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Bad Guys  作者: ブッチ
Children play
39/146

嵐の前の…

 『ホテル・ロケッソ』三階の一角に位置する、ナターシャとゼシカが使用している一室。二段重ねのベッドやテーブル等が設けられた、二人での使用を前提としてレイアウトされた部屋の中で、明らかな疲労が滲み出た表情を浮かべながらも双眸だけをギラギラと光らせ、土や砂で汚れたロングコートを脱いで椅子に腰かけたジェードと、椅子やベッドに腰掛けているナターシャ達三人は、窓から差し込む朗らかな日差しとは裏腹に、各々程度の差はあれど真剣そのものな……特にジェード以外の三人は、レズノフ達の前で見せていた表情とはかけ離れた表情を浮かべて、ジェードが発した言葉を最後に続いている重苦しい沈黙を打ち崩せないまま、口を噤んでいた。


「……でも……それって、本当にそう言い切れるんですか? ジェードさんの勘違いって可能性は…」

「情報通りの場所で、誰も出歩かない様な真夜中に、人の死臭をぷんぷん匂わせた馬車が走ってたんだぞ? これが偶然な訳ないだろ」

「っ……ごめんなさい…」


 そんな息苦しさすら感じる程の沈黙が続く中、ナターシャが糸を引き続ける沈黙にケリを付けようとジェードに声を掛けるが、ジェードから責める様な口調の返事を返されてしまい、短い謝罪だけを口にして再び口を噤んでしまう。

 一方のジェードも、ナターシャが黙り込んでから自分の言葉に含まれていた棘に気付いたらしく、彼女に謝ろうとする。


「……悪かった。言い過ぎた」

「ううん、いいんで…」

「オイオイ、何だ何だァ? 感動の再会の割りには、葬式場みてェなクソつまらねェ空気が漂ってんぞォ?」


 ジェードがナターシャに謝罪し、彼女がそれに返事を返そうとした瞬間、派手な音と共に扉が蹴り開けられ、からかう様な口調の軽口混じりの言葉が五人の耳朶を打つ。

 その二つの鼓膜に飛び込んできた印象深い音声に、思わず五人が視線を部屋の扉の方へと向けると、視線を向けられた人物は妙に楽しそうな表情を浮かべながら手を頭の上で軽く振った。


「れ、レズノフ!?」

「よっ、嬢ちゃん坊ちゃん方」


 扉を蹴り開けて部屋の中に入ってきた人物…レズノフの姿を見て、驚いたような声を上げるゼシカと、目を丸くしてレズノフを見つめる四人。

 レズノフはそんな彼等にニヤリと笑みを浮かべながら挨拶すると、部屋の奥の窓に向かって歩き始めた。


「お、オッサン!? 今の今までどこに…!?」

「んなモン決まってんだろォ? デカいチチにデカいシリの女とベッドの上で親睦を深め合ってたんだよ。ヒャハハハッ!」


 唖然とした表情を浮かべる四人を掻き分け、立ち上がり声を大にして問いかけてくるルイスに下卑た笑い声付きの返事を返しながらレズノフは窓まで辿り着くと、閉め切られている窓を開き、その淵に腰掛ける。

 二メートル近い巨体のレズノフが窓の淵に座れば、それだけで差し込む日差しの殆どが遮断されてしまい、今まで明るかった室内がにわかに薄暗くなる。だが当のレズノフはそんなことは全く意に介した様子も見せず、窓の淵に腰を下ろしたまま眼前の四人の顔を順繰りに眺めていく。


「…誰だ、アンタは?」


 レズノフが四人の表情に視線を向け始めてすぐに、椅子に腰かけているジェードが棘のある口調でレズノフに声を掛けた。


「この人はさっきのミヒャエルさんと同じで、私達と一緒に仕事をしてくれているレズノフさんで…」

「そういうことだ。アンタのことも少しは聞いてるぜ。よろしくなァ、黒坊主」


 ジェードの言葉を受けて、慌てて紹介を始めたナターシャを遮ってレズノフは口を開くと、ジェードへと視線を向けて茶化すような口調で話し掛ける。

 それに対しジェードは、凡そ友好的とは言い難い冷ややかな視線をレズノフへと向けた後、視線と同じ様な冷淡な声音でレズノフに告げた。


「アンタには二つ言いたいことがある。一つ、今まで仲間達を助けてくれたことは感謝している。有難う」

「気にすんな。こっちも楽しめた」

「二つ、悪いがアンタ達とはこれ以上一緒に行動出来ない。今後は、誰か別の奴等と組んでくれ」

「なっ!? オイ、ジェード!」


 レズノフの言葉にまともな返事すら返さずに、ジェードの口から唐突かつ一方的な言葉が発せられる。

 しかしレズノフは特に気分を害したような表情を浮かべず、冷淡な表情を浮かべてそう発したジェードの顔を楽しげな笑みを浮かべながら眺めている。そんなレズノフの態度に、ジェードが訝しげな表情を浮かべかけた瞬間、ジェードの言い方を良く思わなかったルイスが口を挟もうとする。


「…駄目だ、ルイス。これから俺達がやろうとしていることに部外者は巻き込めない。それは、お前も重々承知しているだろう?」

「そうだけどよ…。それは、そうだけどよ…!」


 だがジェードは、特に大きなリアクションも見せぬまま彼の言葉を跳ね除ける。跳ね除けられたルイスは悔しそうな表情を浮かべる者の、一応はジェードの言い分が正しいことを理解しているらしく感情を剥き出しにして食って掛かることはなかった。

 レズノフはそんなジェードとルイスのやり取りをニヤニヤと、見る者によっては意地が悪そうに感じられる笑みを浮かべて眺めていた。


(ククッ…強姦魔風に言うなら、まさに青春、って感じだなァ…。まッ、それに付き合う気も無ェんで、さっさと本題に入らせてもらうとするかねェ…)


 目の前で繰り広げられているやり取りを見てレズノフは心中でそう呟くと、話を先に進めるべく口を動かした。


「やろうとしていることッてのは、アレかァ? 悪漢に攫われた愛しの妹君を助けに、悪漢共の住処に乗り込んでってブサイクな悪漢共をブッ飛ばし、囚われの妹君を助けてベッドイン、っていう、昔ながらのヒーローごっこのことかァ?」


 ふざけているとしか思えない口調でレズノフがそう言った瞬間、四人の表情が一瞬で固まり、同時に動いていた彼等の口もその動きを止める。

 そして四人のそんな態度を見て、レズノフが心中で満足気な笑みを浮かべていると、いち早く正気に戻ったジェードが低い声でレズノフに問いかけた。


「どうしてそれを…?」

「あっ、妹だからヤッちまったらダメか。んじゃあ、そうだな…ディープキスぐらいなら……いや、駄目…」

「どうして知っていると、聞いてるんだ!」


 だがふざけた態度を改めず、自分の質問に答える素振りも見せないレズノフの姿に、ただでさえ逆立っている神経を刺激されたのか、ジェードは立ち上がりながら声を荒げてレズノフを問いただす。

 ジェードの上げた怒声に他の三人が驚く中、レズノフはそんなジェードの怒声を全く意にも介していない、平静とした態度を保ったまま、右手の人差し指の先端をジェードの顔へと向けた。


「声がデカ過ぎて、扉の向こう側からでも聞こえてた。これでいいか?」

「なっ…!」


 レズノフの言葉を受けたジェードが言葉を失うと同時に、彼の表情に驚きと悔しさの色が混じる。

 レズノフはそんなジェードの表情を見ると、彼に向けていた右手の人差し指を下ろして、ジェード達の二の句を待った。


「……なぁ、ジェード。こうなったら、オッサン達にも協力してもらおう」


 悔しさに表情を歪めながらも、何とか目の前の人物を自分達と切り離す方法はないかとジェードが思案していると、ジェードに諭されてから口を噤んでいたルイスがジェードに進言する。


「何度も言わせるな、ルイス。俺達のやろうとしていることは…」

「だがよ、ジェード。オッサンはもう俺達のやろうとしていることに大体気付いちまってるみたいだぜ? だったらもう、包み隠さずに全部話して、本人の意思に任せた方がいいんじゃないか? それに今の俺達ははっきり言って人手不足だ。もし手伝ってくれるんなら、かなり助かるだろ?」

「だがな……!」

「それに、オッサンの実力については俺が保障するぜ? なぁ、ネリアちゃんを早く助けるには、人手が多い方がいいだろ?」


 ルイスの進言を、ジェードはやや苛立ちの見える口調で跳ね除けようとするが、ルイスはジェードの言葉を遮って話を続ける。ジェードは途中で口を挟もうとするも、ルイスの勢いの前にそれは叶わず、結局ルイスの進言を最後まで聞いてしまう。

 ルイスの進言を受けたジェードは、納得のいかない表情でレズノフを見た後、ナターシャ、ゼシカ、ルイスへと視線を移していき、最後に大きな溜め息を吐いて視線をレズノフへと戻すと、仕方なくといった口調で口を動かし始めた。


「……話が長くなるかもしれないがいいか?」

「あー、待った。じゃあ、酒とツマミ取ってきてもいいかァ? あと、トイレ休憩は挟む?」

「…………」


 仕方なさそうに、それでいて真剣な口調で発したジェードの問いにレズノフが軽口で返事を返すと、ジェードの額に青筋が浮かび、身体が小刻みに震えだす。レズノフはそんなジェードの姿を、ニヤニヤと意地の悪そうな表情を浮かべながら眺める。


「悪ィ、冗談だ。ちゃんと聞いてるから、ちゃちゃっと始めてくれよ」

「…クソッ!」


 意地の悪そうな笑みを浮かべるレズノフの言葉を受けたジェードは、大きな舌打ちと悪態を吐いてから、話を始めた。


「一か月程前……まだ、俺達が『レーフ地方』の一国、『サジタバルスク』にあるギルド、『統血同盟』で働いてた時のことだ」

「オウ、随分と遡るんだなァ」

「黙って聞けないのか…! とにかく、俺達がまだ『サジタバルスク』に居た一か月前、俺の妹が行方不明になった!」


 何の悪びれも無く横槍を入れてくるレズノフに、着々とフラストレーションを溜めながらもジェードは話を続けようとする、


「成る程ォ、つまりその行方不明になったと思ってた黒坊主の妹が実は『スチェイシカ』の奴等に攫われてて、今この街に居るって訳だなァ」

「……アンタ、話聞く気が有るのか?」


 ものの、既にジェード達の話を盗み聞きしているレズノフは、さっさと先の展開に予想を付けて何の遠慮も無く口に出し始める。

 ジェードは全く動きを止めようとする素振りの無いレズノフの口に辟易しつつも、細かい部分を説明し始めた。


「まぁ、実際そんなところだ。妹が行方不明になってから数日後、妹を探す傍らで小さな女の子を攫おうとしている奴等を見つけたから締め上げたら、『コルーチェ』という名前、そして攫った少女達をこの街に集め、領主の許に集めていることを吐いた。それで俺達は、妹を助ける為にこの街にやってきた。途中、色々あって遅れはしたがな。まぁ、そのおかげで妹がこの街に居ることが確信出来たがな」

「へェ、興味深いねェ。ぜひともお聞かせ願いたいなァ」

「…まぁ、別に構わないが」


 ジェードはそう返事を返すと、今日の日の出近くに遭遇した馬車、そしてそこから現れた男との戦闘についてかいつまんで話した。


「と、いう訳だ」

「ほォう…」

(…まァ、間違い無くジイサンとテロリストだなァ。報告には入ってなかったが、強姦魔が忘れてただけかァ?)


 ジェードの話を聞き終えたレズノフは返事を返しつつ、ジェードが出会った人物が誰なのかにさっさと見当を付け、苦笑を浮かべる。

 ヴィショップがミヒャエルへの報告の時にこの話をしなかったのは、レズノフがジェードという人間の存在のことを一切告げていなかったのと、ジェードのことをただの正義漢の強い向こう見ず程度にしか考えておらず、決行日までの時間から考えても何も出来ないだろうと思い、報告の必要性を感じなかったからである。

 もっとも、そのことを知らないレズノフは、ミヒャエルに非があると考え始めていたが。


「……で、終わりか?」

「…そうだが?」

「フゥン、ヘェ、そうかァ…」


 レズノフはヴィショップ達への思考をある程度のところで打ち切ると、何やら考え事をしているらしきレズノフに怪訝そうな視線を向けるジェードに質問をぶつける。そしてそれに対して帰ってきた返事を聞くと、ジェードに生返事を返しつつ、何かに納得したかの様に頷く。


(成る程ォ……コイツ等、集められたガキ共がどうなっているのかは知らねェ……かといって、完全に知らねェってわけではなく、ある程度までの予想は付いてる……というより、最近付けたってとこか。そうなると、今までとは違って、かなりマジなこの空気も納得だなァ…)


 先程レズノフが部屋の前で彼等の話を聞き、彼等が領主がらみの一件に関わっていることを悟った時に疑問に上がったことの一つに、彼等がどこまで知っているか、ということがあった。領主が子供達を使って、凄惨極まる情事に励んでいることまで掴んでいるのか、いないのか。それによって、レズノフのカードの切り方も自ずと変わってくるからだ。

 その疑問は、自分達と行動を共にしていた時のナターシャ達三人の態度と、今の態度のギャップ。そして今のジェードの話によって解消することが出来た。


(恐らく、黒坊主が来るまでは何も分かってなかったんだろう。だから、俺達と行動を共にしつつ、メンバーが揃うまで待機していられるだけの余裕があった…。だが、今は違う…)


 レズノフはナターシャ達三人の顔へと視線を向ける。

 今までレズノフには見せたことの無い、緊迫感を孕んだその表情の裏側に潜む確かな焦燥を、レズノフは見抜いていた。


(道中でジイサン達の乗ってる馬車と出会ったことで、黒坊主は事が予想以上にヤバい方向に向かってるのに気付いた。んで、さっさと黒坊主の妹を助けなきゃいけねェことに気付いて、焦りに焦ってる、ってとこかァ)


 心中で考えを纏めつつ、今すぐにでも行動を起こしそうな三人の表情を眺める。

 レズノフは視線をジェードへと戻し、他の三人と比べれば上手く隠されている、他の三人以上の焦燥を見抜くと、微かに口角を吊り上げた。


(決行日は明後日の深夜、か…。まァ、ギリギリってとこだなァ。運命の女神とやらは俺に気があるらしいなァ…)


 そして心中でそう呟いて思考に幕を下ろすと、ゆっくりと口を動かし始めた。


「成る程、成る程。オーケー、大体理解出来たぜェ」

「そうか。で、どうするんだ? 俺達はこれから、領主に喧嘩を売りに行くことになる。ついてくるのは賢明とはいえないぞ?」


 結論を下す前によく考えるよう、ジェードはレズノフに進める。

 レズノフは、ついさっき出会ったばかりの人間のことをここまで考えるジェードの姿から、数日前にゼシカがジェードに下していた“お人よし”という評価も、あながち間違いではないと感じ、苦笑を浮かべる。


「……何だ?」

「いやァ、別にィ?」


 苦笑を浮かべたレズノフを見て、ジェードが訝しげな表情を浮かべる。レズノフは含みのある返事を返すと、少しだけ間を空けてからジェード達に自分の決断を告げた。


「俺も手伝わせてもらうわ。つーかコレ、俺にも無関係じゃねェし」

「無関係じゃない? どういうことだ?」


 レズノフがそう告げると、案の定ジェード達が話に喰い付いてくる。レズノフは予想通りの彼等の態度に満足気な笑みを浮かべると、急に表情を真剣なものに変えて低い声で告げた。


「…話が長くなるかもしれないがいいか?」

「……アンタ、俺に恨みでもあるのか?」

「いやァ、まぁ、ちょっとしたジョークだ。そうピリピリすんなよォ、ヒャハハ!」


 ジェードは今しがたレズノフが発した言葉が、先程の自分の模倣であることに気付いて、再び額に青筋を浮かび上がらせる。レズノフはそんなジェードの表情を見ると、途端に真剣そうな表情を崩して楽しそうな…傍から見れば馬鹿にしているとしか思えない笑みを浮かべて、笑い声を上げた。

 そして満足するまで笑い声を上げると、先程と同じ、どこか楽しげな表情を浮かべながらレズノフは口を動かし始めた。


「まァ、言いたいことは色々出てくるだろうがよ? そういうのは終わってからで頼むぜ? 一々聞いてたらいつまでたっても終わらないんでなァ」


 この街で渦巻いている悍ましい事件の真の姿を、彼等に教える為に。







「で、俺達は麗しの女騎士殿のラヴコールを受けて、この街にやってきたって訳だ。これで俺が言った、無関係じゃない、って言葉の意味が分かっただろゥ?」


 ジェード達が挑もうとしている事件の真の姿を粗方説明し終えたレズノフは(無論、内通者として潜り込んでいるヴィショップ達のこと等は伏せている)、軽口を交えて話を終えた。

 だが、レズノフの軽口に何か反応を示すものは誰一人としていなかった。それどころかレズノフの話について何か言おうとする者すらおらず、レズノフの叩いた軽口はジェード達四人の発する重苦しい沈黙に掻き消される。

 レズノフ以外の四人の表情は、実に様々だった。話の内容に恐怖し、青ざめる者、怒りに燃える者、驚きに打ちのめされる物、そして…その身を焦燥に焦がされる物。


「…オイオイ、どこ行くんだァ?」


 唐突に立ち上がり、椅子に掛けられたコートと鞘に納められたファルクスを手に取って部屋を出ようとするジェードを、レズノフがつまらなさそうな声で止める。


「決まってる。クソ野郎の屋敷に乗り込んで、妹を助ける」


 扉の手前で立ち止まり、レズノフに背を向けたままジェードが返事を返す。

 レズノフはそのあまりにも短絡的な行動にわざとらしく溜め息を吐くと、呆れ混じりの口調でジェードに告げた。


「止めとけよ、言ったってどうせ無駄だ。攫われたのは一か月前なんだろ? どうせもう、変態野郎のオモチャにされたくたばってるさ」


 レズノフがそう発した瞬間、扉の取ってに手を伸ばそうとしていたジェードの身体が微かに震えたかと思うと、左手の袖から緑色の光を漏らしつつ物凄い勢いで振り向き、レズノフの方に向き直った瞬間、三日月状の風の塊を撃ち出した。


「……ヒューッ。オイオイオイオイオイ、何だ、そりゃア?」

「お前に、何が分かる…!」


 撃ち出された風の塊はレズノフの真横を抜けて飛んでいき、壁に衝突して深い傷跡を刻み込んだ。

 レズノフは一瞬だけ目を丸くしていたが、次の瞬間にはその目に好奇の色をありありと宿し、風の塊を撃ち出したジェードの左手と風の塊が壁に刻み込んだ傷跡へ交互に視線を向け、今しがた行った芸当について訊ねる。

 だが、当の質問を受けた本人には答えそうな素振りは全く無く、まるで親の敵にでも向ける様な視線でレズノフ睨み付けていた。

 レズノフはそんなジェードの態度から、今しがたの芸当に関しての説明を求めるにはこのやり取りにケリを付けなくてはいけないことを悟ると、面倒臭そうな溜め息を一つ吐いてから言葉を発し始めた。


「何が分かるもクソも、常識的に考えて死んでる確率の方が高いだろォ? それに、もし仮に生きてたとしてもどうする気だァ? まさかテメェ、攫ってきた子供を馬鹿正直に屋敷に置いてるとでも思ってんのかァ?」

「……どういう意味だ?」

「いいかァ? あの変態野郎の趣味は、到底大人数で共有出来る類いの秘密じゃねェ。ってことは、あの屋敷に働いている人数の大半は変態野郎の趣味を知らない可能性が高ェ。そんな無関係な人間が多く居る場所に、絶対外に出したくない秘密の証拠となり得る存在を置いとくかァ?」

「つまり……別の場所に攫った子供達を隠しているということか?」

「ピンポーン、ダァイセェイカァイ」


 数瞬の思案の後に、呟く様にして口に出したジェードの考えを、レズノフは手を叩いて大げさに褒める。


「でだ、ここら辺でガキ共を隠せるような場所といったら、どこにあるゥ?」

「…『パラヒリア』周辺の森林地帯…!」


 レズノフの言葉を受けて、今度はゼシカがハッとした表情を浮かべて呟いた。


「ハイハイ、これまた大正解。どうしますゥ? アタックチャンスを使用なさいますかァ?」

「えっと……そのアタックチャンスが何なのかは分からないんですけど……とりあえず、森に探しに行けばいい訳ですか?」

「ハァイ、残念。賞金獲得権は失われてしまいましたァ。またの挑戦をお待ちしてまァす」

「ええい、何が言いたいのかさっさと言えよ、オッサン!」


 それに続いて今度はナターシャが自分の考えを口に出すが、レズノフはそれをふざけているとしか思えない物言いで却下する。

 そんなレズノフの態度にフラストレーションが溜まってきたのか、ルイスが苛立ち混じりの口調で話を進めるように告げると、レズノフはニヤリと笑みを浮かべて言葉を吐く。


「あのクッソ広い森の中を探したところで、簡単に見つかると思うかァ? 少なくとも数日は掛かるし、俺が変態野郎なら何日も森を歩き回ってる奴は不審者としてとっ捕まえるぜ。だったら、変態野郎本人から聞き出した方が手っ取り早いだろォ?」


 『パラヒリア』郊外に広がる森林地帯は、その全てを踏破しようとした場合最低でも三日は掛かる程の広さを誇る。それに加え、生い茂る木々が道行く人間を惑わし、危険度が上位に位置するようなものは居ないとはいえ魔獣も徘徊している。実際にはその二倍、六日程の時間が必要になるだろう。


「じゃあ、やっぱり乗り込むのか?」

「まァ、そういうことになる。だが、ただ乗り込んだところで決定的な証拠は掴めず、こっちは犯罪者扱いされてやっぱりとっ捕まるのがオチだろう。向こうには騎士団もついてることだしなァ。だから…」


 レズノフはそこまで話すと一旦言葉を区切り、右手の人差し指と中指を立てて顔の前で振って見せた。


「乗り込むなら明後日だ。明後日なら、奴を現行犯で押さえられる。そうなりゃ、さしもの騎士団もこっち側につく筈さ」


 口角を吊り上げながら、レズノフは自信満々にそう告げる。

 レズノフの言葉を受けた四人は驚きのあまり思わず目を丸くしていたが、ジェードはすぐにレズノフに訝しげな視線を向けると、その言葉の意味を問いただした。


「それは、明後日に領主のクソ野郎が子供を…その…」

「手足をぶった切ってレイプする?」

「…ッ! あぁ、そうだ! そうするということか!?」


 口を噤んだジェードの代わりにレズノフが意地の悪い笑みを浮かべながら言葉を補完してやると、ジェードは冷静さを欠きながらもそれを認めて、改めて訊ねた。


「そうだが?」

「じゃあ、アンタは何でそれを知っているんだ? それに領主のクソ野郎を現行犯で押さえたとして、騎士団がこちら側につくという保証が?」


 レズノフがそれをあっさりと肯定すると、ジェードはどうしてそんなことを知っているのか、とレズノフに問いかける。

 その問いかけを受けたレズノフは、まるでその質問が来るのを予期していたように余裕のある態度で、返事を返した。


「そりゃあ、アレだ。黒坊主は知らねェだろうが、俺は昨日、一人で飲みに行ったんだよ。なァ?」

「え、えぇ、確かに依頼が終わった後、一人で女の人について行ったわ」


 レズノフが肯定を求めて視線を向けると、ゼシカが戸惑いながらもレズノフの言葉を肯定する。


「で、俺はそん時に領主の屋敷の警護をしてる騎士と一緒に酒を飲んだ。んでもってそいつから、度々馬車が屋敷にやってきて、何かを回収していくこと、そしてその馬車が二日後に屋敷にくることを聞いた」

「まさか、その馬車は…!」


 無論、今レズノフが口に出した話はでっち上げであり、屋敷に詰めている騎士と酒など飲み交わしてはいない。全てはヴィショップ達から受け取った情報に、決行日に馬車が屋敷に訪れるという嘘を混ぜただけのでっち上げの話である。本当の馬車が訪れる日時はその一日前、つまりは日付が明日へと変わってから一、二時間程度の頃合いだ。

 だがこのでっち上げの話は、この場において充分な働きした。馬車という共通点からジェードを話に喰い付かせ、屋敷に詰めている騎士団の騎士団の全てが領主に秘密を知っている訳ではない、という考えをジェード達に受け入れさせるという働きを。


「まっ、十中八九黒坊主が見た馬車だなァ。黒坊主が見た時は街から出てたんだろ? ならそいつは、変態野郎のお情事の後始末をした可能性が高ェ。とくれば今度やってくるのは…?」

「次の子供を屋敷に運び込む…?」

「その通り。だから、屋敷に馬車が入ったのを確認してから入っていけば、変態野郎が丁度サオをおっ勃てるあたりでご対面できるだろうよ」


 レズノフの歯に衣着せぬ物言いに、ナターシャが赤面するが、ニヤニヤと笑みを浮かべているレズノフ以外は特にそれに気付いた素振りも無く、話を進めていく。


「でも、騎士団の方は?」

「馬車の話をした騎士の野郎から察するに、屋敷に詰めてる騎士共の中でも変態野郎の性癖を知ってるのは極一部……恐らくは騎士団長ぐらいってとこだ。それにここの騎士団の性質を見るに、忠誠心よりも損得で動く連中が大半。変態野郎と騎士団長が沈みゆく泥船だと分かりゃ、とっととこっちに鞍替えするだろうよ」


 ルイスの問いかけにレズノフは流暢に返事を返す。その流暢さは、ある一部の人間…ヴィショップや件の騎士団長の様な人物なら違和感を覚えるに充分な材料だったが、ジェード達四人が違和感を感じ取るには不十分だった。


「さて、一つ訊かせてもらおうかァ? このまま今から突っ込んでとっ捕まるか、俺の案に乗って明後日まで待機してから、文明人らしく変態共に止めを刺すか。さて、どっちにする?」


 レズノフは思案に耽る四人に向けて、両腕を大げさに広げながら訊ねる。

 彼の真後ろに位置する窓から差し込む暮れ始めた太陽の光によって、大きな影を身体から伸ばすレズノフの姿は、見る者の根源的な警戒心を煽るには充分だった。

 だが、それでも四人の答えは決まっているようなものだった。

 突如明かされた、目を覆いたくなるような真実の直面する中、平時と変わらぬ態度を貫く冷静さと自分達以上の知識を持つ存在を突き放すなど、出来る筈もなかった。

 その存在が放つ言葉が、誠意をもって四人を導こうとする助言なのか、それともただ単に四人を利用する為の甘言なのか、それを知っているのは、一人だけだった。






 時刻は、日付の変わったH0200頃。

 ドーマの屋敷に、明日“使用する”子供を運び込んだヴィショップは、『パラヒリア』における拠点である『安らぎの聖域』の一室で、酒やら何やらで薄汚れた木製の机の上に両脚を投げ出して椅子に腰掛けながら、一人で酒を飲んでいた。

 酒瓶を直接口に向かって傾けながら、ヴィショップは視線を机の上、投げ出された己の脚の真横に置いてある、白濁色の液体が入った三つの小瓶へと向ける。今ヴィショップが視線を向けているこの三つの小瓶の中身こそ、昨日の夕方にミヒャエルから手に入れた遅行性の毒物であった。


(しかし…本当に作ってくるとはな。人間、誰しも特技の一つぐらいあるらしい)


 ヴィショップは小瓶を見つめながら、大して疲れた素振りも見せずにこの三つの小瓶を手渡してきたミヒャエルの姿を思い出して、ミヒャエルへの評価を改めながら酒を煽る。

 そんな最中、ヴィショップの腕に填めている神導具が小刻みに振動し、通信が入ったことを彼に知らせた。


「おっ、きたか」


 ヴィショップは小さく呟くと、酒瓶を握る右腕をに向かって左手を伸ばし、手首の少し下辺りに位置する神導具から伸びる紐を引っ張って会話が出来るようにする。


『よォ、ジイサン。もし、マスかいてんのを邪魔しちまったんなら、謝るぜ?』

「黙ってろ、原人野郎。テメェの脳みそはタマとタマの間にぶら下がってんのか? アァ?」


 開口一番で低俗な軽口を叩いてきたレズノフに、ヴィショップは呆れ返った態度で返事を返す。


『ヒャハハハハ! いくら俺でもそれなねェぜ。多分な』

「断定しろよ…。まぁいい、報告しろ」

『あいよ』


 下卑た笑い声と共に返事を返してきたレズノフに溜め息を吐きつつ、ヴィショップは報告をするようにレズノフに言う。

 レズノフは短い返事を返すと、ジェードとの邂逅、その後の説得、そしてドーマの屋敷に入る為の大義名分を手に入れる方法として、ジェードの名義でギルドに、失踪した妹の捜索の一環としてドーマの屋敷の調査の依頼を出し、それをレズノフ達で受けるという手段を取ることに決めたことを、ヴィショップに話した。


「成る程、まぁ、随分と奇妙な巡り合せもあったもんだ」

『全くだぜ。出来れば、ジイサンの方から一言あれば助かったんだがなァ』

「必要ないと思ったんでな。まぁ、これに関しては完全にこっちの落ち度ってことを認めるさ。ところで、ギルドの意向はどうだ?」

『少しは手間取ったが、案外すんなり協力してくれたぜ』

「意外だな。いや、それだけ領主共に苦渋を飲まされてきたってことか」


 レズノフの返事を受けたヴィショップは、一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた後、すぐにその表情を得心のいったものに変える。

 確かにギルドからの正式な依頼としてなら、一応の大義名分は立つ。だがドーマの屋敷を調査する依頼を正式な依頼として認めるということは、名指しでドーマに喧嘩を売ることに他ならず、もしこれでドーマを破滅させることが出来なければ『タル・ティル・スロート』は間違いなく社会的に抹殺されるだろう。にも関わらず『タル・ティル・スロート』がレズノフ達の計画に乗ったということから、彼等がドーマ、ひいては騎士団から受けてきた不当な扱いがよっぽどのものだったことを物語っていた。


「しかし……それだと後一押し足りなくないか?」


 『タル・ティル・スロート』の対応について納得のいったところで、ヴィショップはそう訊ねる。

 ギルドの依頼を受けて一応の大義名分を手に入れたとはいえ、相手は貴族、こちらは弱小ギルドで権力的には天と地ほどの差がある。ただ馬鹿正直に屋敷に行ったところで、ある程度の確証を突き付けなければ屋敷の敷居は跨がせてもらえないだろう。


『そこを何とかするのが、ジイサンの腕だろ? 期待してるぜェ?』

「…まぁ、そうなるだろうな。策が無い訳でもないし、取り敢えず何とかしてみせるさ」

『オッ? 何だ、頼もしい御言葉じゃねェかァ、ヒャハハッ!』


 どこか楽しげな口調で返ってきたレズノフの返事に、ヴィショップは呆れ混じりの口調で答える。もっとも、その役割を自分が担うことになるのはある程度予想が付いていたのか、その声音から焦燥や危機感といった類いのものは見受けられなかった。

 そしてその後にレズノフが発したデカい笑い声にヴィショップが顔をしかめて神導具を顔から遠ざけていると、不意にレズノフが笑うのを止めて問いかけてきた。


『なァ、ジイサン』

「何だ?」

『どうして、今回の一件に首を突っ込んだんだァ?』


 そのレズノフの問いがヴィショップの耳朶を打った瞬間、口元に運ばれようとしていた酒瓶の口が動きを止めた。


「…どういう意味だ?」

『だってよォ、ジイサン。持ちかけた俺が言うのもなんだが、こんなチャチな事件が世界をどうこうするとは俺ァ、思えないんだわ』


 レズノフの言葉は、ある意味正しかった。

 複数人の子供を凌辱と拷問の果てに殺害するというのは、人間の尺度で見れば大事件かもしれないが、世界という尺度で見るならば取るに足らない事件にすぎない。そんなものを解決したところで“元の世界”に戻ることが出来るとは、到底考えられるものではなかった。

 果たしてこの一件を解決することで何を得ようとしているのか、つまりはヴィショップの今回の一件についての真意を、レズノフは問うているのだった。


「…お前は、どうしてこの一件に?」

『俺かァ? 俺ァ、まだあのベッピンさんに拝み倒す願いが見つからねェからよ。それまでの暇つぶしにでも、と思ってなァ。あと、騎士の姉チャンのカラダ目当て』

「…そうか」


 少しの沈黙の後にヴィショップが発した問いに、レズノフは特に迷った様子も無しに答える。

 レズノフの返事を聞いたヴィショップは短い返事を返すと、小さく笑みを浮かべた。もしこの場にレズノフが居れば、今ヴィショップが浮かべた笑みが、普段彼が浮かべているものとは微かながらに、さりとて確定的に違った雰囲気を帯びていたのに気付いただろう。


「やることやってもくたばっても、生き方は変えられねぇか…」

『ん? 何か言ったか、ジイサン?』

「…いや、何でもねぇよ」


 耳を凝らさなければ到底聞き取れないような声で、ヴィショップは呟く。そしてその呟きに反応したレズノフに適当に返事を返すと、今度はいつもと変わらぬ微笑を浮かべた。


「まぁ、今回のが片付いたら教えてやるよ」

『オイオイ、何だよ。ジイサン、教えてくれたって…』

「決行直前にもう一度連絡する。何かあったら連絡入れろ。分かったらてめぇの母親の裸でも想像しながらマスかいて寝ちまえよ、ヒトゴリラ」


 ヴィショップの返した答えに納得がいかないのか、何とか聞き出そうとしてくるレズノフの言葉を遮ると、ヴィショップは言うだけ言って通信を遮断する。

 そしてそのすぐ後、案の定入ってきたレズノフからの通信を無視しながら、ヴィショップは酒瓶を傾けた。

 すぐそこまで迫っている“嵐”、そして変えられない己の生き方に思いを馳せながら。

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