いざ、宴へ
「……ということで、メスの方のランドシザースの死体の欠損を考慮して、報酬のから一割程引かせてもらいますね」
「オイオイ、マジかよォ。これでも、食う分には何も問題ねェだろうがよォ」
レズノフとルイスの戦いが終結してから数分後。月がでかでかと浮かび星が至る所に散りばめられた夜空を頭上に湛えて、すっかり夜の帳の降りた平原には、ランドシザースの死体回収用の数台の馬車が停められ、その馬車に乗っていた屈強な男達がランドシザースの死体を車輪のついた大きな板の上に運んで縄でしばっていく中、それらの馬車の内の一台の近くで、装備を粗方身に着け終わったレズノフは、ギルドで受付をしていた紫色の髪の女性と報酬について話し合っていた。
「確かにただ食べる分には問題はありません。ですが、一つの料理としてお金を出してもらう以上、不恰好であるということは大きなマイナスポイントです。その辺りは依頼主からも言及されており、このような死体の状態では報酬をマイナスし、マイナス分を依頼主に返却しなければならないのは避けられないでしょう」
「でもよォ、こっちは命賭けてやってンだぜ? 少しぐらいいいんじゃねェの?」
「これでも、充分軽い方ですよ。場合によっては三割近くマイナスされてもおかしくはありませんから」
納得のいかなさそうな口調で食い下がるを紫色の髪の女性は一蹴すると、馬車の中から大きさの違う二つの布袋を取り出し、レズノフへと手渡す。
「今回の報酬から一割をマイナスした、銀貨七十枚です。二手に分かれてランドロブスターを倒したとこちらで判断したため、こちらの方で報酬を予め分けさせていただきました」
「そりゃ、どうも。で、どうせこっちの軽い方がメスを担当した方の何だろォ?」
「はい、その通りです。右の袋には銀貨三十五枚、左の袋には銀貨二十八枚が入っています。ご確認下さい」
軽い方の袋を持ち上げて軽く振りながらレズノフが訊ねると、紫色の髪の女性は軽く頭を下げて答える。レズノフは小さく鼻を鳴らすと、袋を開いて中身をざっと確認した後、二つの布袋を右手に纏めた。
「はい、どうもォ。で、これで終わりか?」
「通常はこの手の手続きはギルドで行うのですが、今回は既に日が落ち切っていることも考慮してこの場で行わせてもらいました。なので、依頼受注者同伴の手続きはこれで終了になります」
「へェ、気が効くじゃねェか。そういう女は嫌いじゃねェぜ」
レズノフがニヤニヤと笑みを浮かべ、紫色の髪の女性の身体に視線を這わせながら軽口を叩くと、彼女は微笑みを浮かべて返事を返した。
「すいません、私にはもう将来を約束した方が居りますので」
「そういうなって。人間、一晩の内に色々変わるモンだぜェ?」
「そんな話はともかく、街にはどうやって帰るお考えですか? ランドシザースの死体の積み込みが終わってからで構わないのでしたら、馬車で送っていくことも可能ですけど」
伴侶が居るといったにも関わらず、全く退く素振りを見せようちないレズノフの姿を見て、紫色の髪の女性は話題を変えることで話を逸らそうとする。それはどうやら功を為したようで、レズノフは小さく笑って肩を竦め、「フラれちまった」と小さく呟いてから彼女の質問に答えた。
「終わってからで構わねェよ。つーか、帰りが馬車じゃねェと騒ぎそうな奴もいるしなァ」
「分かりました。では、積み込みが終わりましたらお呼びします」
僧衣を身に纏ったドイツ人の顔を思い浮かべながら、レズノフは返事を返す。紫色の髪の女性はレズノフの返事を受け取ると、返事を返してから馬車の中へと引っ込んでいった。
レズノフは紫色の髪の女性が自分に背を向けて馬車へと乗り込むのをまじまじと眺めた後(視線は主に臀部に集中していた)、右手に納まった二つの布袋を指先で弄びながら歩き出す。
「ハッ、晩飯時にご苦労なこった」
「……なぁ」
持ってきた光源用の神導具の灯りを頼りに、牡牛程の大きさのあるランドシザースの身体を数人がかりで持ち運び、そして人の手で引かれた道に停めてある、車輪の付いた巨大な板の上へと運び、縛り付ける。レズノフはその光景を眺めて一人ごちながら、水筒を傾けつつ行く当ても無く歩いていると、不意に声を掛けられた。
「ンだよ、坊ちゃんか」
その声に反応してレズノフが振り向くと、そこには先程自分と戦いを繰り広げていたルイスが立っていた。
「何だよ、その反応…」
「いやァ? ひょっとしたら、さっきの殴り合いで嬢ちゃん達のどっちかが俺に惚れ込んで告白にでも来たんじゃねェのかと思ってなァ。だが、実際には鼻頭にガーゼ張り付けたガキが一人居るだけだったからよォ」
「野郎で悪かったな…。つーか、元気すぎるだろ、オッサン。何であの一撃モロに受けて、そんなピンピンしてられるんだ?」
さっそくレズノフの口から飛び出してきた軽口に辟易しつつも、ルイスは依然として余裕そうなレズノフの姿を、呆れと驚きの混じった表情で見つめる。
「んなモン、俺の身体が頑丈だからに決まってんだろォ? 俺の身体は、数日間ぶっ続けで戦ってもへばんねェようにできてんだよ。上も下もなァ」
「ハァ…真面目に返事を返せねぇのかよ、あんたは…」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら返事を返すレズノフに、ルイスは溜め息を漏らして頭を抱える。レズノフはそんなルイスの姿を面白そうに眺めると、浮かべている笑みを取り払わずに問いかけた。
「で、何の用だ? 用が有るから話し掛けてきたんだろォ?」
レズノフの言葉を受け、ルイスは一瞬驚いたような表情を浮かべる。そしてその表情を次第に気恥ずかしそうなものへと変化させると、顔を少し俯かせて言葉を発した。
「あんたに礼が言いたかったんだ。ただそれだけさ」
「……ハァ?」
流石にそうくるとは予想出来なかったルイスの発言に、レズノフは思わず間の抜けた声を上げる。そしてそのレズノフの声を聞いたルイスは、益々気恥ずかしそうに視線を逸らして続きを話し始めた。
「最初、オッサンに勝負しようって持ちかけられた時、オッサンの言葉のせいで闘争心に火が点いてたのもあるんだが、はっきり言って負ける気がしなかったんだ。確かに図体にはかなりの差があったけど、オッサンなんかよりデケェ魔獣だって紗鵬流の技を使ってけっこう倒してきてるし。それにランドシザースの仕留め方だってこっちの方が良かったから、実は大したことはないんじゃないかって。ギルドランクだって差があったけど、それはただ単に受けてきた依頼の規模が違うだけで、実力で劣ってることになんて全然ならない、むしろサシで戦ったら俺の方が強いかもしれないんじゃないかって思ってさ」
そこまで一気に言葉にして出すと、ルイスは気恥ずかしげに背けていた視線をレズノフへと戻した。
「でも、実際は違った。俺はオッサンに殆ど手も足も出ずにやられてたし、あれが実践なら最初の一撃で殺されてた。最後の一撃だって、オッサンの裏をかける技があったからこそ叩き込めることが出来ただけだ」
レズノフにそう告げると、ルイスは右手をスッと前に出す。
「何かよく分からない内に殺されそうになったりしてたけど……オッサンのおかげで、自分の未熟さが実感出来た。ありがとう」
そう言い切ったルイスの表情には先程まで存在した気恥ずかしさなど微塵も無く、真剣そのものであった。レズノフはそんなルイスの表情に視線をを向け、次いで視線を自分の目の前に突き出されたルイスの右手へと移すと、頭を左手で搔きながら口を動かした。
「意中の男に告白しにきた処女みてェな気持ち悪ィ態度で何言い出すかと思ったら、んなことかよ。お前、優等生どころか一周回って馬鹿のレベルだなァ」
「なっ、俺は真面目に…!」
面倒臭そうに頭を掻き、ニヤニヤとkらかうような笑みを浮かべて、凡そ真剣とは言い難い態度で返事を返すレズノフに、ルイスがムッとした態度で言葉を返そうとする。だがレズノフはルイスの言葉を遮って歩き出し、目の前に突き出されたルイスの右手を無視してルイスの真横を通って離れていった。
そんなあまりにも素っ気無いレズノフの態度に驚きつつ、ルイスは振り返ってレズノフの背中に声を掛けようとする。だが、それよりも一歩早く、ルイスに背を向けて遠ざかっていくレズノフの右手が挙げられたかと思うと、間延びした声がルイスの耳に飛び込んできた。
「今度遊ぶ時は、もっと楽しませてくれよ? 坊ちゃん」
まるで酒でも飲みに行く約束を取り付けるかのように気軽な口調でレズノフの口から飛び出た言葉。それを耳にしたルイスは、一瞬ポカンと間の抜けた表情を浮かべた後、額に手を置いて小さく笑った。
「ったく、くえねぇオッサンだよ」
そしてそう小さく呟くと、小さく笑みを浮かべた表情のままレズノフとは逆方向に向かって歩き始めた。
こうして、レズノフ達二人と、ナターシャ達三人で初めて合同で行った依頼は終わりを迎え、一日が終わろうとしていた。
月が星の散りばめられた夜空に君臨し、街の主要な通りに建てられた外灯の光以外、殆どの光が存在しなくなった、深夜の『パラヒリア』。その一角、外灯すら存在しない代わりに、深夜にも関わらず灯りを点された続けている建物が存在する裏通りにぽつんと建てられた安宿『安らぎの聖域』。その二階の、未だ灯りが点されたままの一室で、ボルツ・スミスという偽名を使ってこの安宿に泊まっている男、ヴィショップ・ラングレンは白いシャツに黒いズボン、そしてズボンから二挺の白銀の魔弓が納められた二つのホルスターをぶら下げた出で立ちで、狭い部屋の中心に立ち尽くしていた。
両手はだらりと垂らされ、顔は目の前の窓に向けられたまま動かない。視線も顔と同様で、傍から見たら放心していると思われても不思議ではない状態のまま、ヴィショップはその場に立ち尽くしていた。
だが、
「シッ!」
その次の瞬間だった。今までだらりと垂らされていただけだったヴィショップの右手が微かに動いたかと思うと、常人にはただぶれただけにしか見えない様なスピードでホルスターに納められた魔弓のグリップへと伸びる。
ヴィショップの右手は、先の依頼で殺し合ったウォーマッド兄弟の兄、ゴルト・ウォーマッドの動きを上回る程のスピードで動いて魔弓のグリップをしっかりと握り込むと、ホルスターから引き抜こうとする。
そして、
「……チッ」
ホルスターから引き抜かれ、射出口を目前の窓に向けようとされていた白銀の魔弓は、その美しい全容が無骨なホルスター解き放たれようとした直前、射出口の上部に存在する照星をホルスターの淵に引っかけてヴィショップの手から離れると、クルクルと回転しながら斜め前に飛んでいき、やがて窓枠に当たると重い音を立てて木製の床に落下した。
ヴィショップは床に落ちた魔弓を見て舌打ちを打つと、床に転がった魔弓を拾い上げる。
今や、レズノフ達がナターシャ達三人と共同で依頼を受け、無事成功させてから四日が経っていた。レズノフ達はその後もナターシャ達と依頼を受け、レズノフの暴走こそあったものの、ミヒャエルが上手く立ち回ることで彼女達と信頼関係を着々と築いているらしい。
その一方でヴィショップとヤハドは、ドーマの方に動きが無いが故に、一日一回のレズノフの報告を聞くことと定期報告の手紙を偽装する以外は特にやることも無いので(一応、コルーチェのメンバーが定期報告に使っている便箋と神導具を探したりする必要はあったのだが、それは殆ど一日で終えてしまっていた)、思い思いの生活をしていた。
そんな中でヴィショップが始めていたのが、今しがた行っていた早撃ちの練習である。元々、ヴィショップは元の世界においてもリボルバーを使用しており、早撃ちの技術もかなりの年月をかけて磨いている。その為、早撃ちに関してはかなりの実力を持っているのだが、一つ問題が発生していた。それは、今使っている得物が大きすぎることである。
ヴィショップが元の世界で使っていたのは銃身4インチのリボルバーだったのだが、今使っている白銀の魔弓は少なく見積もっても6インチはあった。その結果、身体に染み付いた技術と使っている得物の間で齟齬が生じ、本来の早撃ちのスピードを出せずにいるのだ。その為にヴィショップは、空いている時間を早撃ちの連中に当てることで、今使っている得物でも本来の速度の早撃ちが行えるように技術を矯正しようとしているのであった。
もっとも、それが終わるにはもう少し時間が掛かりそうだったが。
「ったく、身体に染み付く程に磨き上げたことが、まさか仇になるなんてな…」
魔弓をホルスターに納めながら、ヴィショップは苦笑を浮かべて呟く。そして小さく息を吐き出すと、ズボンの尻ポケットに手を差し込んで懐中時計を取り出し、蓋を開いて時刻を確認した。
「そろそろだな…」
ヴィショップは小さく呟くと、白銀の魔弓を納めたホルスターが取り付けられているガンベルトを外して、荷袋の中へと放り込む。そして新たに荷袋の中から、一回り大きなホルスターの取り付けられているガンベルトを身に着ける。そしてもう一度荷袋の中に手を突っ込むと、手斧程の大きさのある黒い物体を取り出した。
天井に取り付けられた安っぽい魔導具の光に照らされてその姿が明らかにされる。魔導具の光を微かに反射する黒い物体の正体、それはヴィショップが『世界蛇の祭壇』で回収しておいた、ゴルト・ウォーマッド愛用の大型魔弓だった。
ヴィショップは取り出した大型魔弓のグリップを右手で握ると、シリンダーを開いて魔弾が装填されているかどうかを確認する。確認し終わるとシリンダーを閉じ、ガンベルトに取り付けられたホルスターに大型魔弓を突っ込んだ。
「念の為に拾っておいたが、いい具合に役に立つな」
ホルスターに魔弓を突っ込んだ瞬間のベルトが真下に引っ張られるような感覚を感じつつ、ヴィショップは満足気にホルスターに突っ込んだ大型魔弓のグリップをポンポンと叩く。
何故、ヴィショップがゴルトの魔弓を身に着けているかというと、普段彼が身に着けている魔弓が派手過ぎる為だ。ヴィショップが愛用している二挺の魔弓は、細緻な彫刻と美しい白銀のせいで見るものにかなりの印象を与える。事実、『クルーガ』に居た時は魔弓を見てヴィショップだと判断する人間も少なくなかった。
噂がどれだけ広まっているのかは正確には定かではないものの、『パラヒリア』のギルドまで伝わっているのはレズノフからの報告で確認済みである。その為、ヴィショップは魔弓から身元が特定、あるいは疑いを持たれることを避ける為に、『パラヒリア』に居る間はゴルトから拝借した大型魔弓を使用することに決めていたのだった。
「もっとも、実戦の方じゃどれだけ使えるか怪しいもんだがな」
ヴィショップは白銀の魔弓よりも更に大きな黒塗りの大型魔弓に視線を落としつつ、苦笑を浮かべる。そしてベッドの方に手を伸ばしてベッドの上に置いてあったフード付きの外灯を手に取ると、身に着けてフードを下ろす。次に鏡に視線を向け、覗き込みでもしない限り自分の顔が見えないことを確認すると、部屋の扉に向かって歩き出した。
「準備は出来てるな?」
「当たり前だ。でなければ、出てきたりしない」
扉を開いて部屋の外に出ると、ヴィショップは廊下の壁に背中を預けて立っている自分と似たような格好のヤハドと短いやり取りを交わす。
「なら、行くとしようか」
ヤハドの返事を聞いたヴィショップはそう言葉を発すると、階下へと続く階段に向かって歩き始め、その後をヤハドが追って行った。
そう、今日この夜こそが、ヴィショップ達が領主の許に潜り込んでからは初めてとなる、領主ドーマ・ルィーズカァントの悍ましき趣味が行われる日であった。
「要件は?」
「領主様に呼ばれて、“仕事”を行いにきました」
『安らぎの聖域』を出てから十数分程してドーマの屋敷の前に辿り着いたヴィショップとヤハドは、門の前で見張りをしている騎士に、ルィーズカァント家の家紋が彫られたプレートを見せて要件を告げた。
「確認した。ボルツはえーっと…」
「私です」
「そっちがボルツか。では分かっているだろうが、ボルツはこのまま屋敷の中へ、エルドゥーは裏に用意してある馬車へと移動してくれ」
プレートを確認した騎士はヴィショップにプレートを返すと、彼の名乗っている偽名を呼びながら二人の顔を見比べる。どちらがボルツ・スミスなのか分かっていない騎士に、ヴィショップが名乗りを上げることで教えてやると、騎士は納得した表情を浮かべて二人に向かうべき場所を告げ、鉄製の門を開いた。
「どうも、ごくろうさまです」
「指示された場所以外には向かうなよ」
ヴィショップは騎士に軽く頭を下げて門を通り、ヤハドは特に頭を下げるような素振りはせずにその後についていく。二人は背後で門が閉まっていく音を聞きながら、目の前に佇む領主の屋敷に向かって歩いていった。
「…手順は分かってるな?」
「馬車の中で待機し、貴様がずた袋を抱えてやってきたらそいつを馬車に積み込む。それ以外の余計なことはしない。これで満足か?」
「Aプラスだな。飴でもやろうか?」
庭のど真ん中に作られた噴水の回りを歩きながら、ヴィショップは小さな声でヤハドに手順を確認する。そして不機嫌そうな口調で返ってきた返事を聞いて苦笑を浮かべると、あとは特に会話も交わさずに屋敷の玄関に向かって進み続けた。
「じゃあ、後でな」
「…あぁ」
玄関の目の前まで来たところで、ヴィショップは屋敷の裏手に向かうヤハドと分かれると、フードを下ろして玄関へに続く段差を上っていく。
「プレートを」
玄関まで辿り着くと、昼と同じ様に扉の両側に立っている騎士がプレートを見せるように促してくる。ヴィショップは無言のまま騎士に手渡す。
「名前は?」
「ボルツ・スミスです」
「いいだろう。中で騎士団長がお待ちだ」
騎士は門の所に居た騎士と同じ様にプレートを検めると、ヴィショップの名前を確認し、中へ入るように促す。ヴィショップは先程と同じ様に軽く騎士に頭を下げると、扉を開いて屋敷の中へと入っていった。
「遅かったな。領主様は今か今かと待っておられるぞ」
屋敷の中に足を踏み入れるや否や、昼間に見たときと変わらぬ格好のハインベルツが冷淡な眼差しを向けながらヴィショップに声を掛ける。
「すいません、準備に手間取りまして」
遅刻だ、と告げるハインベルツに(実際には指定された時間にはまだ五分程の余裕があった)ヴィショップは人当りの良さそうな笑みを浮かべながら謝罪すると、ハインベルツは鼻を鳴らし、顎をしゃくって自分の後についてくるように指示して歩き出す。ヴィショップはその指示に大人しく従い、ハインベルツの後ろについて屋敷の中を進み始める。
二人は無言のまま、使用人が全く見受けられない深夜の屋敷の中を歩いていく。往々にして、建物は昼と夜でその顔を変えると言われるにも関わらず、昼に訪れた時と全く変わらない、ゴチャゴチャとした印象しか抱けない屋敷の中を歩き、やがて二人は三階に位置するドーマの私室の前に辿り着いた。
「武器があるなら、今ここで出してもらおうか」
「…分かりました」
扉の前まで辿り着くとハインベルツは歩みを止め、ヴィショップの方に振り向いて左手を突き出す。ヴィショップは彼の右手が抜け目なくロングソードの柄に置かれていることを見て取ると、苦笑を浮かべて外灯を捲り、ホルスターに納まっている大型魔弓の姿を晒しながら、魔弓を引き抜いてハインベルツの掌に置いた。
「随分と大きな得物を使っているな?」
「威力が強い方が頼もしいですからね」
「…そうか」
ヴィショップから手渡されたズッシリと重い大型魔弓のシリンダーを不慣れな手付きで開いて装填されている魔弾を抜き取りながら、ハインベルツはヴィショップに問いかける。そして間髪入れずに返ってきたヴィショップの返事に不愉快そうな返事を返すと、ドーマの私室の扉を開いた。
「領主様。ボルツ・スミスが到着いたしました」
「おぉ、遅いではないか! いつ来るのかと、ずっと待っておったのだぞ!」
ハインベルツが開いた扉を抜け、道すがら見てきた屋敷の内装よりも一層無節操なインテリアのドーマの私室に足を踏み入れるや否や、椅子に座ってグラスを傾けていたドーマが立ち上がり、嬉しそうな声を上げながらヴィショップに近づいてくる。
「すいません、領主様。色々とたてこんでいまして」
「ったく、参加させてくれと頼んできたのは貴様なのだぞ? そのお前が私を待たせるとは、感心せんなぁ」
頭を下げるヴィショップに向けて放たれたドーマの言葉は、内容とは裏腹に楽し気な雰囲気を帯びていた。
恐らくは、ヴィショップがやってくるのをかなり待ち望んでいたのだろう。それこそ、誕生日を数日後に控えた子供の様に。
「申し訳ありません。今後、善処いたします」
「ふん、まぁいいだろう。時間も無限に存在する訳ではないのだし…」
改めて頭を下げるヴィショップにそう告げると、ドーマはグラスをテーブルの上に置いて、壁に取り付けられてある獅子の頭を象った像へと近づく。そしてドーマは像の目の前で足を止めると、徐に像の開いた口の中に手を突っ込んだ。
その次の瞬間、獅子の頭を象った像が取り付けられている壁が動き出し、内開きに開かれる。ドーマはゆっくりと開かれていく壁とその先に現れた下へと続く階段を自慢気な表情で眺めながら、ヴィショップに告げた。
「さっさと向かうとしようかのぉ、究極の悦楽の園へと…」
湧き出る興奮と欲望を抑えきれていない、醜悪な笑みを浮かべてドーマがヴィショップを誘う。
それに対しヴィショップは、屋敷に来た時から一貫して貼り付け続けている人当りの良さそうな笑みを浮かべたまま答えた。
「えぇ。“この瞬間”を、心待ちにしておりました」
その笑顔の裏に、悪意に塗れた歪な笑みを浮かべながら。




