みを漏らしながら、自嘲的な口調で声を上げる。対する男は、穏やかな笑みを浮かべてたった一言、ヴィクトルヴィアの言葉を肯定するような台詞を吐いた。


「いつから、僕のことに気付いてたんだい、ハーニバル?」


 厳めしい紺色の軍服と対照的な、どこか女染みた女性の母性をくすぐりそうな相貌の男の名を、ヴィクトルヴィアは呼んだ。

 男…トランシバ城に努める文官であり、ヴィクトルヴィアの情報源であった存在、ハーニバルは穏やかな笑みを浮かべたまま、ヴィクトルヴィアの質問に答えた。


「気付いてなどいませんよ。ただ、前々から閣下に貴方に目を付けておくように言われており、そして今回貴方がボロを出しただけの話です」

「前々から?」


 手すりに身体をもたれ掛らせつつ、ヴィクトルヴィアが聞き返す。


「はい。貴方は父上から家督を継ぎ、大粛清の時の活躍もあって我が国の農業関係を一手に引き受ける大役を仰せつかった。だが、それによって得られる大量の利益を享楽に費やすことはなく、“商会”等貴族の集まりに参加することはあっても、文字通り顔を出すだけの有り様だった。そんな貴方を見て、閣下は仰られたのですよ。理由無き浪費は有れど、理由無き倹約は存在しない。ヴィクトルヴィア・ゴーレンスに目を光らせろ、とね」

「成る程…目立たない様に心がけたつもりが、裏目に出てたか。いや、勉強になったよ」


 悔しそうな素振り等一切無い、むしろどこかさっぱりした態度でヴィクトルヴィアは言葉を返した。それに対してハーニバルは、無言でホルスターから引き抜いた魔弓を突き付けることで、返事とした。


「新型、か。どこから調達してきたんだい?」

「御同行願います、ゴーレンス殿」

「断る。そういっ…」


 その言葉が最後まで言い切られることはなかった。

 何故なら、ハーニバルの右手に握られた魔弓の重い咆哮が、それを跡形も無く掻き消したからだ。


「ぐっ…!」

「その場合は、強硬手段ということになります」


 ヴィクトルヴィアの口からどす黒い血が零れ、両足から一瞬にして力が奪われる。胸元からはどんどんと赤い染みが広がっていき、その中心で激痛が身体を意識を蝕み始める。

 それでも何とか手すりを支えにして崩れ落ちないように堪えたヴィクトルヴィアに、先程から寸分たりとも変わらない笑みを張り付けたハーニバルが声を掛けた。


「閣下のお力なら、最低限頭が有れば事は足ります。それは、貴方もご存じでしょう?」

「あぁ、憶えてるよ…!」


 今にもすり抜けて消えて行ってしまいそうな意識を必死で手繰り寄せながら、ヴィクトルヴィアは何とか返事を返した。

 最高位の神導魔法の一つである、俗に心域関与と呼ばれる魔法。脳に魔力でアプローチを仕掛け、そこにため込まれている情報を自由に垣間見ることを実現させるその魔法をもってすれば、口の堅さ等問題では無い。本人の意思とは無関係に、その人物が知り得る全ての情報を知ることが出来る。そして生者に対して用いた場合、用いられた対象は往々にして脳に直接魔力でアプローチされる負荷に耐え切れず廃人と化す。だが、この魔法の神髄は効果そのものではない。この魔法の神髄とは、こちらも魔法による結界を張ることでアプローチを防ぐか、物理的に脳髄を破壊してアプローチの対象事態を破壊する以外の方法では、例え死をもってしてでも防ぐことの出来ない点にあった。


「ならば、貴方の命など問題ではないことは承知の筈でしょう? …何、廃人として生きるのも悪くはないと思いますよ。少なくとも、小難しいことを考えずに済むのですから」


 魔弓をしっかりとヴィクトルヴィアの心臓へと向けて、ハーニバルが告げる。

 このまま抵抗を続ければ、ハーニバルに殺されるだろう。かといって投降したところで、良くて彼の言葉通り廃人となるか、悪ければガロスの許に着く前に失血死するのが目に見えている。

 退こうが進もうが、ヴィクトルヴィアに待っているのは死の運命だけだった。一発逆転の一手など存在する訳も無く、勝ち目は露ほども残っていない。今や彼に残されたのは、選ぶことだけだった。


「ふっ、ふふふ…」


 すなわち、負けて死ぬか、


「何かおかしいことでも?」

「いや、ただね…」


 引き分けを捥ぎ取って死ぬか、である。


「君も大概甘いと思っただけさ」


 その一言を発しながら、ヴィクトルヴィアは床を蹴りつけて勢いを付けると、そのまま身体を手すりへと身体を傾けた。

 背中の下に手すりの感触を感じたかと思うと、その次の瞬間には視界が逆転する。その間際に、ここにきて初めてハーニバルの表情が変化したのを見て取ると、ヴィクトルヴィアは目をつぶり重力の支配に己の身体を委ねた。

 手すりを乗り越えて落下したヴィクトルヴィアの身体が頭を先頭に、地面に向かってどんどんと近づいていく。彼の頭が地面に接触し、彼の頭から零れ出た鮮血と脳漿が若々しい芝生を真っ赤に染め上げるまでに要した時間は、数秒もなかった。だが、彼が最後に言い残した言葉を思い出したように呟くには、それだけの時間で充分だった。


「エリザ。僕は、君が好きだった」


 痛みも苦しみも恐怖も感じることなく、ヴィクトルヴィア・ゴーレンスと名乗っていた人物の命は潰えた。







 橙色の熱球が地平線の向こうにその巨体を消そうとしている中、すっかり街灯が灯され、仕事終わりの人々の声で活気を帯び始めた『オートポス』の街中を、ヴィショップは足早に歩いていた。

 『ゴール・デグス』へ向けて歩くヴィショップは、いつもは冷静なその表情に仄かに興奮の色を滲ませていた。だがそれも、つい先程手に入れた情報の価値を考えれば、仕方のないと言えることだろう。実際、まるでそれを証明するかのようにヴィショップの思考は先程の情報にのみ費やされており、周囲の事象には彼らしくない程に気を配れていなかった。


(問題は、どうしてガロスがあのシスターに両親を名乗って手紙を送ってたか……いや、こんなもんは決まり切っている。考えるまでもないか…)


 ガロスが夜伽で様々な国の出身の女性を年齢問わずに集めていた理由。結局分からず終いだと思われたその答えが、小さな教会の絵が上手いシスターに両親を騙って手紙を出す為だった。

 偶然にもヴィショップの頭を過り、そしてすぐに頭から消えると思われたその推測は、彼の予想を裏切って確信へとどんどんと近づいて行っていた。

 あの後、サラにいくつか質問をしてみたものの、帰ってくるのはヴィショップの予想を裏付けるものばかりであり、質問を一つ終える度にヴィショップの興奮は高まっていった。そして、粗方質問の内容が出尽くしたところで会話を打ち切り、ヤハド達にこのことを報告する為に動き出したのだった。


(そんな理由は一つしかねぇ…! そしてそれが当たっていれば、あのシスターはこちらにとって最大の切り札になる…! ハハハッ、いい塩梅に風が向いてきたじゃねぇか!)


 心中で高笑いを上げながら、ヴィショップは人混みを掻き分けて進んだ。何人かの人間がヴィショップを不審そうに睨んだが、それに一々気を向けることはなかった。


(とりあえず、ドルメロイだ。あのジジイなら、ガロスとあのシスターの関係について何らかの情報を握っているかも……何だ?)


 そうして人混みを掻き分けて『ゴール・デグス』へと近づいていく内に、ヴィショップは不審なものを感じ取って足を止めた。

 彼が足を止めた理由は二つ。一つは、いくら仕事帰りの人間が出てくるからといって、数が多すぎるということ。そしてもう一つは、地理的に人が集まることのない『ゴール・デグス』の近くまで訪れたにも関わらず、その人混みは減るどころか数を増しているという点だった。

 一端足を止めたヴィショップは、カウボーイハットを顔を隠すように目深に被り直してから、ゆっくりとした歩調で歩き始める。その頃には、つい先程まであれ程頭にこびり付いて離れなかったガロスとサラの関係についての思考を完全に思考から消し去っていたのは、流石としか言いようが無いだろう。

 だが、そんな彼の足並みも『ゴール・デグス』の正面玄関が見えてきた瞬間、ピタリと止まってしまった。

 何故なら、


(前言撤回だな、こりゃ…クソッ…!)


 『ゴール・デグス』を封鎖するかのように並んでいる軍服姿の男達の姿が目に入ってきたからだ。

 理由こそ定かではないものの、『ゴール・デグス』が敵の手に堕ちた。その光景はヴィショップにそう判断させるには充分過ぎ、一瞥するや否やすぐさま踵を返して『ゴール・デグス』から離れ始めた。

 人だかりを押し退けて、ヴィショップは来た道を戻り始める。だが、その行動に本当に出なければいけないタイミングは、少し前に過ぎ去っていた。


(……ったく、数秒前までの自分を撃ち殺したくなる)


 前方から人混みを掻き分けて、二人の軍服姿の男が近づいてくる。人々のせいではっきりと確認することは出来なかったが、険しい表情から察するに二人の右手は腰に差された長剣の柄に掛けられているだろう。

 二人の兵士の姿に気付いた人々が徐々に脇に移動し始める中、ヴィショップは歩みを止めることなく二人の兵士に近づきつつ、外套の下に隠してあるホルスターに手を伸ばし、魔球のグリップに両手の指先を触れさせた。


「おい、ちょっとお前…」


 そして自分の正面の人混みが脇に移動し、人混みの中に現れた一直線の道の中で二人の兵士と向き合った瞬間、ヴィショップは魔弓を二挺共引き抜くと同時に、引き金を弾いた。

 両手に握られた魔弓が同時に咆哮を上げる。放たれた二発の魔力弾は二人の兵士の眉間を正確に撃ち抜き、兵士達は長剣を抜くことすら出来ずに崩れ落ちた。

 ざわついていた周囲の人々が一瞬にして静まり返る。そして一拍の間の後、崩れ落ちた二人の兵士の間をすり抜けて駆け出したヴィショップの背中を追いかけるようにして、悲鳴の合唱が日の沈んだ空に響き渡った。


「あの男だ! 捕えろ!」


 ヴィショップの存在に気付いた他の兵士達が、一斉にヴィショップに殺到しようとする。だが、後方で『ゴール・デグス』を閉鎖していた兵士達は逃げ惑う人々に阻まれて思うように近づくことが出来ず、実質脅威となりつつあるのは、ヴィショップの進行方向で槍を構えている二人の兵士のみだった。


『止まれッ!』


 槍を構えた二人の兵士が、息の合った掛け声と共にヴィショップの胸元目掛けて同時に槍を突き出してくる。

 ヴィショップは駆けてきた勢いを殺すことなく倒れ込むように膝立ちになると、その状態で地面を滑りながら上体を逸らして槍の穂先を躱す。そして両腕を交差させ、兵士二人の真横を通り過ぎる直前に腹に向けて二発の魔力弾を撃ち込んだ。

 ヴィショップが少しふらつきながらも立ち上がると同時に、背後の二人の兵士が静かに倒れる。ヴィショップは倒れた兵士達を尻目に、大通りの方に向かって再び駆け出した。


(ヤハド達が生きてるかどうかはともかく…今はこの街をさっさと出た方が良さそうだな)


 途中で何回か曲がりながら裏通りを疾走しつつ、ヴィショップは思考を練り上げる。

 何が起こったのかは不明なものの、今やヴィショップは顔の割れたお尋ね者と化していた。『ゴール・デグス』が抑えられた以上、この街でヴィショップが頼ることの出来る存在は居らず、一人で逃げ続けなければならないが、いくら夥しい数の命を奪ってきたとはいえ、ヴィショップの生前はマフィアに過ぎない。どこかの傭兵やテロリストのようにゲリラ戦に明け暮れていた訳ではない以上、長い間逃げ続けることは出来ないだろう。ましてや、生きているかも分からないヤハドやレイア達との合流を狙って居座り続けるなど、命を捨てるようなものである。

 そうなればとるべき手段は一つ、速やかにこの街を離れ、『リーザ・トランシバ』のレジスタンス達と合流することだった。


(まぁ、レジスタンス共もどうなってるか分からねぇがな)


 自嘲的に心中で呟いている内に、大通りの外灯の光が見え始めてくる。ヴィショップは背後に追っ手がいないことを確認するとスピードを落とし、来ていた外套とカウボーイハット、そしてホルスターの付いたベルトを道端に投げ捨てた。そして両手に握っていた魔弓をズボンの後ろに差し込むと、外套の下に来ていた白いシャツの裾を被せて傍目では分かりにくいようにカモフラージュする。


「神導魔法黒式、第五十五録、“ターン・カレール”」


 そして無造作に伸ばされた黒髪を撫でながら、呪文を詠唱する。すると、ヴィショップの髪色がたちまち黒から金へと変化した。


「これで、少しは騙せるだろ……さて」


 ズボンの位置を調整しつつヴィショップは、地面に捨てられた衣服類へと視線を向けた。


「四元魔導、烈火が第八十一奏、“レカルス”」


 ヴィショップが呪文を詠唱すると、地面に捨てられたそれらの衣服から小さな炎が上がった。ヴィショップは炎がちゃんと大きくなったのを息を整えつつ確認してから、平然とした足取りで大通りに向けて歩き始めた。


(適当に馬やら何やらを見繕って、商人のふりでもして抜け出すか。とりあえずは、必要な物が揃ってそうな家でも探すかな…)


 そう考えるヴィショップの目には、追い込まれた現状とは裏腹に、諦めの色は微塵も孕んでいなかった。

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