失態という名の歯車
既に地平線から煌々と輝く太陽がその顔を覗かせている時分、ヤハドと別れたヴィショップは森林地帯の中にひっそりと建てられた小屋まで戻ってくると、馬車のから取り出した少女の死体が詰められたずた袋を隠し部屋に転がして隠し部屋をあとにし、小屋のリビングに設けられた椅子に深く腰掛けていた。
「あー、結局徹夜になったか…」
ヴィショップは窓の向こうで昇り始めている太陽に視線を向けると、目頭を押さえながら少し疲れた様子で呟く。そして机の上に置いてあった紙袋に手を伸ばすと、その中に入っている、昨日の内に買っておいた包装紙に包まれているホットドッグを取り出して机の上に置いた。
「さてと…」
ヴィショップは完全に冷え切ってしまっているホットドッグに視線を向けると、右肩を軽く回してから右の掌をホットドッグの上に置いて口を動かした。
「四元魔導、烈火が第八十五奏。“フェイグラッド”」
ヴィショップがそう呟くと、彼の掌からぼんやりと橙色の光が発せられる。その光はヴィショップの掌を通じてホットドッグにも宿り、ヴィショップはその光景を無言で眺め続ける。
「…こんなもんか」
三十秒程したところで、ヴィショップは魔力を流し込むのを止めて魔法を止めると、包装紙に包まれたホットドッグを手に取る。手に取った冷え切っている筈のホットドッグからは包装紙越しに、熱いとまではいかなくとも温かいぐらいには感じられる熱がヴィショップの手に伝わってきていた。
「魔法とか大層な名前を冠してる割に、電子レンジと大して性能が変わらねぇとはな…。俺もさっさと一つ上の魔法を習得するべきか…」
ヴィショップは苦笑を浮かべてぼやくと、包装紙を剥いてホットドッグを口へと運ぶ。
現在ヴィショップが使用出来る魔法は、最下級の魔導書に載っている魔法のみである。確かに『パラヒリア』へと向かう前の『クルーガ』滞在中に、ミヒャエルが魔導協会の試験に合格して一つ上のランクの魔導書を手に入れているものの、最下級以外の魔導書には全てプロテクトの様な魔法が施されており、魔導協会での試験後に行われる血の契約を行ったものにしか読めないようになっているのだ。
その為、ヴィショップがミヒャエルの手に入れた魔導書を読んでみたところで彼の目に入ってくるのは真っ白なページだけで内容を把握することは出来ず、ミヒャエル自身に教えてもらおうにも、血の契約を行っていない人間が上位の魔法を使用すればすぐに協会に嗅ぎつけられてしまい、最悪教えた方られた方共に魔導書の没収まで有り得るとのことなのでそれも行えない。結局、自分の力で試験を合格する意外に上のランクの魔法を使う術は無いのだった。
「……帰ってきたか」
ホットドッグの最後の一口を放り込んだところで、ヴィショップは玄関の方で扉が開く音を聞いて背後へと振り向く。
「殺したか?」
「……ああ」
数秒と経たぬ内に姿を見せたヤハドにヴィショップは先程の少年について訊ねる。ヤハドはフード付の外套を脱ぎながら、一瞬の間の後にヴィショップに視線を合わせずぬまま短い言葉で返事を返した。
ヤハドの答えを聞くと、ヴィショップはヤハドに視線を向けたまま黙りこくる。一方のヤハドは少しの間その場に立ち尽くすと、ヴィショップを一瞥もしないまま立ち去ろうとした。
「殺さなかったな?」
だがヤハドの歩みは、まるでヤハドがこの場を離れようとするのを待っていたかの様なタイミングで発せられたヴィショップの言葉によって、ぴたりと止まった。
「……何を根拠に?」
歩みを止めたヤハドが、ヴィショップに顔を向けて訊ねる。
「ハッ、俺はてめぇが精通もしてねぇような時分からマフィアとして生きてきたんだぞ? 人を殺したかどうかなんて、態度を見れば簡単に分かる。特に、てめぇみてぇなタイプはな」
ヤハドの質問に、ヴィショップはつまらなさそうに鼻を鳴らして答える。
ヴィショップの返事を受けたヤハドは数秒程ヴィショップをじっと睨み付けると、絞り出すようにして言葉を発した。
「……謝りはしない。俺は間違ったことはしていないからだ。ただ……そのツケは俺がちゃんと支払う」
険しい表情を浮かべながら、ヤハドはそう宣言する。
恐らくは彼の中でも理解出来ているのだろう。自分のとった行動が人としては正しくとも、目的の為には間違っている行動であることを。そして今の自分は、人としての正しさが何の意味も為さない存在になっていることを。
恐らくは、ずっと前から。“この世界”に放り込まれるずっと前から。
(理解していても譲れないものがある、か…)
ヴィショップは、ヤハドの表情と彼の吐いた言葉を想いながら、心中で呟く。
ヴィショップが心中で呟いたその一言、それはヴィショップ自身にとっても無関係な言葉では無かった。
ヴィショップの人生の大半は、そうした“間違っていても譲れないもの”に突き動かされて形作られたものなのだから。
「…そうかしこまるなよ、マジメクン。別に責めようって訳じゃねぇ。ただ、確認しときたかっただけさ」
ヴィショップが表情を崩して小さく笑みを浮かべながらそう告げると、ヤハドが驚いた表情を浮かべて目を見開く。そんな鳩が豆鉄砲喰らったみたいなヤハドの表情を見て、ヴィショップは思わず苦笑した。
「何だ、そんなに俺の言ったことがおかしいか?」
「いや……貴様のことだからてっきり、何らかの形で詰ってくると思っていたから…」
「あの遺跡の時に言っただろう? 仲間割れの予防線だと思って、例え価値を感じない提案や決断でも受け入れてやる、ってな」
「……あぁ、そうかい」
ヴィショップがからかう様な口調でそう告げると、ヤハドは不機嫌そうな表情を浮かべてヴィショップから視線を離して、止めていた脚を動かし始める。
「あと二時間程したら、レズノフ達に連絡する。そん時はお前も、マスかくの止めてこっちに来いよ」
「死ね、腐れ米国人」
そして軽口混じりのヴィショップの言葉に、右手の中指を立てて突き付けながら返事を返すと、ヤハドは寝室に向かって姿を消した。
「あーー、何すか、もう…」
日は既に昇り切っているH08時頃。『ルィーズカァント領』の中心都市『パラヒリア』の大通りに立っている、大衆食堂兼宿泊施設『ホテル・ロケッソ』。その一室…カーテンを閉め切ることで、本来差し込んでいるべき温かな日差しを完全にシャットアウトしている部屋の中で、ミヒャエルは自分の腕に巻いてあるブレスレット型の通信用神導具の振動によって目を覚ました。
「ったく、こんな朝っぱらに何の用ですか…。はい、もしもしぃ…?」
『あ? 何だ、お前かよ。レズノフはどうした?』
ミヒャエルはぶつぶつと文句を言いながら神導具を操作して話し掛けると、神導具から意外そうな声音もヴィショップの声が発せられた。
「いやいや、第一声がそれっておかしくないですか?」
『んだよ、“おはよう、ダーリン”とでも言って欲しかったか?』
「止めてくださいよ、朝食が食べれなくなったらどうしてくれるんですか?」
『だったら、さっさとレズノフに替われ。どうせお前じゃ話にならねぇ』
つまらなさそうなヴィショップの声を受けてミヒャエルは、欠伸を漏らしながら布団を跳ね除けてベッドから降りると、カーテンを開いて回りながら返事を返す。
「レズノフさんなら居ませんよ。昨日、依頼をやった帰りにそのまま風俗街の方に消えていきました。まだ帰ってきてません」
『ハァ!? んだ、そりゃ! てめぇ、止めなかったのかよ?』
「止めましたよ。でも、止まれと言って止まるタマじゃないでしょう、あの人は?」
『チッ、あのヒトゴリラが……ふざけやがって…』
差し込んできた日差しに眉を顰めながらのミヒャエルの返事を聞いて、ヴィショップは苛立たしげに舌打ちを打つ。
ミヒャエルは眠そうに頭を搔きながらヴィショップの悪態を聞くと、ヴィショップに問いかけた。
「で、どうするんです? 話す気が無いなら、もう切ってもいいですか? 僕、シャワー浴びて来たいんで」
『……分かった、お前に話す。忘れないよう、メモ取っとけよ』
「うわっ、面倒臭いですねー…」
『少しでも忘れてたら、てめぇの首を七面鳥みてぇに絞め落としてやる。それでもいいなら、メモを取るな』
「はいはい、分かりましたよー…」
若干ながら苛立ちの残ったヴィショップの言葉にミヒャエルは面倒臭そうに返事を返すと、自分の荷袋の中を漁ってメモに使えそうな物を取り出す。そして準備を整えたことをヴィショップに伝えると、ヴィショップは昨日仕入れた情報…ドーマが“行為”を行う際に使用している場所や、決行日が二日後であること等をミヒャエルに話した。
「二日後ですか……早いですね」
『変態の始末ごときにいつかでもかかずらっている訳にもいかねぇからな。寧ろ、好都合だろ』
相も変わらず面倒臭そうな口調でミヒャエルがそう告げると、ヴィショップは特になんでも無さそうな声音で返事を返す。
「変態でも一応は領主ですよ?」
『だから何だ? こっちはくたばる前から政治家だの警察官僚だのを泥の棺桶に叩き込んでたんだ。今更、領主を嵌めるぐらいで腰が引けるかよ』
「はぁ、そうですか…。それは血気盛んなことで…。ところで、これで全部ですか?」
仮にも領主を相手取ろうとしているにも関わらず、全く怖気づいた様子の感じられないヴィショップに対し、ミヒャエルは呆れ混じりの口調で呟くと、他に言っておきたいことはないかを確認する。
『いや、まだある。レズノフのクソッタレが返ってきたら聞いておいて欲しいことだ』
「何です?」
ミヒャエルが訊ねると、ヴィショップは少しの間思案してから返事を返した。
『人を死亡させる毒物…効果は遅行性で、大体数時間程度で対象を死亡させるようなものが手に入らないかを確認しといてくれないか?』
「……何に使うんです、そんなもの?」
『まぁ、ちょっとした事後処理さ』
ヴィショップの言葉を受けたミヒャエルが訝しげな表情を浮かべて毒物の使用用途について訊ねるが、ヴィショップは適当にはぐらかして答えようとしない。
ミヒャエルとしては、是非ともその毒物を何の為に使用するのかを知っておきたかったのだが、ヴィショップが話そうとしないことを聞き出すのは至難の業だというのは、短いながらも今までの付き合いの中で薄々感じ取ることが出来たので、それ以上追及することなく返事を返した。
「分かりました。遅行性で、数時間で摂取した人間を死亡させる毒物ですね? 形状は液体ですか? それとも粉末状、もしくは気体ですか? それと量は? 大体どれくらいの人数を殺せるぐらいあればいいんですか?」
『数は二、三人分、それ以外はそっちに任せるが……何だ、随分詳しく訊いてくるな、珍しい』
神導具を通して本気で意外そうな声音のヴィショップの言葉が聞こえてくると、ミヒャエルは誰に見せるでもなく胸を張って返事を返した。
「だって、作る側としてはそういう情報は必要じゃないですか。まぁ、僕の感性に全部任せてどんなものが出来上がっても文句を言わない、と確約出来るのなら、別にそういう情報無しでも作れますけど」
『そういうもんか………………って、何だと?』
ミヒャエルが返事を返した瞬間、神導具越しのヴィショップの声が不意に途絶えたかと思うと、十秒近い沈黙の後に呆けた様な声音で聞き返してくる。
ミヒャエルは小さく溜め息を漏らすと、まるで幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりとした口調でヴィショップにはっきりと告げた。
「だから、僕が、毒を作ります、って言ったんですよ」
『……冗談だろ?』
信じられないものでも目の当たりにしているかの様な声音で、ミヒャエルの耳朶を打ったヴィショップの言葉。ミヒャエルはその言葉から、自分がヴィショップの鼻を明かしていることを再確認し、優越感に浸りながら口を動かしていく。
「冗談じゃないですよ、本当です。薬物は僕と愛すべき女性の愛を深めてくれるものですからね。市販のじゃ満足いかなくなって、自分で作ることにしたんですよ。中でも最高傑作は、摂取した対象の意識を奪い、更には数時間分の記憶も奪うヤツです。両手、両足を切り取った女性にこれを飲ませたりしたら、もうたまりませんよ。意識を取り戻してみたら、四肢が無く、驚き慌てふためき、そして恐怖へと染まっていく彼女達の顔。実際に切り取る時と違って、目が覚めてみたら手足が全部無くなっているんですからね。驚きと恐怖の表情は、切り取る時以上ですよ……あぁ、何だか僕、こう…」
『オーケー、分かったから、その変態的性癖の暴露大会をとっとと止めてもらおうか、今すぐに』
「……いいじゃないですか、言葉にして思い返すくらい」
『これ以上続けたら、てめぇのタマをぶった切って金魚のエサにするぞ。それより、お前の見立てとして俺が言った毒物は手に入りそうか?』
歯止めが効かなくなるまであと少しといったところで、神導具越しのヴィショップの声がミヒャエルの熱弁を遮る。
遮られたミヒャエルが不満そうに呟くが、ヴィショップはそれを一蹴すると、先程述べた毒物が手に入るかどうかを訊ねる。
「液状のものでいいなら、この街でおおまかな材料は買えると思うので、今日の夕方ぐらいに会えればそこで渡せますよ?」
『随分と早いな』
「まぁ、元々大した材料が必要なわけでもないですし。それに、“こっちの世界”では薬草とかが普通に売ってますしね」
驚いた様子で訊いてきたヴィショップに、ミヒャエルは街中でいくつか発見した薬草等を扱っている店を思い出しながら、返事を返した。
『まぁ、確かに“ここ”は魔法なんてみてぇなもんがある世界だからな。薬草ぐらい普通に売っててもおかしくはないか』
「ところで、待ち合わせ場所はどうします?」
『そうだな。大通りにある、『ルートルズ・レストラン』にY0600でいいだろ』
「分かりました。では、Y0600に『ルートルズ・レストラン』で。あっ、報酬は期待しますからね?」
ミヒャエルはヴィショップの告げた時刻と場所をメモすると、当然の如く報酬を要求する。
もっともそのミヒャエルの言葉は、そういう発言を予測したヴィショップがいち早く通信を切断した為に彼の耳に届くことはなかったが。
「あー、よく寝たァ…」
今まで登り続けていた日が頂点へと達した、正午あたり。昼飯時ということもあって人が俄然増え始めた大通りを、防具や武器を一切身に着けていない私服姿のレズノフが、欠伸を漏らしながら歩いていた。
「にしても、中々上玉なのが揃ってたなァ…。部屋は粗末だったが、十二分に楽しめたぜェ…」
大通りを歩くレズノフは、昨晩の出来事を思い返して満足気な笑みを浮かべる。
昨晩、何てことは無い依頼をナターシャ達と終えたレズノフは、帰り道に客引きらしき女性に絡まれ、依頼の事後処理をナターシャ達に任せて彼女達と別れた。その後は店で酒を浴びる程飲んだ挙句、客引きの女性とその他数人と日が明けるまで“楽しみ”、持っていた財布の中身を大幅にすり減らして今に至るのだった。
「その分金がけっこう減っちまったが…まぁ、近い内にデカい仕事も片付くし、何とかなんだろ」
数枚の銀貨と銅貨、そして十枚近い小銅貨しか入っていない財布の中身を見て、レズノフはそう呟く。当初はこれに、今までの依頼の報酬として手に入れた銀貨が三十枚程あった筈なのだが、今やそれらの姿は影も形も無かった。
だが、それを悔やんでいる様な素振りはレズノフには一切無く、逆に近い内に破滅させるであろうこの街の領主、ドーマのことと、彼を破滅させた際にどこかしらからか出るであろう報酬のことに考えを巡らせていた。
「にしても、今日も暑いなァ…。とりあえず、何か飲みながら帰るか」
レズノフは真上で燦々と輝いている太陽に視線を向けてそう呟くと、その場で立ち止まって辺りを見渡す。そして大通りの一角で、氷水で冷やした酒を販売している店を見つけると、ごっそりと中身が減った筈の財布を手で弄びながら、一切の迷いも無く店に向かって歩き始め、瓶入りの酒を二本購入すると、それを傾けながら再び『ホテル・ロケッソ』に向かって歩き出した。
「あァーい、ただァいまァっとォ……あれェ?」
二本目の酒瓶の中身を半分程にしたところで、レズノフは『ホテル・ロケッソ』の目の前に辿り着く。そして酒瓶の残りを全て飲み干してから正面の扉を勢いよく開けて中に入ると、その先に広がっている光景を見て、やや間の抜けた声を上げた。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですか、ジェードさん!?」
「やっと……やっと見つけた…! ここだ、ここに間違いない…!」
レズノフの視線の先では、地面の上に寝転がって夜を明かしたかの様な薄汚れた黒のロングコートを身に纏い、腰に長剣を差した、深い色合いの黒髪と程よく日焼けした肌を砂や泥で汚している端正な顔立ちの少年が、何やらうわ言の様に言葉を呟きながら、おぼろげな足取りで立っており、それを慌てた様子のナターシャ達が支えていた。
「あ、やっと帰ってきたんですね? 何やってたんですか、レズノフさん?」
「何って、ナニに決まってんだろ。それより、どういう状態だ、これはァ?」
「あぁ、そうですか……」
そんな光景をレズノフがぼうっと眺めていると、ナターシャ達の近くで少年とナターシャ達の様子を傍観していたミヒャエルがレズノフの存在に気付き、やや咎める様な口調で話し掛けながら近づいてくる。
レズノフは近づいてきたミヒャエルが発した問いに適当に答えると、呆れかえった様子のミヒャエルに目の前の状況の説明を求めた。
「ほら、数日前に言ってたじゃないですか。ナターシャさん達のもう一人の仲間のこと」
「あぁ、今別行動してるっていうアレか?」
「えぇ。そのアレがソレなんですけど、見ての通りの状態でいきなり現れたもんですから、皆さん軽いパニック状態に陥ってまして」
「ふゥーん…」
レズノフはミヒャエルの言葉に耳を傾けながら、ルイスに肩を貸されて上の階へと上がっていく少年…ジェードの姿を興味深そうに眺める。そしてナターシャ達の姿が階段の向こうに消えるまでその姿を目で追うと、持っていた二本の酒瓶を投げ捨ててナターシャ達の後を追おうとする。
「よし、俺達も感動の再会って奴にお邪魔させてもらうかァ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。その前に…」
ニヤリと笑みを浮かべてナターシャ達を追おうとするレズノフを、慌てた様子でミヒャエルは引き留めると、レズノフを彼に引っ張って耳打ちする。
「んだよ、強姦魔。まさか俺にまで発情するっていうなら、俺は全力でテメェのサオを捥ぎ取らなかやならねェが…」
「んな訳ないでしょ、止めてくださいよ、気持ち悪い…!」
本気で嫌そうな表情を浮かべてそう発したレズノフに、ミヒャエルは本気で気持ち悪そうな表情を浮かべて返事を返すと、店内の他の人間がこちらを向いていないことを確認してから、声を潜めて言葉を発した。
「ヴィショップさんから連絡がありました」
「……リョーカイ。先にそっちを聞くとしよう」
レズノフはミヒャエルの言葉を聞くと、それまでのふざけた表情を一瞬にして掻き消し、ミヒャエルの話を聞くために『ホテル・ロケッソ』を出て、近くの路地裏へと歩を進めた。
「まぁ、とりあえず一つ言いたいことは、どうやって変態野郎の屋敷に潜り込むか、だな」
レズノフが『ホテル・ロケッソ』に帰ってきてから三十分前後。ミヒャエルからヴィショップとの話の内容を聞くために『ホテル。ロケッソ』を出て近くの人気の無い路地裏に移動したレズノフは、ミヒャエルの話を聞き終えると、開口一番にそう発した。
「適当に忍び込めばいいんじゃないんですか?」
「まぁ、最悪それでいくが…。犯罪染みたやり方で捕まえても、それが裁判で通用する可能性は低ィだろ。やっぱし、建前だろうと幾分かの正当性を持って屋敷に突っ込みたいところだ」
さも当然の様に言ってのけたミヒャエルの言葉を、レズノフが否定する。
ドーマの屋敷に乗り込む為の正当な理由を見つけること、それはある意味では今回の計画で必ず超えなければいけない高い壁ともいえた。
何故なら、レズノフ達が所属するギルドは所詮は便利屋の延長線上に存在する民間団体であり、警察の様な強制調査権など当然の如く存在しない。確かに、国から直接依頼を受けたりした場合にはそのような権力の行使が認められる場合もあるが、今回レズノフ達に依頼したのは騎士崩れのアンジェ達である上に、情報の漏洩を恐れて正式な依頼契約を結んでいない。
いわばレズノフ達は、完全に個人で動いているも同然の状態であり、何らかの正当性を持った理由無しにドーマの屋敷に侵入すれば当然不法侵入に準ずる罪が宛がわれることになる。その場合は何とか証拠を掴んでドーマを告発出来たとしても、証拠能力があると認められるかは怪しいものだし、それにドーマ自身の権力も合わされば切り抜けられてしまう可能性も高い。
その為、何らかの正当な理由を見つけるのが必要になるのだが、領主の屋敷に踏み込むことが出来る程の理由となれば一筋縄でいくものではないのは確実である。
「そうなると……どうします? 何かいい案が?」
「いい案…というか、ぱっと考つく得る限りでは一つしかねぇだろうなァ…」
レズノフはミヒャエルの質問に答えると、大通りから外れた場所にひっそりと建っているある建物を思い浮かべる。
「それよりテメェ、ジイサンの言ってた毒薬っていうのは作らなくていいのかよ?」
「……そういえば、そんなものもありましたね」
どうやってドーマの屋敷に踏み込むかを考えている最中、レズノフはふとミヒャエルがヴィショップから頼まれている毒薬の製造のことを思い浮かべて、ミヒャエルに首尾を訊ねる。
するとミヒャエルは、数瞬の間何も無い空間を口を半開きにして見つめた後、ぽつりと呟いた。
「んだよ、忘れてたのかよォ?」
「しょうがないじゃないですか。頼まれた後少しして、先程の騒動だったんですから」
呆れ混じりにレズノフがそう言葉を発すると、ミヒャエルは欠片程の反省も見られない、いつも通りの声音でそう返す。
時刻は現在、Y0100近く。ヴィショップとの約束の時間まであと五時間といったところだった。
「とりあえず、テメェはその毒薬とやらを作ってろ。どうせ、まだ材料も買ってねェんだろォ?」
「えー、今からですかぁ? 今からやり始めたら、何か一番おいしそうな所を見逃すじゃないですかぁ」
取り敢えず毒物の製造に着手するようにレズノフが告げるが、ミヒャエルは不満そうな返事を返す。恐らくはレズノフと同じ様に彼も、上の階で行われているであろうナターシャ達とジェードの話し合いに参加したいのだろう。
「よく分からねェが、その毒物とやらを完成させねェと、ジイサンがキレるんじゃねぇのか?」
「……確かに。はぁ……仕方ないですね。後で話を聞かせてくださいよ?」
しかしそんなミヒャエルの不満そうな表情も、レズノフがヴィショップのことを口に出した瞬間、すっかり鳴りを潜ませる。そして少しの間思案した後、ミヒャエルは盛大に溜め息を吐くと、レズノフにナターシャ達との会話の内容を教えるように告げてから、大通りに向けて歩き始めた。
「……さて、強姦魔の厄介払いも出来たところだし、俺はお涙頂戴な感動場面でも覗きにいくとしますかァ…」
人混みの中に消えていくミヒャエルの背中を見届けたレズノフはそう呟いて身体を伸ばすと、再び『ホテル・ロケッソ』の中へと戻り、階段を上っていく。
(これで嬢ちゃん達は全員揃った訳か……決行日時も決まったことだし、そろそろケリ付けねェと…。やることは目白押しだなァ…)
上質な木目の階段を一段一段と踏みしめながら、レズノフはナターシャ達を本格的にこちらの計画に引きずり込む時期が来たことを実感し、同時にその具体的な方法が何も浮かんでいないことも実感して、苦笑を浮かべる。
「それは本当か、ジェード? じゃあ、あの野郎の言った通り、この街に…」
「……あん?」
決行が目前にまで迫っているにも関わらず、解決方法を見いだせていない問題の数々に考えを巡らせながら階段を上り切り、ナターシャ達の部屋の近くまで来たところで、多分な興奮を含んだルイスのものらしき声がレズノフの耳朶を打つ。
今までレズノフが耳にしてきたルイスの声の中で頭一つ抜けて真剣なその声音に、レズノフが訝しげな表情を浮かべながら扉に近づいた瞬間、ルイスの声以上に感情をむき出しにした一言がレズノフの鼓膜を揺さぶった。
「そうだ……妹は…ネリアはこの街に居る…! 『コルーチェ』の奴等に攫われたあいつが、この街に居るんだ…!」




