釣り針にはご用心
時刻にしてY0340頃。簡単な昼食を取ってを取ってから『ゴール・デグス』を後にしたヴィショップは、『オートポス』の町並みの一角に居を構える酒場に訪れていた。
「じゃあ頼むぜ。適当な頃合いにまた来るからよ」
「あいよ」
店の出入り口の扉を押しつつ振り返って声を掛けると、カウンターに立つ店主が投げやりな返事を返してくる。
書き入れ時にはまだ早い時間故に、客の数もまばらな酒場から出て来たヴィショップは、尻ポケットから『オートポス』の地図を取り出し、地図上に書かれた複数の丸の内の一つにバツを付けた。
「にしても、この町は酒場ばっかだな。しかも安酒しか置いてない、場末の酒場ばかりだ」
ヴィショップは、段々と地平線に近づいていく太陽に照らされた手元の地図を眺めながら、、そう呟いた。
『ゴール・デグス』を後にしたヴィショップは今に至るまで、『オートポス』中の酒場を巡って歩き続け、一軒一軒で目的の三人組の似顔絵が描かれた紙切れを見せ、三人の所在を尋ねて回っていた。だが、今現在十件近く回ったものの、三人組みについて有力な証言もたらしてくれる酒場は無く、三人組を見かけたら教えてくれ、とだけ告げて酒場を後にするのが続いていた。
もっとも、これはヴィショップ自身予想出来ていたことだから問題は無かった。酒場を探し回る程度で所在が掴めるようなら、既に報復にあって死んでいてもおかしくはない。それがないということは、ただ聞いて回るだけでは見つけられないということであり、ヴィショップ自身このこの方法だけで見つけられるとは思っていなかった。それよりもむしろ問題なのは、『オートポス』に存在する酒場の数の多さだった。
ヴィショップは『ゴール・デグス』を出る前に地図に酒場の場所を記入してもらったのだが、地図に書き込まれた丸の数はざっと見ただけでも三十以上はあった。特に港の近くには集中して多く、マーブル状の模様にすら見えてくる有り様だった。
しかし、これはある意味では必然ともいえる現象だった。『オートポス』は『スチェイシカ』で最大の大きさを誇る港町。『グランロッソ』との国交こそ消極的とはいえ、国民が消費する水産物の大半を賄うこの町では、朝早くに船を出し夜遅く、航海禁止時刻ギリギリまで漁を続ける漁師たちが数多く居る。そして、狭い船の中、一日の大半を力仕事に追われる彼等の、僅かな安息の時間に行える娯楽といえば自ずと数は絞られる。そんな僅かな娯楽の中で、最も幅を利かせているのが酒なのだ。
「取り敢えず港付近を除いた酒場は大抵回ったが……まだまだあんな、こりゃあ」
とはいえ、確かな理由が存在するからといって疲れが帳消しになる訳でもない。ヴィショップはガシガシと後頭部を搔くと、次の酒場に向かって歩き始めようとする。
「…ん? また教会か?」
足を動かそうとした瞬間、ヴィショップの視界に教会の証である、百合に似た花を加えた梟をモチーフにしたレリーフが飛び込んでくる。レリーフであれ鉄細工であれ、ヴィショップがその紋章を目にするのは今日に入ってから二度目だった。
「そういや、ここに来た時も二つほど見かけたな…」
昨晩見かけた二つの教会のことを思い出して、ヴィショップは小さく呟く。
港町に酒場が多いことは納得がいく。だが、教会が異様に多いのは納得がいかなかった。
「女神拝むと、水難から逃れられでもすんのかね?」
ヴィショップは軽口を呟いて、教会の方に向かって歩き出す。そこには、先程からずっと鼻孔を刺激し続けてきたアルコールの匂いから一時的にでも逃れたいという欲求に加え、『パラヒリア』で感じた自身の魔法の力不足、そしてあからさまに多い教会の数に、ちょっとした興味が沸いていたことが関わっていた。
そして何より、三人組みを探して回っている奴が居る、そんな噂が流れる程度には充分な数の酒場を回っていたことが大きかった。
「そういや、教会なんて来るのはガキの頃以来だな。…入った瞬間心臓発作とか起きねぇよな?」
木製の扉に手を掛けた瞬間、ヴィショップはふと思い出したように呟いて、丸いリング状の取っ手に伸ばし掛けた手を止める。
「でもまぁ、他でもない神サマのお墨付き貰ってる訳だし、大丈夫だろ」
一人で勝手に納得して頷くと、ヴィショップは取っ手を引いて扉を開き、中に入る。
教会の中に広がる礼拝堂は、『クルーガ』にあった、そして“元の世界”にあった教会と同じような構造をしていた。やけに高い天井、規則的に並べられた長椅子、演説台の様な祭壇、パイプオルガン。広さこそ『クルーガ』のものに劣るが、中の光景は殆ど同じだった。だがそんな光景の中で、ただ一つヴィショップの眼を引き付けた存在があった。
それは、祭壇の後ろの壁に掛けられた巨大な一枚の絵画。恐らくは女神に纏わる物語の一部分を描いたもので、この世界の神話など欠片も興味も無ければ知ってもいないヴィショップが、思わずじっと見つめてしまう程の代物だった。その絵画からは、描かれた全ての事象が今実際に起こっているかのようなリアリティを帯びた存在感を放たれていた。英雄らしき男の女神が王冠を与え、男がそれを恭しく受け取るという光景が、今まさに目の前で行われているかのように錯覚させる、強烈な何かをその絵画は持っていた。
身の丈を優に超す、装飾など殆ど施されていない無骨な額縁に納められた、神秘的かつ壮観な一枚の絵画に目を奪われていたヴィショップは、不意に右斜め前方から聞こえてきた扉の開く音に反応してそちらに視界を向ける。
視線の先には、扉をから出て来た一人のシスターが立っていた。黒を基調とした、身体のラインをはっきりと見せないゆったりとした修道服で身を包み、首元には女神の僕であることを示す梟をモチーフにした銀製の紋章を掛け、典型的な修道女の恰好をしている。その一方で、本来髪を隠し切る程に頭をピッチリと覆っている筈のウィンクルは存在せず、フードと白と黒二つのケープからは腰まで届く銀髪を覗かせていた。灰色の眼を持つ顔付きは美麗だが、同時に幼さを含んでおり、どこか庇護欲をそそらせる危うさを帯びていた。
「礼拝にいらした方ですか?」
ヴィショップと目があったシスターが、警戒心など微塵も孕んでいない純朴な笑みを浮かべて問いかける。
「いや、見かけたから少し立ち寄っただけだ。それにしても、大した絵だな、コイツは」
ヴィショップは微笑を浮かべてシスターの言葉を否定すると、コツコツと靴音を立てながら祭壇に向かって歩いていく。
「世界を救った“名も無き英雄”に女神様が、褒美として王となる資格をお与えになさっている光景を描いたものです」
「へぇ。俺は宗教に興味は無いんだが、それでもこの絵を見てると、女神様とやらが実際に居るような気分になってくるよ」
「女神様は実在します。ただ、私達では目で見ることも手で触れることも出来ない場所に居られるだけで」
ヴィショップの言葉に不快感を覚えた素振りも見せず、シスターは返事を返す。ヴィショップはそんなシスターの姿に苦笑を浮かべて、祭壇に最も近い長椅子に腰掛けた。するとシスターはヴィショップの隣まで歩いてきて、そのまま彼の真横に腰を下ろした。
「とにかく俺が言いたいのは、この絵からは確かな才能ってやつを感じるってことさ。恐らくは名の売れた画伯が描いたんだろうな。いくらぐらいしたんだ?」
「あ、あの、その…」
ヴィショップがからかうような笑みを浮かべて訊ねると、シスターは何を思ったのか顔を下げ、恥ずかしそうにもじもじと身体を動かす。ヴィショップがそんな彼女のことを怪訝そうに見ていると、シスターは真っ赤に染めた顔を上げて口を開いた。
「その絵は、私が描いたんです…」
「マジかよ…」
シスターの言葉を受け、ヴィショップは思わず目の前の絵画と真横のシスターな顔を見比べる。
「アレを、あんたがか?」
「は、はい…」
「…ジーザス、こいつは驚いた」
再び俯きがちになったシスターの返した返事に、ヴィショップは驚きの表情を浮かべてシスターのことを値踏みするようにまじまじと見つめる。
「あんた、歳は?」
「じゅ、十六です…」
「……そいつはますます驚きだ」
ヴィショップはそう呟いて、視線を恥ずかしげに顔を背けるシスターから、再び前方の絵画へと向ける。
シスターはヴィショップの視線が己から絵画へと向けられたのを確認すると、依然として恥ずかしげな様子のまま言葉を発した。
「皆、貴方みたいになります、私が描いたっていうと。信じられないものでも見るような感じで、私とその絵を見ます」
「そりゃそうだろ。嬢ちゃんみたいな子供がこれ描いた、なんて聞いたら誰でもそうなるさ」
「うーん、私、そんなに子供っぽいでしょうか?」
「ナリの問題じゃないな。雰囲気の問題だ」
「そうでしょうか? これでも、しっかりしている方だと思うのですが。戒律を破ったりすることも、殆ど無いのに…」
「その発想に至る時点で、まだまだだな」
ヴィショップはシスターの返したてきた言葉に苦笑を浮かべると、少し前から気になっていたことを訊ねた。
「ところで、この町はやたら教会が多いな。何でなんだ?」
「…? 教会が多いのは、この国全てに言えることですよ?」
ヴィショップが問いかけると、シスターは不思議そうな表情を浮かべる。ヴィショップは心中で舌打ちを打つと、一瞬で話をでっち上げて口を動かした。
「実はこの国は初めてでね。仕事の関係で『グランロッソ』から来たばかりなんだ」
「へぇ、そうなんですか。お隣の国からいらっしゃってる方なのですね。なら、教会が多い理由を知らないのも無理はない話です」
下手に知らない国のことを持ち出してボロが出るのも不味いので、ヴィショップはやむなく『グランロッソ』の人間でるとシスターに告げたが、彼女は嫌悪感など全く感じていなさそうな笑顔を浮かべて教会が多い理由を説明してくれた。
「教会が大量に建てられているのは、現国王と教会が親密な関係にあるからです」
「国王と教会が? それはまたどうして?」
「現国王は、世界でも有数の神導魔法の使い手なのです。その為、教会は現国王の政権を、女神様の庇護に預かった神聖なる政である、としてとても指示しています。それは現国王も同じで、我等が国は女神に認められた神聖なる国家である、として教会に活動を熱心に応援しています」
「ふぅん、そういった事情か…」
シスターの説明を聞いたヴィショップは、無精不気を擦りながら淡白な返事を返す。
(“元の世界”とは違って、こういった形で国と宗教が結びつく場合もある訳か…。教会は国の、国は教会という名の最大規模の民営組織のサポートを受けられるって寸法か…まったく、骨の折れそうな話だ)
“元の世界”とは似て非なる繋がり方をする国と教会に、思わずヴィショップは心中で溜め息を吐く。恐らく、神の意志に従っているだ神の子孫だのと、ただ語るだけの“元の世界”とは違って神導魔法という存在がある以上、説得力と結びつきの強さは“元の世界”と比較しても強力なものとなっているだろう。現国王とやり合うことは、この国の教会全てとやり合うことになるといっても過言ではない筈だ。
「あの、どうかしましたか? 少し表情がお硬いようですが…」
「…いや、何でもない」
「ならいいのですが…。あの、ところで一つお願いしてもよろしいでしょうか…?」
ヴィショップが無言で無精髭を擦りながら物思いに耽っていると、シスターが心配そうな面持ちで彼の顔を覗き込んでくる。
ヴィショップがそれに返事を返すと、シスターはほっと一息ついたあと、どこか遠慮がちにヴィショップに頼みごとを持ちかけてきた。初対面で、しかも出会ってから数分しか経っていない自分への頼みごとということもあり、ヴィショップは怪訝そうな表情を浮かべつつ返答する。
「まぁ、大したことじゃなければ構わないが…」
「あの…『グランロッソ』のことについてお話してほしいのです」
「…知っている範囲で良いなら話すが、何で知りたいんだ?」
ヴィショップの返事を聞いたシスターは、一目で分かる程に喜色を露わにする。一方のヴィショップは、一応最低限の貿易は行われているとはいえ仮想敵国に等しい国の話を聞きたいというシスターに、怪訝そうな表情を強めて訊ねる。するとシスターは、どこか誇らしげな表情を浮かべながら話しはじめた。
「私の両親は、世界中を旅してまわっている商人なんです」
「シスターの親は俗世に生きる商売人、か」
「ええ。でも、とっても優しくて良い人なんですよ。顔はよく覚えていないんですけど」
「…帰ってこないのか?」
「はい。でも、手紙は送ってきてくれるんです。だから、元気に世界中を旅して回っているってことは会わなくてもわかります」
そう語るシスターの表情には、寂しげな色は微塵も無かった。あったのは、顔も思い出せない両親に対する愛情と尊敬、それだけだった。
「手紙には、世界中の色々な場所のことも書いてあるんです。そこで何を行ったとか、どんな人にあったとかも」
「成る程、それが外国に興味を示す理由か」
シスターの発した言葉を聞いて、ヴィショップは心中で呟く。
(興味があるのは『グランロッソ』じゃなく、世界そのものについて、か)
世界の情勢などには微塵も興味を示さない、目の前の少女の純朴な探究心にヴィショップは思わず苦笑を浮かべる。
ヴィショップが苦笑を浮かべたのに気付いたシスターが不思議そうな表情を浮かべたのを見て、浮かべていた苦笑を霧散させると、ヴィショップは少女に問いかけた。
「理由は分かったが、別に面白い話は無いと思うぜ。それに、あんたなら『グランロッソ』の話ぐらい、既に聞いてそうな気がするけどな」
「確かに他の方からお話ししてもらったことはありますけど、最近は『グランロッソ』から来る人もめっきり減ってしまったので、最近のことは知らないのです。それに、例え同じものを見てきたのだとしても、見方によってそれは大きく形を変えます」
シスターはにっこりと笑みを浮かべて、そう返す。ヴィショップは彼女の言葉の前に観念したような笑みを浮かべると、尻ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認しつつ、返事を返した。
「オーケイ、そんなに言うんなら話してやるよ。ただし、その代りと言っちゃあ何だが、一つ頼みがある」
「何ですか? 私に出来ることなら何でもいいですよ」
依然としてニコニコと笑みを浮かべながらシスターが返事を返すと、ヴィショップは小さく笑みを浮かべて口を動かした。
「まず、一つ目。あんたの名前を教えてくれ。いつまでもあんた呼ばわりじゃ、女神様にど突かれそうなんでな」
「そういえば名乗っていませんでしたね。私としたことが、申し訳ありません」
シスターはヴィショップの言葉でハッとした表情を浮かべると、姿勢を正して自分から自分の名を名乗った。ヴィショップはそんな彼女に視線を向けながら、右手の手袋を外す。
「サラです。サラ・ノウブリス。以後、お見知りおきを」
「ヴィショップ・ラングレンだ。よろしく」
シスター…サラの自己紹介に合わせてヴィショップも己の名を告げると、互いに手を差し出して握手を交わす。二、三回程握り合った手を上下に振ったところで手を放すと、サラはヴィショップに問いかけた。
「それで、もう一つの頼み事はなんですか? 一つ目、とおっしゃったからにはまだあるのでしょう?」
「まあな。というか、こっちが本命だったりする」
サラに指摘されたヴィショップは、手袋を填め直してから返事を返した。
「実はこう見えて俺、神導魔法の素質があるんだ。で、初級編をそろそろ手に入れたいと思ってるんだが、その為のテストを都合してくれないか?」
「今日は有難うございました。面白いお話が聞けて、本当に楽しかったです」
「あぁ、こっちも助かったよ。また機会があったら顔を出しに来る」
既に日は沈み、時刻はY0812となった頃。教会から出て来たヴィショップは、扉の前に立ってこちらに向かって手を振るサラに手を振りかえしてから、彼女に背を向けて歩き出す。
自己紹介を済ませた後のヴィショップの頼みごとをサラは特に嫌な顔一つせずに引き受け、すぐに別室に案内して試験を執り行ってくれた。内容は簡単な質疑応答と魔法の実演、そして血の契約の三つだった。そのどれもが大したことはなく、最初から合格することを前提に設けられたような内容で、実際一時間程度で全てが終了し、合格の証である神導魔法が納められた書物を手に入れることが出来た。そしてその後、最初の約束通りサラに『グランロッソ』の近況(『パラヒリア』での一件を除いた)について話し、それに予想以上に彼女が喰い付いてきたのもあって、今の時間まで教会で話しこむ破目になってしまった。
「ったく、何が面白くてそこまで夢中になれるのか。それとも、それが若さってやつかね?」
別の通りに入って教会が完全に姿を消したところで、ヴィショップは苦笑を浮かべつつ小さく呟く。左手には、今日手に入れた神導魔法初級編の入った袋がぶら下げられており、歩くのに合わせて小刻みに揺れていた。
(だが、まったく無駄足だったって訳でもないか…)
港の方に歩を進めつつ、ヴィショップは心中でサラから聞いた話を思い浮かべる。
国王の持つ神導魔法の才能。それ故に国と結びついた教会という組織。国家とは別の、大きな力を持った組織が敵に回る可能性の浮上は、この国の墜とし方にも大きく関係してくるだろう。
(こうなると、益々時間をかけての攻略は無理臭いな…。レジスタンスの規模にもよるが、国と教会相手に正攻法で渡り合う程の戦力はねぇだろうし…)
ヴィショップは物思いに耽りつつ、懐から煙草を取り出して口に咥える。そして煙草の先端付近に右手の人差し指を近づけると、器用にも煙草を咥えたまま呪文を詠唱した。
「四元魔導、烈火が第十四奏。“グリム・コープ”」
ヴィショップが呪文を詠唱すると、人差し指の先端に小さな火の玉が出現して、煙草に火を灯す。ヴィショップは火が灯ったのを確認すると人差し指を軽く振って火の玉を消滅させる。そして煙草の煙を肺まで溜め込み、指で煙草を挟んで口元から遠ざけ、吸い込んでいた煙を吐き出した。
「取り敢えずは“こっち”が優先、か…」
ヴィショップはそう呟いて頭の中で巡っていた思考を放棄すると、酒場が固まっている港付近への歩を速める。それも相まってか煙草を一本吸い終わる頃には、酒場が固まっている地域の入り口に辿り着けていた。
「いかにも、って感じだな。“カリブの海賊”さまさまだ」
むせ香るようなアルコールと様々な食事(大半は油っ気の多い)、そして煙草の香りに、ヴィショップは小さく鼻を鳴らす。
目の前には地図から予想できた通り、月明かりの存在を完全に喰らわんばかりに灯りを煌々と灯した酒場が何件も連なっていた。ただ、客の数はそこまでではなかった。恐らくこの国での書き入れ時は、航海禁止時刻の後に訪れるのだろう。それでも、船乗り以外の人間や単に今日は船を出していないだけの人々で、大抵の酒場の席は埋まっていたが。
「まぁ、あまり人が多くても面倒だからな。今の内にさっさとケリを付けるか」
ヴィショップは人々の歓声で賑わう酒場の群れをざっと見渡すと、とりあえず近場の酒場に足を踏み入れた。
木製の自在扉を抜けて店内に足を踏み入れると、空きっ腹に直接訴えかけるような食事の匂いと、喉の渇きを換気させる酒の匂いが、より強烈にヴィショップの鼻孔をくすぐる。
ついでにどこかで食事を取るのも悪くない、と思いつつヴィショップは屈強な男達が居座るテーブル群を抜けてカウンターに近寄った。
「よう、景気はどうだ?」
「悪くない。が、良くもない。まともに外国の船が来てた、昔に比べればな」
カウンター席に座る男二人の間に割って入るようにしてカウンターに近づくと、ヴィショップは何の変哲も無い客を装って、無心にグラスを磨いているバーテンに話し掛ける。
バーテンは横目でヴィショップを見ると、すぐに視線を手元のグラスに戻して返事を返す。ヴィショップは己から視線を外したバーテンを見て微笑を浮かべたかと思うと、外套で手元を隠しつつ硬貨の入った小さな袋を取り出し、口を塞いでいた紐を解き視線だけを落として中を確認する。袋の中には金貨が三枚と銀貨が五十枚近く、銅貨が三十枚と小銅貨が二枚程入っており、ずっしりとした質感を掌に伝えていた。
「いきなりで何だが、あんたに一つ頼みたいことがある」
「……何だ?」
ヴィショップはバーテンにそう告げると、銀貨を二枚カウンターの上に置いた。
左右の男が興味深そうな視線をヴィショップに向ける中、バーテンは二枚の銀貨がカウンターの上に置かれる音が鳴ってからようやく返事を返しつつヴィショップの方に視線を向ける。当然、バーテンの右手に握られていた布はカウンターの上に置かれ、彼の右手はカウンターの上の銀貨へと伸ばされていた。
ヴィショップはバーテンの右手がカウンターの上の銀貨を包み込んだのを見て取ると、懐から例の三人組の似顔絵が描かれた紙切れを取り出して、銀貨に向けて伸ばしたバーテンの右手の上に置いた。
「こいつらが来たら、酒でも出して引き留めておいてほしい。他にも何軒か回る予定だから、顔は憶えてくれ」
バーテンは面倒臭そうにグラスをカウンターの上に置き、三枚の紙切れを手に取ってまじまじと眺める。
その瞬間を、ヴィショップは見逃すことはなかった。バーテンの目が三人の似顔絵の上を一通り横切った瞬間、彼の表情から気怠そうな気配が消えた、その瞬間を。
「心当たり有るか?」
「あ、あぁ。こいつ等なら知ってる。多分、他の店で飲んでる筈だ。今、呼び出してみる」
ヴィショップが訊ねると、バーテンは何取り繕う様にどもりつつ返事を返して、足早に奥の厨房に向かって歩き出す。
ヴィショップはバーテンの背中に視線を向けつつ薄笑いを浮かべ、左手の指で魔弓のグリップを撫でた。
「連絡がついた。今こちらに向かっているらしいから、これでも飲んで待っててくれ」
首だけを動かして店内の様子を眺めながら待っていると、バーテンが果樹酒の注がれたグラスを手に帰ってくる。
「そうか。そいつは良かった」
先程と違い、ニヤニヤとどこか媚びた感じの笑みを浮かべながら戻ってきたバーテンを一瞥して、ヴィショップは懐から取り出した煙草を咥えてマッチで火を点けた。
バーテンは煙草を燻らせるヴィショップをじっと見つめつつ、質問をしてきた。
「何の用であいつ等と会うんだ?」
「あんたには関係ないさ」
ヴィショップが素っ気なく返事を返すと、バーテンの笑みが引きつり彼の口が動きを止める。ヴィショップはそんなバーテンに背中を向けると、カウンターに寄り掛かりながら自在扉の方に向き直った。
「なぁ」
そうしていると、不意にバーテンがヴィショップに声を掛けてきた。僅かに振り向いて確認したバーテンの表情には、どこか焦りのようなものが覗えた。
「…飲まないのか? 自慢じゃないが味は…」
「そこそこ大事な話をするんでな。酒は入れときたくない」
バーテンに最後まで言い切らせずに返事を返すと、ヴィショップは再び視線を自在扉へと向ける。
バーテンを視線の外に押しやった直後、ヴィショップの耳がバーテンの打った舌打ちを捉える。それは、目的を済ませた瞬間に全く愛想の無いものへと変わったヴィショップの態度に向けてのものかのような舌打ちだったが、ヴィショップは理解していた。その舌打ちが、自分の冷淡な態度に向けたものでなく、自分の出した果樹酒が手つかずのまま放置されていることについてのものだと。
そうして自在扉に視線を向け、全く会話のやり取りが行われないまま十数分が過ぎた頃、店の出入り口である自在扉が動き、二人組の男が店の中に足を踏み入れる。
その瞬間、店内の喧騒が一瞬にして鳴りを潜め、全ての人間の視線が自在扉を抜けて店内に入ってきた二人の男へと向けられる。
そんな状況の中、ヴィショップは小さく口角を吊り上げた。
(成る程、かかったのは“そっち”か…)
二人の男はその身を軍服で包んで、自在扉の目の前に立っていた。『スチェイシカ』の国旗である二本の鎌を携えた鷹を象った、鉄製のエンブレムを胸元で光らせながら。




