Chance or Necessity
「で、どこ出身の女を探しているんだったかしら?」
本日貸切の看板が掛けられた『ゴール・デグス』の店内。そこに並べられたいくつかの丸テーブルの内の一つに着いたレイアは、コーヒーの注がれたカップを傾けつつ、向かい合って座っているヴィショップに問いかけた。
ヴィクトルヴィアから、『ノルスタバルスク』出身の女性を見つけ出す様に言われた翌日、ヴィショップとヤハド、そしてエリザの三人は『コルーチェ』の頭領であるレイアに会う為、『オートポス』を訪れていた。
理由はもちろん、条件に当てはまる女性が居るかどうかを訊く為だ。連れてきた子供の中に出身者が居た為無理に探し出す必要は無いものの、政府の方ですでに用意の目途が立てられているかどうかを確認する為にも、やはり一通り調べは付けておこうということになったのだ。
一応、ヴィクトルヴィアから現在判明している限りで密入国を手がけている組織をリストアップしてもらってはいたのだが、やはり紛いなりにも繋がりのある組織から始めるのが良いだろうと判断し、ここまで戻ってきた訳である。
「『ノルスタバルスク』だ。『サジタバルスク』とかいう国の横にある国で、俺達が連れてきたガキの内の一人の出身地だ」
コーヒーをスプーンでかき混ぜながら、ヴィショップは質問に答える。
この時ヴィショップが「あんた等が攫ってきたガキ」と言わなかったのは、『コルーチェ』側がレジスタンスにドーマに子供を流していたことを黙っている為である。どうやら、『コルーチェ』がレジスタンスに物資を流すことで得ている利益は、現状追い込まれている『コルーチェ』にとってはそう易々と切り捨てられない程の価値にまで膨れ上がっているらしく、無駄に関係は悪化させたくないとのことらしい。ヴィショップ達にしても、まだ利用価値のある『コルーチェ』との繋がりは維持しておきたい。その為、こうして『コルーチェ』に口裏を合わせていた。
「『ノルスタバルスク』出身ね。それにしても、年齢問わずにそこ出身の女が必要だ、なんて一体何を企んでいるのかしら?」
「気にすんな。ちょっと、確かめたいことが有るだけさ」
妖艶な笑みを浮かべるレイアの問いかけを、ヴィショップはさらりと流す。そうしている内に、プルートが紐で括られた、付箋らしきものが何本も突き出ている書類の束を持ってきた。
レイアは眼鏡を掛けると、丸テーブルの上に乗せられたそれを捲り始める。
「あと、その鼻。それは、どうしたのかしら?」
レイアは書類を捲りながら上目遣いにヴィショップの顔を見て、面白そうな笑みを浮かべる。その視線の先、ヴィショップの鼻っ面には包帯が巻かれていた。
「何、うちの暴力担当と少しばかり揉めてね」
ヴィショップは返事を返しつつ横目で隣に座るヤハドの姿を捉えると、昨晩の出来事を思い出した。
ヴィショップの鼻が今のありさまになったのは、昨晩貰ったヤハドの拳によるためだ。あの後、『雪解け亭』に戻ったヴィショップは、ヴィクトルヴィアがスパイなことは話さずに、連れてきた子供を今回使うかもしれない旨を二人に伝えた(ちなみに、ヤハドには鍵のことを話したときにヴィクトルヴィアの正体については教えてある)。その結果、それに反対したヤハドに顔面に拳を叩き込まれ、今の有り様へと転じてしまっていた。
「中々いいパンチだったよ。普段からこれぐらい働いてくれると、こっちも楽なんだけどよ」
口に含んだ酒を吹きかけそれを躱した所にパンチを叩き込むという、どう考えても実践レベルの一撃を思い出して、ヴィショップは苦笑を浮かべる。
『パラヒリア』郊外の森で似たようなことになった時は放ってきた拳をヴィショップは易々受け止めて見せたので、恐らくは二度同じ間違いをしないようにそうした方法を取ったのだろう。いくら何でもそこまではしてこないだろうと高を括っていたし、仮にしてきても完全に激昂している現状からして単調な一撃だと油断していた結果、ヤハド自身の動きのキレもあって、先読みしていても躱し切れずにモロに一撃貰ってしまった。先読みの技術自体が高度な集中力を要求されるもので、少しの気の緩みで制度が大きく変動する類いのものだったことを考慮に入れても、先読みした上で鼻っ面にジャストミートで拳を叩き込まれたという事実は、ヴィショップにヤハドが、そん所そこらのケチなテロリストとは違うことを改めて実感させた。
「子供が絡むと本気になる、か。こんな男にくっ付いてるくせに、意外と紳士なのね?」
「…普通ならば、それが当たり前だ」
探している女性の条件と、その条件に当てはまる子供の存在、そしてレジスタンスに子供の面倒を見させるように頼み込んできた過去から全てを理解したレイアは、小馬鹿にしたような微笑を浮かべる。それに対してヤハドは不機嫌そうに言葉を返した。
確かに、子供が性欲の手籠めにされかねないのならばそれを止めようとするのが普通だが、少なくともこの場に居る人間は一名を除いて、普通の人間ではなかった。そのため、彼の言葉に賛同する素振りを見せる人間は居らず、帰ってきた反応といえばレイアのように人を小馬鹿にしたようなものだけだった。
「あぁ、あったわ。『ノルスタバルスク』出身でウチと関わっている人間は、ざっとこんな所ね」
レイアはそう言うと、書類の束をヴィショップの方へと押す。書類の束の一番上には、女性のもとの思しき名前が三十名程書かれていた。
「意外といるものだな」
「そこに乗っているのは、あくまで居場所が掴めている人間の名前よ。どこに居るのかも分からないのを含めたら、その数倍は追加されるわね」
「ひゃ、百人以上いるのか?」
エリザの質問に対するレイアの答えに、ヤハドの口から呆気に取られた声音が飛び出す。
「だって、ここ最近のものだけじゃないもの。国王が前のクソ野郎から今のクソ野郎に変わる前から、ずっと記録してきているのだから。でも、別にこちらでも居場所が掴めない人物については必要無いでしょ? 時間もあまり無いことだし」
「確かに、居場所から探す時間は無いしな。それで充分だろう」
書類にリストアップされている三十余名分の名前の羅列に視線を向けつつ、ヴィショップがそう発した。だがレイアは、そんなヴィショップの考えを否定する。
「いえ、そこから更に少なくなるわ」
エリザはそう言うと、部下が運んできた羽ペンで名前の真横にバツ印を付け始めた。
「残った人間の内、この人物達は既に死んでいる」
五つほどバツを付けた所で、レイアは羽ペンを動かす手を止めて、ヴィショップ達にバツ印の意味を説明する。
「で、こっちは国内にいない人物達…っと」
レイアは今度は名前の端に、三角のマークを描いていく。先程の五倍近く長い間レイアの手は動き続け、結果として何も印を付けられていない名前はたった一つだけになってしまった。
「あれだけ居たのに、最終的には一択か…」
「でもまぁ、一人だけ残っているようだし、これで…」
唖然とした表情を浮かべるヤハドに向かって発せられたレイアの言葉は、そのすぐ後にレイアの後方から発せらえた声により、遮られてしまった。
「ボス、そいつは二日前に死んでます」
「ん? そうだったかしら?」
「えぇ。この間、そこの教会で葬儀やってたじゃないですか」
後方に控えるプルートの言葉を受けたレイアは、意外そうな表情を浮かべて後ろに向かって振り返った。そして再びヴィショップ達の方に振り返ると、面白そうな笑顔を浮かべて最後に残った名前の横にバツ印を描いた。
「そういえば、今年で七十六とかだったわね。なら、いつ死んでもおかしくはないか。…という訳だから、こちらでは用意出来そうにないわ。ごめんなさいね」
そのレイアの答えが返ってきた瞬間、ヤハドの表情が面白いように変化する。恐らくは、彼にとっての最悪の展開でも過ったのだろう。
ヴィショップはそんな分かりやすい変化を示すヤハドに苦笑を浮かべると、ポケットからヴィクトルヴィアにピックアップしてもらった三つの組織の名前が書かれた紙切れを一枚取り出し、レイアのコーヒーカップの横に向かって滑らせた。
「なら、そっちの情報はどうだ? どこに本拠地構えているとか、どうやって接触すればいいのだとかか、そういったことを教えてもらいたい」
「えっと……あぁ、これなら訊くだけ無駄よ。全部、私の組織の系列組織だから」
しかし返ってきた答えは、ヤハドにとっては無情ともとれる答えだった。
「な、何!? そいつは一体、どういうことだ!」
取り乱した様子でヤハドがその言葉の意味を問うと、レイアはそんなヤハドを見て醒めた表情を浮かべつつ、質問に答える。
「現国王の政権に入ってから、私達のような犯罪組織は徹底的に狩り出された。犯罪者と繋がっていた身内を根こそぎにするという、こっちの予想を超えるやり方のせいで、大半の犯罪組織が壊滅。生き残ったのも私達と、あとは外国に逃げた組織が一つを除けば、組織としての体を為せていない状態だった」
「だから、取り込んだって訳か」
ヴィショップの言葉を、レイアは首を縦に振って肯定する。
「そう。どの道連中に選択の余地なんて無いし、スムーズにことは運んだわ。こっちとしても少しでも規模を増やしておきたいところだったし、丁度いい尻尾切りも出来るしで、悪くなかったからね」
そう言うと、レイアは右手でカップを持ち上げ、左手でヴィショップの渡した紙切れを戻してきた。ヴィショップは戻ってきた紙切れをポケットへとしまうと、心中で呟いた。
(まぁ、悪くはない結果だな)
結局、自分達では『ノルスタバルスク』出身の女性を見つけ出すことは出来ないということが判明してしまったものの、件の少女が居る以上問題は無い。その上、少なくとも国王側は同じルートでは『ノルスタバルスク』出身の女性を確保出来ないことが分かったのは、大きな収穫だろう。これならば、後はヴィクトルヴィアの働き次第だが、候補者を見つけられなかった国王側に少女を売り込むことが可能になるかもしれない。
だが国王側には、囚人というヴィショップ達にはないルートがある。未だに囚人として囚われている人間の大半は、『コルーチェ』による各組織の残党の吸収が行われる前であり、『コルーチェ』が関わっていない密入国者の情報を持っている可能性もある。もっとも、これだけはどうやっても潰すことの出来ない情報源なので、今更足掻いたところでどうしようもないことであるし、それについては既に昨日の会話で三人とも了承済みではあるのだが。
とにかく結果として見れば、ヴィショップの言葉通り悪くは無い、むしろ若干とはいえ可能性が上昇している分、満足してもよい結果ともとれるかもしれない。実際、そう考えられる程に成功の見込みが低いのが、今回の作戦であった。
(で、問題は…)
ヴィショップの視線が動き、すぐ横に座る人物へと向けられる。
「ま、待て! 他には無いのか!? そういう、密入国を取り扱っているところは!」
その視線の先に居るのは、やはりというべきか丸テーブルに身を乗り出して、残された可能性に必死に縋りつこうとするヤハドだった。
「それについては、私も訊こうと思っていたところだ。…他に、こういったことを扱う組織は無いのか?」
それに続いて、同じくヴィショップの横に腰を降ろしているエリザがヤハドに続く。ヤハド程に声を大きく上げることこそなかったものの、彼女も子供を使うというヴィショップの提案には反対していたのだ。
「無いわね。こればっかりは、二、三人が集まって適当にこなせる仕事でもない。ルートを確立させる必要もあるし、少なくとも私の耳に入らずに『ノルスタバルスク』とのルートを確立させて開業するのは不可能ね。既存のルートを使っているならそれこそ分からない訳がないし、他に密輸入をしている組織っていうのは現状、存在しないと考えて問題ないわね」
中々退こうとしないヤハドにうんざりした態度を示しつつ、レイアは返事を返す。それを受けたヤハドは、悪態を吐いて苛立たしげに丸テーブルを叩き、エリザは残念そうに溜め息を吐いた。
「と、いう訳だ。腹括れ」
ヤハドがテーブルを叩く前にカップを持ち上げて避難させたヴィショップは、一口口を付けてから丸テーブルの上にカップを置き、ヤハドに声を掛ける。
「黙れ。まだ、何かある筈だ…!」
「この国のことなら俺等なんかより遥かに知ってる、この女が無いと言ったんだ。いい加減、諦めろ。それでもって、相手が床上手であることでも願ってろ」
「死ね、クソッタレの米国野郎」
冗談に対して返されてきた取り付く島も無いヤハドの罵倒に、ヴィショップはおどけた態度で肩を竦めて見せると、今度はエリザの方に顔を向ける。
「……誰か別の人間に『ノルスタバルスク』出身の人間を騙らせるのは?」
「駄目だ。もし本当に出身地で女を選んでるなら、本当にそこの出身かどうか確かめる筈だ。『ノルスタバルスク』と全く関係の無い人間がそれをすり抜けるのは難しいだろう。それに、どんな方法で確かめられるのかも分からないから、対策の打ち用も無いしな」
少し考えてからエリザの発した意見を、ヴィショップは数秒と経たぬ間に却下する。
「まぁ、そこのインコンプリーターの言った通りね。どうして『ノルスタバルスク』の女が必要なのかは分からないけど、変に小細工したところで無駄だと思うわよ」
ヴィショップの言葉にレイアが同調する。そして彼女は、懐から葉巻とナイフを取り出すと、先端部分を切り落として吸い口を作りながらヤハドへと視線を向けた。
「そっちも、覚悟を決めたらどうかしら? どの道処女なんて、早ければ三年ぐらいでどっかの乳臭いガキ相手に散らすのだし、そんなに有り難がることなんてないわよ。そもそも、貴方その子供の親でも何でもないでしょ?」
「…黙ってろ、淫売」
ヤハドは視線だけをレイアに向けると、短く簡潔な罵倒の言葉だけを吐いて視線を逸らした。
レイアは特に気分を害した様子も無く、諦めたように首を軽く左右に振る。それを見て、ヴィショップは右手で頭を押さえつつ溜め息を吐くと、椅子から腰を浮かせた。
「しゃあない。こうなったら、サシで話し合って決めるとしよう」
ヴィショップはそう言うと、レイアに「上の部屋借りるぞ」とだけ言って、階段の方に歩き始めた。
ヤハドは、途中カウンターに近づいて酒瓶とグラスを二つ受け取りヴィショップの姿を茫然と眺めていたが、やがてヴィショップが面倒臭そうにこちらに来るように合図したのを見ると、大きく溜め息を吐いてから立ち上がり、その後に続いた。
「……私は、どうしろというんだ」
ヴィショップとヤハドが階段を上って姿を消した後、丸テーブルに残されたエリザの口から呆れたような呟きが漏れたのだった。
「あぁ、ゴーレンス殿! 丁度、良い所に!」
『スチェイシカ』という国のかじ取りが行われる政治の中心区、王族区の中心に威風堂々とそびえ立つトランシバ城。そこに数多ある廊下の一つを歩いていたヴィクトルヴィアを、聞き覚えのある声が呼び止めた。
自らが取り扱っている農産物関係の話で城を訪れ、帰路に付こうとしていたヴィクトルヴィアは背後から掛けられた声に足を止めて振り返る。
「あぁ、ハーニバル殿。何か御用ですか?」
声の主は、トランシバ城に文官として勤めているハーニバルだった。ヴィクトルヴィアはハーニバルが横に並ぶのを待ち、彼が並んだのを確認すると再び歩を進め始める。
「今日は、お仕事の方で?」
「えぇ、そうです。『ララルージ』の強制収容施設で小火騒ぎが起こりましたでしょう? そのせいでそちらの方の仕事に遅れが出ていましてね。それの対処についての話を纏めていたのですよ」
「そうなんですか。それは、また災難でしたね。そういえば、『ララルージ』の強制収容施設の施設長は責任を取らされて職を辞されられたとか」
「そうなんですか。確かに責任は施設長も少なからず負うものと考えていましたが、随分と思い処罰ですね」
ハーニバルの発した言葉に、ヴィクトルヴィアは意外そうな反応を示して見せた。
『ララルージ』の強制収容施設での暴動は結局、表面上は小火騒ぎということいされていた。恐らく、暴動という実態を知っている人間は強制収容施設に勤めていた人間とそれを引き起こした張本人を除けば、著しく制限されているだろう。
「まぁ、私もそう感じないことはないんですがね。何でも、職員の方に数人死人が出たらしいのですよ」
「うーむ、それなら施設長の首が飛ぶのも仕方がない話かもしれませんね」
ヴィクトルヴィアは納得するような素振りを見せて、ハーニバルに返事を返す。
「ところで、それが私に話したいことですか?」
話が一段落付いたところを狙ってヴィクトルヴィアは話題を話題をすり替え、訊ねたかったことをハーニバルに訊ねた。ハーニバルは、ハッとした表情を浮かべた後、少し照れくさそうな表情を浮かべて口を動かした。
「すいません。どうも、私は話好きな性質でして」
「何、もうとっくに承知してますよ」
特に気分を害した様子の無い、凡そ大抵の人間に好印象を与えるであろう笑みを張り付けて、ヴィクトルヴィアは返事を返した。
城の隙間から差し込む太陽の光が、ヴィクトルヴィアとハーニバルの二人の肌を照らす。話している内に二人は、いつの間にか城の中庭の一つに来てしまっていた。
「あら、ゴーレンス殿。御機嫌よう」
「どうも、マダム。今日もまた、一段と美しく出で立ちで居られる」
中庭を過る際、知り合いとも言えなくはない仲の大臣の妻が、召使らしき人物を引き連れてすれ違った。大臣の妻の方が挨拶をしてきたので、ヴィクトルヴィアは面倒臭いという本音を表に出さないように努めつつ挨拶を返すと、大臣の妻は仄かに頬を紅く染め、満足気な表情で立ち去って行った。
「いやぁ、相変わらずの美太夫ぶりですな。まったく、羨ましい限りです」
横を歩いていたハーニバルが、からかう様な口調でヴィクトルヴィアに微笑みかける。ヴィクトルヴィアは視線をハーニバルに戻すと、苦笑を浮かべて返事を返した。
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
「いやぁ、ご謙遜なさらず。私なんて、挨拶もされませんでしたから。やっぱり、文官なのに加えてこの顔がいけないのでしょうな」
「いえいえ、ハーニバル殿の顔も武人の逞しさとは違う、こう、何というか母性を掻き立てられる魅力がありますよ」
何の益体も無い話をしている内に小規模な中庭を横切り、二人は城の中へと戻った。
ハーニバルは少しの間、「そんなことはありませんよ」等と言いながら先程の話題を引っ張っていたが、やがて本題を思い出したのか少しだけバツの悪そうな表情を浮かべて、話を元の路線へと戻した。
「すいません、また話が逸れてしまいました」
「構いませんよ。それで、話したかったこととは?」
ヴィクトルヴィアがそう問いかけると、ハーニバルはどこか楽しげな表情を浮かべながら、わざとらしく声量を落として話し始めた。
「前回の“商会”の時に話した会話、覚えてますか?」
「えぇ、確か閣下に小児性愛の気があるという…」
ヴィクトルヴィアは忘れもしない、五日前の会話を頭の中に思い浮かべて返事を返した。ドルメロイを確保した現在、ハーニバルがもたらしたその噂話は、今や次の行動目的と深う結びつく程になっており、これに関してはこの話好きの俗物文官に素直に感謝しなければいけないな、とヴィクトルヴィアに思わせる程、レジスタンスの作戦にとって重要なピースとなっていた。
「それなんですがね、私、凄い情報を手に入れてしまったんですよ…!」
「凄い情報…?」
興奮した様子で、ハーニバルが告げる。ヴィクトルヴィアが訝しがりながらもその凄い情報について訊ねると、ハーニバルは左右をきょろきょろと大げさに見回し、周囲に人が居ないことを確認してから話し始めた。
「閣下に夜伽の相手を斡旋していると思われる店を、見つけてしまったんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、ヴィクトルヴィアの足が動きを止める。
歩くのを止め、隠し切れない驚きの感情を表情に滲ませてヴィクトルヴィアはハーニバルの顔を見る。ハーニバルは、ヴィクトルヴィアの反応が予想通りのもので嬉しいのか、満足気な笑みを浮かべながらヴィクトルヴィアが何かを告げるのを待っていた。
このハーニバルの言葉を聞いた瞬間、ヴィクトルヴィアの頭に浮かんできたのは皮肉にも、国王の夜伽の相手に何らかの秘密が隠されているのではないか、という自分の考えが間違っているという可能性であった。
というのも、現在この国の国王として君臨しているガロスは、非常に用心深く頭の切れ、そして非情な人物である。それは、国王の座に付いてからすぐに行った、貴族の半分以上が断頭台の露と消えた大粛清、そしてそれによる人員の欠落を一年以内に埋めてしまったということからもうかがい知ることが出来る。それに対して、今目の前に居る男は大粛清こそ生き残ったものの、時々見た目にそぐわない冷静さをみせるだけで、後は見た目通りの俗物である。もし本当に夜伽の相手にガロスの秘密が隠されているとしたら、このような男に探り当てられるような代物ではないのだ。
「…それは、面白いお話ですね。どうやってそれを知ったのですか?」
少しの間考えてから、ヴィクトルヴィアは冗談めかせた笑みを浮かべてそう問いかけた。
今しがたのハーニバルの言葉、その真偽を確かめる方法として選んだのは、その情報を知り得ることになった経路を言わせるというものだった。ヴィクトルヴィアにも納得出来るような理由ならよし、そうでなかったり、言おうとしなかった場合は信用しない、そういうスタンスで臨むことを決めたのだ。
ヴィクトルヴィアの質問を受けたハーニバルの表情に、意外そうな色が浮かび上がる。次いで苦笑を浮かべると、ハーニバルはヴィクトルヴィアの質問に答えた。
「いやぁ、ゴーレンスさん。私は、この街の商業関係を担当しているんですよ? この街で認可の降りている娼館の内、報告されている収入に変な点がないかを探したんですよ」
「そういえば、貴方の担当はそういった関係でしたね…」
ハーニバルの返事を聞いたヴィクトルヴィアに、彼の担当を失念していた自分を殴りつけたい衝動が襲い掛かった。
一応、ヴィクトルヴィアは交流を持ち始めた当初に彼の経歴に目を通してはいたのだが、彼の俗物的な態度と、殆ど仕事の話をしなかったのが相まって、完全に彼の担当を失念していしまっていたのだ。
そんな悔恨の思いが顔に出ていたのか、ハーニバルは小さく笑い声を漏らすと、再び歩き始めつつ続きを話していく。
「まぁ、普段会うのは“商会”の時だけですし、その時は仕事の話はしないように心掛けておりますので、憶えていなくても無理はありませんけどね」
「失礼しました、ハーニバル殿。それで、どうしてまたそんなことを調べようと?」
「ゴーレンスさんが意外と喰い付いてくれたから…というのは建前で、貴方には女を一人奢ってもらっていますからね。それのお礼と、次ももしかしたらという期待、後は個人的にも少し興味が出てきてしいましてね」
ハーニバルに続いて足を動かしながらヴィクトルヴィアが訊ねる。ハーニバルは照れくさそうな笑みを浮かべながら、くだけた声音で返答した。
「ところで、娼館の報酬の妙な点とは?」
「客一人当たりの料金平均、次期による客の変動、見受けに要する大体の値段や見受けされる数の平均、その他もろもろを計算して出した収入と、実際の収入を照らし合わせて大きな齟齬が生じる店を探してみたんです」
少し誇らしげに店を見つけ出した方法を語るハーニバルに、ヴィクトルヴィアは思わず舌を巻いた。
ハーニバル自身は途中で省略してしまっているが、実際に彼が収入の齟齬を焙り出すのに必要とした情報は両手の指の数などでは到底足りないだろう。この時、どこか弱々しげな顔に誇らしげな態度が合わさって幼稚な雰囲気を醸し出しているハーニバルの姿から、ヴィクトルヴィアは大粛清を生き残るに値する彼の優秀さを垣間見ていた。
「それはまた…大仕事でしたね」
「いえ、そんなことはありませんよ。それで、やっぱり聞きたいですか? その娼館がどこなのか」
まるっきりいたずらっ子の浮かべる表情を浮かべて、ハーニバルが問いかけてくる。
ハーニバルは見つけたと断言したが、彼がとった方法から考えて、彼が告げるであろう娼館の名前は推測の域を出ないだろう。そしてハーニバルの努力こそ認めるが、彼が告げた娼館が本当にガロスに女を流している可能性も、決して高くはない筈であった。
それでも、ヴィクトルヴィアが返せる返事は一つだけだった。




