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Bad Guys  作者: ブッチ
Children play
31/146

Rabid Play

「よォ、嬢ちゃん達も終わったのかァ」


 橙色に染まっていた空も、もうすっかり黒一色になりかけている中、大剣を背中に背負ったレズノフは、自分達の方に近づいてくるナターシャ達の姿を捉えると、彼女等に向かって声を上げながら、メスのランドシザースの上から飛び降りる。


「は、はい。しかし、それにしても……」

「……随分と派手に殺したわね」


 右の鋏が丸々切り飛ばされ、左の鋏もツメの部分が大きく欠けており、左側の脚の殆どが消失している状態で仰向けに倒れているメスのランドシザースを見て、ナターシャはぎこちない笑みを浮かべ、ゼシカは呆れ混じりの表情を浮かべた。


「ですよねぇ! コレ、絶対にやりすぎですよねぇ!」

「…何であんたは、嬉しそうなんだ?」


 すると、ナターシャとゼシカの言葉を聞いたミヒャエルが、まるでやっとまともな人間と会話が出来た、とでも言わんばかりに嬉しそうな表情を浮かべる。そんな彼の姿を、ルイスが怪訝そうな表情で見ていたが、やがて視線をランドシザースの方へと向けると、少し考えてからレズノフに話し掛けた。


「まぁ、そっちに神父の兄ちゃんの言う通り、やり過ぎたと思うぜ。多分、報酬は減額されるんじゃねぇかな」

「マジ? どうせ食い易いように鋏とかは取り外しちまうんだし、別に問題ねェんじゃねェの?」

「いや、確かにそうなんですけど、なるべく外傷の無い状態で倒すのが条件ですから…。その為に毒だって支給されたのだと思いますし、多分報酬の方も変動するんじゃないかと…」


 レズノフの質問に、ナターシャが少し自信無さ気に答える。


「ほぅら、言ったじゃないですかぁ! どうするんですか、どうするんですか、レズノフさん! これは、完全んにレズノフさんの責任ですよ! 僕のせいじゃ…ふごっ!?」

「まァ、報酬についてはどうでもいいんだけどよ」

「いや、どうでもいいのかよ……」


 レズノフは、水を得た魚の如く、相当に生き生きとした笑顔を浮かべながらレズノフを責め始めたミヒャエルの顔面に、そこら辺にあった石を投げつけて黙らせると、彼の発言に呆れた表情を浮かべたルイスの方に視線を向ける。


「坊ちゃん、アンタに一つ訊きたいことがある」

「俺にか? そうだな、坊ちゃん呼ばわりを止めたら、考えてやってもいいぜ」


 レズノフの問いかけにルイスは軽口で答えるが、当のレズノフはその軽口に全くといっていい程反応を示さずに話を進める。そんな彼の視線には、メスのランドシザースが鋏を地面に叩き付けて一瞬で体勢を立て直したのを見た時と同じ、熱っぽいものが宿っていた。


「坊ちゃんよォ、アンタさっきよォ、素手の一発であの化け物ロブスターをひっくり返してたじゃねェか。アレ、どうやったんだァ? 技の名前まであったりしてよォ、まるでコミック・ヒーローみてェだったぜェ?」


 そして同時に、彼が獲物を見つけた時に浮かべる、獣のような獰猛な笑みに似た笑みが彼の顔に張り付いていた。


「コミ…なんだって?」

「あァ、こっちの話さ。それで、どうやってやったんだァ? 何かタネがあるんだろォ? それとも、アンタが実は新種のゴリラか何かだったってだけかァ?」

「そんな訳ないだろ。あれはただ単に、そういう武術ってだけの話さ」

「そういう…武術?」


 興味深そうな表情を浮かべてレズノフが聞き返すと、ルイスは「あぁ」と言って自分の使っている武術について説明し始める。


「紗鵬流っていう流派の武術でな。打撃のインパクトを足や拳の一点に集中させることで、威力を増大させる武術なんだ」

「へェ…紗鵬流ねェ…。ククッ…」


 ルイスから簡単な説明を聞いたレズノフは、ルイスが扱っている武術の名前を口に出してみると、顔を僅かに俯かせ、益々楽しげに口元を歪める。


「どうした?」

「いやァ、何でもねェ。それより、その紗鵬流とかいう奴、俺でも出来るか?」


 そんな彼の素振りを見たルイスが怪訝そうな表情を浮かべて声を掛ける。声を掛けられたレズノフは顔を上げて返事を返すと、紗鵬流が自分でも扱えるかどうか訊ねてみるが、帰ってきた答えはノーだった。


「いや、無理だと思う。紗鵬流の技ってのは、普通に殴っているように見えても、実のところかなり細かな部分で独自の動きを入ってるんだ。で、この独自の動きっていうのが、正しい指導を受けた上ですれなりの年月を鍛錬に費やさなきゃ習得出来ない」

「でも、坊ちゃんはまだガキなのにやってるじゃねェかァ?」

「…オッサン、あんた、結構歯に衣着せぬ物言いするよな」

「まァな。それが、俺の美徳の一つだ。それで、どうなんだァ?」


 レズノフの物言いに溜め息を漏らしながらも、それでも誰かに自分の流派に興味を持ってもらうのは嬉しいのか、ルイスは特に気分を害した様子も見せぬまま話を続ける。


「まぁ、実際俺なんてまだまだ半人前さ。俺に紗鵬流を教えた師匠なら、多分最初の一撃でランドシザースの意識を刈り取って決着を付けてただろうし、その気になれば俺が使ったのと同じ技を使って、ランドシザースの頭を吹き飛ばすことだって出来てたはずだぜ」

「へェ…成る程ねェ…ふゥん……」

「ほんと、凄いんだぜ、師匠は。何たって、紗鵬流の…」


 どこか得意気に語られるルイスの言葉だが、もはや途中からレズノフの耳に入っていなかった。

 今や、レズノフの頭の中は、ある一つの感情で一杯だった。

 この世界のどこかに存在する、どれだけ少なく見積もっても、明らかに元々居た世界の常識に当てはまらない、文字通り怪物と形容しても何らおかしくはない力を持った人間。それと全力を持って殺し合い、そして屈服させ蹂躙したいという欲求。

 レズノフの中に生まれた欲求は、まともな人間なら嫌悪感を覚えて然るべきな類いの存在。だが、それはこの世に生を受けた殆どの人間が抱いているある種の感情と、非常に似ていた。

 自分に無い、あるいは知らない何かを持った人物のことを想い、そして近づきたいと思う感情。乃ち、憧れに。


「…で、そん時なんか凄かったんだぜ? 何たって、あの…」

「なァ、坊ちゃん」

「ん? 何だ?」


 得意げに語るルイスの言葉を遮ると、レズノフは背中に背負っている大剣を抜き放って、ルイスに告げた。


「少し遊ばねェかァ? 俺と坊ちゃん、一対一(ワン・オン・ワン)でよォ」


 ルイスに大剣の切っ先を突き付けたまま、レズノフは、いきなり大剣を突き付けられて驚いているルイスの答えを待つ。

 だが、ルイスが答えるより前に、二人のやりとりを手持無沙汰に眺めていたナターシャとゼシカの方が口を開いた。


「な、何を言ってるんですか、レズノフさん!?」

「そ、そうよ! 何であなたとルイスが戦う必要があるのよ!?」


 突然のレズノフの行動に、ナターシャとゼシカは驚いて声を上げる。レズノフはそんな二人にうんざりした表情を向けると、


「んな、デケェ声出すなよ、嬢ちゃん達。それに…」


 ルイスに突き付けていた大剣を地面に突き刺し、左手に填めている手甲を外して地面に落とした。


「こっちも素手ゴロでいくさ。遊びだって言ったろゥ?」


 軽く腕を広げ、ニヤリと楽しそうな笑みを浮かべて、レズノフはルイスへと視線を戻す。その行為は、誰の目から見ても、舐めているとしか思えない行為だった。

 そしてその行為は当然ルイスの目にもそう映り、彼はレズノフの行動を見て小さく笑みを浮かべると、


「いいぜ。その“勝負”、乗ってやろうじゃねぇか」

「ルイスさん!?」

「ルイス!?」


 一瞬で表情を真剣なものへと変貌させ、レズノフの申し出を引き受けた。






「…本当にやるんですか、ルイスさん?」


 緑一色の平原からぽつんと突き出た灰色の岩の上に座り、両手に巻かれた黒い包帯の様な布を巻きなおしているルイスに、ナターシャが不安そうな声音で話し掛ける。その近くでは、ゼシカが呆れかえった表情を浮かべてルイスを眺めつつ、支給された通信用の神導具でギルドと連絡を取っていた。

 ルイスがレズノフの申し出を受けたのは、今から数分前のこと。レズノフはルイスの答えを聞くや否や、すぐにでも勝負を始めようとしたのだが、ゼシカによって、ギルドにランドロブスターを仕留めた旨を連絡することを理由に止められる。その為、勝負を始めるのは数分後に先延ばしにされ、どうせ始まるまでに時間があるのならばということで、その時間を互いに勝負への準備へと充てることにし、今に至っていた。


「あぁ。武器も防具も使わない、その上紗鵬流との戦いをお遊びだなんて言ったことを、後悔させてやるさ」

「で、でも…」

「あー、もう止めときなさい、ナターシャ」


 ナターシャとは対照的に、やる気満々な声音でルイスは返事を返すと、布を巻き付けた両手の調子を確認するかのように指を開いたり閉じたりしてから、岩から降りて立ち上がる。そんなルイスを引き留めようとナターシャは言葉を重ねようとするが、ギルドとの通信を終えたナターシャがそれを遮った。


「ナターシャさん…」

「このバカがここまで言い出したら、ジェードならともかく私達の言葉じゃ止まらないわよ」

「…悪い」

「止めなさいよ、似合わない」


 呆れかえった口調で話すゼシカを見て、流石に思うところがあったのか、ルイスは謝罪の言葉を口にする。だがゼシカは、そんなルイスの謝罪を鼻で笑うとルイスの近くまで近づいて胸を軽く小突いた。


「あんたのしでかしたバカの後始末なんて、もうやりなれてるんだから。今更、謝るんじゃないわよ。思いっきりやりなさい」

「ゼシカ…」

「ただし、負けたら今日の晩御飯はあんたの奢りだからね」

「…ますます負けられないって訳か」


 呆れかえった表情から、どこか優しさを感じさせる笑顔へと表情を変えて軽口を叩くゼシカい、ルイスは思わず小さく笑いを溢す。そしてすぐに表情を真剣なものへと一変させると、ゼシカとナターシャに背を向け、顔面に石をぶち当てられて気絶していた筈のミヒャエルと会話を交わしているレズノフの方へと振り向いた。


「んじゃ、ちょっとばかし下剋上と洒落込んでくる」

「気取るな、バカ。精々、がんばりなさい」

「頑張ってください、ルイスさん!」


 背中に投げかけられる二人の声援に軽く手を振って応えると、ルイスは、ミヒャエルとの会話を終えてこちらに歩み寄ってきたレズノフに向かって、自信に満ちた足取りで歩き始める。

 彼の中にしっかりと根付いた自信の理由は二つ。一つは、自分の扱っている、大型の魔物すら宙を舞わせる威力を持った紗鵬流という武術に対する信頼。そしてもう一つは、自分達がランドシザースを綺麗に仕留めたにも関わらず、レズノフ達はかなり傷つけて仕留めていたという事実。この二つの要素だった。


(ランクC2が何だ。目にもの見せてやるぜ!)


 今やルイスの瞳の奥に見える未来のビジョンには、敗北の展開など存在していなかった。






「オイ、起きろ強姦魔」

「冷たっ! ってか、痛っ! って、あれ? 僕、何で…」

「うるせェ、騒ぐな」


 ルイスが岩の上に座って布を巻き直し、ナターシャがそんなルイスに考え直すように説得している頃、レズノフはルイス達から少し離れた所まで、大剣と手甲、そして鼻血を流しながら気絶しているミヒャエルを運ぶと、水筒に入っている水をミヒャエルの顔面にかけて覚醒させる。そして起きるや否や騒ぎ出したミヒャエルに黙るように言うと、しゃがみこんでミヒャエルの視線に合わせてから、ミヒャエルが気絶してからのことを説明し始めた。


「僕が気絶している間に、話がもの凄い方向に…。一応、訊いておきますけど、ルイスさんとの喧嘩…もとい決闘を止める気は…?」

「ある訳がねェだろ。化け物ロブスターでの欲求不満を解消させるには充分過ぎる相手なんだぜェ? それに、あの坊ちゃんの師匠とやらがどれくらい強いのか、そいつを予想する指針になる筈だ、今回のじゃれ合はなァ」

「ってか、ルイスさんの師匠とやらまで獲物に入ってるんですか…。で、僕なんか放っておいて勝手に殺し合いでもなんでも始めてそうなレズノフさんが僕を起こしたってことは、何か僕にやって欲しいことがあるんでしょう? 何なんです?」


 楽しげに語るレズノフの姿を見て、ミヒャエルはどこか諦めた様な口調で呟くと、レズノフが自分に何を求めているのかを訊ねる。

 すると、レズノフは満足げな表情を浮かべて話を始めた。


「話が早ェなァ。お前にやってもらいてェのは、ブレーキの役割だ」

「ブレーキ、ですか?」


 怪訝そうな表情を浮かべて聞き返してきたミヒャエルに対し、レズノフは首を縦に振る。


「そうだ。あの坊ちゃんとやりあってる最中、もしかしたら……まァ、そうなってくれた方が俺自身は嬉しいんだが、俺はハイになり過ぎちまって、自分で抑えが利かずにあの坊ちゃんを殺しかけちまうかもしれねェ。だから、そうなったらテメェが魔法を使って俺を止めろ」

「…成る程、それが僕を叩き起こした理由ですか。まぁ、さっきのを見てればそれも納得ですけど。それにしても、やたら自身有り気ですね。殺しかけてしまうかもしれない、なんて、まるで勝つこと前提で話進めてるみたいですよ」

「みたい、というより勝つこと前提で進めてんだよ」


 からかう様な口調で訊いてきたミヒャエルに向かって返ってきたのは、さも当然の出来事を述べる様な口調のレズノフの返事だった。


「……謙虚なレズノフさんなんて気持ち悪いぐらい似合わないんで、今の発言にもあまり違和感は感じてませんけど、訊かせてください。その自身の理由は?」


 ミヒャエルは一瞬虚を吐かれた様な表情を浮かべると、すぐに表情を呆れ混じりのものへと変えてレズノフに訊ねる。それに対しミヒャエルは面倒臭そうに答えた。


「んなモン、当たり前だろ。タッパが違い過ぎる」

「まさか、レズノフさんから正論を聞かされるなんて…」


 レズノフの言葉を受けたミヒャエルは、首を振ってレズノフと少し離れた所で話しているルイスの姿を見比べてから、今日一番といっても過言ではない程の驚きを孕んだ表情を浮かべつつも、納得する。

 レズノフの言う通り、ルイスとレズノフの体型にはかなりの差がある。ルイスが、鍛えられてはいるものの平均的なティーンエイジャー程度の身長と、付いている筋肉の分、少し平均を超えるぐらいの体重しか無いのに対し、レズノフの身長は二メートルに近くある上に、身の丈程の大剣を振り回せる程の膂力を生み出す程に鍛えられた筋肉によって、体重も平均的な成人男性よりもかなり重い。恐らく、百キロは優に超えているだろう。

 ルイスとレズノフ、二人の体型の差は元の世界の格闘技のルールに当てはめるなら、明らかに階級を二、三級は違えている程にあった。


「だろォ? こんだけありゃ、こっちの一撃は実際の威力より遥かに重く突き刺さるし、逆に向こうは頭を狙うのだって苦労するレベルだァ。はっきり言って、こんだけタッパに差があって負ける方が論外だ」

「……でも、その割には楽しそうですよね」


 一見まともに思える発言をする、レズノフ。だが、その表情に張り付いているのは、ルイスとの戦いが赤子の手を捻る様なものになることを確信している顔では断じて無かった。むしろ、その戦いが刺激に満ちたものになるであろうことを予想し、一刻も早くその戦いに身を投じたくてうずうずとしている、そういった感じの顔をしていた。そしてそのことをミヒャエルが指摘すると、レズノフは唇の端をゆっくりと吊り上げ、益々楽しそうな笑みを浮かべながら答えた。


「だからこそ、楽しいのさ。こんな当たり前の理屈、さっきの化け物ロブスターの時だって充分に当てはまる。だが、あの坊ちゃんは化け物ロブスターを意図も簡単にぶっ殺してる。つまり、坊ちゃんが使う紗鵬流とやらには、そんな常識をひっくり返しちまう程の力があるってことさァ」


 飢えた猛獣を連想させる笑みを浮かべて、レズノフはそう告げる。そんな彼の姿をミヒャエルが、付き合いきれない、とでも言いたげな表情で見ている内に、レズノフは、ギルドと連絡を取っていたゼシカが神導具をしまい、ルイスと会話しているのを見て取ると、立ち上がった。


「んじゃ、いざとなったら頼んだぜェ」

「…ハァ、分かりましたよ。その代わり、いざという時になったらこの依頼の報酬の分け前、増やしてもらいますからね」

「テメェがちゃんと仕事したらなァ、強姦魔ァ」


 レズノフは返事を返すと、身に着けていた胸当てや、ナイフ、手斧といった類いのものを地面に落とし、完全に武装を解いてからルイスの方に向かって歩き出す。その視線の先では、両手足に黒い包帯の様な布を巻き付けたルイスが、同じようにレズノフに向かって歩いていた。

 誰もが言葉を発さず、風と二人の身体が草を静かに揺らす音のみが鼓膜を刺激を振動させる中、二人は互いに歩み寄り、あと数歩で手が届くといった距離まで近づくと、二人同時に歩みを止めた。


「その手足に巻いてるの、何かのオマジナイかァ? それとも、単なるテーピングか何かかァ?」


 空間を支配していた静寂を破って、レズノフがからかう様な口調で話し掛ける。


「俺に勝てたら、教えてもいいぜ。それより、オッサンこそ何も身に付けなくてもいいのかよ。怪我してもしらねぇぜ」

「オイオイ、知らねェのかァ? 遊びってのは、怪我しちまうぐらいが一番楽しいんだぜ?」

「負った怪我が重症でも同じことが言えるかよ?」

「致命傷だろうが、一字一句同じセリフを吐ける自信があるね」

「そうかよ…」


 それにルイスが挑発染みた言葉で返事を返すも、レズノフは楽しそうな笑みを全く崩さずに軽口を叩き続ける。そんなレズノフの態度に対し、ルイスが少し苛立った様子で返事を返したのを見たレズノフは、ボリボリと頭を搔いた後に、まるで何てことは無い提案を持ちかけるかのような口調で、言葉を発した。


「んじゃ、始めるか?」

「……あぁ!」


 レズノフの問いかけに力強く返事を返した直後、間髪入れずにルイスは動き出し、レズノフまでの残りの数歩を詰めるべく地面を蹴って一気に肉薄しようと試みる。


「…ッ!」


 だが、そんなルイスに対して待っていたのは、レズノフがその場で足を振り上げることによって巻き上げられた、土の散弾。

 本来、草原というフィールドでは、草がしっかりと地面に根付いていて土をそう簡単には巻き上げることなど出来ない。にも拘わらず、一発の蹴りで意図も簡単に地面に根付いた根を引き千切り、ルイス目掛けて土を巻き上げたレズノフの脚力に驚きいて立ち止まりながらも、何とかルイスは自らに向かって殺到する土の散弾を片手で防ぐ。

 その次の瞬間、レズノフは立ち止まっているルイスに駆け寄り、一瞬で肉薄する。二メートル近い身長に、百キロを超える体重の彼が一瞬で肉薄する様は、ルイスから見ればタチの悪い冗談か、そうでなければ人の形をした壁が迫ってきた様にしか見えなかっただろう。

 一瞬にしてルイスの懐に潜り込んだレズノフは、右腕を曲げ、ルイスの頭に向かって右肘を振り下ろす。一方で懐に潜り込まれたルイスは舌打ちを打ちつつも、何とか距離を離すべく後ろに飛び退こうとするが、それが間に合わないことを悟ると、左腕でレズノフの振り下ろしてきた右肘をガードしようとする。

 だが、


「がッ!」


 体重の乗ったレズノフの一撃の勢いを殺すことは到底出来ず、ガードに用いた左腕をを巻き込んでレズノフの右肘がルイスの側頭部に叩き付けられる。幸い、左腕の上からの一撃だった為直撃は避けられたものの、ルイスに首を垂れさせるだけの威力は充分に残っていた。


「ぐッ!」


 その直後、レズノフの左膝が跳ね上がり、垂れ下がってきたルイスの頭を捉える。ルイスは、それも何とか直撃する前に右手を差し込むことが出来たが、やはり先の一撃と同じ様にガードした右手ごと蹴り上げられ、サッカーのリフティングよろしく、ルイスの頭が跳ね上がり、図らずも立ち尽くしたような体勢となる。そして次の瞬間にはレズノフが、蹴り上げたルイスの横っ面に向かって左の裏拳を叩き込み、ルイスの身体は真横に向かって吹っ飛ばされた。


「ルイスさん!?」


 その光景を見たナターシャが、思わず悲鳴を上げるが、レズノフの拳をノーガードの状態で受けた今のルイスでは、ナターシャの声をまともに聞き取ることすら困難だった。

 それでもルイスは、何とか受け身を取り、地面に手を着いて立ち上がると、


「チッ!」


 己の顔を蹴り上げるべく振るわれたレズノフの左足を、右に向かって転がることで回避した。


「なっ…!?」


 しかし、ルイスが右に向かって転がった瞬間、空を切ったレズノフの左足の動きがピタッと止まったかと思うと、一瞬で軌道を変え、足裏がルイスの顔面目がけて突き出される。

 ルイスは何とか顔を背けてその一撃を避けようとするが、避けきれずに左の頬をレズノフの左足の踵で蹴り抜かれ、再び地面を転がる破目となった。


「クソッ…!」


 地面を二転、三転した後、ルイスは何とか勢いを殺し、仰向けの状態で動きを止める。そしてすぐさま立ち上がろうとするが、いつの間にか近づいていたレズノフに胸を踏みつけられて抑え込まれる。


「んだよ、もう終わりかァ?」


 足蹴にされているルイスに視線を向け、レズノフは拍子抜けした口調でルイスに話し掛ける。


「まだに……決まってんだろ!」


 まともに拳を振るうことすら出来ぬまま、地面に背を着いて足蹴にされているという事実、そして傷一つ無い姿の上に、あまつさえ拍子抜けした声音で話し掛ける程の余裕を持って自分を見下しているレズノフに対する悔しさから表情を歪めると、ルイスは咆哮を上げてレズノフに向けて右足を繰り出すが、


「なら、良かった。んじゃ、チャンスをくれてやるよ」


 レズノフはニヤリと笑顔を浮かべると、何てことは無さそうに、自分の顔面に向かって突き出されたルイスの右足を左手で受け止める。そして悔しそうな表情で舌打ちを打ったルイスの顔を一瞥すると、ルイスの胸を踏みつけていた右足を退かし、右手をルイスの右足へと伸ばすと、身体を180度回転させ、ルイスの身体を後ろに向かって投げ飛ばした。


「うおっ!?」


 突然身体を襲った浮遊感に思わず声を漏らしつつも、ルイスは数瞬後に襲い来るであろう衝撃に備える。そして身体が地面に接触するや否や、受け身をとって体勢を整えると、すぐに立ち上がる。そうして立ち上がったルイスの視線の先では、レズノフが既に駆け出しており、みるみる内に自分との距離を詰めていた。


「紗鵬流奥義…」


 その姿を捉えたルイスは、すぐさま息を吐き出して呼吸を整えつつ、右手を腰の辺りまで引き付けて構えを取る。


「鎧抜掌!」


 そしてレズノフが拳の射程範囲に入ってきた瞬間、レズノフの胸元目掛けて、ランドシザースを宙に浮かせる程の威力を持った掌底を放とうとするが、


「ッ!」


 ルイスのよりも遥かにリーチで勝るレズノフの左手がルイスの右手に向かって伸び、右手が完全に突き出される前に腕を掴んで軌道を逸らしつつ、自らに向かってルイスを引き寄せ、身体を回転させて右の肩口をルイスへと向ける。


「それじゃあ、駄目だろォ?」


 そして驚愕に染まったルイスの顔面に、右肘をねじ込んだ。


「ルイス!」


 大分浮かび上がる星の数も多くなってきた夜空に、ゼシカの声が響き渡る。

 レズノフによって右肘を顔面に叩き込まれたルイスは、鼻孔から血液を噴出しながら身体を傾かせ、後ろに倒れ込もうとして、


「…へェ」


 寸でのところで踏みとどまり、仰け反っていた上体を無理矢理に起こした。


「紗鵬流奥義…」


 そして、自らが信奉する武術による一撃をレズノフに叩き込むべく、左手を再び腰の辺りに引き付ける。右手をレズノフに掴まれたまま、荒い息遣いのまま、鼻孔から血を滴らせ、上体を起こしたものの満足に顔も上げられないような状態のまま。

 そんな彼の姿を見て、レズノフは無言で口角を吊り上げる。そして、再び右の拳を握り込み、胸の辺りまで引き付けて、右肘をルイスの頭に叩き込もうとする。

 この瞬間、レズノフの中には、今の一撃を受けても立ち向かってくる気力をルイスが持っていたこと対しての喜びを感じると同時に、自分の予想が当たっていたことを確信していた。

 それは、ルイスの扱っている紗鵬流には、溜めの前動作を必要とする技、もしくは、拳ないしは脚を完全に伸ばしきって放つ大振りの技しかないのではないか、という予想。

 その予想は、体型の差を差し引いたとしても、大振りの蹴りやパンチよりも肘や膝などを用いたコンパクトな攻撃が猛威を振るうゼロ距離に近い状態での戦闘で、ルイスが手も足も出せずにいたこと、そしてルイスの初めての反撃である、体勢を崩して転倒している最中に放った一発は、何の変哲も無い蹴りだったことなどから確信へと近づいていたが、今この瞬間、再びゼロ距離同然まで二人の距離が縮まっているにも関わらず、ルイスが放とうとしているのがランドシザースをひっくり返す時に使ったのと同じ、腕を伸ばしきった放つ大振りの掌底であることを確認して、その予想は確信へと変わった。紗鵬流とやらには、隙の大きな技しかないのだ、と。

 それ故に、レズノフはルイスが構えを取っていても、焦りなど微塵も覚えなかった。何故なら、ルイスが放つ掌底より速く、自分の振り下ろした右肘がルイスの意識を奪い取ることが分かっていたから。

 だが、次の瞬間にルイスが動かしたのは、腰の辺りに引き付けた左手ではなかった。


「震嶺脚!」


 ルイスの叫び声が夜の帳の落ちている夜空に響いたかと思うと、ルイスの右足が持ち上がり、そして地面に向かって力の限り振り下ろされる。その単純極まる動きは、レズノフが右肘を振り下ろすよりも素早く行われた。


「うおっ…!」


 ルイスの切ったカードが予想していたのと全く違ったことに気付き、レズノフの目が微かに見開かれる。

 だが、そうしていられたのもその一瞬だけで、その次の瞬間には、ルイスが地面に力の限り足を振り下ろすことで与えられた衝撃により、ルイスの半径二メートル圏内の土が、しっかりと根付いていた草と一緒に巻き上げられ、レズノフに襲いかかっていた。

 生まれ故郷となる世界では、到底お目にかかれることは無いようなその芸当に、さしものレズノフといえど度胆を抜かれ、思わず掴んでいたルイスの右手を離して、手で顔を庇いながら二、三歩後ずさる。ルイスはその隙を見逃さず、朦朧とする頭を無理矢理動かし、解放された右手も腰の辺りに引き付けつつ地面を蹴ってレズノフに肉薄すると、


「紗鵬流奥義、刺双!」


 右と左の掌底を、レズノフの腹に叩き込んだ。


「がへッ…!」


 レズノフの口から呻き声が漏れたかと思うと、レズノフの身体が真後ろに向かって吹っ飛び、地面をごろごろと転がっていく。ルイスは両腕を突き出した体勢のままそれを眺め、五回程転がったところでレズノフの身体が止まると、倒れたまま動く素振りを見せないレズノフを三秒程そのまま見つめ続ける。そうしてレズノフの身体が起き上がらないのを確認すると、ルイスは突き出した両腕を降ろして呟いた。


「勝った…」


 そう声にして出した瞬間、今までしっかりとしていた両手、両脚が唐突にブルブルと震え始め、ストンと地面に尻を着いてしまう。数分にも及ばない戦闘だったにも関わらず、予想を限界に近いダメージが蓄積していたことに気付いて、ルイスは茫然とした表情で自分の両手を見つめる。

 すると、


「凄いですよ、ルイスさ…」

「ちょっと、あんた大丈夫!?」

「うおっ!?」


 今までレズノフとの戦いを見ていたナターシャとゼシカが駆け寄ってきたかと思うと、ゼシカがルイスに突っ込んでくる。ルイスは驚いて声を上げるも、今の彼に対抗する余力など残されておらず、そのままゼシカに押し倒されてしまった。


「お、おい、何するんだよ…」

「鼻、凄い血が出てるじゃない! コレ、折れてるんじゃないでしょうね!」


 戸惑った調子のルイスの声を無視して、ゼシカは手が血で汚れるのも構わずにルイスの顔の怪我を確認していく。そして一通り確認して、特に重い怪我にはなっていないのを確かめると、安心したかの様な溜め息を吐いた。


「はぁ…良かった、折れてないみたいだし、他も特に……あっ」


 そうして冷静になった瞬間、今の自分の状況に気付いて顔を仄かに赤めると、俊敏な動きでルイスの上から退き、現在浮かべている表情にぴったりな調子の声音で、何とか取り繕おうとする。


「えっと、今のは…その……」

「皆まで言うなよ。分かってるって。心配してくれたんだろ、俺のこと…」

「違うわよ、バカ! これは、アレよ! ただのアレよ!」


 だが、そんな彼女の努力も、ルイスによって無駄に格好を付けた身振りと共に遮られてしまい、ゼシカは開き直ったように大声を上げて、否定しようと躍起になる。

 そんなルイスとゼシカのやり取りを、温かい視線で見守っている存在が二つあった。一つは、二人のすぐ近くでやり取りを眺めているナターシャ・ネメルコフ。そしてもう一人は、彼等から少し離れた地点で手持無沙汰に杖を弄っている、ミヒャエル・エーカーだった。


「いやぁ、いいですねぇ。青春ですねぇ。うーん、ああいうのを見ていると、なんだか羨ましくなってきます。そろそろ本格的に、将来の伴侶となる女性でも探し始めましょうかねぇ…」


 遠目からでも分かるぐらいに仲睦まじげな二人の様子を眺めながら、ミヒャエルはそう一人ごちる。やがてルイス達から視線を離して、地面に大の字に倒れているレズノフへと視線を向けると、溜め息を吐いて立ち上がった。


「んじゃ、頼まれたことをやるとしますかね」


 法衣について土を払いながら立ち上がったミヒャエルがそう呟いた瞬間、


「ゲホッ! ガハッ、ゴホッ!」


 ルイス達から上がる楽しげな会話を遮って、草原のある一か所から豪快な咳が上がる。その咳が上がった瞬間、笑い声と冗談等を吐き出していたルイス達三人の口が一斉にその動きを止め、視線は咳の上がったある一か所へと集中する。

 そこには、


「ハァ、ハァ……ンだよ、今のは…」


 地面に手を着き、ゆっくりと立ち上がろうとしているレズノフの姿があった。


「嘘だろ…どうして立てんだよ…」


 手を膝に着き、ゆっくりとした動作ではあるものの確実に立ち上がっていくレズノフの姿を見て、ルイスは有り得ないものでも見ているかの様な表情を浮かべ、茫然とした様子で呟く。

 先程レズノフに放った一撃は、ルイスが今現在習得している紗鵬流の奥義の中では、最高に近い威力を誇る技。確かに、直撃によってレズノフの命を奪うような真似だけは避ける為に威力をセーブしたものの、それでも意識を奪うには十二分な威力を秘めていたし、骨の一、二本なら折れていても何らおかしくはない一撃だった。

 にも関わらず、直撃を受けたレズノフは立ち上がっている。その事実は、巨体に釣り合わない速度で接近してくることや、まともに拳も振えぬまま地面に背を着ける破目になったということよりも、遥かにタチの悪い冗談だった。


「有り得ねェ、有り得ねェぞ…。何で、テメェみてェなガキの拳で、ここまで吹き飛ばされるんだァ? 何をどうやったら、地面があんな風になるんだァ? 分かんねェ、分かんねェぞ…」


 その一方でレズノフは、ぶつぶつと呟きながら立ち上がる。その顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。

 そしてそれは、彼が完全に立ち上がったと同時に爆発した。


「ヒャハハハハハハハ! 凄ェ、凄ェ、凄ェ! 面白ェなァ、オイ! ヒャハハッ! 意ッ味分からねェ! んでもって、たまんねェぞォ! ヒャハハハハハハハ!」


 けたたましい笑い声を上げながら、レズノフはルイスへと視線を向ける。そしてレズノフは、ルイスのすぐ近くに居るゼシカとナターシャを完全に無視してルイスだけに視線を向けながら、一歩一歩踏みしめる様にして近づいていく。


「さァ、続きをやろうぜ、ルイス・マクハーバー! もォ、我慢出来ねェんだよォ! お前が俺に殺されるまで、命を懸けて楽しむとしようぜ、なァ、オイ、ルゥゥゥイスッ!」

(ヤバい…!)


 まるで獣の雄叫びの様な声を上げると、レズノフはルイスに向かって駆け出す。そのスピードは、先程までとは明らかに一線を画しており、既にかなりのダメージの蓄積して満足に動かすことの叶わぬルイスの身体では、対応することは不可能であった。

 この瞬間、ルイスは死を覚悟した。だがその要因は、レズノフが対応しきれぬスピードで迫ってきたからでも、先程のレズノフとの戦闘によって弱気になっているからでもない。ルイスが死を覚悟した理由、それはレズノフから発せられる尋常ではない殺気、ルイスを殺す以外の一切の要素が含まれていない、純粋無垢な殺意にあった。


(殺される………あれ?)


 己の死が逃れられぬものであると覚悟し、ルイスは思わず両目をきつく閉じる。だが、いくら待てども痛みも衝撃も襲ってくることはなく、ルイスは不思議に思いながら恐る恐る目を開いた。


「なっ…」


 目を開いた先に広がっていたもは、地面から伸びた何本もの蔦が腕や身体、脚に絡み付き、その場から動けなくなっている状態のレズノフの姿。

 その予想だにしなかったレズノフの姿を見て、ルイスが思わず呆気に取られていると、彼の耳にどこか得意気な声が飛び込んできた。


「悪いですけど、野郎の絡み合いなんて見てても面白くないんで、これでお開きにさせてもらいますよ。迎えの馬車も来たことですしね」


 声のした咆哮へとルイスが視線を向けると、そこには杖を構えたミヒャエルが余裕に満ちた表情を浮かべながら、気取った手振りでこちらへと近づいてくる馬車を指差していた。

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