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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
57/146

Breakout

 ヴィショップ達がドルメロイ確保の為に施設内に侵入したのとほぼ同時刻、施設の中心部に位置するFとG地区の間にそびえ立つ中央監視塔の地下に、ヴィクトルヴィアは居た。


「続いて皆様にご紹介致しますのは、こちらです! カルトリコ族の中でも屈強な戦士を多く輩出してきたと言われる名門の血を引く、カウロン家の末裔です! その上、なんと、処女!」


 まるで決闘場を彷彿とさせるすり鉢状の客席から、歓声の声が上がる。爛れた欲望の歓声が渦巻く中、制服を身に纏った男二人の手によってすり鉢状の客席の底に設けられた舞台に、二十に届くか届かないかといった年頃の褐色の肌の女が放り出された。

 身に着けているものは最低限局部を隠せるだけの面積をもった服以下の何かと、小汚い首輪とそこから伸びる鎖のみ。それでも女は何とか首輪から伸びる鎖を握っている男や、周囲で歓声を上げている面々を睨み付けようとするが、彼女の瞳にははっきりと恐怖が浮き出ており、威圧するどころかより一層周囲の人間の劣情を掻き立てた。

 そんな彼女の姿を、ヴィクトルヴィアは客席の最前列で、ヤーゴと御者の男を後ろに控えさせつつ、ワイングラスを片手に眺めていた。いや、実際にはただ視線を向けていただけ、というのが正しいだろう。


(いつ来ても、この場は僕にとって悪影響にしかなり得ないな)


 “品物”の説明を司会者が終えると、そのまま入札が開始される。次々と客席から札が上がり、庶民の一か月分の収入を遥かに超える金額がどんどんと入札開始価格に上乗せされていく。

 ヴィクトルヴィアは自分の手元に置かれた札に指先一つ触れることのないままそれを眺めていたが、やがて視線を真横に向けて、隣で熱心に入札を繰り返している男に声を掛けた。


「ところで、ハーニバル殿」

「何です、ゴーレンスさん?」


 ヴィクトルヴィアが声を掛けると、真横に座る男は舞台の上の女から目を離すことなく返事をした。


「例の如く、何か面白い噂話とか知りませんか?」

「す、少し待ってくれませんかね? 今、忙しいところで…ああっ! 金貨二十九枚に銀貨十三枚だと!?」


 しかしその返事は、途中で他の入札者への悪態に取って代わられてしまった。

 ヴィクトルヴィアは小さく溜め息を吐くと、今まで触れてこなかった手元の札を手に持ち、司会者からよく見えるように掲げて左右に振った。


「おーっと、これはこれはゴーレンス殿がついに参戦です! ゴーレンス殿を動かすとは、流石はイイとこ出身のお嬢様、“処世術”には長けているようで!」


 司会者の発したジョークに、会場の面々から笑い声が上がる。しかしその笑い声は、ヴィクトルヴィアの発した一言で凍りついた。


「金貨八十枚」


 一瞬にして、客席がしんと静まり返り、視線がヴィクトルヴィアへと集中する。それは、彼の隣に座っているハーニバルも例外ではなく、呆けた表情を浮かべてヴィクトルヴィアを穴が開かんばかりに見つめていたが、彼がそれを気に掛ける素振りは一切みれなかった。


「…え、えっと、金貨八十枚です」


 優に十秒は掛けて正気に戻った司会者が、引きつった笑みを浮かべてそう発するが、それに続いて札が上がることはなかった。

 それもその筈、いくら舞台の上の女が魅力的な上に処女だといっても、精々それに釣り合う値段は金貨三十枚前後。にも関わらず、ヴィクトルヴィアはそれの三倍近い値段を提示したのだ。競売でのマナー云々を差し抜いても、周囲の人間の度胆を抜くには充分過ぎた。


「で、では! ゴーレンス殿、金貨八十枚で落札です!」


 司会者が声を張り上げ、正式に商品が落札されたことを告げる。ヴィクトルヴィアは背後に立つヤーゴに引き取りに行くように指示すると、未だに口をあんぐりと開けたまま隣に座っているハーニバルに顔を向けた。


「差し上げますよ」

「え? い、いいんですか?」

「えぇ。かなり熱を上げておいでの様でしたからね。私と貴方の仲ですよ、ハーニバルさん」


 ニッコリ微笑んでヴィクトルヴィアがそう告げると、ハーニバルは戸惑いつつもニヤニヤとだらしのない笑みを浮かべて頭を下げた。ヴィクトルヴィアはそれを手で制し、先程発した質問を再びハーニバルにぶつけた。


「ところで、先程の話ですが」

「あ、あぁ、城での噂話とかでしょう?」


 ハーニバルは涎を垂らさんばかりに緩んでいた顔を引き締め、ヴィクトルヴィアが求めている類いの話を記憶の中から掘り起こす。

 ハーニバルは、トランシバ城に文官として勤めている。それも中々に重要な役職に着いているということもあり、貴族であっても王族などではないヴィクトルヴィアがトランシバ城内部の情報を集めるには中々に役に立った。この“商会”がもたらしてくれた、ヴィクトルヴィアにとっての数少ない有益である。

 もっとも、元々武官の発言力が強かった上に、現国王の政策もあってそれがますます顕著になってきている状況から考えても、怪しまれずに済む範囲内でハーニバルから仕入れることの出来る情報など噂話やら近辺での奇妙な出来事程度しかないのだが。


「ガロス閣下に隠し子が居るというのは…」

「それはもう聞きましたよ」


 ハーニバルの言葉を、ヴィクトルヴィアはやんわりと遮る。実際には彼からこの話は聞いたことは無かったが、それ以前に彼に遭う前からこの手の噂は聞いていた。駄目元で探りを入れてみたものの、結局は事実無根の噂話である、という事実を固めるだけの結果に終わっていた。


(一国の王族と孤児院出の修道女が密通している、なんていう大衆小説みたいな話を真に受けた僕にも責任はあるんだろうけどね…)


 噂の真否の確認の為に費やした費用と真剣にその噂に取り組んでいた当時の自分を思い出して、ヴィクトルヴィアは心中で溜め息を吐く。そうしている間にハーニバルは他の噂を思い出したらしく、何気なく舞台へと向けていた視線をヴィクトルヴィアへと戻した。


「では、これなんてどうです? ガロス閣下に、小児性愛の気があるという話は」

「…一応、聞かせてもらいましょう」


 ハーニバルからそう告げられたヴィクトルヴィアは、うんざりした表情を浮かべて返事を返す。

 先程の隠し子の話同様、この手の話を聞くのも初めてではない。大抵の権力者には付き物の、想像と嫉妬で形作られたレッテル張りの為のヨタ話に過ぎないであろうことは、想像に難くなかった。

 しかしハーニバルはそんなヴィクトルヴィアの表情を見て、拍子抜けした表情を浮かべるばかりか、むしろ笑みを浮かべた。


「いや、今回のはひょっとするとひょっとするかもしてませんよ? 何たって、深夜に城から少女が出てくる姿を見たものが居たのですから」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴィクトルヴィアの眉が微かに動いた。しかし、それでも完全にヴィクトルヴィアの懸念を打ち消すまでにはいかなかったようで、半信半疑といった表情を浮かべてヴィクトルヴィアは問いかける。


「それはいつのことなんです?」

「六日、七日は前のことですな。夜勤の兵士が夜中に城から出る馬車の為に門を空けたのですが、その際馬車の窓に、年端もいかぬ少女の姿を見たらしいのです」

「ふむ…」


 話を聞いたヴィクトルヴィアは、口元に手を当てて口を噤む。

 今、彼の脳裏にはかつて聞いたある噂話が浮かび上がっていた。それは隠し子の噂を耳にしたのとほぼ同時期に聞きこそしたものの、探る価値は無いと踏んで探りを入れなかった噂話で、その内容は、ガロスが一定間隔で一般市民の女に夜伽をさせているといった内容のものであった。

 それ自体は決して有り得なくはない話であるものの、真実だったところで何かが起こる訳でもない。それに乗じて刺客を送り込んでみたところで、有数の神導魔法の使い手であるガロスを一人で相手取るのは、包丁でドラゴンに向かっていくことに等しいし、そもそも正気を保ったまま部屋に入れるかどうかも怪しいところだ。彼程の使い手ならば他人の精神を操ることなど造作もない上に、そういった行為を容易くやってのける冷酷さと、用心深さを持ち合わせているのだから。

 しかし、もしこの噂が今ハーニバルの語った噂が繋がってくるなら、話は変わってくる。何故なら、少なくとも生きて城から出てこれることは間違い無いということになる。そして何より、ヴィクトルヴィアが聞いた噂では、ガロスが夜伽の為に呼んでいるのは少女でも何でもなく、普通の市民の女ということになっていた筈であった。


(火の無い所に煙は立たない…。もし本当にガロスにそういう趣味があるのならば、最初に噂が流れた時から部屋に呼びつける対象は少女の筈…。かといって、この二つの噂を聞いた間隔は一年程度、一年やそこらで女の趣味がそこまで変わる筈も無し…)


 そこまで考えたヴィクトルヴィアは、小さく呟いた。


「探りを入れる価値はあるか…」

「えっ? 何か言いましたか?」

「いえ、何でもありませんよ。それより、今の噂は中々面白いですね。流石はハーニバルさん、城内での出来事に精通していらっしゃる」


 意外と耳聡いのか、他の観客が歓声を上げているにも関わらずハーニバルがヴィクトルヴィアの呟きに反応する。

 ヴィクトルヴィアは微笑を浮かべて話を逸らす。ヴィクトルヴィアの簡単な世辞で気分を良くしたらしいハーニバルは、特に追及することなく照れたような笑みを浮かべた。

 ヴィクトルヴィアはそんなハーニバルから視線を逸らして、再び舞台へと視線を向けると、ワイングラスを口元に運びつつ、心中で小さく呟いた。


(とにかく、全てはこれが成功してからだ。…見せてもらうとするよ、“バウンモルコス殺しの英雄”の力をね…)






 ヴィクトルヴィアがハーニバルと会話を交わしている一方、ヴィショップが忍び込んだA地区の日直室では、


「ま、待ってくれ、ちゃんと話し…!」


 丁度ヴィショップが、魔法で生み出した漆黒の鎖で縛り上げていた職員の一人の喉元を、ナイフで搔き切っていた。


「何、定番だろ? 吐くこと吐き終わった奴の約束が、あっさり破られるのは」


 職員の首から噴水の如く血が吹き出しすのを一瞥したヴィショップは、軽口を叩きつつ魔法を解いてナイフをしまうと、職員の背中を軽く押して出口に向かって歩き出す。その手には先程手に入れた、真新しい銀色の鍵がいくつかぶら下がった鍵束が握られていた。


(とりあえず、今聞き出した情報はそれなりに使える……が、決め手にするにはまだ弱いな)


 日直室から出て来たヴィショップはそっと扉を閉めると、今しがた殺した職員から聞き出した話を脳裏で反芻させる。それから懐中時計を取り出して時刻を確認すると、ドルメロイの居る房に向かって歩を進め始める。


(かといって、決定打になり得るものを見つけるには、時間が掛かり過ぎる)


 曲がり角のところに倒れている職員の死体を横目で見てから、ヴィショップは三叉路を右、つまりはE地区方面に曲がった。


(やはり、これで勝負を始めるしかないか…。まあ、命までベッティングしなきゃならん事態にならないことを祈るとするかね)


 そう心中で呟いて思考にケリを付けたヴィショップは、A075と彫り込まれたプレートが取り付けられている扉の前に立った。そして先程手に入れた真新しい方の鍵束を取り出すと、非常通路に通じる扉を開くのに使う鍵を探し出して鍵束からむしり取り、制服のポケットの中に押し込んだ。これでこの鍵束には、自由に行き来できる五つのエリア事の房を開く為の鍵と、エリアを移動する為に通る扉を開く為の扉の鍵しか残っていないことになる。

 ヴィショップは五つの鍵とむしり取られた鍵束を一瞥すると、その中からA地区の房を空けるのに必要な鍵を取り出して、目の前の扉の鍵穴に差した。

 鍵は抵抗無く回って房の施錠を解く。ヴィショップは鍵束をしまうと、右手でナイフを抜き取り、逆手に持って袖の中に隠してから、扉をゆっくりと開いた。

 開いた扉の向こう側にあるのは、刑務所染みた部屋だった。石造りで床にカーペットの類いは確認出来ない。置いてある家具は二段ベッドと机が一脚のみ。窓はカーテンの代わりに鉄格子で閉ざされていた。


(あのどっちかがドルメロイか…)


 二段ベッドに二つの膨らみを確認したヴィショップは、扉を完全に開き切ってから二段ベッドに向かって近づいていく。二段ベッドの上の二つの膨らみは規則正しく上下に動くのを繰り返すだけで、それ以外の動きは見せない。ヴィショップはベッドの上段と下段に視線を交互に向けた後、小さく溜め息を吐いてから下段の膨らみに向かって左手を伸ばした。

 その瞬間、ベッドの上のシーツがめくれあがり、二本の腕がヴィショップ目掛けて伸びてくる。

 だがヴィショップは驚くばかりか呆れた様な表情を浮かべると、左手を引っ込め身体を半歩引いて伸びてきた腕を躱した。


「う、うわっ!?」


 躱されるとは思っていなかった腕の主が、間抜けな声を上げて頭からベッドから落ちかける。

 ヴィショップは右脚を振り上げて腕の主の頭を蹴り上げると、浮かび上がった頭から生える亜麻色の髪を掴んで床に引きずり倒した。


「ぐあっ…!」


 仰向けに床に叩き付けられた腕の主の口から、呻き声が漏れる。鉄格子の填められた窓から差し込む月明かりが、呻き声を上げた腕の主の顔を照らしだした。まだ男とも女ともつかない幼さを残したその顔立ちは、彼がまだ少年に過ぎないことを物語っていた。

 ヴィショップは少年の髪を掴んでいた左手を、少年が声を上げる前に口元へと伸ばす。そして少年の口を押え、今度は少年が左手に噛みつく前に少年の顔のすぐ真横に右手に隠していたナイフを突き立てた。

 少年の両目が大きく見開かれ、顔の真横に突き刺さっているナイフの刀身に移った己の顔を捉える。ヴィショップはナイフを引き抜くと、それを手に持ったまま右の人差し指を立てて口元に当て、声を出さないように指示してから、少年の口元から手を離して立ち上がった。


「起きろ、ビシャス。あんたに用が有ってきた」


 立ち上がったヴィショップは、二段ベッドの上段の膨らみを左手で叩き、この施設におけるドルメロイの名前を呼んだ。


「犯したいのならば、いつものようにそこのガキを犯せばよかろう。老人はお呼びじゃない筈だ」


 ヴィショップの呼びかけに対し、二段ベッドの上段の膨らみは微かに身じろぎをした後、返事を返して再び黙り込む。ヴィショップは苦笑を浮かべると、もう一度その膨らみを叩いてから、今度は本名の方で呼びつけた。


「じゃあ、こう言おう。ドルメロイ、あんたに用が有る」


 ヴィショップがそう告げた瞬間、先程の少年以上のスピードでシーツが捲られて、白髪を背中にかかる程に伸ばした老人が姿を現した。


「い、今、何と…?」

「ドルメロイ、あんたに用が有るんだ」


 瞳を震わせながら聞き返してきた老人…ドルメロイにもう一度同じ言葉を発してやると、ドルメロイはそれを噛み締める様に聞いた後、両手を顔に当てて笑い声を漏らし始めた。


「ックククク…。そうか、ついに、ついにか……クククッ、フハハハッ、ハハッ…」


 我慢することが出来ないのか、段々とドルメロイの笑い声は大きさを増していく。そんな彼の指の隙間から覗く一対の瞳は、狂気染みた光を放っていた。


「あの愚かな甥に引導を渡す時が…クカカカカッ…!」

「じ、じいさん?」


 その豹変ぶりに、床に伏していた少年の口から震えた声が漏れる。

 一方のヴィショップは、勝手に盛り上がっているドルメロイの姿を見て小さく溜め息を漏らすと、先程手に入れた真新しい方の鍵束を懐から取り出して、少年に放り投げた。


「こ、こいつは…?」

「そいつを使って、ここの連中を片っ端から自由にしてやれ」


 自分の胸元に落ちてきた鍵束を、少年は信じられないものでも見ているかの様に凝視する。ヴィショップは少年に一言だけ告げると、未だにベッドから降りてこないドルメロイの身体を掌で叩いた。


「勝手に盛り上がってんなよ、じじい。さっさと降りろ。出るぞ」


 ヴィショップは押し殺した笑い声を上げるドルメロイにそう言って、部屋から出るべく扉に向かって歩を進める。


「ま、待ってくれ! あんた、一体どういう…」


 背後から発せられた少年の声が、ヴィショップを引き留べる。ヴィショップは自分に掛けられた言葉が終わる前に、身体を翻して少年の方に振り向くと、振り向きざまに右手に持っていたナイフを少年目掛けて投擲した。

 ヴィショップの手を離れたナイフは、一直線に壁目掛けて突き進んでいき、立ち上がりかけていた少年の頬を掠めて突き刺さる。頬に奔った痛みとそこから流れ出る一筋の血で、今ヴィショップが何をしたのかを理解した少年は言葉を失い、尻もちをつく様にして再び床に座り込んだ。


「声がでかいんだよ、ボウズ」


 冷淡な瞳で少年を見据えて、ヴィショップはそう吐き捨てる。少年は口を開いたまま、ただ首を上下に何度も振っていた。

 ヴィショップは視線を横に向け、ドルメロイがベッドから降りてきたのを確認すると、再度扉の方に振り返って歩き始めた。


「そのナイフはやる。それと、俺のことは誰にも言うな。分かったな?」


 そう言うと、ヴィショップは軽く手を振ってその場を後にした。







 舞台に異変が起こったのは、商会もいよいよ大詰めに差し掛かろうというところだった。粗方の品々の競売が終了し、最後に残ったとっておきの品の競売が始まろうとした瞬間、事態は動いた。


「ん? どうしたんですかね?」


 ヴィクトルヴィアの隣に座っているハーニバルが、舞台の異変に気付いた。その異変というのは、今まさに最後の品の宣伝文句を高らかに読み上げようとした司会者の許に、職員らしき人物が駆け寄って何やら耳打ちしている、といったものであった。


(…時間内にやり遂げたか。噂通りの実力、といったところかな?)


 懐から懐中時計を取り出して時刻を確認したヴィクトルヴィアは、心中で満足そうに呟いて視線を司会者へと向ける。

 舞台の上の司会者はしばらく職員と小声で会話を交わし、二人の会話が終了したのは、いつまで経っても最後の品の競売に入らないことに痺れを切らした客達の間でざわめきが起こり始めてからのことだった。


「大変申し訳ありません、皆様! 現在当収容所の一部で小火騒ぎが起こっておりまして、その関係上今宵の商会はここまでとさせていただきます。皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、すぐに馬車の方をお持ちいたしますので、今宵は速やかにお引き取り下さい!」


 司会者がそう発するや否や、客席の一部から批難の声が上がり始める。大声を上げている人間の大半は、ガロスによる内部粛清以降に今の地位に付いた人間で、その内容は「最後の品目当てに来たのにどうしてくれる」とか、「買った商品はどうなるんだ」等と様々だったが、自分の命が保障されるのかどうかを問う内容のものは殆ど聞き取れなかった。


「まぁ、こうなっては仕方ないでしょうね。今夜は返るとしましょうか」


 隣に座っていたハーニバルは溜め息を吐いてそう発すると、背後に控える部下に上着を着せるように指示した。


「そうですね。そうするとしましょう」


 内部粛清を切り抜けてきたが故なのか、一切の不平を漏らすことなく帰り支度を始めたその冷静さに内心舌を巻きつつ、ヴィクトルヴィアはハーニバルに倣って帰り支度を始める。

 上着をき込むと、ヴィクトルヴィアはヤーゴを引き連れてハーニバル達と一緒に、職員に誘導されつつ会場の出口へと向かう。

 戦場にでも放り込まれたかの様に真剣な表情を浮かべる武装した職員に付き添われつつ、ヴィクトルヴィア達は会場を出て、D地区に続く通路に足を踏み入れると、足を踏み入れる否や、完全武装で忙しなく動き回る職員達が二人を出迎えてくれた。それについてハーニバルが訊ねると、付き添いの職員はぎこちない笑みを浮かべて「小火騒ぎです」とだけ答えた。ヴィクトルヴィアは彼等から視線を逸らして、鉄格子の填められた窓へと視線を向ける。耳を凝らしてみると、微かだが大勢の人間の罵声らしきものが聞こえた。

 そうしている内に、再びハーニバル達が動き始めたのでヴィクトルヴィアも歩を進める。そして行けども行けども一向に数が減る様子の無い武装した職員達の中を進み、付き添いの職員に急かされながら送迎用の馬車の乗り込んで、収容所の出口に向かった。


「今回は、私も馬車を先に取りに行かせておけばと思いましたよ」


 出口には既にヴィクトルヴィアの馬車が停まっていた。御者台には、先程馬車を取りに行くように指示した御者の男が着いている。


「では、私はこれでお先に。今日は貴重なお話を有難うございました」

「何、私もいい買い物をさせてもらいましたよ」


 笑みを浮かべて別れの挨拶を済ませると、ヴィクトルヴィアはヤーゴが開いた扉から馬車に乗り込んだ。そして武人然とした男が馬車に乗り込んだのを確認すると、馬車を発進させるように御者に命じた。


「さてと…」


 馬が嘶き、振動と共に馬車が動き出す。席に座ったヴィクトルヴィアは溜め息を吐くと、視線の先の存在を見据えながら口を動かした。


「とりあえず、脱獄おめでとう、といったところかな?」


 そう言って空のワイングラスを掲げたヴィクトルヴィアの視線の先には、制服姿のヴィショップとエリザ、そして収容者用のみずぼらしい服装に身を包んだドルメロイの姿があった。

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