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Bad Guys  作者: ブッチ
Children play
41/146

Spear of Gust

「オォウラァッ!」


 ホールを照らすシャンデリアから垂れ下がり、その美しさを引き立たせる役目に従事している無数のガラス片が、獣染みた雄叫びによって小さく振動する。

 シャンデリアを彩るガラス片が互いにこすれ合う音を奏でるその真下では、右手で大剣を握るレズノフが、自分に向かって突き出された槍を身体を捻って躱すと同時に柄を掴み、右手の大剣を叩き付けて一刀のもとに両断していた。


「馬鹿な…!」


 突きを躱されたばかりか柄を掴んで動きを封じ、更には片腕で身の丈に匹敵する大剣を振って槍を両断するというレズノフの荒業を前に、槍を握っていた騎士の口から呆気に取られたような声が漏れる。そしてその次の瞬間には騎士の顔面はレズノフの左脚に蹴り抜かれ、宙を舞った後に後ろで武器を構えていた騎士二人を巻き込んで派手に転倒した。


「うわっ、痛そー……。てか、ノリノリ過ぎですよ、レズノフさん…。本当に殺してないんでしょうねぇ…?」


 十人近い数の騎士達に一人で相対しているにも関わらず、既にその数を半数近くまで減らしている、まさに獅子奮迅という言葉が相応しい暴れ様を見せるレズノフにとその近くに転がる騎士達に引いた視線を向けながら、ミヒャエルは小さく呟く。

 今彼は、円形状のホールに等間隔にそびえる柱の内の一つの物陰に姿を隠して、騎士達とレズノフの戦いを遠巻きに眺めていた。


「にしても、何でレズノフさんは何でもかんでも勝手に決めるんですかねぇ…。本当は僕だって、ルイスさん達と馬車のところで待ってたかったのに…」


 鎧を身に纏った騎士の身体を片腕で、下から掬い上げる様に投げ飛ばしたレズノフに恨みがましい視線を向けながら、ミヒャエルはぶつぶつとレズノフに対する愚痴を零す。すると、


「大体…ぐむっ!?」


 愚痴がヒートアップし始めた頃、不意に後ろから伸びてきた手によってミヒャエルの口が塞がれた。

 ミヒャエルは突然口をふさがれたことに驚きながらも、何とか手を振り払おうともがき始める。しかしそんなミヒャエルの抵抗も、背後から発せられた押し殺した声が耳朶を打った瞬間、ピタリと止まった。


「落ち着け、馬鹿。俺だ、俺」

ひひょっふふぁん(ヴィショップさん)!?」

「そうだ。手ぇ、離すぞ」


 ミヒャエルが動きを止めると、押し殺した声と共に彼の口を塞いでいた手が後ろに引込められる。口が自由になったミヒャエルが後ろを振り向くと、そこには白いシャツと黒いズボンを身に着け、無造作に伸ばした“金髪”を後ろで一束に纏めているヴィショップが立っていた。


「何ですか、もう、驚かせないで下さいよ。てか、まだ金髪だったんですか」

「さっきまで変態共と一緒に居たからな。それより、レズノフに伝えてもらいたいことがある」


 ミヒャエルがヴィショップの姿を確認するや否や発してきた、先日の夕方に会った時から髪色が戻っていないことについての問いに適当に答えると、ヴィショップはミヒャエルに伝言を言いつけようとする。


「またですかぁ? すぐそこに居るんだし、自分で言ってくださいよぉ…」

「黙れ、イカレポンチ。肉体労働なんて殆どしてねぇくせに、いっちょ前に面倒臭がるな」


 露骨に嫌そうな表情を浮かべたミヒャエルに、ヴィショップはそう言葉を叩き付けると、レズノフに伝えるべき事柄をミヒャエルに教える。


「安心しろ、大して難しいことじゃない。予め奴にも話はしてあるし、一回聞けば理解するさ」

「はぁ~、しょうがないですねぁ、何ですかぁ…?」

「一つ目は、証拠となる書類は“牡牛”の中にある。もう一つは騎士団長の野郎を殺せ。以上だ」


 ヴィショップの発した言葉を聞いたミヒャエルの目が驚いたように見開かれ、その後スッと細められた。


「殺しは無しだ、って言ってませんでしたっけ?」

「奴は別だ。生きて色々喋れられると、この件が長引きかねない。考えてはみたが、やっぱり殺した方がいいだろう。というか、殺さずに奴の口を封じる手が思いつかなかった」


 訝しげな視線を浮かべるミヒャエルにそう返すと、ミヒャエルは再び驚いたような表情を浮かべた。


「意外ですね。前に一度あの騎士団長とは会いましたけど、いかにもヴィショップさんの得意そうな性格の人間だと思ったんですけど…」

「むしろ、その逆だ。あの手合いは利益の為ならどんな相手にも尻尾を振るうが、決して忠誠など誓いはしない、根っからの野良犬だ。それでも頭の中に馬糞しか詰まってねぇような奴なら楽なんだが、あの騎士団長はかなり頭が切れる上に嗅覚も良い。手元には絶対に置いておきたくないタイプだし、こちらの思惑通りに動かそうと思ったら殺すより遥かに面倒臭くなるタイプだ。まぁ、考え方はそこそこ似てるかもしれねぇがな」


 ミヒャエルの発した問いに答えると、ヴィショップはこの場を離れようと動き始めた。


「じゃあ、頼んだぜ。俺はヤハドと合流して屋敷を出る。伝えなかったら…」

「あっ、でも待ってくださいよ、ヴィショップさん。もう僕達の協力者が先に上に上がってるんですけど、あの人達が倒しちゃった場合はどうするんですか?」


 動き出そうとしたヴィショップを、思い出した様な口調で発せられたミヒャエルの問いが引き留める。ヴィショップは踏み出そうとした脚を止めてミヒャエルの方に振り向くと、今までの報告で聞かされてきたナターシャ達の情報を頭から引きずり出しながら、返事を返した。


「協力者って、例のガキ共だろ? そのガキ共であの騎士団長を仕留めるのは、キツいものがあると思うぜ?」

「どうしてですか? 『パラヒリア』(ここ)に来た初日に、ナターシャさん達とちょっとだけ戦ってたのを見ましたけど、そこまで差がありそうには見えませんでしたけど?」


 ミヒャエルは、『パラヒリア』に訪れた初日の『ホテル・ロケッソ』での強盗騒ぎを発端に起こった騎士団との小競り合いで、ナターシャ達に膝を着かされたハインベルツの姿を思い出しながら、ヴィショップの言葉に反論する。

 それに対しヴィショップは、ミヒャエルの言葉に対して、当然の事を訊くな、とでも言いたげな表情を浮かべながら返事を返した。


「あの手合いの人間が、切り札の一つも無しに戦う訳ねぇだろうが。しかも、恐らく切り札はタイミングさえ間違わなければ一気に形成を逆転しちまえる代物の筈だ。訳分からん武術やら魔法やらが使えようが関係無しにな。まぁ、騎士団長()がタイミングを仕損じる方に賭けるのも構わねぇが、分の悪い賭けになるだろうよ」






 ヴィショップとミヒャエルがレズノフの戦っている陰で邂逅していた頃、二階に上がったジェードとナターシャは、三階へと繋がる階段を探して屋敷の中を駆け回っていた。


「クソッ、どこにある!」


 金色の甲冑やら、やたらでかい華の挿してある花瓶等が並ぶ廊下を走りながら、ジェードが悪態を吐く。その少し後ろにはナターシャがついてきていたが、既に彼女の胸は激しく上下しており、息もかなり荒くなっていた。


「うおおおッ!」

「チイッ!」


 廊下の角に差し掛かった瞬間、ロングソードを構えた騎士が飛び出してきてジェードに切りかかる。

 ジェードは舌打ちを打ちながら騎士の一撃をファルクスで防ぐと、足を振り上げて騎士の股間を蹴りつけた。

 股間を蹴り上げられた騎士は、苦悶の呻き声を漏らしながら前屈みになる。ジェードはその隙を逃さずにファルクスを騎士の脚目掛けて振るい、峰を強かに打ち付けて騎士を転倒させる。


「はぁ、はぁ、神導魔法黒式、第二十八録“グラートル・チェーン”!」


 騎士が転倒したのに合わせて、ナターシャが荒い息遣いで右手をかざしながら魔法を詠唱する。

 ナターシャの右手から伸びた漆黒の鎖は近くに置かれていた甲冑に絡み付き、ナターシャが右手から伸びている鎖をジェードが空いている左手で掴んで引っ張ると、甲冑は騎士に向かって倒れかかった。


「ぐえっ」


 甲冑の下敷きになった騎士は、呆気ない呻き声を残して意識を手放した。

 ナターシャは騎士が動く気配を見せないのを確認すると魔法を解除する。そしてそのまま先に進もうとしているジェードについていこうと脚を踏み出すが、一歩踏み出した瞬間に眩暈を感じて思わず壁に手を付いてしまった。


「…ナターシャ?」


 一向に聞こえてこない足音と、代わりに鼓膜を揺らす荒い息遣いで異変に気付いたジェードが、足を止めて振り向こうとする。

 それを見たナターシャは慌てて壁から離れると、何とか表情を取り繕いつつ動き始めた。


「どうしたんですか、ジェードさん? 早く行きましょう。ネリアさん、きっとジェードさんのことを待っていますよ?」

「……あぁ」


 立ち止まっているジェードの許まで駆けてきたナターシャは、そう発してジェードを急かしつつ先に進もうとする。ジェードはそんな彼女の背中を見ながらの一瞬の思案の後、短い返事を返して彼女のあとを追い始める。

 そして再び動き始めてから三分程経った頃、二人は三階へと続く階段の前に辿り着いていた。


「この先に領主の部屋が…」

「…えぇ。さぁ、早くいきましょう」


 三階へと続く階段を見上げながらナターシャは返事を返すと、階段を上がろうと一歩踏み出す。しかしその瞬間、ジェードの左手がナターシャの左手を握り、彼女を引き留めた。


「ど、どうしたんですか?」


 驚いた様子でナターシャが訊ねる。

 ジェードそれにすぐに返事を返さずに、自分の手の中の、汗が滲んだナターシャの左手をじっと見つめ、そして視線を上げてナターシャと視線を合わせてから口を動かした。


「ナターシャはここに残れ。ここから先は、俺が行く」

「ど、どうしてですか!? 私も…」


 ジェードは返事を返すと、ナターシャの手を離して階段を上がり始める。ナターシャはそのジェードの言葉に納得がいかないのか、言葉の意図を訊ねながらついていこうとするが、振り返ったジェードの視線に圧されて歩みを止めてしまう。


「今のお前はかなり疲労している。この上では恐らく騎士団長が待ち受けてるだろうし、お前には危険だ。だから、ここで休んでろ」

「大丈夫です、私も…!」


 ナターシャと視線を合わせながら、ジェードは彼女にここに留まるように改めて告げる。

 しかしナターシャはそれでも引き下がらず、階段を上ろうと脚を踏み出すが、踏み出した瞬間によろめいて危うく転倒しかけ、伸びてきたジェードの手によって何とかバランスを事なきを得た。


「あ、ありがとうございます」


 ナターシャはジェードの身体を支えにして体勢を立て直す。その色白の顔を仄かな朱に染めながら。


「…元々お前は戦いに向いてる性格じゃないしな。今回の件はお前にとっても色々とキツかったんだろうな。…すまない」

「そ、そんな…!」


 ジェードはナターシャの礼に返事を返さぬまま、彼女の顔をじっと見つめると、すまなそうな表情を浮かべてナターシャに謝る。

 ナターシャはそれを否定しようとするが、ジェードの表情を見て、彼が自分の体調について本気で心配していることを悟ると、その否定の言葉を飲み込んだ。


「……絶対、無事でいてくださいね? 私も、少し良くなったら追いかけますから」

「…悪い」


 代わりに彼女が発したのは、一人で戦いに臨むジェードへの激励であり、彼女自身の嘘偽りの無い願望。

 それに対してジェードは、たった一言だけ言葉を返すと、ナターシャに背を向けて階段を駆け上がっていった。


「死なないで…くださいね…? ……ジェード」


 その背中に、一人の少女の涙混じりの視線を受けながら。






 ナターシャを残し、ジェードは一気に階段を駆け上がる。

 一段一段上がるごとに、ファルクスの柄を握る手に力が入り、心臓の音が大きくなっていく。もうすぐ最愛の妹に会える、そしてナターシャを一人にしている事実はジェードの焦りを募らせ、冷静さをじわじわと蝕んでいた。


(落ち着け…。冷静さを無くしたらなにもかも終わりだ…)


 己の冷静さが段々と姿を消していくのを自覚したジェードは、唇を噛み締めながら自分に言い聞かせて、何とか冷静さを保つ。

 そして階段の最後の一段を超えて三階に辿り着いた瞬間、その冷静さを保つための行動が彼の命を救った。


「ッ!」


 階段を昇り切り、ドーマの私室へと繋がる広間に足を踏み入れた瞬間、ジェードの耳が微かな風切り音を捉え、咄嗟に頭を捩る。

 するとその直後、一瞬前までジェードの頭があった場所を一本の矢が射抜いた。


「チッ、勘の鋭いガキめ」


 それに続いて聞こえてくる、忌々しげな声。

 何も射抜けぬまま直進して壁に突き刺さっている矢へと視線を向けていたジェードが声のした方向に振り向くと、そこには右手にボウガンを、左手に円形の盾を持った、『ルィーズカァント領』駐屯騎士団団長、ハインベルツ・グノーシアの姿があった。


「…アンタが騎士団長か?」

「いかにも、私が当領に駐屯している騎士団団長だ。薄汚いギルドメンバー……いや、犯罪者殿」


 ジェードが確認の意味合いを込めて訊ねると、ハインベルツは手にしたボウガンを投げ捨て、明らかな嘲りを孕んだ笑みを浮かべながらそれに応じる。

 ジェードはそんなハインベルツの態度に対し、何ら表情を変えず、そしてハインベルツの顔から視線を逸らさずに、言葉を発した。


「始める前の一つ訊きたいことがある」

「答える気は無いと言ったら?」

「何で、“こんなこと”に加担している? アンタには誇りは無いのか?」


 ハインベルツの言葉を完全に無視して、ジェードは問いかける。

 ハインベルツは自分の言葉が無視されると浮かべていた嘲笑を苛立ちに歪ませていたが、ジェードの発した問いを聞き終えた頃には、元通りの、むしろそれ以上の笑みが広がっていた。


「何を言い出すかと思ったら……ククッ…」


 ハインベルツは視線を床に向け、右手を口元に当てて、さも笑いを抑えきれない、といった態度を見せると、顔を上げてジェードに視線を合わせ、口元を吊り上げたまま返答を返した。


「貴様が言う“こんなこと”が何なのかは知らないが、後半の質問については答えてやろう。答えは“はい”だ」


 そうハインベルツが告げた瞬間、ジェードの眼に冷たいものが宿る。

 ハインベルツの両目はそれを確かに捉え、そして彼は更に口角を吊り上げた。


「そもそも何で誇りなんぞを持たなくちゃならない? 誇りは本当に必要か?」


 両手を大きく広げ、ハインベルツは芝居がかった態度で口を動かし続ける。


「腐りかけのパンを食い、泥水を啜る奴等は誇りを持つか? 手足を捥がれて仕事にあり付けず、物乞いをする奴等に誇りは有るか? 家畜の餌並みの食事を得る為にどんな病気を持ってるともしれない男に股を開く奴等はどうだ? いいや、奴等は誇りなんぞ持っちゃいない、一片たりともだ」


 高らかと、まるで宣言するかの様にハインベルツは言葉を紡ぎ続ける。

 ジェードはそれをただ黙って聞いていた、否定すること無く。そして、己の両手に段々と力が入っていくのにも気付くこと無く。


「誇りなんてものを嬉々として掲げる奴等は、いつの時代だって余裕の有る奴だ。金、安全、愛する人、そういった人生をバラ色の存在に変えてくれるものを持っている奴等だけだ。それらを一切持たない、本当にどん底で生きてる人間は、誇りなんぞ持ちはしない。何故なら、そんな余裕なんてないからだ」


 ハインベルツは広げていた右手を腰に差したロングソードの柄へと持っていく。


「誇りは贅沢だ。ドレスや化粧品や宝石と何ら変わらず、自己を飾りたてる以上の意味を持ちはしない。そしてそれを持つことを義務とし、強要することは横暴だ、残酷極まるな」


 ハインベルツはゆっくりとロングソードを鞘から引き抜いていく。細緻な彫刻の施された美しい刀身が鞘と擦れ合う音を上げながら姿を現し、屋敷を照らす神導具の光を受けて煌めく。


「“俺”が教えてやろう、小僧。戦場に誇り(ドレス)を着込んで現れた人間が、どのような末路を迎えるのか」


 完全にその姿を現したロングソードを軽く振るい、ハインベルツはその切っ先をジェードへと向けた。


「その身をもって、な」


 その一言を皮切りに、場を沈黙が支配する。二人の視線は交錯し、微かな動きも見逃すまいと全神経が注がれる。

 そして、数秒の沈黙の後、


「…ッ!?」


 窓の外から聞こえてきた、重く低い轟音にハインベルツの注意が向けられた瞬間、ジェードは左腕から緑色の光を発しながらハインベルツに向かって駆け出した。


「チッ!」


 ジェードの動きに気付いたハインベルツは迎え撃つべく、剣の切っ先を下げ、左手の盾を前面に押し出して走り出す。しかし彼の脚は、ジェードがハインベルツに向けてかざした左の掌から撃ち出された三日月状の風の塊によって、その動きを止めることとなった。


「クッ…!」


 上質な紅のカーペットを切り裂きながら向かってきた風の塊を、ハインベルツは脚を止めて盾で受ける。

 風の塊は、盾で受けたハインベルツに呻き声を漏らさせ、微かに後退させたところで霧散する。ジェードは再び左腕から光を放ちつつ、ハインベルツが後退した隙を突いて一気に肉薄すると、ハインベルツが近づいてきたジェードを殴り飛ばそうと盾を振るったタイミングに合わせて、左の掌から風の塊を撃ち出した。


「ぐおっ!?」


 再び盾と風の塊が衝突する。しかし今度は体勢の問題で風の衝撃を殺しきることが出来ずに、ハインベルツの身体がよろめきながら反転し、無防備な背中をジェードへと晒してしまう。

 ジェードはその隙を逃さず、ハインベルツの首元にファルクスの峰を叩き付けようとする。

 しかしハインベルツは、ジェードに一切視線を向けぬまま右手を後ろに回してロングソードでファルクスの一撃を防ぐ。そして間髪入れずに右脚を後ろに向かって突き出し、ジェードの鳩尾に踵を捻じ込んだ。


「ぐっ…!」


 鳩尾に蹴りをもらったジェードが、苦悶に喘ぎながら後ずさる。ハインベルツはその間にジェードに向き直ると、ジェードの脳天目掛けて一直線にロングソードを振り下ろした。

 間一髪のところでファルクスを頭の上に持っていき、ジェードはハインベルツの斬撃を防ぐ。だがハインベルツは防がれることも予想済みだったのか、動揺した素振りなど微塵も見せずに左腕を振るい、左手の盾でジェードに殴りかかる。その速度は、左腕一本で振るっているとは思えない程に速く、その上、自らの脳天目掛けて縦一直線に振り下ろされたハインベルツのロングソードを防いでいるせいで頭を押さえつけられている様な状況に陥っていることも相まって、回避することは不可能だった。


「…ッ!」


 咄嗟に右脚を振り上げて射線上に割り込ませることで防御しようとするも、盾の縁がジェードに叩き付けられた瞬間、彼の身体は意図も簡単に宙を舞った。

 右脚に奔る鈍い痛みに表情を歪めつつも、ジェードは何とか受け身を取って体勢を持ち直し、立ち上がろうとする。しかし立ち上がろうと床に手を着いた時には既に、ハインベルツが盾を構えて突進してきていた。

 弾かれるようにして立ち上がると、ジェードは盾を構えて突っ込んできたハインベルツを左に動いて躱す。ジェードに攻撃を躱されたハインベルツが急停止し、ジェードに向き直ろうとする。その隙を突いてジェードはハインベルツの腕目掛けて刺突を繰り出すが、それはロングソードの一閃によって容易く軌道を変えられてしまった。


「クソッ!」


 悪態を吐き、カウンターとして放たれた盾の横殴りの一撃を屈んで避けると、ジェードはハインベルツの脚を払うようにファルクスを振るう。ハインベルツはそれを真上に飛んで避け、落下しながら屈んでいるジェード目掛けてロングソードを振り下ろした。ジェードは真後ろに転がって距離を取りつつファルクスでロングソードを受け流し、起き上がりと同時に左の掌をハインベルツに向けて風の塊を撃ち出そうとする。

 しかしそれも、一歩踏み込みつつハインベルツがジェードの左腕目掛けて放った切り上げを避ける為に不発に終わる。更にハインベルツはそこから一歩踏み込むと、左腕への斬撃を避ける為に一歩後ずさってしまったジェード目掛けて左手の盾を振り上げた。


「ギッ…!」


 ハインベルツの左手の盾がジェードの顎を跳ね上げ、彼の身体が再び宙を舞う。

 強烈な一撃を受けて打ち上げられたジェードの身体が空中で反転し、頭から床に突っ込む体勢になる。しかしジェードは飛びかけた意識を何とか手繰り寄せると、床に激突する直前に左手を床に伸ばし、左腕一本の力で身体を跳ね上げ、何とか体勢を立て直して着地する。

 だが一息つく暇も無い内にハインベルツが肉薄し、ロングソードを振り上げる。ジェードはそれを何とかファルクスで受けるも、斬撃の威力を殺しきることが出来ずに右腕を跳ね上げられてしまう。そこから更に、ハインベルツの左手の盾がジェードの顎目掛けて振り上げられる。ジェードはそれを咄嗟に左に転がって躱すも、それを読んでいたかのように放たれたハインベルツの右脚の蹴りを胸元に受けて地面を転がった。


(強い……! 騎士団長の役職は飾りではないか…!)


 床に手を着いて立ち上がりながら、ジェードは思考する。その視線の先には、ロングソードを構えてこちらに向かってくる、ハインベルツの姿があった。


(盾が厄介だが…。あれをどうこうしようにも、奴の立ち回りが問題だ…)


 ロングソードの横薙ぎの一撃をファルクスで受け、ハインベルツの胸に目掛けて右脚を突き出す。しかしハインベルツはそれをあっさり躱して見せると、左腕を振るって盾をジェードに叩き付けた。


(あの盾をどうこう出来るのは魔法ぐらいだが、こっちの“魔法”を見て以降、奴は休むことなく攻め続けることで魔法の使用を封じてきている。それを捌ければいいんだが、腹立たしいことに技術は向こうの方が上…)


 咄嗟に腕を交差させ、腰を落として防御態勢を取るも、呆気なくジェードの身体は殴り飛ばされる。それでも何とか、痺れの奔る両腕を使って着地と同時に体勢を整え、案の定距離を詰めてきていたハインベルツの、左の肩口目掛けての袈裟切りを寸でのところで真横に動いて躱す。


(あいつを倒す為の切り札はある…。だが、それを使うには距離を空ける必要が…)


 袈裟切りを繰り出した勢いのままハインベルツが身体を翻し、裏拳の動作で盾を振るう。ジェードはそれを屈んで避け、次いでジェードの顔面目掛けて振り上げられたハインベルツの右脚を左腕で受けると、ファルクスの切っ先をハインベルツに向かって突き出した。


(覚悟を…決めるか…!)


 ファルクスの切っ先がハインベルツの鎧に届く直前、ハインベルツの右腕が宙を奔り、その手に握る秀麗な装飾のロングソードをファルクスの刀身に叩き付ける。

 右手に痺れが奔ったのを感じた時には、既にファルクスはジェードの手を離れて空を切っていた。

 ハインベルツは、何も掴んでいないジェードの右手を見て微かに口角を吊り上げ、そして有らん限りの力を振るって左手の盾をジェードの頭に叩き付けた。


「があっ…!?」


 微かに呻き声の様なものが口から零れ落ちた次の瞬間には、ジェードの身体は空中で反転しながら宙を舞っていた。

 状況だけを見れば、先程と似たような展開。しかし今回は、ジェードの両腕が床に向かって伸び、軽業師染みた曲芸をもって体勢を整えることはなかった。

 宙を舞ったジェードの身体は鈍い音を立てて頭から床に衝突すると、ごろごろと二転三転した後に、階段近くの壁に当たって動きを止めた。

 場を、両者の問答が終わって以来の沈黙が支配する中、ハインベルツはゆっくりと緊張を解かないまま盾とロングソードを下げる。視線は正面の、横たわったままぴくりとも動かないジェードへと注がれ、微動だにしない。

 そうして一切の音が上がらぬまま数秒が経った頃、横たわったまま動かなかったジェードの指が、微かに動いた。


「…しぶといガキだ」


 微かな指の動きを見て取ったハインベルツは、嘲笑を浮かべながら呟く。しかし先程の様に距離を詰めるべく動き出すことはなく、ただただその場に立ち止まってジェードがゆっくりと頭を向けようとする姿を眺めていた。

 何故なら、ハインベルツには分かっていたからだ。目の前の少年には、これ以上立ち上がるほどの力さえ残されていないことを。


「貴様の使った詠唱無しの魔法、あれは“紋唱”だな?」


 まるで暗闇の中でもがくかの様に、非常に遅々とした動作でジェードは右手を壁に向かって伸ばす。ハインベルツはそんなジェードの姿を見下しながら、言葉を続けていった。


「確か、まだ魔法が魔導協会の管理下になる前、辺境の呪術師が使用した、呪文を声にして出すのではなく、身体に彫り込むことで詠唱の代わりとする技術、だったか? 確かに詠唱を省くことが出来るものの、紋唱を施すこと自体に技術が必要だったりと、それ以外の全ての面において詠唱という発動方法に負けていた為にかなり昔に姿を消した技術だと思ってたが…珍しいものが見れたものだ」


 嗜虐的な視線をジェードに向けながら口を動かしていたハインベルツはそこまで話すと、一歩一歩、踏みしめる様にして歩きながら、右手を壁に付いて俯いたまま動かないジェードへと近づいていく。

 無論、その最中においても彼がジェードから視線を逸らすことなどなかったし、最低限の警戒も解かずにいた。しかし所詮ハインベルツも人間に過ぎない。目が三個も四個もある訳ななく、千里眼のようにどんなところでも見通せる訳ではない。

 故に、ハインベルツがこの時、俯いているジェードの顔に笑みが浮かんでいたことに気付かなくても、それは何ら不自然なことではなかった。


「さて…始める前に行ったな。誇りなんぞを振りかざして戦場に出張ってきた人間がどうなるのかを、その身に刻み込んでやると。今、教えてやろう」


 ハインベルツはジェードの手前で歩みを止めると、右手に持ったロングソードを振り上げる。そして優越感と嘲りを多分に孕んだ笑みを浮かべて、ロングソードを振り下ろそうとした瞬間、横たわっているジェードの声がハインベルツの耳朶を打った。


「あぁ、そうだ、だが…」


 この局面になって口を開いたジェードに微かに表情をしかめつつも、ハインベルツはロングソードを振り下ろそうとする。

 しかし彼の右腕は、目の前に広がる光景を見た瞬間、その動きを止めてしまった。


「なっ…!?」


 ハインベルツの口から、思わず意味のない言葉が漏れる。

 何故なら彼の視界の先、ジェードが激突した壁の表面には、つい一瞬前までは存在していなかった、仄かに緑色の光を放つ巨大な魔法陣が出現していたのだから。


「刻み込まれるのは、アンタだ」


 足元のジェードが発したその一言がハインベルツの正気を呼び覚ます。

 だが、全ては遅かった。ハインベルツがロングソードを再び振り下ろすよりも早く、壁に描かれた魔法陣が一際強く発光すると、ハインベルツ目掛けて途方も無い勢いの風…もはや小規模な竜巻といっても過言ではない程の風を撃ち出した。

 当然、壁からジェードの身体分程度の距離しか離れていないハインベルツがそれを避けれる筈も無く、


「四等級魔…!」


 何か言葉を発しようとした瞬間には魔法陣から吐き出された風をその身に受け、ドーマの私室の扉目掛けて吹き飛ばされていった。


「……やったか?」


 壁に付いていた手を下ろし、ドーマの私室へと視線を向けながらジェードは呟く。その視線の先には、なぎ倒されたテーブル等の中に倒れている、ハインベルツの姿があった。

 壁に浮かび上がっていた魔法陣がその姿を消していく最中、ハインベルツが吹き飛ばされてきたせいで扉が破壊されてしまっているドーマの私室から上がった、驚き慌てふためいた口調のドーマの声がジェードの耳朶を打つ。


「いや…まだ終わってないな」


 その声がジェードの心を高ぶらせた。

 ジェードは再び壁に手を付くと、壁を支えに立ち上がろうとする。しかし僅かに身体を持ち上げるだけで視界が揺らぎ、脚ががたがたと震え、崩れ落ちてしまう。


「クソッ、もうすぐそこなのに…!」


 あと数歩で手の届く所まで来ているというのに、一歩たりとも動くことの出来ない己の身体に悪態を突きながら、ジェードは身体を起こそうと奮闘する。しかし、何度やっても起き上がることは叶わず、とうとう這って動こうかと考え始めた時だった。


「ジェードさん!? 大丈夫ですか!」


 階段の方から切羽詰った声が聞こえてきたかと思うと、下の階に置いてきた筈のナターシャが姿を見せ、ジェードに駆け寄ってきた。


「ナターシャ…もう大丈夫なのか?」

「私なら大丈夫です! それより今は、ジェードさんを!」


 ナターシャはジェードに返事を返すや否や、ジェードの身体に向けて両手をかざし、魔法の詠唱を始めた。


「神導魔法白式、第百十二録、『グラド・チャリオ…」


 ナターシャが魔法を詠唱し、その両手に温かな光が灯り始めた、まさにその瞬間だった。

 魔獣の唸り声か何かと勘違いしそうな程の風切り音と共にドーマの私室から伸びてきた蛇の様な何かが、ナターシャを弾き飛ばしたのは。


「ナター…!」


 先程まで自分の真横で呪文を詠唱していた筈のナターシャの身体が風に吹かれた木の葉の様に引き飛ばされ、そして地面に叩き付けられる。

 それを見たジェードが声を上げようとするも、ナターシャを吹き飛ばした何かは間髪入れずにうねる様に動き、今度はジェードの身体を吹き飛ばした。

 一切の抵抗も出来ないまま、ジェードの身体に激しい痛みが奔る。ナターシャを吹き飛ばした何かがジェードに与えたのは意識を容易に奪いかねないような衝撃と痛みだったが、それでもジェードは何とか踏みとどまり、ナターシャと自分を攻撃した存在の正体を見て取っていた。


(む…ち…?)


 ナターシャをジェードを吹き飛ばしたものの正体、それは焦げ茶色の鞭だった。ただし、その太さは女性の腕程にあったが。


「驚きだな…。まさか、四等級魔法まで扱えるとは」


 床に身体を叩き付けられ、それでも何とか意識を手放すまいとするジェードの耳朶を、先程吹き飛ばした筈の男の声が打った。


「咄嗟に(コイツ)を割り込ませることが出来たからよかったものの、下手したら死んでいてもおかしくない威力だっとぞ? まぁ、あれでも抑えた方なのだろうがな」


 粉々になった扉の残骸を踏みしめ、再びジェードの前に姿を現したハインベルツの姿は、つい先程から大きく変わっていた。

 額からは血を流し、右手には細緻な彫刻で飾り付けられたロングソードではなく、無骨で物々しい、馬に使用するような類いよりも更に太い鞭を手にしている。そして何より左手に持っている盾、その表面には先程まではなかった、二頭の獅子と一羽の鷲を象った紋章が存在していた。


(あの一瞬で防いだだと…!? いや、それより…!)


 殆どゼロ距離に等しいあの状況からの一撃を防いだことに驚き、そしてそれ以上にハインベルツの盾に浮かび上がった紋章を見て、ジェードは驚愕する。


「アグリューシカの魔法庫…!」


 予想以上に掠れた声がジェードの口から漏れる。

 それを耳にしたハインベルツは意外そうな表情を浮かべると、意地の悪い笑みを浮かべながらジェードに見せつける様に盾を掲げた。


「その通り。これこそ、遥か昔、ドワーフに連なる者が魔女アグリューシカの依頼を受けて作り出したと言われるドワーフの呪物の一つ、この世のあらゆる存在を収めておけると謳われる、アグリューシカの魔法庫だ」


 ハインベルツはそう告げると、見せつける様に掲げていた盾を下ろし、鞭の持ち手を握る右手を振るう。

 床に力無く垂れていた鞭が途端に、まるで生きているかのように起き上がり、ハインベルツの手の動きに合わせて、不気味な風切り音を上げながら複雑な軌道で蠢く。

 ジェードは、一本の焦げ茶色の軌跡と化して宙を舞う鞭の向こうで、嗜虐的な笑みを浮かべているハインベルツを睨み付ける。しかしハインベルツはジェードの視線を受けると、更に口角を吊り上げて言葉を発した。


「安心しろ。そこのガキも、ちゃんと止めを刺しておいてやる。だから、安心して死ぬといい」


 そうハインベルツが発した瞬間、ハインベルツの手が一際大きく振り切られ、空中で蠢いていた鞭がジェードの頭蓋を砕くべく、その女性の腕程もある身体をしならせて押し寄せる。


(クソッ、クソッ、クソッ! まだ…まだ死ぬわけには…!)


 ジェードは自分に向かって押し寄せる焦げ茶色の軌跡を睨み付けながら、身体を動かそうと力を振り絞る。しかしいくらやろうとも、彼の身体が数センチ程も動くことはなかった。

 そして、


「…………な、にィ…?」


 鞭はジェードの頭を砕くことなく、彼の頭に当たる寸前であらぬ方向に向かって飛んで行った。

 先程まで勝ち誇った笑みを浮かべていたハインベルツの表情は、打って変わって苛立ちに支配されており、右手に握っている鞭は持ち手から十数センチから先が消失、左手に持っている盾には一本の手斧が突き刺さっていた。


「また、貴様かァ…!」


 ハインベルツは右手に持っていた鞭を捨て、盾に突き刺さっている手斧を引き抜くと、怒りに満ちた視線の先、二階へと続く階段のところに立っている一人の男に向かって投げつける。

 ハインベルツの手から離れた手斧が縦に回転しながら飛んでくる。しかし男は、右手に持っている大剣を振るうと、己の額目掛けて飛んできた手斧を意図も簡単に打ち砕いてみせた。


「さてェ? 色々派手に騒がせてもらってるが、どうだァ? アンタ的に、俺を殺す理由としては充分かァ?」


 振り切った大剣を持ち上げ、その切っ先をハインベルツに突き付けると、男…ウラジーミル・レズノフは犬歯を剥き出しにして笑いながら、そう問いかけた。

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