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Bad Guys  作者: ブッチ
Bring On Revolution
52/146

差し伸べられた手の色は

 『雪解け亭』での会合から三日後、本来なら差し込んでいる筈の日差しが分厚い雲によって遮られ、気温の低下に一役買っている曇天の空の下、『スチェイシカ』の首都『リーザ・トランシバ』に存在する四つの区の内、王族に次ぐ権威を持つ貴族達の住まいが存在する貴族区の一角に向けて、一台の馬車が駆けていた。

 丁寧に整備された道を掛ける馬車は、木の板と鉄格子を組み合わせた非常に簡素な造りをしていた。その為か、馬車の車体に乗り込んでいる薄汚い外套を身に纏った人々は、殆どすし詰め状態で馬車に押し込まれているにも関わらず、白い息を吐きかけながら手袋を填めた両手を忙しなく擦り合わせて何とか暖を取ろうとしていた。

 そのようにして寒さに凍えながら馬車が動きを止めるのを待つ人々の中に、ヴィショップは居た。


「仕事場所までの送迎付きとは、何とも恵まれた職場だよ」

「…こんな状況でも、あんたは口数が減らないんだな」


 皮肉気な笑みを浮かべてヴィショップが呟くと、隣に座っているエリザが呆れた様な口調で呟いた。


「一言もしゃべらない隣のお嬢さんが物言わぬ死人になっていないか、確認しようと思っただけさ」

「あーそうかい。それより、もうすぐ着くんだ、やるべきことは分かってるんだろうな?」

「何、ボケるまではまだ少しは時間がある。ちゃんと憶えてるよ」


 前方に見えてきた、ドーマのものと比べると質素な、それでも住民区のものとは比べるまでも無い大きな屋敷に視線を向けながら、ヴィショップは返事を返した。

 『雪解け亭』での会合の後、無事にレジスタンスに潜り込んだもののメンバーの紹介すらまともにされずに別れたヴィショップ達に、次のレジスタンス側からの接触があったのは昨日の深夜のことだった。ヴィショップ達が『リーザ・トランシバ』での拠点にしている『ゴール・デグス』の姉妹店に、一通の手紙が送られてきたのだ。

 手紙の内容は単純明快だった。翌日の早朝、貴族区の一角に存在するヴィクトルヴィア・ゴーレンス家でレジスタンスの会合を行うので、エリザと一緒にヴィクトルヴィア・ゴーレンス家に出稼ぎに来た奉公人達を乗せた馬車乗って来るように、とだけ書かれていたのだ。

 レジスタンスの会合を、よりによって政府側である貴族の屋敷で行う、という文面にプルートとヤハドは驚き、罠の可能性を疑った。というのも、現在のレジスタンスは完全に政府に押されているのに加え、現在貴族の位に付いているのは、犯罪組織との癒着や長い歴史の中で形骸化した無能者を嫌う国王による内部粛清を免れた、確かな忠誠心と実力を兼ね備えた面々である。その為、到底レジスタンスと繋がりを持とうとする人間などいる筈が無い、との決断にプルートは至り、プルートの意見を聞いたヤハドもそれに賛同したのだ。

 しかしヴィショップだけはレジスタンスの指示に従うことに決めた。無論、ヤハドとプルートは反対したが、ヴィショップは考えを曲げることはなく、結局二人を置いたまま一人で、出稼ぎの奉公人達の集まる馬車乗り場に向かい、そこでエリザと合流して今に至るのだった。


「……一つ、聞いてもいいか?」

「何だ?」


 段々と近づいてきた門のアーチにヴィショップが視線を向けていると、隣に座るエリザが問いかけてきた。

 ヴィショップは視線を前方の門からエリザへと向けると、何事かと訊ねた。


「何で来る気になったんだ? しかも一人しか来なかったところを見ると、他の二人は反対したんだろう?」


 女性であるエリザと男であるヴィショップでは、当然のながらヴィショップの方が背が高い。その為、エリザはヴィショップの顔を見上げる形で、ヴィショップに問いかけた。

 ヴィショップは納得いかなそうな表情を見て自分を見上げるエリザを見て、思わず微笑を漏らす。それを見たエリザが馬鹿にされたどても思ったのか、少しムッとした表情を浮かべるも、彼女が文句を言い始める前にヴィショップの口が動いていた。


「何、結局どこかで綱渡りする必要があって、それが今ってだけさ。もっとも、最近は綱渡りしかしてない気がするけどな」

「そういう綱渡りは、出来るだけ他人に任せるタイプの人間だと思ったんだけどな、あんた」

「あいにく、今俺の周りには、俺の代わりに綱渡りしてくれる優しい人間が居ないんでね。それで仕方なくさ。それに…」

「…何だよ?」


 ヴィショップはそこで一旦言葉を切ると、エリザの顔を静かに見つめる。

 自分の顔をじっと見つめられたエリザは、怪訝そうな顔をしてヴィショップの顔を見つめ返した。見つめ返されたヴィショップは苦笑を浮かべると、彼女の顔から視線を逸らした。


「万が一裏切られたとしても、何とか切り抜ける自身があるってだけさ」

「…二度も負ける気はない、とだけ言っておこうか」


 懐を軽く叩きながらヴィショップがそう返すと、エリザは挑戦的な口調で返事を返し、視線を逸らした。


(そいつは気の迷いだぜ、ヴィショップ。ああ、そうだ気の迷いだ。だから命取りになる前に、とっととそんな考えは捨てちまえ)


 外へと視線を向けたエリザの横顔を見ながら、ヴィショップは自分に言い聞かせる。何故なら、自分の脳裏に過り、エリザへの返事という形で言葉にして出そうとしかけた考えが、レジスタンスの指示通りに動くことを決めた“本当の理由”の中に潜んだその考えが、自分という人間がこれからやろうとしていること、そして今までやってきたことを考えてみれば、己にとってのギロチンの刃になりかねないことを理解していたからだ。

 “お前は裏切らないと思った”、というその考えが。


「着いたぞ。動く準備を」

「……分かった」


 馬車が止まる際の振動とエリザの言葉で、ヴィショップは物思いに耽るのを止めて、現実へと意識を引き戻した。

 武装した門番が鉄格子越しに一通り中の人間を確認してから、再び馬車は振動と共に動き出した。その時には、既にヴィショップは先程の思考を頭の隅に押しやることに成功していた。彼の思考を妨げる“熱”は消滅し、人々を凍えさせる外気を遥かに凌ぐ“冷たさ”が再び彼の思考に充満していたのだ。






「よーし、全員降りたな! では、来る前に教えられた番号ごとに指示を出すので、その通りに動くように! まず一番から八番までは…」


 馬車から降りた奉公人達は庭の一角に集められ、台の上に立つ兵士が仕事を振り分けていく。ヴィショップとエリザは、台の上に立つ兵士を見上げる奉公人達に紛れて、自分達の番号が呼ばれるのを待っていた。


「十七と十八番は、食堂の裏口にまわってゴミを焼却炉まで運べ! ぐずぐずするなよ!」


 自分達の番号を呼ばれたのを確認して、ヴィショップとエリザは奉公人達から離れて歩き出した。


「こっち側ってわりには、随分と貴族らしい振る舞いだな」


 手慣れた様子で屋敷の裏手へと回るエリザに付いていきながら、ヴィショップは皮肉めいた呟きを漏らした。


「現国王は裏切りを恐れ、粛清以降も貴族への監視の目を厳しくしている。現に貴族は私兵の使用を禁止され、今この屋敷の警備をしているのも国軍だ。辺に枠組みから外れた行為をすれば、簡単に国王に目を付けられる」


 エリザがヴィショップにこの国の貴族の現状を説明し終えた頃には、二人は食堂に辿り着いていた。

 エリザは裏口の扉を躊躇いなく開くと、中に足を踏み入れる。ヴィショップもそれに続いて中に入り、後ろ手で扉を閉めた。

 扉の先は厨房だった。貴族の屋敷の厨房なだけはあってそれなりに広かったが、すでに朝食を出し終わったのか、厨房に居る人間は二、三人程で中はガランとしており、残った二、三人が食器を洗うなり朝食の残りをつまむなりしているだけだった。


「来たか、お転婆娘も」

「あぁ、今日も世話になるよ、料理長」

「後ろのが新入りか?」


 腹の出た、人の良さそうな笑みを浮かべるコックがエリザに声を掛ける。エリザがそれに応じると、料理長はヴィショップを指差して訊ねてきたので、ヴィショップは首を縦に振って肯定した。


「そうか。まぁ、あんまし新入りをいびり過ぎんなよ、お転婆娘。使い物にならなくなっちまったら、元も子もねぇんだからよ」

「肝に銘じておくよ」


 コックはにこやかな笑みを浮かべて軽口を叩くと、棚の陰になっている場所にある扉を指差した。エリザは苦笑を浮かべて返事を返すとその扉に向かって歩き始め、ヴィショップもそれに続いた。

 その際、コックの近くを横切ったヴィショップは、彼の笑みの奥に潜む感情を見落とさなかった。自分に対する猜疑と警戒の感情を。


「あのコック達とは長いのか?」


 扉を抜けて食材の保管庫らしき場所に足を踏み入れたヴィショップは、魔導具によって生み出された冷気に小さく身震いしながら、エリザに訊ねた。


「どうしてそう思うんだ?」

「この部屋は食材の貯蔵庫で、ゴミ出しにきた俺達が入るような場所じゃないし、コックなら俺達が通った扉の先が何なのかも知っていた筈だ。にも関わらず、あの連中の内一人として止めなかったってことは、全員グルだってことだ。それに、あの料理長はあんたを心配してた」


 実際には心配なんて生易しいものじゃなかったけどな、と心中で呟きつつ、ヴィショップは返事を返した。エリザは床を靴の踵で叩きながら鼻を鳴らす。


「ふん、女の私が言うのもなんだが、女々しい程に目聡いな、あんた」

「そいうのがたまらない、って女だっているさ」

「少なくとも、私は違うな。絶対に」


 床を踵で叩いていると、不意に今までのと微かに違う音が上がる。

 ヴィショップの軽口に軽口で応じていたエリザはその音を聞き取ると、屈みこんで床に手を置き、掴める場所を探す。そして指を引っかけられる程度の窪みを見つけると、そこに右手の指を掛けて持ち上げた。

 軋みながら床の一部が持ち上がり、その先に地下へと通じる梯子が現れる。エリザは剥がれた床の縁に手を置いて床が倒れないように支えると、顎をしゃくってヴィショップに先に行くように促した。


「成る程、庶民らしい、素朴な仕掛けだ」


 ドーマの屋敷のことを思い出して苦笑を浮かべながら、ヴィショップはエリザに促されるまま梯子へと手を掛け、慎重に下っていく。

 地下へと続く縦穴の横幅は狭く、梯子の存在を抜きにしても大人が一人入るのが限界だった。その一方で縦は意外と長く、光は上の食材の貯蔵庫から差し込む以外にも真下に光源があるようだったが、殆ど届かずに縦穴の中は薄暗かった。その為、後から続いたエリザが床の裏側についていた紐を引っ張って床を戻してしまった暁には、縦穴の真ん中より上は殆ど真っ暗といっても差支えが無い程になっていた。


「動くな、両手を挙げろ」


 何が起きても対処出来るように慎重に、その一方で後から続くエリザに追いつかれて指を踏まれないように梯子を下り切るや否や、ヴィショップは梯子の下で待機していた二人組の男によって、首筋に小振りの棍棒を突き付けられた。

 ヴィショップが大人しく両手を挙げると、二人組の内の片方がボディチェックを行う。


「流石貴族様のお屋敷だ。最低限の訓練はされてるな」

「…矢じりの先端は鷹の頭へ」


 外套の下に隠していた白銀の魔弓、ナイフ、そして石壁を発生させる二枚の札型の魔導具を取り上げられながら、ヴィショップは階段を下ってきたエリザに声を掛けた。エリザはそれを無視して、ヴィショップの首筋に棍棒を突き付けている男と合言葉のやり取りを行う。


「墜ちた鷹の喉笛に猟犬の牙を。ヴィクトルヴィア様は既に中でお待ちだ」


 男は合言葉に答えると、ヴィショップの首筋から棍棒を離し、錆びついた鉄製の扉を親指で指差した。

 エリザは無言で頷き、扉を開いて先に進む。男から解放されたヴィショップは、男がヴィショップから取り上げた武器を木の箱に納めるのを確認してから、エリザのあとを追った。


「いつもながらこんなとこまでご足労させて悪いね、エリザ」


 扉を抜けると、木製の机と椅子と神導具の灯りにポットから仄かに香る紅茶の香り、、そして席に座る眼鏡をかけて仕立ての良い服を着た男の発した声と、その脇に立つ腰に長剣を帯びた武人然とした男の淡白な眼差しが、二人を出迎えた。


「そんなことはない。むしろ、場所を提供してもらって感謝してるさ」

「そう言って貰えるとうれしいよ。そちらが例の?」


 セーフルームという言葉が相応しい部屋だった。部屋は狭く、置いてある家具は眼鏡の男の周りのものを除けば、部屋の左右に置かれた棚ぐらいしかなかった。

 毒気の無い笑みを浮かべながら、眼鏡の男がエリザに訊ねる。エリザがそれに答えると、眼鏡の男は立ち上がってヴィショップに歩み寄ってきた。ヴィショップは、武人然とした男の眼差しを感じつつも、右手を差し伸べながら眼鏡の男に歩み寄った。


「ヴィショップ・ラングレンだ。世話になる」

「ヴィクトルヴィア・ゴーレンスだ。この国の農業関係を手広くやらせてもらってる。君のことは話には聞いてるよ。何でも、僕達の救世主になるかもしれないんだってね?」


 眼鏡の男…ヴィクトルヴィアは、ヴィショップの手を取って握手を交わしながら問いかけてきた。


「気の早い話だ。まだ本当に役に立つかどうかすら分からないのによ」

「…確かにそうかもしれないね。でも、彼はいい目をしてる。もしかしたら、もしかするかもしれないよ?」


 二人の会話を聞いたエリザが、不満そうに吐き捨てる。ヴィクトルヴィアは苦笑を浮かべると、近くの椅子を引いて二人に椅子に座る様に促した。


「ヤーゴ、頼む」


 ヴィショップとエリザが腰を降ろしたのを確認してからヴィクトルヴィアは自分の席に戻り、傍らに立つ武人然とした男に、二人の前に置かれたカップに紅茶を継ぐように命じた。


「さて…聞きたいことは有ると思うが、先にこちらから用事を済ませていいかね?」

「構わない」

「助かるよ。さて…」


 二人のカップに紅茶が注がれると、ヴィクトルヴィアはヴィショップに視線を向けてそう訊ねた。

 ヴィショップは、自分の目の前に置かれた紅茶のカップへと手を伸ばしながら、返事を返す。ヴィショップの返事を聞いたヴィクトルヴィアは、礼を述べながら砂糖の入った壺の蓋を開けると、空いた方の手をヤーゴの方に向けた。


「例の情報の裏が取れた」

「本当か!?」

「あぁ。信用に値すると考えて良さそうだよ」


 ヴィクトルヴィアの言葉を聞いたエリザが、興奮した様子で身を乗り出した。その際、机が揺れてカップの中の紅茶が少し零れたが、それを彼女が気にした様子は無い。

 ヴィクトルヴィアはそんなエリザの様子に苦言を呈することなく、真剣な表情を浮かべて返事を返すと、ヤーゴから受け取った封筒を彼女に手渡した。エリザは手渡された封筒を引っ手繰るようにして受け取り、蝋で封をされた口を強引に破って開くと、中に入っていた書類を貪るようい読み始めた。


「…何の情報なんだ?」


 完全に意識を手元の封筒へと向けて黙り込んだエリザを横目で見てから、壺に入っていた砂糖をカップに入れてマドラーでかき混ぜていたヴィショップは、マドラーを受け皿に置いて紅茶の入ったカップを口元に運びつつ、ヴィクトルヴィアに問いかけた。

 問いかけられたヴィクトルヴィアは、視線をヴィショップの方に向けると、彼の質問に答えた。


「ある情報提供者の居場所に関しての情報さ。あまりにも眉唾だったんで裏を取ろうとしてたんだけど、つい最近やっと裏が取れてね」

「その様子だと、随分と貴重な情報を提供してくれる人間みたいだな。でだ、そいつはどんな人間で、どんな情報を渡す気なんだ?」

「それは…」

「先代だ」


 ヴィクトルヴィアが質問に答えようとするが、それに先んじてエリザが呟くように言葉を発した。


「…誰だって?」


 それを上手く聞き取れなかったヴィショップが紅茶をカップの上に置いてから聞き返すと、エリザははっきりとした声音で、だがその表情に明らかな高揚を滲ませながら、ヴィショップに告げた。


「『スチェイシカ』第十一代国王にして、現国王ガロス・オブリージュの伯父、ドルメロイ・オブリージュ。現国王の王座奪取の際に殺されたと思われていた先代国王が、生きて地方の強制収容所に居ることが分かったんだよ」

「そいつは…」


 微かに震えの混じったエリザの言葉を聞いたヴィショップは、思わず言葉を失った。もっとも、レジスタンスとの共闘に成功した直後にこのようなチャンスが転がり込んできたのだから、その偶然に驚きを覚えるのも無理はない話であるが。


「…どんな情報を持ってるんだ、そいつは?」


 ヴィショップは一度エリザに問いかけようと口を開きかけたが、口角を吊り上げ、目に尋常では無い光を宿したエリザの表情を見て思い直すと、彼女から視線を外して質問の矛先をヴィクトルヴィアへと向けた。


「まだそうだと決まった訳じゃないが、恐らくトランシバ城への極秘の侵入経路を知っていると思う」

「その根拠は?」

「四年前、王座を欲しながらも継承権の問題を前にして、ただ先代が死ぬのを待つだけでは王座に着けないことを悟った現国王は、ドルメロイとその二人の息子を殺す為に謀反を起こした。他ならぬトランシバ城でね。その際にドルメロイとその息子二人は殺されたとされており、実際二人の息子の死体も公開されたんだ。しかし…」

「肝心のドルメロイの死体は出なかったと?」


 ヴィクトルヴィアもヴィショップと同じことを考えたのか、特に何も言わずにヴィショップの質問に答えていく。そして先んじてヴィショップが彼の言わんとすることを言うと、ヴィクトルヴィアはゆっくりと頷いた。


「そのせいで、民衆の間では実はドルメロイは生きているんじゃないか、何て噂が流れ始めてね。無論、眉唾ものだったんだが…実際はその通りだったという訳さ」

「…つまり、こうしてドルメロイが生きている以上、何らかの形で現国王に知られずに城から出入りする方法が存在し、それをドルメロイが知っていると踏んだ訳か?」

「そういうことだ。察しが良いね」


 ヴィショップが訊ねると、ヴィクトルヴィアは笑みを浮かべて頷いた。

 ヴィショップはそんなヴィクトルヴィアの顔を、右の人差し指でカップの受け皿を小刻みに叩きながら黙ってじっと見つめた後、口を開いた。


「そのドルメロイってのが強制収容所に居るって情報はどこからだ?」

「僕は一応貴族です。そして今のこの国では四年前の内部粛清によって貴族の多くが粛清されたせいで、一人の貴族の力がかなり強まっているんだ。それによって、残った貴族の大半はある程度ならこの国の至る所に人員を派遣出来る程にね。それは僕も例外ではない。だから、総当たりでいかせてもらったんだ」

「そいつは心強い話だが……どうしてそんな与太話を本気で調べようと思った?」


 ヴィショップは納得した様に頷いて見せた後、紅茶を一口喉に流し込んでから、最も気になっていたことを訊ねた。

 どれ程権力が高まろうとも、ヴィクトルヴィアは所詮は貴族でしかない。故に、国のあらゆる場所に人員をばら撒くような行為を行うには一苦労必要になり、そうおいそれと出来るよな真似ではないだろう。にも関わらず、ヴィクトルヴィアは確証等一切存在しない、ゴシップ記事のネタが精々関の山の噂話の為にそのような行為を行っている。そのことが、ヴィショップには腑に落ちなかった。

 まるで、最初からドルメロイが生きていることを知っているかの様なその行動が。


「……恥ずかしながら、それ程までに我々レジスタンスは追い込まれている、ということになるかな」

「…締まらない話だな」


 ヴィクトルヴィアは、ばつの悪そうな表情を浮かべて、そう返した。

 ヴィショップは苦笑を表情に張り付けると、まるでヴィクトルヴィアの言葉を信じたかの様な口調で返事を返した。


(成る程、俺の“運”もまだまだ捨てたもんじゃないようだな…)


 その表情の裏側で、薄ら笑いを浮かべながら。


「まぁ、大方の事情は分かったさ。ところで、それとは別に…」

「情報提供、大変助かった。今日はこれで失礼させてもらう」


 この話において、ヴィクトルヴィア本人から最低限聞いておきたかったことを聞いたヴィショップは、この話とは関係の無いことについて質問しようとする。

 しかしその瞬間、今まで黙って渡された封筒の中身を読んでいたエリザがヴィショップの言葉を遮ると、そのまま立ち上がって部屋を出ていこうとした。


「おいおい、まだ俺はこの人に色々訊きたいことが残ってるんだが?」


 ヴィクトルヴィアの返事すら待たずに出口に向かって歩き出したエリザを、ヴィショップは声音に呆れの色を滲ませて呼び止めた。

 エリザは歩を止めると、振り向いてヴィショップに言葉を返した。


「ヴィクトルヴィアについてのことなら私が答えてやる。だから、さっさと戻るぞ。今はほんの僅かな時間も惜しい」


 そう返したエリザの顔は、冷静さを取り戻そうとする貧弱な理性と、止めどなく溢れる激情の板挟みにあって、歪んでいた。それは決して、彼女の姿を醜くする程の歪みではなかったが、今の彼女を未熟で信頼のおけない存在だと思わせるには充分過ぎた。


(こいつ…あの時ほざいてた建前以上のモン背負ってるな…?)


 そんなエリザの姿を見た瞬間ヴィショップは、彼女とこの国の間もっと確定的な因縁があることを悟った。軍備増強路線を貫く政府に微かな富を搾取されたり、それでも日々を生き抜くために奴隷染みた扱いに耐え忍ばなくてはならないといった、この国でにおける日常以上の何かが彼女にあったことを。

 ヴィショップは、早く立て、とでも言いたげなエリザの視線を受けながら思考を練り上げる。

 今、ヴィショップがどうしてもヴィクトルヴィアに聞いておきたいことの答えは、恐らくエリザからでも得ることが出来るだろう。しかし、その答えはその時点でエリザというファクターを経ている以上、本人から聞くよりも信頼性に劣る。その為、それが例え些細なことであり、本人の口から全く同じ言葉が吐き出されるであろうとしても、出来る限りヴィクトルヴィア自身の口から答えを得ておきたかった。

 だがそれは、この場所に再び訪れることの出来る可能性を考慮すれば、今必ずしも行わなければいけない訳ではない。そして現在のエリザの状態を鑑みれば、それは後回しにした方が無難であるのが現実だった。


(まったく、久しぶりにその頑固さが疎ましく思ったよ)


 ヴィショップは小さく苦笑を浮かべ、この場でヴィクトルヴィアから答えを得るのを呆れめると、その意思をエリザに伝えるべく、口を開こうとした。


「そうだね。じゃあ、君は先に彼等(レジスタンス)の許に向かうといい。彼は、話が終わった後に送り届けさせるからさ」


 だが、ヴィショップが口を開くよりも一拍速く、ヴィクトルヴィアが口を開いた。

 ヴィクトルヴィアの言葉を受けたエリザは驚いたように目を丸める。そして表情を少し慌てた様子のものへと変えると、彼の提案を拒否しようとする。


「そ、それは駄目だ。そいつは私と一緒に来てもらわないと」

「監視役でも仰せつかったのかい?」

「そこまで分かっているのなら、何故そんなことを言い出すんだ?」


 ヴィクトルヴィアが苦笑を浮かべてそう返すと、エリザはからかわれていると感じたのか、少し苛立ちを含んだ視線をヴィクトルヴィアへと向けた。


「何、僕も彼と少し話したくてね。時間は取らせないし、どのみち集会を始めるのは夜だろう? それまでにはちゃんと返すからさ」


 今や二つの感情の板挟みにあって歪んでいた表情は消え去ったエリザは、難しい顔をして唸ったり、ヴィショップと手元の書類を交互に見たりしながら、ヴィクトルヴィアの提案を吟味する。


「……はぁ。分かった、それでいい。取り敢えず、私の店に返しといてくれ」

「ありがとう。助かるよ」


 盛大な溜め息の後、エリザは渋々その提案を受け入れた。そして、にっこりと笑みを浮かべて礼を述べたヴィクトルヴィアに背を向けて、部屋を出て行った。


「さて、で、君が聞きたいことというのは何なんだい?」


 扉の向こうへと消えていくエリザの背中を見ながら苦笑を浮かべていたヴィショップは、ヴィクトルヴィアに声を掛けられて、そちらへと向き直る。向き直った先のヴィクトルヴィアはにこにこと、相変わらず本心の読めない表情を浮かべていた。


「…まぁ、大したことじゃないんだが、何でレジスタンスに協力するのか、と思ってね」


 当たり障りのない世間話から入るべきか迷った挙句、ヴィショップは一気に本題へと踏み込んだ。

 その判断を下したのは、彼の質問が特におかしいところのない質問だったこともあったが、それと並行して、目の前の人物が自分の想像通りの人間だった場合、余計な小細工など必要の無い人間であるという点もあった。


「…確かに、気になるだろうね。一介の小市民ならともかく、内部粛清を生き残った貴族が、どうしてレジスタンスに味方するのか、なんてね」


 ヴィクトルヴィアはうんうんと頷いてヴィショップに同調する素振りを見せた後、ヴィショップの質問に答えた。


「でも、理由としてはそんな大層なものじゃないんだ。ただ、僕は『グランロッソ』という国に命を救われてるんだ」

「命を救われてる?」

「あぁ。あれは二十年程前、僕が学生として『グランロッソ』に留学に行った時のことだ」


 ヴィクトルヴィアは懐かしむ様な表情で、語り始めた。


「当時は今ほど閉鎖的な国じゃなくてね。おかげで外国の情報が入ってきやすく、商人達がやってくる季節になると子供達は話を聞きに駆けていくものだった。それは僕も例外ではなく、屋敷に来る商人達から色んな話を聞いたものさ。そのせいか、僕は国の外への興味…むしろ憧れに近いかな? とにかく、そういった感情を抱き続けてきてね。十八の時に『グランロッソ』の学校に留学したんだ」

「周りは反対しなかったのか?」

「無論したさ。でも、僕が行かせてくれないのなら跡を継がない、と駄々をこねてたら渋々ながら了承してくれたよ」


 その時のことを思い出したのか、ヴィクトルヴィアはいたずらっ子の様な笑みを浮かべた。

 ヴィショップはそんな彼の表情を、冷淡な眼差しで眺める。


「とにかく、僕は何とか『グランロッソ』に行くことが出来たんだ。今思い返しても、人生で最高の時間だったよ。話に聞いていた通りの、自分の国とは何もかもが違う光景が広がっていたんだからね。でも…」


 そこまで語ると、ヴィクトルヴィアは言葉を一端切って、表情を暗くした。ヴィショップにはその所作が、どこか芝居がかったものに映った。


「それは長くは続かなかったんだ。一年程経ったある日、僕は魔獣に襲われてね。それで顔に大怪我を負った僕は、国に無理矢理連れ戻されてしまったんだ」

「顔に…大怪我…?」


 ヴィクトルヴィアの言葉に、思わずヴィショップは怪訝そうな表情を浮かべる。何故なら、今目の前に居るヴィクトルヴィアの顔には、傷跡らしきものは全く存在していなかったからだ。

 ヴィクトルヴィアもヴィショップの考えていることが分かったのか、微笑を浮かべると、ヴィショップの考えを代弁した。


「どこにも傷なんてないじゃないか、と思っているんだろう? でもそれこそが、僕が『グランロッソ』に受けた“恩”なのさ」


 ヴィクトルヴィアはそう告げると、胸元からロケットを取り出した。そして蓋を開き、中に納められている肖像画がヴィショップに見えるように机の上に置いた。

 ヴィショップは机の上に置かれたロケットに納められている肖像画を覗き込む。肖像画には、夫婦と思しき二人の男女と、一人の少年が描かれていた。少年は目つきが悪く不満そうな表情を浮かべており、子供にしては中々に愛嬌の無い顔立ちをしていた。


「その子供が僕だ」

「…それはまた、随分と成長しなさったようで」


 ヴィクトルヴィアは肖像画に描かれた少年を指差すと、それが自分であると言った。

 しかし、肖像画の中の少年と違い目の前のヴィクトルヴィアは物腰の柔らかそうな顔立ちで、はっきり言って肖像画の少年とは似ても似つかなかった。

 ヴィショップは肖像画の少年と眼前のヴィクトルヴィアは交互に見比べた後、軽口を叩きながら肩を竦めた。

 ヴィクトルヴィアは微かに頷くと、話の続きを話し始める。


「その事故で、僕は顔の大半を抉り取られてね。後から聞いた話だと、即死じゃなかったのが奇跡だったらしい程の大怪我さ。でも、そんな僕を助けてくれた存在が居たんだ」

「焦らすなよ。早く言ってくれ」

「『グランロッソ』宮廷魔導士の、レイーザ・キャスターという人物だ。聞き覚えは?」


 ヴィクトルヴィアの問いに、ヴィショップは首を横に振って答える。それを見たヴィクトルヴィアは、そうかとだけ返すと、その後の顛末を語り始めた。


「その人は、死ぬはずだった僕の命を繋いでくれたばかりか、僕の顔を治してくれたんだ。…もっとも、僕の本来の顔がどんなだったのかを調べるだけの時間が無かったから、顔自体は今のものになったし、そのせいで父が激怒して僕を『スチェイシカ』に連れ戻したりしちゃったんだけどね」


 ヴィクトルヴィアは自分の頬を撫でながら、微笑を浮かべた。


「まぁ、そんなこともあってか、『スチェイシカ』に連れ戻された後も『グランロッソ』に対する想いが抜け切らなくてね。だから、『グランロッソ』に対して強硬姿勢を見せている現国王に反発してるのさ」

「成る程、たしかに大した理由じゃないな」


 ヴィショップが鼻を鳴らしてそう返すと、ヴィクトルヴィアは肩を竦めた。もっとも、大して気にしているようにはヴィショップの目には映らなかったが。

 ヴィショップは顎の無精髭を擦りながら、黙ってヴィクトルヴィアの顔へと視線を向ける。彼の表情に張り付いた笑顔が、僅かの崩れも見せずにヴィショップの視線を受けるのを眺めながら、ヴィショップは心中で呟いた。


(…今日はここが弾き時か)


 そして小さく溜め息を吐くと、ヴィクトルヴィアに話し掛ける。


「取り敢えず、俺の訊きたかったことはそれだけだ。付き合わせて悪かったな」

「いやいや、こっちとしても中々楽しめたよ」

「で、あんたが俺に話したいことって何なんだ?」


 聞くべきことを聞き終わったヴィショップは、さっさと帰るべく、ヴィクトルヴィアの話を急がせる。

 ヴィクトルヴィアは驚いたように目を丸めた後、苦笑を浮かべてから言葉を発した。


「何、そちらも大したことじゃない。ただ、君に一つ頼みたいことがあるんだ」

「何だ?」


 ヴィショップが訊ねると、ヴィクトルヴィアはその表情から笑みを消し去り、真剣な面持ちでヴィショップに語った。


「君も薄々感じている通り、エリザはこの革命に囚われている。いや、正確には過去に囚われているというべきか。そして彼女の中に渦巻く存在は、彼女を近い内に破滅へと導くだろう。だから、君に頼みたい。もしエリザが彼女の中に渦巻く存在に飲み込まれそうになった時、君に助けてもらいたい」


 この瞬間、ヴィショップは今日の中で最も強烈な驚きを覚えた。

 ヴィクトルヴィアがヴィショップに対して発した言葉は、彼が頭の中で思い描いていたどの言葉とも欠片程の一致もせず、故に彼に大きな驚きを与えたのだった。


「……何故、それを俺に頼む?」


 数秒の空白の後、ヴィショップはヴィクトルヴィアに問いかけた。

 ヴィクトルヴィアは真剣そのものだった表情を崩し、先程までと同じ人当りの良さそうな笑みを浮かべると、その問いに答えた。


「君は、誰か困った人に手を差し伸べてくれる、そんな人な気がしたからさ」

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