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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
64/146

毒蛇の眼差し

 時刻はY1030頃、既に日はとうの昔に地平線の彼方へと消失し、仕事を終えて酒盛りに繰り出した人々の数も下降方向へと移り変わってきた時分、ヴィショップはヤハドと連れ立って市民区の裏通りを歩いていた。


「本当にその娼館は存在するのか? 先程から歩いているが、一向に見えてこないぞ」

「またそれか。もう決まったんだから、そこのガキみたいに少しは腹括って黙って歩いたらどうなんだ」


 背後から掛けられたヤハドの言葉に対して、ヴィショップは溜め息を吐いて面倒臭そうに答えを返した。対するヤハドは悔しそうな表情を浮かべると、自分の服の裾を掴んで付いてくる少女へと視線を向ける。

 ガロスに夜伽の相手を斡旋していると思しき娼館の情報がヴィクトルヴィアよりもたらされたのは、彼がその情報を仕入れて日の夕方だった。ヴィショップ達の寝床である『ゴール・デグス』の姉妹店に姿を現したヤーゴの口より娼館の位置等を聞いたヴィショップは、その日の内に行動を起こす旨をヤーゴに伝えてヴィクトルヴィアの許に帰し、彼から決行の許可が下りたのを確認して、こうしてヤハド、そして『ノルスタバルスク』出身の少女を連れて目的の娼館、『華国の蝶』へと歩を進ませていた。

 今回幸運だったことは、ヴィクトルヴィアが情報を仕入れられたこと以外にももう一つ、ヤハドの説得に成功した、という点もあった。

 ヴィクトルヴィアがハーニバルから娼館の話を聞いている一方でヤハドの説得を行っていたヴィショップだが、最初の方は全く芳しくなく、顔面に拳を捻じ込まれた昨夜の延長戦が続いているような状態だった。そんな状況を打破したのは、他ならぬガロスの供物にされようとしていた少女その人だった。二人の話がヒートアップしていき、ヤハドが声を荒げながら感情論のみを振りかざしてヴィショップの話を聞き入れずにいた時、その少女が部屋の扉を開いて入ってきたかと思うと、ヴィショップの提案に賛成する、と言い出したのだ。無論、ヤハドは反対したが、当の本人がヤハドの役に立ちたいと言って聞こうとしない。それでも何とか止めさせようと言葉を尽くしていたヤハドだったが、ヤーゴの訪問により話は中断された挙句、ヤーゴの持ってきた情報を織り交ぜてのヴィショップの弁舌に打ち負け、未練を大量に残したままこうしてヴィショップ、そして少女と共にこの道を進んでいるのであった。時折、何も変えることの出来ない悪あがきを挟みながら。


(取り敢えず、説得事態は計画通りに進められたな)


 すぐそばを歩く少女を痛々しい表情で見下ろすヤハドを一瞥して、ヴィショップは心中でそう漏らした。

 ヤハドの説得の見込みが絶望的になり、なおかつヤハド自身にヴィショップの提案を跳ね除けるまっとうな理由が、少女の拒絶以外に無くなった瞬間、件の少女が現れ自らヴィショップの提案に乗る。そのような出来過ぎた出来事が何者にもそう導かれることなく、本当に偶然に起こることは殆ど無く、起きたならばそれは一種の奇跡に近い現象であるといえるだろう。それは今回の場合も当てはまり、そして今回起きたのは奇跡でも何でもない、一人の男の手によって導かれた結果であった。

 ヴィショップがそれを思いついたのは、ヤハドのパンチを顔面にもらい、話し合いを中断して二階へと上がった時のことだった。なまじ選択肢があるばかりに、『パラヒリア』郊外の森以上ともとれるヤハドの態度に辟易し、本気でヤハドを説得する方法を模索しつつ、鼻孔から垂れる鮮血を抑えながら階段を上がったヴィショップは、階段を上り切った所にある策に寄り掛かって自分を見下ろしている、先程まで話に上がっていた『ノルスタバルスク』出身の少女と目があった。恐らくは、階下から聞こえるヤハドの怒号に近い大声に目を覚まし、そしてそこで話している内容に深く自分が関わっていることを理解して、離れることが出来ずにずっと聞き耳を立てていたのだろう。そんな少女の眦には涙が浮かんでいたが、少なくとも少女の表情は何かに怯えているようには思えなかった。

 少しの間じっと少女と見つめ合ったヴィショップが、その少女の涙が、何の接点も無いにも関わらず自分、そしてもう一人の少女に対価を求めない愛情を与えてくれるヤハドに対する想いからくるものだと理解した瞬間、その策はヴィショップの頭の中で急速に形を為していった。

 そこから先の準備は、大した手間など掛からなかった。裏社会で巨大な組織頂点として君臨し続けたヴィショップにとって、ヤハドという存在を掛け替えのない存在だと認識し始めた子供を舌先三寸の弁舌で思いのままに動かすことなど、赤子の手を捻るに相応しい。自分達…特にヤハドの存在を強調しつつ、現在置かれている状況をより危機的なものに脚色して語り、その上で最終目的だけをそれなりに美化した上で語る。そしてヴィショップが少女に求めている行為を死や失敗の危険性を感じさせないように語ると。ヤハドが少女達への愛情故に、自分の提案を拒絶していることを語り、それ故に互いに衝突しなければいけないことを悲劇めいた口調で語る。後はただ、こんなことは君に話すべきじゃない、とでも疲れた口調で告げ、その場から去ろうとすれば、目論見通り少女はヴィショップの提案に賛成してくれた。

 後は、少女も話に参加する必要性が出てくるかもしれない、とか何とか言って少女『オートポス』まで同行させ、二階の一室で聞き耳を立てさせておく。そして、案の定提案を呑もうとしないヤハドに二階で話にケリを付けようと誘い、駄目元の交渉が決裂しかけた辺りで頃合いを見計らって少女が部屋に乱入、自身の意志を告げて無理矢理ヤハドを納得させる、という筋書きだった。

 ヤーゴの訪問など予想外の出来事があったものの、結果としてヴィショップの目論見通り事は動いていき、現在こうして少女を連れて娼館への道を進んでいるのだった。


「本当に大丈夫なのか? やはり、止めといた方が…」

「いえ、いいんです。それに…助けていただいたお礼もしたいですし…」


 後ろから聞こえてくる心温まる会話を聞きながら、ヴィショップは苦笑を浮かべる。その時、彼の中では、本当のことがバレたら殺されかねないな、というヤハドと少女の間の空気を嘲笑うような思考が展開されていた。


「ん? …あれか?」


 そうして歩いている内に、ヴィショップは一羽の紫色の蝶が一輪の華に止まる絵が描かれた、汚い看板を見つける。ヴィショップの言葉で後ろの二人も看板の存在に気付いたらしく、揃って足を止めた。二人に気付かれないようにそっと振り返ってみると、二人の表情が緊張からか強張っているのが目に入った。


(まるで本物の親子だな)


 そんな二人の態度に呆れ七割、危機感三割といった具合の表情を浮かべると、ヴィショップは再び前を向いた歩き始めた。二人分の足音が後ろから聞こえてくるようになったのは、二言三言の小さな声での会話が聞こえてきてからだった。


「いらっしゃい。まだ日も暮れてないっていうのに、好きもの…ね…?」


 耳障りな音を立てて軋む扉を抜けるた先は、ちょっとした広間になっていた。少し右手にいった所には上階へと続く階段、真っ直ぐいった先には建物の奥へと続く廊下が伸び、左手には娼婦と思しき女性がカウンターについて煙管を吹かしていた。

 建物に入ってきたヴィショップの姿を見て娼婦は煙管を口元から話すと、扇情的な眼差しをヴィショップへ向けて話し掛けてくる。娼婦が発した言葉はこの場所に相応しい、ふしだらで淫靡な声音で彩られていたが、それらの装飾はヤハドにしがみ付くようにして後から入ってきた少女の姿を見るなり、霧散した。


「悪いが、女を抱きにきたんじゃないんだ。オーナーを出してくれ」


 呆気に取られた表情で少女を見る娼婦にヴィショップはそう告げると、硬貨の入った袋から銅貨を十枚、縦一列の塔に並べてカウンターの上に置いた。


「え、えぇ。……ちょっと待っててよ」


 ヴィショップの声と銅貨がカウンターに置かれた時の僅かな音で正気を取り戻した娼婦は、カウンターの上に置かれた銅貨を一枚一枚数えてから、カウンターの奥へと引っ込んでいった。

 ヴィショップは娼婦の姿が消えたのと確認すると、カウンターに左肘を突いて寄り掛かった。その状態で耳を澄ませてみれば、微かに女の嬌声が耳に入ってくる。それはヴィショップから少し離れた位置に居るヤハドと少女も同じで、隠し切れない怯えが表面に現れ始めた少女に辛そうな表情でヤハドが声を掛けていた。


「待たせてすまんね。で、俺に何か用かい?」


 その状態でしばし待っているとカウンターの奥から、痩せたケチそうな顔つきの男が姿を現した。


「何、ちょっとした売り込みをしたくてね」

「売り込み? …もしかして、あのガキか?」


 鼠を連想させる男の顔に視線を向け、ヴィショップは答える。オーナーはヴィショップの言葉に怪訝そうな表情を浮かべると、やがて呆れた様な表情を浮かべてヤハドの傍らに立つ少女を指差した。


「ここじゃ男娼は扱ってないんだろ? なら、答えは一つじゃないか」

「確かにうちでは男は扱ってないが、だからって穴が二つあれば何でもイイって訳でもないんだぜ?」


 とっとと帰ってくれとでも言いたげな所作で、オーナーな手を振った。しかしヴィショップは引き下がるどころか、逆に身を乗り出してオーナーの耳元に顔を近づける。


「だが、『ノルスタバルスク』出身なら話は別だ。そうだろ?」


 その言葉を聞いた瞬間、オーナーの顔が弾かれたようにヴィショップから離れる。

 その態度だけで充分だと感じたヴィショップは満足気な笑みを浮かべて、驚いた表情でヴィショップを見据えるオーナーの顔を見つめる。


「どこでその話を聞いたんだ?」

「風の噂さ。あんたんとこの娼館が『ノルスタバルスク』出身の女を探してるってな。で、ご時世もご時世だし、見つかってなくて困ってるんじゃないだろうと思って、こうして連れてきたって訳だ。まっ、貰うもんは貰うけどな」


 ヴィショップがそう言ってのけると、オーナーは安心したように胸を撫で下ろした。

 大方、今しがたのヴィショップの言葉をそのまま受け取って、目の前の男は酒場か何かで自分達が『ノルスタバルスク』出身の女性を探していることを知り、小銭欲しさにやってきたチンピラか何かだとでも思ったのだろう。

 ヴィショップはオーナーの表情の変化をそう結論付けると、彼が返事を返すのを待った。オーナーは今しがた自分が姿を現した方に振り向き、その先で顔を覗かせて話を盗み聞きしていた娼婦を手を振って追い払ってから、右手の指を二本立てた。


「銀貨二十枚でどうだ」

「いや、四十枚だ」


 ヴィショップが首を横に振って、右手の指を四本立てる。


「二十五枚。それが妥当だ」

「三十五枚。それぐらいの価値は、今のあんた等にとっては有る筈だぜ」

「三十枚。それ以上は出さん」

「……分かった、それでいこう」


 オーナーの返した返答に熟考する素振りを見せて、ヴィショップは彼の決めた値段に応じた。

 無論、この行為はヴィショップにとっては何の利益も無い行為である。元々金が目的ではないし、貰ったところで銀貨数十枚程度のはした金が有ろうと無かろうと、計画には何ら変化は生じない。これはただ、自分がただのチンピラに過ぎないということをオーナーにアピールする為の茶番に過ぎなかった。


「決まりだな。じゃ、そのガキをこっちに寄越してもらおうか」

「分かった。おい、行け」


 だがそんな茶番ですら、今の少女の心にプレッシャーを掛けるには充分過ぎた。

 ヴィショップに呼ばれた少女は、ヤハドに連れ立ってもらってカウンターの所までやってくる。その顔は蝋の様に白く、目にはヴィショップへの不信感が滲んでいた。

 しかし、ヴィショップはそんな少女を全く取り扱おうとせず、横目で微かに少女の姿を見ただけで、すぐにオーナーの方に視線を戻してしまった。


「顔色が悪いな。何か、病気とか持ってたりしないだろうな?」

「大丈夫だよ。そこら辺は抜かりないさ。それより、金の方は?」


 病気持ちなら病気持ちで悪くはないんだがな、と心中で呟きつつ、ヴィショップは返事を返す。

 オーナーは声を上げて娼婦のものと思しき名前を呼ぶと、カウンターの下に手を入れ、銀貨を三十枚、四回に分けて取り出してカウンターの上に置いた。


「…ぴったりだな。どうも」

「五日経ったら、またここに来てくれ。その時に、このガキを返す」


 銀貨の枚数を数えてポケットへと納めると、オーナーが少女を引き取りにくるように告げた。ヴィショップは驚いた素振りをして見せて、オーナーに問いかける。


「何だ、帰って来るのか」

「当たり前だろ。あんたが連れてきたガキに用があるのは、一人の客だけだ。そいつが終わった後もうちに置いてやる義理はねぇ。あんた等で勝手に育てろよ」


 オーナーはそう言うと、話は終わりだ、とでも言いたげに奥へと引っ込んだいった。それに合わせてカウンターの横にあった扉が開いたかと思うと、くたびれたドレスに身を包んだ娼婦が一人現れ、少女の手を優しく引いて戻ろうとする。

 その光景を、ヤハドはじっと見つめていた。視線を落としてみれば、彼の両手がきつく握りしめられて小刻みに震えているのを、ヴィショップは見ることが出来た。


「や、ヤハドさん!」


 それを見たヴィショップが溜め息を吐いて、ヤハドの肩に手を伸ばした時だった。扉の向こうに姿を消そうとしていた少女が立ち止まり、ヤハドの方に振り向いて声を上げたのは。


「わ、私! が、が、がんばりますからぁ…!」


 少女が発した言葉の内、最後の方は涙声になっていた。

 少女の手を引いていた娼婦は辛そうな表情を浮かべると、閉めかけていた扉をゆっくりと閉めていく。扉が完全に閉まりかける直前、ヴィショップとヤハドに軽蔑の視線を投げかけてから。


「行くぞ。まだ、何も終わっちゃいない」

「……あぁ」


 ヴィショップはその視線を鼻で笑って、娼館の出口の方へと歩き出した。その際、肩を叩いたヤハドの顔には今にもあと一押しで泣き出してしまいそうな、テロリストらしからぬ惨めな表情が浮かんでいた。







「そうか…じゃあ、無事少女を送り込むことには成功した訳だ」


 ヴィショップとヤハドが少女を『華国の蝶』へと送り届けた翌日の早朝、ヴィクトルヴィアの屋敷の地下で、ヴィショップはヴィクトルヴィアに向かい合って席に着き、紅茶を啜っていた。


「あぁ。コトに及ぶのが四日後で、ガキが返ってきて子細聞き出せるようになるのは五日後だろうな」

「その間僕達に出来ることは、精々役立つ情報が得られることを祈るばかりか…。ところで、今日一人でやってきたのは、これはまたどういう訳だい?」


 ヴィショップが返事を返すと、ヴィクトルヴィアは空席となったヴィショップの両側の席に視線を向けつつ、そう訊ねた。


「今回は一人で話したい内容だったんでな。それについては、そこの奴から聞いてるだろ?」

「まぁね。でも、理由までは聞けなかったからね」


 ヴィクトルヴィアはそう言って、さっさとヴィショップにここに一人で訪れた理由を言うように促す。ヴィショップは肩を竦めて見せると、要望通りに口を開き始めた。


「ただ、報告ついでにそっちの上司の方で何か進展がないか、訊いとこうと思っただけさ」

「そういうことか。そういうことなら残念だけど、まだ返事は返ってきてないよ」


 ヴィクトルヴィアの返事に対して、ヴィショップは大して気落ちした素振りを見せずに頷くと、目の前に置かれているカップへと手を伸ばす。彼自身も、二日やそこらで返事が来るとは考えていないのだろう。


「それならそれでいいが、『スチェイシカ』に悟られないように慎重に動けよ。『グランロッソ』からの援軍を潰されたら、それこそ完全な詰みだ」

「何だかまるで、『グランロッソ』にスパイが潜り込んでいるみたいな言い方だね」


 ヴィショップの言葉に、ヴィクトルヴィアが訝しげな表情を浮かべた。

 それに対しヴィショップは、平然とした素振りで返事を返す。


「上手い手を使っている時に、相手が同じ手を考えていないと思い込むのは“世界”共通の悪い癖だな。自分達だけが特別だと思い込むと、往々にして裏をかかれるものだぜ」

「…成る程。肝に銘じておくよ」


 意外そうな表情を浮かべると、ヴィクトルヴィアは微笑を浮かべて返事を返した。そして少しの間、何やら思考に耽り始めたかと思うと、不意にヴィショップに問いかけた。


「ところで、僕は本国にある状況になったら、絶対に軍を派遣してくれと言ってあるんだが……どんな場合だと思う?」

「さぁね。予想より早く、レジスタンスが焙り出された場合とかか?」


 ヴィショップが答えると、ヴィクトルヴィアは小さく舌を鳴らしながら右手の人指し指を自分の口の前で、左右に振って見せた。


「正解は、僕が死んだ時だ。どんな理由にも関わらず、ね」


 ヴィクトルヴィアがそう発した瞬間、二人の間にあった空気が冷たく、殺伐としたものに変わった。その変化は、常人ならば決して気付くことすら出来ぬ程に小さな、それでいて、気付くことが出来る人間にとっては気温が一気に数度は下がったかの様に感じられる程に大きな変化だった。


「もし、君が君の思い通りの方向に持っていきたいならば、僕を殺せばいい、という訳だ」

「成る程。そいつは、悪くないな」


 微笑を崩さずにそう告げたヴィクトルヴィアに対し、ヴィショップは薄ら笑いを浮かべて答えた。

 ヴィクトルヴィアの後ろに立つヤーゴが、腰に帯びた長剣の柄に手を掛けて見守る中、二人は互いに睨み合う。


「だが、止めとくよ。当分の間はな」


 二人の間に流れる沈黙を破ったのは、ヴィショップだった。

 ヴィショップは先程の様な友好的な声音へと声を戻すと、両手を顔の横の高さに上げて軽く振って見せた。


「理由は?」

「この国に通じていて、両国の政府に強力なコネクションを持つあんたは貴重な存在だ。“今後”のことを考えても、あんたを使い捨てたくはない。あんたを殺すとしたら、そいつは最後の手段だな」

「殺さないとは言わない、か。まったく、君らしい」


 ヴィクトルヴィアの問いにヴィショップが答えると、彼は苦笑を溢して紅茶の注がれたカップへと手を伸ばした。


「まぁな。そういうあんたは、またどうしてこんなことを?」


 今度はヴィショップが質問をする番だった。

 文字通りの命を懸けた最終手段といい、それを下手をすれば今すぐ殺しにかかってもおかしくはなかった人間に話すことといい、どちらも並大抵な覚悟で出来ることではなかった。本国への忠誠心か、あるいは『スチェイシカ』への敵愾心か、あるいはそのどちらでもないものにせよ、ヴィクトルヴィアをその様な決断へと至らせた何かが有る筈だった。

 もっとも、それが何なのかはヴィショップには半ば予想が付いていたが。


「意地悪な人だね、君は。どうせ、もう御見通しなんだろ?」


 そしてまたヴィクトルヴィアも、その理由にヴィショップが心当たりを付けていたと考えていた。

 ヴィショップは頭を搔くと、笑みを浮かべて自分の予想を話す。


「エリザの為か」

「その通り、彼女の為だ」


 笑みを浮かべるヴィショップの言葉を、ヴィクトルヴィアは静かに肯定する。

 彼がそうすることが出来たのは、ヴィショップの顔に浮かんでいる笑みが、彼には珍しい、どこか優しげなものだったからだろう。それは例えるなら、自分によく似た孫を見る老人が浮かべるような笑みだった。


「愛に生きると、人生失敗するぞ。愛は盲目っていうが、全くその通りだ。気付けば、最低限見てなくちゃいけないことにまで見えなくなって、取り返しの付かないことになる」

「…歳の割に、随分と達観した意見だね。何か、女性絡みで嫌な思い出でも?」


 ヴィショップの発した、見た目に釣り合わない内容の言葉に、思わずヴィクトルヴィアの口から微笑が漏れた。

 それに対しヴィショップは、特に憤慨するでも笑って流すでもなく、「まぁな」とだけ返して、カップへと手を伸ばす。


「まぁ、それで例え自分が死ぬことになっても、それはそれで構わないさ。二十年以上、他人がひいた道の上で、他人として生きてきたんだ。エリザに対する愛はそんな僕にとって唯一の、僕自身で選び、僕自身で勝ち取った感情だ。その為に死ねるとうのなら、むしろ望むところさ」


 そう発したヴィクトルヴィアの姿は、どこかもの悲しげである一方、筆舌し難い希望に満ち溢れていた。

 二十年という歳月と、ヴィクトルヴィアの今の見た目から図れる年齢から考えて、彼がこの国に別人として渡ってきたのはまだ十台の頃だろう。それはひょっとしたら、ヴィショップが復讐に走り始めた年齢より若いかもしれない。そしてそのような若さで二十年間、彼は自己を殺し、初めて会った人々を家族と、友と呼びながら生きてきたのだ。それは、ひたすらに復讐だけを考え、復讐という名の自分の目的だけを考えて生きてきたヴィショップでは味わうことのなかった経験だった。

 自分を送り込んだ本国、自分を“ヴィクトルヴィア・ゴーレンス”と信じて接する人々、自分の全てがそれらの他人によって動かされる。そのような生活の中で自分という存在を見失うのに二十年もかからない。むしろ、それだけあれば狂気に囚われて何らおかしくはないだろう。実際、狂気に囚われかけたこともあった筈だ。

 故に、ヴィクトルヴィアは自分の命を投げ打ってでもエリザを助けようとするのだろう。自分に、彼女への愛という、初めて自分で獲得することの出来た存在を与えてくれたから。それによって、見失いかけていた自分を取り戻させ、狂気から救ってくれたから。


(奴が愛しているのはエリザか、それともエリザへの“愛”という感情そのものか…)


 ヴィクトルヴィアの話を聞くうちに、ヴィショップは心中でそう呟いていた。

 そして知らず知らずの内に、そこにいつのまにか愛する女性に縋りつくことに必死になっていた自分を重ねて、ヴィショップ苦笑を浮かべた。


「まぁ、そこまで覚悟を決めてるなら無粋なことは言わねぇよ。その時が来たら、ちゃんとお前の覚悟を酌んで殺してやる」


 ヴィショップはそう発すると、椅子から立ち上がって帰り支度を始めた。ヤーゴの突き刺さるような視線が彼を見据えていたが、ヴィショップはそれを平然と無視して出口に向かって歩き始める。


「次に会うのは、彼女が戻ってきてからだ。いい報告を期待しているよ」

「これで、中年男の変態的性癖を長々と聞かされないことを祈るとするさ」


 背後から掛けられたヴィクトルヴィアの言葉に、ヴィショップは軽口を叩いて部屋を後にした。

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