Table Manners
「ハッ…ハッ…ハァッ…」
しんと静まり返った室内に、レズノフの荒い息遣いのみが発せられる。
レズノフは全身の至る所から剣を生やし、そして至る所から血を流しながら、レズノフは視線を足元から眼前のハインベルツへと移す。左目を潰された影響からか視界が狭く感じられるものの、残る右目は正常に働いてくれているようで、先程までの殺気が完全に霧散し、レズノフにもたれかかった状態でピクリとも動かないハインベルツの相貌をしっかりとレズノフに教えてくれた。
亜麻色の髪と髭を生やしたその双眸には、今や欠片程の生気も存在していなかった。口元からは一筋の血を垂らし、目からは光が消失していた。『ルィーズカァント領』駐屯騎士団団長、ハインベルツ・グノーシアは、間違いなく絶命していた。
レズノフはハインベルツが事切れているのを確認すると、刀身を伝わって垂れてきた血で濡れた右手を動かし、ハインベルツの心臓に突き刺しているロングソードを引き抜いて一歩後ずさる。
レズノフという支えを失ったハインベルツの死体は、心臓の真上に位置する鎧の隙間から鮮血を溢れさせながら、ゆっくりと床に崩れ落ちた。
音を立ててうつ伏せに倒れたまま、己の流す血でできた水たまりに沈むハインベルツを、レズノフは無言で眺める。レズノフは頭から順番に視線を移していき、ハインベルツの左手が未だに長剣を握り続けているのに気付くと、そこで視線を止めて、小さな含み笑いを漏らした。
「ククッ…テメェは俺を狂人だとか何だとか言ったが……テメェも大概だぜ…?死んでも…得物を離さ…ねェなんてよ…」
最後まで言い切るのを待てずにレズノフの膝が笑い始め、終いに尻もちをつくようにして床に倒れ込んでしまう。
「ハァ…ハァ……クソッ、最高だったぜェ…! ヒャハ、ヒャハハ…ヒャハッ…」
何とか上体を起こしてハインベルツの死体を眺めながら、レズノフは絞り出すようにして笑い声を上げる。その笑い声は彼が“この世界”に訪れてから上げた中で最も弱々しかったが、同時に最も楽しげでもあった。
そうして床に寝転がりながら、止めどなく自分の身体から血が流れているのも気にせずに笑っていると、不意にレズノフの後ろから声が発せられた。
「えっと…このいささかホラー染みた光景について、僕はどうコメントしたらいいんですかね?」
儚げながらも満足感に満ちたレズノフの笑いを遮ったのは、明らかな温度差を孕んだ男の声。それに反応してレズノフがゆっくり視線を声のした方向へと向けると、そこには引きつった笑みを浮かべるミヒャエルが立っていた。
「んだよ、テメェかよ…。今、良い気分なんだから、邪魔すんじゃねェよ…」
「邪魔して欲しくないんならしませんけど、しないと死にますよ?」
声の主がミヒャエルであることに気付いたレズノフは、苛立たしげな声を出す。
だがミヒャエルは、レズノフの声がいつもに比べて格段に弱々しいものであることを敏感に嗅ぎ取ったのか、ニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべて杖を弄びながら、返事を返す。
レズノフはつまらなさそうな表情を浮かべて少しだけ思案した後に、仕方なさそうに口を動かした。
「分かった。邪魔していいから、さっさと治療しろ、強姦魔」
「言い方に難が…」
「やんねェなら、テメェの役立たずの両手をここでぶった切るぞ?」
「…はいはい、やりゃあいいんでしょう、やれば…」
言葉を遮って飛んできたレズノフの脅し文句を受けて、ミヒャエルは先程のレズノフ以上に仕方なさそうに治療に取り掛かる。
が、
「つっても、コレ、何やったらいいんでしょうね? 僕、治癒魔法なんて使えませんし。…懺悔でも聞きましょうか?」
身体の様々な所に剣を生やしているレズノフの状況を改めて認識すると、ミヒャエルはさっさと諦めて看取る準備に入ろうとする。
レズノフは小さく溜め息を漏らすと、身体を少し動かしただけで全身に奔る激痛に微かな呻き声を漏らしながら上半身を起こし切り、右手を動かして腹に突き刺さっている剣の柄を握りながら、指示を告げた。
「俺が剣を引き抜くから、テメェは魔法で炎でも作って傷口を焼け」
「えっ、いいんですか? 絶対痛いですよ…?」
「いいからさっさと準備しろ、ヘタレ強姦魔」
ミヒャエルが明らかに引きながら反対するが、レズノフはそれを一蹴する。
「しょうがないですね…。頼むから漏らさないでくださいよ?」
「誰にモノ言ってんだ、バァカ」
ミヒャエルの軽口に、余裕綽綽といった感じの笑みを浮かべてレズノフは答える。そしてそれを受けたミヒャエルが、魔法を発動しようと詠唱を口にしかけた、丁度その時、
「なぁ、そっちは……オイ、アンタ、大丈夫かよ!?」
未だに意識を取り戻さないナターシャを負ぶりながらジェードが私室に足を踏み入れ、レズノフの有り様を見て驚いたような声を上げた。
「ったく、これからって時に騒がしいガキだなァ、オイ」
ナターシャを負ぶりながら、危なげな足取りでこちらに駆け寄ってくるジェードの姿を見て、レズノフは呆れ混じりの声を上げる。
しかしジェードはレズノフの発した言葉に気付かぬままレズノフの近くまで来ると、ナターシャを負ぶったまま倒れ込むようにしゃがんで、レズノフに視線を合わせる。
「そ、その目…!?」
「アァ? これか? 全く、大したもんだぜ、あの騎士団長殿はよォ。最後の突き、全ッ然見えねェんだからよォ」
まるで涙の様に血を流している左目について問われたレズノフは、先程までの殺し合いを思い出してか、楽しげな笑みを浮かべながら返事を返す。
しかしレズノフの話を聞くジェードからは、思いつめたような表情が消えることはなかった。
「左目、見えるのか…?」
「いんやァ、全くゥ?」
「そうか……クソッ!」
レズノフの返答を聞いたジェードが、声を上げて悪態を吐く。そしてミヒャエルから迷惑そうな、レズノフから少し驚いたような視線を受けながら、すまなそうに口を動かした。
「すまない……俺のせいだ…。本来なら、俺が奴を倒すべきだったのに、結局アンタに任せた挙句、ハインベルツを殺させ、左目まで…!」
頭を下げ、悔しさを声の端々に滲ませながら、ジェードは謝罪の言葉を吐く。
レズノフはそんなジェードの姿をつまらなさそおに眺めると、冷めた声音で言葉を発した。
「止めろ。んな女々しい真似すんじゃねェよ、下らねェ」
「だが…!」
「止めろっつってんだよ、クソガキ。俺がこのザマになったのは俺の行動の結果だし、俺はこの結果にヒジョーに満足してる。つまんねェ茶々入れんじゃねェよ、ダボが」
言い返そうとするジェードの言葉を遮って、レズノフは一方的に言葉を叩き付けると、本気で不愉快そうに視線を逸らす。
そんなレズノフの態度が理解出来ず、ジェードは視線をミヒャエルへと向けるが、帰ってきたのは肩を竦める動きだけだった。ジェードはそんなミヒャエルの返事を見て困った様な表情を浮かべると、恐る恐るといった様子でレズノフに話しかける。
「だけど…ハインベルツの件はどうするんだ? 仮にもアイツは騎士団長なんだぞ…?」
「あの野郎が事件の中核の一部だったことは、ほぼ確実だろォ。だから、恩赦でも貰えんだろ。それよりィ…」
レズノフは逸らしていた視線をジェードに向け、不愉快そうな表情の残滓を浮かべたまま問いかける。
「妹、助けに行かなくていいのかァ?」
「助けにはいくさ。だが、領主の姿がどこにも…」
「ン」
馬鹿にするな、とでも言いたげな表情を浮かべて返事を返したジェードに見える様に、レズノフは右手を挙げて部屋の壁に取り付けられている獅子の像を指差した。
「あの裏に隠し扉がある。あの変態は、そこに入ってったぜ」
「なっ、本当か!?」
「アァ。口に手ェ突っ込めば開くぜ。さっさと行ってやれ」
驚いた表情を浮かべたジェードにそう告げると、レズノフは自分の右の太腿に突き刺さっていた剣を血が噴き出すのも構わずに引き抜き、ジェードに渡してやる。ジェードはその光景を見て何か言いかけたが、先程のレズノフの言葉を思い出したのか、何も言わずに剣を受け取った。
「あとは奴一人だ。手筈通りなら直にギルドの援軍が到着するだろうが、やっぱし囚われの姫さんは王子様の手で助けられるのがセオリーだ。だろォ?」
「……そうだな。恩に着る」
ニヤリと笑みを浮かべて軽口を叩くレズノフ。ジェード自身も小さく笑みを浮かべてそれに答えると、レズノフから受け取った剣を右手に持って歩き出し、そして獅子を象った像を動かしてその裏にある扉の向こうに消えていった。
「一人で行かせてよかったんですか? 歩調、まだ少し危なげでしたよ?」
ジェードの姿が消えた後になって、ミヒャエルがレズノフに問いかける。
「何かも同じこと言わせんなよ、強姦魔。それより、さっさと魔法使え。失血死で俺を殺してェのかァ?」
「…正直、そういった感情が無い訳ではないですけど、それするとヴィショップさんに殺されそうなんで止めときますよ」
レズノフの発した返事に深いため息を吐くと、ミヒャエルは手にしている杖を構え、魔法の詠唱に取り掛かった。
レズノフとミヒャエルと別れたジェードは、右手にレズノフの血で染まった剣を構えながら、冷たい石造りの階段を下りていく。階段は急で狭い上に結構な長さがあり、その上、光源用の神導具が壁に点々と掛けられているにしてもかなり薄暗かったため、下り切った先にある古めかしい扉の目の前まで辿り着くのには、数分を要してしまった。
扉の目の前まで辿り着いたジェードはそこで立ち止まり、大きく深呼吸をする。
妹の存在がもうすぐ手の届く所までに迫っている、という事実に逸る心を無理矢理落ち着かせ、十全とは到底言い難い身体で最大限のパフォーマンスが出来るように息を整える。この先に居るのは肥満体系の男が一人とはいえ、場所は向こうのホームグラウンド。油断はなど許されない。
「……よし。今行くぞ、ネリア…」
小さく呟くと、ジェードは覚悟を決めて右脚を前方に力の限り突き出す。時代の重みを感じさせる扉は意図も簡単に蹴破られてその役目を放棄し、ジェードは右手で剣の柄を握りしめながら部屋に脚を踏み入れた。
薄暗い部屋に一歩脚を踏み入れた瞬間、ジェードの視界にドーマの陰惨なる嗜好を手助けする数々の道具が飛び込んでくる。そのいくつかには、明らかに使用したことのある形跡も残っており、もし平時ジェードがこれらを目にしたのなら、間違いなく強い嫌悪感に襲われていたことだろう。
だが今のジェードにそんな感情を抱いている暇は無かった。何故なら、
「く、来るなァァァ! 来たら殺すぞォォォ!」
今回の事件の中核に居る存在の一人にしてこの屋敷の主、ドーマ・ルィーズカァントが、少女の首元にナイフを突きつけて人質にとっていたのだから。
冷静さの欠片も無い声が室内に木霊する。少女を抱き寄せて首元にナイフを突きつけているドーマの胸元は大きくはだけており、大粒の汗が浮かんだ不健康そうな肌が露出しており、両目は落ち着きなく周囲を泳ぎ、ナイフを握る手は小刻みに震えている。そんなドーマの腕の中で震える少女は、顔こそ陰に隠れて見えないものの、身に着けているぼろきれ同然の服の上からでもはっきりとわかる程に身体を震わせており、怯えているのが見て取れた。
そんなドーマと少女の姿を見た瞬間、おぼろげに残っていたジェードの冷静さは簡単に吹き飛んだ。
ジェードの左手が弾かれた様に挙げられ。掌がドーマへと向けられる。その時点ですでに彼の腕に刻み込まれた呪文が緑色の光を放ち、薄暗い室内を仄かに照らし出していた。
その有り様を見たドーマの怯えた表情が、より鮮明にジェードの視界に入ってくる。そしてたじろいだドーマが何か言葉を発しようとした瞬間、ジェードの左手から三日月状の風の塊が射出された。
「ぎゃあああああああああっ!」
無様な叫び声が室内に響き渡る。
射出された風の塊はナイフを握るドーマの左腕へと真っ直ぐ飛んでいき、くの字に曲げられた左腕の肘の部分を切断し、ドーマの左腕を綺麗に三等分にした。
切り落とされた腕が床に落ちるのに続いて、腕を三等分されたドーマがひっくり返るようにして転倒する。その弾みでドーマに人質にされていた少女も、突き飛ばされるようにして床に倒れ込み、小さな悲鳴を上げた。
ジェードはその悲鳴で、ドーマへの怒りで失っていた正気を取り戻すと、倒れている少女に向かって駆け寄った。
「お、おい! 大丈…夫…」
床に倒れた少女に手を伸ばし、起こそうとした瞬間、言葉を発しかけた彼の唇がその動きを停止する。
ジェードの視界には、少女の相貌が鮮明に映っていた。薄汚れ、涙の跡がくっきりとついている白い肌。その肌と対照的な黒い瞳と、背中までかかる長さの黒い髪の毛が。
その少女の相貌を見た瞬間、ジェードの心中に一つの感情が乱舞する。
(ネリアじゃ…ない…)
それは、期待を裏切られたことに対する失望の念。今、彼の手の中に居る少女は、彼が再開を欲した妹では無かったのだ。
『どうせもう、変態野郎のオモチャにされてくたばってるさ』
「クッ…!」
ジェードの脳裏に、かつてレズノフが発した言葉が浮かび上がる。ジェードはその言葉と、それが示唆する最悪の可能性、そして自分の中に浸透しようとしている失望の念を頭を振って振り払うと、ぎこちない笑みを浮かべて少女に話しかける。
「大丈夫か?」
「…はぃ」
「そうか。今、上へ連れてってやる。だけどその前にやることがあるから、もう少しだけ待っててくれないか?」
「…はぃ……」
ジェードは少女が弱々しげながらも返事を返したのを確認すると、コートを脱いで少女の肩にかけてやってから、ドーマの方に向かって歩き出す。そして左腕から血を流しながら全身の死亡を振るわせてのた打ち回っているドーマの胸ぐらを掴んで無理矢理立ち上がらせ、壁に押し付けると、ドーマの首元に刃を突き付けながら荒々しく問いかけた。
「答えろ。俺の妹はどこだ!」
「き、貴様の妹だと…ふぎゃっ!」
焦点の定まっていない目でジェードを見つめながら問い返してきたドーマの顔を、柄頭で殴りつける。額が切れ、血を流しながらうずくまろうとするドーマの髪を掴んで無理矢理引き起こすと、握っていた剣を手放して右手を自分の胸元に手を突っ込み、そこからネックレスらしき物体を取り出してドーマに突き付けながら、ジェードは声を張り上げた。
「亜麻色の髪に、黒い瞳、コレと同じものを持っている女の子だ! どこだ!」
そう声を張り上げるジェードの手には、茶色い紐を通された、不自然に途切れた柄を表面に彫り込まれている、銀でできた半円状の物体が握られていた。
レズノフとハインベルツの戦いが終わり、ジェードが地下室に足を踏み入れた頃、魔弓を使って屋敷の塀を破壊して馬車で脱出したヴィショップとヤハドは、『パラヒリア』郊外の森林地帯にひっそりと建てられた、『コルーチェ』の人間が子供達の保管、及び死体処理の場としてい使用していた小屋に訪れていた。
「終わったぞ、米国人」
小屋の外でヴィショップが気にもたれ掛りながら、二日前にドーマに差し出した少女が身に着けていた、茶色い紐が通された銀製の半円上の物体を指の間で躍らせつつ煙草を吹かしていると、小屋の中から現れたヤハドが声を掛けてくる。
「そうか。じゃあ、行こう」
ヴィショップはヤハドに僅かに視線を向けると、返事を返して木から背中を離す。視線の先では小屋から出て来たヤハドが、その後ろを恐る恐るついてきている二人の少女に、優しげに話し掛けている姿が映っていた。
この二人の少女は他でもない、この小屋に監禁されていた四人の内の生き残りであった。最初、ヴィショップはこの二人の少女を小屋に残していくつもりだったのだが、ヤハドの猛反対を受け、仕方なくつれていくことになったのであった。無論、既に必要な素材は手元に揃っているので、この少女二人を連れて行くことにメリットは無い。
ヴィショップは、ヤハドの言葉を受けて、彼の裾を掴みながらゆっくりと歩き始めた少女二人の姿を見て、煙混じりの溜め息を吐くと、小屋の方に向かって歩き始める。その際、ヤハドの後ろをちょこちょことついてくる少女二人の横を通り過ぎ、一瞬視線が合ったのだが、少女達は弾かれたように視線を逸らしてしまった。
「テロリスト以下、ってか…」
「子供は純粋な評価を下すものだ」
視線を逸らされたヴィショップが苦笑を浮かべて自嘲気味に呟くと、後ろからヤハドのどこか勝ち誇ったような声が返ってくる。ヴィショップはつまらなさそうに鼻を鳴らしてヤハドと少女達から離れ、小屋の入り口まで歩き続けた。
開かれた扉の向こうから、むせ香るようなアルコールの臭いが漂ってきて鼻孔を刺激する。その臭いでヴィショップは、屋敷に入ってから脱出し、ここにくるまでの間何も口にしていないことを思い出すと、馬車の中にまだ酒が残っていたかどうかを思い返しつつ、口に咥えていた煙草を右手の人差し指と中指で挟んで口元から離す。そして火の灯った先端部分から立ち上る煙を少しの間見つめた後、小屋の中に向かって放り投げた。
ヴィショップの手から離れた煙草が、橙色の軌跡を描きながら飛んでいき、そしてアルコールをぶちまけられた床に落下する。その次の瞬間、肌をじりじりと焦がす熱気を伴って紅蓮の炎が燃え上がり、小屋の中を駆け巡り始めた。
ヴィショップは瞬く間に広がっていく炎を見て満足げに口元を歪めると、指の中で躍らせていた半円状の物体を手の中に納め、為す術も無く炎に蹂躙されていく小屋に背を向けて歩き始めた。
「行くぞ、ヤハド。本懐を遂げるの時間だ」
夜空を明るく照らし、小屋を消し炭に変えんと燃え上がる炎をじっと見つめているヤハドに、そう告げながら。




